登録日:2012/09/24 Mon 21:12:08
更新日:2023/12/05 Tue 11:05:19NEW!
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ジャニーズ アイドル 80年代 寿司 もっくん 東京都 神奈川県 埼玉県 アイドルグループ シブがき隊 ymf 布川敏和 本木雅弘 薬丸裕英 ふっくん やっくん シブガキ隊←ではない
シブがき隊とは、ジャニーズ事務所出身の三人組アイドルグループのひとつ。活動期間は1982年〜1988年。
代表曲はデビュー曲の「NAI-NAI 16」を始め、「100%…SOかもね!」、「ZIG ZAG セブンティーン」、「スシ食いねぇ!」など。
概要
…曲名を見てもらえば何となく分かるかと思うが、非常に個性的というかユーモラスな題材の楽曲が多く、
ジャニーズのみならず80年代のアイドルを象徴するような存在のひとつとして今なお語り継がれている。
メンバーの三人が最初にメディアに顔を出したのは、かの「たのきんトリオ」を生み出した「3年B組金八先生」……の派生作品のひとつである、
さとう宗幸主演の「2年B組仙八先生」。彼らは生徒役としてレギュラー出演していた。
なお、まったくの余談だが、この「仙八先生」は何故か本放送以来まったく顧みられることが無く、一時期は幻の作品とまで言われていた*1。
そしてその後、彼らは82年に先述の楽曲でレコードデビューを果たした。
ジャニーズ事務所出身のタレントが、その歌唱力や演技力を酷評されたり議論の対象になるのはよくある話だが、
このシブがき隊の三人は当時としても平均以下の水準だった。
歌が特別上手いわけでもなく、特にメンバー全員バク転が出来ない*2というウィークポイントはたびたびネタにされていた。
そんなこともあって、彼らは非実力派の庶民派アイドルとして売り出されることになり、歌番組だけでなくバラエティ番組も活動の拠点にしてゆく。
当時はアイドル=王子様という風潮もまだまだ根強かったのだが、
自虐的なまでに体当たりで芸能活動をこなす彼らは王子様系アイドルにも負けない支持を得ることに成功し、
むしろ後年のアイドル達の活動の指針を決定付ける存在となった。
メンバー
布川敏和(ふかわ としかず)
通称「ふっくん」。神奈川県川崎市出身。
庶民派志向の強いシブがき隊の中でも際立って普通の人っぽく、他のふたりに比べて後年の芸能活動も地味であったためネタにされることも多い。
だが、後に大成した他のふたりがシブがき隊時代の思い出をロクに語ってくれないのに対し、彼だけはマトモに喋ってくれるため情報源としてはかなり貴重な存在。
解散後「3年B組金八先生」の初代生徒だったつちやかおりと結婚、1男2女をもうけるも後に熟年離婚した。また妹は元「おニャン子クラブ」だった。
ウルトラマンダイナにレギュラー出演していたため、オタ的には三人の中でいちばん有名人かも。
その後元てれび戦士を義理の娘に迎えた。
薬丸裕英(やくまる ひろひで)
通称「やっくん」。東京都武蔵村山市出身。
「はなまるマーケット」「出没!アド街ック天国」でお馴染み。
アイドルになる前は不良少年であったことは地味に有名。そのためか、当時から他のふたりに比べてちょっとツッパったキャラを任されることが多かった。
後にアイドル仲間である石川秀美と結婚し、5人の子どもをもうける。
因みに、少年隊のヒガシこと東山紀之とは合宿所時代からの親友だそうな。そのためか現在でも他2人に比べて圧倒的に現役ジャニーズタレントと顔を合わせる機会が多い*3。
本木雅弘(もとき まさひろ)
通称「もっくん」。埼玉県桶川市出身。
シブがき隊が解散した後はジャニーズから独立。俳優業中心の活動にシフトし、後に「おくりびと」で大成功を収めた。
ちなみに、アイドル時代から毛筆が非常に上手かったりと、地味に才人っぷりを発揮している。
ジャニーズを抜けたときは大人の事情によって手酷い制裁を喰らったらしいが、かろうじてトドメは刺されずに済んだ。
ちなみに彼の妻は内田裕也の娘であり、とうぜん樹木希林とも馴染みが深い。
以前にオセロ中島知子の洗脳騒動があった際には、彼の名前もワイドショーにたびたび登場した(中島の住んでいたマンションの大家だった為)。
中島のことを密かに気にかけていたらしい。
ちなみに活動初期の頃は、
彼らはそれぞれのイニシャル(Y=やっくん、M=もっくん、F=ふっくん)が刻まれた信号機カラーのユニフォームがトレードマークであった。
流石に、いま見るとちょっと恥ずかしい。
……と、まあ、こんな感じでアイドル活動を続けたシブがき隊だったが、
自分たちよりも明らかに実力がある後輩である「少年隊」(jr入りの時期等からすると同期に近い関係と思われる)がレコードデビューした辺りから徐々に陰りが見え始め、
87年にはもはや説明不要の「[[光GENJI>光GENJI]]」というグループがデビューしたこともあって、88年に活動を終了。
ラストシングルは「君を忘れない」という曲であった。
彼らの解散は、解散ならぬ“解隊”と称されている。
余談
- このグループ名は一般公募により選ばれた。単なる「渋柿」という意味ではなく、「渋いガキ」という意味合いであるという。
事実、彼らの楽曲は単にユーモラスなだけではなく、軟派な生き方にNOを唱えたり、昔の恋人を大切にしてやれなかったことを後悔する等、
シブいテーマを持った曲も多い。 - 彼らの楽曲は、何故か絶妙なところで既成曲のモロパクリを仕込んでいることも多い。
特に、「Zokkon 命(ゾッコンラブ、と読む)」のイントロがナイトレンジャーの「Don't Tell Me You Love Me」そのまんまだったことは物議を醸した。 - メンバー三人の人間関係は、はっきり言って悪かったのでは?とよく噂されている。後期にはチェッカーズや吉川晃司といったライバルが台頭、それらを敵視する薬丸と普通に仲良くなっていた布川・本木という形で対立してしまい、三人の不仲が表面化するようになったとされる。
実際、解隊後の三人が顔を合わせる機会は非常に少ないことと、未だに完全な形でのシブがき隊の再結成が実現していないのは事実。 - 1986年のNHK紅白歌合戦には当初不出場の予定であったが、諸事情により出ることになった。また、これが最後の紅白歌合戦の出場である。
- 解隊の記念として、とある無人島を「シブがき島」とし、そこに三人の胸像を立てる…というイベントが行われた。
が、約20年後に「トリビアの泉」のスタッフが訪れた際には、件の胸像はすっかり風化しており、変わり果てた姿で発見された。
流石にコレはどうかと思ったのか、後に関西の情報番組「痛快!エブリデイ」にて、ふっくんとクワマンが像を修復するという企画が行われた。
その際、もげて行方不明になっていたふっくんの像の腕パーツも見つかっている。
ただ結局波打ち際の石膏像の時点で風化は避けられず、2020年初頭のテレビ番組で映された際には胸部分と頭の支えとなる内部のパイプ等だけという見る影もない状態になっていた。 - 彼らが歌番組に出るときは専属のバックバンドが付いており、その名前が「シブ楽器隊」であったことはよくネタにされる。
- 東映の特撮番組には、「青ガキ隊」や「悪ガキ隊」など、彼らのパロディとおぼしきグループがたびたび登場する。
特に、「宇宙刑事シャイダー」の9話に登場した青ガキ隊は、
「なんだなんだブギ」というアジテートソングを唄い、社会を大混乱に陥れるという騒動を起こした(もちろん、不思議界フーマの差し金)。 - 薬丸は自伝にてデビュー時の失敗談として「『8時だョ!全員集合』の出番で出遅れた」なんて回想をしていたが、その回シブがき隊が顔を見せる直前車が宙を飛ぶカースタントが舞台上で展開されていた(DVD化)。
ジタバタせずに世紀末を過ごせた人は追記修正をよろしくお願いします。
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▷ コメント欄
- 項目名がシブがき隊じゃなくてシブガキ隊になってる -- 名無しさん (2014-04-04 00:34:01)
- 「のらくろクン」ではくろ吉爺さんに少年隊と間違えられていた -- 名無しさん (2014-05-29 21:52:53)
- 世代じゃなかったので、クレしん初期にしんのすけが体に口紅で落書きしたときのギャグ「もっくん」は微妙に意味が分からなかったのう…… -- 名無しさん (2016-06-22 10:51:22)
#comment
*2 80年代のジャニーズアイドルはバク転ができるといった風潮みたいなものがあり、その証拠に田原俊彦・少年隊・光GENJIら80年代に活躍したジャニーズアイドルが歌の合間にバク転をするといったパフォーマンスが見られた。
*3 ジャニーズ事務所所属タレントと退所者が共演可能かどうかは「退所時の状況」・「退所からの時間経過」等諸要因が絡むと思われ、元『光GENJI』組が「脱退組」・「残留組」間の交流0だったりする一方で、円満退社した中居正広や『THE GOOD-BYE』のフロント2人が事務所との仕事を普通に引き受けたり、退所してから長ーい時間がたった郷ひろみや他に比べて「地味目」だった川崎麻世やひかる一平は共演機会がある。
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