ジョン・レイフィールド

ページ名:ジョン_レイフィールド

登録日:2013/10/29 (火) 19:14:40
更新日:2023/12/04 Mon 13:50:12NEW!
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ジョン ・ レイフィールド (John Charles Layfield、1966年11月29日 - )は、
アメリカ合衆国のプロレスラー、証券アナリスト、投資家。WWE所属。


アメリカ合衆国テキサス州スイートウォーター出身だが現在はギミック上ではニューヨーク在住を強調している。
WWEでは本名以上にブラッドショーもしくは、これを組み込んだジョン・ブラッドショー・レイフィールド (John "Bradshaw" Layfield) のリングネームで知られ、番組などでは頭文字を取ってJBLと略されることが多い。


尚、このJBLという愛称は元アメリカ合衆国大統領リンドン・ベインズ・ジョンソンの通称であるLBJに掛けられている。


【略歴】
92年にデビュー。
元々はアメフト上がりの巨体と突進力を活かした、同郷のレジェンドにして、憧れの存在であるスタン・ハンセンらのスタイルを踏襲したド迫力ファイターとして活躍。
90年代後半にはバリー・ウィンダムとのコンビ、ニューブラックジャックスとして全日本プロレスにも来日しているが98年に解散する。
“ブラッドショー”のリングネームは、この時代から使用している名前である。


同年から参戦したWWFでは、黒く染めた長髪に髭面のワイルドな風貌で、Damnおじさんこと元WCWチャンピオンのファルークとのタッグチーム『アコライツ』を結成してエッジ&クリスチャンやハーディーボーイズらとタッグ戦線でしのぎを削る。


00年に入ると『APA(Acolytes Protection Agency、アコライツ警備保障)』へと改名。
派閥の枠に捉われない文字通りの頼れる用心棒路線で鳴らす。
圧倒的な破壊力で暴れまわる大食漢で大酒飲みの二人がビンスから大量のホットドッグを捌くことを命じられたストーン・コールド・スティーブ・オースチンを救ったこともあった。


02年に、WWFが動物愛護団体の方のWWFとの兼ね合いからWWEに改名。
この頃にはエンタメ路線が定着すると共に、元WCWやECW勢を吸収してタレントが増えていたことから、RAWとSMACK DOWNの二部リーグ制がスタートしたのに伴い『APA』は解散させられ、シングル路線でのトップクラスのプレイヤーとして組み込まれ、ハンセンの様なカウボーイスタイルになるも、暴力事件を起こして格下げされてしまう。


リング上での豪傑の姿としては裏腹に、リング外では証券取引を副業としており、証券アナリストとして多数のラジオ番組やテレビ番組に出演し、著書も出版もしていた。*1
そして、同時期のWWEのドイツ遠征の際にナチス式敬礼のパフォーマンスを行い、CNBCの番組を降板。


……すると、ここで付いたと云うか結び付いた悪徳投資家のイメージをリング上でもギミックとするようになり、髭を落として本来の髪色である金髪を整えた風貌に変身。


それまでの義侠心溢れる荒くれ者のイメージとは全く違う、後に「レスリングゴッド」を名乗る、タカ派で人種差別をも口にする悪徳政治家的なキャラクターへと変貌していく。


04年にエディ・ゲレロとの抗争の末に汚い手段を用いてWWE王座を奪取すると、JBLキャビネットなる派閥の長となって、観客からのブーイングを浴びた。
このJBL時代に入ると、嘗ての『APA』や、それ以前の時代からの“ブラッドショー”からは想像も出来ないようなコミカルな姿を番組内で晒しまくるようになり、WWE中継が盛り上がっていた日本でも“レ神”の愛称で親しまれる。


このJBLこと“レ神”時代にはオーランド・ジョーダンやバシャムブラザーズを利用した政治力(物理)により、ブーイングを浴びつつも長期政権を樹立。


しかし、04年のWM20にてUS王座を獲得してベビーフェースに転じていたジョン・シナとの長編シナリオを経て、05年のWM21でシナに破れて王座から陥落。


これ以降は腰の怪我の悪化もあってか、完全にコミカルな路線に移行。
06年のブギーマンとの抗争では大量のミミズを食わされ、エディの後を追って世界ヘビー級王座を獲得した最小兵のレイ・ミステリオに敗れ、売り出し中だったボビー・ラシュリーにUS王座を奪われ、選手としては一旦フェードアウト。


その後は、解説をメインにしていたが07年にクリス・ジェリコとの抗争から復帰。
08年にはリーマン・ショックネタから、失業したHBKを雇うというギミックで登場。
09年にはCMパンクからIC王座を奪うも、WM26でレイ・ミステリオから僅か21秒で王座を奪われ「I quit!」もう辞める!と宣言して引退。


勿論、引退の理由は腰の悪化と投資家としての仕事への専念の為で、翌日にはブログにてファンへの感謝と「エディ亡き後、自分の引退試合を務めるのはレイ以外にはいなかった」と本心を綴った。


その後は総合格闘技団体を立ち上げると宣言しつつも果たせず……といった話が聞こえて来たりする中で、11年に久々にWWEに復帰して、同郷の友人でもあるストンコと息の合ったスタナー芸を披露。


矢張り、アッティチュードの始祖にして黄金期を支えたスパスタを見たいファンの声を受けて12年のRAW1000回記念でファルークと『APA』を再結成して元気にクローズライン・フロム・ヘルをぶちかました。
そして、ファルークがHOFを受賞したときにはインダクターを担当。
将来的にはJBL自身の受賞も確実であろう。
これ以降はヒール寄りの軽妙な解説をメインとしつつ、WWEにもたまに顔を見せている。


現役時代にはジ・アンダーテイカーらと共にバックステージでの相談役。
ことに、JBLの場合は制裁役を担っていたも言われる。
また、温厚で常識人という評価もある一方で、ちょっと人間性を疑うような話も少なくない。悪戯については、行く先々の州の看板に小便する写真を撮影するという遊びをしていたのだが、とある州の看板に小便している写真をその州出身のレジェンドであるダニー・ホッジに見つかってフルボッコされた…のようなクソガキレベルの物から、いじめや人種差別と捉えられても文句が言えないものまで幅広く、JBLのことを苦手はおろかはっきりと「嫌い」とする選手もいる。


WWEではボディビルのトレーニングを取り入れた、見映えを重視した選手が多いが、ナチュラルな巨体を武器に暴れまわった、昔ながらのレスラーの雰囲気を漂わせる選手としても人気があった。
07年からは自身のリングネームを冠したLayfield Energyと云う栄養補給ドリンクも販売しているらしい。



【得意技】


■クローズライン・フロム・ヘル
所謂ラリアット
一撃必殺の地獄からのクローズラインで、ブラッドショーの場合はロープの反動等を利用した動きから、高速で巨体をぶつけつつ右腕を思いっきり振り抜いていく。
米国ではこの系統の技は“クローズライン”として呼ばれる事が多いためにこの名前が付いているが、ブラッドショー自身はハンセンへのリスペクトから“ラリアット”と呼んで技術を磨いてきた。
近年では日本マット等の影響から“ラリアット”を使う選手も増えたものの、未だに米マットを中心に活躍した選手としてはNo.1との評価を下すファンも多い。
尚、使い始めたのは勿論、元祖のハンセンの影響だが、打ち方はテリー・ゴディの体をぶつけていく方式を参考にしたとの事。
体重の軽い選手なら楽々と空中で一回転してしまうが、逆に“そう”受け身を取れないとヤバい威力なのだとも伝わる。


■パワーボム
オーソドックスなハイアングル式で、技に入る前に葉巻を吹かす様なポーズや、ハンセン譲りのロングホーンのサインを取ることも。
この技をフィニッシュの一つにしたのもハンセンの影響かもしれない。


■リストロック・クローズライン
相手の腕を取って、引き寄せつつクローズラインをかます。
フィニッシュ(ラリアット)に行かない場合はこっちで首にダメージを与える。


■ビッグブーツ
フロントハイキック。
大型選手なので説得力も充分。
フィニッシュへの布石となるパターンも多い。


■ラストコール
日本ではブロックバスターと呼ばれていた技。
相手を横抱きに抱えあげ、そのまま後ろに反り投げていく。
フォール・アウェイ・スラムとも呼ばれ、ロープ外に放り投げる場合や雪崩式で見舞う場合もある。


この他、オリジナリティのある技は少ないがオーソドックスなレスラーらしいレスラーといった技を繰り出す。




追記修正はクローズラインをぶちかましてからお願いします。


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  • ヒールは性格がいいというが、この人はリアルで嫌われ者。 -- 名無しさん (2018-02-28 17:58:24)

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*1 ※夫人も証券アナリストであり、夫婦共々にテレビの経済番組に定期的に出演していた。

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