登録日:2020/06/21 Sun 18:05:48
更新日:2024/05/20 Mon 10:47:06NEW!
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うつし世はゆめ
よるの夢こそまこと
『江戸川乱歩*1』(1894~1965年)は、大正時代~昭和中期頃まで活躍した日本の推理(探偵)小説家である。
本名:平井太郎
出身地:三重県名張市
筆名の江戸川乱歩は、米文学の始祖的存在にして、世界で初めて探偵小説を書いた作家として、乱歩も憧憬を抱いていたエドガー・アラン・ポー(1809~1849年)に肖ったものである。
日本の探偵、推理小説の開祖とも呼ぶべき御方であり、乱歩の登場以前にも日本でも探偵、推理小説にカテゴリー出来る作品を書いている作家は存在して居たものの、内容的にも系統的にも本格的に“ミステリー”と呼べるジャンルを日本に広め、定着させたのは乱歩であり、多くの功績から“大乱歩”と呼ばれた。
乱歩自身の作風は、当人が望んでいたような“本格派”*2…というよりは、古典的でロマン溢れる探偵、犯罪、幻想、怪奇、冒険小説にカテゴリー出来る作品の方が多かったのだが、自身で小説を執筆する以外にも、数多くの海外ミステリーやラブクラフトなんかのホラーまでもの翻訳、紹介といった方面でも活躍し、年齢を重ねてからは自ら廃刊間近のミステリー小説雑誌の立て直しに尽力したり、才能ある若手ミステリー作家を世に出すための努力をしていた。
そういう意味では、乱歩自身の作品全般にも隠しきれずに滲み出ているが、相当に凝り性というか、オタクというか、とにかく斯界の大物である一方で、何処までも初心忘るべからずのマニア的志向の強い御方であったようである。
後年となると、数々のメディアミックスもされた子供向け作品の『少年探偵団』シリーズを生み出し、乱歩の小説を猟奇耽異の世界の入り口とする未来の創作家達を多く生み出した。
実際、ミステリーのみならずホラーやアダルト系まで、多岐に渡るジャンルに於て乱歩作品から影響を受けたと公言する人間は多い。
日本推理作家協会初代理事長。
正五位。勲三等受賞。
【来歴】
■江戸川乱歩の誕生まで
1894年(明治27年)10月21日。三重県名賀郡名張町(現:名張市)の郡役所書記であった平井繁夫と、妻きくの長男(四人弟妹)として生まれる。*3
平井家は武士の家系で、先祖は伊豆伊東の郷士。
後には津藩の藤堂家に仕え、それこそ乱歩の祖父の代までは歴とした藤堂家の藩士、つまりは侍であったという。
祖父は明治初年には藤堂家の執事にも取り立てられており、相当に信用のある家柄だったのかもしれない。
乱歩は武士の家系にこそ生まれたが、案の定というか性格的にも肉体的にも余り健康的な子供ではなかったようである。
よく熱を出し、病みついた時には外を眺めてぼんやりと空想に耽るような子供だったそうで、本もよく読んでいた。
乱歩の本好き、殊にミステリー好きは母の影響が大きく、母きくは後に乱歩も好んで読んだ黒岩涙香の翻訳小説を秋の夜長に読み耽るような人であったという。
乱歩自身がミステリーに初めて触れたのは小学生三年生の時に母に読み聞かせてもらった、新聞連載の菊池幽芳訳『秘中の秘』で、六年生になると自分でも好んで探偵小説を読むようになった。
少年時代のお気に入りの作品として黒岩涙香の翻訳小説や押川春浪の空想科学的冒険小説を挙げており、これらの作品が後の創作にも大きな影響を与えたことが窺える。*4
貸本屋の常連で、中学生の時には祖母と泊まり掛けで熱海に海水浴に行ったのに、当地の貸本屋で未読だった涙香の『幽霊塔』を見つけてしまい、結局は宿に籠ったまま一度も海に入らずに帰ったことさえあったという。
この頃の乱歩は、遂には活字への憧れから小遣いで鉛製の拍子木を買い集めるようにもなり、簡単な印刷機まで購入して友達を集めては編集会議を開き、インクまみれになって印刷を楽しむようになった。
小説家であると同時に、企画屋でもある性分はこの頃より発揮されていたと言える。
一家は裕福であったが、乱歩が旧制中学を卒業する頃に父が事業に失敗。
乱歩は朝鮮の開拓事業に再起を賭けた父に連れられて馬山に渡るも。政治家になる夢を抱いて単身上京。
湯島で活版工見習いとして住み込みで働きつつ、早稲田大学の予科の編入試験に合格し、翌年より経済学部に入学。十九歳の時だった。
大学で経済学を学び始めると、勉強の方が面白くなり、経済原論より始まり、欲望論や価値論と人間その物の研究の方に惹き付けられ、政治家になる夢はあっさりと捨てた。
また、大学時代よりポーやコナン・ドイルと出会い、本格的な推理小説を好んで読むようになり本の虫が再発。
友達とミステリー同人誌『白虹』を作って回覧したり、お手製のミステリー研究本『奇譚』を作ったりしている。
更には、原書を漁って自分で翻訳する序でに、暗号の専門書なんかも翻訳、研究し、この時の知識が後にデビュー作となる『二銭銅貨』を書かせた。
二十二歳の頃には、初めて自作の探偵小説『火縄銃』を執筆しているが、習作として下書き止まりとなった。
大正5年。二十二歳で早稲田大学を卒業。
実は、アルバイトに明け暮れていて余り授業には出なかったのだが、本の虫で読書序でに図書館には足繁く通って勉強も善くしていたので成績はよく、卒業論文も洋書を読み漁って得た知識で独創的な物を書いたので、卒業成績も三、四番位だった。
卒業後は渡米して作家となる夢を抱いていたものの資金繰りに苦労して果たせず、故郷の川崎代議士の紹介で初めに就職した大阪の貿易商社(加藤洋行)もサラリーマン生活に慣れることが出来ず、一年程で辞めている。
その後、大阪に居ついていた父の元に転がり込みタイプライターの行商を経験。
そして、次に鳥羽造船所電機部(現:シンフォニアテクノロジー)に縁故で就職した。
会社では庶務課に配属されたのだが、やっぱり朝起きてから勤めに出る生活には慣れることが出来ず、押し入れに引き籠って無断欠勤することもあった。
しかし、上司に気に入られていた乱歩は社内誌の編集に回されて、本来の仕事はそっちのけで地域交流の一環として子供達にお伽噺を聞かせる活動に回される等しており、決して恵まれない環境に居た訳ではなかった。
しかし、この頃のどうにも鬱屈したいじけた思い出が数年後に『屋根裏の散歩者』を書かせることになる。
因みに、この活動の中で坂手島の小学校で教員をしていた生涯の伴侶となる村山隆子と知り合い、将来の約束をしている。
また、この頃に一緒の下宿に居た探偵小説趣味の同僚と共に探偵小説の原案を売り込もうとしたり、日本初の探偵小説専門雑誌を発刊する計画を新聞広告に出したりしたが、数年とはいえ時期が早すぎて失敗している。
因みに、乱歩自身の小説も掲載するつもりで、筆名を“江戸川藍峯”としていた。
とはいえ、そんな調子だったので前述のように上司は大目に見てくれていたものの、結局は一年四ヶ月程で辞表を提出。
以降は弟二人と団子坂(後のD坂である)で古本屋を開いたり、漫画雑誌の編集をする序でに自分でも漫画を描いてみたり、支那そば(ラーメン)屋の屋台を引く等、貧しいながらも気ままに暮らしていた。
しかし、そこに隆子が押しかけてきて結婚。
所帯を持っては屋台も引いてられないと、伝を頼って東京都の吏員として再就職するも、やっぱり朝に起きる生活は苦手で半年で辞めてしまうと、古本屋を閉め、東京と大阪を行ったり来たりしながら新聞社で働いたり、ポマード製造工場の雇われ支配人をやったりしていた。
伝だけはあるので再就職には困らなかったようだが何れも長続きせず、流石にこれはいけないと自分でも感じたのか、休職の合間に本腰を入れて小説を書き始めた。
因みに、この時期に本物の探偵となる為に岩井探偵事務所(ミリオン資料サービス)に就職しようと試みて実際に勤務したことがあるが、正式な採用はされず小説家への道と進むことになった。
そして、一月程をかけて『二銭銅貨』と『一枚の切手』を書き上げると、国内外の探偵小説を多く載せるようになり、自身も愛読していた『新青年』に送付。
これが編集長をしていた森下雨村と医師で作家の小酒井不木に絶賛され、大正12年。二十九歳で作家江戸川乱歩が誕生することになった。
当初は、専業作家となるか否かでも悩んだとのことだが、幸いにも次々と発表された作品は何れも好評だったので、三十歳の時に当時勤めていた大阪毎日新聞広告部を辞め、平井太郎は江戸川乱歩として生きていく決意をするのであった。
■デビュー以後
こうして、作家デビューした後の乱歩は先ずは『新青年』にて短編を発表していく。
乱歩の代表作として人気の高い作品は、実は多くはこの頃に集中している。
一方、デビュー作となった『二銭銅貨』の様な鮮やかな推理を主題とする作品はなかなか書けるものではなく、直ぐに乱歩の作風は持ち前の異常心理や怪奇嗜好を発揮したインモラルな物へと傾いていったが、読者は寧ろ作風の変化を喜んだ。
この時期の『鏡地獄』や『人間椅子』に代表される、推理物でありつつも同時に幻想、怪奇趣味を押し出した作品は変格物と称されている。
森下の紹介で『写真報知』や『苦楽』にも作品を掲載出来るようになったが、それらでは更に通俗性を増した内容へと変化していった。
そして、大正15年(1926年)12月より、朝日新聞に明智小五郎が活躍する初の長編連載『一寸法師』を発表。
これは、予定されていた山本有三の代役であったが、読者からは好評で映画化もされた。
……が、準備期間も置けない中で毎回の思いつきで何とか乗り切った同作を乱歩本人はどうしても認められず、昭和2年に最初の休筆宣言をすると一年以上に渡り各地を放浪した。
一方、家族を困窮させないようにと下宿屋を開くと夫人に経営を任せ、これを家族の食のたづきとさせた。
この時の経験から、乱歩は自分の作品に嫌気がさした時には何処かへと放浪するという行動をとるようになるが、それが出来る程に経済的に恵まれた作家であったということである。
そして、昭和3年に横溝正史が編集長となっていた『新青年』に『陰獣』を発表して復帰。
乱歩自身について回った噂話をメタフィクションとして取り込みつつ、読者の目眩ましにすらしてしまうという傑作中編は自ら担当に回った横溝は勿論、読者にも大好評で、雑誌は異例の三版を重ねる話題作となり乱歩の復活が歓迎された。
一方、翌年より予てより依頼のあった『講談倶楽部』で『蜘蛛男』の連載を開始。
『一寸法師』より更にエンタメに振り切った作品は通俗物と称され、以降の乱歩の活動の主軸は本格推理物や幻想的な短編よりも通俗物の長編に移っていく。
相変わらず世間からのウケは良かったものの、元々の自身が目指していた方向性からは大きく外れていく通俗長編の連発に対しては乱歩も考える所があったのか、昭和7年(1932年)に二度目の休筆。
この休筆の時には時代柄、凄惨な事件が大袈裟に報道されることもあり、そうした事件が起きると直ぐに乱歩の小説が引き合いに出されるばかりか、乱歩が犯人なのではないかと疑う意見すら出たことに辟易したからとも言われている。
この時には、印税のみで十分に食っていけるようになっていた為か、妻子を連れて長期の旅行にも出掛けている。
三度目の休筆となったのは昭和14年(1939年)で、戦時体制下にて『芋虫』が警視庁より全面削除を命じられる等、創作を自由に出来ない息苦しさに嫌気がさしたからだった。
以降、乱歩は戦後まで子供向け作品しか執筆しなかった。
尚、このことについては、通俗長編に慣れすぎてしまっていたのかスケジュールの都合か、本格派の長編を目指してスタートさせた『悪霊』が、結局は思いつきによる見切り発車で先の展開に行き詰まり未完に終わり、探偵小説文壇でも擁護されずに叩かれたこともあるのだろう。
乱歩は、日本のミステリーの勃興の父といえるが、自身の目指していた本格派からは外れた作品も多く残した。
乱歩が、そうした作風に傾いていったのは、そうした作品が普通に面白かったのは勿論、当時の世相がエログロ・ナンセンスを好み、戦争の影も近づく退廃的な様相を呈していたことも無関係では無いだろう。
事実、乱歩の作品の内で現在でも評価が高いのは『新青年』に載せられるような、比較的に初期に描かれた本格的な推理や、怪奇趣味を打ち出していても、思考的な試みが可能な作品ばかりで、通俗長編は呼び名の通り“通俗”と一纏めにされ、思いつきで展開を考える為にプロットが破綻している質の低いものが多かった。
それは乱歩自身も認めている事実であり、だからこそ当人も悩んでいたのだが、乱歩の名前と本人の苦悩とは裏腹に世間で持て囃されるそうした人気作がミステリーの市場を拡大させていったのである。
そして、この構図は子供向け作品としてスタートした『少年探偵団』シリーズにも同じことが言える。
怪人二十面相は怪盗ルパンにインスピレーションを得た乱歩が生み出した日本産の怪盗紳士であったが、乱歩が“必須科目”では無くなった世代の子供にも名前だけなら知られていた程だったし、それと戦う少年探偵団と明智小五郎は当時の子供達の最大のヒーローであった。
少年探偵団は戦後になると、ラジオ、映画化とメディアミックスが開始され、それが再び乱歩の全集の売上を上げることにも繋がったという。
乱歩を題材とした漫画作品というと、ホラー系の作家によるコミカライズが思い浮かぶが、初期には藤子不二雄や横山光輝が少年探偵団ものの漫画化に挑んでいる。
■評論家、翻訳家として
元々、自分で辞書を片手に洋書を読み漁る程の本の虫であることもあって、乱歩は自身の作品の出来には悩み続けていた一方で、ミステリーを見る目については晩年まで確かで、寧ろ書けなくなってからは評論家や翻訳家、プロデューサーとして活躍した。
戦後すぐの日本は敗戦国であることから、探偵小説の先達とも呼べる米英仏から正規の国際為替取引が不可能だったのを、自身がエラリー・クイーン(フレデリック・ダネイとマンフレッド・リー)の『神の灯火』を『黒い家』と翻訳して発表した時に生じた問題を解消出来るようにとクイーン自身に訴えたのだ。
当時の乱歩は日本探偵作家クラブ会長で、クイーンは全米ミステリー作家協会(MWA)の会長であり、図らずも世界的には知られていなかった日本人の書いたミステリーが知られる切っ掛けとなり、江戸川乱歩の名は『クイーンの定員』の中で欧米の著名作家に交じって番外として紹介され、乱歩の名はミステリーの本場の米国でも知られるようになった。
他にも、乱歩は戦後の日本に居た外国籍の作家とも交流を持ち、彼等を通して母国にミステリーを広めたり、日本に作品を紹介する等していた。
晩年には、推理小説専門雑誌であった『宝石』の経営悪化に伴い、自ら私財を投じた上に雑誌編集に深く関わるようになった。
元々、自身で編纂した推理探偵小説を世に出したいと願っていた乱歩はこの仕事に打ち込み、実際に『宝石』の赤字解消を成し遂げるも、余りの激務で体を壊してしまうことにもなった。
結局、乱歩の手を離れた『宝石』は昭和39年に廃刊。
乱歩自身も、廃刊した翌年の昭和40(1965年)に七十歳でくも膜下出血でこの世を去った。
また、戦後は新人発掘にも積極的で高木彬光、筒井康隆、大藪春彦、星新一等を発掘したことでも知られる。
因みに、戦前から交流があり、乱歩によって東京に定住するようになった横溝正史は年齢差もあって後輩として扱われることがあるが、実際の文壇デビューは乱歩より先である。
また、上記の『宝石』では推理小説専門ではない文壇の作家(石原慎太郎や遠藤周作、谷川俊太郎)にも推理小説を発表する機会を与えたことでも知られる。
また、元々は乱歩の寄付により54年に設立された江戸川乱歩賞は、現在まで推理作家の国内最大の登竜門として知られ、ある受賞者*5は編集者より“直木賞を受賞して消えた作家は居ても乱歩賞を受賞して消えた作家は居ない”と言われたことを明かしている。
受賞者には何故かシャーロック・ホームズ像が渡されていたが、第49回(2003年)より、日本推理作家協会常任理事の井沢元彦の呼び掛けにより乱歩像に変更された。
■死後
乱歩自身の死後も、乱歩自身の創作のメディアミックス、ミステリーや、それ以外のジャンルであっても乱歩からの影響を公言する作家による作品で乱歩の名は言及され続けている。
前述の様に乱歩により世に送り出された作家も多く、江戸川乱歩賞の受賞者も含めれば、今も尚、乱歩は日本ミステリー界の父であり続けていると言える。
80年代以降となると、エキセントリックな乱歩の作風と、風評もあるとはいえ怪しげな乱歩自身のキャラクターはサブカル方面でも持て囃されるようになった。
大正~昭和初期を題材とした創作に乱歩の名が登場するのは、最早お馴染みと言ってもいい。
ミュージシャンでは、その名も『人間椅子』が87年にデビューしている他、よりメジャーなバンドだと『筋肉少女帯』を率いていた大槻ケンヂが乱歩をテーマとした歌詞を幾つも書いている。
彼等もまた、自分達の活動を通じて乱歩を啓蒙した“作家”達である。
横溝作品と同様に、社会派ミステリーが流行した一時は古臭く馬鹿らしい作品と見なされることもあった乱歩作品だが、サイコサスペンスが持て囃された世紀末以降は再び先見性のある作風として脚光を浴びるようになった事実もある。
【引っ越し】
乱歩と言えば、生涯に46度も引っ越しをしたことでも知られている。流石に、かの葛飾北斎の93回には及ばないが。
最初の引っ越しは物心の付く前の2歳の頃の話であったが、以降は短期間で引っ越した場合でも住所ばかりか家の間取り等も小まめに書き残している。
尚、作家となってからは引っ越しの回数こそ多いものの、殆どは母校の早大の近隣に限られていた。
そして、40歳の時に現在でも乱歩邸(旧江戸川乱歩邸)と紹介される豊島区西池袋に引っ越したのを最後に、子息の平井隆太郎氏の代まで一家はここに定着した。
作風から、土蔵に閉じ籠ったままで蝋燭の光を頼りに暗闇で小説を書いていると噂された乱歩は流石にその噂は否定していたが、この乱歩邸では実際に土蔵を改装して書庫、仕事部屋として使っていた。
この土蔵は、2002年より立教大学に寄付され、2003年には豊島区指定有形文化財に指定されている。
06年より江戸川乱歩大衆文化研究センターとしてスタートし、センターの管理の下で一部が希望者に公開される等している。
【人嫌いから世話好きへ】
乱歩の人柄と言えば若い頃は厭世的で良く言えば恥ずかしがり屋、悪く言えば人間不信のケがあり、実際に小説家になる以前には自殺を考えたり、作家となってからも家に書生を置いたのに指示は夫人を介して行う等、中々に気難しい御方であったようだ。
文壇や編集者にも付き合いがあったり世話をしてくれる友人や知人は居たものの、中々に人間嫌いは克服出来なかったようだ。
しかし、そんな乱歩も年齢を重ねる程に人付き合いが出来るようになり、戦時中には隣組(戦時下に町内会の更に末端として生まれた銃後組織のこと。)のリーダーにもなっていた。
前述の様に乱歩が世話をした作家も多く生まれている訳だが、晩年になると新人作家を連れて飲み歩くようになる等、嘘のように社交的になった。
この変化を、乱歩に師事していた山田風太郎は“年齢を重ねてハゲてしまったので”もはや、取り繕う必要が無くなったのではないか?と冗談めかした仮説を提唱しているが、乱歩は自身が生み出した犯罪者達と同様に、相当に自意識が強い面があったのは確かだろうから、妙に説得力のある説明ではある。
尚、乱歩というと検索すると晩年の顔写真が先ず出てくるので余程のファンでないと知らないが、若い頃は細面の美少年で、少年時代には近所で“ええ子”と噂される程だった。
あくまでもプラトニックだが同性愛的な感情を楽しむ風潮もあったそうで、乱歩も数名からラブレターを貰ったこともあったそうだ。
作家となってからは作家の浜尾四郎に教授されて男色文献を研究するようになり、これを切っ掛けとして粘菌研究で有名な一方、多彩な才能を発揮したことで知られる南方熊楠や、同性愛研究家の岩田準一と交流を持った。
乱歩の長編では最高傑作とされる『孤島の鬼』でも、主人公の導き手となる親友によるプラトニックながらも命を賭けてまで殉じた純愛が描かれている。
【代表作】
多作であり、識者であったとしても意見が分かれる所であるが、乱歩研究家として知られる仁賀克雄が監修した『江戸川乱歩99の謎』で挙げられているのは以下の通り。
■長編
『一寸法師』
『孤島の鬼』
『蜘蛛男』
『魔術師』
『吸血鬼』
『黄金仮面』
『白髪鬼』
■中編
『パノラマ島奇談』
『湖畔亭事件』
『陰獣』
『虫』
『何者』
『石榴』
■短編
『二銭銅貨』
『D坂の殺人事件』
『心理試験』
『二廃人』
『屋根裏の散歩者』
『双生児』
※以上、本格推理より。
『人間椅子』
『火星の運河』
『押絵と旅する男』
『人でなしの恋』
『白昼夢』
『芋虫』
『目羅博士』
『赤い部屋』
『鏡地獄』
※以上、怪奇、幻想小説より。
また、原作はそれ程までに大きな評価は受けなかったものの、三島由紀夫が戯曲化し、美輪明宏の主演により有名となった『黒蜥蜴』等も有名である。
【余談】
- 生前から、自身の活動を纏めた雑記帳、スクラップブックの『貼雑年譜』を纏めていた。
全9巻で後に3巻に纏められ、生誕100年を前に1989年に講談社が内2巻を発売。
これは現在でも一番手に入れやすいが不完全であり、その後で2001年に東京創元社が完全復刻による版を限定200部で売り出している。
- 数々の海外ミステリーやホラーも紹介したが、その中に御大ことH.P.ラブクラフトが入っていることでも有名。
一編丸々の翻訳ではないものの、乱歩流の翻訳によるラブクラフトの文体の表現は情感たっぷりである。
追記修正は少年探偵団員になってからお願いします。
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▷ コメント欄
- 作成乙ですー。「これらの作品が後の拙作にも~」のとこ、「拙作」ではこの記事を書いた人の作品になっちゃわない? -- 名無しさん (2020-06-21 18:43:13)
- こういう他所のネタを入れない淡々とした記事好き。なんでも鑑定団の銀河万丈の声で再生される。 -- 名無しさん (2020-06-21 19:32:14)
- 日本ミステリーを語る上でこの人は絶対に外しちゃいけない。 本格ミステリーへの憧れとその方面への実力のジレンマを抱えつつも、業界全体の発展に多大なる貢献を果たした。 -- 名無しさん (2020-06-21 19:34:32)
- この人も色んな創作物の着想の祖になってるね -- 名無しさん (2020-06-21 20:07:16)
- 去年のコナン映画で本名を知ったよ… -- 名無しさん (2020-06-21 20:12:44)
- ピアノ引きながらアイデアを考える作家が居ると聞き三味線始め、上達したものの原稿を書かずただ三味線の上手いおっさんになった模様 -- 名無しさん (2020-06-21 20:39:03)
- ある意味江戸川コナンの生みの親 -- 名無しさん (2020-06-21 23:40:35)
- 人間のアブノーマルな面に焦点を当てた作家。 -- 名無しさん (2020-06-22 00:02:44)
- ポーの説明を見てみたい -- 名無しさん (2020-06-22 00:14:44)
- ポプラ社刊の少年探偵シリーズは、子供向けなのに一寸法師をラインナップに入れたりと中々に狂っていた。 -- 名無しさん (2020-06-22 01:41:04)
- 自作には厳しめなコメントを残しているが、特に『盲獣』については「ひどい変態ものである」「自分でさえ気持ち悪くなった」と書いている。でも乱歩氏のエログロ趣味が最高潮に達した作品と言えるので、読んでない方は是非…。 -- 名無しさん (2020-06-22 12:15:56)
- 駄作から傑作までエネルギッシュに書き散らす様は手塚治虫にも通じるところがあると思う。天才というヤツなのかね。 -- 名無しさん (2020-06-22 15:31:22)
- ↑4 乱歩のポーの解説のこと?それともここの項目でってこと? -- 名無しさん (2020-06-22 18:32:43)
- 某所で知った「孤島の鬼」を読んでしばらく座椅子で放心したわ。40過ぎてもスゲエ本はスゲエ。変態だが。 -- 名無しさん (2020-06-22 19:11:02)
- 三重県鳥羽市には江戸川乱歩館がある。名張じゃないから注意ね。 -- 名無しさん (2020-06-22 21:10:39)
- パノラマ島奇譚もおすすめだぜ -- 名無しさん (2020-06-23 21:42:16)
- コナン「必殺・江戸川乱舞!!」 -- 名無しさん (2020-07-02 16:44:10)
- 12↑なお手品にも凝っていてもよう -- 名無しさん (2022-03-17 14:28:23)
- ミステリーにオカルトを入れるのは大嫌いだったので後輩の横溝正史が「犬神家の一族」を出した時にタイトルだけで激怒、字面のインパクトで使っただけでオカルト要素は無いのを納得して貰うのに大変往生した、という逸話が残っている。 -- 名無しさん (2022-07-06 14:23:01)
- 全部読んだわけじゃないがピエロ推しというイメージがある。 -- 名無しさん (2023-11-07 00:30:21)
- 文中で「読者諸君」と語りかけてるのがすごい好き。 -- 名無しさん (2024-04-20 23:45:31)
#comment(striction)
*2 乱歩自身の言であり、論理的な推理の展開される謎解きに重点を置いたミステリーのこと。
*3 本籍地は津市。
*4 涙香の作品に関しては、後に再翻訳までしている。
*5 井上夢人のコンビ時代の筆名=岡嶋二人
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