宝蔵院胤栄(兵法家)

ページ名:宝蔵院胤栄_兵法家_

登録日: 2009/12/12(土) 22:15:41
更新日:2023/08/12 Sat 19:13:34NEW!
所要時間:約 2 分で読めます



タグ一覧
人物 バガボンド 奈良県 槍使い 僧侶 歴史 日本史 宝蔵院胤栄 槍術 院主 兵法家 にゃむ 十文字槍



1521年生~1607年没


戦国~安土桃山時代の兵法家。



奈良興福寺の子寺・宝蔵院の院主。


32歳の時、旅の途中で奈良へと寄った剣聖・上泉信綱に出会い、友人の柳生宗厳と共に弟子入りする。


信綱の下で武芸を学び、特に槍術の扱いに関してめきめきと実力を付けていった。


信綱が帰郷した後、更に香取神道流槍術を学び、柳生宗厳らの協力の元、九つの型と六つの奥義を編み出し、自らの流派【宝蔵院流十文字槍術】を興した。



しかし胤栄は仏に仕える身でありながら殺人術を教える事に次第にジレンマを抱き、胤栄死去の際には一番弟子に武器や稽古道具を全て預けている。



だが胤栄の跡を継いだ息子・宝蔵院胤舜は宝蔵院道場を復興。


それ以来、宝蔵院流槍術は近年まで受け継がれる事になる。



【宝蔵院流十文字槍術】


従来の槍術では、真っ直ぐな素槍を使用するものが全てであった。


しかし宝蔵院流では槍に三日月形の鎌刀を付けた《十文字槍》を使用する。


『突く、斬る、掛ける』を一本でこなすこの槍は槍の革命と呼ばれる程の兵器であり、常識を覆す物であった。



また奥義は基礎が完成された時点で教える。早い段階で教える事により、十文字槍という武器に素早く順応させる事が出来るのである。


胤舜の開発したという裏奥義は失伝している為に不明だが、胤栄の残した六つの奥義は書物(皆伝目録)が現存する。



追記・修正よろしくお願い致す


[#include(name=テンプレ2)]

この項目が面白かったなら……\ポチッと/
#vote3(time=600,5)

[#include(name=テンプレ3)]


  • 『剣豪』タグとはまた別なんだろうなあ。引っかかりやすくなると思うけど。 -- 名無しさん (2013-12-02 17:48:56)
  • 兵法家くくりでいいじゃない。 -- 名無しさん (2014-05-19 17:39:06)
  • 江戸以前の坊主って武器もちまくりだよね -- 名無しさん (2014-05-19 17:47:34)
  • 中国の少林寺も武術修業するらしいし、僧兵てヤツもいたし。話聞くと、坊主の修業って武術家より苛烈で、自然、鍛えられたろうし。 -- 名無しさん (2014-05-19 18:12:12)
  • なぜ、弁慶といい、胤舜といい、坊主は長柄武器を好むのか。 -- 名無しさん (2016-02-22 18:33:05)
  • ていうか長柄武器は普通に強いし。剣豪が刀にこだわるのがむしろおかしい -- 名無しさん (2016-02-22 20:31:39)
  • 何も知らなかった頃はなんで坊主が槍なんて当たれば即死するような得物を発明したりするんだ?と思ったものだが、本人も矛盾した行いとは思ってたんだな -- 名無しさん (2016-02-22 23:08:59)
  • まさか息子がFateに出るとは思わなんだw -- 名無しさん (2018-03-04 21:43:58)
  • ↑2 刃はダメ…? 鈍器ならセーフ! という方向性にいたった僧侶も世界的にはいるのが面白い -- 名無しさん (2018-10-22 13:15:17)

#comment

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧