ダメ外人(プロ野球)

ページ名:ダメ外人_プロ野球_

登録日:2011/04/21 Thu 13:34:16
更新日:2023/08/17 Thu 20:05:43NEW!
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長年プロ野球において助っ人の成績はチームの順位を左右するものである


君は大した成績も残さず祖国に帰った助っ人選手をどれだけ覚えているだろうか?




【概要】

プロ野球において「助っ人」とは外国籍選手の事を指す。
成績が重要なプロ野球において結果を残せずに帰国する選手は沢山いるが、中にはネタにしか見えない外人も存在する。



ダメ外人に該当するケースは主に以下の通り。

  1. 前評判が良かったり、メジャーリーグでの経験が豊富なのにも関わらず凡退や炎上を繰り返す
  2. 言動や素行不良などの行動による話題性(=ネタ)に特化

特に1と2が重なった時の破壊力は(ネタとして)凄まじく、応援するチームではなくても覚えている事がある程にプロ野球ファンのネタになる。


某掲示板の某野球好き板では

  1. 成績が良くて性格も良い→最高の助っ人
  2. 成績が良いけど性格は悪い→応援はされる
  3. 成績は悪いけど性格は良い→励まされる
  4. 成績が悪い上に性格も悪い→凄まじいネタ選手

なんて分け方をされてたりもする。



本記事では主にこの様なケースの選手について記載している。
単なる成績不振とはややニュアンスが異なるし、何よりも成績不振だけならばかなりの数の選手がいるので書ききれないという問題もある。



ダメ外人が多発する最大の理由は、日本と外国の違いによる適応力不足。
日本野球そのものやファンとの交流自体に適応できないケースはもちろん、日本での慣れない生活から調子を崩す例もしばしば*1
野球ではどうしても個々の成績=数字が重視されてしまうのでダメ外人候補が増えてしまう。
(守備においても失策数や守備率といった数字が対象となる)
中には日本慣れする事でまずまず、時には遅れてブレイクする者もいるが、年俸が高い上に外国人枠の制限もある*2助っ人外人が即戦力にならないのは球団にとって痛手の為、さっさと戦力外になり易いのが追い打ちをかけている。
二軍での調整の機会も少ないまま1年も経たずに解雇される事もあるため、そういった例も目立つ。


また項目名がダメ外人となっているが、実際には100%外国人選手に責任がある訳ではない事にも注意。
中にはNPBを亡命の踏み台にしかしていない例などもあるが…(亡命そのもの自体は事情にもよるので、ダメとは限らない)。


他には球団側の不手際や待遇の悪さ、不運なケガ等によって、コンディションを万全に保てずに能力を発揮出来なかった様なケースもこの項目では紹介している。
そもそも本当にダメな選手だとしても、その人物を評価して招き入れたのは球団側。
日本人選手にもダメ外人以上に活躍できていない選手がザラにいるが、外国人選手は少数だったり有名な経歴を伴いがちなので、目立ちやすい。
特に海外での実績が高いとファンからの期待との落差が激しく、成績的に見れば十分主力が務まっていたのにネタキャラ扱いされ易くなってしまう事も忘れてはいけないだろう。


なお、星野仙一は中日監督時代、「外国人選手の獲得は宝くじを買う様な物」などと表現していた。
メジャーで活躍したからといって同じ様に活躍するとは限らなかったり、逆に3A止まりの選手が日本で多大な実績を残す事もあるという意味では的を射ているが、同じ事は日本人選手でも言える。
そもそもあまり調査していなかったり*3、日本でプレイする為の十分な環境を整えていなかったり、緊急補強で急に呼ばれたりする事も多いのは忘れてはならない。
ぽろっと出てしまう事はあるだろうが、発言には注意しよう。
一歩間違えば国籍差別やヘイトスピーチになり、日本野球の品性を疑われかねない。


以下代表的なダメ外人

◆60年代

  • マニー(大毎・1962)

来日前年まで兵役に就いておりブランクを心配されたが、蓋を開けてみればほとんど良い所なく1勝も挙げられないまま1年で退団。
ただ彼の場合、この項目に名が挙げられている理由はやや特殊。
マニーというのは登録名であり、彼の本名はFrank Edward Mankovitchという。
調べてみれば分かるだろうが、彼のファミリーネームをカタカナにすると、日本語ではもろに放送禁止用語であり、本人に落ち度はないのだが色々アウト。


  • ハンベルト・フェルナンデス(阪神・1965)

阪神歴代助っ人補強史の黎明期に名前を残すハズレ助っ人のキューバ人。成績も素行も駄目というネタ外人の初期を飾る一人である。
メジャー時代は遊撃手で、通算850試合出場の上にレギュラー経験があり、通算40本塁打という実績を引っ提げていた。
阪神では球団側の意向や本人自身も就いた経験があるという事で三塁手にコンバート。


大いなる期待を抱かれて来日したが、練習はサボりまくりでオープン戦から既に打てない始末。
一応内野の全ポジションでの出場を経験したが、内角球が打てない弱点があって打率.198と低迷した。
そしてスタメン落ちすると、滞在していたホテルから雲隠れして逃亡して首脳陣との連絡を絶つ
ようやく姿を現したと思ったら今度は自分勝手な首脳陣批判を行い、1年で解雇された。


  • ルー・ジャクソン(サンケイ・1966~1969)

米ルイジアナ州出身の黒人選手。
小柄な体格ながら俊足強肩の選手として、同じ助っ人だったデーヴ・ロバーツと共に弱小だったサンケイアトムズ(後のヤクルトスワローズ)を支え、オールスターゲームにも出場した程の実力者。
加えて「黒い弾丸」「おとぼけルー」の愛称でチームメイト・ファン共に親しまれた。


…これだけなら優良外人であろう彼がこの項目に書かれる理由、それはスポーツ選手には特に不可欠である自己管理が極めて杜撰だったのだ。


まず極端な偏食家で、肉類(とりわけ日本で知った焼鳥)やビール・コーラばかりを口にしていた一方、米やパン・野菜は殆ど食べなかった。
加えて遠征時にはストリップ劇場にも足を運び、女遊びにも興じる。
酒や女に溺れるさまは球団側も問題視し、解雇寸前までいった程。代役も見つからずやむなく再契約するが…。


不摂生が祟ってか、1969年のオープン戦中に倒れてしまい、すい臓壊死により33歳という若さでこの世を去ってしまった…。


異国での慣れない生活に加え、母国に置いてきた妻との離婚問題もあり、精神的に追い詰められてしまった事が酒に手を伸ばしてしまった原因でもあった。そして最期はその妻子に看取られる事も無かった等、同情する点も幾つかあるが…。


  • スティーブ・フォックス(中日・1969)

プロ野球選手の経験は無かったが、彼の父親と水原茂の繋がりによる縁故採用の流れでテスト入団。
しかし、入団直後の熱意が開幕後には何故か一転して練習をサボる様になり、首脳陣の怒りを買って二軍に落とされた。
しばらくして一軍に昇格し、そこそこ試合に出たが、打率.222・本塁打5本という何とも微妙な成績だったので1年限りでクビに。
なお首脳陣はともかく、選手達には「きつね」「コンちゃん」と呼ばれて仲は良かったらしい。



◆70年代

  • ジョー・ペピトーン(ヤクルト・1973)

日本プロ野球史上最悪の外国人の呼び声も高い70年代を代表するダメ外人。
名門ヤンキースから鳴り物入りで入団し数々の輝かしいタイトルを引っさげて来るも、全く打てなかった(最終打率は1割台であった)上、夏に前妻との離婚裁判で帰国。
仮病・練習のサボリは当たり前で、アキレス腱を痛めたと言いつつ六本木のディスコで朝まで踊っていたり*4、数百万円のツケを球団に押し付けたりと、完全に問題児であった。
更にはヤクルトが漸く彼と連絡を取れた際も、戻るどころか前年の荷物輸送料金と犬の空輸料金を要求。球団側も流石に堪忍袋の緒が切れ退団となった。


しかも帰国後に現地の新聞に全くの出鱈目*5を吹聴して日本を貶しまくるおまけ付き。日本球界から外国人を追放する運動が起こりかける等、野球を巡る日米関係が冗談抜きで心配された程。
遂にアメリカでも在日アメリカ人に日本での醜態を暴露され*6「アメリカの面汚し」としてマイナーリーグからすら見向きもされなくなり、野球選手としてのキャリアを終えた。
その後は1982年に一年だけヤンキースの打撃コーチを務めるがシーズン後に解任。
後にコカインに拳銃の不法所持で、かのライカーズ刑務所にも叩き込まれた事もあり、一度は1988年に再びコネでマイナーリーグの選手の育成目的でヤンキースに招聘されるも、他にも婦女暴行に飲酒運転による交通事故まで起こすなど、様々な罪を犯しては何度も刑務所の厄介になったという、殺人以外は大抵やっていると言われる様な自業自得な末路を迎えた。
しかしヤンキースのオールドタイムズデーに出るなど偶にメディアに出ているらしい。


真偽は不明だがこの選手をきっかけにして、MLBは信頼を回復させる目的で、性格的にも成績的にも問題ない選手としてチャーリー・マニエル*7をヤクルトに譲渡したと言われている。
そしてヤクルト側もこの事件以降助っ人外人を取る際は「まず第一に人間性」というスタンスを取る様になり、そのおかげで極端なダメ外人を掴む事は少なくなった。


また、余談だが実はカツラを着用しており、「MLB時代にライト前にヒットを放つも、走塁時にヘルメットと一緒にカツラも取れてしまい、慌てて取りに行きその間にアウト」、というネタエピソードも残っている。


2021年にはかつてヤンキースの同僚であったミッキー・マントルが500号本塁打を打った時のバットの所有権をめぐり、野球殿堂と対立するなど相変わらずのお騒がせぶりであったが2023年にその生涯を終えた。



  • フランク・ハワード(太平洋・1974)

現役の超大物メジャーリーガー。
当時はそれだけでマスコミから注目を浴びており、入団前から客寄せパンダとしての役割はしっかり果たしていた。
オープン戦の対巨人戦で川上哲治から賛辞を送られるなど実力は高かったのだが、来日した時点で膝を故障。開幕3打席に出場しただけで5月には帰国してしまった。
契約解除時に残額を払う払わないで揉め、結局球団側が折れたというトラブルも残している。
とはいえ、これは本人の落ち度と言うよりは日本側の期待が大きすぎた事や契約の認識の問題といった感が否めない。


  • バール・スノー(日本ハム・1974)

貿易会社の社員だったが、74年に来日したついでに日ハムの球団テストを受けて合格。
敬虔なモルモン教徒で、酒やタバコ、コーラすら飲まない程真面目な性格だったらしいが、初任給をもらった直後、初登板前日に突如失踪。
彼が勤務していた貿易会社まで巻き込んで行方を調査した所、既に故郷に帰っており、初任給も殆ど使ってしまっていたとの事。本人曰く「脅迫電話がかかってきたり、暴漢に襲われて恐怖を感じた」との事だが…。
これにより、パシフィック・リーグ初、国内では2例目*8無期限失格選手に指名されてしまった。
ヤクルトの監督から日ハムの球団社長になった三原脩は、ペピトーンといいこいつといい、つくづく助っ人外人に泣かされるのであった…。


その後の来歴は定かではないが、帰国後は長距離トラック運転手をしていたらしい。2009年には喉頭癌を患い2011年に亡くなったらしい。上記に加えて2度にわたって恋人と死別する等、波乱の人生であったという。


  • クライド・ライト(巨人・1976~1978)

エンゼルス史上唯一の左腕で20勝、メジャー通算100勝などという輝かしい実績を引っさげて1976年途中に巨人に入団した左腕。投手(ピッチャー)なのにライト、左投げなのにライト


良くも悪くも「球界の福島正則」とでもいうべき人物である。良くも悪くも


普段は好人物であり、成績面でも78年途中に退団するまで22勝と結果を残している…のだが、気性が激しく一度キレるとめちゃくちゃ暴れるという問題児でもあった。
降板を告げられると「通訳の首を絞める」「カメラマンのカメラを取り上げて叩き潰す」「自分のユニフォームを引きちぎる」等の傍若無人振りで、ついには「クレイジー・ライト」という有難くない渾名まで付けられた。
終いには神宮球場で乱闘により退場になった後そのまま帰宅するという職場放棄をやらかし、これが原因でそのまま退団となってしまった。上記の通り普段は好人物らしいのだが……。
なお、巨人退団後はそのまま引退した。何故か?妻子に逃げられた原因及びキレやすかった原因でもあるアルコール依存症の治療に専念する為であった。


ただ、その後は福島と違って、アル中を克服し、ちゃんと家族との関係も修復し、実業家に転進して成功を収めているのが救いといえるだろう。この時戻って来た息子のジャレットも後にメジャーを代表する右腕として活躍した。


なお、大谷翔平に「俺みたいに(短気な選手に)なるな」とコメントするという、しくじり先生の様なアドバイスを送った。


  • ブレット(ボブ・レイノルズ)(大洋・1977)

70年代の大洋ホエールズを代表する…というか最早球団史に残るレベルのハズレ助っ人
メジャー経験もあったが、6球団に渡って移籍を繰り返す渡り鳥でもあった。
弾丸の様な速い球を投げる」と自負し、それによって登録名を弾丸を意味する「ブレッド」とした。


しかし蓋を開けてみると、弾丸とは程遠い球速の上に四球を出しまくるコントロールの悪さという悲惨な実態が明らかに。
やがて5月に右肘の痛みを理由に退団を志願し、球団は慰留の為に6月に球団社長自らマンションに向かうがそこは既にもぬけの殻だった。
僅か44日での退団に「弾丸の様なスピードで無断帰国」など大いにネタにされた。
一応、6月以降の給料はいらないと約束して帰国したので、金銭的な損害は少しは抑えられた様だ。


だが、このブレットの存在は大洋史上最大の失敗例と認定。そして大洋時代は以後外国人投手の獲得はなかった
1994年にダリル・スコットが獲得された事で17年間の負の歴史に終止符が打たれるが、既に球団は横浜ベイスターズに変貌していた。



◆80年代

  • ゲーリー・トマソン(巨人・1981~1982)

1980年をもって現役引退した王貞治の後継として期待されていた元メジャーリーガー。
1年目の81年には打率.261、本塁打20本を記録し8年ぶりの日本一に貢献したが、同時に三振132(当時の球団新記録)という大型扇風機でもあった為「トマ損」という蔑称もついてしまった。
また、同年の日本シリーズでは失点につながる失策をやらかしてしまった。
2年目の1982年の出場は47試合に留まり、更に当時の藤田元司監督とトラブルを起こした為、同年限りで解雇された。


退団時の捨て台詞は「俺を使わなくなったから巨人は勝てなかった」


なお、余談であるが現代芸術における「超芸術トマソン」という用語は彼が由来だったりする。


  • ドン・マネー(近鉄・1984)

元々引退を考えていたが近鉄たっての希望により、メジャー通算本塁打176本の実績を引っ提げ来日。
出場29試合で8本塁打、打率.260。順調に出場し続けていればシーズン30本塁打以上のペースであり十分助っ人になったと思われるが、ホームシックにより5月に退団。
ゴキブリが原因という点がピックアップされ、最初は報道で叩かれた*9


但しこれは後の関係者の話により『本人だけでなく、一緒に来日した妻子までホームシックにかかってしまい、家庭状況が深刻になってしまった』事が大きな理由と分かっている。
原因の一つは当時の本拠地藤井寺球場の汚さで、シャワールームやロッカールームもボロボロでゴキブリも現れたとの事。後の大阪ドームであったならばこうはならなかったかもしれない…。
何よりも大きな問題は、近鉄が契約条件として日本で提供した住居。
マネーは「緑豊かで落ち着ける環境」を希望し、近鉄も事前に最新の綺麗なマンションのパンフレットを渡して説得していたのにも関わらず、実際に用意されたのはタクシーでも球場から1時間半掛かる程遠く、アメリカ人はおろか英語を話せる人が殆どいない、まるっきり疎外された環境にある冷暖房もないおんぼろ中古住宅だった(一説によると、前年の外国人助っ人テリー・リーが散らかした住宅をそのまま宛がったとか)。此処まで来ると詐欺もいい所である。
しかもマネー曰く「家にも大量のゴキブリが出た」らしい。余りにも酷い。
ちなみに、チームメイトだった梨田昌孝は「和式便所がダメだったのもあるだろう」と自分の著書で語っている。
マネーの家族は本人も含めて、日本語は全く話せなかった。マネー自身はそれでも我慢できていたほうだったのだが、妻と長女は土地勘もなく何度も迷子になる、買い物すら不自由する*10、学校に行っても友達もできない上に勉強にもついていけない…と、ノイローゼになるほど悩まされてしまい、精神が悲鳴を上げてしまったのだ。


最初から家族を連れて来た事からしても、彼自身は本気で日本野球と向き合う気であったのは間違いなかったと思われる。
それに対してこの様な詐欺同然の待遇だったにも関わらず、報酬の全額返却を申し出たり、会見では「球団は悪くない、慣れられなかった自分の責任」と文句ひとつ言わない、殊勝な態度を見せた。
その一週間後、チームメイトで彼を慕っていたリチャード・デュラン*11も球団のマネーへの仕打ちに憤慨して退団してしまった*12
近鉄の選手待遇やフロントの非道さに対しては後に様々な選手が批判を繰り返しており、今では近鉄はかなりの『シブチン球団』であった事は野球ファンの間でも広く知られている。*13一応、マネーの退団申し出には近鉄上層部も慌て「待遇を改善するからどうか残って欲しい」と説得したらしいが…先述の最初の待遇を考えると本当かどうか疑わしい。


こうした背景が明らかになった為、マネーに対してはファンからむしろ同情的な意見が上がり、逆に球団側の対応に批判が集まる様になった。
当時のパ・リーグが閑古鳥で球団の懐具合が苦しかった事も球団の塩対応の一因であろうが、結果として主力選手2名を失ったどころかファンからの評価までも落としてしまったのだった。
下記のリチャード・デービスが成績的に大当たりだった事は救いとなったが…


  • リチャード・デービス(近鉄・1984~1988)

上記のマネー、デュランの退団に伴い入団。
入団当初から長距離砲として大活躍。陽気な性格でチームにも短期間で馴染み人気者に。
落合博満がいなければ三冠王すら取れていた程で、助っ人としては成績は文句なし。


ところが、4年後の1988年6月7日に大麻取締法違反で逮捕。当然ながら翌日に解雇、不適格選手とされ、自業自得の形でそのまま引退した。


しかもあろう事か、大リーグ在籍時から来日後もずっと大麻を常用し続けていた事が判明。1985年に大リーグの麻薬疑惑が取り沙汰された際に彼の名も挙がっていたが、近鉄はその件を無視してチームに在籍させ続けており、球団の身辺調査の怠慢も明らかとなった。


その後に急遽獲得したのが、中日ドラゴンズ二軍で燻っており後にデービス以上に活躍するラルフ・ブライアントなのだから、塞翁が馬とはこの事である。


  • シクスト・レスカーノ(大洋・1987)

現役バリバリのメジャーリーガーとして来日。
ヤクルトのホーナーをライバル意識していたが、蓋を開けてみれば妻の看病で1年のブランクがあった為か「140km/hの速球が怖くなった。体力の限界」という迷言を残してプロ失格レベルのチキンぶりを発揮しシーズン途中に退団、そのまま現役引退した。
実はワールドシリーズを頭痛で欠場する等メジャーでも度々トラブルを起こしており、退団の際に他球団の外国人選手から「そんな奴が日本でプレー出来るわけがない」と批判された。


  • ビル・マドロック(ロッテ・1988)

メジャーで首位打者4度の実績を誇り首位打者候補と呼ばれた。
当時のロッテはフランチャイズが「狭い事で有名な」川崎球場であり、シーズン前は「50本は打てるだろう」と豪語するなど当人もビッグマウスを連発。
だが打率は2割5分程度と低迷。後半に日本慣れしたのかある程度持ち直したが、本塁打19本、打率.263と何とも言いがたい成績で終わった。
因みに同チームだった愛甲猛曰く「DHで登場する時以外、あいつはテレビゲームばっかりやってたよ」との事。
彼が唯一輝いたのは10.19第2試合での本塁打くらい。
しかし期待や年俸に見合う成績ではないが特別に悪いという訳ではなく、更に帰国時に自分の不甲斐なさを嘆くと同時に日本野球を称賛し、野球選手を引退した。
ダメ外人の典型として挙げられる事もあるが、彼については期待との落差が激しかった面が強い。
ファンからの失望が激しかったせいで、球場外壁に「マドロック立ち入り禁止」という落書きまでされる事態に…(※当然論外な行動であり、この様な事をする者は問題である)。
応援曲は何故かサザエさんOP。
帰国後に「ボブ・ホーナーは『地球の裏側にもう一つのベースボールがあった』と言ったけど、そんな事はない。日本の野球だって十分やってけると思う」と評した。


  • ルパート・ジョーンズ(阪神・1988)

初代「バースの再来」となったダメ外人。
メジャー通算147本塁打という実績を引っ提げバースの後釜としてタイガースに入団し、バース並の活躍が期待されるも、来日前に既に肩を大きく故障する出オチを披露。結果送球が全部下手投げになる羽目に。
シュールさもあるが、一塁から二塁への送球は愚か投手への返球も満足に出来ず、投手が一塁のジョーンズの所までボールを受け取りに駆け寄るという奇妙な光景がしばしば見受けられた。
その後何とか肩が回復し成績好調が見え始めた矢先、解雇が確定してしまい球団を去る事となった。
因みに日本球界で初めて背番号00を着けた選手でもある。
背番号ととんがり頭のスキンヘッドという奇怪な風貌も合わせて「ゼロゼロ怪人」という渾名が付いた。
理由は不明だがベンチで線香を焚く事があったという。


  • ホアン・アイケルバーガー(ヤクルト・1989)

ストッパーとして期待されるも、この年の開幕第2戦の来日初登板でフォアボールを連発。サヨナラ暴投をやらかしてしまい、しかもそれを「捕れないキャッチャーが悪い」と逆ギレ。結果ヤクルト史上最速での解雇となった。
当時の関根監督は「名前が面白くて獲ったんだよね」と言ったらしい……。
因みに8文字の長い名前をどの様に表示するのか当時注目となった。
よりにもよって登板したのが電光掲示板が無かった川崎球場。当時の球場職員も悩んだ様で、登板して3人目の打者を迎えるまで選手名が掲示されない状況が続き、
最終的に掲示板にチョークで[[「バーガー」>ハンバーガー]]と大書きされ、ロッテファンの爆笑をさらうという伝説も残した。
在籍期間は短かったがその名前からか話題が多く、「マクドナルド」「ビッグマック」等、本人に非の無い野次が飛んだりもしている。



◆90年代

別ページを参照。


◆00年代

別ページを参照。


◆10年代

「アニヲタWikiにまで項目ができている…だと…!?」


詳しい詳細は本項目を参照。


余談だが、彼が2軍に落ちてから中日は首位に浮上し、優勝した。



  • ジャスティン・ヒューバー(広島・2010)

上述のカンバーランドと並ぶ広島では珍しいダメ外人。
契約金550万・年俸4000万に出来高払いと当時のカープの助っ人としては並程度の支払いだったが、開幕スタメンとして抜擢されるも最初からずっと成績不振。
4月中頃まではスタメンで使い続けたが、流石に4月末には一軍登録抹消。
その後、故障で2軍への合流が遅れて碌に試合出来ていなかったにも関わらず、6月に一軍の栗原が故障した事で何故か一軍復帰を果たすも結果は残せず、流石にスタメンからは外されたがシーズンをほぼ一軍で過ごし、209打席で打率.220(得点圏打率.148)の低成績の結果1年のみで解雇された。


成績そのものもこの年近辺のカープの助っ人外人としては稀にみる終始通しての低調っぷりでフォローしようがないが、最大の問題は当人よりも、当時就任したばかりの野村謙二郎監督が監督就任前にアメリカ視察をした時に偶々とても活躍していた事が切っ掛けで、監督肝入りとしてゴリ押し入団させ、起用し続けた事*14にある。
カープ入団前の成績もずっと低迷していたのでフロントは難色を示していたのだが、その不安は的中しデータ通りの結果になった訳である。


なお、歌手のジャスティン・ビーバーと名前が酷似している為、そちらの記事を見てこちらの記事かとドキッとするファンも多いらしい。



  • フアン・モリーヨ(楽天・2010~2011)

楽天が阪神との争奪戦に勝って拾ってきた、2010年代前半を代表する剛速球を得意とする助っ人外人。
マイナーで167km/hを計測したという胡散臭い実績を掲げていた。なおメジャーの通算成績は9試合で防御率13.50、WHIP2.06…お察しである。
そしてオープン戦の時点で案の定四球を連発しまくり、シーズン開始後も制球難とメンタルの弱さを見せ、肘の故障も起こして7試合の登板に終わる。
しかし、剛速球の謳い文句自体は意外にも完全な詐欺スペックではなかった(150km/h台は出せた)ので、その辺りに期待されて残留決定。


ところが、2年目の年に起きた東北地方太平洋沖地震で精神的に打撃を受けたという理由で4月に退団
プロ野球選手では東北地方太平洋沖地震を理由に退団した初の例として球史に名前を残してしまった(プロスポーツ全体では2人目)。
特殊な形での退団や自称167km/hのインパクトもあって、ロマンとネタに溢れた外人として楽天ファンの脳裏に刻まれる事となった。



  • 金泰均(キム・テギュン)(ロッテ・2010~2011)

韓国球界(KBOリーグ)のハンファ・イーグルスから乗り込んで来た韓国人助っ人。2006年から2017年まで4回WBC韓国代表として選出された経験を持ち、2009年の第2回大会では個人最多の11打点を稼ぎ出した。


ハンファイーグルスでも2001年から2009年までの間コンスタントに活躍するも、2009年シーズンに開幕早々本塁付近での走塁プレーで捕手と激突して脳震盪を起こし、夏頃からの始動を強いられた上にハンファは最下位に終わった為、心機一転日本球界入りを目指して2年総額3億円+出来高でロッテに入団。


開幕からスタメンで4番を打ち、6月までは18本塁打・65打点とチームの4番として活躍していたが、7月以降は急激に失速。9月以降は4番をサブローに取って代わられ主に6番や7番に廻り、最終的に打率.268、本塁打21、打点92、得点圏打率.236でシーズンを終えた。なお彼が入団した歳には史上最大の下克上と言う奇跡が起きるのであるが、金がCS、日本シリーズの計15試合で記録したのは全て単打であり、打点も6と振るわなかった。


そして翌2011年シーズンに至っては5月に手首の怪我で戦線離脱。6月に復帰するもこれまた直ぐに腰痛で韓国へ帰国してしまい、7月に退団。結局31試合で離れる事となり、古巣ハンファイーグルスへ戻った。


これだけならばまだ単にダメ外人の類であるが、彼のダメ外人たる真骨頂は「日本では野球が面白くなかった」「日本ではホームランを打ってもコーチ達がハイタッチにもこなかった(後に韓国ネット民に大松尚逸とハイタッチしている写真が見つかった)」など、自分のことを棚に上げてNPB批判を繰り広げた事から、日本のファンから不興を買った……まではよかったのだが、当の韓国ネット民からも「NPBから逃げて来た」と冷ややかな目で見られ、いわゆる「金逃亡」・「豚逃亡」など「金〇〇」と言う形式の蔑称が多数付けられるに至り*15、日本でもなんJを中心に大いにネタにされた。



なおハンファに戻ると再び活躍し、2020年まで活躍。引退後、彼の付けていた背番号「52」は永久欠番となった。




  • 王溢正(ワン・イーゼン)(DeNA・2010~2013)

2013年WBC代表に選出された唯一のDeNA選手。
その為、DeNAファンは「横浜にもこんな選手がいるんだ!と全国に発信して欲しいんです」と期待していたのだが昨年の彼の成績は0勝4敗・防御率8.88と散々な成績であった。
そんな成績でWBCに通用する筈も無く、いざWBC第2ラウンド敗者復活1回戦・キューバ戦に登板されると1アウトすら取れずに3連打を浴びる等6失点(しかもその内自責点は3点)してしまい、台湾のコールド負け&第2ラウンド敗退を決定付けてしまった。
その後はDeNA二軍で活躍するも防御率5.40と散々。シーズン途中でひっそりとクビになった。
但し、半ば育成選手での入団だったので扱いやデータだけで言えば予想通りであり、この項目的にはダメさはそこまで目立たない。


帰国後は8回登板し、3勝2敗・防御率2.96とそれなりに活躍した。
2016年3月、日本vs台湾の強化試合で先発で出場するも、3回4失点降板と相変わらずであった。
2017年のWBCには選ばれなかったが、開幕前に行われた日本vs台湾リーグ選抜の壮行試合に先発で出場。
2回2失点で見事(?)勝利投手となった。


なお元になった投稿はそのポジティブさと顔文字が受け、なんJ等で「ポジハメくん*16」というキャラが誕生し顔文字自体の不愉快さかわいさもあってすっかりDeNAの象徴として定着している。
その点では間接的な功労者と言えるだろう。



  • フェリックス・カラスコ(中日・2011)

2011年のダメ外人を代表するグスマンと共に入団した選手。何気に両打ち。
自称4割バッターと豪語していたが、二軍でも打率は2割あるかないかだった。
当然一軍で通用する筈も無く、代打4回全て空振り三振と散々。シーズン途中でひっそりとクビになった。
二軍での成績も本塁打はおろか打点も0で後述するコンラッドよりも酷かった。



  • ブライアン・バニスター(巨人・2011)

ア・リーグでは月間最優秀新人選手賞を受賞するなど、新人王の候補となった投手。
2011年に巨人に入団し先発ローテーション入りを期待されたのだが、東日本大震災による原発事故への不安を理由に3月16日に無断帰国
再来日の要請にも応じず、珍しい制限選手となったが、内心は不明だが「いかなる場所でももう野球をやらない」と発言して引退した。
暫くした後にスカウト・投球データ解析班・コーチ補佐等、裏方として活動している模様。



  • 金炳賢(キム・ビョンヒョン)(楽天・2011)

アンダースローの韓国人投手。全盛期はダイヤモンドバックス等でクローザーとして活躍し、アンダースローながら150キロを超えるストレートで「コリアンサブマリン」の異名を取った投手だったが、故障で球速が落ちたところを何故か楽天が獲得*17
実はメジャー時代から記者に暴力を振るったり、打ち込まれた際時に野次を飛ばした観客に中指を突き立てるなどの問題児として知られ、楽天では一軍に上がることすらなくオフに退団していった。また問題児であることから一部では(城島と同じく)前年に在籍していたリンデンを引き合いに出されて「コリアンリンデン」とも呼ばれていた。


項目参照。
ホークス球団はミッチェルで懲りなかったのか?



  • エンリケ・ゴンザレス(西武・2012)

2009年WBCではベネズエラ代表に名を連ねた巨漢リリーバー。
入団テストを経て2012年より西武に入団。オープン戦では剛速球をうならせ7試合に登板し10奪三振無失点に抑える等圧倒的なピッチングを披露。
満を持して開幕後、初登板となった日ハム戦、クローザーとしていきなり3安打1四球2失点とサヨナラ勝利を献上し、1週間後のソフトバンク戦も1アウトしか取れず4失点。
速球の威力はあったのだがコントロール面の不安が大きいという、言ってしまえば「典型的」なタイプであった。
その後も不安定な投球は続き0勝4敗3セーブ防御率9.64という数字を残していたが、5月末の阪神戦ではバント打球の処理で同僚の中村にタックルされて突撃されて吹き飛ばされる、「大相撲甲子園場所」と呼ばれる珍プレーに見舞われ、その後先発転向。
転向後は5回までに10安打を浴びながら味方の大量援護もありマー君こと田中将大に投げ勝つ等したが、結局続かず2勝5敗3セーブ防御率7.04という数字を残し日本を去った。
同時に獲得したランディ・ウィリアムスよりも前評判は高く、開幕後は彼の方が活躍した事もあって、(まるで役立たずというわけではなく、純粋に見れば「ダメ」と断ずる程ではないかも知れないが)余計にゴンザレスのダメっぷりが際立つ格好となった。
また一部ファンからは彼を俺達になぞらえ、ゴン者という愛称で呼ばれていた。
ごつい体型の割に愛嬌のある顔つきをしており、チームメイトからは「ゴンぞう」と呼ばれ親しまれていたらしい。



  • ブルックス・コンラッド(阪神・2013)

2013年不振で退団したブラゼルに代わる主砲候補として獲得したスイッチヒッター。
前年までメジャーで出場した事やオープン戦は好調だったため「仮にダメだとしてもメンチは超える」と思われたが開幕からはストップ。
終わってみれば69打席で本塁打どころか、打点すら0という近年稀に見るダメな成績の外人(※但し打率は低いものの安打10四球11により出塁率は.319で、成績は悪いと断言できるが過去最低という程ではない)であり、当然ながら解雇。
あまりのダメっぷりからネットでは「クララのバカ!コンラッド!」というハイジの名セリフ改変が流行、またゲッツーになればキンチョーの殺虫剤を捩った「一打で二度死ぬコンラッド」と煽られた。
コンラッドの打点0というインパクトは凄まじく、「次に阪神に来る助っ人野手は打点1を記録すれば当たりだから」とネタにされていたが、次に来たゴメスは打点王獲得という結果でこちらは良い意味でネタになった。


  • ティム・コーコラン(DeNA・2013)

2013年に6月に来日したピッチャー。
ブレーブスの右腕と評される良いピッチャーのはずが、打者のボーナスゲーム状態という体たらく。
8月には父親の看病、さらにその人の逝去が相まって再来日を不安視されたが、9月に再来日。
しかし結果を出せずローテーションに定着しきれなかったので、同年11月中に解雇された。


  • コーディ・ランサム(西武・2014)

2014年に在籍した内野手。
前年打率3割30盗塁を記録したへルマンを年俸の高騰と30代半ばの高齢という一部謎の理由で放出し、代わりに獲得した三塁手。
前年メジャーではシーズン半分の出場で8本塁打という実績はあったが高齢で放出したへルマンより年上という、意味不明な補強からファンからの不満は爆発。
開幕しても打撃・守備共にイマイチという典型的なハズレ助っ人であり、5月に故障で離脱した2ヶ月後に満塁ホームランを打つも調子が上がらず10日程したら解雇された。
ランサムが期待を裏切った代わりに獲得したメヒアが助っ人史上初途中加入選手のホームラン王を獲得した為ファンからは「ランサムを犠牲にしてメヒアを獲得した」と言われ、
当時監督だった伊原は文化放送でランサムの名前を聞いた際に「顔も見たくない、思い出したくもない。」と言われる等、素行が悪い訳では無かったが散々な扱いだった。


しかし、彼の応援歌「だけ」は妙な中毒性により在籍当時からカルト的な人気を集め、退団後もネット上で中毒に陥った人間が続出。
2017年は沖縄開催の雨天中断時、フレッシュオールスター、オールスター二次会と3回に渡り応援団が演奏しネット上では祭りとなった。(2017年のオールスター二次会のランサム応援歌は必見)
その事からファンからは9000万の応援歌と言われたり、野球関係のライターからは歌うランサムウェアとも呼ばれた。
ゴー!ファイ!ランサム!



  • ケビン・ユーキリス(楽天・2014)

2014年シーズンにおけるダメ外人の筆頭格。
前年日本一に貢献したメジャーリーガー、アンドリュー・ジョーンズの「日本は環境がよく生活しやすい」という意見を聞き、メジャー復帰の為退団したマギーの穴埋めとして入団。
前年は怪我でシーズンの大半を棒に振ったが2012年まではフルシーズンメジャー帯同、松坂・オルティス・岡島らと共にレッドソックスのワールドチャンピオンにも貢献する等、近年のメジャー成績ではAJ以上の実績という大物だった。
しかし、オープン戦から調子が上がらず、開幕直後に桁違いのパワーを見せつける第1号を放つが、その後は低空飛行が続き4月下旬に怪我で登録抹消されると治療で帰国、その後二度と戻ってくる事無くそのまま現役を引退した
チームが最下位に喘いでいた8月に故障と称しているにも関わらず、笑顔でアイスバケツチャレンジに勤しむ姿を動画サイトに投稿し、自身の健在ぶりを示すと共に楽天ファンの神経に冷や水と油をぶっかける等、炎上の燃料にも事欠かない。
高い前評判に全くそぐわない成績、3億という高額年俸を貰いながらのあまりに不誠実な態度、そして中軸を失ったチーム自体の大転落ぶり(「リーグ優勝による日本一⇒翌年最下位」の都落ちはパ・リーグ史上初)も相まって、2014年というシーズンを象徴するダメ助っ人として楽天ファンの記憶に強くその名を刻んだと言える。



  • セルジオ・ミトレ(楽天・2014)

楽天の春季キャンプから育成選手契約を勝ち取るも、支配下に昇格する事もなくあっさり1年で戦力外通告になった選手。
メジャー経験こそあるが、10年代以降は各球団でよく見かける様になった「活躍しないまま終わった育成枠の外人」でしかなく、良くも悪くも退団後はファンの記憶から消えていった…と思われた


ミトレの楽天退団から時は流れて2020年、元楽天の選手が逮捕されたという衝撃的なニュースが楽天ファンの間に飛び込んできた。
麻薬所持の疑いで逮捕されたその人物こそがミトレである。
それだけに留まらず、内縁の妻の連れ子である1歳8か月の女児への性的虐待と殺人の疑いも浮かび上がった
その容疑によって所属していたメキシカンリーグからは永久追放されるという結末になった模様
しかも報道されていなかったために気付かれていなかったが、2019年には当時内縁の妻だった別の女性に対して暴力を振るって逮捕されており、保護観察期間中だったという。


やらかした行為だけ見れば楽天助っ人史上最悪の外人なのだが、楽天に所属していた時期は育成選手故にほぼ見る機会がなかった事や一連の行いは楽天退団以降の出来事であるため、正直実感がないというファンも少なくない。
事件の報道を聞いても「こんな外人楽天にいたっけ…?」という反応をするファンが続出した様だが、「あまりにも酷いので記憶から消し去りたい」的なネタではなく、本当に忘れ去られていたのである。


ちなみに、共に育成選手として楽天に入団した投手のルーク・ファンミル(身長215.9cmとNPB在籍選手最高身長記録保持者でもある)は、ミトレとは違い支配下登録を勝ち取り、一軍でも登板したが結果を残せず、オフには結局ミトレと共に退団。
その後、オーストラリアのウインターリーグ参加時にキャンベラ近郊でハイキング中に足を滑らせてしまい重傷を負い、この時の傷が原因でミトレの件が発覚する約1年前の2019年7月末に亡くなってしまった。


  • フレデリク・セペダ(巨人・2014~2015)

2014年シーズンでのユーキリスと同じく印象に残る外人で、キューバ代表でWBC・五輪共に主軸を務めた逸材。
本来キューバ人選手は亡命しない限り他国でのプレーは不可能だったが、近年国際大会でいまひとつだった事に危機感を覚えたキューバ政府が「敵国であるアメリカ以外なら特例でプレー可能」という制度を採用した為来日。
しかし、キューバ国内リーグの日程の都合によりシーズン終了直後の来日に加え、来日数日で4番スタメンというぶっつけ本番としか言えない采配。
そのうえ、キューバリーグ自体打高投低のリーグである上に当のセペダは衰えから打撃は劣化気味、守備の方も昔からレフト専用とお察しな上に現在はDH専門というレベルだった。
頼みの打力も選球眼に関しては高いのだが、それ以外は亡命組の同僚アンダーソン以下。打てない、走れない、守れないという逆三拍子なのが現状。


なお、巨人は最初投手か看板打者のグリエルのどちらかを希望したが、投手はNG。グリエルも外野起用にNGが出た為にセペダになったらしい。
なお、そのグリエルはDeNAに入団し、大活躍したがあちらはあちらで…(後述)


2015年にまさかの残留。開幕時から主に代打で1軍に登録されていたが大した活躍は見られず、後半戦は出番が無く2軍生活。
終わってみれば一軍で21打数ノーヒット、巨人助っ人野手史上初のシーズン打率.000を達成した。
因みに28打席の内四球は7回と、選球眼については相変わらず高いらしい。


しかしながらキューバリーグが終わるや否やすぐに春季キャンプに合流する為に来日し、遠征の多いオープン戦もほぼ帯同した他、二軍落ちしても腐る事無く若手選手達と積極的にコミュニケーションを取りアドバイスを送る等(実際、彼のアドバイスを受け、大田が一軍で苦手の低めの変化球を本塁打した事もある)真面目だったので、グリエルの事案とも相まって「人間性は最高」とファンに愛されてはいた。


2017年WBCは土壇場でまさかの召集。しかも、前年28本塁打のデスパイネと並んでスタメンに名を連ねた
*18
主に3番DHで出場し打率は貫禄の.067(15打数1安打)、最終的にはスタメン落ちとなった。
一応擁護しておくと選球眼は健在だったらしく、きちんと四球を選んで塁上を賑わす役目は果たした。それが三番DHに求められる役割かどうかは別として。



  • ユリエスキ・グリエル(DeNA・2014)

2014年のキューバの移籍解禁により来日し好成績を残し、ケチの付け様の無い活躍を果たした。
しかし翌年になり、後述のルルデス・グリエル・Jrと共に怪我を理由に来日拒否。球団側は国内で治療させるために診断書の提出と来日を要求するもキューバ政府からはまともな返答がなく、キューバ政府了承の上で4月2日に契約違反による契約解除が発表された。
その後は2016年にカリビアンシリーズの開催国ドミニカ共和国から弟と共にハイチに亡命した事で、15年の件と相まって実力は高いが人間性が……と言われる様になってしまった。
更に2017年にはワールドシリーズでダルビッシュからホームランを打った際に、アジア人を侮辱するパフォーマンスとぼやきをした事で米大リーグ機構から処分がなされた。
なお、当のダルビッシュはこれに対し「完璧な人間などいない。これを糧にして学習してもらえたら」といった趣旨の発言で済まし、ユリエスキも球団を通して謝罪をした。
しかしメジャー入り後はSNSで横浜愛を叫んだり、上記ワールドシリーズの取材ではDeNAベイスターズの快進撃に対してはしゃぎ回っていた(日本メディアの取材にとても良い笑顔で答えていた)事からチーム愛はあったのでは? と言われる様に。



  • ユニエスキー・ベタンコート(オリックス・2014)

マリナーズであのイチローと共にプレーした事もある現役バリバリのメジャーリーガー。
開幕戦で4番で二塁手で出場したが、いざ公式戦が始まってみると21打席連続無安打で打順も下位の方に下がっていき、守備でも精彩を欠く場面が見られた。
一軍と二軍を行ったり来たりしたものの、新外国人バトラーを緊急補強した事により自信が無くなり、怪我もあってウェーバー公示された。
しかしベタンコートがいた間はオリックスが珍しく前半戦が好調だったので、「幸運の置物」と揶揄された事もある。また、ベタンコートはメジャー時代から極端に四球の少ないフリースインガーではあったが日本でも相変わらずのフリースインガーぶりを発揮し、なんと74打席で四死球0、しかも犠牲フライを1本記録していたため出塁率が打率を下回るという珍記録を達成してしまった。
因みに、キューバ出身で亡命経験者である。



  • ルルデス・グリエル・Jr(DeNA・2015)

2015年にDeNAに加入…する筈だった内野手。
前述のユリエスキ・グリエルの弟であり、兄の契約延長と共々契約した。
が、まさかの兄ともども来日拒否。本人達曰く治療のためだそうだが、診断書の提出がなかったため真偽のほどは不明。
こちらは最終的に制限選手扱い(史上3人目)になった後に戦力外となった。この様な経緯である為、日本での出場試合数は貫禄のゼロである。
ルルデスの方は暫く行方が知れなかったが、なんとブルージェイズと7年2200万ドル(約23億5000万円)の契約で入団する事になった。
そのブルージェイズには2020年から山口俊が所属。5年の時を経て元DeNAの選手とチームメイトになる快挙を成し遂げた



  • ローガン・オンドルセク(ヤクルト・2015-2016)

2015年はバーネットとともに必勝パターンとして活躍。
しかし翌年、助っ外国人組のリーダー格であったバーネットの退団以降、練習をサボって私語を話し込む、登板拒否など横柄な態度が目立つ様になる。
6月に味方のエラーから救援失敗。その際にベンチで首脳陣、チームメイトに暴言を吐くなど悪態をつき無期限の自宅謹慎処分に。
その後、謝罪はしたものの、本人が「首脳陣との対立から精神的に立ち直る事が困難」としてシーズン途中の7月21日に退団となった。


  • フアン・フランシスコ*19(巨人・2015)

2015年のダメ外人で、来日前はブルージェイズで準レギュラーとして16本塁打、メジャー通算48本塁打を放った助っ人。
セペダとアンダーソンの不調、阿部の故障離脱により4月下旬に緊急補強された。
しかし入団選手に義務付けられていたメディカルチェックを拒否したまま契約するなど当初から暗雲が立ち込めていた。
5月2日に1軍で出場し、この日決勝点となる初安打初打点を挙げるもその後は振るわず、これが唯一の日本チームでの活躍だった。
更に一塁守備ではサヨナラインフィールドフライ、名付けて「フランシスコ(インフィールドフライ)事変」など想像を絶する拙守を連発し、原監督に「野球選手じゃない」と言われる始末。
結局ゴールデンウィーク終了と共に2軍落ち。成績は18打席の内11三振と散々だった。
その後も「2軍でも練習せずベンチでごろ寝する」「コーチの指示を無視する」「二軍の若手をいじめる」「ロッカールームに籠城して大音量で音楽を掛ける」「球団の女性職員をナンパする」「風俗通い」など、真偽不明の情報が出回り(3番目と4番目は概ね事実とされる)、6月に入ると背中の張りで別調整。
7月中旬に腰痛治療の為に一時帰国し、そのまま離脱かと思われたが再来日。
2軍暮らしとはいえ、巨人軍の一員としてこのシーズンを終えた。


彼の拙守と三振が目立った広島三連戦から間もなく、フランシスコ獲得の責任を取らされる形で巨人・原沢GMは5月で解任された。
5月末の球団取締役会、6月の株主総会を経ずに球団の編成トップが解任されるのは異例であり、一連の顛末を「フランシスコ事件」と呼ぶ人もいるらしい。
因みにフランシスコがリストに含まれていたのは数年前の話であり、外国人スカウトが現状を把握していなかったにも関わらずGMが獲得を決定してしまい、連絡がついた時にはケガの影響で練習不足だった上にすっかり太ってしまっており、スカウトは頭を抱えたとの事。


成績に関しては一応、「本来のポジションはサードなのに、ファーストを守らせてたのが悪い」「来日してすぐ出場させたのが悪い」といった擁護意見もある。
素行に関してはフォローできないが。


6年後の2021年、東京オリンピックのドミニカ代表の4番として立ちはだかった。
試合は4-3で日本が勝利したものの、フランシスコが「打てた」だけで脅威存在にする実況ツイートも有ったりと、このページのおかげか、前述の巨人の一件は6年では易々と忘れられなかったという事である。


  • アレックス・カステヤーノス(巨人・2015)

マイナー通算109本塁打の経歴を持ち、メッツ3Aに所属していた助っ人外人。フランシスコのあまりのダメっぷりからやはり緊急補強された。
7月31日、初の1軍での試合に2安打を放つがその後は16打数ノーヒット。約1週間で2軍落ちとなる。
因みに1軍成績は22打席11三振、その内最後の6打席は6三振と散々
そのすぐ後には夫人の出産に立ち会う為、一時帰国。再来日後はそのまま2軍から抜け出せなかった。
そしてこの年限りで同じ巨人のダメ外人であるセペダ、フランシスコと共に仲良く退団する事になった。



  • デュアン・ビロウ(DeNA・2015)

2015年7月にDeNAに加入した助っ人左腕。
メジャーでは通算43試合、韓国リーグにも登板していた。
9月に1軍で初登板の機会が来るも先発予定の試合が2回連続で雨天中止。
数日後ようやく登板するも2回途中5失点。1軍での出番はこれだけに終わり、中畑監督からは「プロのレベルじゃない」と言われ、約3ヶ月で戦力外通告を受ける事に…。



  • ウェイド・ルブラン(西武・2015)

2015年に西武に入団した助っ人左腕。
メジャー時代は先発ローテーション定着も果たした事もあるという事で期待度と年俸は高かったが、蓋を開けてみれば2勝5敗4.23という成績で9月に解雇された。
これだけなら割とよくある話しだが、1月に来日した際、空港にて来日した外国人に「YOUは何しに日本へ?(Why did you come to Japan?)」と来日した目的を問いかけるテレビ東京系のバラエティ番組「Youは何しに日本へ?」の取材を受け、野球より先に日本のテレビに出演したというネタがある。
また、故に上述の残念な成績に「まさにYouは何しに日本へ?」と言われたりもした。



  • ジョニー・ゴームズ(楽天・2016)

2016年、楽天に新加入したワクワク補強枠。メジャー時代はそこそこの中距離砲として活躍。
2014年は上原浩治・田澤純一の所属するレッドソックスの外野手として大いに活躍し、ワールドシリーズ第四戦では一点ビハインドの状況で起死回生の逆転3ランを放ち、そこからレッドソックスは一度もリードを許さずにワールドチャンピオンになった為、メジャーでの実績に比して日本でもそこそこの知名度があった。
年俸200万ドル(約2億円)という相応の高額年俸でやって来るが、
簡潔に説明するとユーキリスとほぼ同じ末路を辿り、交流戦前に自由契約となり帰国した。
そのせいかゴーホームズ呼ばわりされもしたが、彼の場合は福岡遠征中に試合が中止になる程の規模になった熊本地震が直撃したのが、一番きつかったのかもしれない。
しかし、当人は「誰も話し相手がいなくて寂しかった」とアメリカのメディアに述懐している。
そもそも明るいキャラとの触れ込みでやって来て、明るい性格のウィーラーや広島では外国人家族のまとめ役を務めたミコライオの奥さんがいたのに何故? とファンが思ったのは言う迄もない。
だがオールスターにノミネートされ、投票用紙に彼の記入欄が存在するという快挙(?)を成し遂げた。
なお、その後の楽天は5000万のウィーラーを筆頭に安物補強といえる外国人が奮起したものの、5位に終わった。



  • ラダメス・リズ(楽天・2016)

2015年に剛速球投手として楽天が拾ってきた助っ人。入団前に163km/hを記録したとの報道が既に疑問視されていた。
蓋を開けてみると実際は平均球速は140km/h台の詐欺スペックであり、あまりにもコントロールも悪いためにリリーフから先発に転向。
温厚な様子を見せていた梨田監督をやたらとキレさせた事が有名。「今日は初回から無死満塁のタイブレーク方式をやっている感じ」「際どい球もなかった。次は多分ないでしょう」などの辛辣なコメントを毎回された。
二軍生活の中で肘を故障した様で、梨田監督に挨拶して米国に帰国後、そのまま戦力外通告。
前述の球速アピールから楽天ファンからは「モリーヨの再来」との評も出ていた。



  • ホセ・アドリス・ガルシア(巨人・2016)

キューバリーグ打点王の触れ込みでやって来た若きホープ。半ば育成も兼ねての獲得…もとい、キューバ政府から借り受けた。
しかしニ軍でもパッとせず、一軍にいたギャレットらが軒並み不調だったので6月に一軍に上がったが、7打数0安打かつ夢も希望もないスイングで巨人ファンをゲンナリさせただけで二軍再送還となった。
その後もパッとしない話しかなかったが、2016年8月18日、シーズン途中にも関わらず契約解除となりキューバに帰国したと思われていたが…、
なんとフランスへ亡命していた。
有り体に言えば亡命する為の踏み台としていい様に使われたという事だろう。NPBも舐められたものである。
退団後、日付以外信用出来ないエキサイティングスポーツ紙東京スポーツなどで退団までの問題行動が記事になったが、事実ならば腹立たしい事この上ない糞野郎である。
あの夢も希望もないスイングでメジャー契約を手にする事が出来るとはとてもそうは思えないのだが、代理人様のお手並み拝見だろうか。


…などと言っていたら5年経った2021年5月某日。
ロサンゼルス・エンゼルスにいる大谷翔平と本塁打王争いをしているテキサス・レンジャーズの選手が元巨人軍の外野手だというニュースが飛び込んできたのだが、それがこのガルシアだった
まさかあの夢も希望もないスイングをしていたのが、5年でここまでのし上がるだなんて誰も思ってなどいなかっただろう。
その後なんとオールスターゲームにも出場、最終的にはシーズン31本塁打を記録しア・リーグ新人王の最終候補にも選出された。


しかしキューバ政府公認の助っ人の中で信頼できるのがデスパイネしかいないというのはどういう事なのだろうか…
キューバ政府も年俸のピンはねに精を出すのなら、最低でも派遣選手の品格ぐらいは養って戴きたいものである。
彼に続いて巨人をクビになったメンドーサも亡命してしまっているのだから。



  • ジェイミー・ロマック(DeNA・2016)

2016年、DeNAが阪神との争奪戦*20を制して獲得した*21助っ人。内野手(主に三塁手)不足に悩んだ為、昨年マイナーリーグで100打点をマークした打力を買われてやってきた。
しかしサード守備は練習の段階で普通のゴロを弾くなど酷いもので、ベイスターズでは既にファーストを守る事が多かったホセ・ロペスにサード守備*22のアドバイスを受けている有様であった。
そのためやや飽和気味の外野(ライト)で出場。開幕戦ではヒットを打ち先制のホームを踏んだり、序盤は割と四球を選んだりはしていたがそれ以降はどこぞの球団の3ダメ外人の如く低迷。
打率が1割を切っても主力の故障の影響で起用され続け、主力が戻りだした4月下旬に抹消。交流戦時期やシーズン終盤の品定め時期にも少しだけ昇格したが、やはり打てずシーズン後に解雇された。
最終成績は打率はたったの.113、三振率は脅威の42.2%。長打も二塁打一本だけ、適時打0本(打点2は犠牲フライと押し出し)と散々で、投手が自援護するだけでロマック超えと言われる始末。というか、翌2017年にロマックと入れ替わる形で入団した投手のジョー・ウィーランドの方が打率.229、本塁打3、打点12と打っていた*23。、
守備に関してもボーンヘッドを何度も犯す等、同様に守備下手で有名な下園辰哉辺りと比較されるレベル。


しかしこんな成績だったが非常に真面目な性格で他の選手とも仲が良く、二軍でも腐らず試合に出ていた為、何処ぞのキューバの至宝の如く「人間性は最高」とファンからは結構愛されており、打席に立つたびに非常に大きな歓声があった。


DeNA退団後の2017年はWBCにカナダ代表右翼手として出場。スライディングキャッチで華麗な守備を見せつける等、意外な活躍を見せた。
その後出戻った3Aで大暴れしKBOに引き抜かれ、超絶打高とはいえホームランを量産し、入団したSKワイバーンズ*24の巻き返しに寄与。
一時的な不振による二軍落ちも経験したものの「三振かホームランか」の典型的ロマン砲として開花し、102試合出場で打率.242ながらホームラン31本の好成績を残す。
翌年以降も中軸打者として毎年30~40本のホームランを残すなどコンスタントに活躍し続け、2021年シーズン終了後現役引退*25
この変遷は日本の野球ファンからは驚きをもって受け止められたと同時に、頻繁に囁かれる「KBOで活躍した強打者はNPBでは活躍できない」という説を特殊な形で補強する例にもなった。
また、彼の日韓での打撃成績から係数を算出し、日韓間で移籍する選手の移籍前成績にそれを適用する事で移籍後の成績を予測する通称「ロマック算」がこの事例から生み出された。


なお、SK入団時にはNPB、DeNAの悪口も言っていたらしい。これは日本でクビになった事や韓国の諸事情から現地のムードに馴染む為に必要な事とも言えなくもないが、彼を持て囃したDeNAファンは顔を曇らせたとか…。
因みにシーズン中に一気に打率を落としながら復調した理由について「韓国ではコーチの言う事を聞いてしっかり修正している。日本でもやっておけばよかった」と述べている。
しかもコーチの言う事を聞き始めたのは当時SKの監督を務めていたトレイ・ヒルマン(元日ハム監督)が直接説得してから漸く、という頑固さだったらしい。シンジラレナーイ


  • ヤマイコ・ナバーロ(ロッテ・2016)

韓国プロ野球に於いて、外国人としては新記録となるシーズン48本塁打をマークし、外国人初の韓国ゴールデングラブ二塁手部門を獲得、サムスンの韓国シリーズ4連覇に貢献と、輝かしい実績を期待され、年俸1億4000万円で獲得に踏み切った。
…が、2月下旬に那覇空港にて銃刀法違反で逮捕、パ・リーグで4週間出場停止と早速やらかした。
余談だがこの男、2012年の夏にピッツバーグ・パイレーツ在籍時にも飲酒運転で逮捕されている。


出場停止が解けた後も、怠慢守備が目立ち、一軍と二軍を行ったり来たり、打撃も左投手に強かったものの、成績自体は打率.217、本塁打10本、44打点と平凡な成績に終わり、ひっそりとクビになった。
そしてその後2018年5月には母国ドミニカでも拳銃の不法所持で逮捕されたと報じられた。彼の弁護士は「何者かにはめられた」と主張しているそうだが、真相は一体…



  • エリック・コーディエ(オリックス・2016)

2016年ダメ外人筆頭であり、10年代ネタ外人最有力候補。
メジャー登板の実績もあり、最速165キロの直球を投げるとの触れ込みで来日。前年不調だった平野佳寿に変わるクローザーとして期待された。
オープン戦ではまずまずだったが、来日初登板試合に早速炎上
2日後にはセーブを挙げるもやはり失点。しかもそれに加えて満塁にまでするという有様で、即日二軍に落とされた。


その後再昇格し、安定して劇場型ピッチングをしていたが、交流戦になって再び事件を起こす。
ヤクルト・雄平との対戦でなんと只管ボール球を投げ続け、打者側もボール球を空振りするというもはやルールを超越した何か*26を展開する。
その後の試合では先頭から3連続で四球を与え一死も取れずに降板と派手にやらかす。「ボールを前に飛ばせなかった」「手も足も出ない(四球)」等々散々に叩かれ、流石の首脳陣も見切りをつけ二軍に降格。
その後は怪我もあってか二軍に幽閉され、シーズン中に途中帰国した。


なお、この年のオリックスはオープン戦から低迷。シーズン開幕後も早々とペナント争いから脱落し、交流戦すらもヤクルトを3タテした以外は2勝に留まるなど完全に他球団のボーナスゲームと化し*27、交流戦パ・リーグ史上最低勝率*28を達成。さらには2軍も低迷した結果、初期の楽天や暗黒時代の横浜ですら達成した事がなかった、日本プロ野球史上初のオープン戦・ペナント・交流戦・2軍の全てで最下位の「完全最下位」を達成してしまった。その元凶がコーディエと言われている。


因みに最初に炎上した際、コーディエは「俺のストレートは通用しない」と漏らしていたらしく、超豆腐メンタルだった事が後になって明らかになった。
インパクトが強すぎたせいか、ファンから「ウンコーディエ」を皮切りに様々な蔑称を付けられ、遂にはドミンゴ・グスマンに変わり炎上神の代名詞になるなど、なんJの文化にも大きな影響を与えた。
シーズン終了後、球辞苑にて球持ちが良かった星野伸之投手コーチに球持ちの悪い見本と名指しで言われた。
また、YouTubeでは開幕戦のブルペンシートから西武ドームの観客が撮影した動画が上げられたが…ものの見事な制球難であった。
二軍監督だった田口壮のブログによると真面目で熱い漢で、練習自体は真面目にしていたらしい。その熱さで弱気にならずに立ち向かえていたならばと思うと……誠に残念である。
因みに開幕の酷い有様を見て「平野の方がマシ」と言われた事もあったが、その平野は2016年シーズンは見事に復活*29し抑えに復帰。侍JAPANにも選出され、そこでも結果を残し、後にメジャーに旅立った*30事を考えると雲泥の差である。



  • マイク・ブロードウェイ(DeNA・2016)

こちらも2016年ダメ外人筆頭候補。
中継ぎのコマ不足に悩んだDeNAが夏ごろに緊急獲得した。
自称最速160km、その苗字から上述のコーディエと並んで早速ネタにされていたが、蓋を開けてみると2軍で大炎上、防御率6点台という悲惨っぷり。クイックも下手で完全に盗塁フリーパスだった*31


そんな惨状の中、中継ぎのコマが足りなかった為に8月ごろに1軍招集。
案の定初登板で早速5失点の大炎上。しかも初球でホームランを打たれただけでなく、その直後に年間でホームランが1本打てるか否かレベルの打者に逆方向にホームランを打たれたり、普通のバント処理でエラーしたりと、成績も内容もダメ以外の何物でもなかった。
その後は抑える事もあったが5試合目にもまたしても大炎上。投げる前から盗塁されるなどと完全に舐められており、見かねて即日2軍に降格。そのまま解雇された。
一応本人の名誉のために補足すると、一度肩を故障して劣化したという経緯があり、劣化前は間違いなく逸材だった。実際速球の速さ*32自体は中々のものであり、外人スカウトに定評のある広島が獲得する動きもあった程である。
なお、その広島が代わりに取ったジャクソンは日本シリーズでちょっとした事件を起こすも、その後3年にわたって広島で活躍した。なおその後。
また、炎上っぷりがあまりにも清々しかったせいか(通称・ブロードウェイミュージカル)DeNAファンからの印象もネタ方面では悪くなく、初登板試合では某アプリの優秀選手を決めるユーザー投票でぶっちぎりの1位を獲得したりしていた。



  • ジョーダン・アルメンゴ・ノルベルト(中日→ヤクルト・2016~2018)

2015年オフに中日が獲得した投手。当時の登録名は「ジョーダン」。
2016年、2017年ともに主に先発投手として起用され、2年間で12勝10敗、防御率3.50の成績を残すが、球団の構想に合わず2017年に退団。
中日時代は良くも悪くも平凡な外国人であり、ここからダメ外人に名を連ねる事になるとは誰も思っていなかったであろう。


その2017年オフにヤクルトが65万ドル(当時のレートで約7400万円)で獲得。登録名はミドルネームの「アルメンゴ」となった。
予想通り、その登録名がインターネット上で話題となった。アルメンゴwwww
期待された2018シーズンであったが、春季キャンプ中にコンディション不調で二軍落ち。更にシーズン開始直後には怪我の不幸も重なり、登板がないまま4月末に療養のため帰国。
しかし、療養中のSNSの投稿は「楽しそうに家族と戯れる姿」「古巣・中日に対する愛」といったものばかりであり、
極めつけには「ヤクルトの試合中なのにも関わらず、中日戦を見ながらInstagramでライブ配信」という離れ業をもやってのけた。お前はどこのチームの選手だ。
そんな態度のせいで球団からの厳重注意を受けるも、古巣愛が収まる事はなく、日本に戻ってくる前にクビになった。



  • ジャフェット・アマダー(楽天・2016~2018)

2015年オフに楽天が低年俸で連れてきた、体重137kgの超重量級メキシカン助っ人内野手。体格から察する事が可能な長距離砲として期待された。
2016年シーズンはいきなり大怪我をして出遅れ、5月に復帰した時もまた大怪我し、ファンの期待値は下がっていった。
だが、7月に復帰すると本塁打を量産し、出場試合の少なさの割にはそれなりの本塁打数を記録し、来期に期待がかけられる。
2017年は、春先はチームの調子に反して絶不調だったが、やがて調子を取り戻して低打率ながら本塁打は23本記録し、チームのAクラス入りを支えた。
2018年はチームの低迷に合わせて春先は不調だったが、夏にまた覚醒して一ヶ月で11本塁打を記録して優良助っ人っぷりを見せていた……が…………。


8月に入ると、6月頃からドーピング検査の対象となっていた事が発覚し、禁止薬物のクロルタリドンとフロセミド(利尿剤や隠蔽薬の成分)が体内から検出
アマダーはNPBから半年に及ぶ出場停止処分と球団側からは自宅謹慎処分を下された。
2018年シーズン前半はAクラス争いが激しい中で7月の時期のアマダーにやられた球団や投手は多く、8月まで出場していた事実が非難の対象となった。
楽天ファンからも、夏頃に急激に調子が上がる事や2018年は異様な弾道の打球が目立った事から、多くの憶測が話された*33
アマダーは一貫して無罪を主張し続けていたが、流石に覆す根拠が乏しかった事から処分は確定し*34、シーズンオフに自由契約となった。


選手としての成績は特に問題がなかったのだが、成績以外の面でファンからの扱いが「歴代でも有数の優良助っ人」から「ブタータブー」に降格したという例。
一応選手としても「体格通りに超鈍足だった事で長距離砲なのに二塁打が狙いにくく、終盤は代走必須」「守備は一塁専で打者から狙われやすい」など、扱いづらい面も否定できないが、ここらは長打を期待する外国人選手にはよくある話で批判する程ではない。
だが穏やかそうな雰囲気に反してキレやすいらしく、ソフトバンク戦で東浜の少しだけ顔に寄った高めの投球にいきなりキレて乱闘騒ぎを起こしている*35



  • ザビエル・バティスタ(広島・2016~2020途)

カープアカデミーに所属し、2016年から育成契約で広島に正式入団したドミニカ助っ人。
順調な成長を見せ、2017年に6年契約の支配下登録を果たすと、そのパワーを活かして一軍に定着し、広島の黄金時代を支えた。
V4を目指す2019年は初の開幕一軍を達成し、平成最後のホームランを記録するなど順調にキャリアハイを残す…かと思われた。


ところが、8月にドーピング検査の陽性反応から薬物使用が発覚。
ドーピングの陽性反応自体は6月に判明しており、出場させ続けた広島への対応にも批判が及んだ。
NPBから6カ月間の出場停止処分を科されたが、バティスタ本人は無罪を主張した。
また、出場停止処分もシーズン末の処分だった事から実質的に効果がほぼ無く、巨人の名助っ人であるスコット・マシソンも「手ぬるい」と激怒のコメントを残す。


球団関係者はコメントを出すが、同じく近年に助っ人の薬物使用で騒がれた楽天やオリックスの対応とは異なり、他球団やファンへの謝罪は一切なし
ファンの失望と激しい怒りの声も出たが、カープアカデミー出身という経歴や複数年契約の都合からか、ドーピングをした選手への対応としては前代未聞の契約続行の方針の様な態度を見せた。
ちなみに、近い時期にカープに所属していたネイト・シアーホルツとスティーブ・デラバーも退団後にドーピングが発覚している。
結果としてバティスタの所業は、カープアカデミーと球団の顔に泥を塗った上にカープの3連覇という偉業にケチを付ける事になった。


なお、謹慎処分中にバティスタはドミニカのウインターリーグに出場。
久々に見せた姿は、精神的な疲労もあるのか痩せ細った姿で衝撃を呼び、見る影もない悲惨な打撃を見せている。
その事もあってか球団側は「今年の戦力にならないと判断した」とコメントし、処分最終日の2020年3月3日に契約を解除した。


余談だが、鈴木誠也が2018年にInstagramに上げた動画でバティスタに「バカ外人」「クスリやってるなこりゃ」等と身内向けの冗談で発言している場面があり、薬物使用が発覚した際にはまさかの伏線回収と話題を呼んだ。


なお2019年の広島は阪神と熾烈なAクラス争いをしているが、このバティスタが最も成績を上げたのがその阪神である
またバティスタ離脱後、広島はフルシーズン換算でぶっちぎり最下位のヤクルトを下回る勢いで失速、それでもなんとかAクラスを保っていたがリーグ最終戦で阪神が勝利した事により土壇場でAクラスを逃した



  • ジェイ・ジャクソン(広島→ロッテ・2016~2018、2020)

バティスタらと共に広島の台頭を支えたセットアッパー。
広島が最初はブロードウェイを獲得しようとしていたが劣化を知り、代わりに獲得したのは上述の通り。
パワーピッチングで抜群の安定感を見せていた。
日本人女性と結婚もして新たな人生を夢見てメジャーへと戻って行った。


しかしメジャーの層は厚くロッテと契約して再び日本に、しかも日本人女性とは離婚した上に親権で争っていた。
更にシーズン途中でロッテから解雇され、その前後に自身の親権問題についてコメント。
国内外を問わず連れ去りの問題があった日本での親権問題を非難していた事もあり、問題はかなり根深そうだと同情的な声が相次いだ。
だが翌日に大麻リキッドの所持容疑で逮捕されると逆に散々叩かれた…のだがその後暫くして証拠不十分で不起訴処分、釈放される。濡れ衣と判明した事で再びジャクソン本人、また日本でも実績十分で期待できるセットアッパーを失ったロッテ球団に同情の声が多く上がった。
またジャクソンを逮捕したのが広島県警だったため、この件に関しては何も関与のない広島球団もネタの巻き添えになった模様。


  • ジミー・パラデス(ロッテ・2017)

2017年シーズンのダメ外人及び千葉ロッテマリーンズを象徴する助っ人。
16年オフにデスパイネを強奪される形となったロッテが奮起して獲得した大砲候補の一人。
メジャーでも16年まで一定の実績を残し続けていたという実力からロッテファンからは期待され、実際にオープン戦でも問題なく高打率を保ったままシーズンに突入した。


しかし蓋を開けてみるととにかく三振しまくる扇風機で、守備でも足を引っ張る場面が目立った。
極めつけはそんな駄目っぷりを続けていた中で披露した居合切りを連想させる明らかに振り切れていない謎の空振りであり、これには「サムライスイング」という愛称が付けられた。
それでも2017年前半は完全に冷温状態にあったロッテ打線の中では比較的ホームランの可能性がある事や、一応は大金を注ぎ込んだ助っ人だったので使われたが一時は二軍落ち。
だが、再昇格後は途中加入のペーニャの存在もあってか、一時期は月間打率も好成績を記録する。
「何だかんだで日本に慣れつつあるのでは?」と期待する声もあったが、結局上手くいかなかった。


球団が順位レースから完全に外れた状態でも球団側の「もう少し様子を見たい」という方針から最後まで起用され続けた。
実際に駄目な成績だったとはいえ、本塁打数は10本。この年のロッテは本塁打数が少なかった為、本塁打数だけで言えばチーム上位だった。
最終的には自由契約で放出され、その後はKBOリーグの斗山ベアーズと1年契約を結んだが、そこでも極度の成績不振となって途中で解雇された。
なお、さり気無く球団通算7500号のメモリアルアーチにも名前を刻んだ外人だったりする。



  • スペンサー・パットン(DeNA・2017~2020)

DeNAにおいてセットアッパーとしてフル回転した投手。パワーピッチングを武器に4年間でNPBの外国人としてはジェフ・ウィリアムス、スコット・マシソンに次ぐ史上3人目の通算100ホールドを達成するなど、これだけ見れば決してダメ外国人とは言えない。
しかし、ここに載ってもおかしくない愚行をパットンは2019年に犯している。それは1アウトも取れずに降板を命じられた直後、元々カッとなりやすいやすい性格が災いし、イライラをぶつける形であろう事かベンチ内に設けられている冷蔵庫のドアを左右の拳で3発殴打して骨折し、残りシーズンをほぼすべて棒に振るというネタ以外何物でもないものである。挙げ句の果てに、迷惑料として500万円の罰金を徴収された上、リハビリ期間中は球団による子供達への野球振興活動に参加する事になった。そりゃ当たり前だ。
過去にも、2004年に杉内俊哉がKO直後にベンチを殴打し一年シーズンを棒に振ったケースがあるが、15年越しでまさか同様のケースを目にするとは思わなかったであろう。なお、本人は流石に反省しきりであった模様。
余談だが、カープファン野球好きとして知られる推理小説家の東川篤哉は、この事件を元にして「パットン見立て殺人」という短編を執筆している。



  • マット・ダフィー(ロッテ・2017)

2017年シーズンの千葉ロッテマリーンズを象徴するダメ助っ人外人その2。
16年オフに同様に獲得されたパラデスと比較すると期待値は低めだったが、オープン戦では打撃面で大砲候補として猛アピールし、一気にファンの期待値を上昇させた。
だが、蓋を開けてみるとオープン戦とは異なる相手バッテリーの厳しい投球に対応出来ずに一部の得意なコースを除いてバットに当たらない扇風機っぷりを露呈。
守備でも不安定な動きが目立ち、打撃の不調と連動する様に守備での判断能力の弱さが目立った。


一度二軍降格してから再昇格するが、昇格直後は一時的に打撃での適応の雰囲気を見せる。
ところが結局は元通りになり、再び二軍に送られてからは大金を使ったパラデスと違って一軍でのチャンスを与えられる事はもう無かった……。
結局はオフに自由契約となるが、最後まで二軍でも手を抜く様な姿勢は殆どなかったので、その辺りの誠実さだけは評価する声もある。


なお、余談だが千葉ロッテマリーンズの海外スカウトはデービッド山本氏という井口資仁監督のメジャー時代の通訳が務めており、プロ野球球団在籍の経験もない人物が担当するという12球団でも珍しい体制を取っている。要するに、2008年オフに監督手形を切ってまで獲得した井口のコネ採用と言え、過去の前科もありファンからは「球団のカネでバカンスしてるだけ」との批判の声も多い。
上記のパラデス・ダフィーの大不振もあって2017年の千葉ロッテマリーンズは最下位となり伊東監督以下多くの首脳陣が責任を取らされたが、林新平本部長・山室晋也球団社長・松本尚樹編成部長といったフロント陣は誰1人責任を取らずに留任しており、2018年も井口監督の元に4人の助っ人外国人を送っている。
球団の判断が吉と出るか凶と出るかは2018年の彼らの成績次第と言えたが、結果は……。



  • アレクシス・キャンデラリオ(西武・2017)

様々な国の野球リーグを渡り歩き、日本を9か国目として西武に流れ着いてきた助っ人投手。
獲得時点で鈴木球団本部長から「ミステリアスな部分が多い投手。ハングリーさに期待したい」という、獲得した球団の発言とは思えないコメントが飛び出した。
ミステリアスすぎたのか、初先発の時点で3回7失点と大炎上を起こして一軍ではこれっきり、二軍でも成績が駄目だったので1年でクビになった。
一応、二軍では最多投球回数だったので2軍のチームを回すのには貢献したとの声もある。
球団公認の謎外人という意味不明なインパクトから、以後の西武の新加入外国人選手も場合によってはミステリアス扱いされるネタが出てくるという影響を残した。



項目参照。
2017年の楽天の大失速を象徴する伝説の事件「コラレスショック」で一躍有名となった。



  • マイケル・トンキン(日本ハム・2018)

2018年シーズンを代表するダメ外国人の一人。
2017年オフに当時クローザーを務めていた増井裕俊のFA宣言に伴うオリックスへの移籍、更には増井の不振時に守護神を務めたクリス・マーティン*36の単年でのMLB挑戦により手薄になった抑えの候補として日本ハムが2年契約で獲得。「パワフルなツーシームや鋭いシンカーで奪三振率も高い」という触れ込みでの入団であった。


しかし、いざ開幕すると上記のスタイルを悪い意味で裏切り、ノーコンとしか言えない制球力に加えて打たせて取るならぬ打たれて取るピッチングでファンの胃や心をズタズタにしてしまう。それでも前半戦は何とか持ちこたえ、オールスター以前は32試合・31投球回・防御率1.74・3勝1敗12Sと優秀な成績を残していたが、その後は21試合・20投球回・防御率6.75・1勝3敗0Sと大幅に成績が悪化。特に9月の西武・楽天両戦の2試合では2失点ずつを喫し2暴投、最終戦2試合前の西武戦でも2四球を出すなどして非常に不安定であった。*37・・・・・''そしてあの出来事が起こってしまった。''


2018年10月15日、2位ソフトバンクとのCSファイナルステージを賭けた1stステージ。日ハムが1勝1敗の中迎えた第3戦で、2-3と1点差で追いかける展開の6回裏に公文克彦からトンキンにスイッチ。先述した後半戦の炎上から、信用度は大幅に低下した事もあってかファンの中には不安な心境があった。そして・・・・・・


先頭のアルフレド・デスパイネに2球目の甘い球を捉えられてレフト上段へのソロ本塁打、さらに続く中村晃には3球目から同じコースの球を投げ、ライトポール際へのソロ本塁打と2者連続被弾という凄まじい結果に。
結局は傷口を広げただけで堀瑞輝に交代してしまい、結果僅か5球で2被弾するという、「ドミンゴ*38の7球」を彷彿とさせる内容で追撃ムードが消失、日本ハムのCS敗退の決定打となった。これが災いしたのか、結果として2年契約は破棄され、トンキンは自由契約になった。


この出来事を受けて、なんjの実況スレは大いに荒れる事態に。元々スレでは「トンキン大空襲」*39という蔑称がつけられていたが、この炎上劇を受けてネット上では彼に「トンキン湾事件」*40なる蔑称がつけられてしまい、他球団にも笑いを提供する羽目になってしまった。



  • ウィリン・ロサリオ(阪神・2018)

金本阪神の最終年の低迷を象徴すると言われるハズレ助っ人。「平成最後の3億円事件」
MLBで3年連続2桁本塁打の実績を持ち、KBOでは2年連続3割30本100打点を叩き出すなどの大物であり、争奪戦に勝利しての鳴り物入りの獲得だった。
関西マスメディアや阪神OBだけではなく、他地域や他球団と縁が深いマスメディアやOBにすらその力は高く評価されていた。


しかし、開幕序盤で外角球の見極めが非常に苦手という致命的な欠点が露呈し、外へのスライダーにはクルクル。
「バースの再来の再来」「メンチの再来」「右のパラデス」等の罵倒が飛び始め、やがて守備でも調子を落としたので「ロマックの再来」とまで言われるほどに。
阪神首脳陣も「暑くなれば調子が上がる」などと語っていたが、暑くなる季節にも特に改善は見られなかった。
ホーム球場である甲子園で一本もホームランを打っていない事もネタにされている。


人格面では問題ないどころか評価されており、ロサリオで勝った試合もあった事、何より今までのバースの再来の醜態を考えればまだマシな成績だった事もあり、一部のファンには最後の最後まで期待を抱かせる面もあった。


オフには外国人市場の不作や本人が年俸の大幅減俸を飲むなどの報道から残留の話も生じたが、結局10月末で阪神を退団した。
2018年は阪神が最下位で金本監督が退任した事で低迷の戦犯の一人と見られ、KBOで実績を残した外国人野手への獲得否定論が加速するなど散々な悪影響を残したとも言える。


なお、同年シーズン途中に加入したエフレン・ナバーロは、好球必打の中距離ヒッターだが長打力こそ物足りないものの、選球眼が良く外角のボール球に無闇に手を出さず四球を選ぶ事が多く、堅い一塁守備でも貢献と、見事なまでにロサリオと対照的な活躍でオフには残留を果たした。
しかし翌年は一軍でも二軍でも打撃不振に陥りオフには退団となってしまったが、退団直前に行われたプレミア12のメキシコ代表の一員に選ばれ、3位決定戦の対アメリカ戦でサヨナラタイムリーを放つ活躍を見せている。


また、翌年ロサリオと入れ替わりで加入したジェフリー・マルテも怪我により出遅れたものの、合流後は昨年と変わらず貧打に喘ぐ阪神において主軸として定着。来日初本塁打はいきなり甲子園で打つと*41その後も劣勢の試合展開を帳消しにする打撃を見せるなど勝負強く、守備も悪くない(一塁のUZR+0.1)と、こちらもロサリオとは対照的だった。
そして終盤は不振に陥った大山悠輔に代わり4番打者として君臨し、球団史上初となる前年最下位からの3位浮上に大きく貢献した。
2020年は相次ぐケガで攻守共に振るわなかったが、コロナ禍での新外国人選手獲得は最低限に抑えたい、という球団の思惑からオフには残留となり*42、迎えた2021年は優勝争いに貢献する活躍を見せている。


また、2020年には前年のKBO打点王であるジェリー・サンズが加入し「ロサリオで懲りてなかったのか…」と危惧するファンもいたが、こちらは絶好調の時は三試合連続で本塁打を打つし、そうでない時もそれなりに点は取れるという勝負強い打撃で同年の後半の主軸として活躍。2021年は調子の戻ったマルテや、若き巨砲として期待される佐藤輝明と共にチームの主軸として機能、マルテ共々阪神としては久々に当たりと実感できる外国人バッターとして活躍している。
しかし、KBOからの新外国人獲得否定論自体は同年に阪神に加入した前年のKBO本塁打王・打点王のメル・ロハスJrが、2021年前半時点ではロサリオ以上の打撃不振に陥っている事で、完全に消えてはいない模様。それでも、2軍再調整後の後半戦以降は、徐々に要所で打ち出す他、選球眼も改善されるなど、ロサリオよりは全然マシという程度に持ち直しつつはある。


  • フランシスコ・ペゲーロ(ロッテ・2018)

2018年にロッテが独立リーグの富山GRNサンダーバーズからのテスト入団生として、格安で獲得した外人外野手。
独立リーグ経由ではあるがリーグ記録の安打数や高打率を記録し、実はメジャー出場経験もある外国人だった。
2017年シーズンに大活躍した、ライバル球団楽天の外人助っ人であるカルロス・ペゲーロと名前や守備ポジションが被ったので、偽ペゲーロなる愛称(?)をファンからいきなり付けられた。


しかし、独立からのテスト生と言う元々の期待期の低さや井口新監督体制下では外人野手を重視しない打線構築の方針もあってか開幕から二軍スタート。
それでもイースタンではチームトップの打撃成績を記録していた……が、6月のウェイバー公示で自由契約となって退団。
退団理由は「モチベーション低下」との事で、ペゲーロ自身が想定していた成績を出せていない事から米国に帰ってやり直す事にしたという。
そのため、ファンからは退団理由や一軍出場が無かった事で最後まで「楽天ペゲーロの偽者」という認識から変わらなかったという。二軍首脳陣からは「真面目」と評価されていたらしいが…。


元々が格安の独立経由の外人という事情で期待されておらず、一軍にそもそも出なかったので詳細が分からず(二軍成績は飛び抜けてはいないが良かった)という状態なので、名前と退団理由だけでネタ外人になった例。
ロッテ退団後はメキシカンリーグに復帰するが、3割30本100打点を記録するなど大活躍*43し、再来日の意欲も口にしている。



  • エドガー・オルモス(ロッテ・2018)

2017年オフにロッテが獲得した外人投手。日本での野球経験がある同僚達からも日本行きを勧められたらしい。
風貌から「幕張のジョニー・デップ」と呼ばれ、本人も「ハロウィーンまで日本に残ってジャック・スパロウの仮装をする」というネタ発言を披露した。


だが蓋を開けると「今までけん制をした事があるのか」「けん制芸人」と言われるほどにけん制が下手であり、悪送球を連発。
そして5月に日本ハム戦でデビューするが、酷すぎるけん制悪送球と四死球を見せつけた上に内野安打も絡み、外野に打球を飛ばされないのに炎上するというある意味面白い投球術はファンの爆笑を誘った。
二軍でもそのけん制技術の低さや制球力が改善される兆しはなく、ファンの予想通り、オフには優良外人であるボルシンガーを除いた外人勢とまとめてクビになった。
アルメンゴとどちらが2018年最強のネタ外人枠になるのかは議論になる。



  • オコエ・ディクソン(楽天・2018)

2017年オフに楽天が唐突に補強した外野手の助っ人外人。
同じく楽天所属のオコエ瑠偉とは、名前だけでなく肌の色やポジションも被っており、一部から「偽オコエ」「2人目のオコエ」と呼ばれる事に。
選手としてはパワーヒッター型の外野手で、楽天への移籍前はメジャーデビューしたばかりだった。
オフの時点で痛めたばかりだった左肩を手術しており、春季キャンプには合流する事なくいきなり出遅れた*44


2018年シーズンの楽天は昨年から一転して最下位を独走しており、特に外野手の層の薄さが露呈したため、早い復帰が望まれた。
しかし、いざ1軍にデビューしてみると、オコエ瑠偉の方よりもバットに球が当たらない上に長打もなく、守備もオコエ瑠偉よりずっと鈍足で守れなかった。
但し、即座に見切られる事もなく二軍降格からの再昇格やシーズン終盤の出番の多さから、特殊な契約体制があるのではと噂された。実際、スポーツ紙の報道では「契約の問題もある」との球団関係者の発言が出ている。
シーズンオフにはペゲーロやアマダーとまとめて自由契約となった。



  • ジョーイ・メネセス(オリックス・2019)

オリックスが獲得した助っ人内野手。3Aでは本塁打王・打点王の2冠でリーグMVPとなった経験を持つ。
シーズン開幕前の「侍ジャパンシリーズ2019」では、日本代表を相手に4番として二塁打4本を含む8打数5安打を記録し、日本の野球ファンから相当期待された。


しかし、期待値に反して現実は打率.206・本塁打4本・打点14という貧弱な数字を残す。
その後5月に故障して二軍に降格。この時点で既に外れ外人の烙印を押されかけていたが、トドメに6月にドーピング検査で陽性反応を示した事で薬物使用が発覚
NPBから1年間の試合出場停止処分を下され、シーズン途中で契約解除となって退団した。
同じく薬物を使用していたアマダーやバティスタと違い、上述の打撃成績だった事や退団しても戦力的に痛手にならないレベルだった事から全体への被害は少なかったが、期待していたファンやドーピングの恐ろしさを知るファンからは「薬を使ってアレなのか…」「むしろ薬に失礼」と別の意味で呆れられた。


ちなみに『ドラゴンボール』の熱烈なファンらしく、マイヒーローとして孫悟空を挙げている。
そして2022年にワシントン・ナショナルズで30歳にしてメジャーに昇格し、打率.325と、再建期に突入し低迷するチーム*45において一筋の光明となる成績を残した。
更には翌年のWBCでメキシコ代表に選出され、主軸打者としてチームをベスト4に導く。
なお、準決勝の対戦相手はよりにもよって日本であり、侍ジャパンを応援すべく試合中継を見た日本のプロ野球ファンは皆一様に「あのメネセスが代表に!?」と驚愕したとか。


  • ジョシュ・レイビン(ロッテ・2019)

外人のヒット率がよろしくない2010年代ロッテの最後の年にやってきた助っ人。
150kmを超える剛速球を持ち味とし、中継ぎや守護神候補として期待された。
鳥が舞うポーズでファンに「自分が抑えた時はこのポーズで祝福してほしい」とアピール。
しかし、メジャーでは交通事故で負傷者リスト入り、よりによって薬物検査で謹慎処分にされた2016年だけ結果を出すなど、既に経歴からしてカオス状態


獲得直後にいきなり怪我をして出遅れ、ファンに不安を抱かせる。
6月頃に昇格した初登板の試合では抑えたが、交流戦の阪神戦ではコントロールが悪すぎて1回5失点。
しかも、自慢の剛速球も球速表示の割には外野に運ばれるという典型的駄目パターンだった。
なお、その阪神戦では、大腸ガンの手術からリハビリを経て、この日一軍に復帰したばかりの原口文仁にタイムリーツーベースヒットを浴び、結果として原口の復活劇に花を添えている。


二軍でも四球を出しまくり、最後は同じ新外国人であるブランドン・マンや下記のケニス・バルガスとまとめて1年で解雇された。
2019年のロッテはレイビン達3人に加え、2018年に獲得したボルシンガーも解雇されたので外人が4人退団という始末。
結局、2019年ロッテの新外国人で当たったのは日本ハムから移籍してきたレアードと7月後半になって途中入団したマーティンだけであり、ロッテの外人スカウト力の無さを見せつけてファンを絶望の底に落とした。



  • ケニス・バルガス(ロッテ・2019)

レイビンと同じく2019年にロッテへ入団した野手。
身長196cm、体重133kgという恵まれた体格と、メジャーで二桁本塁打を記録した事もあるパワーが魅力のスイッチヒッターであった。


しかし一部ファンからはその選手データや前歴から2017年に在籍したジミー・パラデスを思い出し、「パラデスの二の舞になりそう」と嫌な予感を感じていた人もちらほらいた*46


その嫌な予感は的中し、オープン戦では3本塁打を記録したものの打率は.095とまさかの1割切り。
開幕当初こそスタメンに名を連ねたものの、打棒は振るわず打率.179。ホームランに関しては僅かに1本という散々な結果に終わった。
パラデスの時の様にチーム打線が低迷していた訳でもないので我慢して使われる事もなく、また7月に加入したマーティンが活躍した事もあり同年オフに退団となった。


成績こそ散々であったが、球団SNSがアップする写真や動画に積極的に映り込んだり、ロッテの安田と岡がプエルトリコWLへ派遣された際に交流したりと性格は陽気。特に安田とは仲が良かったらしく、プエルトリコでは一緒にドライブしたり「ご飯をいっぱい食べさせて大きくして日本に帰したい」とコメントしたりするなど、人間性は最高であった。


  • ジャスティン・ハンコック&ジョニー・バーベイト(日本ハム・2019)

2018年オフに退団したトンキンの後釜として日本ハムが獲得した助っ人コンビ。悪い意味で日ハムの投手助っ人の方針転換のきっかけとなった。


まず、ハンコックはメジャーで最速155㎞を投げる速球派としての触れ込みで入団したが、その触れ込みと髭の形から日ハムファンは「トンキンの再来ではないか?」という一抹の不安を抱いた者もいた。


そして不安の中迎えた4月7日の西武戦。先発した有原浩平が8回無失点の好投を見せ、2-0で迎えた9回に逃げ切りを図るべく首脳陣はハンコックをマウンドに送る。
しかし、森友哉の適時打でピンチを迎えると、外崎脩汰に逆転3ランを浴びてしまい、1/3回・3安打1四球4失点というシャレにならない結果で有原の勝ち星を消すというミセリの様な失態をやらかしてしまう。
更に右肩の違和感を訴え5・8月は治療に伴う登録抹消という酷すぎる言われようであり、最終的に計8登板で防御率9.00・1敗2S2Hという成績でファンからは「投球内容に不安があったとはいえ前半戦は良かったトンキン以上に酷過ぎる」という散々な評価を付けられ、ネット上でトンコックなる蔑称までつけられてしまった。


一方のバーベイトも、15登板・防御率5.63という成績でハンコックほどではないが活躍できなかったためバーベイトンキンなる蔑称を付けられてしまい、ネット上では「トンキンが来たと思ったらトンキン以下が2人も来た」とまで言われる始末。結局、2019年オフをもって2人そろって退団となった。


この2018~19年のトンキン・ハンコック・バーベイトのダメ外国人っぷりは日ハムに大きなトラウマを与えてしまい、結果として日ハムに入団した投手助っ人にはトンキンの再来なる蔑称を懸念される事態が起きてしまうようになった。



  • ヤンガービス・ソラーテ(阪神・2019)

シーズン途中の7月22日に阪神が急遽獲得した内野手。ニックネームはセクシータイム
来日直後の26日の巨人戦でいきなり逆転2ランを放つ、30日の中日戦でも逆転サヨナラ2ランを放つなど鮮烈デビューを果たすものの、その後は守備に難がある事などを理由に二軍落ち。
しかし二軍で結果を出した事から、9月に一軍昇格が決まったのだが…何と「モチベーションが上がらない」事を理由に一軍昇格を拒否するという前代未聞の大騒動を引き起こしてしまう。
これに対して阪神の谷元副社長は「こんな事を許したらチームとして成り立たなくなってしまう」と激怒。
自宅謹慎処分となったものの、本人の強い希望により退団が決定。即座に自由契約となった。


但しこの件に関しては、「ソラーテだけでなく球団側と、矢野監督の起用法にも問題があるのではないか」という声もある。
元々ソラーテは三塁手として阪神と契約したはずなのに、矢野監督の「適性を見極めたい」との意向により試合の度に守備位置を転々とさせられた事で「聞いていた話と違う」と相当フラストレーションがたまっていたとされている。
さらに一軍に昇格した際に矢野監督から「スタメンではなく代打として起用する」と伝えられた事で完全にキレてしまったとの事で、


「首脳陣はソラーテとのコミュニケーションをきちんと取れていたのか」
「本来の契約内容と違う起用をする事に対して、反発するであろうソラーテに対して配慮をちゃんとしたのか」


など、一部の評論家から疑問の声も上がっているのである。
とはいえ前述の通り、やる気が無いから一軍に上がりたくないというのは、プロとして前代未聞で到底許されない事ではあるのだが。
また、前年に奥さんを亡くしてうつ病に罹っていたという情報*47もあり、そこらへんの情報収集や獲得後のケアなどができていなかったのではないかという疑問もある。
「やる気が~」という話もそれ関係かもしれない。


阪神退団後、2020年にブレーブスとマイナー契約を結ぶものの、新型コロナウイルスの影響によりマイナーリーグが全試合中止になってしまい、活躍の場が無くなった事で自由契約となる。
その後は現役を引退し、何と歌手としてデビューしたと報じられた。


  • 王柏融(ワン・ボーロン)(日本ハム・2019-)

2010年代後半から2020年代前半にかけて期待を裏切り続けている大物台湾人野手。
2014年のU-21での金メダルを皮切りに台湾代表として活躍し2015年台湾球界にデビュー。
2年目の2016年に台湾球界史上初となるシーズン200安打と打率.414、さらに29本塁打とOPS1.165という化け物級の成績を残し「大王」という愛称がつけられるなど一躍台湾のスーパースターとなった。
2017年のWBCは所属先のLamigoモンキーズが台湾代表招集ボイコットをしたため、台湾プロ野球選抜としてWBCのテストマッチで日本代表戦に臨むと全盛期の則本昂大から本塁打を打つなど大爆発し一躍日本球界に名前を売り込む事に成功。
元々台湾が親日家なため台湾球界がNPBとコラボをしており、王が所属していたLamigoはその中でも特にNPBと交流をしておりわざわざロッテが遠征して練習試合を組むぐらいの動きを見せていた程だった。
そして、2018年成績を落としていたとはいえ台湾で3年連続打率.350以上という実績を引っ提げてポスティングを使い念願の日本球界移籍を発表。
台湾球界としても王が日本で活躍して台湾球界出身選手をもっと売り込める土台が作るのが狙いだっただけに、台湾球界の命運を賭けて日本球界に行くわけだが何故か移籍先は親交を深めたロッテではなく日本ハムという当時は謎が残る移籍であったがその理由は日本に来てから明白となった。


3年総額4億+出来高という破格の待遇で入団した1年目の2019年は開幕スタメンデビューを果たすもNPBとのレベル差について行けず88試合で打率.255、3本塁打、35打点、OPS.647という年俸に見合わない平凡すぎる成績で終了。
しかもこんな成績で外野守備も微妙なため指名打者がメインという事を考えるとこの時点で相当マズイのだが3年契約のため残留し、引退した田中賢介から謎の推薦を貰い背番号99から3に変更という謎を残した。


コロナで開幕が遅れた翌2020年は前年を下回る52試合で打率.207、2本塁打、9打点、OPS.585とますますDHとレフトがメインではマズすぎる成績に悪化しビヤヌエバと共に攻撃陣のブレーキとなった。
この頃になると毎試合熱心に速報を伝えていた台湾メディアを他所に台湾のネット掲示板ではボロボロに言われる有様であり、ちょいちょい1安打だけは打つ事から「一安大王」というレッテルが貼られてしまった。


最後のチャンスとなった2021年は助っ人で唯一春季キャンプから合流した選手であるにも関わらず開幕前の練習試合で精彩を欠き栗山監督から「うちに外国人野手はいないのか?」と暴言を吐かれていた。
しかし、開幕から中田翔が色々とダメになった事からクリーンナップを任されるなどスタメン機会を増やすと前半戦は6本塁打を放つなどようやく日本野球にフィットする可能性を見せたと思いきや後半戦は精彩を欠いてシーズン終了。
最終成績はDHメインとしては寂しいがチーム内で2位となる9本塁打と48打点を記録するなどキャリアハイの成績を残し年俸7000万でギリギリ残留。


本当のラストチャンスとなった2022年は監督がBIGBOSS新庄となり「今季は横一線のトライアウトで戦力を見極める」と断言した中で開幕一軍とチャンスを貰うが去年の活躍はどこへ行ったのかと言わんばかりのスランプで春先に二軍落ち。
その後は松本の覚醒に清宮、万波、野村、今川、上川畑ら若手野手がまぁまぁ見れる打撃成績に終わるなど前年よりは改善された打撃陣に押し出される形で出番を失い15試合で打率.063に安打が僅か2本の0打点とOPS.156という助っ人として論外すぎる成績を見せ日本シリーズ終了後に解雇となった…、と思いきや育成選手として再契約することが明らかになった。


元々台湾球界は日本よりも平均球速が遅く、平均球速が違う日本に来た結果フィットするまでに時間がかかったという説が失敗に終わった理由の1つとされていた。
他の意見として元々Lamigoと親交のあったロッテやLamigoの経営が怪しくなり救う事となった楽天が手をあげなかった事から日本の外国人スカウトからは評価が低かったのでは?という諸説も出回っていた。


但し性格だけはかなり良い人だったというのはパワプロ2022の浅間との宣伝動画を見ると感じ取れるだけにそこを踏まえるとあまりの成績の酷さに哀しさが増すという声も多い。
何はともあれ日本ハムは4年以上ハズレ外人の介護をするハメになるし、台湾球界出身選手のNPB移籍活性化を目論んだ台湾球界のプランも失敗に終わったというのは哀しい結末ではあるのだが。



  • クリスチャン・ビヤヌエバ(巨人→日本ハム・2019~2020)

パドレスにて月間最優秀新人賞を取得するなど期待されていたメジャーリーガーで、国内球団の争奪戦の末に巨人が獲得した選手。
いざ蓋を開けると低打率で日本野球に苦戦し、見せ場は交流戦での楽天戦における松井裕樹からの逆転2ランくらいだった。
日本シリーズではメンバーに選ばれないと判明すると造反的行動に出たという報道が出ているが真実は不明。二軍での調整でも成績を残せずに巨人から1年で自由契約となった。


…まあこの程度ならば特に特筆する点もないハズレ外人程度なのだが、何故かハズレだったのにも関わらず日本ハムが獲得。
獲得の理由としてはブランドン・レアードの放出の穴埋めや有力な三塁手助っ人候補がいなかったからとされているが、イースタンでも結果を残せなかった事を二軍がイースタンである日本ハムは散々見ていたであろう事もあって、獲得には多くの疑問が残った。
それでも巨人から獲得した選手が割と活躍している実績から「実は日本ハムだけが才能を開花する何かを見込んでいるのではないか?」と期待されたが、いきなり虫垂炎を起こして合流に出遅れた挙句、最終的には打率.220・4HRと巨人時代よりも成績を落とした末にクビとなった。


一説には巨人で芽が出ずに日本ハムに移籍した後にレギュラーとして開花した大田泰示などの件でファンやメディアから球団が多くの称賛を受けた事があるため、「同じ巨人の選手であるビヤヌエバで大田の開花を再現する事で、各所からのフロントへの拍手喝采を再度狙っただけなのではないか」と言う邪推も出たほど。
真偽はともかく、実際にビヤヌエバの獲得当初は大田などを例としたポジティブ予想の記事や意見は少なからず出ていたため、ビヤヌエバが日本ハムで開花していればそういう未来はあったかもしれない。



◆20年代

  • アルシデス・エスコバー(ヤクルト・2020)

ショートの固定に苦しんだヤクルトが連れてきた内野手。GGの獲得経験もあるメジャー屈指の名手で、メジャーファンの知名度も高かったのでかなり期待されていた。
横浜のエドウィン・エスコバー投手の親戚で、オフには仲良く草野球に出ているという私生活面でも注目を浴びる。
が、蓋を開けると打率以外はボロボロ。打撃についてはとにかく早打ちなので打率に対して出塁率が低く、規定打席到達した助っ人ではおよそ半世紀ぶりのシーズン1本塁打となったが、これは下馬評通りではある。
だが肝心の守備で衰えが顕著で、UZRが-16.7という悲惨すぎる数値を叩き出しており、同年限りで解雇となった。
その後はワシントン・ナショナルズでメジャー復帰を果たしている。



  • ガブリエル・イノーア(ヤクルト・2020)

去年まで主力投手の一角を務めていたデビッド・ブキャナンに代わる投手として契約する。
練習試合やオープン戦ではそれなりの成果を出していたものの、いざペナントが始まると登板するたびに炎上。先発するたびに4点以上失点して試合を壊しまくり一度2軍降格。
その後再度昇格し中継ぎに回るも、やっぱり炎上しまくり結局一軍では一つも勝てないまま降格。この頃には二軍でも通用しなくなり打ち込まれてしまい、とうとうペナントレース終了前に解雇されてしまった。
NPBでの一軍成績は9試合24投球回で0勝3敗・45被安打・被本塁打8・10四球・防御率10.13。上記のアイケルバーガーをも上回る惨状でムノーアという不名誉な仇名までつけられてしまった。


なお、この年のヤクルトは7月12日に単独首位に立つなど決してスタートダッシュに失敗したわけではないが、イノーアが炎上し出した8月以降はシーズン終了まで負け越すなど急失速*48し、2年連続の最下位でシーズンを終えた。



  • テイラー・スコット(広島・2020~2021)

珍しい南アフリカ出身の選手。前年4位に沈んだ広島の新クローザーとして期待された。
オープン戦では結果を残し1軍スタート。しかしシーズンが開幕すると2回目の登板でいきなり1アウトも取れずに満塁にされた挙句サヨナラを決められる。翌月には、ヤクルトの村上宗隆からサヨナラグランドスラムを被弾し、スコットならぬスットコと呼ばれるようになる有様。
後半には先発を試すもうまくいかず、シーズン通しての防御率は15.75、リリーフ防御率に至っては22.50という異次元の数字を残した。これは是非もなく退団…かと思われたが、助っ人の確保が難しい事もありまさかの残留。だが翌年は1軍登板なしに終わり、今度こそ退団した。
「スコット」という名前の選手がやらかすたびにスットコ呼ばわりされるようになるなど、同じ年にやらかしまくったイノーアと並び2020年を代表する炎上投手となってしまった。



  • エリック・テームズ(巨人・2021)

2020年度ストーブリーグの目玉、KBO最強打者ロハス・ジュニアを阪神との競合の末に逃した巨人が、それに代わって契約を結んだ選手。ロハスと同じくKBOを経験した選手であり、2015年度KBOシーズンではなんと.381・47本・40盗塁という凄まじい成績を残した。16年度にも40本塁打以上を放ち、2年連続40本塁打の肩書きを提げてメジャーへと凱旋*49、17年度は31本の本塁打を放ち、KBO・MLB両リーグでシーズン30本塁打を達成した唯一の選手となる。
新型コロナウイルス感染症の影響による入国制限で来日が3月末にずれるも、隔離生活を経て4月中旬にチームに合流。二軍公式戦9試合に出場し打率5割(22-11)・4本塁打の結果を残すと、4月27日に一軍へと昇格。同日、ヤクルト戦において6番レフトスタメンでNPB初出場を飾ることとなった。


ところが、なんと3回裏のレフトフライを後逸した後に倒れ込み悶絶。担架で運ばれる負傷を負い、わずか3イニング・2打席(しかも2三振)での交代となってしまう事態が発生。
試合後、病院で右アキレス腱の断裂と診断され、米国に帰国し手術を受けると発表。今季中の復帰は絶望となった。そして2021年8月にはとうとう自由契約となる。その後は米国で治療を続けながらも9月に古巣ブリュワーズの試合を観戦している様子が確認されている。


スモークとの併用で不慣れなレフトをやらざるを得なかった*50のもあるが、その退場の速さ、特に難しくないレフトフライを取り損ねた守備の稚拙さ、病院診断中と思われるタイミングでInstagramのストーリーに投稿された「Wow」というメッセージ*51など、イテームズの蔑称とともに多くのインパクトを我々に残してくれた。


その後好調だったスモークも家庭の都合で電撃退団、さらにその埋め合わせで来日したハイネマンも体調不良で即退団と、2021年の巨人は助っ人外国人野手に呪われたシーズンとなった



  • マイク・ガーバー(中日・2021)

中日の一軍打撃コーチを担当していたアロンゾ・パウエルによる推薦もあって中日に加入した助っ人野手。
MLB時代から三振率が異常に高かったが、日本でもボール球じゃないストライクゾーンに連続で投げられて三球三振するという空振りっぷりで三振を量産。
守備も怠慢や雑な動作が目立ち、最終的には157・0本・1打点・18三振という散々な成績を叩き出して途中帰国。そのまま1年でクビとなった。
エキシビションマッチで1試合2HRを叩き出したのが日本での唯一の輝きとも言われている。
そもそも新型コロナウイルスの影響で2020年はマイナーが中止されていた事で直近の試合経験がなく、その点に関しては不運だったとは言えるか。


ガーバーに関しては、中日の仁村徹二軍監督による「ガーバーは速い球、変化球、インコースの見極め、落ちる球の対応とまだまだひとつずつクリアしていかなければならない。もう少し時間かかるとは思いますね」との分析が有名。
解釈次第では何も打てないと言っているも同然の評価であり、中日ファンから失笑を買った。
もっともそのソースが、自ら信憑性を否定するスポーツ新聞と悪名高い東京スポーツなのが引っ掛かる所だが…



  • マット・ダーモディー(西武・2021)

先発左腕の駒不足に悩む西武が2021年に獲得した左腕。
しかし、メジャーでは中継ぎメインで投げていたことから、一部ファンからは「見当外れの補強ではないか?」と疑問視されていた(一応、中継ぎ左腕も先発左腕程ではないにしろ駒不足ではあったが)。
案の定、シーズンに入るとその不安は的中し、スタミナ不足で5回まで持たない試合を連発。かといって中継ぎに回ると今度は大炎上…したばかりか、6月末にはTwitterにて「聖書によると、同性愛者は神の加護を受けられずに地獄に落ちる」旨の問題投稿をしていた事が判明。そちらでも大炎上してしまうというどうしようもない有様で、当然のごとくシーズン終了後に退団となった。


結局、この年の西武は先発左腕不足を解消できず、またダーモディーをはじめ外国人選手が軒並み振るわなかったこともあって、所沢移転初年度の1979年以来となる42年ぶりの最下位という屈辱を味わった。



  • ルスネイ・カスティーヨ(楽天・2021)

キューバ代表として名を上げ、ボストン・レッドソックスで約75億3500万円の7年契約を結んだが、全く活躍できなかった選手。
贅沢税対策によってマイナーに幽閉され、最終的に「年俸1100万ドルのマイナーリーガー」というレッドソックスを代表する死刑囚として有名となった。
契約が切れた後に楽天と1年契約で来日したが、上述の死刑囚としての実績や年齢から懐疑論が出ていた。


新型コロナウイルスの影響で合流に出遅れながらも4月に交流するが、初出場の初打席でいきなり脇腹を痛めてしまい、テームズ以上の速さで離脱するという出オチっぷりを発揮。
復帰後も僅か1HRしか打てずに打率も.225、打点は僅か3打点という散々な成績で最後は放出された。
複数年契約ではないのでレッドソックス時代のような死刑囚になることはなかったが、楽天でも優勝争いからの脱落の原因として厳しい目で見られるなど散々な結果に終わった。


  • ブランドン・ディクソン(楽天・2021)

楽天がカスティーヨと共に獲得したメジャーリーガー。同名のオリックスの投手とは無関係(スペルが異なる)。
初出場2打席目で本塁打を放つなど当たりかと思われたが、あっという間に成績は低下。最終的に.167・4本という悪い意味で驚異的な成績を叩き出して戦力外に。
久々の本塁打の際には「この成績でも使ってくれる球団に感謝したい」と述べていたので、謙虚ではあったのだが…
2021年の楽天は悉く助っ人野手を外したため、楽天ファンからはカスティーヨとコンビで「クソカス」という酷い蔑称が付けられた。


  • タイラー・チャトウッド(ソフトバンク・2022)

MLBで229試合に登板し、先発で12勝を上げた経験もある実績抜群の投手。
……なのだが、キャンプ時点から既に故障しており、ファームでは6試合に登板したものの、6月時点で右肩を手術し今期絶望に。そのまま1度も一軍登録されずに7月に退団した
この年はかねてより進むドル高やコロナ禍の影響もあってどのチームも新助っ人の質の低下に苦しめられた*52が、1軍登板すらなく半年で退団という強いインパクトには勝てず、「令和の3.5億円事件」と言われてしまった。


  • ジョン・ガント(日本ハム・2022~2023)

MLBで173試合に登板し、2019年には中継ぎながら11勝を挙げたことがあるなどこちらも実績十分の投手で、日本ハムが2.4億円+出来高という高待遇で獲得した。


しかしながら3月に来日してからというもの、オープン戦はおろか教育リーグや2軍戦にも登板しない有様。練習には参加しておりリハビリ組に混ざっていたという目撃情報もあるが、全く出ない理由は一切不明であった。
その後6月に肘の痛みのため一時帰国し保存療法を実施。同月中に再来日したが最終的には肘のリハビリに終始し、来日初登板したのは10月30日のみやざきフェニックスリーグの試合となり、1軍・2軍ともに公式戦登板0という前代未聞の結果を残す。シーズン前にBIGBOSS(新庄剛志)監督は「支配下全員を1軍公式戦に出す」との公約を掲げていたものの、ガントが唯一の未出場選手となった。


このような有様ではあったが、球団はガントと来季の契約を5000万円で結ぶと発表。この時のコメントにより来日時から故障していた事が確定的となったため、球団が碌にメディカルチェックを行っていなかったのではないかと評された。


翌年はオープン戦から試合に参加し、2先発で失点0と期待がかけられた…のだが、2軍戦で投げていた最中に右肘の状態が悪化し4月下旬に帰国。そのまま帰って来ず6月30日に退団が発表された。本人は「違う自分を見せたい」と意欲的なコメントも残していたのだが、1年半の在籍でありながら上記のチャトウッドすら下回る出場回数という有様であった。





追記・修正は助っ人外国人クジを引きながらお願いします。


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*1 こういった事を避けるため、中日ではカリブ海からの助っ人外国人にチームになじんでもらう為にスペイン語を選手に覚えさせているという話もある。実際中日にはビシエドと意思疎通するのに十分なレベルのスペイン語が話せる日本人選手やコーチが複数人いる事が知られている
*2 1995年までは支配下選手登録にも制限があった
*3 ちゃんと調べてみると経歴は凄まじいが直前の成績はがた落ちしていたり、老齢で衰えていたり、実はそこまで凄い経歴の持ち主ではない場合(=妥当な活躍)などのケースも案外多い。
*4 アキレス腱の事を指摘されると、途端に足を引きずって歩きだすというおまけ付き。
*5 その内容とは「日本の玄関は約1m30cmしかない、英語の通じる人が誰もいない、マクドナルドのハンバーガーが5ドル(当時約1500円)もする、国際電話で2000ドルもかかった、あまりの酷さに毎日夜中の3時に「神様、どうか私をこの日本で死なせないでください」とお祈りをし、アメリカに帰れた時は嬉しさのあまりその大地にキスをした」というもの。
*6 当時太平洋クラブライオンズの企画広報部長だったマーティ・キーナートが上記の新聞を見てブチ切れ。反論文を当の新聞社と当時24球団だったMLB各球団に送りつけた。
*7 ヤクルト初優勝・初日本一に導き翌年には近鉄も初優勝に導いた超優良外国人選手
*8 1例目は1971年、寮から失踪した阪神の高山忠克。
*9 このアニヲタwikiでも、マネーに対する評価の初稿で、辞めた理由に対して「マネーという名前だから銭闘をして球団に文句を言った(意訳)」などと、出鱈目なことを書いていた。実際は以降の通りで、ネット上を少し調べればすく分かることなのだが…。
*10 1980年代当時は道路標識を含めた街中の看板や、商品の値段ポップなどはほとんど日本語のみで書かれており、英語表記されていることすら稀であった。2023年現在は、英語以外の言語で説明されていることも珍しくはなくなったが。
*11 開幕レギュラーで打率2割以下ながら24試合7本塁打という立派な戦力だった
*12 ただし、デュランは元々母親を独り暮らしでアメリカに残しており、この時母親の体調が悪化して「デュラン、お願いだから帰ってきてほしい」と連絡されていたのも大きな理由である。
*13 「優勝旅行で、家族のいる選手は妻の分までは旅費を出してくれたが子供の分は自腹」「球団スタッフにいたっては妻の分は自腹」「キャンプでの宿舎は冷暖房が充分でない程ボロく、新人の選手は大広間でせんべい布団を敷いて寝ていた」等。これはまだまだ氷山の一角であり、年俸査定もかなり渋かった。調べればいろいろ酷い話は出てくるので、興味がある人は是非。
*14 ヒューバーと共に入団した外野手のジェフ・フィオレンティーノ(登録名フィオ)も開幕からずっと不振だったが、こちらは早々と見限られて二軍降格となり、以後ずっと一軍に戻る事無く解雇されているという対照的な結果になった事からも明らかである
*15 中でも「金ED(守備中に打球を股間を直撃失神、以後金は一定数大活躍し、タマを犠牲に悪魔と取り引きをしたと言うネタ)、「金疾走(ホームインする時のポーズが疾走そのものだったため)」、「金美男(ハンファのHPの自己紹介で自分をイケメンと称した為)」などなど150はあると言われる
*16 「ハメ」は蔑称「ハメカス」から取られてる事は留意すること。
*17 入団テストでは実践から離れていたとはいえ、130キロ程度しか出ていなかったとされる
*18 解説すると、後述のガルシアやメンドーサといった若い人材が皆MLBに亡命しており、もっと酷い件だと高校生が海外に遠征したらゴッソリいなくなる等、キューバはここ最近人材流出に悩まされ続けているのが理由として存在するだろう。何とも悲しい事実だが生涯収入がマイナー暮らしでも数十倍は下らず、MLBのスターにでもなればそれが数千倍程まで変わるので、MLBに行きたがるキューバ人は多い。2016年にボート運転中の自損事故で亡くなったマーリンズのホセ・フェルナンデスも高校生の時に筏で脱走したクチである。
*19 日本での表記は「ホアン・フランシスコ」。
*20 その前は外野手のテルドスラビッチを獲得しようとしていたが、ドラフト1位新人の高山俊を指名した事や前述の通りで彼の叔父がグリーンウェルだと知ったからか、そちらからは撤退してロマックに狙いを定めていた。
*21 阪神が代わりに獲得したマット・ヘイグは中日との開幕三連戦でこそ働いたものの、その後は弱点がバレた+乗っていけそうな場面で菊池涼介に本来ならヒット級の当たりを大分むしり取られた事で打棒も振るわなくなった事と、あまりの拙守で四月中に二軍幽閉になり、シーズン終了後にクビになった。
*22 彼はMLB時代から内野全ポジションを守っていた経験を持つ
*23 因みに本業の投手としても、規定投球回数未満ながら防御率2.91、10勝2敗と2桁勝利の活躍
*24 当時の名称。現・SSGランダース
*25 このシーズンもホームランは20本記録していた
*26 一応、荒れ球速球投手は打者からすると狙いを絞りにくい事もあって比較的ボール球に手を出しやすい、ボールが続いた後は甘いカウント球が来る可能性も高いので積極的に振りに行った、という理由は考えられる
*27 特に対広島3連戦は鈴木誠也に2試合連続サヨナラ本塁打を喰らう有様。(3戦目も鈴木に勝ち越しホームランを被弾して敗戦している。)これが広島の25年ぶりリーグ優勝特集などで多用されただけではなくスカパー!年間サヨナラ大賞を受賞する事になった。さらには野球解説者から広島独走優勝のセ・リーグ以外での要因では最大の戦犯とこき下ろされた。
*28 5勝13敗勝率.278。セ・リーグも含めると歴代3位の低さである。
*29 58登板で4勝4敗31セーブ8ホールド防御率1.92。
*30 その後、2021年に古巣オリックスで日本球界に復帰している。
*31 クイックについて擁護しておくと、現代野球においてダメ要素である事は確かだが絶対的に悪い訳ではない。クイックだと球威や制球力が落ちるという理由からクイックを使わない(要は上手くクイック出来ないという事だが)投手もいる。いずれにせよ抑えられればいいのである…抑えられるなら。
*32 勿論ただ速けりゃ良いってもんじゃない事はまさにこの投手が証明しているのだが
*33 特にクロルタリドンは嘗て「ハイグロトン」としてノバルティスが製造していたものの、2008年に日本での製造が中止され、国内での入手が不可能な薬品である事が憶測を助長する形となった。
*34 ちなみに、処分確定後もアマダーはメキシコで無罪を主張し続けた。シロなら当然だが、仮にクロの場合でも認めてしまった場合は将来的に日本以外でも経歴面での障害になるためだろう。つまり、無罪を主張し続ければ薬物疑惑が「100%」にならないためだと推測できる
*35 それと時を同じくして死球を受けた後、ベンチでヘルメットを投げつけただけにとどめた中日のゲレーロ(実はこの数ヶ月前にビシエドが死球を受けて負傷離脱した時に「次同じ事があったら覚悟しろよ」的な発言をしていた)に対しては賛称の声が上がった。
*36 2016~17年にかけて日本ハムに在籍した助っ人。2016年シーズン当初は中継ぎとして起用されていたが、増井の不調時にはクローザーを務め、増井の先発転向と同時に完全に抑えとして起用されると最速158㎞の球速を記録。シーズン終盤には足首の故障により離脱していたが、チームのリーグ制覇と日本一に貢献した。
*37 結果としてこの炎上劇により、トンキンはチームが3位に転落した原因の戦犯扱いをされてしまった。
*38 かつてNPBに在籍したドミンゴ・グスマンのこと。劇場型のピッチングで試合をぶち壊すことが多かったため、「ンゴ」なる別称がつけられてしまった。なお、これはネットスラングの一つである「ンゴ」の由来でもある。
*39 太平洋戦争中の日本における東京大空襲とトンキンをもじって付けたもの。なお、トンキンはネットスラングの一種で東京のことをさす蔑称であり、使用には注意が必要。
*40 1964年8月にトンキン湾を航行していた北ベトナム軍の哨戒艇が、南ベトナム軍の艦艇とアメリカ海軍の駆逐艦を誤認してミサイルを2発発射してしまい、反撃を喰らった事件とトンキンの名前をかけたもの。名前の元ネタとなった事件については後に北ベトナム側が再攻撃をしたと称してアメリカがベトナム戦争への介入を拡大するも、この再攻撃自体が「戦争介入目的で議会の同意を買う為のでっち上げ」だった事が俗にいう「ペンタゴン・ペーパーズ」で暴露された事でも有名。
*41 この本塁打は元号が令和改元後の阪神の球団初本塁打でもあった
*42 もっとも、成績がよくない助っ人でもそういう理由で残留させている球団は他にもある(後術する広島のテイラー・スコットもその一人である)。
*43 但し、メキシカンリーグはかなりの打高なので参考にしにくい
*44 一応、怪我で出遅れる事自体はフロントも想定内だったと思われる
*45 解説すると、スティーブン・ストラスバーグやパトリック・コービンといった大型契約を結んだ主力投手がそれぞれ「元々のスペ体質からくる怪我の頻発」「投げる度にバッピと化すレベルの大不振」とともに死刑囚と化し、フアン・ソト、トレイ・ターナー、マックス・シャーザー、カイル・シュワーバーといった主力中の主力をトレードで放出するのを余儀なくされている。
*46 パラデスも191cm91kgという恵まれた体格でパワー自慢のスイッチヒッターであり、メジャーで二桁本塁打を記録した事がある
*47 子供もうつ病になった
*48 8月から10月の3ヶ月間は21勝50敗6引分の勝率.296であり、月間22勝のNPB新記録を打ち立てたソフトバンクの10月1ヶ月分の勝利数にも満たない状況だった。
*49 この時も阪神が獲得しようとしていたが、失敗していた。
*50 コロナ禍での難しいコンディション管理を強いられた結果、ベスト体重よりも10キロ太っていたことも発覚した。これでレフトを守らせた首脳陣は当然ファンから批判された。
*51 これに関しては、自身が退いた後の前述のヤクルト戦が両軍合わせて34安打を記録した14-11の馬鹿試合になった事への反応という説もある
*52 特にパの野手が悲惨で、二桁本塁打を放ったアルカンタラ(日本ハム)やオグレディ(西武)がマシな部類に入るほどの惨状だった。

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