登録日:2023/04/12 (水曜日) 15:43:41
更新日:2024/07/05 Fri 12:37:11NEW!
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『レッツゴーヤング』とは、NHK総合テレビで1974年4月~1986年4月・毎週日曜18:00 - 18:40に放送されていた音楽番組である。
番組の成り立ち
元々NHKの「日曜18時枠」では、若者向けに出演者が様々な音楽を披露する番組『ステージ101』(1970年~1974年、日曜枠放送は1972年から)が放送されていた。
ところが1973年の「オイルショック」によって「事前準備やセット設営・各回ごとの念入りな練習等がいるスタジオ収録の番組」を制作する余裕が少なくなり、
『ステージ101』に代わり「NHKホールでの公開収録」「毎回ゲスト歌手を呼ぶ」という比較的普通の歌番組に近いスタイルの若者向け番組を制作する事に決定。
1974年1月に『ステージ101』のレギュラーグループ「ヤング101」も参加するパイロット版SP番組が制作され、それを元に同年4月からレギュラー版が開始された。
その後、数年ごとに司会者の交代によって番組のスタイルを少しづつ変化させながら都合12年間続いたが、1986年に終了した。
ちなみに番組初期の映像はかなり欠落しており、番組関係者からの提供で映像が発掘されたパイロット版を除くと最古映像は1976年(断片)・1977年1月(フル保存)のものだそうな。
また77年度以降の現存映像の一部はNHKの番組公開ライブラリーやCSチャンネル(第一興商スターカラオケ→歌謡ポップスチャンネル)での再放送で公開されており、他にも歌唱部分のみが各歌手のDVDに収録されるケースがある。
但しCS再放送では大人の事情から78年度・80年度・85年度の映像が未公開となっている。
番組内容
基本はNHKホール(時期によっては局内のスタジオ)のビッグバンドセットが設営されたステージで、出演者やゲストが歌を披露するというシンプルなもの。
出演歌手陣はアイドル系・ニューミュージック系・バンド系が殆どを占めており、「ヤング」だけに出演歌手の最高年齢は高くても40代初めくらいと、名実共に若々しいラインナップとなっていた。余談だがそのせいで、1979年に布施明(1965年デビューのポップス歌手。当時31歳)が初出演した際若干コレじゃない感が漂っていた。同じ回のゲストには他に当時35歳で1961年デビューの尾藤イサオもいたのだが…
またゲスト歌手は基本「当時話題になった歌手」な訳だが、21世紀の現在から見るとその後意外な遍歴を辿ったものも結構いるため、後の様子も込みで調べると面白いかもしれない
視聴者投稿を積極的に取り入れており、視聴者からのリクエスト曲披露や曲をイメージした絵はがきの曲前挿入等が行われていた。なぜか番組末期の1985年度には廃止されたが。
テーマ曲は「まぶしい季節」(1977年度)→「愛の宇宙船」(1978年度)→「ムーンライト・カーニバル」(1979年度以降)。
特に「ムーンライト・カーニバル」が有名で、時期によってアレンジや表現技法を変えつつ番組終了まで使われ続けた。
また77年度~79年度まではメイン司会者によるエンディング曲もあったが、80年度~82年度前半は特集枠のラストナンバー、82年度後半以降は「ムーンライト・カーニバル」インスト版でフィナーレとなっていた
番組記録が残る77年度以降の基本構成は、まずオープニングでレギュラー陣によるテーマ曲に載せてゲストが登場。
ゲスト紹介後司会者からのコールで*1トップバッターのゲストの歌から「ヒットパレード」(中期)「大メドレー」(後期)と呼ばれるメドレーが行われ、その後曲間のトークやコーナーを挟みながら歌が紹介されていく構造になっている。
披露する曲は比較的当時の新曲が多かったが、人気歌手等の場合アルバム曲を披露する事もあり、回によって特定歌手がフィーチャーされる事もあった。
また1977年~1982年前半期には後半部分が特集コーナーとなっており*2、様々なテーマの歌を出演者達がカバーする(たまに小芝居あり)、『ステージ101』時代に近いスタイルとなっていた。
出演者
司会者・メインレギュラー
- 鈴木ヒロミツ
バンド『モップス』のボーカルとしてデビューし、バンド解散後俳優兼歌手として活躍したタレント。1974年度~1976年度の初代司会者。
但し現存映像が皆無に近いためどのような司会だったのかは不明で、鈴木時代の映像が取り上げられることもめったにない。司会の縁で74年紅白等に応援ゲストとして参加した映像は確認出来るが。
なお、最終回には初代司会として後述のフォーリーブスのおりも政夫、ずうとるびの山田隆夫と共にゲスト出演している。
ちなみに74年度には他に団しん也・有田美春、75年度にはシンガーソングライターの小坂明子がレギュラー出演していたそうな。
- フォーリーブス
北公次(公ちゃん)・青山孝(ター坊)・江木俊夫(トシ坊)・おりも政夫(マー坊)によるジャニーズ事務所史上2組目のデビューグループ。パイロット版のメインキャストでレギュラー版でも74年度のレギュラーを務めた。
出演時の現存映像はパイロット版と77年頃にゲスト出演したもののみだが、パイロット版では序盤とエンディングでコンサート時に近いパフォーマンスを見せていた。
ただ出演期間が短いせいか、鈴木ヒロミツやずうとるび共々あまり本番組関係者と見られるケースは滅多に無く、後に再結成し『思い出のメロディー』に出演した際も単体での登場だった。
余談だが本番組では、少年隊がフォーリーブスナンバー(パイロット版で見せた洋楽「クレージー・ホース」カバーも含む)を披露するシーンも記録されている。
- ずうとるび
山田隆夫・江藤博利・新井康弘・今村良樹による『笑点』発のアイドルバンドユニット。フォーリーブスの後枠として75・76年度のレギュラーを担当。
レギュラー時の様子は不明だが、(山田がグループから離脱する少し前の)1977年にゲスト出演した映像がCS再放送版で確認されている。
ちなみに2021年に再結成しており、その際には山田と入れ替わりで参加した池田善彦も合わせての五人体制となっている。
- キャンディーズ
伊藤蘭(ラン)・田中好子(スー)・藤村美樹(ミキ)による70年代を代表するアイドルユニットの一つ。76年度~77年度前半でレギュラーを担当。
他局で笑いのプロ達に揉まれていたせいで笑いへの親和性が強く、時にバックバンド「MMP」をも従えての華麗な歌の傍ら、幕間ではボケや漫才で場を和ませるバラドル力を見せた。
だが78年3月での解散を決意した事でレギュラーを降板し、77年度最終回で解散記念特集を敢行。涙で番組を去っていった*3。
- 都倉俊一
ピンク・レディー等の楽曲制作で知られ、後に(2021年)文化庁長官に就任する事になる作曲家で、77年度・78年度に2代目メイン司会者に就任。但し78年度は仕切り役を他にまかせショーコーナー時の紹介に専念していた。
彼の代から「サンデーズ」や後半の特集「ショーコーナー」がスタートし、後に知られる番組のイメージが形作られる事になる。
また作曲家としてもサンデーズへ「ヤングヒットソング」を提供し、同時に自らの歌声でエンディングテーマ『メッセージ』を披露している。
- 狩人
加藤邦彦(現:加藤久仁彦)・加藤高道(現:高道)による兄弟デュオ。77年度のサンデーズ参加から78年度の男性司会者に就任した。
彼らのデビュー曲にして代表作『あずさ2号』は都倉による「ヤングヒットソング」第一号として本番組でプッシュされ、人気を博す一因となった。なんか他の司会者陣やサンデーズと曲のムードが違い過ぎる気がするが気にしてはいけない。
ちなみにNHK関連では他に、2017年に『0655/2355』にて『℃のC』を歌っている。
- ピンク・レディー
ミー(現:未唯mie)・ケイ(現:増田恵子)による70年代後半と都倉俊一ワークスを代表する女性アイドルデュオ。78年度に女性司会者を担当。
- 平尾昌晃
ロカビリー歌手から作曲家兼歌手に転向した異色の経歴の持ち主。79年・80年度に三代目メイン司会者(と「ヤングヒットソング」作曲担当)を務めた。
司会就任前の78年にも畑中葉子とのデュエット曲「カナダからの手紙」で満40歳というヤングというにはきつい年齢ながらゲスト出演している。
紅白出演経験*4もあるプロ歌手ゆえに、「先生」と呼ばれる立場ながらエンディングテーマ「遠い旅」の他「ショーコーナー」でも度々自身の起源たる洋楽ロックナンバーを披露していた。
- 太川陽介
サンデーズの初代メンバーから79年・80年度の男性司会者、そして81年から番組終了まで四代目メイン司会者として番組を見守り続けたレッツゴーヤングの看板的存在。
ヤングヒットソング「Lui-Lui」は自身最大のヒット曲となり、79年以降のテーマ曲「ムーンライト・カーニバル」もソロバージョンとしてレコード化している*5。
親しみやすいカルいノリで番組を進行しており、初期には榊原へのちょっときわどい発言も見られたが、経験を重ねるにつれ明るいうたのお兄さん系司会者へと成長していった。
ちなみに司会者としての衣装は79年度~81年度は礼装的なもの、82年度以降はカジュアルなものとなっている。
なおサンデーズ時代も入れると番組の大半の時期にいた事もあり、歴代司会者で唯一紅白に縁がないが後に本番組が回顧される企画の際にも必ず呼ばれている。
- 榊原郁恵
「ホリプロスカウトキャラバン」初代優勝者としてデビューし、NHK関係では後に『ひげよさらば』主演も務めたアイドル。79年度の女性司会者を担当。
また歌の幕間ではたまに太川とのコントコーナー「ファミリーコントIKUYO」を披露し、ゲストたちとコメディで絡んでいた。
ちなみに後に結婚する渡辺徹も、榊原降板後の1983年に本番組にゲスト出演していた。
- 石野真子
ピンク・レディーと同じく『スター誕生』出身のアイドル。80年度に榊原に代わって女性司会者を担当。
幕間では腹話術人形の「真子人形」に扮し、腹話術師役の太川と共にゲストとトークする「陽介・真子の人間腹話術」なんてのを行っていた。
また1980年時のNHK紅白歌合戦では、番組合わせで(正式出演していた田原・松田を除く)サンデーズをバックダンサーとして自身の出番時連れてきていた。
- 田原俊彦
『3年B組金八先生』の出演から野村義男・近藤真彦と共に「たのきんトリオ」として売り出され、近藤と共に80年代のジャニーズ系アイドル筆頭として活躍した「トシちゃん」。
本番組には80年度のサンデーズとして参加後81年度の男性司会者に昇格。降板後も常連ゲストとして度々登場している。
レギュラー時代は童顔元気キャラが売りとなっており、幕間で様々な勝負をする「チャレンジ The Toshi」なんてコーナーがあった。
ちなみにヤングヒットソングは微妙に不明で、一応デビュー曲『哀愁でいと (NEW YORK CITY NIGHTS)』(洋楽カバー)をヤングヒットソング扱いした説が有力視されている。
また本番組含めあまりにも同期の松田聖子との共演が多かったため、当時一部ファンから2人の共演自体を反対する声が上がったそうなしかしフラグは立たなかった。
- 松田聖子
太川と同じサンミュージックからデビューし、80年代を代表するスーパーアイドルとして活躍し、娘も芸能界入りする事になる名歌手。田原共々80年度サンデーズから81年度の司会者になった。
幕間では博士役の太川と共に占いロボとしてゲストと掛け合う『ヨースケ博士のロボット占い(ヨースケ博士と聖子ロボット)』なんてコントを行っていた*6。
サンデーズ時代のヤングヒットソングは『風は秋色』との両A面として発表された『Eighteen』。
ちなみに田原・松田降板後の82年度前半期はサブ司会者が固定されておらず、各月ごとに女性タレントが代わる代わるサブ司会を担当。そして…
- 石川ひとみ
オーディション番組『君こそスターだ!』でデビューし、『プリンプリン物語』主演・後の『母と子のテレビタイム日曜版』出演等で知られるアイドル。
81年度のゲスト出演、82年6月期のサブ司会を経て、82年度後半から番組終了までの女性司会者となった。
司会者としては前任者たちの様にボケるコーナーをやらされる事もなく普通に番組を進行していたが、後期には太川とのデュエット曲『あっぱれアカプルコ』を披露している。
サンデーズ
本番組の看板の一つたる、新人タレントや芸能人の卵から選ばれたレギュラーグループ。
元々はずうとるび降板後の後釜として都倉先生に「日曜だからサンデーズは普通過ぎるだろ(意訳)」と内心思われつつ誕生。キャンディーズ降板後には女性メンバーも追加される事に。
その後は年度やシーズンが変わるごとにメンバー追加や交代が行われ、特に80年度最後・82年度前半最後・83年度最後ではメンバー総入れ替えが実施された。
ある意味では『ステージ101』時代のグループ「ヤング101」のコンセプトに近いものがあり、見ようによっては原点回帰とも言える。
また各期ごとに最低一人ジャニーズ事務所所属者がメンバーとなっている。
グループのユニフォームコンセプト(及び髪型)は時代によって異なっており、見ようによっては(大人が思う)その時代の若者の基礎衣装だったのかも知れない。
本番組は、毎回オープニングでテーマ曲をバックにサンデーズが踊る場面からスタートしている。
主な出番は「サンデーズナンバー」と称しての洋楽・邦楽カバー披露や特集枠での歌唱、「ヤング情報局」等の幕間でのサンデーズコーナーでのゲストとの漫才じみた掛け合い。
77年度~82年度前半までは「ヤングヒットソング」なる番組側(都倉・平尾司会期には彼らの曲)からのソロ新曲を披露するコーナーがあり、
82年度後半以降ではサンデーズのユニット曲や太川・石川によるデュエット曲、「ヤングヒットソング」時代に近いソロ曲等を織り交ぜた「レッツヤンオリジナル」へと変更された*7。
なお本項目では煩雑化を防ぐため、各期からそれぞれ一定以上の話題を持つ人物をピックアップして紹介。また司会に昇格した狩人・太川・田原・松田の紹介も省略する。
- 川﨑麻世
初代サンデーズメンバー。ジャニーズ事務所出身であり、フォーリーブス解散~たのきんトリオ登場までの空白期に奮闘したソロアイドルでもある。
本番組には1977年~1982年前半期までの計4年半参加しており*8、サンデーズ在籍年数としては歴代最長。そのため狩人・太川等年長組が不在となった1979年以降はサンデーズのリーダー格ともなった。
また14歳からレギュラー入りしたため成長による容姿の変化が大きく、ヤングヒットソング「暗くなるまで待って」の初披露時と卒業時披露を比較すると別人レベルで大人になった事がうかがえる。余談だが、田原俊彦は事務所入りが遅めでデビューが高校卒業後だったため、川崎から見ると「年上の後輩」だったりする。
サンデーズ卒業後もしばらくアイドル活動を続けるも、その後は俳優メインにシフト。退所後も嫁絡みで色々とネタになりつつこつこつ活動している。
- 渋谷哲平
1978年度~1980年度サンデーズメンバー。『スター誕生』出身組でもある。
サンデーズとしてはヤングヒットソング「Deep」がヒット。川﨑と並ぶツートップとして活躍した。
ちなみに番組終了後、ヤングメイツの一員と結ばれている。
- 倉田まり子
1978年度~1980年度サンデーズメンバー。アニヲタ的には『ウルトラマン80』42話へのゲスト出演やアニメ映画『ナイン』への出演で知られる。
ヤングヒットソング『グラジュエイション』でレコードデビューし、『HOW! ワンダフル』等で評価も上がったが、本番組から数年後ある事件の犯人との関係性を疑われた事で芸能界を引退。
現在は「坪田まり子」名義でキャリアカウンセラーに転身している。
- 越 美晴(現:コシミハル)
1979年度サンデーズメンバー。
サンデーズ関係者では珍しいシンガーソングライターで、ヤングヒットソング『マイ・ブルーサマー』も自作曲。
ただその独自性ゆえに「アイドル売り」を推す周りに馴染めず番組での影は薄めだったが、降板後自らの音楽性を深めていく方向へと向かうことになる。
ちなみに1985年、後に漫画の原作となる舞台『ライチ光クラブ』にヒロイン役で登場していたという。
1981年・1982年度前半サンデーズメンバー。この頃は「伊東範子」名義での子役から現在の芸名でのアイドルに転身していた。
ヤングヒットソングは後のビーイング創始者長戸大幸が作曲した『もう一度ブラックコーヒー』だが、結局アイドルとしては微妙な知名度で終わることに…。
だが後に声優として有名になり、NHKでも『ざわざわ森のがんこちゃん』に出演することになる。
余談だが最初の代表作『タッチ』の主題歌歌手岩崎良美も本番組に出演し日髙と共演しており、さらに言うと『タッチ』の音楽担当芹澤廣明は『ステージ101』「ヤング101」出身者だった。
- ひかる一平
川﨑・田原に次ぐジャニーズ系枠サンデーズで、『三年B組金八先生』第二シリーズ出身の1981年・1982年度前半サンデーズメンバー。
ヤングヒットソングはサンデーズ卒業直前に出した『ハートがCRY CRY』だが、折り悪くその頃後輩シブがき隊が人気になった事もあり、同曲が最後のシングルとなってしまった。
その後は俳優として活動したり、子役事務所を立ち上げたりしている。
- 坂上とし恵(現:野々村俊恵)
1981年・1982年度前半サンデーズメンバー。スクールメイツの一員からアイドルに転身した経歴を持つ。
ヤングヒットソング『き・い・てMY LOVE』でデビューしたが、他局の某ラジオ番組では日髙・1980年度のサンデーズ浜田朱里と共に「ガケッぷちトリオ」と呼ばれていたとか…。
その後90年代に野々村真と結婚し、現在でも野々村の妻としてたまにテレビに顔を見せている。
- 山田晃士
1981年度サンデーズメンバー。
サンデーズとしてはヤングヒットソングも無く地味だったものの、降板後個性派アーティストとして成長していく事になる。
- 植草克秀
言わずと知れた「少年隊」の一員である1982年度後半・1983年度サンデーズメンバー。サンデーズ参加前にも「ジャニーズ少年隊」名義で近藤真彦のバックとして出演していた。
また少年隊の他二人(錦織一清・東山紀之)も度々ゲスト出演しており、少年隊としてフォーリーブス関連曲のアレンジカバーやレコードデビュー前に発売されたビデオ限定の曲*9の披露を行っていた。
なお、少年隊のレコードデビュー曲『仮面舞踏会』発売は1985年12月である。
余談だが本番組にレギュラー出演したジャニーズ系アイドルの中では一番長く事務所に留まっていたが、2020年末についに退所している。
- 佐久間レイ(佐久間麗)
『スター誕生』の決戦大会に二回残るも中森明菜に敗れ、しかし出演した縁でプロデビューを果たした1982年度後半・1983年度サンデーズメンバー。
この番組で即ヒットとはならなかったが、後に声優に転向し成功。NHKでも『ドレミファ・どーなっつ!』でレギュラーを張る事になる。
ちなみにNHK公式データベースの記録によると、佐久間が在籍していた頃、後に一時彼女と結婚する声優兼歌手の水島裕も本番組に出演していたそうな。
- 中村成幸(現:中村繁之)
ジャニーズJr.内ユニット「イーグルス」の一員から本番組出演を経てソロデビューした1984年度・1985年度サンデーズメンバー。
ジャニーズ系組では地味な方に入るものの番組では(特に古参組になった85年度)フロントとして活躍し、現在でも演技やライブ活動を続けている。
- 太田貴子
『スター誕生』でのデビューからアニメ『魔法の天使クリィミーマミ』の主演兼主題歌歌手として名を馳せ、その勢いで1984年度・1985年度サンデーズメンバーとなったアイドル。
90年代には一時結婚等で活動を休止するも、00年代以降再び活動を再開している。
- 大沢樹生
中村と同じ「イーグルス」出身で、番組終了後イーグルス仲間の内海光司と共に「光GENJI」の年長組として活躍した1985年度サンデーズメンバー。でも、後の自伝では中村が番組に出てるの見てた記憶はあったが自分も遅れてそこに加わった事はすっ飛ばされていた
- 長山洋子
1985年度サンデーズメンバー。
本番組への出演頃まではアイドル路線で売っていたものの流行らず、平成に入ってから演歌歌手に転身し成功することになる。
- 保坂尚輝(現:保阪尚希)
1985年度サンデーズメンバー。サンデーズ入り前はパフォーマンス集団「劇男一世風靡」*10の掃除役をしていたそうな。
番組終了後に俳優デビューし、タレントとして名をはせることになる。
その他出演者
- ヤングメイツ
渡辺プロ系の「有限会社東京音楽学院」所属者から選抜されたグループ「スクールメイツ」の本番組での名称で、番組全期を通して参加。主にオープニングや特集枠でのバックダンサーを担当した。
- リトルリーブス
1974年度のみ登場した、フォーリーブスの後輩ユニット。
ちなみにメンバーの内曽我泰久はその後コンビ「リトルギャング」とバンド「ギャングス」「ANKH」を経て、野村義男らと共に「THE GOOD-BYE」を結成し再び本番組に登場している。
- ジャPAニーズ
1979年度 ~ 1981年度にバックダンサーとして参加していたジャニーズ事務所内のダンスチーム。
元々は川崎麻世のバックとしてデビューしたそうだが、田原俊彦のデビュー後田原のバックとして有名になり、最終的に田原のコンサートで解散した。
- 小林亜星
CMソングやアニメソング、ドラマ『寺内貫太郎一家』の出演等で知られる作曲家。
本番組には1982年度後半に出演し、「亜星音楽教室」と題して新米歌手のサンデーズにレッスンを行っていた。
余談
『レッツゴーヤング』終了後、NHKの若者向け音楽番組は後番組の『ヤングスタジオ101』に継承されるも、2年で終了し日曜夕方の音楽番組枠は終了。
その後音楽番組は引き続き総合テレビでバンドメインの『ジャストポップアップ』を経て本番組と同じ公開収録形式の『ポップジャム』→『MUSIC JAPAN』と続き、
令和時代の現在では公開収録路線は歌謡曲も含めた総合音楽番組の『うたコン』、若者向け音楽番組路線は『シブヤノオト』『NAOMIの部屋』→『Venue101』に継承されている。
またジャニーズ系アイドルの売り出し先番組の座は衛星第2→BS2に拠点を移して『アイドルオンステージ』→『ミュージックジャンプ』→『ザ少年倶楽部』へと発展し、BS再編後もBSプレミアムで放送されていた。2度目のBS再編でNHK BSに移る直前にある一件を経てからは『うたコン』と同じ公開収録路線であり、『Venue101』と同じく若者向け音楽番組路線だが、出演者の層を新人・若手のアーティストに下げた『ニュージェネ!』に受け継がれたが、最終的に2024年3月をもって当該枠は終了している。
サンデーズのコンセプトも「子役たちの選抜集団」たる『天才てれびくん』シリーズの「てれび戦士」が受け継いでいる。
追記・修正お願いします。
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*2 77・78年度は「都倉俊一のショーコーナー」、79~81年度は「ショーコーナー」、82年度前半は「Today‘sスペシャル」と洋楽カバーコーナー「JUST POP」。
*3 ちなみに引退記念回エンディングでは『ステージ101』発祥曲の一つで同番組最終回ラストも飾った『涙をこえて』が歌われた。
*4 歌手としての出演の他に晩年には紅白歌合戦エンディングでの「蛍の光」指揮も担当しており、平尾没後は都倉俊一が引き継いでいる。
*5 但し一部歌詞が番組使用版と異なっている。
*6 ちなみに初回では聖子ロボの他に俊彦ロボもいたのだがいつのまにかいなくなっていた。
*7 但し「ヤングヒットソング」は各歌手のアルバムにそれぞれ収録されているが、「レッツヤンオリジナル」のソフト化は殆ど行われていない。
*8 なお川﨑と同時期に一年間だけサンデーズだった「未都由」もジャニーズ事務所所属者だったそうな。
*9 「あなたに今Good-by」等。今ちなみにビデオ限定曲は後に2020年の少年隊ベストアルバムで初CD化されている。
*10 柳葉敏郎や哀川翔がいた「一世風靡セピア」の母団体にあたる。
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