ポンキッキシリーズ

ページ名:ポンキッキシリーズ

登録日:2022/09/24(土) 11:11:07
更新日:2024/06/27 Thu 10:35:06NEW!
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ガチャピン テレビ番組 フジテレビ bsフジ ポンキッキ ポンキッキーズ ムック 懐かしき思い出 遅刻確定 1960年代以降生まれホイホイ



ポンキッキシリーズとは1973年〜2018年にフジテレビ及びBSフジにて放送していたみんなが忘れることのできない子供向け番組である。
シリーズは大きく5つの時期に分かれている為、ここではシリーズごとの概要について記す。


◆番組の歴史


●1973〜1993 ひらけ!ポンキッキ時代
1969年にアメリカで誕生し、NHKで日本語吹替版が放送されていた『セサミストリート』の高視聴率に刺激を受けた当時のフジテレビ社長・鹿内信隆が、1971年よりアメリカ本国版を製作したチルドレンズ・テレビジョン・ワークショップの総合研究所に新しい幼児教育番組の開発を依頼。数年間の研究期間を経て一定の成果を収めた1973年4月から、3歳 - 6歳児向けの番組として立ち上がったのがこの「ポンキッキ」である。発達心理学の専門家にも意見を求めながら、教育番組の新しい在り方を模索した。


番組内容は、自然・社会・言葉・数・しつけ・リズム・感覚の7つのカリキュラムで構成。『セサミストリート』と同様に物語性を重視せず、進行役の“おねえさん”と番組キャラクターであるガチャピン、ムックの掛け合いを描いたシーンの合間にテンポの速いアニメーションや有名な『およげ!たいやきくん』をはじめとするオリジナルソング、踊り、文字や数字など基本的概念やしつけに関わる幼児教育について簡潔に伝えるショートスケッチ、人形や出演者の一人語り、対話、絵などを組み合わせながら、知らず知らずの内に教育効果を上げる目的で製作していた。


カリキュラム作りには、大学教授を含む児童心理学や保育学などの専門家11人がブレーンとして参加。他にも、幼稚園の教師や学生、医者など50人が随時意見を述べながら、番組作りに参加していた。


ゴールデンタイム以外の児童向けレギュラー番組(30分枠)の製作費が一本あたり30~40万円だった時代に、破格の100万円以上を投じ、企画の準備には番組開始まで2年半を費やした。ちなみに開始初期のほとんどの企画と構成台本をひとりで発案したのが当時まだ無名だった高田文夫先生で、その後は『できるかな』のノッポさんこと高見映が構成作家になる。


1973年4月の放送開始時には月曜日 - 金曜日の午後2時からの放送だったが、この枠は、開局時から主婦向けの帯バラエティ番組だった。1975年より朝8時台の放送となり、以来長年にわたり「朝の顔」として親しまれるようになる。朝の8時台に移った頃の視聴率は平均5%と決して高くはなかったが、後に一部時間帯で競合して裏番組となった日本テレビの『おはよう!こどもショー』の視聴者が本番組に移行したことで視聴率が激減した同番組を終了に追いやった以降は、朝の時間帯では民放ではほぼ唯一の子供向け番組としての地位を確立した。ちなみに『およげ!たいやきくん』が社会現象となっていた時期の視聴率は朝の本放送で16%、夕方の再放送で22%を記録した。1988年のもえみお姉さん時代には朝の時間帯で20%を叩き出している。


現在に至るまで放映された日本のすべてのテレビ番組中でもっとも受賞が多い番組でもある。


この当時は「ポンキッキの教育セット」の通信販売や「ポンキッキクラブ」というファンクラブみたいな会を組んだり、新聞「ポンキッキニュース」の発行やコンピューターによる幼児の発達診断を行うサービスもやっていた。


上記の番組内容はペギー葉山が出演していた1988年3月頃までと、うしろ髪ひかれ隊が主題歌を歌っていたそれ以降の時期で多くの変化がある。末期にはきかんしゃトーマスが開始した。


●1993〜2000 ポンキッキーズ黄金期
1992年秋に放送5000回に到達し、さらに番組開始から20周年を迎えた1993年の秋に番組は大幅にリニューアルし『ポンキッキーズ』となった。しかし、少子化や『めざましテレビ』の開始・直後の『おはよう!ナイスデイ→とくダネ!』の拡大に振り回されて放送時間が度々夕方になり、2000年代に入ってからは土曜日の朝の1時間番組に落ち着く。
初期の半年間は1時間の生放送で山田のぼる君と海田およぐ教授が、半年後には収録となり当時音楽シーンで絶大な人気を誇っていたスチャダラパーと電気グルーヴからBOSEとピエール瀧、若手女性タレントから鈴木蘭々と安室奈美恵が登場し、1994年秋にはコニーちゃんが登場。数々のP-kiesメロディも世に送り出された。
1998年度には爆チュー問題が、1999年度にはブラザートムとケイン・コスギが、2000年度にははしのえみ扮するダメな魔女エミージョが加わり、2000年度でポンキッキーズ21および2005年度への下地が出来上がった。


●2001〜2006 ポンキッキーズ(21)期
2001年春にタイトルを『ポンキッキーズ21』に改題し、ケインと入れ替わる形で当時V6メンバーだった井ノ原快彦が登場し、ブラザートムとコンビを組む。また、シンガーソングライターのイズミカワソラが声優を務める「チビミミナガバンディクート」が登場したのもこの時期である。「サタキッズ」などの視聴者参加企画も行われたり、幼稚園・保育園や児童クラブをレギュラーメンバーが訪ねる企画も行なわれた。後期は『めざましどようび』の開始でまたまた振り回されることになり、2005年度は『ポンキッキーズ』にタイトルを戻したものの放送時間が30分に戻ってしまった。ちなみにこの年度の夏にはガチャピンがアメリカのピクサーのスタジオを訪問している。


●2006〜2007 ポンキッキ期
2006年4月より『めざましどようび』が06:00開始となるため『ポンキッキ』とタイトルを改め放送時間を移動、同時に番組も大幅にリニューアルされて長らくレギュラーだった井ノ原・ブラザートム・爆チュー問題など、ガチャピン・ムックを除いたレギュラーメンバーが全員降板。爆チュー問題はCSに放送波を移して継続した。


リニューアル後の『ポンキッキ』は完全なローカル番組となった上、全ネット局で同時間での放送では無くなってしまい、さらに『ひらけ!ポンキッキ』からネットしていた一部系列局がネットを打ち切った。


この年度は新たにウエンツ瑛士が加わったが、「P-kiesウィンドウ」やスタジオセットが無くなり、外ロケ中心となった。


そして2007年春でポンキッキは地上波から撤退する。


●2008〜2018 BS放送期
1年間シリーズが中断されてしまった後、2008年春からはBSに場所を移して再開。Beポンキッキ→Beポンキッキーズ→ポンキッキーズとタイトルを変えながら10年間続いたが、2018年春で放送を終了。同時に45年間続いたポンキッキシリーズ自体も幕を下ろす事になった。


同年7月、後継番組としてガチャピン、ムックがメインを務める「ガチャムク」が放送開始。現在もポンキッキの意思は生き続けている。


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  • 1993~2000年の黄金期は当時幼稚園通ってた自分には超ぶっ刺さってたわ。てかあの時期は天才てれびくんとか子供向けの番組が強すぎる -- 名無しさん (2022-09-24 11:24:44)
  • 2018年までやってたことにビックリした。 -- 名無しさん (2022-09-24 12:15:50)
  • そういえばこの番組ではしのえみとか知ったんだよなぁ -- 名無しさん (2022-09-24 12:20:50)
  • 70年代から放送されてたんか…。 -- 名無しさん (2022-09-24 14:15:01)
  • 運の悪いヒポポタマスとかポポとか強烈な楽曲も多い -- 名無しさん (2022-09-25 00:18:23)
  • スチャダラ起用したり電気の曲流したり、当時のフジはマジでハイセンスだったんよ -- 名無し (2022-10-23 01:35:09)
  • 90年代半ばから徐々に年齢層が逆転したな。理由はいわずもがな -- 名無しさん (2023-12-06 18:00:20)

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