真田幸村

ページ名:真田幸村

登録日:2009/09/17 Thu 12:39:25
更新日:2023/10/05 Thu 12:27:16NEW!
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注意:この項目では戦国武将について記載されています。
漫画、小説、ゲーム等での真田幸村についてはそちらに該当する項目を読むようにして下さい。




真田幸村-さなだ ゆきむら(本名…真田信繁-さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。(1567-1615)


永禄10年とされる生年は没年の49歳から逆算されたもので、月日は不明。



本名の信繁(のぶしげ)は、武田信玄の弟・武田信繁の名を是非にと父・真田昌幸が信繁の息子に言って使わせて貰った名であるため改名はしていない。



●「真田幸村」の由来

講談などの影響で「真田幸村(さなだゆきむら)」の名で広く知られているが、
信繁直筆の書状を始め、信繁が生きていた同時代の史料で「幸村」の名が使われているものは存在しない
架空の名前だがかっこいい名前のためか幸村のままになっている。
例えるなら三国志の張益徳(張飛)が張翼徳とされているような感じである。


幸村という名前の初出は1672年の軍記物語「難波戦記」と言われる。
江戸初期、真田家は徳川家を苦しめた記録を残すことを遠慮しており、
当時、「昌幸の次男」の名前は記録に残っておらず、
真田家の通字「幸」と姉「村松殿」の「村」を組み合わせて創作されたと言われている。
真田家の公式記録が編纂されたのは「幸村」の名前が広まった後の江戸中期以降。

  • 1633年の『慶元記 大阪夏冬両陣始末』も現存する版では「幸村」
  • 1695年の『滋野通記』に信幸の言葉として「高野山蟄居ノ折カラニ幸村ト改シト物語有リ」と書かれる
  • 幸村直系の仙台真田家伝来の系譜『滋野姓海野氏真田氏略系』にまでも「幸村」と記載

等々、信繁ではなく幸村という名前が色々な公式記録に採用されるという事態が起きた。


●六文銭

旗印である六文銭(ろくもんせん)は、冥銭を表しているといわれている。
冥銭とは、亡くなった人を葬る時、棺に入れる六文の銭の事で、三途の川の渡し賃のこと。
これを旗印にすることは「不惜身命」(ふしゃくしんみょう:仏法のために身命をささげて惜しまないこと)を意味するといわれている。


真田家の家紋は正しくは六連銭(りくれんせん)であるが、幸村の名前と同じく誤って流布している。


なお、大坂の陣での戦闘シーンで六文銭の旗を掲げて家康本陣に突撃するシーンが定番だが、史実では真田家に憚って六文銭の旗は使わなかったこととされている。


●活躍


真田幸村(さなだ ゆきむら)と言う名称は、江戸時代以降に流布した、小説や講談における真田信繁の通称
義の志と共に戦場を駆け抜ける熱血漢で、日本征服を目論む悪逆非道の権力者である徳川家康に生涯に渡って立ち向かった正義の武将である。


幼少期より人質として預けられる日々を送っていたが、上杉家の人質となっていた時期に真田家が徳川家康の侵略を受けている事実を聞いた幸村は、
義の志を持つ直江兼続の粋な計らいによって上田城への帰還を許され、彼の友情に応えるべく幸村は馬に跨って上田城を目指す。
徳川軍の待ち伏せも物ともせず、休む間も無く上田城へと辿り着いた幸村は、「第一次上田合戦」に参戦。
圧倒的な数を誇る徳川の軍勢を相手に大・奮・戦し、真田軍の勝利へと導いた。


真田家が豊臣家の臣下となってからは、馬廻りの一人に抜擢され、そこで豊臣家随一の忠臣である石田三成と出会う。
性格は対照的ながらも、互いの心の中に眠る正義の魂で通じ合った結果、上杉家での人質時代に友情を育んでいた直江兼続も交えて義の同盟を結ぶ。
そして、小田原征伐における北条家との戦いでは、三成の指揮する忍城の攻略戦に参加。
父・昌幸、兄・信之の二人と共に、北条家を見事に打ち破り、指揮官であり、友である三成を感涙させた。


その後、最大の怨敵である家康が、三河から関東へと移封された事もあって、天下統一された日本の未来は明るいかと思われた…。
しかし、太閤秀吉が亡くなったのを機に、それまで関東で大人しくしていた家康が一気に野望を剥き出しにし、暴虐の限りを尽くす事になり、
盟友である三成は、家康によってけしかけられた福島正則や加藤清正といった武将達に襲撃された挙句、蟄居へと追い込まれてしまい、
正義の炎を燃え上がらせた幸村は、すぐにでも家康を討ち取ろうと、鎧を着て出陣しようとしていたが、
「今はその時ではない」と昌幸や兼続に諫められた幸村は、大阪城を去っていく三成を涙ながら見送るしかなかった。


しかし、家康によって起こされた会津征伐で上杉家が滅びの危機を迎えようとしていた事で、遂に幸村の怒りは爆発。
同じく佐和山城で蟄居の身となっていた三成が、正義の志と共に挙兵を決意したのを知った幸村は、父・昌幸と共に迷わず三成の率いる西軍へと突く道を選ぶが、
兄・信之は時世は「徳川の方に向いている」という理由から、「義」よりも「利」を取る道を選び、兄の裏切りに戸惑いながらも、幸村は「関ヶ原の戦い」へ参戦。
前哨戦である「第二次上田合戦」では、真田家に仕える忍者軍団を使い大・活・躍し、徳川秀忠率いる軍を撃退する事に成功する。
だが、関ヶ原の戦いの本戦では、家康の卑劣な策略によって西軍の小早川秀秋が裏切った結果、西軍の敗退と言う形で戦いは終わってしまい、
三成は斬首刑に処せられる形で死亡。自らも昌幸と共に高野山への蟄居へと追いやられる事になってしまった。
そして、屈辱の日々に耐える中、昌幸は無念の言葉と共にこの世を去る事になり、父の死に号泣した幸村は、父の遺志を継いでいつの日か必ず家康を断罪する事を誓う。


父の死から数年後、豊臣の危機を聞かされた幸村は、息子・大助やいずれ家康を自らの手で討つ為に結成していた「真田十勇士」を引き連れて高野山を脱出。
無事に大阪城へと入城した幸村は、長宗我部盛親、毛利勝永、後藤又兵衛、明石全登の4人と共に「大坂牢人五人衆」を結成。その筆頭として家康を迎え撃つべく、
大阪城の中でも防御ので薄い南側の防衛を目的とした巨大な出城「真田丸」を考案し、それを建造する。
そして、大阪冬の陣が開戦してからは、真田丸にて歴戦の猛者に相応しい名指揮を発揮する事になり、豊臣軍の大・勝・利へと見事に導いた。


しかし、真田丸の脅威を目の当たりにした家康の策略によって、大阪城の堀全体が埋め尽くされた上に真田丸も取り壊されてしまう事になり、
更には追い打ちを掛けられる形で大坂夏の陣が勃発する事になるが、それでも諦めなかった幸村は、自ら前線に出陣して、家康の首を討ち取る事を決意。
真田十勇士と共に家康の本陣に向かって突撃を敢行し、家康を恐怖のどん底におとしめるも、遂に討ち取るまでは叶わず、大・激・戦の末に壮絶な討死を遂げた。


一説には秀頼を擁して大坂を脱出し、薩摩へ落ち延びたとも東北へ逃げたとも言われる。




ゲーム等での活躍

現在までシリーズとなっている作品のみ記述する。
いずれにしても赤い甲冑を着た熱血漢の若いイケメンとして描かれておりどちらの作品でもまるで主役のような扱いである。



●戦国無双シリーズ

CV:草尾毅
戦国無双シリーズを通しての主人公的存在であり、戦国無双4では兄・信之もPC参戦。
同じ無双シリーズである三国無双の趙雲とは、共にジャケットを飾る事が多い事からか無双OROCHIのOPで共闘している。
ほぼ全ての作品通して真面目で礼儀正しいながらも熱血漢という性格は共通しているが、
2の時はいきなり「義…ではないでしょうか」と話しかけて直後(何を言っているのだ私は)と一人ツッコミする天然なところも。



●戦国BASARAシリーズ
CV:保志総一朗
[[「ゥヲォヤカタサムァァァァッ!!」で有名な人>真田幸村(戦国BASARA)]]。やたら熱血&愛すべきバカ。アニメでは本格的に人間を辞めてきている。最近は影が薄めで窓際に近づいている。
保志氏迫真の演技も光る。
戦国大戦にてコラボ参戦し、高コストだがクセのない使いやすい槍兵として一時期環境を支配した数年後
LoV3ともコラボして、こちらも中コストの使いやすいアタッカーとして大暴れした。



●仮面ライダー電王-俺、誕生!-
陣内智則が演じる。
神の路線を使い、戦国時代にタイムスリップしてきた牙王と半ば強制的に手を組まされた。
ここでは前述の様にイケメンではない。
アメトーーク!では「怪人クソ大根」呼ばわりされた。



●パチンコ-花の慶次-
「一本気大将!真田幸村!」
といえば打てば誰でも見れるリーチ。


「人間には、触れちゃならねぇ"痛み"ってもんがあるんだ…」


「そこに触れたらあとはもう命のやり取りしか残っちゃいねーんだ!」
「冗談じゃねぇぞ!コノヤロォォオオー!!」


全く期待出来ないが、幸村リーチで2R当たりだった場合は確変確定。


原作では慶次の馬、松風をくれとせがんだが一蹴される。
あまりにしつこいので慶次は似たような馬をあげた。
喜んでた


沙霧編での茶会は涙なくしては語れない、ストーリーリーチにしてほしいくらいである。



●信長の野望シリーズ
大体真紅の赤備にイケメンと通例だが、リアル路線なゲームゆえに若干渋い強面になる。
最近の作品では常時騎馬適性Sに加え、統率と武勇、そして知略がトップクラス で、戦闘用の数値を一人で満たす野戦上手。


けど政治は弱い。


●真田魂
作者は重野なおき
髪の色は母親譲りのやんちゃな人物。
文武に優れ標高120mの崖を難なくクライミングするなどリアルチートそのもの。
ただ、あまりに何でもすぐにこなしてしまう天才ぶりを父からは危惧されている。


殿といっしょ
作者は大羽快
立ちまわりは概ね史実通りだが、父昌幸と並んでとにかくフリーダム。
九度山に流されていたはずの時期に、堂々と兄信之の家、更には変装して江戸城へと侵入し家康、秀忠、お江をいじり倒す。
連載順では後から登場になった祖父幸隆はそっくり*1で孫同様フリーダム、
信玄と勘助を介して初めて出会った際に、信玄が色々不味いと慌て、それに対し孫にそっくりなのは当然とか、メタ発言をかましまくっている*2


10巻の表紙でコミックスを宣伝する際には帯にて「来年のドラマで主役!!!真田幸村関連本 いかがっすか――!!!」
ダメな方の真田家なら任せてください!!! と暴れまくった。








彼を取扱った作品


司馬遼太郎『軍師二人』(後藤基次とのダブル主役)


池波正太郎『真田太平記』(1985年NHKドラマ化、主演:草刈正雄)


東映映画『真田幸村の謀略』(1979年公開、主演:松方弘樹)


テレビ東京 12時間超ワイドドラマ『家康が最も恐れた男 真田幸村』(1998年放送、主演:松方弘樹)


NHK大河ドラマ『真田丸』(2016年放送・脚本三谷幸喜、主演:堺雅人)





追記・編集はいつ討ちとられても良いように銭六文を用意してからお願い致します。


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  • この人の父親についての記事もぜひ。あと黙れ小童!の人のも是非ww -- 名無しさん (2016-03-25 20:31:31)
  • 戦国武将の中でもトップクラスに長生きな兄上のことも忘れないでください。 -- 名無しさん (2016-05-11 16:53:17)
  • 真田丸だとだいぶ前倒しして馬廻衆になってるけど、実際はあの頃はもうちょい下っ端だったっぽいね。 -- 名無しさん (2016-05-24 11:42:50)
  • 幸村の呼び方が広まったのは「武田を最後に裏切った男」小山田信茂(のぶしげ)が長年にわたって蛇蝎のごとく嫌われてたってのもあると思う。武田信繁も特に地元では武田典厩呼びの方が多いくらいだし -- 名無しさん (2016-10-02 08:01:58)
  • 所詮戦術家であり、父ほどの戦略眼は持たなかったとも -- 名無しさん (2016-10-02 09:14:16)
  • 九度山で子供作った云々だけど、九度山では親父と一緒に宴会やりまくって兄貴に迷惑かけまくってたともいう。 -- 名無しさん (2016-10-02 09:20:49)
  • 兄貴曰く、優しくて我慢強くて、怒るような事なんかまずない。小さな集落単位から国を守ろうと考えるあいつこそ本当の武士であって、必死に見栄張っている俺らの方が惨めだ --   (2016-11-10 21:54:09)
  • この人のことあんまり詳しくないから教えて欲しいんだけど、十文字槍ホントに使ってたの? -- 名無しさん (2016-11-10 21:59:42)
  • 戦国無双1のトゥルーエンドが大阪の陣死亡エンドなのは当時びっくりした、メイン主人公なのに死ぬのかよと。 -- 名無しさん (2016-11-10 23:31:31)
  • 史実をモデルにしている以上、トゥルーエンドは史実通りだろうよ... -- 名無しさん (2016-11-11 15:28:09)
  • 色々調べてみると親父と兄貴の方が数倍凄い人達なんだよなぁ。戦闘力に特化し過ぎたというかなんというか。 -- 名無しさん (2016-11-11 15:59:56)
  • 「日本一の一発屋」だからなある意味。凄い事は全くしてないし、結局負けてるのに、何故か超有名と言う -- 名無しさん (2016-11-11 17:54:42)
  • すごいことしてるだろ、十分 -- 名無しさん (2016-12-22 11:25:50)
  • この人といい、親父殿といい、信玄公といい、武田家は家康の天敵だらけだな。 -- 名無しさん (2016-12-22 11:56:44)
  • ↑5 無双1はトゥルーエンドがIFなキャラが多い、武田が天下取るとか、蘭丸が本能寺で死なずに敵討ちするとか -- 名無しさん (2016-12-22 12:45:29)
  • ↑8 十文字槍は戦国武将では結構使われてるから使ってたと思う。 あのみんな大好き「」 -- 名無しさん (2016-12-22 12:57:53)
  • ↑3 その中で家康本人と戦ったの信玄だけやで -- 名無しさん (2016-12-22 12:59:51)
  • ↑2ミス あの、みんな大好き「お寧々様///」で有名な加藤清正も無双じゃ大鎌だが実際は十文字槍の片方の刃が折れたのを使ってたし。 -- 名無しさん (2016-12-22 13:02:09)
  • なんだかんだで毛利勝永の手柄も一緒くたにされてる -- 名無しさん (2016-12-22 13:49:27)
  • 戦国の世の終わりの終わりで新時代に立ち向かって砕け散ったって所にロマンがあるんだろうな。プラス判官贔屓。新撰組とか源義経みたいな -- 名無しさん (2017-01-17 22:22:44)
  • そう言えば新撰組も時代の変わり目に旧い側に付いて散っていったな。みんなそういうの好きなんだな。 -- 名無しさん (2017-09-11 18:21:05)
  • こいつのせいで兄貴は寿命半分くらい減った。 -- 名無しさん (2018-10-03 10:27:15)
  • あれで半分なのか…あなおそろしや -- 名無しさん (2018-10-03 10:53:53)
  • 才能はあったのだが、父親の方が名が売れててこの人の評判は目立たなかったとのこと。だから本人のせいではないんだが信頼が薄かったんですな。 -- 名無しさん (2020-01-27 21:56:30)
  • 長女が敵陣に保護を求めに行って受け入れられており、一族の助命に一役買っているあのあたりのエピソードは大河ではやらなかったのが残念。 -- 名無しさん (2020-02-02 10:45:58)
  • 息子は仙台藩士らしいね (片倉守信) -- 名無しさん (2020-10-06 15:34:19)
  • 真田丸でも理詰めなせいで最終的に失敗する顛末はしっかり描かれてたな。 -- 名無しさん (2021-03-21 17:11:44)
  • 仙台藩士を経て直系が今でも残ってる。昌幸の残ってる肖像画に末裔の方はなんとなく顔が似てる。 -- 名無しさん (2021-09-06 17:46:28)
  • 父兄弟と三人合わせて「真田幸村」だと思う -- 名無しさん (2022-05-11 10:01:19)
  • 信之が「(幸村は)国郡を支配する本当の侍であり、それに対して我らは見かけを必死に繕い、肩をいからしている道具持ちという程の差がある」とまで言ってるのは伝説による補正除いても(それに値するだけの)凄い男だったのは間違いなかったと思う -- 名無しさん (2022-07-24 00:08:14)
  • そもそも大坂の陣当時の史料で関係者が口を揃えて真田は凄いと言っているのだからそれが全てであり「過大評価だ」「勝永(正しくは吉政)の方が凄い」などというのはただの個人の感想。一部のネット民が信繁叩きに勝永利用するのは歴史学に対する真摯さの欠片も無いわ -- 名無しさん (2022-11-13 19:03:28)
  • 『落穂集』の成立時期は大坂の陣から100年後ぐらいだから扱いには慎重を要する史料なのにそういう事にも一切配慮が無いのもどうなんですかね。仮に落穂集の記述が100%正しいとしても「結果的にただでさえまとまりの悪い状況を悪化させてしまっている」ってそんなことは落穂集にも書かれていないしこの記事あまりにも主観が過ぎる -- 名無しさん (2022-11-13 19:58:03)
  • pixiv大百科といいアニヲタwikiといい、真田信繁を明らかに貶めて毛利勝永(吉政)を持ち上げる流れはどうにかなりませんかね… -- 名無しさん (2022-11-20 00:55:02)
  • 実際の真田信繁(幸村)以降は、正直誹謗中傷とはいかなくとも不当な記述とは思うので、全部削除したいと思うのですが -- 名無しさん (2023-07-08 21:33:04)
  • ↑賛成も反対もしない。アニオタwikiは本家wikipediaとは違う。面白ければそれで良い。嘘を誤解させるような筋の悪い記述でなければ正直なんでも良い。 -- 名無しさん (2023-07-08 21:42:44)

#comment

*1 幸隆は髪の色が白い
*2 なお幸隆が武田に加わったのは1548年頃で、幸村はそれより20年後の生まれである

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