スーパークイズスペシャル

ページ名:スーパークイズスペシャル

登録日:2019/02/13 (水) 03:52:43
更新日:2024/03/28 Thu 13:43:04NEW!
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日本テレビ テレビ番組 クイズ クイズ番組 豪華 特番 マジカル頭脳パワー!! クイズ世界はshow by ショーバイ!! 夢の共演 スーパークイズスペシャル 現在は恐らく実現不可能 クイズ番組ブームの集大成



『スーパークイズスペシャル』とは、日本テレビ(日テレ)で1991年から1999年まで春・秋の番組改編期に放送された特別番組である。


概要

当時日テレで放送されていた各番組の出演者が総出演していた、放送時間約4時間の巨大クイズ番組。
現在も放送されている改編期のクイズ特番というとTBSの『オールスター感謝祭』が代表的だが、あれの日テレ版と紹介するのがとりあえず無難か。
まあ内容としては全然違うのだが、ざっくりした理解としてはそんな感じである。


内容について述べる前に、まず当時は何度かあったブームの中でも最も大きい、空前のクイズ番組ブームだったことを念頭に置いてもらいたい。
その中でも、火を付けた『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(以下、『ショーバイ』)とその火を燃え上がらせた『マジカル頭脳パワー!!』(以下、『マジカル』)は2大巨頭と言っていいだろう。
そしてこの両番組を擁していたのが日本テレビであり、完全に日テレはブームの先導者にして最大の利益者であった。最も日テレはこの番組の放送期間中にフジテレビから視聴率トップを奪還するほどの好調ぶりだった(その後2000年代に入って一度は迷走期に陥るが、2010年代に入って再び視聴率トップになっている)。
この特番もそういった経緯で生まれたことは想像に難くない。



番組内容

番組の内容としては、『ショーバイ』『マジカル』を中心に、当時放送されていた人気番組が交替でクイズやゲームを出題し、出場チームである日本テレビの番組の出演者がそれに挑戦するというものだった。
スーパークイズスペシャルが開始される前の1990年春から1年半は、「4月は(もしくは秋は)人気番組でSHOW by ショーバイ!!」が放送されており、こちらはショーバイのクイズのみ出題されていた。
『スーパークイズスペシャル』になってからは、ショーバイの他、『マジカル』、『笑ってヨロシク』、『世界まる見え!テレビ特捜部』等、様々な番組からクイズを出題するようになった。



なお、『スーパークイズスペシャル』というタイトルは公式のタイトルではあるが、あくまで総称であって、実際の個別に放送された際のタイトルではない。
どういうことかと言うと、この番組は放送されるごとにタイトルが違うのである。
と言うのはこの番組、メイン(司会進行役)となる番組を全部繋げてタイトル名にするという、完全に当時の人気クイズ番組に乗っかった形になっていたのだ。


1993年秋に放映された際のタイトルを例に挙げると、

『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』

と、こんな感じである。寿限無か。


当初はこのタイトル、「クイズ番組のタイトル」だけで構成されていた。
言い換えれば、この時代は1つのテレビ局で違うクイズ番組を週に5本やっていたのである(当然、全てゴールデン帯)。
まあ『世界まる見え』がクイズ番組かはだいぶ微妙なところだが(当時は必ずクイズコーナーがあったとは言え)、他は全部純然たるクイズ番組。
当時のクイズ番組ブームがどれだけ凄かったか少し理解して頂けるだろう。


だが、その後はクイズ番組以外の番組もタイトルに入るようになり(中期に入ると『○○は人気番組』から『○○は超人気番組大集合』と変更)、回を重ねるごとにタイトルに入る番組名が増えていき、ついにはドラマを除く出場していたほぼ全ての番組がタイトルに入るようになった。


で、最も文字数が多かった1998年秋のタイトルがこれ。

『秋は超人気番組大集合!!特命まる見え大辞10バラ珍ウリナリGyu!ぐるナイマジカル御殿コラえて!おしゃれにメレンゲ龍DASHでヒッパレ!!』

とんだ長大語である。もう原型とどめてないのが何個かある


放送時間は当初は4時間であったが、90年代後半に入ると次第に放送時間が削減されていき、97年秋からは2時間半となった。


豪華な内容

内容を語る前にまず述べておきたいのが、この番組の豪華さである。


単純に「金の掛かったクイズ番組」という比較をすると、まず間違い無く同じ日テレの『アメリカ横断ウルトラクイズ』に譲るだろう。
しかし、いわゆる「クイズ番組」というワードから想像される、「スタジオで司会者の出すクイズに答えて得点を競う」というオーソドックスなスタイルの範囲内で言えば、恐らくこの番組が「日本のクイズ番組史上、最も金の掛かった『スタジオ収録の』クイズ番組」だと思われる。


何が凄いって、出演者が凄い。
まず司会者からして、『ショーバイ』と『マジカル』からはそのまま逸見政孝と渡辺正行、板東英二と永井美奈子(この4人が実質的な総合司会)、『まる見え』からは所ジョージとビートたけしが、『どんなMONだい?!』からは島田紳助が、『笑ってヨロシク』からは所ジョージと笑福亭鶴瓶が、『特ホウ王国』からはウッチャンナンチャンが…と、こんな感じである。TBSの『オールスター感謝祭』と比べても出演者の豪華さではこちらの方が上。



そして回答席。
とりあえず例として93年秋の回答者を見て貰おう。


+ 93年秋「秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?」の回答者-
世界まる見え!テレビ特捜部楠田枝里子、ケント・デリカット、田中義剛、関根勤
闇を斬る!大江戸犯科帳里見浩太朗、西郷輝彦、田中好子
ビートたけしのお笑いウルトラクイズダチョウ倶楽部、志茂田景樹、宅八郎
午後は○○おもいッきりテレビみのもんた、内海好江
UNNAN世界征服宣言ウッチャンナンチャン、松崎しげる、大神いずみ
天才・たけしの元気が出るテレビ!!高田純次、峰竜太
同窓会荻野目慶子、別所哲也、西村和彦
どちら様も!!笑ってヨロシク加賀まりこ、高田文夫
夜も一生けんめい。美川憲一、グッチ裕三、梨花
スポーツキャスター掛布雅之、関谷亜矢子、豊田順子、川合俊一、江川卓、福澤朗
クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!山城新伍、山瀬まみ、蛭子能収
EXテレビ三宅裕司、舛添要一、大島智子、南美希子
大人のキス柴田恭兵、石田純一、風吹ジュン、黒田福美、深津絵里
スーパーJOCKEYガダルカナル・タカ、ダンカン、飯島直子、細川ふみえ
クイズ どんなMONだい?!朝丘雪路、羽野晶紀、佐竹雅昭
あしたP-KAN気分生島ヒロシ、井森美幸
マジカル頭脳パワー!!千堂あきほ、俵孝太郎、間寛平
進め!電波少年&モグモグGOMBO(合体チーム)松村邦洋、松本明子、林家こぶ平、ヒロミ

どうだろうか。
ウッチャンナンチャンと関根勤と間寛平とみのもんたと里見浩太朗と美川憲一が普通に回答席に混じってクイズに回答しているのが想像できるだろうか?
他の年ではダウンタウンと堺正章とジャイアント馬場が共演していたとかいうこともある。


こんなチームが15チームとか18チームの単位であるのである。
これだけのメンバーのスケジュールをどうやって抑えたのか想像もつかない。出演者に払うギャラも高かっただろうに
一応繰り返しておくが、この番組は改編期の特番、つまり半年に1回放送していた番組である。


笑っていいとも!』の最終回を覚えている方も多いと思うが、ああいった感じの豪華さである。
と言うか、タモリが居ないことを妥協できるのであれば、あれと同じぐらい豪華と言っても何ら差し支えない。
一応、当時はダウンタウンやウッチャンナンチャンに関してはまだほぼ若手の立ち位置であったことは留意しておく必要はあるが。


クイズ番組なんぞ興味ねえよ、という人もいるだろうが、そんな人でも機会があればこの番組を一度見ていただきたい。
バブル期前後の湯水のように番組予算を使えたころのテレビ局と、当時のクイズ番組ブームが化学反応を起こした結果生まれたこの豪華な出演陣に驚くこと請け合いである。


主なルール

得点単位は『SHOW by ショーバイ!!』で使われていたショーバイマネーの『萬』*1
これは『ショーバイ』の番組終了後も引き続き使われた。


最終的にショーバイマネーが一番多かったチームが優勝となる。通常の『SHOW by ショーバイ!!』では、100萬となった時点で同額のゴールドプレートが贈呈される(逸見店長時代)が、この特番は違う。優勝時点で獲得したその得点がたとえどんなにいくらにろうが、そのまま同額の純金として贈呈されるのだ。*2
300萬を獲得して優勝したのなら、300万円分の金の延べ棒が贈られるのである。
また、初期には準優勝にも商品があり、準優勝チームのショーバイマネーの半額の純金、もしくは海外旅行が贈られた。


1991年から1994年までは予選・本戦・決勝の三段階に分かれていたルールで行われていた。


予選

1軍・2軍・3軍を決める早押しクイズ(お手つきは1回休み)であり、1軍席決めクイズは『SHOW by ショーバイ』の『何を作ってるんでしょうか』が出題され、正解チームは司会者席のミリオンスロットに挑戦し、その出た目のショーバイマネーを獲得した後、右の席から順に座っていった。
1軍席が埋まったら、今度は2軍席決めクイズを行い、『マジカル頭脳パワー!!』の問題を出題。
91年秋・92年春は『マジカルスキャナ』であり、正解チームは1軍の時と同様、ミリオンスロットに挑戦した。
92年秋からは「エラーを探せ!」になり、エラーの難易度によって、ミリオンスロットの出目が変化(5萬~50萬)、その出目がそのまま加算された。*3
そして1軍のチームを見て、どの色の2軍席を選ぶかを決めた。2軍席が決まった後は、残ったチームは自動的に3軍となり、その何色の席に座るか抽選を行った。


本戦

全チームが着席した後は本戦が始まる。
基本的に書き問題の場合、1軍はミリオンスロットの出目、2軍は一律10萬、3軍は5萬加算というルールだった。
1軍のチームは正解ならそのままだが、不正解の場合3軍に降格となり、その同じ色の2軍チームは1軍、3軍チームは2軍に昇格した。
また91年秋と92年春は、2軍と3軍は同じ色の1軍チームの解答が正解か不正解か、○か×で当てるというルールだった。


早押しクイズは正解したら1軍・2軍・3軍関係なくミリオンスロットと同じ出目の金額を獲得した。*4
また、お手つきは1回休みだが、後に『タテ連帯責任』『ヨコ連帯責任』という制度が作られ、『タテ連帯責任』はある色のチームがお手つきしたら、その同じ色の列のチームは1回休みになり、『ヨコ連帯責任』は1軍のチームがお手つきしたら、1軍全チームが1回休みとなり、2軍、3軍も同様でお手つきしたら、そのお手つきした軍のチームは1回休みというルールが導入されることになった。
正解チームが2軍・3軍だった場合は、そのチームは無条件で1軍に昇格した。そしてその同じ色の列の1軍チームは3軍に降格となった。


『マジカル頭脳パワー』の『恐怖の居残り早押しクイズ』は、指名されたチームの代表者1人が檻に入ってクイズに挑戦した。
91年秋と92年春は紫・黄色のチーム、緑・赤のチームにそれぞれ別の問題が出題されたが、92年秋以降は1軍・2軍・3軍に分かれて、別々の問題が出題された。
当初は全ての問題で100萬からスタートだったが、後に1軍・2軍・3軍によって、スタートする金額が違う設定になり、3軍は30萬、2軍は50萬、1軍は100萬からスタートという大きく格差をつけられるというものになった。
92年~93年は前半・後半の2回行われていたが、91年秋・94年春は1回のみだった。


94年秋からは居残り早押しクイズに変わって、『笑ってヨロシク』の「時限爆弾クイズ」が行われた。(95年まで)
「居残り早押しクイズ」と同様、1軍・2軍・3軍とそれぞれ違うクイズが出題され、チームの代表者1人が専用の解答者席に入ってクイズに挑戦した。
早く正解して抜けるほど高得点だが、時間内に正解できなかったら、「時限爆弾」として頭上から冷気ガスを食らった。『笑ってヨロシク』の通常放送では解答席のセットをそのまま使っていたが、この特番では専用セットを作っていた。
時間内に正解できなかった場合、94年秋は0萬であったが、95年からは-50萬のペナルティとなった。
他にもクイズによってはミリオンスロットを使わず、あらかじめ設定された金額が正解したらそのまま加算されるというものや、タテ列連帯責任制で行われるクイズ*5も存在した。
本戦最終問題は、ショーバイの『ウソつき4択』*6であり、全チーム一斉参加で正解したら、司会者席のミリオンスロットに挑戦できた。
下位のチームでも、よほど低い点数じゃない限り、逆転で決勝に行ける可能性もあった。


全チームの得点が確定した後、上位チームが決勝に進出。(91年秋・92年春は6チーム、92年秋以降は7チーム)
93年秋~94年秋は決勝に行けなかったチームに敗者復活の○×クイズが出題され、残った1チームが決勝に行けるというものであった。
決勝に進んだ敗者復活のチームのショーバイマネーは7位のチームと同額からスタート。



決勝

決勝は全て早押しクイズ。
決勝でのクイズが始まる前に本戦で敗退したチームは決勝進出したチームの中でどのチームが優勝するかを予想し、当てたチームはゴールドバー(『ショーバイ』でトップを獲った時の賞品)を獲得できた。
まず最初にマジカルの『エラーを探せ!』が出題される(92年秋~94年春)
最低が5萬だが、最高は100萬であり、このクイズで今後の明暗を左右されるといっても過言ではない。またエラーの数は『決勝進出チームの数-1』であり、お手つきのペナルティは無し。
次は『世界まる見え』の『世界のCM早押しクイズ』が行われ、その次のラストが『ショーバイ』の『何を作ってるんでしょう』であった。
早押しクイズで正解した場合、司会者席のミリオンスロットに挑戦できる。
全クイズ終了後、優勝チームが発表され、純金を授与した後、EDを迎えた。
91年秋と92年春は全クイズ終了で優勝チーム発表後、ゴールドプレート争奪戦が行われていた。全チームが司会者席のミリオンスロットに挑戦し、一番高いショーバイマネーを出した1チームのみゴールドプレート獲得となった。1位が複数チームいた場合は、そのチームでサドンデスを行い、1位が1チームになるまで続けられる。


95年春からは予選・決勝のシステムが廃止。
この頃に入ると、『ショーバイ』のクイズが減り、『マジカル』で出題されるクイズが増えるようになった。
ラストクイズは『ショーバイ』の『スーパージャックポットクイズ』(95年春~96年春)となり、ピタリならその出た金額と同じショーバイマネー、ピタリがいない場合、1番近いチームに100萬、2番目に近いチームに50萬加算というルールだった。
95年秋からはミリオンスロットが廃止され、チームの席はあらかじめ決まった所になるようになった。
97年秋に入ると『マジカル』のクイズが徐々に減っていき、番組オリジナルクイズが徐々にメインを占めるようになった。
96年秋のラストクイズから『スーパージャックポットクイズ』と似た要領のクイズである『体重ピタリ当てましょう』(96年秋~97年秋)が出題された。98年からラストクイズは毎回変わっていった。



主なオリジナルクイズ


  • イス取りクイズ

チームの代表者が椅子の周りを回り、座れなかった人は敗者復活クイズに答えなければならない。
クイズに正解した場合、椅子に座っている人から一人を選んで交代することができ、指名された人は強制失格となる。
なお、1996年秋以降では指名する時、「○○(呼び捨て)、どけ!」と発言しなければならないが(おそらく、1996年春で岡村隆史が板東英二を指名する時に呼び捨てで呼び、久本雅美が石田純一を「どけ!」と発言した為である)、呼び捨てせずに「○○さん(若手男性タレントは○○くん、若手女性タレントは○○ちゃん、アナウンサーは○○アナ)、どけ!」でも発言してもよい。
しかし必ずと言っていいほど安岡力也や中尾彬といった厳つい芸能人が着席しており、司会の島田紳助が正解者(特にお笑い芸人)を無理矢理近くに連れていくことが多い。
その上椅子の数も多く、厳つい皆様がいる序盤戦では簡単な問題ばかりでほぼほぼ立ち退きが発生する。
これを繰り返し残り二人になった時に、座れなかった人が最終問題に正解できたら勝利で不正解なら座った人が勝利。


  • クイズサビからヒッパレ

イントロで流れる音楽を早く押したチームからサビの部分を歌う。
途中で歌詞を間違えたり歌えなかった場合はアウトになり、次に押したチームに交代する。
正しく歌えたチームは5萬獲得。
当初はその段の列のチームの全チームが参加し、一定の問題数が出題された後、次の段の列のチームに交代する形を取っていたが、後に同じ席の色のチームが合同でチームを組むという形式を取る様になった。*7
出題される曲の中には、その回に出演しているアーティストやグループ(Kinki Kids、SPEED等)が歌っているものもあり、正解が出た後、そのアーティストご本人が歌を披露することもあった。
後に「ヒッパレ!サビから歌合戦」とタイトルが変わり、サビの部分をカラオケ判定基準でうまく歌うことができたら得点というルールになった。判定はうまい!合格→イイ感じ→ふつう→ガンバレ→ダメー!!とランク順で表示され、「うまい!合格」でクリアとなるが、「ダメー!!」となった場合はアウトになり次のチームに交代する。


  • 速報!歌の大辞テン!!トップ10クイズ

レコード・CD売り上げランキングやカラオケリクエストランキング等、音楽にまつわるあるTOP10のランキングの順位が隠されているので、それを早押しで当てるクイズ。
上位を当てるほど高得点となる。尚、当てたチームは以降の解答権はなくなる。


  • 日本テレビ縦断ビッグスターお笑いウルトラクイズ

日本テレビ内で障害物を突破しながら、問題内容が書かれている紙が置いてある部屋まで行って、スタジオに持ってきて出題されるクイズに答える。
これは『アメリカ横断ウルトラクイズ』の『バラマキクイズ』と全く同じルールである。
クイズに間違えたりスカを引いた場合は、着ぐるみや被り物を着用してやり直さなければならない。早く正解して抜けるほど高得点。
問題の難易度は本家同様、簡単に答えられるものからインテリ向けの難問など幅があったが、中には『人間の一生を70年と考えると平均でどのくらいの排便をするのでしょうか?(正解は3.8トン)』等、絶対正解させる気がないような問題も存在しており、クイズの難易度は『感謝祭』のビートたけしの乱入ピリオドよりも高いといえるだろう。
97年春はクイズではなく、風船を背負いながら数々の障害物を潜り抜けながら走って部屋から小道具を取ってきて、それを使ったダジャレを披露するという「お笑い風船爆発バトル」が行われた。
97年秋は「ビッグスターダジャレバトル」が行われたが、風船がなくなっただけで基本的には97年春と同じ。判定するのは97年春はビートたけしだったが、97年秋はたけしが欠席のため兄の北野大が判定した。


  • 人間すごろく

サイコロを振って止まったマスの指示に従う。
しかし指示には過激なモノが多く、「生き物を背中に入れる」「子供にくすぐられる」「網タイツを被る」「爆竹100本付き帽子を被る」「(ゲテモノ系)有名人とラップ越しにキスをする」等があり*8、成功すると進むことができる。
なお、岡村隆史は人間すごろくに毎回参加していた。


  • 覆面クイズ正解は多数決!!

芸能人に関する問題が出題され回答が揃った人に得点が入る。
9人の解答者は目の部分をすりガラスで隠して声も加工している(といってもバレバレだが)。
回答はスキャンダルや芸能人の裏話といった放送できないような内容のことが多く、回答にピーやモザイクを入れたり、あまりに過激すぎると「しばらくおまちください」の環境画面が表示されることもあった為、別名「アングラクイズ」とも呼ばれた。当たり前だが、すりガラスで目を隠して声も変えていたのはそういう発言でトラブルなどにならないための配慮ともいえる。


  • 芸能人秘密のイエスを探せ!

出演者に対して質問をし、イエスのボードを挙げるパネラーを予想するクイズ。質問の内容は芸能人のプライベートに関するものや恥ずかしい話が多い。
「CDを出したが売れなかった」という質問では、岡村隆史が森口博子と書き「本人も自覚している」と自信満々だったが、森口本人から「何よサル!」「何をかくそうガンダムよ!」「ちょっと、後で楽屋に来なさいよ!」と怒らせてしまった(森口はベストテンに2枚ランクインして紅白にも出ていた)。
初回のクイズ名は「バイ倍ゲームNO!でアウト」であり、予想を当てると得点がダブルアップしていき、外すと獲得無しで終わるというルールだった。


  • クイズ!落ちたら負けよ!

2チームに分かれて対決するクイズで、代表者がピラミッド状に積んだブロックに乗ってバランスを取りながら落ちないようにして、どちらかが落ちるまで決着をつけるクイズである。
ピラミッド状のブロックの他、代表者がロープで支えられたゴンドラに乗って落ちないようにバランスを取る「クイズ!恐怖のロープ」、柱で支えられた台座に乗ってバランスを取る「クイズ!バランスタワー!」のバリエーションも存在した。
基本的に問題は○×クイズであり、問題が出題された後、ボックスの中にある『○』と『×』のサイコロを解答するチームのメンバーが選んで取る。98年春は変わった名前のものを当てる珍名クイズや雑学問題が中心であり、AとBの2択問題であった。不正解のチームは、バランスを支えるあるものを1個ずつ取られる。
●クイズ!落ちたら負けよ!のパターン:不正解チームがどのブロックを取るか1個を選ぶ。
●クイズ!恐怖のロープ!のパターン:不正解チームは正解した相手チームからロープを高枝切りバサミで1本切られる。(バーナーで焼き切るパターンもあった)
●クイズ!バランスタワー!のパターン:不正解チームがどの柱を取るか1本選ぶ。


  • 体重ピタリ当てましょう!!

96年秋~97年秋に行われたラストクイズ。
あらゆるジャンルの美女たち(3~4人)+αの合計体重を答えるというクイズであり、『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』の『スーパージャックポットクイズ』とルールが似た傾向のクイズである。
まず美女たちを紹介し、ヒントとしてまず1人目の美女が体重計に乗り、その体重が表示される。その後、体重計のデジタルをシャッターで隠した後、残りの美女たちが体重計に乗る。
その後、さらに『スペシャル体重ゲスト』として、そのゲストが加わった分の体重が何キロなのかをチームは予想する。
96年秋は松村邦洋、97年春は松村と亀、97年秋はニューハーフ3人が体重計に乗った。
ピタリのチームには200萬、ピタリがいない場合1番近いチームに100萬、2番目に近いチームに50萬が加算された。
正解発表する時は、まず上の位から福澤朗が「オープン・ザ・○○キロ~!」と叫んで、正解桁数を表示していた。*9



出場チーム数と解答者席の色

91年秋と92年春は左から赤・緑・黄色・紫の解答者席と下段・中段・上段に分かれて4列×3段の12チーム。
下段が1軍席、中段が2軍席、上段が3軍席であった。ミリオンスロットは1軍席のみにあった。(95年春まで)
92年秋と93年春は右端に青の解答者席が置かれ、15チーム。
93年秋以降は、緑と黄色の解答者の間にオレンジの解答者席が置かれ、18チームであった。
但し、96年春は4段目が置かれオレンジの解答者席が省かれ、5列×4段の20チームであり、99年秋は下段の赤と青の解答者席が省かれ、16チームであった。


主な出場番組

ここでは、アニヲタwikiに項目が立てられてない番組については内容も少しだけ紹介する。

クイズ枠

・クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(91年秋~96年春)
当時日テレで大人気だったクイズ番組であり、『スーパークイズスペシャル』の予選・決勝のあった時期には主にこの番組のクイズがメインになっていた。
また、山城新伍が『世界のアナウンサー早押しクイズ』で放送禁止用語を言いまくるなど、視聴者を楽しませていた。
92年秋に優勝を果たしている。


・マジカル頭脳パワー!!(91年秋~99年秋)
『ショーバイ』と並ぶ日テレの人気クイズ番組であり、『スーパークイズスペシャル』では皆勤で出場し続けていた。
『スーパークイズスペシャル』では、『ショーバイ』に次いでクイズ出題数が多く、95年頃~97年春頃は半数近くが『マジカル』からのクイズ・ゲームが多かった。
クイズ番組にも関わらず、予選・決勝のシステムが行われた時期はなかなか一軍の席へ行けなかったり、横取りされるなど運に見放される事が多く、決勝進出できたのは92年秋のみであった。
94年春では決勝スロットで間寛平が破産を出してしまい、司会の板東英二にどつかれた。
唯一決勝進出できた92年秋は惜しくも準優勝であったが、『スーパークイズスペシャル』最終回であった99年秋に見事優勝を果たした*10


・どちら様も!!笑ってヨロシク(91年秋~96年春)
所ジョージが担当していたクイズ番組で『笑ってコラえて』の前身番組。現在『笑ってコラえて』でやっている「スペシャルゲストクイズ」はこの番組が最初。
出場者は大概レギュラー解答者の笑福亭鶴瓶と加賀まりこで、そこに司会の出番がないときは所が入る。
現在と違うのはトークや一般人への取材VTRではなく、「水中に顔を突っ込んだり、歯を磨きながら一般人がある言葉を言っているVTRを流し、なんと言っているか当てる」というクイズがメインで、放送が1時間になった1994年春からはスタジオでのゲーム形式のクイズと観客として招待された特定のテーマに当てはまる「普通の人々」100人へマッキントッシュを使ってアンケートするコーナーに変わった。1996年夏にクイズを番組から外し、所さん以外の鶴瓶・加賀といったレギュラー陣も総リストラさせて「笑コラ」に模様替えした。


「おふざけ」が見所の1つであり、この番組から出題されるクイズでも毎回色んな珍解答で周囲を笑わせてくれた。
94年秋頃から、この番組から出題されるクイズが増えるようになった。


・世界まる見え!テレビ特捜部(91年秋~99年秋)
『スーパークイズスペシャル』開始時から出場して皆勤賞であり、現在も続いている人気番組である。


クイズ番組ではなく世界各国のテレビ番組を紹介するというのは今も同じだが、この当時は番組終盤に「タイムマシーンクイズ」というミニクイズ企画があった。


毎週出ているレギュラー出演者が司会の所と楠田、スペシャルパネラーのたけししかいないため、出場するのは準レギュラーとして出ていた田中義剛やケント・デリカット、岡本夏生といったメンバーが多かった。
笑ってヨロシクとは違いガチなメンバーで固めた強豪チームである。
『スーパークイズスペシャル』になってから初めての優勝チームでもある。


・クイズどんなMONだい?!((92年秋~93年秋)
島田紳助が司会をやったクイズ番組。毎回オープニングで紳助が「逆発想のクイズ番組」と言っていたようにクイズ番組の常識の真逆を行く内容で、「答えや誤答から、どんな問題が出されたのかを当てる」というのが特徴。街行く人に問題を出したVTRを流し、スタジオの解答者はそのVTRでの誤答をヒントにスタジオで出された一部空欄の問題文に言葉を当てはめていった。また、普通は成績がトップだった解答者に賞が贈られるものだが、この番組はラストクイズで勝ち抜けした解答者がスタジオ横の小部屋でパーティをする一方、最下位になった解答者は照明の落ちたスタジオでそれを眺めるだけというものだった。


放送期間は短かったものも、出場している間は『スーパークイズスペシャル』の番組タイトルにも名前が入っており、『対決ドボン!』といったクイズも出題していた。


バラエティ枠


・天才・たけしの元気が出るテレビ!!(91年秋~96年春)
現在『世界の果てまでイッテQ』を放送している日曜夜8時台にビートたけしが司会をやっていたバラエティ番組。テリー伊藤がスタッフの一員であり、様々な一般人を発掘したり「100人隊」などの人気企画も多く送り出した。「元気が出る商事」の社長→会長のたけしの他、一貫してチームの一員として出場し続けていた高田純次(『SHOW by ショーバイ』と『マジカル』の常連解答者でもある)が主に盛り上げてくれた。
好成績を収めることが多かったものも、1度も優勝できなかった。(準優勝が1回だけある)


・スーパーJOCKEY(92年春~98年秋)
たけしが司会をやっていた日曜お昼のお色気バラエティ番組。しかも生放送。「熱湯コマーシャル」を真っ先に思い浮かべる人もいるだろう。
たけし軍団がメインのためか、おふざけを取ることが多くチーム名を勝手に変えたりしたこともあったが、クイズに関してはガチで挑むことも時折ある。
98年春に優勝を果たしている。
後期の『スーパークイズスペシャル』のタイトル名に色々な番組名が入ってきたにも関わらず、何故かこの番組だけタイトルに使われることは1度もなかった。


・ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!(93年春~96年春)
たけしが司会をやってた当時改編期に特番として放送されていたクイズ番組という名のバラエティ番組であり、主にダチョウ倶楽部といったお笑い芸人がチームの一員として参加していた。
しかし意外にもクイズはガチで挑むことが多く、初出場の93年春に見事優勝を果たした。
93年秋も決勝進出に行ける程の好成績を取ったが、本戦のラストスロットでまさかの破産を出して、決勝進出を逃して最下位になるというまさに彼ららしいオチを見せた。


・夜も一生けんめい→夜もヒッパレ一生けんめい→THE夜もヒッパレ(91年秋~99年秋・92年春は除く)
逸見政孝が司会を務めた音楽番組であり、最初はそれまでタモリ→爆風スランプがメインだった土曜23時(現在は『マツコ会議』)からのパイオニア提供枠だった。逸見の入院→死去後の1993年秋からは徳光和夫に引き継がれ、翌年春には土曜22時台(21時台に引っ越して現在は『SHOWチャンネル』)に引っ越し『夜のヒッパレ一生けんめい』と改名。新企画の『夜もヒッパレ』と二本立てになった。
この番組から出題されるクイズは主に音楽問題であった。
『THE夜もヒッパレ』になってからは安室奈美恵、MAX、SPEEDといった当時大人気のアーティストがチームの一員として出場したこともあった。
95年秋に優勝を果たしている。


・EXテレビ(92年春・93年春・秋)
かつて一世を風靡した深夜ワイドショー『11PM』の後番組として90年から4年間平日深夜に放送されていたワイドショーとバラエティを兼ねた帯番組。月・水・金曜日が日本テレビ制作、火・木曜日が読売テレビ制作で放送され、特に上岡龍太郎と紳助が司会だった火曜の「テレビ論」をテーマにした実験企画が有名で、ここで生み出された企画がのちに『開運!なんでも鑑定団』など日テレや他局の企画に発展している。主にこの番組の出場メンバーは三宅裕司といった日本テレビ制作枠の出演者で構成されていたが、93年春のみ読売テレビ制作枠の上岡龍太郎が参加したことがある。
スーパークイズスペシャルで1993年から出題されていた「100人のうち1人しか答えませんでした」は元々は上に書いた火曜日の企画*11であったクイズであり、EXテレビ終了後も引き続き出題され続けてきた。


・ウンナン世界征服宣言→ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!→ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(93年秋~99年秋)
当時ウッチャンナンチャンが担当していた冠番組で、放送時間と内容・タイトルは何度か変更している。ちなみに「世界征服宣言」以前は日曜夜に放送していたが、ウンナン主演の映画撮影のため打ち切られ、急遽穴埋めとして始まったのが『電波少年』である。
ウンナンが出ている絡みで後述の『投稿!特ホウ王国』と一緒にチームを組むことが多かった。
94年春は惜しくも準優勝であったが、94年秋は見事優勝を果たした。


・投稿!特ホウ王国(94年春~97年春)
笑福亭鶴瓶と河野景子→リサ・ステッグマイヤーが司会、ウッチャンナンチャンがレギュラー出演していた日曜夜7時(現在は『鉄腕DASH』)のバラエティ番組。『SHOW by ショーバイ!!』『マジカル』と同じスタッフが作る番組で、全国の視聴者から寄せられた「おもしろ仰天スクープ」(今で言う「珍百景」の人間版のようなもの)を「編集局長」役の内村と南原が対決形式で紹介する。タイトルが発表された時にスタジオのお客さんが「えぇ~っ!?」とわざとらしく驚いた声を上げたり、「特派員」の後藤アナや藤井アナのキャラクターが見ものだった。前述のウンナンの冠番組のチームと組んで出場が多かった。


・午後は○○おもいっきりテレビ(91年秋~93年秋・95年春・96年春)
みのもんたが当時担当していたお昼の健康情報ときょうは何の日と生電話でおなじみの帯番組であり、今からしてみればみのもんたがクイズ番組に解答者として出演なんて想像もできないと思われるだろう。
最初の頃はみのと高橋佳代子で出場していたが、その後は常連のゲストが登場することもあった。
1回目の『スーパークイズスペシャル』では、準優勝を果たしている。
不思議なことに、予選・決勝が行われていた時期に出場していた時に座った色の席は全て紫の席であった。


・進め!電波少年→進ぬ!電波少年(92年秋~99年秋)
現在は絶対不可能な数々のアポ無し企画やヒッチハイクなどの長期企画をやってきたバラエティ番組。
『モグモグGONBO』や『スーパーJOKERY』などの番組と合同チームでの出演が多かった。
実は司会者席のミリオンスロットで『破産』が導入されてから、初めて『破産』を出したチームでもある。*12


・嗚呼!バラ色の珍生!!(94年秋~99年秋)
紳助が司会を務めた人探し・再会を主軸にした木曜夜7時(現在は『突破ファイル』)のバラエティ番組。


ちなみに初めからそういう内容だった訳ではなく、最初は出演した素人の不幸話に、徳光和夫らパネラーが得点の±ボタンを押して評価する内容だった。その合計で評価が決まって、「お小遣い」という名目で賞金がゲットできるという内容だったが、1995年春にオウム真理教の凶悪事件が明るみになると、マスコミは過熱報道がエスカレートしテレビもゴールデンのバラエティを軒並み潰して連日報道特番を放送する事態に。この番組も例外ではなく4週間オウム関連の特番で、さらに元から予定していた巨人戦中継で番組が合わせてなんと5週間も潰され、それが明けてやっと再開された際に人探し・再開を主軸にした番組に変わった。これが人気を集めて、他局でも同じ夜7時台に類似番組が放送されていた。


紳助の「我々一生懸命探しました、スタッフ一生懸命探しました。そしたらね、見つかりましたよ…」は引退した今もなおネットやSNSでネタとして使われている。このフレーズと、探していた人とのご対面での徳さんの号泣が印象的でもある。
現在は女優として活動している篠原涼子が初代アシスタントとして出演していた時があり、当時はバラエティ番組で天然キャラな所があったので、正統派女優としてのイメージを持っている今の若い人が見たら、そのギャップの違いに驚いた人もいるだろう。


ザ!鉄腕!DASH!!(96年春~99年秋)
TOKIOがTOKIOになったきっかけの番組でもあり、現在も放送中。
『スーパークイズスペシャル』後期にはこの番組からクイズが出題されることも多かった。
96年秋には優勝を果たしている。


・それ行けKinki大冒険→それ行けKinki大放送→Gyu!と抱きしめたい!→ピカイチ(96年春~99年秋)
Kinki KidsがCDデビュー前から担当していたバラエティ番組。裏番組が「アッコにおまかせ!」と「NHKのど自慢」という日曜お昼の関東ローカル枠で、2021年現在もこの枠はジャニーズ事務所の枠になっている(現在は『スクール革命』)。
初出場の96年春と97年春の2回優勝を経験している。


・ぐるぐるナインティナイン(95年秋~99年秋)
ナインティナインが若手時代から出演し続けている冠番組で、現在も放送中。初めて参戦した頃はまだ日曜夕方の『笑点』の前座枠だった。この当時は過激なチャレンジものがメインだったが、現在も人気コーナーである『ゴチになります!』も当時から放送されていた。
1度だけこの『ゴチ』を題材にしたクイズが出題されたことがある。


・速報!歌の大辞テン(97年春~99年秋)
『ショーバイ』終了後に後番組として水曜20時台で始まった音楽番組。同じスタッフが手掛けており、「歌で繋ごう時代と時代」をキャッチコピーに昭和と現在のトップテンを比較する。
同じ音楽番組であった『THE夜もヒッパレ』との合同チームでの出場が多かった。


・特命リサーチ200X(96年秋~99年秋)
冬彦さんでお馴染み佐野史郎が出演していたドラマ仕立てのパートが入った超常現象や科学捜査をテーマとした番組。『元気が出るテレビ!!』の終了後に日曜夜8時で始まった番組。
99年春に優勝を果たしている。


・怪傑!コウジ園(97年春・秋)
今田耕司と東野幸治がレギュラー出演していたバラエティ番組。
かなりマイナーな番組だが、97年秋に優勝を果たしている。


笑点(96年春、97年春・秋・99年秋)
五代目三遊亭圓楽桂歌丸林家木久扇(当時:木久蔵)を除いた当時の大喜利メンバーが出演しているが、成績的にはあまり目立たなかった。
ちなみに山田隆夫は上記の覆面クイズの回答者の1人(正体は千秋)に『スタジオにいる知名度がなさそうな出演者』というお題で答えられてしまったことがある*13。また、イス取りクイズでは福澤朗に指名され失格になったが、椅子の片付け役を担当した。


ドラマ枠

放送時期に放映中・放映開始のドラマが出演していた。


・八百八町夢日記(91年秋・92年春)
黄門様でお馴染み里見浩太朗が主演を務めた時代劇。
出場した2回とも本戦で好成績を収め上位での決勝進出だったが、決勝の早押しクイズで答えられず優勝には至らなかった。
ちなみにチームのメンバーだった中田喜子は、92年秋・93年春には『どんなMONだい?!』チームのメンバーとして出演し、2回共決勝進出したため、自身が『スーパークイズスペシャル』に出演した際は全て決勝進出という現象となった。


・大人のキス(93年秋)
あぶない刑事やはみだし刑事でお馴染み柴田恭兵と当時トレンディー俳優として活躍していた石田純一が出演していた当時の土曜ドラマ。
本戦を1位で決勝進出し、1度は『ショーバイ』チームに逆転されるも、再逆転し、見事優勝を果たした。


・家なき子(94年春・95年春)
当時子役だった安達祐実の当たり役となり『同情するなら金をくれ!』という名台詞などで人気となった国民的ドラマ。
2回出場し、2回共優勝するという快挙を成し遂げた。
ちなみに95年春にチームのメンバーとして堂本光一はその後前述のキンキの番組のチームで2回優勝を経験しているので、このチームでの優勝の分を合わせれば、個人で3回優勝を経験する形になっていた。


・江戸の用心棒(94年春・秋・95年秋)
高橋英樹が主演を務めた時代劇。
『スーパークイズスペシャル』でも時代劇で培った豪快な振る舞いを見せた。
95年春はパート1が既に終了していたが、『時代劇スペシャル』チームとして、高橋英樹と同じくこのドラマで共演していた船越栄一郎と一緒に出演した。


・P.A.プライベート・アクトレス(98年秋)
当時女優業やタレントとして活躍し、ハマの大魔神夫人となった後に引退して宮城県でスープカレー屋さんを経営する榎本加奈子が主演を務めた漫画が原作のドラマ。
98年秋のラストクイズは、問題を聞いて水槽の中にあるものを答えとして取ってくるというクイズで、榎本は劇中の衣装のセーラー服のまま、水槽に入って正解のものを取ってきて、チームを優勝に導いた。黒い見せパンがモロに見えてたが恥ずかしさよりも勝ち気さが勝った故のプレーだった。


その他


・スポーツ番組系チーム(91年秋・92年春・93年秋〜98年春)
当時放送されていた「独占スポーツ情報」*14、「どんまい!!スポーツ&ワイド」*15、「うるぐす」*16といったスポーツニュース番組、プロ野球中継「劇空間プロ野球*17」といったスポーツを主にした番組が合同で組んでいたチーム。
元バレーボール日本代表の川合俊一や元巨人の江川卓といったプロ野球OB、それらの番組に出演していた当時日本テレビアナウンサーがメンバーで揃えられていた。
チーム名は番組を合同されたものや「スポーツキャスター」など回によってばらつきがあった。初参加時は「独占スポーツ情報」と「夜も一生けんめい」との合同チームで「スポーツも一生けんめい」というチーム名であった。


・お世話になってます(92年春)
92年のみ参加で番組名ではなく、「(日本テレビが)お世話になってます」というタレントで取り揃えたチームでメンバーは和田アキ子、間寛平(次回以降「マジカル頭脳パワー‼︎」チームで参加)、峰竜太(次回以降「元気が出るテレビ」チームで参加)で、途中から「笑ってヨロシク」の「スペシャルゲストクイズ」のゲストの大屋政子も参加。
序盤は点が取れず苦戦を強いられたものも、中盤から高得点を稼ぎ出し、決勝に進出し、最終的に見事優勝を勝ち取った。


番組終了後

2007年秋から2012年秋にかけて『世界一受けたい授業』をベースとした春・秋改編期の特番として『日テレ系人気番組が大集合!世界一受けたい授業 (春or秋)の最強先生来襲スペシャル』または『日テレ系人気番組の最強先生が来襲 (春or秋)の番組対抗スペシャル』が放映された。
『スーパークイズスペシャル』と同様に日本テレビの番組の出演者が集まり、世界一受けたい授業の内容に加えて日本テレビ系の各番組からのクイズが行われた。


2010年代後半からは改編期特番として、『DASHでイッテQ!行列のできるしゃべくり日テレ系人気番組No.1決定戦』が放送。こちらはトークが主体の番組であるが、近年は放送後に司会者や番組出演者の不祥事が発生し、次に放送された時は司会者や出演者が減っている事が相次いでいた。2021年春から現在はNo. 1を決める要素を外した『日テレ系人気番組 春秋のコラボSP!』としてリニューアルされている。


ちなみに『スーパークイズスペシャル』から番組内容が徐々にリニューアルされていった事情を東野幸治はABCラジオの『東野幸治のホンモノラジオ』で「長時間の収録やから、みんなが来なくなってきて。だんだんみんな来なくなってくるんですよ、長いし。『あの人が司会するんやったら出えへん』とか。その兼ね合いがいろいろややこしいんですよ」としてそれに対して日テレが編み出した『日テレ系人気番組No.1決定戦』からの「1時間で切っていく」という妥協策に触れている。


東野は「ようできてますよね。要は1時間だけやから1.5~2hぐらいの収録で終わるし。共演NGの人がもしおってもそこはうまいこと調整したらいけるから。そこで新ドラマとかバラエティの宣伝して終わり」「『イッテQ』チームでやる、『行列』チームでやる、『しゃべくり』でやるみたいなのを発明して。それを10年ぐらい前からやってきて。最近は、番組同士のコラボみたいな。ようできたシステム」と感嘆しながら説明していた。



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  • 和田アキ子さんがマジカルシャウトの問題で思わず「知らんがな!」と言ってしまいお手付きになったのは笑った -- 名無しさん (2019-02-14 22:43:26)
  • 家なき子は2回出場して2回とも優勝してたな -- 名無しさん (2019-02-15 03:57:45)
  • 福澤アナ「出逢った頃の君でいてー!」 -- 名無しさん (2019-02-16 12:18:14)
  • こういう番組対抗特番って、実は以前からTBSではクイズまるごと大集合、フジではなるほどザ・春・秋の祭典が放送されていて、この番組はこれらの後に始まったんだよな -- 名無しさん (2019-06-13 18:43:10)
  • 番組対抗の世界一受けたい授業は内容が毎回同じような事をしていた印象が強かった。 -- 名無しさん (2019-06-13 23:05:11)
  • こないだやったやつは「DASHでイッテQ!行列のできるしゃべくり!突破でケンミンSHOWにゼミナンデス!ニノさんは小学5年生より賢いの!? 日テレ系人気番組 春のコラボSP!」ニノさんに対する熱い風評被害。 -- 名無しさん (2021-04-12 23:55:01)
  • ↑x3 偶然にもショーバイ単独から複数番組融合に変遷した91年秋に、TBSはまるごと大集合をやめて感謝祭が始まった。 -- 名無しさん (2021-07-04 19:51:48)
  • 93年秋の回で、決勝進出スロットで負けたP-KANチームが敗者復活○×クイズを勝ち上がってきたとかあったな -- 名無しさん (2022-03-31 14:57:20)

#comment

*1 『マジカル』の「頭脳指数」もこの特番だけはこれに置き換えていた。
*2 第1回の1991年秋の場合、純金は総額2000万円分用意されていた。
*3 但し、92年秋のみエラーの難易度関係なく、司会者席のミリオンスロットに挑戦するというものだった
*4 例・ある色の1軍チームの出したショーバイマネーが20萬の場合、その同じ色の列のチームのどこかが正解したら、20萬加算される
*5 主に1軍チームが解答し、結果によって、1軍チームの他、その同じ色の列のチームにもショーバイマネーが加算・減点されるというもの
*6 93年秋・94年春は『ホンモノいくつクイズ』
*7 その時のチーム名は赤チーム、青チーム等と表記される
*8 内容によっては、「(絶対に)マネしないでください」のテロップが出されていた。
*9 これは以前放送されていた『新装開店!SHOWbyショーバイ!!』のラストクイズ「スーパージャックポットクイズ」で福澤が「オープン・ザ・○○ま~ん!」と叫んで正解発表していたのと全く同じ傾向である。
*10 放送日の次の日が『マジカル』の最終回だった。
*11 この時の題名は『クイズ1人しか言いませんでした』であった
*12 しかし、予選のクイズでの『破産』で元々0萬だった為、実質ショーバイマネー無しからのスタートであった。
*13 なお、回答者(千秋)は山田の名前を知らなかった為(2024年現在も名前を知っているかは不明)、「笑点のコーナーにいる赤い着物の人」と答えた。この他、関口知宏の下の名前を知らなかった回答者の一人(正体は山田まりや)は「関口宏の息子さん」、 フッキー(ノブ&フッキー、本名は葺本光秀)の名前を知らなかった回答者4人(正体は大石恵、岡村、飯島愛、高木美保)は「ものまねチームの茶髪の方」「茶色の髪にボーダーシャツの人」「一番上のしましまの人」「しまのシャツの方」と答えている。
*14 日曜夕方に放送されていたスポーツニュース。のちに手前のニュースと合併し今は『真相報道!バンキシャ』
*15 『EXテレビ』が終了後同じ枠で開始。『きょうの出来事』からスポーツニュースを切り離してワイドショーと統合したが、半年後にワイドショーを撤退し今のバラエティ番組となった。
*16 『どんまい!!』と同時期に始まった週末のスポーツニュース。江川卓はこの番組から『Going!』になった後の2021年まで長年に渡り週末夜のスポーツニュースを担当した。
*17 現・DRAMATIC BASEBALL

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