グリュック王国

ページ名:グリュック王国

登録日:2015/11/16 (月) 00:52:49
更新日:2024/01/16 Tue 13:03:07NEW!
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どうしてこうなった アニヲタwiki北海道ツアー テーマパーク 遊園地 ドイツ 北海道 帯広市 廃墟 バブルの遺産 グリュック王国


グリュック王国とは、北海道帯広市に位置するドイツを再現したテーマパーク。
本場さながらの雰囲気を再現したビュッケブルグ城、ステージではドイツ本国から来日したパフォーマー達のイベントが催されている他、
遊園地・グリムの森や本格的なドイツ料理が食べられるという夢のような場所となっている。




追記・修正はドイツが大好きな方がお願いします。




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…というのは過去の話。現在は廃墟と化しており、再建の見込みすら立っていない。
では、どうしてこんな事になったのだろうか?ざっくりと説明していこう。


1:グリュック王国ができるまで

公式HP(現在は閉鎖中)には、このテーマパークを作ったぜんりんレジャーランドの西社長の一文が次のように記されている。


話せば長くなりますが、15年ほど前、国王(社長のこと)がヨーロッパ旅行をして、ドイツに立ち寄ったところ、
非常に美しい街並みや、環境に感激をしてその理由を探したら、ドイツ人の行動規範の一つに「未来の子供たちのために」というものがあり、いまあるものを大切にして、次世代へ伝えようとします。
その心に打たれ、ドイツをテーマに「グリュック王国」というものを作り上げました。


…社長が自分の事を「国王」と称したり、中学生が書いたような稚拙な文章だったりするのはこの際置いておくが、
ポイントは「旅行先で寄ったドイツの町並みに感激して」という所であろう。
つまり、テーマパークを作った理由は「たまたま」なのである。
「幼い頃からドイツに憧れを持っていて、この素晴らしさを日本に伝えたい」とか「帯広とドイツは深い繋がりを持ち、日独両国の友好のためにこのテーマパークを作った」とかそういう高尚な理由ではない。
もしも社長がイタリアに感動していたなら帯広にはイタリアのテーマパークが出来ていただろう。


折しも当時の日本はバブル期。昭和62年(1987年)に総合保養地域整備法(通称リゾート法)が成立し、
国がリゾート地計画を策定した自治体に莫大な支援を行っていた。
ちょうど地元帯広では国鉄広尾線がJRへの民営化に伴い廃止されるなど、新たな産業に活路を見出す必要があった。
国や自治体の後ろ盾を弾みに、親会社のぜんりん地所建設とぜんりんレジャーランドは計画を実行に移すのだった…


2:グリュック王国、開園

1989年7月1日、ついにグリュック王国は開園する。
単なる地元のテーマパークにしては珍しく、大々的なセレモニーが催された。
当時の出席者をざっと挙げてみると…

  • 駐日ドイツ大使
  • グリム兄弟の子孫
  • 各種ドイツ自治体の市長

そして寛仁親王殿下までもが出席者に名を連ねている。
これだけの大イベントは予想通りかなりの収益を集め、道外から帯広空港に降り立った客の9割がここに集まったとのこと。


そして実際のアトラクションはというと…

  • ハーナウ市から取り寄せたグリム兄弟の銅像
  • 東ベルリン(当時)から取り寄せた400年前の歩道石
  • ウトレヒトの出窓を含めたマルクト広場の再現

…ドイツに詳しくない筆者には良さが今ひとつ伝わってこないのだが、とにかく「ドイツの徹底した再現」を目指しているのは伝わってくる。
投資額は公表されていないが、一説によれば200億は下らないだろうと推定されている。


翌90年には当時ドイツで人気があった遊具・ウエーブスインガーを導入。
バブル崩壊後の92年にも「ビュッケブルク城」が建設され、67室からなる宿泊施設「シュロスホテル」が中に作られた。
宿泊料は一番安いのがエリカプラン(12,000円)であり、最高額のカイザープランになると何と80,000円という途方も無い額が設定された。
普通にドイツ行けるんじゃねえのかと突っ込んではいけない
15,000号の天井画を売りとしていた反面、家具はドイツではなくイタリア製という作り込みの甘さが見られた*1
同年には子供向け遊園地「グリムの森」が開園。遊園地が少ない道東において、貴重な遊び場となった*2


雪の厳しい北海道では通年営業は難しく、「ホテル以外は冬季休業。開園はゴールデンウィーク前から」という形態を取っていたにも関わらず、
開園後の1年間は74万人、91年から92年にかけてはそれぞれ70万人が入場していた。


地元は更なる集客を目指し、93年には帯広市に隣接する更別村に『十勝インターナショナルスピードウェイ』を建設。バブル崩壊後も開発を進めた。


…が、いつまでも繁栄は続かない…


3:赤字への転落

前述のバブル崩壊で道外の観光客が激減したのに加え、96年には北海道最大の銀行・拓銀こと北海道拓殖銀行が破綻。
97年のグリュック王国の入場者数は全盛期の半分以下の30万人。96年度の収益は前期比20%減という大赤字*3で、累積赤字はここまでで約24億円と多大に膨らんだ。
…まあ考えてみると、お金がないのにドイツを再現しただけの場所に行っても何も楽しくないわけで、リピーターがつかないのは自明の理だったわけである。
98年には「ジェイ・ウェイ」というベンチャー企業が「ブルーハワイアン」という屋内プールを隣接する(ドイツなのに!?)計画を立ち上げたが、結局実現せずにお流れ。


観光だけではマズいと地元も判断したのか、広尾町の十勝港を使って東京~釧路~十勝間のフェリーを96年に開設したが全く利益は出ず3年で撤退。
自治体からの援助も絶望的となった。


新規の客は望めず、施設もドンドン老朽化し、負債も膨らむばかり…どう考えても八方塞がりである。
そこで、ぜんりん側はあの手この手を尽くすことになるのだが…


4:迷走する経営、そして閉園

2000年には入場者が20万人を切り、負債が150億と更に膨らんでいく…
が、この事実を把握しているのは社長のみであった事が後に判明する。
そんな現実にヤケクソになったのか、開催されるイベントはもはやドイツも何も関係なく、ただ単に「客が集まりそうなものを手当たり次第にやってみた」という杜撰極まりないものだった。


2000年『いがらしゆみこ美術館』開設
2001年『十勝エコ・ヒーリングガーデンフェスト花大祭』開催
2002年『とかちフードメッセ』開催
『ジョン・レノン アートギャラリー』開設
『クラシックシネマの館』開設
『ゴールドラッシュ!砂金掘り大会』開催
2003年アンチエイジング医療の場所を提供

開設と銘打っているものの、既存の施設を再利用しただけのもので、中には無造作に展示物が置かれていただけだったとの証言もある。


もっとも、これらの場当たり的なイベントを行っていただけでなく、ロケ地としても貸出しており、
ざっと挙げただけでも

1999年『バラ色の日々』(THE YELLOW MONKEY)PV撮影
2001年『深い森』(Do As Infinity)PV撮影
三菱自動車『シャリオ・グランディス』(飯島直子出演)CM撮影
金田一少年の事件簿 魔術列車殺人事件』ロケ
2002年Gacktカレンダー撮影

と大物芸能人を次々と呼び寄せているのが分かる。
…が、これも多額の赤字に対しては焼け石に水*4


開園当初は3,800円(大人、遊園地使用料のみ)だった入園料もこの頃になると1,800円と大幅な値下げを余儀なくされている。
当然園内の質も下がり続け、入場した人のレポートによると

  • 売り場に段ボールが散らばっていた
  • 園内放送で雑談や笑い声が聞こえてきた
  • 日曜だというのに車が二台しか停まっていなかった

との報告もあった。


2003年にはゴールデンウィーク前の営業を諦め、営業期間を7月1日に延長。
…が、7月18日には年内の営業そのものが断念された
来年度の営業を目指しスポンサー集めを行うが、結局はまとまらずに2007年に閉園となった。


5:閉園後

皮肉にも閉園後は廃墟マニアが多数訪れており、各ブログに朽ち果てた建物がアップされている。
…が、現在は二重三重に立入禁止の看板が立てられており、中にはこんな強烈な文面が書かれたものもある。


 警 告 

立入禁止!

私有地につき、理由の如何に関わらず、
立ち入る事を固く禁ず。不法侵入者
14名が帯広警察署パトロール隊により
緊急逮捕され、裁判と所属先から退学
や解雇の処分を受けている。
見つけ次第、直ちに帯広警察署に
通報し逮捕する!
            管  理  者


当然というか何というか、未だに買い手はつかず、
何と心霊現象まで起こっているそうだ。


ちなみに道内のみならず、日本各地にはこういったバブルの負の遺産が数多く存在しており、
中にはグリュック王国同様に野ざらしのまま捨て置かれているものも少なくない。
放置されているとは言え一応私有地なので、無断で入るのはオススメしない。


追記・修正はドイツが「本当に」大好きな人がお願いします。


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  • バトル漫画とかのステージ設定でそのまま使えそうだな、日本全国のテーマパークの廃墟w -- 名無しさん (2015-11-16 15:57:04)
  • いったことあるウィキ篭りはいないの -- 名無しさん (2015-11-16 16:32:16)
  • 地元の建築屋だけど、建設に参加した大工衆の頑張った話とか地味に落ち込む。本当基礎工事とか大変なんだぜ? -- 名無しさん (2015-11-16 21:32:32)
  • 北海道は潰れたテーマパークが数多くある…。赤毛のアンの世界観を模したカナディアンワールドとかあったけれど、結局潰れて国が公園として一部を管理するようになった -- 名無しさん (2015-11-17 21:20:58)
  • ウィキのHP見たら結構建物しっかりしてたし面白そうだったんだけども、まあそれだけじゃ駄目だったんだろうな -- 名無しさん (2015-11-17 21:23:40)
  • ↑×5正確には違うけど、とあるPBWでは、幹部級の敵の本拠地になったことがあったりする(しかも敷地内に入っただけでアウトなデストラップが張ってあったり)。最も、その幹部が想定よりも早く倒されちゃったおかげでソッコー潰されたけど。 -- 名無しさん (2015-11-17 22:38:53)
  • 昔よくCMやってたな… -- 名無しさん (2015-11-17 22:53:46)
  • いっそのこと、入場料500円位の廃墟探索公園にしちまえばいいのに。 -- 名無しさん (2015-11-18 00:29:02)
  • いつか他の北海道項目も増やしてみたい -- 名無しさん (2015-11-18 21:36:14)
  • ↑2 いくら注意や事前同意を取ろうと怪我したら補償しなくちゃいけないから割に合わん -- 名無しさん (2016-05-12 09:23:27)
  • 東京ドイツ村となぜ差がついた 慢心…いや単に交通の便の違いかな -- 名無しさん (2022-12-07 13:44:09)
  • 北海道は全盛期過ぎて過疎ったテーマパークとかいっぱいあるよな -- 名無しさん (2023-05-16 21:29:38)

#comment

*1 それでも全てオーダーメイドであり、かかった金額は相当なものと推測される
*2 もっとも、来園する理由は「他に遊び場がない」という消極的な物だった。それでも王国内で一番収益を稼いでいたのだから皮肉である。
*3 もっとも、開園の翌年から赤字続きだった。
*4 例を挙げると、2001年の収益は僅かに300万円のみだった。

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コメント

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