武士道(新渡戸稲造)

ページ名:武士道_新渡戸稲造_

登録日:2014/08/16 Sat 22:08:08
更新日:2023/12/21 Thu 10:33:13NEW!
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武士道 歴史 新渡戸稲造 道徳観



『武士道』とは、1,900年に新渡戸稲造が著した、日本人の道徳観である「武士道」を海外に広めるための著作である。


ちなみに新渡戸稲造とは昔の5,000円札に載っていたお髭のおじさんである(若い人は知らないかも)。


解説についてはほかのサイトを参照すること。
なお評価については賛否両論である。



■武士道を書くに至った経緯

新渡戸がドイツに留学中、ベルギーの法学者から、「日本には宗教教育が無い」と言う事を話した際、大変驚かれ、こう言われた。


「西洋では善悪の基準をキリスト教を基礎として子供達に教えている。しかし、宗教教育の無い日本人は何をベースに子供達に道徳観を教えているのか」
「…!」


新渡戸は愕然とした。
自国の道徳観、そんな当たり前の事にすら即答できなかったのだから。
自分の妻であるアメリカ人のメアリーにもその事はうまく説明出来なかった。
だが、だからと言って、新渡戸が、ひいては日本人が道徳観を持っていなかった訳では無い。


「人に会ったら挨拶をする」
「食べる前にはいただきます、食べた後はごちそうさまと言う」
「弱い者をいじめない」


これら人の道たる道徳観は日本人はちゃんと持っており、そしてそれらは家庭教育にて教わるものであり、学校には「道徳」と言う科目は無かったのである(もちろん、学校でもそれら礼儀作法は学ばされてはいたのだろう。あくまで科目としての道徳が無かっただけである)


国教と言うものが存在しない日本人にとって、上記のような「善悪の概念」たる根底とは何か…?


日本と海外の架け橋となるべく勉強していた新渡戸は、この「日本人の道徳観、その概念の基本を説明出来ずには真に世界の人々とわかりあうのは不可能」と考え、この問題を考え続けた。


その解答を得たのは帰国してからだった。
春、桜の花の下で花見をする人々を見ながら、ヨーロッパ人が薔薇の花を愛でるのとは完全に逆の感覚だと思ったのだ。


ヨーロッパ人の愛する薔薇は甘美さの中にトゲを持ち、風に吹かれても散る事なく朽ち果てるのを好む、謂わば「生への執着」。
一方、美しく儚く風のままに散ってしまう桜の花、その潔さこそが「大和魂」。


この時に新渡戸は思い立つ。
花は桜木、人は武士。
日本には「武士道」がある、と。


こうして、新渡戸稲造は、日本人の道徳観たる「武士道」を研究し、海外の人々へ伝えるべく著書、「Busido」を発表。
後に世界的ベストセラーの一つとなるのである。



■そもそも武士道とは?


武士道とは一人の人間が決めた思想でなく、武士社会の成長と共に自然発生的に生まれ、武士のみならず広く庶民にも浸透し、日本人の魂とも言える「大和魂」となったのである。


武士道はまず、『刀』をその力と武勇の象徴とした。
幼少の頃から木刀にて剣術を教わり、15才で元服すると真剣を携帯しての行動を許される。
その時、侍が持つのは刀のみでなく、「危険な凶器を往来で持ち歩くこと」に対する『責任感』だと思われていた。


こうして、武士は刀を持つと共に教えられた道徳観、これがすなわち『武士道』である。


新渡戸は研究の結果、武士の道徳律を、『義』、『勇』、『仁』、『礼』、『誠』、『名誉』とに分けた。
下記からはこれらを説明していく。



◆『義』


『義』とは人間としての正しい道や人間たる者としての責任である。


スポーツ等で謂わばフェアプレイ精神である。
「敵に塩を贈る」で有名な上杉謙信の行動も、これを貫いた故のものである。
たとえ敵でも、困っているものには手を差しのべる。生きるか死ぬかの戦国時代に置いても謙信は『美学』にこだわったのである。
また、仕官する主君を持たぬ侍、所謂浪人は寺子屋で子供達に勉学を教える事もあったが、ほとんど報酬の無いボランティアのようなものだったと言う。


武士はとにかく銭勘定を嫌い、損得で物事を量りたがらなかったと言う。
打算や損得を超越し、自分が正しいと信じる道を行く。
武士道の中心となる良心の掟。
これがすなわち『義』である。



◆『勇』


『勇』とは『義』を通すための勇気、すなわちは「正しいと思うこと」を実行する決意の心である。
これを貫くためには精神的強さはもちろん、肉体的強さも必要(たとえば弱いものいじめを止めるにはある程度自分だって強くなきゃいけない)であり、武士達は常日頃から鍛練を重ねた。


だが、だからと謂ってわざと危険を冒し討ち死にすれば、それはただの「犬死に」である。
勇気とは、恐るべきものとそうでない事がわかる事である。


しかし、武士にとって犬死にはつまらない行為だが、自分が正しいと信じた事は恐れずに立ち向かう事こそが真の『勇気』である。
『勇』とはすなわち、正義を敢然と貫く実行力である。



◆『仁』


『仁』とは人間としての思いやり、他社への憐れみの心の事、弱き者や負けた者を見捨てない心である。


武士は時に、立ち会いで負かした相手に治療代を出してあげたりもしたと言う。
所謂「武士の情け」である。


だが、優しさは時に裏切られる事もある。
しかし、それで『仁』の心を疑うのは早計と言うもの。
難しい事だが他者への思いやりを忘れてはならない。
『仁』の精神は人の上に立つものの必須科目である。


が、『仁』に片寄り過ぎて人に甘くしすぎてもいけず、だからと言って『義』に片寄り過ぎて厳しすぎるのもいけない。
『仁』と『義』、この二つのバランスが大事という事である。



◆『礼』


『仁』の精神を育て、他者の気持ちを尊重する事から生まれる謙虚さが『礼』の根元である。
『礼』とは他者に対する優しさが型として表れたものであり、日本では古来よりお辞儀の仕方、歩き方、座り方など細かな規範が作られかつ学ばれていた。
「茶の湯」は今や、儀式を超えて芸術となっているが、この「もてなしの心」も起源はこの『礼』と言える。


贈りものをする際、日本人は「つまらないものですが」と言うがこれも、「あなたのように立派な方に、この程度のものを良いものだと言ったらあなたに失礼ですが」と言う、謂わば相手を立てる精神から来ている。
ちなみに西洋人はこれに強い違和感を覚えるらしいので西洋の人に贈りものをする際は「この品物はとても立派なものであり、立派なあなたにふさわしいものです」と言うようにするようにしましょう。


「ツマラナイモノヨコスナンテアナタワタシブジョクスルツモリデースカ!?」
と、こうなりますので。



◆『誠』


「武士に二言無し」と言う言葉は武士の徳目の一つ、『誠』から生まれた。


誠とは文字通り、「言った事を成す」と言う意味である。
武士にとって嘘をつく事や誤魔化し臆病な行為と見なされた。
かの新撰組のシンボルも『誠』であるが、こねシンボルにも主君に対する忠誠の思いと「誠に生きる」と言う信念が込められている。
真実性と誠意が武士の行動規範そのものなのだ。


商人達が手形や為替などで損得勘定をしっかりしていたのに対し、武士達は銭勘定を嫌い『誠』の精神にこだわり証文すら作らなかったと言う。


富の道でなく、『名誉』を求める事こそが武士道である。



◆『名誉』


『名誉』の観念は外聞や面目などの言葉で表されるが、裏を返せば全て恥を知る事である。武士の間では羞恥心を知る事を幼少の教育において行われた。
「恥」は道徳意識の基本であり、武士道における『名誉』とは人としての美学を追求する事の基本の徳である。
…が、サムライの中にはこれにこだわるあまり、些細な事で刀を抜く者もいたらしいが、「負けるが勝ち」と言う言葉があるように、むやみやたらに刀を振り回す事もまた『不名誉』である。
江戸の無血開城に貢献した勝海舟のように、戦わずして勝ち、血を見ない勝利こそが最たる『名誉』と言えるのではあるまいか。


武士道における『名誉』とは、名を尊び、自分に恥じない高潔な生き方を貫く事である。武士達は「どう美しく死ぬか」を追求した。


それは同時に「なんのために生きるか」…と言う哲学に帰属する。



◆『忠義』


これまでに紹介した徳目は儒教精神から派生したものであらゆる階級の人々にも当てはまるが、この『忠義』だけは武士特有の特殊な科目と言えるだろう。
『忠義』とは主君に対する絶対的な従属の事である。
一見その本質は日本の封建制度からの派生に見えるが、西洋においても「騎士道」と言うものがあったりする。
それらと日本のものとの違いは、西洋は個人主義において主君に対し別々の利害が認められるが、武士道においては個人、家族、そして広くは組織、国家の利害は一体のものである。
主君の命令は絶対だったが主君の考えの間違いが国家、組織のためとならないならば武士は命を掛けて己の気持ちを訴えた。


『忠義』とは強制でなく自発的なものである。
武士達はあくまで己の正義に値する者に対して『忠義』を尽くしたのである。



■武士道の未来


明治維新以降廃刀令により刀を失い、封建制度と言う母を失った『武士道』は、その後の何度かの戦争の中「大和魂」として残っていき、「軍国主義」「神風特攻隊」などを産み出すなどのある種の暴走をも見せた(やらなければやられる世界情勢の中での事なので善悪の判断は難しいが)。


新渡戸稲造は、世界から孤立する日本を憂いながら、妻メアリーに看取られカナダにて71歳でこの世を去ったと言う。


武士道は時代の変遷と共に消えるのかもしれない。
その武勇と文徳の教訓は解体されるかもしれない。


だが、武士道の輝きは人間として進むべき道をずっと照らし続けるはずである。
何世代かあとにその名が忘れられる事があろうとも、その輝きは遠くからでも我々日本人を照らし続けるであろう。




西洋化による個人主義がある種の暴走を見せる現代日本で、今こそこれらを思い返していきながら、追記、修正お願いします


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  • なんか全体的に微妙すぎる項目だなあ、歴史的なあれこれでもないし…。特に最後に行きすぎた西洋個人主義の暴走ってなんだ、 -- 名無しさん (2014-08-16 22:42:18)
  • タイガージェットシンが日本人は悪い意味で欧米化してきてるって言ってたけどそういうのじゃね -- 名無しさん (2014-08-16 23:22:07)
  • 武士道と言えば葉隠のイメージだわ -- 名無しさん (2014-08-17 00:06:19)
  • ↑3 俗に言われる「権利」の濫用じゃねぇ?義務は果たさないけど、権利ばかり主張するって奴。 -- 名無しさん (2014-08-17 05:29:49)
  • 鎌倉時代や戦国時代の武士道ってやつとは違うみたいらしいね -- 名無しさん (2014-08-17 05:40:15)
  • ↑5 ↑3の言うことに同意だなぁ・・・。 最近の日本人は、自分たちの安全のことだけ考えて、他のことはどうでもいい、っていうようなスタンスだからね。米軍基地移転の問題とか、放射性廃棄物の処分場の問題とか・・・ -- 名無しさん (2014-08-17 07:13:08)
  • (続き) -- 名無しさん (2014-08-17 07:13:23)
  • ↑タイプミスごめん; (続き)思うに、今の日本人は誰かのために、何かを引き受けるとか、何かを譲るとか、そういう心が欠けてきているような気がしてならない。 -- 名無しさん (2014-08-17 07:14:33)
  • バブル時代の団塊世代のほうがよっぽどモラル欠けてるんですがね、、、今はだいぶマシになったほうなんだが -- 名無しさん (2014-08-17 08:34:44)
  • そもそも近代国家において義務と権利は一体じゃないって中学校で習うだろ…、権利は万人に等しく存在するんだよ。ていうかはっきりいって国策でねつ造されたみたいな門だから菜、この武士道は -- 名無しさん (2014-08-17 10:14:50)
  • 誰かがつくるか自然に成立するかを問わず、道徳や正義は絶対に必要なものーーただ、日本人の道徳を武士道から説明しようとした氏の見解は、根源的にも統計的にも誤りがある -- 名無しさん (2014-08-17 13:36:14)
  • ついでに武士道が成立したのも江戸時代に入ってしばらくしてからで割と最近 -- 名無しさん (2014-08-17 17:54:14)
  • ていうか、江戸時代に入ってもないんだよ武士道、武士道って言葉があるだけで。当時の武士の教養とか道徳という面ではどちらかというと儒学だし -- 名無しさん (2014-08-17 18:06:51)
  • 武士道は武士階級内部の原理、原則。儒学はなぜ、武士が他の社会的集団の -- 名無しさん (2014-08-17 21:17:57)
  • すまん、続きです。上に立って仕切っているのか?という問いかけへの答に使われた。中国では易姓革命が行われるが、日本でそれが行われないのは中国の聖人君子がどこの馬の骨とも分からない、筵売りやら宦官の末裔やら自称・孫子の末裔なのに対して、日本の天皇家は自ら神の末裔で万世一系だから、起こらないというものである。これ自体が徳川時代に出てきた思想で、幕末に国力に勝る欧米列強が異質の原理、異質の正義を持って迫った際、日本が世界に誇れるモノとして、天皇家は持ち出された。あくまで武家政権は世襲の総理大臣で、国家元首は天皇であると、いう形で。 -- 名無しさん (2014-08-17 21:35:45)
  • この項目普通に立て逃げじゃないか? -- 名無しさん (2014-11-25 19:47:30)
  • いや立て逃げだろ普通に。後西洋化による個人主義っていうよりは利己主義だな。個人主義と利己主義は全然違う -- 名無しさん (2020-02-14 15:45:33)
  • クリスチャンである新渡戸稲造の武士道は、ヨーロッパの騎士道をモデルに創作したものであって武士や日本文化とは特に関係ない -- 名無しさん (2020-02-14 15:51:20)
  • 014/09/23 (火) 15:52:44 [ 最新版との変更点 | 1つ前との変更点 | ソース | 編集者 : 121.109.152.243 | の時点で話し合いの形跡のない大幅削除があるので立て逃げではないですね。差し戻します。 -- 名無しさん (2020-02-16 01:03:49)
  • タイトルを「武士道(新渡戸稲造著)」から「著」を除く形に変更。本書要約はこんなもんでいいと思うが、メタレベルの情報はめんどくさいので適宜いじってね -- 名無しさん (2020-02-16 01:23:23)

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