プリンス(アーティスト)

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登録日:2014/07/24 Thu 22:45:37
更新日:2023/12/19 Tue 11:15:10NEW!
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所要時間30分以上の項目 プリンス 黒人 アーティスト セクシー エロ要員 殿下 貴公子 ロック ファンク 天才 努力の天才 賛否両論 ゴールド・エクスペリエンス 空耳アワー 奇才 変態 荒木比呂彦 r&b ブラックミュージック




出典:https://jp.pinterest.com/pin/464926361501471015/
プリンスとはアメリカ合衆国出身のアーティスト




より正確に言えば、シンガーソングライターでギター・ベース他多数の楽器を使いこなすマルチプレイヤーで


作詞家で作曲家で編曲も行い、セルフプロデュースの傍ら後輩アーティストをプロデュースするプロデューサーで


ライブでは歌や演奏の他ステージ上を所狭しと踊りまくり、映画俳優もこなす男





「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第27位「歴史上最も偉大な100人のシンガー」では第30位に選ばれ

出典:http://prince.org/msg/7/318306
ギタリストとしても「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第33位選ばれている生ける伝説






アーティスト『プリンス』とは、そんな




出典:http://www.radiox.co.uk/news/prince-date-story-playlist-la-dj/#Q0eodHeJuywcuVzW.97
天に愛された才能と




出典:★レジェンド 伝説の扉~プリンス
いつまでも老いないセクシーな容姿




そして1978年のデビューから現在に至るまで、いつまでも前進し続けるバイタリティを持った







出典:http://msnixinthemix.com/tbt-music-edition-the-artist-formerly-known-as-prince.html
素敵で







出典:http://prince.org/msg/7/332852?pr
無敵な








出典:http://www.eonline.com/au/news/759034/mariah-carey-fights-back-tears-as-she-sings-one-sweet-day-in-prince-s-honor-he-was-an-incredible-person
ちっちゃいオジサンで(ry うわ、なにするやめろ





























プリンス(本名:プリンス・ロジャース・ネルソン)はミネソタ州ミネアポリス出身のアーティスト。


その(気持ち悪くて)独特かつセクシーな歌唱とナルシズム溢れるステージパフォーマンスから敬遠する音楽ファンも多いが、ギターをはじめ数十種類の楽器を操り、ロック、R&B、ファンクを基礎とした独自の音楽性で1978年のデビューから今も活動を続けるベテランアーティスト。



出典:https://pipic.wordpress.com/2010/08/11/the-100-greatest-singers-off-all-time/
イメージカラーは「紫」で、日本での愛称は「殿下」
身長は約155cm(小声)






戦慄の貴公子の来歴

プリンス(本名:プリンス・ロジャース・ネルソン)はミネソタ州ミネアポリスで、ジャズミュージシャンだった両親の間に生まれた。両親共に黒人ながら父はイタリア人、母にはネイティブアメリカンの血が流れており、何系とも言いがたい独特の容姿はここから来ている。
繊細ながらも活発で、音楽とバスケとバットマンが大好きな少年だったが両親が離婚。プリンスは母親に引き取られるも継父との折り合いが合わず、家出を繰り返すようになってしまう。
家出を繰り返すプリンス少年は親友アンドレ・アンダーソンの家に居候する。プリンスとアンドレは、アンダーソン家の地下室でジャムセッションを繰り返し様々な楽器を習得していった。そしてプリンスは本格的にアーティストを目指し、契約や著作権についての講義を受講。アンドレ達と結成したバンドも地元を中心に人気を獲得していく。



やがてプリンスはバンドから脱退。マネージャーを雇い大手レコード会社に自身を売り込んでいくと、才能溢れるミネアポリスの一人の若者を巡って大手レコード会社が激しい争奪戦を展開。1977年若干19歳にしてワーナー・ミュージックと契約。高額な契約金とセルフプロデュースの権利も同時に獲得するという異例の好待遇での契約だった。



翌年デビューアルバム「For You」をたった一人で完成させメジャーデビュー。まさにオール殿下。彼の長い長いミュージシャン人生がスタートした。このアルバムのセールスは奮わなかったものの、翌年には2ndアルバム「Prince」をまたも一人で制作。シングルカットされた「I Wanna Be Your Lover 」がビルボードR&Bチャートで11位というヒットを飛ばし、プリンスの名を全米に知らしめた。




1980年、専属のバックバンドを結成するが、やはりオール殿下で3rd「Dirty Mind」を制作。本来発売するつもりの無かったデモテープだったが、これを気に入ったマネージャーの勧めで完成させ発売。


しかし一方で注目を浴びるにつれステージでのセクシーな立ち振る舞いや奇抜な衣装、独特の歌唱からいわゆる「キワモノ」的な認識が一般化してしまう。





出典:http://www.lipstickalley.com/showthread.php/1024390-PRINCE-Picture-Thread?p=26962715
まぁ、パンツ+ニーソ+トレンチコートじゃあねぇ…




また一部の楽曲の歌詞が卑猥だとして問題視され、以降良くも悪くも彼には性的イメージが付きまとう事になった。


「Dirty Mind」発売後、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーにその才能を気に入られて、前座として共にツアーを回る事になったが、保守的なロックファンの多いストーンズファンから容赦無いブーイングのが浴びせられ、腐った食べ物を投げつけられる有り様であった。当時ストーンズの楽屋を訪れたデヴィッド・ボウイがトイレで泣いているプリンスを見かけ、以降自身のツアーには前座を置かない事にしたという逸話がある。そんな苦しみの中、1981年には4thアルバム「Controversy」を発表。前作をさらに発展させた内容で徐々に人気を上げていく




そして翌1982年5thアルバム「1999」を発表。発表直後こそ微妙な売り上げだったが、シングルカットされた曲がチャートを賑わせるにつれて、アルバムもチャートでの順位を上げていき、遂にビルボードチャート10位を獲得。プリンスはトップアーティストの仲間入りを果たした。この頃自身のバックバンドを「The Revolution」と名づけ、このアルバム以後は「プリンス&ザ・レヴォリューション」名義で作品を出すようになる。
また、この年は同い歳の黒人アーティストマイケル・ジャクソンが音楽史に燦然と輝く傑作「Thriller」を発表。二人揃ってMTVで「初めてPVが作られた黒人アーティスト」に連ねるなど、時代の寵児として音楽シーンを席巻していく。




1年空いて1984年、プリンスの半自伝映画「Purple Rain」が公開され、映画に先駆けて発売されたサウンドトラックも大ヒットを飛ばし、名実ともにトップアーティストの仲間入りを果たす。このアルバムは彼のキャリアを代表するアルバムになり、未だに同作の楽曲は必ずライブで演奏されている。

出典:http://tupichan.net/Billboard/billboard_no2_1984.html
余談だが、このアルバム収録曲「Darling Nikki」の歌詞が露骨に性的だとして、史上初めてペアレンタル・アドヴァイザリーシールが貼られたアルバムになった。(要は全米レコード協会に「未成年にとって有害な作品」とお墨付きをもらい、一部の大手量販店などでは販売できなくなった初めてのアルバム)




「Purple Rain」の収益を元手に独自レーベル「Paisley Park Record」を設立(後に解散するけど)。名作を生み出したアーティストがみな経験するように、プリンスにも世間から多大な期待が寄せられたが、プリンスはそのプレッシャーをモノともせず、1985年「Around the World in a Day」を発表。誰もが前作「Purple Rain」のような過激で猥褻な楽曲を予想する中、シングルカットされた「Paisley Park」「Raspberry Beret」共にミドルテンポの爽やかなナンバーで世間の予想を裏切りながらも、アルバムは全米1位を獲得する。




1986年には主演だけでなく自ら監督も務めた映画「Under the Cherry Moon」を公開。同作のサウンドトラックとしてアルバム「Parade」をリリースする。アルバムは好評を得てヒットを飛ばすものの、映画の評価は散々なもので、この年のゴールデンラズベリー賞を総ナメ。「最低作品賞」「最低主演男優賞」「最低監督賞」「最低助演男優賞」「最低主題歌賞」を受賞した他、「最低助演女優賞」「最低脚本賞」「最低新人賞」にもノミネートされた。また、この頃にガールズバンド、バングルスのために「Manic Monday」を楽曲提供している。




そして専属バックバンド「ザ・レヴォリューション」をほぼ全員解雇(バンドの存在感が大きくなり過ぎて自身の創作に支障をきたすと感じた為、と言われているが実際のところは不明)。しかしそんな変化に怯むどころかプリンスの創作意欲はさらに加速。「CAMILLE」、「Dream Factory」(2枚組)、「Crystal Ball」(3枚組)という3つのアルバム(実質6枚)のアイディアをバラバラに崩して2枚組アルバムに作り変えるという信じがたい方法で「Sign "O" the Times(""内は本来ピースマーク)」を制作する。プリンス自ら「傑作」と語る快心の一作となった今作は、1988年のグラミー賞「最優秀アルバム賞」にノミネートされるが、同じくノミネートされたU2のロック史に残る傑作「ヨシュア・ツリー」に阻まれ受賞は逃してしまう。ちなみにこの際「僕は彼らの曲を全て演奏できるけど、彼らに『Housequake』(※同アルバム収録曲)は演奏できないよ」と発言したエピソードがあり、その自信の高さが伺える。


「Sign "O" the Times」発売に伴うヨーロッパツアーの終盤、このライブの映像を撮ることを思いつき、スタッフに無理を言って撮影機材を揃えさせ、撮影したライブ映像を編集して合間合間に寸劇を差し込む形で映画化。ファンや評論家から絶賛される出来となった。またこの頃1000万ドルをかけて自身のスタジオ「ペイズリー・パーク・スタジオ」を建設。数々の名曲がここから生まれていく事になる。




1988年タイトルも無ければジャケットも真っ黒な通称「ブラックアルバム」を発売1週間前にして急遽発売を中止、そこからたった4ヶ月でアルバム「Lovesexy」を完成させて発売する。しかしながら発売を中止したブラックアルバムが流出。膨大な数のブート盤が巷に溢れる事になり、せっかく発売した「Lovesexy」もプリンスの全裸ジャケットが物議を醸し、実質9曲の収録曲を1トラックに繋げてスキップできなくするなどの、実験的な作風も相まってファンや評論家を困惑させてしまう。それでも同作に伴うプリンス史上最大規模の世界ツアーは世界中で大絶賛。彼の魅力が決してアメリカだけに留まるものでは無い事を証明してみせた。

出典:http://diskunion.net/black/ct/detail/XAT-1245503130



1989年、幼少期のヒーローだったバットマンの映画の音楽制作を依頼される。色々あってサウンドトラックは別の人物が制作したが、バットマンにインスパイアされた楽曲を集めたアルバム「Batman」をリリース。シングルカットされた「Batdance」がビルボードチャートで1位に輝き、映画の方も賛否両論ありつつヒットを記録した。


ちなみにこの頃、当時恋仲と噂されていたマドンナとのデュエット曲「Like a Prayer」をリリースしている。



1990年通算3度作目の映画「Graffiti Bridge」を公開。前作を更に超える迷作っぷりにゴールデンラズベリー賞すら振り向かず興行的にも爆死。サウンドトラックの方も多数の豪華ゲストが参加したが全米6位に止まる。



1991年にバッグバンドを「The New Power Generation(略称NPG)」と命名し、プリンス・アンド・ザ・ニュー・パワー・ジェネレーション名義で「Diamond And Pearls」をリリース。シングルカットされた「Cream」が全米1位「Diamond and Pearls」が全米3位を記録しアルバムも全米3位を獲得している。



出典:http://www.bustle.com/articles/156173-what-did-princes-symbol-mean-it-was-both-a-contractual-tool-meaningful-emblem
1992年発音不能の謎の記号を冠したアルバムをリリース。便宜的に本国では「The Symbol」日本では「ラブシンボル」というタイトルを付けられ発売されるが…ここから彼の苦難の日々が始まることになる。



1993年、ワーナーブラザーズとアルバム6枚分という長期の契約を結び、同社の副社長に就任する。契約金は当時音楽業界最高額の1億ドルというとんでもない条件のものだった。
しかし、同時に会社の重役になってしまった事で今までとは比べ物にならないほど活動に制約を受ける事になり、ワーナーとプリンスの関係は次第に険悪化。プリンスは契約の早期解消のため創作のペースを上げていった。この頃自信が設立したペイズリー・パーク・レコードもプリンス以外のアーティストが殆ど売れず閉鎖、新たにインディーズレーベル「NPGレコード」を設立している。



1994年アルバム「Come」が発売。その日本盤の帯にはこんな言葉が付けられていた。




プリンス、逝く




もちろん本当に彼が亡くなった訳ではない。なんと彼は自らの名前を殺し、新たに

出典:https://alsnog1blog.wordpress.com/2014/10/03/ode-aan-de-levende-artiest-prince/
と発音不能な記号を名乗ったのだ。




これにはファンもメディアも困惑。特にラジオでは彼のこの独特のマークをいちいち説明するわけにも行かず、便宜的に「the Artist Formerly Known As Prince(かつてプリンスとして知られたアーティスト)」や、これを略した「The Artist」などと呼ぶ事になった。またこの頃自分の頬に「SLAVE(=奴隷)」と書いてライブを行うようになる。
そして同年かつて自ら発売中止にした「ブラックアルバム」を契約消化の為にリリース

出典:http://soultrain.com/2014/06/06/prince-warner-bros-back/
翌年の1995年、かつてプリンスとして知られたアーティストによるニューアルバムThe Gold Experience」をリリースした。同年日本で行われたK-1 WORLD GPのオープニングに同アルバム収録の「Endorphinmachine」が使用された事でプリンスを知らない層にも名が知れるようになった。



1996年「Chaos And Disorder」をたった2日で録音して発売。アルバムのジャケットも「1999」のレコードが踏み付けられて割られ、レコードラベルのプリンスの眼から涙を流すという意味深なものだった。
ちなみに、この年NPGのダンサーだったマイテ・ガルシアと結婚するが、後に生まれた第一子が亡くなった事をきっかけに離婚してしまう。


同じく1996年、EMIとアルバム1枚だけの契約を結び「Emancipation(=解放)」を発売。新しいビジネスの形を模索していたプリンスは、この頃急激に浸透したインターネットを使った販売方法、つまりネット通販による音楽の供給に目を付け、過去にお蔵入りにした未発表音源集「Crystal Ball(「Sign "O" the Times」制作時とは別物)」をネット通販限定で発売。まだインターネットが一般家庭に普及し始めた頃だったために混乱はあったが、セールス的には成功を収めた。




余談だがこの頃宣伝のためにテレビ番組などに積極的に出演しており、NHKでも放送されていた人気番組「マペット放送局」にも出演。これがNHKにて放送された時彼の吹き替えを担当したのは石田彰氏だった。納得





1997年には3枚組の未発表音源集「Crystal Ball」をネット通販限定で発売。1999年にワーナーから未発表音源集「The Vault: Old Friends 4 Sale」を発売。これをもってワーナーとの契約を満了し、同年アリスタ・レコードから「Rave Un2 The Joy Fantastic」を発表する。ここにプロデューサーとしてではあるが久しぶりにプリンスの名前がクレジットされる。




2000年ワーナー傘下の出版社ワーナーチャペルとの契約が切れるのを機に名前を「Prince」に戻す。これに前後して、スラップ奏法の開祖ラリー・グラハムとの親交から「エホバの証人」に改宗。それに伴いトレードマークとも言えるセクシャルな歌詞やパフォーマンスを封印する。そしてペイズリー・パーク・スタジオのスタッフでエホバの証人の信者だったマニュエラ・テストリーニと2001年に結婚。第1子を授かるものの神の試練か悪戯か、同年中に逝去。マニュエラとも2003年離婚している。




2001年我が子を失った悲しみの中で「The Rainbow Children」を発表。自身のルーツであるジャズやR&Bに接近したスピリチュアルな雰囲気漂う作品に賛否両論はあったものの、以後の方向性を決定付ける重要な作品になった。




2004年には2月にはグラミー賞のオープニングで当時快進撃を続けていたビヨンセと競演。3月には遂に
ロックの殿堂入りを果たした。ちなみにプレゼンターはR&B歌手のアリシア・キーズとヒップホップグループのアウトキャストが務めている。
再び音楽シーンに返り咲いたプリンスはコロムビアからアルバム「Musicology」を発表。CDの特典にライブのチケットを付けるという奇策も当たりアルバムは大ヒット。これに伴うツアーも年間最大観客動員数を記録して、翌年のグラミー賞を2部門受賞した。




2005年には「NAACP(全米黒人地位向上協会)」から人種差別問題などの認知度を高めた功績で「ヴァンガード・アワード」を送られた。同年ハリケーン・カトリーナの被災者救済の為チャリティーソング「S.S.T」をいち早くリリースしている。




翌2006年、アルバム「3121」を発売。ビルボードの総合チャートで初登場1位を獲得。総合1位は4度目だが、初登場での首位獲得は初であった。同年11月にワーナー・ブラザーズが公開した映画「ハッピー・フィート」の主題歌を担当。翌年のゴールデン・グローブ賞で「主題歌賞」を獲得している。




出典:ローリングストーン誌の選ぶ史上最も過小評価されている25人のギタリスト
2007年2月に行われたNFLのスーパーボウルでハーフタイムショウを行う。アメリカの国民的スポーツ「アメフト」最大の大会であり、歴代視聴者数トップ10のうち9つがスーパーボウルという国民的大行事のハーフタイムショウだけあって約3億人の人が彼のパフォーマンスを観たといわれている。彼のパフォーマンス開始直前から雨が降り始めるが、それに怯むどころかむしろ味方につけた彼は、ベストに近い選曲にボブ・ディラン、フー・ファイターズのカバーも披露。最後はライトに照らされて紫色の雨が降りしきる中、名曲「Purple Rain」を演奏。12分程度の短いパフォーマンスながら全米を熱狂させ、後にビルボードが行った「最も優れたスーパー・ボウル ハーフタイムショー ベスト10」で見事1位に輝いている。


快進撃が止まらないプリンスは再びNAACPから「最優秀黒人アーティスト」を受賞。すると今度は最新アルバム「Planet Earth」をイギリスの新聞「デイリー・メール」誌の日曜日版に付録として添付するという前代未聞の暴挙に出るが、当然これには各業界から批判が相次ぎ、イギリスでの配給元であったソニーBMGはこれに強い遺憾を示して同アルバムの発売を中止するなど、音楽業界に大きな波紋を呼んだ。
しかしそんな逆風をよそに、イギリスにて21夜に亘って行われた「21」ライブは大成功に終わった。


同年9月には大手動画サイトやファンサイトに向けて「著作権侵害のため、写真、似顔絵、歌詞、アルバムジャケットなどの掲載を一切やめてくれ」と通告を出す。これに大手ファンサイトが手を取り合って11月にプリンス側を訴えるなど、少々ゴタついてしまう。これに折れたのか新シングル「F.U.N.K」のネット掲載を認めている。




2008年にはグラミー賞、最優秀R&B男性ボーカル賞を受賞。しかしかつてアルバム「3121」発売時に同名の香水を発売したが、十分な宣伝を行わなかったとして香水会社から訴えられるなどこの年も順調というわけにはいかなかったようである。(2011年プリンス側が敗訴。400万ドルの賠償金を払う羽目になる)




2009年アメリカの大手小売チェーン「ターゲット」と契約を結び、ニューアルバムを発売することを発表。「Lotusflow3r」「MPLSOUND」とそれぞれ名づけられたオリジナルアルバムに、プリンスが発掘したR&Bシンガー、ブリア・ヴァレンティのデビューアルバム「Elixir」の3枚組アルバムとして発表し話題になるが、それ以上に大手レコード会社を通さず小売店との直接契約という販売方法でまたも業界に波紋を広げた。




2010年新作「20ten」を発表。今度はベルギーとドイツの新聞に付録として付けている。再びダウンロードからCDでの販売にシフトするが、プリンスは「違法ダウンロードの横行によってアーティストの権利が侵害されているうちは新作を発表する気はない」といった旨の発言をしている。



2013年Twitterで「3RD EYE GIRL」というアカウントがプリンスのレコーディングやスタジオライブの動画をアップロードし、プリンスとの関係に様々な憶測が飛び交ったが、その正体はプリンスがプロデュースする女性R&Bグループであることが発表された。












愛のペガサス、アーティストとして

仕事中毒

さて、↑の長ったらしい来歴を見てくださった方々は既にお気づきかも知れない。


彼はほぼ1年に1枚のアルバムをリリースしているのだ。『プリンスの』オリジナルアルバムだけで



For You(1978年)
Prince(1979年)
Dirty Mind(1980年)
Controversy(1981年)
1999(1982年
Purple Rain (1984年)
Around the World in a Day(1985年)
Parade(1986年)
Sign "O" The Times(1987年)
Lovesexy(1988年)
Batman(1989年)
Graffiti Bridge(1990年)
Diamonds and Pearls(1991年)
Love Symbol(1992年)
The Beautiful Experience(1994年)
Come(1994年)
The Black Album(1994年)
The Gold Experience(1995年)
Girl 6(1996年)
Chaos and Disorder(1996年)
Emancipation(1996年)
Crystal Ball(1997年)
The Truth(1997年)
The Vault: Old Friends 4 Sale(1999年)
Rave Un2 the Joy Fantastic(1999年)
Rave In2 The Joy Fantastic(2000年)
The Rainbow Children(2001年)
One Nite Alone(2002年)
One Nite Alone... Live!(2002年)
Xpectation(2003年)
N・E・W・S - N.E.W.S(2003年)
Musicology(2004年)
The Chocolate Invasion(2004年)
The Slaughterhouse(2004年)
C-Note(2004年
3121(2006年)
Planet Earth(2007年)
Indigo Nights(2008年
LotusFlow3r(2009年)
MPLSOUND(2009年)
20Ten(2010年)




さらにこれの他にベスト盤が5枚とNew Power Generation名義のアルバムが3枚が発売されている。
そしてこれだけではなく、自身のバンドからデビューしたドラマー兼パーカッション奏者シーラEや、映画「Purple Rain」で競演したザ・タイム。その他何組ものアーティストのプロデュースを行い、酷い時には作詞・作曲・演奏にいたるまでプリンス自身が行ってしまうほど多作でワーカホリックな人物である。


ここだけ聞いてしまえば
「いやいやwwwツアーせずにスタジオに缶詰めすればできるんじゃねwwwww」
なんて思う人もいるかも知れないが、彼がツアーを行わなかったのは2005年、2008年、2009年の3年のみであり、ツアーを行わない時も大きなフェスや小さな会場でのギグも多数行っているため、決してスタジオに缶詰めできるタイプのアーティストでは無いのである。



ちなみに「どんな名曲でもアルバムの雰囲気に沿わなければ絶対にアルバムに収録しない」というポリシーのため、未発表曲/お蔵入り音源だけで数千曲ある。変な話だが今から死後の未発表音源発売が楽しみなお方である。







音楽性

彼の音楽性を一言で表す事は出来ない。本家Wikiを見ただけでもファンク、R&B、ロック、ポップ、ブルース、ゴスペル、ジャズ、ハードロックと記載されている。実際に曲を聴いてみれば分かるが、R&Bやファンクなどを基礎としながらも、
「Baby,I'm A Star」のようにシンセサイザーを用いた華やかでエロティックなパーティーソング
「Endorphinmachine」のように自身のギターをフィーチャーしたハードロックナンバーをやったかと思えば
「Black Sweat」のような癖になる電子音をフィーチャーしたヒップホップ
「The Rainbow Children」ではジャズっぽい渋くて官能的な曲を演奏したりと、彼の音楽的幅広さを表す楽曲は枚挙に暇が無い。



そんな彼の最大の音楽的ルーツはジェイムス・ブラウン。彼の強靭なファンクビートやせわしなく動き回るステージパフォーマンスや鋭いシャウトなど、プリンスとJBとの共通点は驚くほど多い。


他にも「ギターの神」ジミ・ヘンドリックス
ファンクとロックを融合させたスライ&ファミリーストーン
下品で胡散臭くチープでファンキーなジョージ・クリントン率いるP-FUNK一派
イギリスのロックヒーロー、ローリングストーンズ
世界最大のロックバンド、レッド・ツェッペリン
アレサ・フランクリンやジョニ・ミッチェルなどなど…人種など関係無くさまざまな音楽に触れ、真似て、自分のものにしてきたからこそ独自の音楽性を手に入れたのだ。



ちなみにそんな彼だったからこそ、同業者からは(変だけど)その才能を高く評価されていた。来歴にも書いた通りローリング・ストーンズのミック・ジャガーは特に彼を高く評価し前座に起用したほどであった。しかもそんなプリンスに対してブーイングを浴びせた観客達に対して「プリンスがどんなに凄い奴か、お前達は分かっちゃいない」と発言したと言われているほど彼の才能を高く買っていたようである。


まぁ一方でキース・リチャーズは「過大評価のチビ」って言ってたんだけどね(・ω<)


他にも自らのルーツであるジェイムス・ブラウンや「帝王」マイルス・デイヴィスなど、本来彼のようなキワモノを嫌うはずの大御所からの評価も非常に高く、彼を賞賛する言葉を残している。







シンガー・フロントマン

約4オクターブ半の声域を持つが、ファルセットの多用や独特過ぎるセクシャルな節回し、なんか気持ち悪い(褒め言葉)仕草とアァ↑ゥ↓アッ↑という喘ぎ声などの特徴的な彼の歌唱はその見た目も相まって好みがかなりハッキリ分かれる。しかしライブ映像を観てもらえば分かるが、ライブでは音程を大きく外したり不安定になる事は殆ど無いどころか、ギターを弾いたり、ステージ上を所狭しと踊りまくったり、ギターを弾きながら踊ったりというパフォーマンスを、ライブのクライマックスまで続けてもなお崩れない驚異的なスタミナの持ち主でもある。


しかもバックダンサーだけでなくライブのメンバーにもダンスやパフォーマンスを行わせ、「ショー」的要素を強く打ち出しているのも非常に特徴的。
彼のショーマンシップを表すこんなエピソードがある。ある日バンドメンバーの一人がリハーサルをしていた。彼は自分のパートを演奏していたが、左手を使わないフレーズに入ったところでプリンスはこう言った。


殿下「なんだいその左手は?どうして左手を動かさないんだ?」
メンバー「え?いや、ここ左手使わないパートなんで…」
殿下「なんだって?ライブはレコードより良く聞こえないとダメなんだ!今すぐ左手を使うフレーズを作れ!」
メンバー「はああぁっ!!??」



同時期にスターダムにのし上がったマイケル・ジャクソンも同じようにパフォーマンスに関しては徹底して完璧主義だったが、2人が大きな影響を受けたジェイムス・ブラウンも演奏中ミスを犯したメンバー罰金を払わせていた逸話があるので、「完璧主義者のパフォーマー」という面でも彼から影響を受けていたのかもしれない。





そして彼のフロントマンとしての最大の特徴はなんと言ってもその



出典:http://www.fuse.tv/galleries/2013/09/musicians-topless-rolling-stone-cover-photo-gallery#5
気持ち悪さである(褒め言葉)


彼の全盛期と言われる80年代、ステージ上の彼は露出の多い(変な)服装に身を包み、セクシーな振る舞いと喘ぎ声のような歌唱、そしてあからさま過ぎるほど性行為を意識したパフォーマンスで、世の良識者達の顔を歪めてきた。
ある時はビキニパンツで腰を振り、またある時はマイクスタンドに愛を語りながら押し倒し、またまたある時はステージ上での擬似フェラチオなどなど…


とまぁキワモノ感満載のプリンスではあったが、ある意味でキワモノだったからこそ注目を受けたとも言え、同時に彼に本物の実力があったからこそ、そのキワモノ感すら魅力に出来たのだ。
前述の通り改宗を機にこのエロキモカッコイイ路線に終止符は打たれるものの、現在では昔の路線から気持ち悪さが抜け、正統派エロカッコイイナイスミドル路線となったので結果オーライかも知れない。






歌詞

プリンスが世の親御さんから目の敵にされたのは、そのパフォーマンスもそうだが、もう一つがそのド直球な歌詞である。
特にキャリアの初期~中期の頃は「紫のバナナ」がどうとか「君はポケットに沢山のコンドームを入れていたから(使用済み)」のような下品で卑猥な表現が多かっせいで、後の米副大統領アル・ゴアの夫人ティッパー・ゴアを中心に結成された検閲団体PMRCにマークされ、前述の通り史上初めてペアレンタル・アドヴァイザリーシールが貼られたアーティストとなってしまったのである。



そしてエロでは無く愛についてはと言うと、さらにド直球。


「君が憎らしいよ、だって愛しているから」
「君の為なら死ねる/君の為に死のう」


等々、歯が浮いて飛んでいくような台詞を決め顔で囁くリアル王子様。



その一方で「テレビをつければ2つに2つは人が死んだニュース/食べさせるお金がないから妹は自分の赤ちゃんを殺した/それでも僕達は人間を月まで飛ばしてる」のような風刺的な歌詞も多く書いたり、神様を讃える歌も多く書いているため、セクシャルな歌詞というのはあくまで彼の一面である。エホバの証人に改宗した現在はその傾向が顕著に出ている。






殿下「レズビアンのあの子に男の良さを分からせてやれ」






………百合豚逃げてー!!






ちなみにタイトルや歌詞の同音の言葉入れ替えることが多い。


「I Would Die For You」⇒「I Would Die 4 U」」
「I Know」⇒「EYE NO」


などなど…中二病?なんのことかな






ギタリスト/マルチプレイヤー


出典:http://www.diezminutos.es/famosos-corazon/famosos-extranjeros/news/g11081/los-famosos-lloran-la-muerte-de-prince/?slide=5
ギタリストしての特徴を一言で言うなら「ジャズとファンクをサンタナっぽい音色で演奏するジミ・ヘンドリックス」。バッキングではファンキーなカッティングを多用し、ギターソロではサンタナ的なトーンで泣きのメロディを奏でたり、ジミヘンばりに歪ませたファズトーンでバリバリ弾き倒す。しかしながら弛まぬ研鑽によって磨かれた技術を武器とし、その技術をひけらかすような事はほとんどせずにチョーキング一発で技術を語り愛を語る。ギタリストとしては意外と渋くて昔気質なギタリストである。


上記の通り「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第33位に選ばれているがこれは2011年バージョンであり、その前に行われた2003年度版には名前が無かったどころか、2007年に行われた「史上最も過小評価されているギタリスト」というランキングで堂々の1位を獲得している。
良いんだか悪いんだかよく分からないかも知れないが、彼の場合ギターを弾かない曲も多ければそもそもギターが出てこない曲があったりするし、どちらかと言えばシンガー・パフォーマー・作曲家など総合的な意味での「アーティスト」という括りで語られる事が多いので、彼の多才さ故の弊害とも言えるかもしれない。



ちなみにベースも上手く、スラップの祖ラリー・グラハムとタメ張れるレベル。
他にもドラムにピアノにと多くの楽器を操れるが、デビュー当時(19歳)で27種類の楽器を扱えたと言われている。








主な使用機材

☆Mad Cat
デビュー初期から現在まで非常に長く使用されているテレキャスタータイプのギター。ヘッドには「Honar」と記載されているが、実際は日本のH.S.Anderson製で代理店販売のためHonarのロゴが入っている。


☆Cloud Guitar
特注の雲の形をした変形ギター。このギターを始め殿下のギターのピックアップはフロントにシングル、リアにハムバッカータイプが多い。2002年のツアーでレッド・ツェッペリンの「Whole Lotta Love」をカバーした際に、ステージ上で白い布をかけられ引退している。
様々な色のバージョンがあるが金色のモデルが、浅草にある金のうんこに見えるのは内緒だ!


☆The Symbol Guitar
プリンスが一時期名乗った記号と同じ形のギター。フロントシングル/リアハムなど上記クラウドギターと共通点が多いが、ロック式のトレモロが付くなど相違点もある。
本来金色のものがオリジナルだが、現在は紫色をメイン使っている。



☆Vox HDC-77
近年頻繁に使用されるセミホロウボディのギター。ピックアップセレクターの他にピックアップをクリーン/クランチ/リードと切り替えるスイッチが付いている。
筆者も全く同じモデル/色のギターを持っているが、扱い安く音色も豊富な上に10万そこそこで買えるので皆さんも如何だろうか?



☆ベース
Warwick社製のThumb BassやFender Jazz Bass、その他変形ベースの使用が見られるが近年は出番が少ない。




ちなみに殿下のギターの多くがショートスケールである。



理由はお察しください。







職業音楽家として

来歴にも書いたがアーティストの権利や利益に関して発言することが多く、それらを巡ってレコード会社などと幾度も衝突している。
当然アーティストとしては自分のペースで楽曲を作り演奏し、正当な評価とその対価をもらって活動できれば最も理想的ではあるが、現実にそれが出来ているアーティストはいないと言っても過言では無い。


長く世話になったワーナーとも「原盤権(マスターテープの所有権。音楽制作の費用を負担する代わりに企業が権利を買い取るのが一般的だが、移籍後であろうがアーティストの意思とは関係なしにアルバムを出す事が出来たり問題点は多い)」を巡って争い、「広告戦略上アルバムを出しすぎるのは良くない」と茶々を入れられるなど、多くの衝突を経験している。
アルバムの発売をネットに移してからは、海賊盤の横行やファンサイトなどで無許可に掲載される自分の写真・音楽・動画など対する権利を守るため更に敵が増えてしまい、遂には自身のファンとも戦う羽目となった。


しかし当然ながらこれはアーティスト/職業音楽家として当然の要求であり、むしろ彼ほどの大物音楽家が業界から干される事も厭わず、常に闘い新しい試みを続けている事は後進の大きな助けとなっている。



これらは学生時代、アーティストになる為に著作権などについての授業を選択していた彼ならではであるが、何より10代の時既に「アーティストには法の知識が必要」と気づいていたその慧眼さには驚くばかりである



また、デビューが1978年とすでに大御所の域に入るアーティストであるが、新しいものを取り入れる事に積極的で、音楽面ではヒップホップを取り入れた楽曲を作ったり、商業面では当時普及したてのインターネットの可能性に着目するなど、先見の明がある人物である。







人物

ステージの上ではセクシーで自意識過剰なナルシストであるが、その素顔は意外にシャイな事で有名である。ネット上に上がっているインタビュー映像を見れば、照れくさそうに笑いながら質問に答える可愛い殿下が見れるので、是非ともご覧頂きたい。



その見た目のセクシーさ通り様々な女性と浮名を流したが、離婚を2度経験し我が子の死も2度経験している。


ベジタリアンの中でも特に厳格な「ヴィーガン」であり、動物性の食品は一切口にしない。ちなみにお抱えのコックがいてツアーにも常に同行させている。


また睡眠は日に3時間しかとらない。むしろその時間すら惜しいらしい






キング、クイーンそしてプリンス

「King Of Pops」マイケル・ジャクソン、「Queen Of Pops」マドンナとプリンスは同じ1958年生まれの同い歳。
3人とも若くから才を発揮して、同時期に人気を得て時代の寵児となったが、それゆえか互いが互いを意識する間柄でもあったようである。


マイケルとプリンスは同じ黒人アーティストであり甲乙付けがたい天才パフォーマー同士でありながら、あくまでシンガー兼ダンサーとして幅広い世代からの支持を集めたマイケルと、実力派ながら子供に見せられないキワモノカルトヒーローとして賛否両論を生む男プリンスは対照的な人気を得ており、まさにライバルといった間柄だった。
少なくともマイケルはプリンスを気にいっていたようだが、マイケルが「BAD」でプリンスに競演を申し込むも断られたり、「We Are The World」で再び競演の機会を得るもののプリンスが収録に遅刻し、競演できず終いになるなど、とうとうコラボは叶わなかった。


だがマイケル息子の名前は「プリンス」くん。一応マイケルの親族にあやかった名前だそうだが…殿下を意識しなかったはずは無いと思うのだが…。



一方マドンナとは一時期恋仲が噂され、競演も果たしているほど両者の関係は良好だった。同じセクシャル路線同士気があったのかも知れないが、50を越えた今、プリンスがセクシー路線をやめたのに対して




出典:https://chubibo.com/2015/01/21/simpleng-pamumuhay-tatak-pope-francis/
マドンナは未だ現役である。(2014年の写真です)











影響を与えた人物

プリンスはその特異な存在と溢れる変た(ry 才能から、多くの後進に影響を与えたが、その中でもアニヲタ的に最も関わりが深いのが「ジョジョの奇妙な冒険」の作者。荒木飛呂彦先生である。
2003年のインタビューでは「一番好きなアーティストはプリンス」といった旨の発言をしており、ゴールド・エクスペリエンスを始め、随所にプリンスネタが仕込まれている。そう考えてみるとジョジョ特有の官能的で変態的なキャラクター達はプリンスに影響を受けているような気もしないだろうか。

出典:https://borderlinemusic.com/products/prince-and-the-revolution-parade-music-from-the-motion-picture-under-the-cherry-moon-cd
他にも最近「スペース☆ダンディ」のOPを歌った岡村靖幸氏は、「和製プリンス」と呼ばれるほど大きな影響を受けており、エロティックなファンクをしっかりと受け継いでいる。また「ミッチー」こと及川光博氏も「D.S.M.R」のオマージュ曲「S.D.R」を作ったり、プリンスが「元プリンス」になった時は「王子辞めます。元王子と呼んでください」と発言している。












追記・修正はブーメラン&ニーソで紫の雨に打たれながらお願いします。



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  • 俺得な内容だった -- 名無しさん (2014-07-25 15:10:21)
  • 私はプリンスを『タモリ倶楽部』の「空耳アワー」で知った -- 農協牛乳 (2014-08-01 17:26:32)
  • この充実っぷりwwwほんと老けないよなこのオッサン♂ -- 名無しさん (2014-08-30 18:41:40)
  • 大好き。去年のアルバムも凄かった。早く来日して! -- 名無しさん (2015-09-15 23:45:19)
  • 本当に逝ってしまったねぇ… -- 名無しさん (2016-04-22 20:55:10)
  • 未公開音源は楽しみだが、案の定遺産争いが活発だから二束三文で適当に売られそうな予感がするゾ -- 名無しさん (2016-05-10 01:18:28)
  • 項目めっちゃ充実してて乙なんだけど画像出典が追記されてない…。プリンスファンのWiki籠りはいねがー? -- 名無しさん (2016-07-18 16:29:08)
  • ↑出典追記しました -- 名無しさん (2016-09-10 19:04:38)
  • MJとの関係は扱う資料によってバラバラで未だに不明な点が多い。 注目度が高すぎて息苦しそうだったMJはマイペースに音楽活動を続けるプリンスが羨ましかったんじゃないだろうか。 -- 名無しさん (2020-06-26 20:00:45)

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