登録日:2012/02/03(金) 00:02:21
更新日:2023/08/11 Fri 16:54:45NEW!
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中国 武将 歴史 中国史 金 無双 宋 南宋 楊再興 岳飛 満州 女真 完顔兀述 完顔宗弼 リアル三国無双
楊再興とは、南宋の武将。
金国(中華民族への侵略者)と戦い壮絶な最期を迎えた民族英雄的な側面から死後、京劇の素材などに使われている。
子孫には楊康や楊過がいる……というのはフィクション。
【生涯】
1104年、河南省の湯陰県に生まれる。
幼少期に父を亡くしていたが、武術に秀でており、それを見出されて四川省の栄州に割拠していた曹成の手下となった。
この曹成は武功大夫・団練使・郢州知事などを兼任していた人物だが、実際は官職を得ただけの群雄、もしくは盗賊といった塩梅だったようだ。
さて、この時代は宋帝国が北方・女真族の王朝『金』に攻められ、滅亡の危機に瀕していたころ。
しかし、宋国の主要皇族で唯一生き残った趙構、すなわち高宗がかろうじて脱出に成功し、南京に遷都して宋国を復興させていた。
いわゆる「南宋」である。
しかし、度重なる敗北で宋国の権威が失墜していたのは事実で、南宋復興とはいってもまだ国内は乱れきっていた。
そこで高宗は岳飛を筆頭とする軍閥将軍たちを駆使して、国内の反乱勢力の統一を下命。
曹成も、岳飛の討伐対象となった。
そこで楊再興は曹成の配下として奮戦。
敗北を偽って岳飛軍の先鋒・韓順夫を油断させたところで、ひそかに集めた兵で奇襲し戦死させた。
ちなみにこの韓順夫は勝利に浮かれて泥酔していたらしい。あとでそれを知った岳飛は激怒したとか。
さらに後続の張憲・王経を立て続けに撃破。この戦いで、岳飛の弟・岳翔(岳翻?)を討ち取っている。
しかし楊再興が奮戦していた一方で、上司である曹成は敗北しており、後ろ盾がなくなった楊再興は張憲に生け捕られてしまう。
岳飛にとっては弟の仇ではあったが、彼は楊再興をあえて殺さずに縄を解き、
「汝は壮士だ。吾は汝を殺さない。忠義を以って国家に報いられよ」と説得して、彼を岳家軍に引き込んだ。
この時1132年。
【岳家軍にて】
岳家軍に参戦した楊再興は、吉州の彭友・李満、虔州の陳顒、羅閑などの小軍閥平定作戦に参戦。
1133年の九月には一連の功績を認められて承節郎・第四副将などの官職を授かっている。
ただ、張憲や王経、王貴のような高級幹部ではなく、下級幹部ぐらいの感じではあったようだ。この辺は新参だからだろう。
1136年には、金国が中原に立てた傀儡政権である『斉国』を討伐する岳飛に従軍。
楊再興は洛陽方面に展開し、長水県(洛亭県)にて敵軍を大破して大量の物資も鹵獲した記録が残っている。この頃は第四副将・武経郎の地位にあった。
【金軍との決戦】
1139年、金国の皇族にして大幹部である完顔宗弼(完顔兀述とも)が大軍を率いて南下し、宋国へと進撃してきた。
岳飛もこれに対抗するべく出陣したが、完顔宗弼は岳飛の本陣の位置を特定すると、自ら騎兵一万五千を率いて強襲してきた。
その一万五千の騎兵隊に対して、楊再興は何を血迷ったのか単騎で突撃。完顔宗弼を生け捕りにしようと狙った。
当然、金軍騎兵隊の何重もの包囲に陥るが、楊再興は逆に大暴れして数百人をブチ殺し、包囲を突破して意気揚々と帰還してしまった。
もちろん楊再興も全身傷だらけになっており、切り傷は数十か所にあったという。
周泰も納得であろう。
【最期】
この戦いで敗北した金軍の大将・完顔宗弼だったが、金軍最高の名将にして金国最高の宰相とまで謳われた彼は、一度の敗戦であきらめるような男ではなかった。
臨潁に本陣を映して戦力を立て直し、なおも決戦を企画していたのである。
それに対して、楊再興は三百の軽騎兵を率いて偵察に赴いた。
だが、これまであまりにも暴れすぎて顔が知れていたのか、金軍は楊再興の動きを把握しており、たった三百の偵察部隊に対して全軍を挙げて包囲した。
金軍はこの時12万だったという。この数字そのものは誇張であろうが、とにかく三百に対して数万規模の大群で挑んだことは確かなようだ。
この『小商橋の戦い』において、楊再興たちはすさまじい奮戦によって金兵を二千人ばかり殺害。
最終的に全滅するが、金軍は最後に残った楊再興一人に向けて、誇張抜きに雨のような数の矢を連射した。
全身を余すところなく撃ち抜かれた楊再興は、ハリネズミのようになって戦死した。
死後、彼の遺体を火葬に付したところ、燃え残りから出てきた矢じりの量が桝で二升ほどもあったという。
【余談】
宋国は代々軍事力が弱く、しかもほぼ全期を通じて北方異民族の大帝国に圧迫され続けていた。
そのため、岳飛や楊再興のように『金軍相手に大暴れし、漢族の強さを大いに喧伝した英雄』は、孔子や関羽などとは別ベクトルで絶大な人気を誇っている。
特に楊再興はその最期が岳飛のようなどこか後ろ暗いものではなく、権謀術数の臭いがしない派手な戦死だったため、
実際はたかが岳飛軍の一下級武将でしかないのだが、そんなの関係ねえ!とばかりに大いに好まれている。
京劇などでももちろん人気の題材で、「小商河」など楊再興を主人公とした物語も存在する。
説岳全伝などでは楊家将一代目の楊業の子孫を名乗ったりしているが、史書では特にその様な記述はない。
この説岳全伝では楊再興vs50万の金兵と敵軍の数がさらに増えており、さらに楊再興が一人で2000人刈るとか言う訳わからん活躍になっているものもある。
また、現代の武侠小説『射鵰英雄伝』『神鵰剣俠』では「楊再興の子孫」なる設定の剣客親子が登場している。
楊姓の武闘派キャラクターとしては現在でもなおトップクラスの人気と知名度を誇る模様。
全くの余談だが、彼と同じ時代に同姓同名の「楊再興」がもう一人いる。
こっちは岳家軍の楊再興の死の14年後、宋国に対して反乱を起こしたが、すぐ捕えられてしまった。
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- 短っ!? -- 名無しさん (2015-12-12 23:16:23)
- wikipediaも短いししゃーない -- 名無しさん (2018-04-03 13:23:31)
- すまん。このページの存在意義がちょっとわからなかった -- 名無しさん (2018-06-06 11:45:48)
- とりあえずやってみた。ただ、中国語版ウィキを何とか解読したのが基本で、百度百科とかも参照したけど間違ってるのも結構たくさんあるかもしれない。 -- 名無しさん (2018-06-06 15:10:38)
- どうでもいいことだが関羽も北伐で対異民族のそれと同一視はされてないか? -- 名無しさん (2021-05-18 16:42:59)
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