カール・マリア・フリードリヒ・エルンスト・フォン・ヴェーバー

ページ名:カール_マリア_フリードリヒ_エルンスト_フォン_ヴェーバー

登録日:2010/03/12 (金) 00:51:
更新日:2023/08/12 Sat 19:27:07NEW!
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音楽 クラシック音楽 魔弾の射手 美声 ドイツ 作曲家 音楽家 指揮者 ピアニスト ヴェーバー ウェーバー



カール・マリア・フリードリヒ・エルンスト・フォン・ヴェーバー(1786年11月18日 - 1826年6月5日)とは、ドイツの作曲家・指揮者・ピアニスト。



名前はドイツ読み以外にウェーバーとも。



ドイツ・ロマン派のオペラ様式を完成させ、ワーグナーに影響を与えた作曲家として名高い。
また、オーケストラの編成を現在に近い形に直し、指揮棒を初めて使った人物としても知られる。



生涯
1786年、ドイツのオイティンに生まれた。小児麻痺で、片足が不自由だったといわれる。


父方の従姉はモーツァルトの妻・コンスタンツェだった。そのため、父親はヴェーバーをモーツァルトのような音楽家に育てたかったらしく、
劇団を結成してヴェーバーと共にドイツ・オーストリア全土を旅する。これは、モーツァルトの生い立ちと酷似する。


しかしヴェーバー少年、そんな父親の元ではモーツァルトのような神童にはならなかった。


9歳になってやっと正式な音楽教育を受け、1798年に初のオペラ「愛と酒の力」を作曲する。


1804年、ヴロツワフの歌劇場の指揮者となるが、父親の投機的な性格と自身の理想主義が災いして2年で辞める。しかも硝酸を誤飲してしまい、声を失う。


1813年にはプラハ歌劇場の芸術監督に就任、1817年にはザクセンの宮廷楽長に任命される。
当時の宮廷はイタリア・オペラが主流だったが、ヴェーバーはあえてドイツ・オペラを演奏しまくる。
結果、それは成功してヴェーバーの名を世に広めた。また、ピアニストとしても地位を確立する。


1821年、ベルリンにてオペラ「魔弾の射手」を初演すると大反響を呼び、ワーグナーやベルリオーズが作曲家を目指すきっかけとなる。


1826年、ロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場から英語のオペラの作曲を依頼される。ヴェーバーは結核を患っていたが、家族を養う為に渡英して初演する。
初演は大成功したが病状は悪化、6月5日にロンドンにて客死する。


家族には病を隠していた。



作品
11歳で初めてのオペラを作曲し、「魔弾の射手」や「オベロン」などのオペラほか、「舞踏への勧誘」などの器楽曲も残す。


【魔弾の射手】
ドイツ民話を題材とし、射手の意のままに命中する魔弾(7発中1発は悪魔の望む場所に命中する)と、
結婚前の若い猟師・マックスを主人公とするドイツオペラの傑作。
ナチスは国民的オペラである本作を頻繁に上演した。



その他
平野耕太の漫画「HELLSING」に登場する主人公に銃姦された女吸血鬼は、その能力から「魔弾の射手」と呼ばれる。
彼女は劇中、「魔弾の射手」の狩人の合唱を歌っている。



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  • 名前が長いと思った(こなみ) -- 名無しさん (2014-04-06 19:54:40)
  • もともと歌手でも凄かったけど間違って硝酸飲んで喉潰したんだっけ? -- 名無しさん (2014-12-16 21:30:14)

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