登録日:2021/07/06 (火曜日) 12:24:41
更新日:2024/05/30 Thu 11:39:23NEW!
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バケモノの子 長男 兄 宮野真守 ネタバレ項目 猪 鯨 一郎彦 黒木花
「僕はまだ子供だけれど、しっかり修行していつか父上のような長い鼻と牙の立派な剣士になるんだ」
アニメーション映画『バケモノの子』の登場人物。
CV:黒木華(幼少期)、宮野真守(青年期)
概要
人間とは対を成す種族・バケモノの街・「渋天街」の次期宗師の有力候補者である猪王山の長男。
弟には二郎丸がいる。
父・猪王山を生き写たかの如く文部両道に秀でリーダーシップも抜群な秀才で、周囲からの信頼も絶大である。
本人も猪王山を誰よりも尊敬しており、将来は彼のような威風堂々とした剣士を目標とし、日々精進している。
特例で渋天街に住むことになった人間の子供である九太に対しても、彼の居住当初から気遣っており、二郎丸らに虐められていたところを助けたり、次期宗師を決する闘技試合の前日に九太が自宅に訪れていた際には「あまり長く留めておくのは良くない」と彼を玄関先まで送り迎えしている。
8年もすると、長身*1の好青年に成長。
街でも相当な秀才と見込まれなければ受講することができない高等教育を受けることを許されており、それ故並のバケモノでは身につけられない*2人間と同レベルの読解力を習得している。
名前の一字である「彦」は才徳に優れた高貴な身分の男子を表す敬称である意味合いがあり、
このことから恐らくは猪王山の跡取り息子であると思われる*3。
追記・修正よろしくおねがいします。
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(※以下、ネタバレ注意)
父上…
どうして私の鼻は父上のように長く伸びないのでしょうか…?
どうして私には父上や二郎丸のような牙が生えないのでしょうか…?
正体
一郎彦は猪王山に育てられている人間の子供。
故に彼は猪王山の実の息子ではない。
事の経緯は彼が物心付かぬ生後9ヶ月の乳児の頃、実の親によって人目に付かぬ路地裏に遺棄されていたところをその泣き声を聞きつけた若き日の猪王山に発見される。
周囲の人間が誰もその赤ん坊を気に掛けなかったことから彼はこの子供が薄情な人間界では思うがままに育たないと悟り、自らの子としてやむ終えず育てる決心をする。
無論バケモノ界で異種族、それもかつて不穏分子と見做され放逐された人間がバケモノ社会で暮らすとなればその風当たりは強くなるであろうことは想像に難くなかったことから、
猪王山は一郎彦の正体を周囲は勿論、本人にすら極秘にし、飽くまで彼をバケモノとして育てようとしたのである。
しかし成長するに従って次第に人間であることが明確になるようになり、いつしか一郎彦は自らの正体に感付き始める。
そのため彼はその疑問を何度も猪王山に尋ねるようになったが、当の彼は「心配することはない」、「お前は私の息子だから」などと曖昧に返答するばかりで明確な答えは得られず、更に猪王山はその社会的地位の高さ故に多忙で一郎彦と真摯に向き合う機会も限定されていったことから、次第に両者の意識にすれ違いが生じるようになった。
そして一郎彦は次第にその不信感から自らの心に"闇"を宿すようになり、成長するにつれてそれは増大するようになる…。
ちなみに物語序盤から彼の正体に関する伏線は随所に見られている。
描写は以下の通り。
- 熊徹が人間(九太)を弟子にして育てようとすることに対して、猪王山が矢鱈と必死で反対する。→人間はバケモノと思想や文化が根本的に異なる異種族なため反対すること自体はなんら不自然ではないが、この時の彼の反応は明らかに度がすぎていた*4。恐らく九太の存在によって一郎彦は自らの正体を悟るようになり、闇が更に増幅することを懼れていたためと思われる。
- 一郎彦は念動力が使える、という二郎丸の証言。→そもそも念動力を使用できるバケモノ自体が希少であり、その者はいずれも宗師の座に就いていたことから、子供である一郎彦が念動力を扱えるのは不自然である。
- 上記の二郎丸の台詞に対して、念動力の使用を拒否する一郎彦。→本人は「力は見せびらかすのではなく優しさのためにある」という猪王山の教えを口実にしていたが、並みのバケモノは念動力を扱えず、その上人間が扱う念動力はバケモノのものとはタイプが違うため、ここで披露すると正体が露呈する可能性があった。
- 青年に成長すると、口元をマフラーで覆い隠すようになる一郎彦。→言うまでもなくこの時点で容姿が人間のそれであることが浮き彫りになったことから、正体を隠すための手段である。
尚、そもそも幼少期の時点から彼の顔は人間のそれであったことから、上記で挙げた伏線の数々も相俟って序盤の時点で一郎彦=人間であることを察した鑑賞者は少なくなかったと思われる。
凶行
そして彼の正体は最悪の形で世間に露呈することになる。
次期宗師を決する闘技試合で、猪王山が熊徹に敗北。
誰もが尊敬する誇り高き父・猪王山が、乱暴な半端者である熊徹に敗北するという、本人にとってあまりに受け入れ難い結果に逆上した一郎彦は、自身の念動力で猪王山の剣を操りそれを熊徹に突き刺すという凶行に及び、闇の念動力でその場から消滅するかの如く逃走。
その後、九太を追う形で人間界の街・渋谷へ襲来し、そこで彼と戦闘となり、強力な闇の力で九太を一時退ける。
そしてその場に落ちていた『白鯨』の小説を目にすると、その姿を巨大な鯨へと変貌させ暴走し、街を混乱に陥れる。
その余波はバケモノ界にも及んでおり、最早人間界のバケモノ界は存亡の危機に瀕していた。
九太と楓を追って代々木体育館に辿り着くと、九太を抹殺すべく彼に襲い迫るが、そこに付喪神に転生した熊徹が現れ鯨は瞬く間に弾き飛ばされる。
そして鯨が出現する直前に本体である一郎彦が一瞬だけ姿を現すという弱点を見抜かれると、熊徹と一体化し闇に対抗できる力を得た九太の渾身の一撃を受け昏倒。
闇は熊徹と九太の心の剣というなにものにも勝る力によって消滅し、鯨も成す術なく消え果てたのであった。
惨事が一段落すると、宗師・卯月とその他の渋天街の元老院議員たち*5で一郎彦の今後の処遇に関する会議が行われる。
彼は人間であるのに加え、自らの闇に呑み込まれ世界を滅亡の危機にさらしたことから人間界に帰す*6という案もあったが、同じ人間の九太が己の闇に打ち勝ち世界を救った功績から、猪王山の監視を受けながら生活する(所謂、保護観察処分)という極めて軽微な処罰に収まった。
それは即ち、社会的評価こそ下がったとはいえかこれまで通り猪王山とその家族の元で暮らせるということであり、この温情極まりない判決を聞いた猪王山は涙を流したという。
結果として彼は九太と熊徹によって救われたと言えよう。
人物評
バケモノに育てられた人間という九太と同様の境遇にありながら、一郎彦はそれがコンプレックスとなるあまり闇堕ちするという、彼とは対照的なキャラクターである。
一郎彦が九太と違い闇堕ちしてしまった最大の要因としては、育ての父である猪王山とのすれ違いであろう。
彼は日頃より養父である熊徹と接し合えていた九太と違い、社会的地位の高い家庭で育ち尚且つその後継者でもあったが故に格式の高さを求められたため自らの本心を上手く表現できず、上記のように猪王山も日頃の多忙さから一郎彦とあまり真摯に向き合えなかったため、結果二人の意識にすれ違いが生じてしまった。
そうして鬱憤を晴らすこともできず、人間でありながらバケモノ界で暮らしているという負い目も重なり次第に彼の中の闇が増幅していき、次期宗師の座を巡る決戦で猪王山が敗北したことがトリガーとなり、暴発し暴走に至ってしまった。
皮肉なことだが、猪王山、引いては宗師の素質の一つである慈愛の精神が裏目に出てしまったと言えよう。
実はあった救いの可能性
しかし必ずしも不審感を解消できる機会に恵まれなかったのかというと決してそんなことはなく、再三記述する様に同じ境遇下にある九太にだけでも自らの正体と悩みを打ち明けていれば、彼はそれを快く受け止め、悩みに真摯に応えていたであろうことは間違いない。
九太は日頃の努力と周囲への振る舞いの良さで次第に渋天街の住民たちに受け入れられていったため、尚更であろう。
更に彼自身もまた、相当優秀と見込まれた者だけしか受けることのできない高等教育を受講している程の秀才と認められているため、仮に次期宗師の決着以前に正体が露見したとしても、九太の社会的評価も相俟って世間のバケモノらは大して気に留めることはなかったと思われる。
つまり、一郎彦が人間であることを憂いる要素は作中後半の時点で既に消失していたのである。
尚、こうした渋天街の人間への偏見意識が改善されたのは、言うまでもなく宗師・卯月が九太を熊徹の弟子として街に住まうことを許可したことが始まりであることに他ならない。
劇中では明言こそされていないが、彼がこうした対応に出たのは、九太が成長し街で評価されるようになることで、一郎彦のコンプレックスを解消する意図があったためと思われる。
九太の評判が広まれば、必然的に人間に対する評価も見直されるため、そうすれば一郎彦が人間であることに悩む必要性もなくなるのは勿論である。
このように、世間的には彼が人間であることに負い目を感じる環境はストーリー中盤時点で皆無に等しかったが、
当の一郎彦はというと、それでも尚自らのコンプレックスから逃げようとするばかりか、最大の救いの存在である九太を嫌悪し逆恨みする有様であった。
そして挙げ句の果てに、次期宗師決定の決戦の場で猪王山が敗北すると、自らの闇の念動力で勝者の熊徹を殺害しようとし、更にはその後人間界を襲撃して数多くの無関係かつ罪のない大勢の人を巻き込んで世界を崩壊の危機に晒したのである。
即ち一郎彦は自らが救われる可能性がふんだんにありながら、自らの弱さと至らなさに向き合う勇気が持てないあまりにそれを自分自身の手で潰してしまったことに他ならない。
次いでに述べると、仮に熊徹を死に至らしめられたとしても、熊徹の勝利という試合の結果が変わることはない。
それどころか、熊徹が死亡し猪王山が勝利するという彼の理屈は、猪王山は熊徹よりも弱いことを意味しており、本人はこの時「父上、あなたの勝ちです」と豪語していたが却って彼の敗北を決定付けてしまっている有様である*7。
またこの際一郎彦は自らの念動力を用いているが、その場面は大勢のバケモノが集まっていたことから、猪王山が彼に繰り返し解き尚且つ本人も口にしていた「力は見せびらかすためではなく優しさのためにある」という教えに完全に反している。
このことから熊徹への傷害行為は猪王山を勝利させようとするばかりか、逆に彼の敗北を明確にし、そしてその誇り高さにさえ泥を塗るという正に恩を仇で返す親不孝な愚挙だったと言えよう。
劇中で九太と熊徹を散々「ひ弱な奴」だの「半端者」だのと罵っていたが、その二人は最終的に自らの弱さと至らなさを受け入れ成長しその上彼を労ったのだから、
この罵詈雑言は完全なブーメラン発言である。
他にも、弟の二郎丸は一郎彦よりも能力は劣っていたが、彼が人間と発覚しても尚自らの兄と慕っていたことから、
精神面ではかつて腰巾着の存在だった二郎丸にさえ後れをとっていたことになる。
また直接的な接点こそないが、人間界の楓は秀才であるにもかかわらず親との関係性は希薄で満たされない日々を送っていたという、一郎彦と似通った家庭環境で育っていたが、その鬱憤を解消できる存在が九太であることを悟るや否や、彼に勉学を教えるという自らの能力を他者に役立たせるために用いることで強く成長し、自らの弱さも解消した。
まさに一郎彦は劇中に於ける、己の弱さを恐れるあまり凶行を犯してしまう愚かな人間を象徴する人物であると言えよう。
因みに、彼の変貌した怪物である「鯨」はその姿こそ巨大であるが、実態は一郎彦という一人間を核としている上にその一郎彦を攻撃されるとあっさり倒されてしまったことから、鯨はプライドと力への執着だけが肥大化し、性根そのものは小物のままという彼の心理を体現した存在であると考えられる。
実際、楓からは「あなたはそんな姿をしてるけど、報復に取り憑かれた人間の闇そのものよ」と指摘されているが、正にその通りである。
以上のことから、もし仮に彼に追放処分が下ったとしても、文句は言えなかったであろう。
九太と熊徹には本当に感謝すべきである。
尚、一郎彦の処分が軽微なもので済んだその他の要因としては、一つにそれまでの評価が良かったためと考えられる。
劇中での九太や二郎丸といった彼を取り巻く者たちの日頃の態度を伺うと、表面的な関係性は良好だったと思われる。
実際終盤の豹変ぶりには九太や二郎丸は勿論、その他の住民たちですら大いに動揺していたのだから、内心では鬱憤を溜めつつも、日頃は周囲に愛想良く接し秀才に相応しい振る舞いをしていたのであろう。
また彼は再三述べるように高等教育の受講を許された秀才であるため、そのような将来有望な人材を追放してしまうには街の有力者たちからしても惜しいため、こういったところも考慮されたのであろう。
さらに追放したとしても、その島流し先である人間界では一郎彦の身寄りはないと考えられ、バケモノ界に戻ることも許されないとなれば彼はそこで再び闇を宿して今度こそ取り返しのつかぬ惨事に発展する可能性もある。
これらのことから、結局は人的被害を出していないことも加え、現状様子見という措置が最も妥当であったと思われる。
熊徹と九太の種族の壁を超えた大いなる絆に焦点を当てた本作であるが、別視点から見ると、主人公と同じく異種族の社会で育った人間でありながら、育ての父とのすれ違い故に生じた弱さから逃げ続けた挙げ句取り返しのつかぬ過ちを犯すも、その弱さを乗り切った九太に救済され更生のチャンスを得る物語であったともいえるだろう。
何が!いい項目だ!?ふざけるな!
お前や!熊徹みたいなwiki籠りは!wiki籠りらしく追記・修正してろ!
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▷ コメント欄
- やたら改行と空白多いし、しかも変なとこで切るから読みにくいわ -- 名無しさん (2021-07-06 12:44:50)
- まあせめて九太に謝るぐらいの描写は欲しかったかな。猪王山の過度で間違った気遣いが大きく関係しているとはいえ、あんだけ暴れたのは個人の感情でしかないし、償える罪はちゃんと償うべきだったかも -- 名無しさん (2021-07-06 18:25:58)
- 九太がバケモノから認められたのに対する -- 名無しさん (2021-07-06 21:53:33)
- ↑ミス 嫌悪と逆恨みとあるが、自分は人間であることを隠し続けてきてそれにコンプレックス抱いているのに人間のまま評価されている九太に嫉妬するのは自然なことじゃね。 -- 名無しさん (2021-07-06 21:57:32)
- そもそもの原因である猪王山が後半出ず息子のことを他人の九太に任せきりにしたのもこの作品の不満の一つ -- 名無しさん (2021-07-06 23:31:13)
- 九太は救いの可能性でもあったが、同時に九太が現れなければ一郎彦の日常も壊れなかったかもしれんのよな。種族のコンプレックスだけは如何ともし難いけど… -- 名無しさん (2021-07-07 10:35:01)
- 正直悪く書きすぎやろって気がするな…、養子ってかなりアイデンティティに悩むらしいしそこに種族の違いやらがきたら闇落ちしても仕方ないって感じだし -- 名無しさん (2021-07-10 00:19:58)
- 顔を隠してたのって、正体を伏せるとか伏線とかいうよりも、鼻も牙も伸びないことに単純なコンプレックスからだったのでは…と思う -- 名無しさん (2021-07-10 02:38:39)
- 物語開始時点で自分が人間だと悟っていたっていうのは無理がない?いつか父上のような立派の戦士になるというセリフの段階では、素直に自分の成長が遅いだけと信じてるように見えるんだけど。それともノベライズとかで言及されてる? -- 名無しさん (2021-07-11 01:12:48)
- ↑補足、「人間、あれが」と睨みつけてるとあるけど、あれも純粋な驚きの範疇な気がする。彼らにとっては伝説上の生き物みたいなものだし -- 名無しさん (2021-07-11 01:18:38)
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*2 バケモノ界では人間の開発した文字は「死物」と蔑まれているのが一般的な価値観であり、ほとんどのバケモノは読解力を持たない。一応渋天街には教育施設で人間についてを学ぶ授業がありそこで文字も習うが、最低限の読み書きが出来る程度しか教わらない。
*3 二郎丸の「丸」は平安時代の一般的な男性名である「麻呂」が転じたとされている平凡な名であることが、彼の立場をより伺わせている。
*4 その理由として闇の存在を挙げていたが、バケモノは永らく人間と交流を絶っていたために大半の者はその危険性を把握しきれていないと考えるのが自然である。そもそも単に反対するだけであれば感情的に訴えかける必要もない。
*5 ただし事件の一因を作った猪王山は除外されていると思われる。
*6 聞こえはいいが、要するにバケモノ界からの追放処分である。
*7 もし本当に試合の結果が不服に思ったのであれば、責任者に抗議して判定のやり直しを要求するのが最善策だろうし、そうした方が寧ろ猪王山の勝利を証明できたであろう
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