魯粛

ページ名:魯粛

登録日:2021/08/14 Sat 19:16:51
更新日:2024/06/03 Mon 13:36:25NEW!
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尊き御方が帝業を成し、安車・軟輪にて私を呼び寄せてもらえば、初めて顕彰されたことになるでしょう。




魯粛、字は子敬しけい。後漢末期、三国志の時代の人物。
172年出生、217年死去。



【世間の魯粛像】

三国志をご存じの方は、魯粛について「呉の重鎮の一人」「人が良いけど気は弱い」「諸葛亮と仲良し」「二勢力の板挟みになってた」「周瑜呂蒙陸遜と並んでるのに2021年まで本wikiに項目が無かった人」という認識が主だと思われる。
しかしながら、これらは三国志を翻案した三国志演義と、演義を土台にした創作群の影響が大きい。
ここではいわゆる正史を交えた魯粛像を解説する。


【正史の魯粛像】

【出自】

出身地は徐州臨淮郡東城県。徐州の南方に位置する、揚州に近い県である。
三千斛*1の米蔵を二つ持つほどの資産家の家であったが、官吏や名士への知名度は乏しく「地域の金持ち」に留まっていた。
また産まれてすぐに父親が亡くなり祖母の元で育てられていた。母親は存命だが、夫が亡くなり色々立て込んでいたのだろうか?


【狂児現る】

すくすくと育って立派になった魯粛くん、家の仕事の手伝いなんてことはまったくしない。
田畑を売ってまでして困窮者に銭貨を施し、武芸を習い、若者を集めて徒党を組み、有名人に顔を売っていた。
こんな感じだから年配者からは「魯家の息子はキチゲェだ」などと散々に言われていた。


とはいえ別に遊び惚けていたわけでも集団で暴力行為を働いていたわけでもなく、私兵を率いた軍事調練のようなことまでしている。
土地に執着し財を貯め込むだけでは価値がない乱世が近づいているのを、魯粛はすでに予見していたのである。


【周瑜との邂逅】

時は過ぎて197年頃、袁術から離脱して孫策への本格的な合流を目論む周瑜が県長として居巣へ移る。
有力な味方候補の一人として魯粛に目を付けた周瑜は、遥々東城へと数百人を連れて面会と兵糧援助の依頼に向かった。
名家の一つである周氏が自分を高く評価し来訪したのは、名を売りたい魯粛にとっても渡りに船。これに対して気前よく三千斛の米蔵のうちの一つを提供することで互いにマジリスペクトな間柄となる。
ただ周瑜が数百人引き連れたと言う事を踏まえると周瑜は魯粛が拒否したら力づくで援助してもらう腹積もりだった可能性も否定できないし、魯粛側も無駄なトラブルを避ける為に太っ腹を装った可能性も否定できないのだが…


一方で袁術からも魯粛を東城の県長とするスカウトや、親友で後に曹操に仕える劉曄から「鄭宝ってやつを担いでデカいことしようぜ*2」的な手紙も来たが、結論から言えば魯粛は周瑜に大志を見出し南方へと移った。
自分から訪問してくれる誠実さが人の心を掴むのに絶大な効果があるのは、今も昔も変わらないものである。


【空気など読むな】

こうして魯粛は孫策の下に仕えることになる。……はずなのだが、特に孫策時代の事績は無い。
周瑜自身が孫策とは君臣というより盟友だったことも関係しているのかもしれない。


次に魯粛の名が出るのは孫策の死後、若かりし孫権へと周瑜が推挙してから。
宴会を開いた後にこの頃はまだ酒癖も悪くなかった孫権が魯粛と差し向かいで話し合う。


「私も父や兄みたく漢王朝を助けたいんだけど、いいアドバイスありませんか?」
実を言うと漢王朝はもうだめです。突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。北方が乱れてる間に長江一帯を支配して天下を臨みましょう」


ちゃんと話聞いてたかお前?
これにはさしもの孫権も「や、すんません自分漢王朝助けたいんでちょっと…」と当惑するのみ、硬骨の士である張昭からはこんな粗忽なやつ用いるなとまで言われた。


でもまあこれだけ気宇壮大なこと言ったんだから、この後バリバリに活躍するのだろう。では魯粛の事績を見てみよう。


何も無い。


この後8年に渡り官職も業績も何も無いのである。一応母親ともども生活は保障してもらってたようだが、こいつを職場に関わらせたらアカンと当時の孫権も思ったようだ……孫権と張昭、あの二人の考えが一致した瞬間である


【劉備ー!赤壁しようぜー!】

やべーやつ魯粛の話はさておき、長江上流に位置して父の仇でもある黄祖の討伐は方針とも適っていたため、203年から魯粛抜きで荊州への侵攻が始まる。
しかし北方を早々に収めた曹操の荊州侵攻と、荊州を統治していた劉表の病死により事態は急変。
これを受けて魯粛は


「劉表の二子は不仲で派閥が分裂してます。あと劉表のとこにいた劉備ってやつは超強いです。劉表の弔問と称して劉備が旧劉表の勢力をまとめるよう説得、対曹操で手を組むなり対策練るなりしましょう」


と進言。ようやく働く気になったかと孫権は使者として魯粛を送り出す。


しかし劉表の跡を継いだ劉琮が即降伏したのもあり、曹操の動きは魯粛の想定を遥かに上回っていた。
もはや劉表勢力を曹操にぶつけるのは不可能、普通なら帰るしかない……だが、この男にブレーキなどというものは無い。撤退中の劉備勢の下へ魯粛は一目散に向かう。
そして張飛が大立ち回りしている長坂でついに劉備と接触、


「孫権様は劉備殿と同盟したいとお考えです!あと諸葛亮さんのお兄さんと私は友人です!」


とゴマすりしながら豪快な現場判断をぶちかます。なお劉備軍はこの後曹操軍の電撃的な追走でボコボコにされる。
こうして夏口に籠る劉琦・劉備勢と手を組み、使者となる諸葛亮を伴って魯粛は柴桑へ戻った。


「……あれ?旧劉表の軍事力は?」


【煽リスト魯粛】

ただでさえ降伏一色なのに、こんな状態で孫権の下へ帰っても状況が覆るはずもない。
「ちょっとトイレ」と席を立つ孫権を追いかけ、魯粛は密やかにこう伝えた。


「あいつらの言うこと聞いちゃダメですよ。まあ私なんかは?降伏して郷里に帰っても官職のアテもありますけど?でも孫権様の育ちじゃな~、どこに送られるかわかったもんじゃないよな~」


魯粛、煽る。
この煽りの嫌らしさは、孫一族の勢力が強固な地盤を持たない寄り合い所帯であるところも大きい。
魯粛本人に官職のアテがあるかは怪しいものだが、孫権に降伏を勧める「あいつら」には孫一族以上の揚・徐州名士も含まれるのだから。
しかも華歆のようにとっとと孫権の元から逃げ出して高官に上った前例まである。


煽りが効いたのかは不明だが、孫権から呼び寄せられた周瑜が理路整然と勝ち筋を説いたことで赤壁の戦いの開戦が決定する。
なお魯粛はこの時初めて賛軍校尉という役職をもらった。よかったね。


赤壁の戦い?なんだかんだで勝ったよ。魯粛の事績は何も無いけど。


【続・空気など読むな】

曹操の撃退、荊州の要衝である南郡への足掛かり。
孫権にとっても、当初から長江一帯の支配を第一の目的としていた魯粛にとっても、赤壁の戦果はまさしく大金星であった。
ウッキウキで帰国する魯粛を諸将総出で迎え、孫権自ら敬礼する。


「あなたを迎え入れる時に馬から降りるのを支えれば、功績を十分表したことになるかな?」


と茶目っ気を見せる孫権。それに対して魯粛は


満足できないぜ……」


諸将ドン引き。
さらに畳みかけるように言ったのが項目トップのセリフである。
どんな内容かというと、要は皇帝になって車で迎えに来いと言ってるようなもの。ちなみにこの時点で漢王朝はまだ続いてる。
ここまでくるとさすがに史家も話を盛ってるのでは?と思わなくもない。


【劉備への思惑】

周瑜のところへ張飛を派遣した、なんてエピソードもあるように、荊州から曹操勢力を排除する期間の劉備・孫権は緊密な軍事関係を結んでいた。
しかしながら荊州が小康状態となるにつれ、劉備の扱いについて孫権勢力からの警戒も強まる。
劉備を危険視する周瑜は「劉備を軟禁、篭絡して関羽と張飛は我らの将としましょう」と提案、これに対し魯粛は引き続き軍事力として劉備を利用する考えを見せる。
この間に劉表の遺児であった劉琦が死去、荊州牧として推戴された劉備が江夏・南郡以外を掌握する、孫権軍の益州方面への進軍を阻害するなど別の火種も燻り始めていた。


そんな最中、盟友周瑜がついに過労病死。遺言で魯粛を後任とするよう孫権に伝えている。……のだが、周瑜が着任していた南郡太守の後任は程普だったりする。
魯粛が引き継いだのは周瑜個人の将兵と養い扶持。その関係性は大都督と言われるような指揮権の後継ではなく思想の後継が実態だったのではないだろうか。


【抛磚引玉】

軍事の要である周瑜を喪い展開規模の縮小を余儀なくされたこともあり、孫権は劉備への南郡の貸与を決定。江夏まで境界線を後退する。


もっとも先にも述べた通り、この時点で劉備は事実上の荊州牧となっており、名士たちも劉備寄りであった。最近まで生きてた劉琦との繋がりがあるのだから当然と言えば当然である。
いくら長江流域を支配することが魯粛の悲願であっても、齧りついたところで労多くして益無し。これは貸しという恩を「高く売れる」絶好のタイミングでもあったのだ。
執着せず財を放出する価値を知っている魯粛には、まさに十八番の判断だろう。


また当初4000人だった将兵が江陵、陸口、漢昌での統治を経て10000人まで増えるほど民心を掴んでいた。この人心掌握術も昔取った杵柄と言える。


【魯粛の後継】

実は魯粛、昔は呂蒙のことを軽んじていた。自分と違って呂蒙は黄祖討伐でも赤壁でも功を上げてるのに。
しかし他の人からの高評価を聞き、陸口駐屯の時期に酒を酌み交わしている。この際に呂蒙曰く「隣に関羽のやつがいますけど、不慮の事態になったらどうします?」
これに対して魯粛が「その時になったら考える」まーたニートのような答えを返したところ、関羽を熊虎のごとく危険と見る呂蒙は五つの策を提案した。殺意が高すぎる。
これを聞いた魯粛、やおら席を立って呂蒙の背を叩くと


「おまえ頭良いな!」(意訳)


……豪放磊落に笑ってるのが目に浮かぶようである。そして魯粛が荊州の支配を欠片も諦めてないことも伝わってくる。
こうして魯粛と呂蒙と呂蒙ママは朋友の契りを交わす仲となった。
「呉下の阿蒙にあらず」「男子三日会わざれば刮目して見よ」という故事成語もこの辺のエピソードが由来である。


【荊州安定期】

曹操への一時的な牽制として劉備を見込んでいた魯粛だが、劉備もそれで安穏とするような男ではない。
しれっと益州乗っ取りを画策するため荊州を外す上に、益州牧の劉璋から兵員物資を搾り取る名分として孫権を利用したりと、この時期は思惑が交差しまくっている。


とはいえ荊州を巡る動きは収まり、魯粛も214年に皖城の戦いへ従軍した。指揮下の兵をよく統率して功績を挙げ、横江将軍に昇進している。


【荊州暗闘期】

215年、劉備が益州を併呑した頃から情勢は大きく動き出す。
曹操が漢中の張魯討伐を始め益州北部が緊張状態となる一方で、これを好機と孫権も南郡の貸しを盾に荊州南部の長沙・桂陽・零陵を要求したのだ。


南郡は荊州四天王でお馴染みの荊州南部と益州を繋ぐ要衝、益・荊二州を手にした今では絶対に手放せない土地である。
南郡一つが荊州全郡を返すに等しい価値になってしまったことを察した劉備は「涼州取ったら返すわ」と返答。
孫権は呂蒙に命じて荊州南部の長沙・桂陽・零陵を襲撃させる。


……おわかりいただけただろうか。軍事行動が早すぎるのである。断られることを見越して準備していたとしか思えない。
これにはもちろん魯粛も参加しており、兵を率いて関羽に睨みを利かせている。
しかし劉備も熟練の強者、迅速に荊州へ向かい睨み合いの布陣となる。


だが情勢は孫権に味方していた。曹操の漢中侵攻が本格化したのだ。
荊州のみを見ているわけにもいかなくなった劉備は孫権と和睦、見返りに長沙・桂陽を放棄せざるを得なくなる。


【単刀赴会】

退くわけにはいかず、交戦しても益は無い。この睨み合いの時期に魯粛と関羽の会見が行われている。
この会見は兵馬を百歩後ろに控えさせ、互いの将のみが刀を帯びて向かい合ったことから単刀赴会と呼ばれる。


会見の内容はというと


「こっちは疲弊して孫権様を頼ってきたあなた方に南郡まで貸してあげたのに、益州取っても返してくれないの?南郡がまだ無理ならせめて南部の一部って譲歩してるのに、それすら突っぱねるってどういうこと?」


と現在の南郡の価値を逆手に取って、ぶっちゃけ魯粛の独壇場であった。いい性格してるわ。
関羽の配下もたまらず「土地は徳あるところに行き着くものだ、いつまでも同じ人の持ち物ではない!」と激昂。これを叱りつける魯粛に対して、関羽は


「お前個人が国家のことに口出しするな」


と睨みつけた。自分の配下を。


まあ当然と言えば当然である。
配下の発言は元々の所有者が孫権であることを認めてしまい、荊州牧というアドバンテージを放棄して孫権が火事場泥棒している件を後押ししているようなものなのだ。
このように魯粛がタジタジになることはまったく無く、最終的に南郡一つで荊州の切り取りに成功する。


【荊州の後事】

荊州を巡る争いから2年後の217年、魯粛は没する。享年46、壮年とはいえまだまだ働き盛りの折であった。呉は早死にと長生きの差が激しすぎる。
死因が不明で実は呂蒙に後任を託したような記録も無い辺り、どうも腰が落ち着かない部分もあるが、呂蒙が「長江流域の支配」の意を汲んでいたことはその後を見ても明らかである。
そしていわゆる荊州侵攻が突然の裏切りではなく、前から軍事衝突があったほどに火花を散らしていたことも。


【皇帝を導いた男】

229年、孫権は呉の初代皇帝に即位。その際の壇上にて残した言葉がある。


「魯子敬は昔からこの道を指し示していた。こうなることが彼にはわかっていたのだろう」


やっぱり話盛ってません?


【子孫】

魯淑というむちゃくちゃ紛らわしい名前の息子がいる。
遺腹の子とされているため出生は217~218年。どこの任地でも厳正な統治を行い、274年没と父親より長生きした。
孫として魯睦も産まれているが、それ以降の歴史は不明。


【評価】

頭おかしい。
もっとも常軌を逸した非凡さこそ、歴史に名を残すに足る者の素養でもある。
また一個人としては資産家として産まれながら謹厳で着飾らず倹約的、常に書物へ目を通して談論や文も巧みと非常に落ち着いたもので、周瑜以後の世代では随一の人物と讃えられている。
世間離れした思想と己が才覚に全てを賭けるロマンチストにして、物の価値を見極め下々の心を測り常に機転を利かせる合理主義者、一見相反する二面性こそが魯粛の魅力なのだ。


【創作作品における魯粛】

  • 横山光輝三国志

気弱で温厚、諸葛亮と仲良しという魯粛像を定着させた代表作。
ヘナヘナと崩れ落ちる姿がかわいい涙ぐましい。


蒼天航路の作風や対曹操抗戦派らしく、侠らしい果断な人物。
ただ諸葛亮に食われてしまった感は否めないか。


  • 三国志 Three Kingdoms

切れ者で孫権から信頼されている人格者と、正史と演義を折半したようなポジション。目立たず適度に得している。


  • SWEET三国志

姓の字に「魚」が入っているためか半魚人。見た目はハンギョドンに横山三国志の文官の服を着せた感じ。
同作のストーリー展開は三国志演義準拠なので横山三国志とほぼ同じキャラなのだが、諸葛亮と周瑜が曹操軍への対策を手のひらに書いて見せ合うシーンでは「大陸間弾道ミサイル」と書いて出してくるなどお茶目なところもある。
同じ大陸で覇を競ってるのにそんなもん持ち出してどうすんだ
三国志大戦にも参戦した…が、元の使い勝手がアレなので完全に色物。


アニメ版のスピンオフ漫画「SDガンダム三国伝 BraveBattleWarriors 創世記ゲネシス」に「荒野の天輔星 魯粛マークⅢ」として登場。演者はガンダムMk-Ⅲ
何故か周瑜の師匠にして孫策と周瑜を引き合わせた張本人という演義も真っ青の別人になっている。
単行本付録のキットは周瑜のリデコで、顔とツノ飾りが異なる仕様になっている。


  • コーエー三国志

初代から通して登場。知力・政治ともに常に90台で統率・魅力も高く、武芸を習ってたエピソードから武力もそこらの文官よりは高い高スペック。
周瑜・呂蒙・陸遜にも匹敵するが、彼らよりは統率が低く政治が高い。まぁ軍事面でほんと影薄いし。


特性がある作品では資産家なことを反映して「富豪」を持つが、能力が関係ない特性なので魯粛だと有難味が薄い。
とはいえ高能力だけで十分活躍が見込める武将。初期シナリオで在野から登用できれば大活躍する。


  • ナムコ三国志

武力5。横山三国志のイメージなのだろうがいくらなんでもあんまりだ。
知力は87、人徳92と内政担当としては十分な能力値。


旧版では同盟締結を持ってきたり、突撃兵を召喚したり、坂本龍馬っぽくなったりしていた。


新版では第一弾(の途中)から登場。旧作と違い、どこか豪胆さを見せ始めた。
1.5コストの槍兵。4/8/3伏兵。計略は士気4で呉の武将を回復する「呉への援軍」。
評価は一言でいうと弱い
それまでにいた1.5槍が武力5しかおらず、しかも使いにくかった(当時)ところに武力4で出ればどうなるかはお察し。
しかも次の追加で武力6の宋謙が来てあっという間にシェアを叩き潰される始末。
その為2度もエラッタされたのだが、その度に将器が1個ずつ死んでいくと言う嬉しくない事になっていたり。
追加当初から使ってる奴を見る方が珍しいと言えばその悲惨さがわかるはず…。
後に保健医になった。


後に第五弾でも登場。むちゃくちゃ狂児らしくなった。
その割にスペックは2コスト6/9/2攻城持ちの槍兵。
蜀と呉の両方に効果があり各勢力のコストで武力強化と回復が変動する士気6の共振号令「虎竜の共振」を持つ。
計略自体は弱くはないのだが肝心の本人があまり強くないので、どこまでパーツでフォローできるかが鍵。


  • 三国無双

長年モブだったが真・三國無双7にてようやく参戦。楠大典のCVが似合うイケオジとなっている。
武器は九歯鈀。猪八戒も持ってるトゲが並んだ鍬みたいなアレ。


8のifルートでは周瑜亡き後の呉を支え、魏と呉による天下二分から呉と蜀による天下二分を成そうと奮闘する。その過程で陸遜などの次世代組や、関羽への復讐心に駆られる呂蒙の静止を急ぐ。
樊城の戦いでは、関羽を倒して荊州を手に入れても蜀の憎悪と反撃を食らうのみで魏を喜ばすだけと孫権を説得。正史のような劣悪関係には及ばず、その後なんとか魏を制するに至る。


  • 恋姫†無双

リメイクの恋姫†夢想~革命~シリーズから登場。真名は包。
やはり空気を読まないKY発言を連発するウザカワキャラ。
同じく革命シリーズから新登場した張昭の弟子みたいなポジションに収まる。





追記・修正は三千斛の米蔵を提供できる方にお願いします。


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  • SDガンダム三国伝ではなぜか周瑜の師ということになっている。早々に退場してしまい、本編には登場しない -- 名無しさん (2021-08-14 20:00:52)
  • お疲れ様です。こうやって見るといかに横山三国志しか知らなかったのか思い知らされます。なんというか……「今までの世界の在り方が意味を成さなくなりつつあるような時代だからこその男」……? -- 名無しさん (2021-08-14 20:04:54)
  • アニヲタWiki中国史編集部が有能すぎる。個人で研究してないと書けないだろこれ…… -- 名無しさん (2021-08-14 20:12:52)
  • キチガイと言っても狂直と違ってやることがでかいな、大志を抱いているからなんだろうか -- 名無しさん (2021-08-14 20:30:15)
  • 魯粛主役の漫画佐々木泉の「江南行」も創作作品の好に入れてほしいなぁ。呉好きにはいい作品なのでぜひ読んでほしいけどプレミアついているんだよなぁ。電子化されないかな -- 名無しさん (2021-08-14 20:42:33)
  • 中国史とか人物の項目建てる人は文章力が凄いなぁ、割と長文なのに読むのが苦にならない -- 名無しさん (2021-08-14 20:48:18)
  • 恋姫シリーズにも後に登場してるんだよね。そしてやはりとんでもなく空気を読まない爆弾発言を連発するという… -- 名無しさん (2021-08-14 21:23:53)
  • ↑ 全体的にリアル路線になったリメイク版真・恋姫†夢想で、孫堅が戦死して張昭が手綱握ってる状態の保守派主流の孫家閥の中に後ろ盾も無く乱入して「後漢朝はもうダメっスね、忌憚の無い意見ってやつっス」といきなり主張するキャラでビビりましたね。停滞しかけた状況に風穴開ける役としては十分すぎる役割ではあったけど -- 名無しさん (2021-08-15 00:08:30)
  • こんな濃い人を「人が良いけど気は弱い」なんてキャラ設定にしたのが寧ろ凄い -- 名無しさん (2021-08-15 00:15:04)
  • 「演義被害者の会」のタグ付けられてるけど、基本的に劉備陣営の味方=善玉として描かれていて、目立った活躍はないものの、出番は多く呉の重鎮としての立場は保っているから、キャラクター性が改変されているだけで、扱いが悪いかというとそうでもないと思う。 -- 名無しさん (2021-08-15 04:04:40)
  • ↑3 貴様ー!400年の歴史を誇る漢王朝を愚弄するかーっ -- 名無しさん (2021-08-15 04:13:00)
  • ↑2別記事ではこう言われていた。「被害者の会なんてまともな神経してるやつなら軽はずみでも絶対使わない言葉だからな」ってね -- 名無しさん (2021-08-15 05:45:38)
  • 魯粛といえばSWEET三國志の半魚人魯粛。かわいい。 -- 名無しさん (2021-08-15 08:22:35)
  • ↑3「今の漢王朝に一番戸惑っているのは民なんだよね」 -- 名無しさん (2021-08-15 08:49:20)
  • チィッ なんだって魯粛のコメ欄にマネモブなんているんだよヒュン カッ カッ -- 名無しさん (2021-08-15 10:11:12)
  • 空気を読むのは大事だけど、空気を「破る」必要がある状況ってのはあるもんだ。破ることしかできないのであれば大問題だが -- 名無しさん (2021-08-15 11:26:31)
  • それはそれとして頭おかしい -- 名無しさん (2021-08-15 16:18:59)
  • ソウソウの全国統一を阻んだ最大の功労者。孔明なんぞより後の歴史を大きく変えた人物であることは間違いない。 -- 名無しさん (2021-08-15 17:19:08)
  • 三国志のムックで「蜀と呉が連携しないと魏に対抗できないことに気付いていた。彼が亡くなってから両国の急速に悪くなった」と書かれていました。仮に死ぬのがあと10年遅かったら歴史は大きく動いた(二国時代になっていた)かもしれませんね。 -- 名無しさん (2021-08-15 18:22:59)
  • >>(2021-08-15 11:26:31) ただ奇抜なことをやっても誰もついてこないということでしょうね。歴史家が持った部分はあるのでしょうが、周囲が怒らないギリギリのところを見極めていたと思います。 -- 名無しさん (2021-08-15 18:35:23)
  • 的外れなことは決して言わないのがポイントなんだろうね だけどもう少しこうなんというか…手心というか… -- 名無しさん (2021-08-16 08:20:14)
  • 横山魯粛の角野卓三感、嫌いじゃないけど -- 名無しさん (2022-10-25 22:06:59)

#comment(striction)

*1 現在の単位に換算して約540トン。
*2 余談だがこの鄭宝、当の劉曄から後に斬り殺される。魯粛が魯粛なら友人も友人である。

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