キミ・ライコネン

ページ名:キミ_ライコネン

登録日:2010/12/09 Thu 16:37:31
更新日:2023/11/20 Mon 11:11:45NEW!
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キミ・ライコネン(Kimi Matias Raikkonen)(1979年10月17日-)はフィンランド・エスポー出身のレーシングドライバー。2012年シーズンからF1に復帰。


2007年のF1ワールドチャンピオンである。




・F1チーム経歴
ザウバー(2001)
マクラーレン(2002〜2006)
フェラーリ(2007〜2009)
ロータス(2012〜2013)
アルファロメオ(2019~2021)



  • 経歴

5歳の時に兄のモトクロスバイクをもらい、8歳のころからその兄とカートを始めた。



フォーミュラ・ルノーで10戦中7勝、2位1回、3位2回という結果でチャンピオンを獲得。ザウバーのオーナーであるペーター・ザウバーがその能力を買い、F3を経験しなかったが2回のテストを経て正式にレギュラーシートを得た。
初期はFIAがF3未参戦を疑問視し、4戦限定の仮ライセンスを発行したものの、デビュー戦で6位入賞を果たし、実力を見せ付けた。その後、正式にスーパーライセンスが発行されることになった。



2002年には名門マクラーレンに移籍。前年に休養宣言をしたミカ・ハッキネンの後任となった。


その年の開幕戦では自身初表彰台にを獲得。しかしメカニカル面のトラブルが多発し、初優勝はならなかった。



2003年、マレーシアGPで初優勝。初のチャンピオン争いに加わり、ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)に2点差で敗北、2位でシーズンを終える。


2004年、序盤からマシンの信頼性に苦しみ、このシーズン最速のF2004に敗北してしまうが、イギリスGPで初PP、ベルギーGPで優勝するなど活躍を見せる。



2005年、序盤こそマシンの信頼性不足に悩まされるが、サンマリノGPから3戦連続PPを獲得。モナコGPではポールトゥウィンを収める。


また、この年の日本GPでは鬼神の如き走りを見せた。予選はTA直前に雨が降り出し17番手に終わるも、オープニングラップで12番手に浮上。20周目には7番手に。


41周目にトップに立つが、その後のピットインにより、ジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)にトップを譲る。


しかし、タイヤがタレ始めたフィジケラのタイムより1秒以上早いタイム連続して出し続け、ファイナルラップの1コーナーの飛び込みでフィジケラをオーバーテイク。


見事逆転優勝を飾った。


更に、鈴鹿サーキットのレコードラップを更新。未だ破られていない。


フェルナンド・アロンソ(ルノー)とのチャンピオン争いには惜しくも敗れてしまうものの、アロンソと同じ7勝を記録した。


余談だが、この年のイタリアGPでF1史上最高速度(370.1km/h)も記録した。


2007年には一時引退のシューマッハの後任としてフェラーリに移籍。開幕戦から3連勝し、その後もマクラーレンと激しい戦いを繰り広げ見事初タイトルを獲得する。


因みに、この年の最大ポイント差は23ポイント。それを見事に跳ね除けて逆転タイトルを獲得した、F1最大級の逆転劇であった。



2008年はタイトル争いに脱落してしまうが、マクラーレンのルイス・ハミルトンと争っていた、チームメイトのフェリペ・マッサのサポートに回ったが、マッサのタイトル獲得は惜しくもならなかった。



2009年、KERSを搭載したマシン・F60に悩まされるも、ベルギーGPで首位走行中のフィジケラをKERSを巧みに使い抜き去り優勝。このシーズンフェラーリ唯一の優勝であった。


また、この年にフェラーリとの契約を解除(本来は2010年までの契約であった)。以前から興味のあったWRCに転向する。



WRCではシトロエン・ジュニアチームから参戦。2010年度は最高位5位、年間ランキング10位で終えている。


また、この度彼のドキュメンタリー映画が公開されることが決定した。


そして2012年、(黒金カラーの)ロータスからF1に復帰することに。
また表彰台で一気呑みする姿が見れる
...かもしれない。
アブダビGPでF1復帰後初優勝をするなど、この年は復帰後初年度とは思えないほど活躍し、ドライバーズランニング3位、中国GP以外は入賞(内7回は表彰台)、そして年間決勝全線完走者となった。


その後2014年より再びフェラーリに移籍、移籍初年度はV6ターボに切り替わったこともあり悪戦苦闘するも、その後はアロンソ、ベッテルとチャンピオン同士の協力タッグによって着実にフェラーリに貢献。
2018年にドライバーズランキング3位を再び獲得した。


しかし、そんなライコネンも若き天才、シャルル・ルクレールにシートを奪われ、引退説が流れるが、そのルクレールと(偶然とはいえ)トレードする形で古巣である元ザウバーことアルファロメオへと移籍。
40歳となったライコネンは、新人のアントニオ・ジョビナッツィとコンビを組む。
もはやベテランとなったライコネンに多くのファンが期待を寄せる。


だが、現実は非情だった。


フェラーリよりも数段戦闘力で劣るアルファロメオでは、19年にブラジルグランプリで4位入賞がやっと。それ以降は表彰台にあがることはなく、
2021年シーズン途中でF1引退を発表。
最終戦はブレーキトラブルでリタイアという、なんとも残念な結果に終わってしまった。


ただし、そんな最中でもルーベンス・バリチェロが持っていた最多出走記録、
ミハエル・シューマッハが持っていた最多周回記録を更新するなど、
現役最年長ドライバーであったライコネンは、同時に「鉄人」と呼ばれるようにもなった。
ファンにも愛され、見るものに鮮烈な記憶を刻んだ熱きアイスマンは、静かにF1の舞台から姿を消した。


引退後は世界モトクロス選手権にてカワサキ・レーシングのチーム代表に就任することになった。





ちなみにライコネンのインタビューは低音でボソボソと喋るため、何を言っているかいまいちよくわからないとマスコミからは不評。



  • ライコネンと酒

非常に酒好きで有名。表彰台に登り、シャンパンファイトをする時、彼はまず一口飲んでから参加する。


2007年の王座決定の時は表彰台に登った途端にシャンパン飲んだ。まさにフライング・フィン。


2006年のモナコGPでリタイアした後、本人所有のクルーザーで、水着を着てシャンパンを飲んでいた。


しかもその姿が国際映像に映っており、「ピット戻って仕事しろよ」と批判された。



更に、同年のレッドブルのパーティに出た際もやらかした。財布と運転免許とパスポートを無くした。


飲酒運転で罰金取られて免許とパスポートは没収されたとか、元々出席してないとか色んなこと言われてるが…



結局は呑み過ぎが原因です




節度を持って呑みましょう


ちなみに好きなお酒はウォッカのレッドブル割りだとか。



  • 性格

「アイスマン」と言われ、非常にクール。でも意外と熱いところがあり、可愛い場面が見られる動画が多々ある。


シンガーソングライターの榊原ゆいもライコネンのファン。結構ブログでもライコネンのこと言ってたりする。
ライコ様とか、マイダーリンとか呼んでる。しかも日本GPに応援しに行く等、ガチでファンの一員である。







追記・修正は酒を飲みながらお願いします


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