登録日:2022/10/17 Mon 19:30:56
更新日:2024/06/27 Thu 10:42:58NEW!
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予測不能、日本最高峰の決戦
ボクも、戦う。
プロ野球日本シリーズとは、毎年秋に開催されるプロ野球の日本一決定戦である。
正式名称は「プロ野球日本選手権シリーズ」(1953年までは「日本ワールドシリーズ」)。「にほんシリーズ」と呼ばれることも多い。
本項ではリーグ優勝後に実施されるクライマックスシリーズおよびパ・リーグのプレーオフ、二軍の日本シリーズに相当する「ファーム日本選手権」についても記述する。
●目次
概要
2リーグ制に分裂した1950年以降、セントラル・リーグとパシフィック・リーグの優勝チームが日本一の座をかけて争う。
かつてはレギュラーシーズン優勝チーム同士の対決だったが、クライマックスシリーズ(CS)が導入された2007年以降は2位や3位のチームが優勝チームを倒して下剋上する番狂わせが起きる年もしばしばあり、必ずしも優勝チームが出場するとは限らなくなっている。
戦後に始まったこともあり、現在に至るまで中止になった年はない。
2005年~2013年の間は、勝者がさらに「アジアシリーズ」(2009年・2010年のみ「日韓クラブチャンピオンシップ」)に日本代表として参加していた。
各球団の略称は以下の通り。本項では前身球団も同一カウントするが、松竹と近鉄は傍系という観点から基本的に個別のチームとして取り扱う。
※巨=巨人、神=阪神、中=中日、松=松竹、横=横浜、De=DeNA、ヤ=ヤクルト、広=広島、オ=オ、南=南海、ダ=ダイエー、ソ=福岡ソフトバンク、西=西鉄→西武、映=東映、日=日本ハム、毎=毎日・大毎、ロ=ロッテ、楽=楽天、洋=大洋、急=阪急、近=近鉄
日本シリーズまでの道のり
クライマックスシリーズ | 日本シリーズ (7戦4勝制) | ||||
ファーストステージ (3戦2勝制) | ファイナルステージ (6戦4勝制、1位は1勝のアドバンテージ) | ||||
JERA クライマックスシリーズ セ | SMBC日本シリーズ | ||||
ビジター | セ・リーグ3位チーム | → | ファーストステージ勝利チーム | → | セ・リーグCS優勝チーム |
ホーム | セ・リーグ2位チーム | セ・リーグ優勝チーム | |||
パーソル クライマックスシリーズ パ | vs | ||||
ビジター | パ・リーグ3位チーム | → | ファーストステージ勝利チーム | → | パ・リーグCS優勝チーム |
ホーム | パ・リーグ2位チーム | パ・リーグ優勝チーム |
クライマックスシリーズ
2007年以降はシーズン終了後に両リーグでCSが行われる。
ファーストステージでは2位と3位のチームが対決し、3試合で2勝した方がシーズン優勝チームの待つファイナルステージに進出。ここでは優勝チームに1勝のアドバンテージが与えられ*1、これも含めて先に4勝した方が日本シリーズ出場権を得るという仕組みである。
いずれも開催球場は上位チームの本拠地で、引き分けが生じて対戦成績がタイになった場合は上位チームの進出になる。また、ファーストステージの第2戦以降・ファイナルステージの第3戦以降の「引き分け以上で上位チームのステージ勝利が確定する試合」では、最終回の表終了または裏の途中で同点になった時点でコールド扱いになるルールがある。両ステージともに決着がついた時点で終了する。
2020年は新型コロナウイルスの感染拡大に伴う関係で開幕が遅れ、セ・リーグは屋外球場を本拠地とするチームが多いことから雨天中止に備えた予備日を多く確保しておく必要性があったため、2007年の導入以来初の中止が決定。優勝した巨人がそのまま日本シリーズに進出していた。
パ・リーグもファイナルステージ相当の試合のみを4戦3勝制の特別ルールで開催した。
かつては優勝決定後、いわゆる消化試合になって個人記録の達成程度しか見どころがなくなっていたが、CSが導入されたことでAクラスに入れば日本シリーズに出場できたり、後年の開幕戦のホーム開催権を得られたりする可能性が出たため、リーグ優勝決定後もCS出場権をかけた戦いが繰り広げられることも多く、興業面での恩恵も大きい。
実務上は優勝チーム同士の対決であり、下位チームの出場例は少ない。2位から出場したのは2007年の中日・2014年の阪神・2018年と2019年のソフトバンクの4例、3位からの出場は2017年のDeNAと2010年のロッテの2例のみで(太字は日本一)、下位チーム同士で対決した例は一度もない。
ただし、CSに限ればファーストステージを3位が勝ち上がった例は多く、特にセ・リーグでは開催がなかった2020年を挟み、2016年から2022年まで8年7回連続で2位チームがファーストステージ敗退になっていた。
また、シーズン勝率5割未満のいわゆる「借金」チームが進出した例もない。ただし交流戦の関係上、理論上は優勝チーム同士でも一方が「借金」になる可能性はある。
プレーオフ時代とは違って年間順位はシーズン内で決定し、CSの成績は反映されない。従って仮に優勝チームがCSで敗れたとしても優勝の権利まで奪われることはなく、逆もまたしかりである。
そのため、リーグ優勝した上で日本一になることを「完全優勝」と呼ぶこともある。
プレーオフ
2006年までは主にパ・リーグでプレーオフ(PO)が実施された年がある。CSとは違って優勝決定戦の意味合いも持っており、当時は年間勝率に関係なくPOに勝利したチームがそのままリーグ優勝であった。
ただし、POの個人成績はレギュラーシーズンに加算されず、公式記録としてもカウントされない。これはCSや日本シリーズも含めたポストシーズン全体の共通事項である。
前期優勝と後期優勝チーム対決(1973年~1982年)
当時は130試合制で、パ・リーグのみシーズンを65試合ずつの前期(4~6月)と後期(7~9月)に分け、それぞれで順位を決定。優勝チームが異なる場合は5戦3勝制のPOを実施した(前後期とも同一チームが年間優勝の場合は実施なし)。前期と後期、そしてPOと1年で3度の優勝争いを設けて観客動員の確保を期待したいとの考えである。
第1・2戦は前期1位チーム、第3~5戦は後期1位チームをホームとして行われた。なお、理論上は年間4位でも優勝する可能性があるが実例はなく、年間1位でありながら前後期とも優勝できずにPO進出すら逃したチームもない。
年間順位は1位がPOの勝者で、2位以下はPOの結果に関係なく年間勝率順になるため、前後期のどちらかで優勝してもPOで敗れたことで年間勝率の関係で3位になった例もあった(1977年と1981年のロッテが該当)。
CSと同様に年間勝率2位以下からPOに勝利して日本シリーズに出場した例があり、1975年の阪急・1979年の近鉄・1982年の西武が年間2位、1973年の南海が年間3位からそれぞれ出場している(太字は日本一)。
年間勝率2位以下のチームが優勝した場合、年間1位チームが2位に、2位チームが3位にそれぞれ繰り下がることになる。そのため、1973年のロッテは年間勝率2位ながらPOで年間3位の南海が優勝したことで年間順位は3位になっている。
上記のような優勝チームより2位・3位の方が勝率で上回るケースではゲーム差がマイナスになっている。
導入当初は好評を博したが、後期終了後に前期の未消化試合をこなすといった日程面での課題もあった。
一応初年度の1973年のみ、雨天中止による予備日確保の名目で前期と後期の間に約2週間のインターバルを設けていたが、日程があまりに空きすぎるとして1974年以降は前期終了と同時に後期開幕という日程に変更されている。
また、従来の半分の試合数で優勝が決まってしまうことから結果的に消化試合が増加するという問題点もあった。
1980年代に入ると極端に観客動員が減少してしまい、2シーズン制を行う意義が薄れたとして1982年をもって終了した。
いずれも「前期優勝 - 後期優勝」の順。
・1973年(南海 - 阪急)
前期優勝の南海と後期優勝の阪急が対戦し、南海が3勝2敗で阪急を下して7年ぶり12度目のリーグ優勝を達成。しかし、巨人との日本シリーズでは1勝4敗で敗れ、「V9」を許した。
南海は年間3位であり、史上初めて勝率2位以下のチームが日本シリーズに出場した。前後期制下の10年間で3位チームが出場したのはこの年が唯一である。なお、南海としてはこの年が最後の日本シリーズ出場になった。
一方で、前述の通り阪急は年間勝率1位ながら日本シリーズ出場を逃した史上初のチームになってしまった。
MVPは佐藤道郎。
前期成績 | 後期成績 | |||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | |
1位 | 南海 | 38 | 26 | 1 | .594 | 優勝 | 1位 | 阪急 | 43 | 19 | 3 | .694 | 優勝 | |
2位 | ロッテ | 35 | 27 | 3 | .565 | 2.0 | 2位 | ロッテ | 35 | 22 | 8 | .614 | 5.5 | |
3位 | 阪急 | 34 | 29 | 2 | .540 | 3.5 | 3位 | 南海 | 30 | 32 | 3 | .484 | 13.0 | |
4位 | 太平洋 | 25 | 30 | 3 | .516 | 5.0 | 日拓 | |||||||
5位 | 日拓 | 22 | 37 | 3 | .403 | 12.0 | 5位 | 太平洋 | 27 | 34 | 4 | .443 | 15.5 | |
6位 | 近鉄 | 23 | 38 | 4 | .377 | 13.5 | 6位 | 近鉄 | 19 | 25 | 1 | .297 | 25.0 | |
年間成績 | ||||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | ||||||||
1位 | 南海 | 68 | 58 | 4 | .540 | 優勝 | ||||||||
2位 | 阪急 | 77 | 48 | 5 | .616 | -9.5 | ||||||||
3位 | ロッテ | 70 | 49 | 11 | .588 | -5.5 | ||||||||
4位 | 太平洋 | 59 | 64 | 7 | .480 | 7.5 | ||||||||
5位 | 日拓 | 55 | 69 | 6 | .444 | 12.0 | ||||||||
6位 | 近鉄 | 42 | 83 | 5 | .336 | 25.5 |
・1974年(阪急 - ロッテ)
前期優勝の阪急と後期優勝のロッテが対戦し、ロッテが3勝ストレート勝ちで4年ぶり4度目のリーグ優勝を達成。日本シリーズでは巨人の「V10」を阻止した中日と対戦し、4勝2敗で24年ぶり2度目の日本一も勝ち取った。
MVPは村田兆治。
なお、ロッテが当時暫定的に使用していた宮城球場では収容人数が3万人に満たなかったため、日本シリーズでは後楽園球場を本拠地として行われた。
また、ロッテは下記の通り2005年は年間勝率2位からPOを制してのリーグ優勝、2010年もリーグ3位からCSと日本シリーズを勝ち上がってそれぞれ日本一になっているため、この年が最後の年間勝率1位になっている*2。
前期成績 | 後期成績 | |||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | |
1位 | 阪急 | 36 | 23 | 6 | .610 | 優勝 | 1位 | ロッテ | 38 | 23 | 4 | .623 | 優勝 | |
2位 | ロッテ | 31 | 27 | 7 | .534 | 4.5 | 2位 | 南海 | 32 | 27 | 6 | .542 | 5.0 | |
3位 | 太平洋 | 30 | 30 | 5 | .500 | 6.5 | 3位 | 阪急 | 33 | 28 | 4 | .541 | 5.0 | |
4位 | 南海 | 27 | 28 | 10 | .491 | 7.0 | 4位 | 太平洋 | 29 | 34 | 2 | .460 | 10.0 | |
5位 | 近鉄 | 27 | 32 | 6 | .458 | 9.0 | 4位 | 近鉄 | ||||||
6位 | 日本ハム | 25 | 36 | 4 | .410 | 12.0 | 6位 | 日本ハム | 24 | 39 | 2 | .381 | 15.0 | |
年間成績 | ||||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | ||||||||
1位 | ロッテ | 69 | 50 | 11 | .580 | 優勝 | ||||||||
2位 | 阪急 | 69 | 51 | 10 | .575 | 0.5 | ||||||||
3位 | 南海 | 59 | 55 | 16 | .518 | 7.5 | ||||||||
4位 | 太平洋 | 59 | 64 | 7 | .480 | 12.0 | ||||||||
5位 | 近鉄 | 56 | 66 | 8 | .459 | 14.5 | ||||||||
6位 | 日本ハム | 49 | 75 | 6 | .395 | 22.5 |
・1975年(阪急 - 近鉄)
前期優勝の阪急と後期優勝の近鉄が対戦し、阪急が3勝1敗で近鉄を制して3年ぶり6度目のリーグ優勝を達成。日本シリーズでは初のリーグ優勝を決めた広島と対戦し、4勝2分の負けなしで球団史上初の日本一にも輝いた。
この年からパ・リーグでは指名打者制が導入されることになるが、日本シリーズでは1985年まで使用できなかった。
MVPは長池徳二。
なお、近鉄の本拠地として使用された藤井寺球場は当時ナイター設備も収容人数3万人も満たしていなかったが問題なく開催されており、仮に近鉄が日本シリーズに出場していた場合も同様だった。
前期成績 | 後期成績 | |||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | |
1位 | 阪急 | 38 | 25 | 2 | .603 | 優勝 | 1位 | 近鉄 | 40 | 20 | 5 | .667 | 優勝 | |
2位 | 太平洋 | 30 | 29 | 6 | .5085 | 6.0 | 2位 | ロッテ | 32 | 31 | 2 | .508 | 9.5 | |
3位 | 近鉄 | 31 | 30 | 4 | .5082 | 3位 | 南海 | 30 | 33 | 2 | .476 | 11.5 | ||
4位 | 日本ハム | 27 | 30 | 8 | .474 | 8.0 | 4位 | 日本ハム | 28 | 33 | 4 | .459 | 12.5 | |
5位 | 南海 | 27 | 32 | 6 | .458 | 9.0 | 5位 | 太平洋 | ||||||
6位 | ロッテ | 27 | 34 | 4 | .443 | 10.0 | 6位 | 阪急 | 26 | 34 | 5 | .433 | 14.0 | |
年間成績 | ||||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | ||||||||
1位 | 阪急 | 64 | 59 | 7 | .520 | 優勝 | ||||||||
2位 | 近鉄 | 71 | 50 | 9 | .587 | -8.0 | ||||||||
3位 | 太平洋 | 58 | 62 | 10 | .483 | 4.5 | ||||||||
4位 | ロッテ | 59 | 65 | 6 | .476 | 5.5 | ||||||||
5位 | 南海 | 57 | 65 | 8 | .467 | 6.5 | ||||||||
6位 | 日本ハム | 55 | 63 | 12 | .466 |
・1976年(阪急が年間優勝)
阪急が前後期とも優勝してリーグ連覇となる7度目の優勝を決めたことからPOはなし。日本シリーズでは4年ぶりに巨人と対戦し、第7戦までもつれた末に日本一連覇も達成。
・1977年(阪急 - ロッテ)
前期優勝の阪急と後期優勝のロッテが対戦し、4年ぶりに第5戦までもつれた末に阪急が3勝2敗でロッテを下して3連覇となる8度目のリーグ優勝を達成。日本シリーズでは再び巨人との対戦になり、4勝1敗と圧倒して3連覇を果たした。
なお、阪急としてはこの年が最後の日本一になった。
MVPは山田久志。
前期成績 | 後期成績 | |||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | |
1位 | 阪急 | 35 | 25 | 5 | .583 | 優勝 | 1位 | ロッテ | 33 | 24 | 8 | .579 | 優勝 | |
2位 | 南海 | 33 | 26 | 6 | 559. | 1.5 | 2位 | 阪急 | 34 | 26 | 5 | .567 | 0.5 | |
3位 | 近鉄 | 31 | 26 | 8 | .544 | 2.5 | 3位 | 南海 | 30 | 29 | 6 | .508 | 1.0 | |
4位 | 日本ハム | 31 | 29 | 5 | .517 | 4.0 | 4位 | 日本ハム | 27 | 32 | 6 | .458 | 7.0 | |
5位 | ロッテ | 27 | 33 | 5 | .450 | 8.0 | 5位 | クラウン | 29 | 35 | 1 | .453 | 7.5 | |
6位 | クラウン | 20 | 38 | 7 | .345 | 14.0 | 6位 | 近鉄 | 28 | 35 | 2 | .444 | 8.0 | |
年間成績 | ||||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | ||||||||
1位 | 阪急 | 69 | 51 | 10 | .575 | 優勝 | ||||||||
2位 | 南海 | 63 | 55 | 12 | .534 | 5.0 | ||||||||
3位 | ロッテ | 60 | 57 | 13 | .513 | 7.5 | ||||||||
4位 | 近鉄 | 59 | 61 | 10 | .492 | 10.0 | ||||||||
5位 | 日本ハム | 58 | 61 | 11 | .487 | 10.5 | ||||||||
6位 | クラウン | 49 | 73 | 8 | .402 | 21.0 |
・1978年(阪急が年間優勝)
阪急が前後期とも優勝してリーグ4連覇となる9度目の優勝を決めたことからPOはなし。しかし、球団史上初のリーグ優勝を決めたヤクルトとの日本シリーズでは3勝4敗で惜敗し、4連覇はならなかった。
・1979年(近鉄 - 阪急)
前期優勝の阪急と後期優勝の近鉄が対戦し、近鉄が3戦スイープで球団史上初のリーグ優勝を達成。しかし、広島との日本シリーズでは3勝4敗で敗れた。
MVPは山口哲治。
なお、1975年とは違って近鉄の本拠地は日本シリーズも含めて大阪球場で開催された。
前期成績 | 後期成績 | |||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | |
1位 | 近鉄 | 39 | 19 | 7 | .672 | 優勝 | 1位 | 阪急 | 36 | 23 | 6 | .610 | 優勝 | |
2位 | 阪急 | 39 | 21 | 5 | .650 | 1.0 | 2位 | 近鉄 | 35 | 26 | 4 | .574 | 2.0 | |
3位 | 日本ハム | 34 | 26 | 5 | .567 | 6.0 | 3位 | ロッテ | 29 | 29 | 7 | .500 | 6.5 | |
4位 | ロッテ | 26 | 34 | 5 | .433 | 14.0 | 4位 | 日本ハム | 29 | 34 | 2 | .460 | 9.0 | |
5位 | 南海 | 23 | 39 | 3 | .371 | 18.0 | 5位 | 西武 | 27 | 33 | 5 | .450 | 9.5 | |
6位 | 西武 | 18 | 40 | 7 | .310 | 21.0 | 6位 | 南海 | 23 | 34 | 8 | .404 | 12.0 | |
年間成績 | ||||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | ||||||||
1位 | 近鉄 | 74 | 45 | 11 | .622 | 優勝 | ||||||||
2位 | 阪急 | 75 | 44 | 11 | .630 | -1.0 | ||||||||
3位 | 日本ハム | 63 | 60 | 7 | .512 | 13.0 | ||||||||
4位 | ロッテ | 55 | 63 | 12 | .466 | 18.5 | ||||||||
5位 | 南海 | 46 | 73 | 11 | .387 | 28.0 | ||||||||
6位 | 西武 | 45 | 73 | 12 | .381 | 28.5 |
・1980年(ロッテ - 近鉄)
前期優勝のロッテと後期優勝の近鉄が対戦し、この年も近鉄が3連勝でリーグ連覇を達成。しかし、2年連続で広島との顔合わせになった日本シリーズではまたしても3勝4敗で敗れ、悲願の日本一まであと一歩及ばなかった。
前年に引き続き、日本シリーズも含めて近鉄の本拠地は大阪球場で開催された。
MVPは平野光泰。
前期成績 | 後期成績 | |||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | |
1位 | ロッテ | 33 | 25 | 7 | .569 | 優勝 | 1位 | 近鉄 | 35 | 26 | 4 | .574 | 優勝 | |
2位 | 近鉄 | 33 | 28 | 4 | .541 | 1.5 | 2位 | 日本ハム | 33 | 25 | 7 | .569 | 0.5 | |
3位 | 日本ハム | 3位 | ロッテ | 31 | 26 | 8 | .544 | 2.0 | ||||||
4位 | 阪急 | 29 | 34 | 2 | .460 | 6.5 | 4位 | 西武 | 35 | 30 | 0 | .538 | 2.0 | |
5位 | 南海 | 28 | 34 | 3 | .452 | 7.0 | 5位 | 阪急 | 29 | 33 | 3 | .468 | 6.5 | |
6位 | 西武 | 27 | 34 | 4 | .443 | 7.5 | 6位 | 南海 | 30 | 43 | 2 | .411 | 11.0 | |
年間成績 | ||||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | ||||||||
1位 | 近鉄 | 68 | 54 | 8 | .5574 | 優勝 | ||||||||
2位 | ロッテ | 64 | 51 | 15 | .5565 | 0.5 | ||||||||
3位 | 日本ハム | 66 | 53 | 11 | .555 | 0.5 | ||||||||
4位 | 西武 | 62 | 64 | 4 | .492 | 8.0 | ||||||||
5位 | 阪急 | 58 | 67 | 5 | .464 | 11.5 | ||||||||
6位 | 南海 | 48 | 77 | 5 | .384 | 21.5 |
・1981年(ロッテ - 日本ハム)
前期優勝のロッテと後期優勝の日本ハムが対戦し、日本ハムが3勝1敗1分で東映時代の1962年以来19年ぶり2度目、日本ハムとしては初のリーグ優勝を達成。しかし、巨人との日本シリーズでは2勝4敗で敗れた。
前後期制下の10年間で引き分けが発生したのはこの年が唯一である。
MVPは柏原純一。
前期成績 | 後期成績 | |||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | |
1位 | ロッテ | 35 | 26 | 4 | .574 | 優勝 | 1位 | 日本ハム | 37 | 23 | 5 | .617 | 優勝 | |
2位 | 西武 | 33 | 28 | 4 | .541 | 2.0 | 2位 | 阪急 | 36 | 28 | 1 | .563 | 3.0 | |
3位 | 阪急 | 32 | 30 | 3 | .516 | 3.5 | 3位 | ロッテ | 28 | 31 | 6 | .475 | 8.5 | |
4位 | 日本ハム | 31 | 31 | 3 | .500 | 4.5 | 4位 | 近鉄 | 29 | 34 | 2 | .460 | 9.5 | |
5位 | 南海 | 29 | 32 | 4 | .475 | 6.0 | 5位 | 西武 | 28 | 33 | 4 | .459 | 9.5 | |
6位 | 近鉄 | 25 | 38 | 2 | .397 | 11.0 | 6位 | 南海 | 24 | 33 | 8 | .421 | 11.5 | |
年間成績 | ||||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | ||||||||
1位 | 日本ハム | 68 | 54 | 8 | .557 | 優勝 | ||||||||
2位 | 阪急 | 68 | 58 | 4 | .540 | 2.0 | ||||||||
3位 | ロッテ | 63 | 57 | 10 | .525 | 4.0 | ||||||||
4位 | 西武 | 61 | 61 | 8 | .500 | 7.0 | ||||||||
5位 | 南海 | 53 | 65 | 12 | .449 | 13.0 | ||||||||
6位 | 近鉄 | 54 | 72 | 4 | .429 | 16.0 |
・1982年(西武 - 日本ハム)
前期優勝の西武と後期優勝の日本ハムが対戦し、西武が3勝1敗で日本ハムを破って西鉄時代の1963年以来19年ぶり6度目、西武としておよび所沢移転後初のリーグ優勝を達成。日本シリーズでは中日を4勝2敗で下し、こちらも西鉄時代の1958年以来24年ぶり4度目の日本一にも輝いた。
MVPは大田卓司。
この年をもってパ・リーグの前後期制は終了し、翌年からは1シーズン制に戻った。POも1985年までは上位2チームによる対戦に移行したが、結局一度も開催されないまま2004年からのAクラス対決まで待つことになる。
前期成績 | 後期成績 | |||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | |
1位 | 西武 | 36 | 27 | 2 | .571 | 優勝 | 1位 | 日本ハム | 35 | 23 | 7 | .603 | 優勝 | |
2位 | 阪急 | 33 | 28 | 4 | .541 | 2.0 | 2位 | 近鉄 | 33 | 30 | 2 | .524 | 4.5 | |
3位 | 近鉄 | 30 | 27 | 8 | .526 | 3.0 | 3位 | 西武 | 32 | 31 | 2 | .508 | 5.5 | |
4位 | 日本ハム | 32 | 29 | 4 | .525 | 4位 | ロッテ | 31 | 33 | 1 | .484 | 7.0 | ||
5位 | 南海 | 27 | 34 | 4 | .443 | 8.0 | 5位 | 阪急 | 29 | 32 | 4 | .475 | 7.5 | |
6位 | ロッテ | 23 | 36 | 6 | .390 | 11.0 | 6位 | 南海 | 26 | 37 | 2 | .413 | 11.5 | |
年間成績 | ||||||||||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 | ||||||||
1位 | 西武 | 68 | 58 | 4 | .540 | 優勝 | ||||||||
2位 | 日本ハム | 67 | 52 | 11 | .563 | -2.5 | ||||||||
3位 | 近鉄 | 63 | 57 | 10 | .525 | 2.0 | ||||||||
4位 | 阪急 | 62 | 60 | 8 | .508 | 4.0 | ||||||||
5位 | ロッテ | 54 | 69 | 7 | .439 | 12.5 | ||||||||
6位 | 南海 | 53 | 71 | 6 | .427 | 14.0 |
・一覧表
太字は日本一。「-」は引き分け。
年 | 優勝チーム【年間順位】 (優勝期) ※特筆なき場合は年間1位 | 勝敗 | 星取表 | 対戦相手 (優勝期) | 最高優秀選手 | 敢闘選手 | ||||||
勝 | 分 | 負 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | |||||
1973年 | 南海【3位】 (前期) | 3 | 2 | 南 | 急 | 南 | 急 | 南 | 阪急 (後期) | 佐藤道郎 | 住友平 | |
1974年 | ロッテ (後期) | 3 | 0 | ロ | ロ | ロ | 阪急 (前期) | 村田兆治 | 長池徳二 | |||
1975年 | 阪急【2位】 (前期) | 3 | 1 | 近 | 急 | 急 | 急 | 近鉄 (後期) | 長池徳二 | 有田修三 | ||
1976年 | 前後期とも阪急が優勝 | |||||||||||
1977年 | 阪急 (前期) | 3 | 2 | 急 | ロ | ロ | 急 | 急 | ロッテ (後期) | 山田久志 | 三井雅晴 | |
1978年 | 前後期とも阪急が優勝 | |||||||||||
1979年 | 近鉄【2位】 (前期) | 3 | 0 | 近 | 近 | 近 | 阪急 (後期) | 山口哲治 | 稲葉光雄 | |||
1980年 | 近鉄 (後期) | 3 | 0 | 近 | 近 | 近 | ロッテ (前期) | 平野光泰 | 有藤道世 | |||
1981年 | 日本ハム (後期) | 3 | 1 | 1 | 日 | - | 日 | ロ | 日 | ロッテ (前期) | 柏原純一 | 村田兆治 |
1982年 | 西武【2位】 (前期) | 3 | 1 | 西 | 西 | 日 | 西 | 日本ハム (後期) | 大田卓司 | 工藤幹夫 |
勝率1位~3位対決(2004年~2006年)
この3年間のパ・リーグはAクラスの3チームによるPOが開催され、第1ステージで2位と3位のチームが対決し、勝った方が1位チームの待つ第2ステージに進出。勝利チームがその年のリーグ優勝に輝いた。
いずれもシーズン上位チームの本拠地で戦い、第1ステージは3戦2勝制・第2ステージは5戦3勝制、成績がタイの場合は上位チームの勝利扱いになるなど基本的なルールはCSとほぼ同様だが、当時はMVPの表彰はなかった。
前後期時代と同じく年間順位は1位がPOの勝者で、2位以下はPOの成績に関係なく勝率順になるため、優勝しない限り順位は変動しない。従ってシーズン3位チームが第2ステージに進んでもそこで敗退すれば年間順位は3位のままであり、逆もまたしかりである。
一方で下位チームの下剋上が達成された場合、シーズン1位チームが年間2位に、2位チームが年間3位にそれぞれ繰り下がることになる。
シーズン成績が同率順位のチームが発生した場合は以下の通り。
- シーズン1位のチームが並んだ場合、前年のシーズン上位チームをホームとして第2ステージのみ行う。
第5戦が終わって成績がタイの場合は翌日に延長無制限の第6戦を行う。
第1ステージは中止されるため、3位チームはシーズン終了となる。 - シーズン2位のチームが並んだ場合、前年のシーズン上位チームをホームとして第1ステージを行う。
第3戦が終わって成績がタイの場合は「当該チーム間の対戦成績」→「勝率1位チームとの対戦成績」→「交流戦を除いたリーグ戦成績」の順番に勝者を決定する。 - シーズン3位のチームが並んだ場合、前年のシーズン上位チームをホームとして3位決定戦を延長無制限で行い、第1ステージ進出チームを決める。
しかしながら、これらのルールに基づけば「故意に敗れることによってPO進出が確定する」という八百長になりかねない制度上の不備があった。実際に、2005年のパ・リーグは1位をソフトバンクとロッテで争っていたが、すでに3位が確定していた西武が9月25日のソフトバンク戦で敗れたことによってソフトバンクの単独1位が確定し、西武のPO進出も決定した。
仮に西武が勝利していた場合、その後の成績次第ではソフトバンクとロッテが同率1位になってしまい、上記のように西武のPO進出が潰えた可能性もあった。
また、CSとは違って1位チームのアドバンテージに条件があり、第1ステージの勝者に5ゲーム差以上つけていた場合に与えられることになっていた。
特に2004年・2005年を2年連続シーズン1位で終えたダイエー→ソフトバンクは2年とも2位と4.5ゲーム差とあと0.5届かなかったことが災いし、第2ステージは2年とも2勝3敗で敗退してしまった。
2年連続勝率1位ながらV逸するという不公平性が議論された結果、ソフトバンクの提案で2006年は無条件でアドバンテージが与えられることになり、第2ステージは4戦制に削減された。さらに第3・4戦は下位チームがホームになるようになったほか、同率順位が発生した場合は「当該チーム間の対戦成績」→「前年の順位」の順に順位を決定する規定になったため、上記の順位決定戦は廃止された。
なお、前後期制とは違ってシーズンMVPはPOの結果に関係なく勝率1位のチームから選出されており*3、この風潮はCSに移行しても続いている。
いずれも「上位チーム - 下位チーム」の順。
・2004年(西武 - 日本ハム→ダイエー - 西武)
1982年以来22年ぶりの開催になったPO。第1ステージではシーズン2位の西武と3位の日本ハムが対戦し、2勝1敗で勝利した西武が第2ステージに進出。シーズン1位のダイエーも3勝2敗で下し、2年ぶり20度目のリーグ優勝を達成。
日本シリーズでは中日と対戦し、4勝3敗で22年ぶり12度目の日本一にも輝いた。
なお、この年はプロ野球再編問題によるストライキで2試合が中止され、133試合制で行われた。
年間成績 | ||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武 | 74 | 58 | 1 | .561 | 優勝 |
2位 | ダイエー | 77 | 52 | 4 | .597 | -4.5 |
3位 | 日本ハム | 66 | 65 | 2 | .504 | 7.5 |
4位 | ロッテ | 65 | 65 | 3 | .500 | 8.0 |
5位 | 近鉄 | 61 | 70 | 2 | .466 | 12.5 |
6位 | オリックス | 49 | 82 | 2 | .374 | 24.5 |
・2005年(ロッテ - 西武→ソフトバンク - ロッテ)
第1ステージではシーズン2位のロッテと3位の西武が対戦し、連勝で勝利したロッテが第2ステージに進出。シーズン1位のソフトバンクも3勝2敗で下し、31年ぶり5度目にして千葉移転後初のリーグ優勝を達成。
阪神との日本シリーズでは4戦ストレート勝ちで圧倒し、こちらも31年ぶり3度目にして千葉移転後初の日本一も手にした。
詳細は当該項目を参照。
年間成績 | ||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | ロッテ | 84 | 49 | 3 | .632 | 優勝 |
2位 | ソフトバンク | 89 | 45 | 2 | .664 | -4.5 |
3位 | 西武 | 67 | 69 | 0 | .493 | 18.5 |
4位 | オリックス | 62 | 70 | 4 | .470 | 21.5 |
5位 | 日本ハム | 62 | 71 | 3 | .466 | 22.0 |
6位 | 楽天 | 38 | 97 | 1 | .281 | 47.0 |
・2006年(西武 - ソフトバンク→日本ハム - ソフトバンク)
上記の通りこの年は無条件で1位にアドバンテージが与えられ、第2ステージは4戦制になった。第1ステージではシーズン2位の西武と3位のソフトバンクが対戦し、ソフトバンクが2勝1敗で勝利。第2ステージではシーズン1位の日本ハムがアドバンテージを含めた3連勝でソフトバンクを下し、25年ぶり3度目にして北海道移転後初のリーグ優勝を達成。下剋上なく1位チームがそのまま優勝したのは3年間でこの年が唯一である。
中日との日本シリーズでは4勝1敗と優位に試合を進め、東映時代の1962年以来44年ぶり2度目、日本ハムとしておよび北海道移転後初の日本一にも輝いた。
POとしてはこれが最後の年になり、翌年からはCSが導入されたことで優勝決定戦の側面はなくなり、あくまで日本シリーズ出場チームを決める方式になった。
一方のソフトバンクは初めて3位から第2ステージに進出したチームになったが、この年の日本ハムとは4.5ゲーム差であり、従来のルールではアドバンテージがなかったため、皮肉にも自ら提案したルールで自分の首を絞めるという最悪の結果を招き、3年連続第2ステージ敗退という憂き目を見た。上記の通りこの年の第3戦以降は下位チームの本拠地(ヤフードーム)で行われる予定だったが、これも幻と消えた。
完投しながらもサヨナラ打を浴びて敗れた斉藤和巳がマウンド上で崩れ落ちる姿は現在でもプロ野球史に残る名シーンの一つに数えられている。
年間成績 | ||||||
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 日本ハム | 82 | 54 | 0 | .603 | 優勝 |
2位 | 西武 | 80 | 54 | 2 | .597 | 1.0 |
3位 | ソフトバンク | 75 | 56 | 5 | .573 | 4.5 |
4位 | ロッテ | 65 | 70 | 1 | .481 | 16.5 |
5位 | オリックス | 52 | 81 | 3 | .391 | 28.5 |
6位 | 楽天 | 47 | 85 | 4 | .356 | 33.0 |
・一覧表
太字は日本一。「ア」はアドバンテージ。
年 | ステージ | 勝利チーム (順位) | 勝敗 | 星取表 | 対戦相手 (順位) | |||||||
名称 | 試合数 | 勝 | 負 | ア | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | |||
2004年 | 第1 | 3 | 西武 (2位) | 2 | 1 | 西 | 日 | 西 | 日本ハム (3位) | |||
第2 | 5 | 3 | 2 | ダ | 西 | 西 | ダ | 西 | ダイエー (1位) | |||
2005年 | 第1 | 3 | ロッテ (2位) | 2 | 0 | ロ | ロ | 西武 (3位) | ||||
第2 | 5 | 3 | 2 | ロ | ロ | ソ | ソ | ロ | ソフトバンク (1位) | |||
2006年 | 第1 | 3 | ソフトバンク (3位) | 2 | 1 | 西 | ソ | ソ | 西武 (2位) | |||
第2 | 4 | 日本ハム (1位) | 3 | 0 | (日) | 日 | 日 | ソフトバンク (3位) |
その他、1983年~1985年のパ・リーグでは「勝率1位と2位対決」、2001年~2006年のセ・リーグでは「勝率1位と勝利数1位対決」によるPO開催の可能性があったものの、結局一度も行われなかった。
また、パ・リーグでは1952年・1963年・1966年・1968年、セ・リーグでは1991年・1992年・1994年・1996年にも同率1位のチームが並ぶ可能性があったことからPOの開催が検討されたものの、こちらも一度も実現しなかった。
ルール
SMBC日本シリーズ | |||||||||||||||||
第1戦 | 第2戦 | 移動日 | 第3戦 | 第4戦 | 第5戦 | 移動日 | 第6戦 | 第7戦 | (第8戦) | (移動日) | (第9戦) | (第10戦) | (第11戦) | (第12戦) | (第13戦) | (第14戦) | |
偶数年 | セ球場 | パ球場 | セ球場 | (パ球場) | 第10戦以降は実例がないので不明。 | ||||||||||||
奇数年 | パ球場 | セ球場 | パ球場 | (セ球場) |
こうしてPO→CSが決着した後、主に10月下旬に行われる。ただし、諸事情から10月上旬に前倒しされたり、あるいは11月にずれ込んだりした例もある。
基本的に7試合が実施され、先に4勝したチームがその年の日本一となる。CSと同じく決着がついた場合は残りの試合は行われない。
引き分けやコールドが生じて第7戦までに決着がつかない場合、翌日にその球場で第8戦を行う。それでも4勝にならない場合は移動日を挟み、もう一方の球場で第9戦を行うことになっている。
第8戦以降は延長無制限で行われることから何らかの理由でコールドにならない限りは基本的に必ず勝負がつくため、理論上は最長第14戦まで発生し得る*4。
実際に第8戦が行われたのは1986年が唯一であり、第10戦以降は実例がないので具体的なルールは決められていない。
このことは2010年に中日をリーグ優勝・日本シリーズ進出に導いた落合博満監督からも指摘された。
使用球場は1954年以降、西暦が偶数の年はセ・リーグ、奇数の年はパ・リーグのチームがそれぞれ第1・2・6・7戦をホームで行い、第3戦~第5戦はビジターになる(上記の表を参照)。
開催地を移動する第2・3戦目および第5・6戦目、引き分けなどが絡んだ場合の第8・9戦目の間には移動日が設けられている。これは当該本拠地同士がどれだけ近距離であっても同様である。
出場2チームの本拠地が離れていて当日移動が難しいと判断された場合は移動日を設ける場合があるが、実現した例はない。
雨天などで試合中止になった場合は2006年までは移動日を含めた全日程が順延していたが、2007年以降は第5戦までの試合が中止になった場合は第5・6戦目の移動日がなくなるようになっている*5。
オールスターゲームと同様に規定上は収容人数3万人以上の球場での開催が条件になっているため、設備や他のイベントとの関係で本拠地以外の球場で開催されることもしばしばある。
レギュラーシーズンやCSと異なり、主催はNPBが担当。
2011年以降は冠スポンサーが付くようになり、2011年~2013年は『パワプロ』でおなじみのコナミ、2014年以降はNPBパートナーである三井住友銀行(SMBC)がスポンサーを担当している。
かつては各チームの本拠地が全て屋外球場であり、季節的に寒くなり出すこともあって1993年までは平日を含めた全試合がデーゲームで実施されていた(1964年のみ全試合ナイター)。
当時のプロ野球は国民的人気だったこともあり、小学校の授業中に先生までもグルになってこっそり見た人も多いと思われる。
しかし、平日のデーゲームでは会社や学校を休まなければ観戦もままならず、視聴率や収益面の兼ね合いもあってか1994年は平日開催試合のみ試験的にナイターを実施し、1995年以降は全試合ナイターに移行した。
もっとも、近年はテレビ視聴率の低下や現地観戦者への配慮から、土休日だけでもデーゲームに戻してほしいとの声も上がっている。
出場可能な選手はレギュラーシーズンの延長線上にあるCSとは違い、第1戦の2日前までに提出した最大40人の「出場有資格者選手」の中から試合ごとにベンチ入りメンバーを26人選出する。一度公示されると変更することはできない。
通常の出場選手登録とは別の扱いのため、「引退選手特例」で抹消された引退選手の登録も可能。
予告先発は両監督の間で合意がなされた場合のみ行われる。
2018年以降、第7戦までは延長12回、引き分けが絡んだ場合に起こる第8戦以降は無制限で行われる。
かつては最長で延長18回までの上限があり、1986年までは時間制限もあって過ぎた場合はそのイニングで終了した。
ダブルヘッダーやサスペンデッドゲームの適用はない。
時間制限の変遷
- ~1966年 - 日没(1964年のみ22時30分)
- 1967年~1981年 - 17時30分
- 1982年~1986年 - 試合開始から4時間30分
- 1987年~1993年 - 第7戦までは延長18回、第8戦以降は無制限
- 1994年~2017年 - 第7戦までは延長15回(1994年はデーゲームのみ延長18回)
- 2018年~ - 第7戦までは延長12回
指名打者制は1985年に初めて採用され、阪神の弘田澄男がセ・リーグ初の指名打者として出場。当初は1年ごとに採用と不採用を繰り返す規定だったが、1987年以降は年に関係なく交流戦と同様にパ・リーグ球場で採用されている。ただし、2020年はコロナ禍の影響を考慮し、1985年以来となるセ・リーグ球場も含めた全試合で採用された。
審判は外審も含めた6人制で行われる。
シーズン中は出番の少なかった選手が意外な活躍を見せる「シリーズ男」の登場もある一方、リーグ優勝に貢献しながらシリーズではブレーキになってしまう「逆シリーズ男」が生まれてしまうこともあり、短期決戦特有の難しさがあるとも言われる。
なお、日本シリーズに出場したチームは第2次戦力外通告の期限が4日間延長される。
表彰
CSと同じく表彰制度が設けられている。勝利チームからMVPが選出されるのは同様だが、日本シリーズではこれに加えて1953年以降は敗戦チームからも敢闘(選手)賞が授与される。
その他、スポンサーを迎えた2011年以降はコナミやSMBCからの特別賞が授与されることもある。
- 最高殊勲選手賞(MVP)
賞品はトロフィーと賞金700万円。1954年~2006年は乗用車が贈呈され、基本的にトヨタ自動車製だが広島が勝利した1979年・1980年・1984年はスポンサーの関係でマツダから贈呈された。
原則としてチームの日本一に最も貢献した1人が選出されるが、1962年のみ土橋正幸・種茂雅之のバッテリーがダブル受賞した。
最多の表彰者は4回受賞した長嶋茂雄(1963年・1965年・1969年・1970年)。最年少受賞者は1958年の稲尾和久(21歳)、最年長は2011年の小久保裕紀(40歳)である。
その他の記録
複数回の受賞者は上述の長嶋に加え、別所毅彦(1952年、1955年)・堀内恒夫(1972年・1973年)・工藤公康(1986年・1987年)・秋山幸二(1991年、1999年)・古田敦也(1997年、2001年)・今江敏晃(2005年、2010年)の6人が2回ずつ。
2年連続の受賞者は長嶋・堀内・工藤の3人。秋山は2チームで受賞した唯一の選手(1991年は西武、1999年はダイエー)。
外国人選手の受賞者は宮本敏雄(1961年)、ジョー・スタンカ(1964年)、ジム・ライトル(1980年)、ランディ・バース(1985年)、オレステス・デストラーデ(1990年)、トーマス・オマリー(1995年)、トロイ・ニール(1996年)、李大浩(2015年)、ブランドン・レアード(2016年)、デニス・サファテ(2017年)、ジュリスベル・グラシアル(2019年)の11人。
キューバ出身のデストラーデとグラシアル、韓国出身の李大浩以外はアメリカ出身。
シーズンMVPとの同時受賞者は別当薫(1950年)、別所毅彦(1952年)、杉下茂(1954年)、稲尾和久(1958年)、杉浦忠(1959年)、長嶋茂雄(1963年)、ジョー・スタンカ(1964年)、堀内恒夫(1972年)、山田久志(1977年)、ランディ・バース(1985年)、石井丈裕(1992年)、トーマス・オマリー(1995年)、古田敦也(1997年)、松井秀喜(2000年)、デニス・サファテ(2017年)の15人。
なお、シーズンMVPとCSMVPの同時受賞者はダルビッシュ有(2007年第2)、アレックス・ラミレス(2008年)、和田一浩(2010年)、内川聖一(2011年)、田中将大(2013年)の5人がいるが、いずれも日本シリーズでは敗退ないしチームメイトがMVPを受賞しているため、シーズン・CS・日本シリーズのMVP三冠王は例がない。
- 敢闘(選手)賞
賞品はトロフィーと賞金100万円。1953年から制定され、敗戦チームで最も活躍した1人が選出される。4勝3敗など接戦で決着した際は仮に優勝していた場合のMVPという側面もある。
これは4戦ストレート負けであっても例外ではなく、「該当者なし」は一度も例がない。
唯一の例外として1956年の巨人は2勝4敗ながら選出されず、勝利した西鉄の稲尾和久が受賞した。
最多の表彰者は3回獲得した足立光宏(1967年・1972年・1978年)。最年少受賞者は1956年の稲尾和久(19歳)、最年長は2012年の稲葉篤紀(40歳)である。
その他の記録
複数回の受賞者は上述の足立に加え、稲尾和久(1956年、1963年)・長池徳二(1968年・1969年)・清原和博(1993年・1994年)川上憲伸(1999年、2006年)の4人が2回ずつ。
2年連続の受賞者は長池と清原の2人。1956年の稲尾は前述の通り優勝チームからの選出。
外国人選手の受賞者は宮本敏雄(1957年)、ジョー・スタンカ(1961年)、タフィ・ローズ(2001年)、アレックス・カブレラ(2002年)、アレックス・ラミレス(2008年)、ランディ・メッセンジャー(2014年)、ブラッド・エルドレッド(2016年)、ホセ・オスナ(2022年)の8人。
ベネズエラ出身のカブレラ・ラミレス・オスナ以外はアメリカ出身。
MVPと敢闘選手賞の両方を受賞したことがあるのは大下弘(1954年に敢闘選手賞、1957年にMVP)、稲尾和久(1956年・1963年に敢闘選手賞、1958年にMVP)、宮本敏雄(1957年に敢闘選手賞、1961年にMVP)、ジョー・スタンカ(1961年に敢闘選手賞、1964年にMVP)、柴田勲(1966年にMVP、1976年に敢闘選手賞)、山田久志(1971年に敢闘選手賞、1977年にMVP)、西本聖(1981年にMVP、1983年に敢闘選手賞)、石毛宏典(1985年に敢闘選手賞、1988年にMVP)、稲葉篤紀(2006年にMVP、2012年に敢闘選手賞)の9人。
シーズンMVPとの同時受賞者は大下弘(1954年)、藤田元司(1958年)、足立光宏(1967年)、長池徳二(1969年)、野村克也(1973年)、山本浩二(1975年)、タフィ・ローズ(2001年)、アレックス・カブレラ(2002年)、ダルビッシュ有(2007年)、アレックス・ラミレス(2008年)、和田一浩(2010年)、山田哲人(2015年)、山本由伸(2021年)の13人。
CSMVPとの同時受賞者はダルビッシュ有(2007年)、アレックス・ラミレス(2008年)、和田一浩(2010年)、吉見一起(2011年)、ホセ・オスナ(2022年)の5人。
従って、ダルビッシュ・ラミレス・和田の3人はシーズンMVP・CSMVP・敢闘選手賞のトリプル受賞を果たしている。
- 優秀選手賞
賞品はトロフィーと賞金100万円。一定の成績を残した3人の選手に授与される。
配分は試合展開によって異なり、基本的に4勝3敗決着であれば勝利チーム2人と敗戦チーム1人、ストレート決着であれば勝利チームからのみ3人選出されるが、4勝2敗・4勝1敗決着の場合は各試合の展開によって配分が変わる。
1979年までは「打撃賞」「最優秀投手賞」「技能賞」など部門ごとに分かれており、年によっては両チームから選出されたこともあった。
放送・配信
地上波では全試合が民放の全国ネットで試合終了まで放送される。当初はNPB側が推奨したテレビ局に直接放送を交渉するという方式を取っていた。
しかし、2010年には第1・2・5戦の3試合で地上波全国放送が見送られる事態が起こった。
これは、当時すでにプロ野球中継の大半がローカル放送または衛星放送に移管したことで関東地区での視聴率が望めなかったことや、テレビ局側が他番組を編成していたので動かせなかったのが理由とされる。
視聴者側にも「後番組がいつ始まるか不明なので迷惑」というイメージが定着していたことに加え、局側からすると「ゴールデンタイムに視聴率が見込めず、終了時間もわからない特番を編成する」ことになるので*6、日本シリーズを放送すること自体がかなりハイリスクになっていたと言ってもいいだろう。
そのためNPBは2011年以降、広告代理店経由で放送を交渉する方式に変更。前述の冠スポンサーを設け、そのCMを多数流すことで何とか放映枠を確保して現在に至っている。
もっとも、上記の不満が解消されたわけではないことに加えて、視聴率も2桁に達するのは後半以降という傾向があるため、現行の方式も今後どうなるか正直厳しい状況でもある。
テレビ局の編成都合で試合開始時間が変更された例もあり、2011年の第1戦はフジテレビがゴールデンタイムに「ワールドカップバレー2011」を中継するため、17年ぶりのデーゲームでの開催になった。
2016年の第5戦も試合開始時刻が30分早い18時からの開始になったが、これは中継するテレビ朝日が後番組に『ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』を放送するため、延長時の時間確保が目的とされる。
なお、NHKでの放送は1990年代までは地上波総合テレビで実施した例もあったが、民放の全国ネットワークが一通り完成したこともあり、現在はBSのみで放送されている。
一方、ネット配信の対応については消極的で、初めて実施されたのが2016年とかなり遅い。
ネット配信はTVer含めた民放系のみでの実施で、公式戦を配信しているDAZNやパ・リーグTVでの配信もない。
そのためメジャーリーグ(MLB)やJリーグと異なり、放映権が一括管理されていないゆえの弊害と見る向きもある*7。
中継では通常の野球解説者に加え、出場しないチームの現役選手や監督(その年で引退・退任した人も含む)がゲスト解説として登場することも多い。
各年の結果
ここでは、各年の結果・見どころやMVPの選手を10年ごとに分けて紹介していく。
1975年・2005年・2007年・2010年・2013年・2014年・2016年・2023年は別記事ができているのでそちらも参照。
いずれも「セ・リーグ - パ・リーグ」の順に表記し、太字は優勝チーム。
球団名・球場名・登録名などは開催当時のもの。
・1950年代(第1回~第10回)
NPBが2リーグに分裂したことで導入された、日本シリーズ黎明期の年代。
記念すべき第1回シリーズ。この年創設されたばかりの毎日が松竹を破り、初代日本一に輝いた。
当時はまだフランチャイズ制度が導入されておらず、第1戦から順番に神宮→後楽園球場→甲子園→阪急西宮球場→中日球場→大阪球場と毎回異なる球場を舞台に、松竹から交互にホームとして開催された*8。
第1回にしてサヨナラ勝ちでの日本一決定で、失策によるものでは現在でもシリーズ史上唯一である。
MVPは別当薫。
ちなみに、第1回にして11月22日~28日開催という現在でも最も遅い時期に行われたシリーズで、裏では4チームが所定の140試合を消化しきれていなかったが、すでに順位が確定したこともあって11月20日までにシーズンを打ち切った。
2リーグ制後初の優勝から3連覇を達成した巨人と南海が3年連続で対決した第2回~第4回シリーズ。
日米野球の影響を大きく受けたシリーズでもあり、1951年は当初の予定から日程が繰り上がり、1953年は全日程移動日なしという強行軍で行われて史上初の第7戦および引き分けが発生*9。この年から敢闘賞も設けられるようになった。
いずれも巨人が南海を破り、セ・リーグ初代日本一を含めた3連覇を達成した。ちなみに、1952年の第5戦の試合時間は1時間35分でシリーズ史上最短である。
MVPは1951年から順番に南村不可止・別所毅彦・川上哲治。
リーグ初優勝を決めた中日と西鉄による第5回シリーズ。5回目にして初めて九州が舞台になり、関東や関西で一度も開催されなかった。
この年も両チームともに初出場であり、第7戦までもつれた末に中日が球団史上初の日本一に輝いた。
MVPは杉下茂。
- 1955年:巨人 - 南海(巨人4勝3敗、2年ぶり4度目)
2年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人と南海の再対決になった第6回シリーズ。
リベンジを誓った南海は3勝1敗と優位に試合を進め、山本一人監督は「再び昭和30年の轍は踏むまい」と意識したものの、第5戦からまさかの3連敗を喫してしまった。
MVPは別所毅彦。
- 1956年:巨人 - 西鉄(西鉄4勝2敗、初優勝)
- 1957年:巨人 - 西鉄(西鉄4勝1分、2年連続2度目)
- 1958年:巨人 - 西鉄(西鉄4勝3敗、3年連続3度目)
3年連続で巨人と西鉄の同一カード対決になった第7回~第9回シリーズ。
三原脩・水原茂両監督は香川県の同郷で、中等学校から長年のライバル関係だったことから「巌流島の決闘」と称された。結果はいずれも西鉄が巨人を下し、球団史上初の日本一を含めた3連覇を達成。
1956年はシリーズ史上唯一、優勝チームから敢闘賞(稲尾和久)が選出された。
1957年は1分を挟み、シリーズ史上初の無敗で日本一になった。
MVPは1956年から順番に豊田泰光・大下弘・稲尾和久。中でも1958年の稲尾は現在でも史上最年少での受賞であり、彼は数々のシリーズ記録を打ち立てて「神様、仏様、稲尾様」と讃えられることに。
- 1959年:巨人 - 南海(南海4勝0敗、初優勝)
4年ぶり通算5回目の対戦になった第10回シリーズ。
これまで巨人に4連敗を喫した南海だったが、鶴岡一人監督が「この年だけは負ける気がしなかった」と自著で振り返っていた通り、シリーズ史上初の4戦スイープで球団史上初の日本一を達成。初の快挙に大阪市民は熱狂し、決着2日後の10月31日に行われた優勝パレードには沿道に20万人が集まったという。
これにより、対戦成績が両リーグともに5勝ずつのタイになったが、以降は巨人の「V9」もあって長年に渡ってセ・リーグリードの時代が続くようになる。
MVPは杉浦忠。
・1960年代(第11回~第20回)
テレビ中継の普及とともに巨人が爆発的な人気を獲得し、「V9」と称される空前の全盛期を迎えた年代。
- 1960年:大洋 - 大毎(大洋4勝0敗、初優勝)
6年連続最下位からのリーグ優勝を達成した大洋が初出場した第11回シリーズ。史上初の「関東対決」でもある。
全試合が1点差という珍記録を持つ大接戦のシリーズで、大毎が誇る「ミサイル打線」を大洋投手陣が封じ込めてこの年もストレートで決着。大洋は史上初となる前年最下位からの日本一(大洋としては最初で最後)の栄冠を勝ち取った。
また、川崎球場で行われた唯一のシリーズでもある。
MVPは近藤昭仁。新人選手初の受賞である。
- 1961年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗、6年ぶり5度目)
2年ぶり通算6回目の対戦になった第12回シリーズ。巨人が4勝2敗で6年ぶり5度目の日本一を決め、川上哲治監督は就任1年目で頂点に立った。
当時は20勝がエースの基準とされていたが、南海は杉浦忠がシーズン終盤に離脱し、巨人もチーム最多勝が中村稔の17勝が最高だったことから、マスコミは「エース不在のシリーズ」「エースなき日本シリーズ」などと評した。
4度も雨天中止になった異色のシリーズで、予定では第7戦が行われるはずの10月29日にようやく第4戦が行われるという遅延っぷり。
そしてこの年以降、「パ・リーグは丑年には王手すらかけられない」というジンクスが生まれることになってしまう。
MVPは宮本敏雄。
東映が球団史上初のリーグ優勝兼日本一を達成した第13回シリーズ。阪神も含めた両チームがシリーズ初出場だったため、これまた初出場チーム同士の対決でもあった。
当時の東映は神宮を本拠地としていたが、第5戦に関しては学生野球との兼ね合いで使用できなかったため、代わりに後楽園球場で開催された。
2リーグ制後初の優勝を決めた阪神が連勝でスタートしたものの、そこから引き分けを挟んで東映が4連勝。東映としては最後で最後の日本一であった。
シリーズ史上唯一、2人の選手(土橋正幸・種茂雅之)がMVPを受賞した。
- 1963年:巨人 - 西鉄(巨人4勝3敗、2年ぶり6度目)
2年ぶりにリーグ優勝を決めた巨人と、NPB史上最大となる14.5ゲーム差からの大逆転で5年ぶりのリーグ制覇を決めた西鉄が対戦した第14回シリーズ。
通算4回目にして初めて巨人が初めて西鉄を破り、第7戦で達成した「1試合18得点」「14点差勝利」「1イニング9得点」は現在でもシリーズ最高記録である。
なお、西鉄は福岡時代および西鉄としてはこの年が最後のリーグ優勝兼日本シリーズ出場になり、合わせて平和台球場での開催も最後になった*10。
MVPは長嶋茂雄。
- 1964年:阪神 - 南海(南海4勝3敗、5年ぶり2度目)
2年ぶりにセ・リーグを制した阪神と4年ぶりのリーグ優勝を決めた南海という、史上初の「関西対決」になった第15回シリーズ。「御堂筋シリーズ」とも呼ばれた。
東京五輪の開催に伴い、開会式までに決着させる目的から初めて全カードナイターで行われたが、雨天順延の関係でよりによって第7戦は開会式と思いっきりかぶってしまい、観客動員もイマイチだったという。
なお、南海としてはこの年が最後の日本一になった。
MVPはジョー・スタンカ。外国人選手初の受賞であり、彼以外にも両チームともに助っ人の活躍が目立ったことから「外国人シリーズ」とも称された。
- 1965年:巨人 - 南海(巨人4勝1敗、2年ぶり7度目)
- 1966年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗、2年連続8度目)
- 1967年:巨人 - 阪急(巨人4勝2敗、3年連続9度目)
- 1968年:巨人 - 阪急(巨人4勝2敗、4年連続10度目)
- 1969年:巨人 - 阪急(巨人4勝2敗、5年連続11度目)
(1970年代の項に続く)
・1970年代(第21回~第30回)
高度経済成長とともに巨人の「V9」が終焉を迎えるという一時代の終わりを迎え、シリーズ初出場となったチームが多いのも特徴。
(1960年代の項の続き)
- 1970年:巨人 - ロッテ(巨人4勝1敗、6年連続12度目)
- 1971年:巨人 - 阪急(巨人4勝1敗、7年連続13度目)
- 1972年:巨人 - 阪急(巨人4勝1敗、8年連続14度目)
- 1973年:巨人 - 南海(巨人4勝1敗、9年連続15度目)
1965年から1973年までの第16回~第24回シリーズは、巨人が9年連続日本一を達成するという前人未到の黄金時代「V9」であった。
1965年の第5戦では土井正三がサヨナラ適時打を放ち、1950年以来2度目となるサヨナラ日本一で幕を開ける。
1968年のパ・リーグはシーズン最終戦まで阪急と南海が熾烈な優勝争いを繰り広げており、阪急の連覇が決まったのはシリーズ開幕前日の10月11日で、西宮で優勝を決めたナイターの翌日に後楽園でデーゲームの第1戦という休む間もない日程だった*11。
1969年はクロスプレイの判定をめぐって阪急の岡村浩二が球審に手を出すという、シリーズ史上初の退場事件が発生。
1970年は巨人とロッテの初顔合わせで、「GOシリーズ」とも呼ばれた。
さらに後楽園球場と東京スタジアムという史上初の同一都道府県(東京都)のみが舞台になったシリーズでもあり、「東京シリーズ」とも呼ばれた。特に両翼90mと非常に狭い東京スタジアムでは長嶋茂雄の4本を筆頭に3試合で両チーム合計9本の本塁打(第4戦だけで5本)が飛び出すという花火大会。
ロッテの宿舎は大田区の池上本門寺が使用され、東京スタジアムまで車で約2時間かかったことも日本一を逃す遠因に。
1973年からはパ・リーグが前後期制になり、年間3位(前期優勝)ながらPOで年間1位(後期優勝)の阪急に勝利した南海が出場。初めて勝率2位以下のチームが日本シリーズに出場した。
上記のようにいずれの年も第7戦までもつれて王手をかけられることはなかったが、逆に無敗のストレート4勝も引き分けもなかった。
また、日拓・太平洋・近鉄とも戦っていない。
MVPは1965年から順番に長嶋茂雄・柴田勲・森昌彦・高田繁・長嶋茂雄・長嶋茂雄・末次民夫・堀内恒夫・堀内恒夫。
- 1974年:中日 - ロッテ(ロッテ4勝2敗、24年ぶり2度目)
巨人の「V10」を阻止して20年ぶりにセ・リーグの頂点に立った中日と、4年ぶりのリーグ優勝を決めたロッテによる第25回シリーズ。
当時のロッテは宮城球場を暫定本拠地としていたが、規定上の収容人数が3万人に満たなかった(2万8000人)ことから後楽園球場で開催された。
第1・2・4戦が逆転、第6戦が延長戦と混戦で、6試合で両チーム合計17失策と守備のミスも目立ったシリーズだったが、1勝2敗からロッテが3連勝で24年ぶり2度目の日本一に輝いた。
また、第1戦・第3戦を中日が勝利した時点でセ・リーグの勝利試合数の勝ち越しが24になっており、これは現在でもシリーズ史上最多の貯金である。
MVPは弘田澄男。
- 1975年:広島 - 阪急(阪急4勝0敗2分、初優勝)
1962年以来となる「どちらが勝っても初の日本一」対決になった第26回シリーズ。1964年以来となる関東が舞台にならない「西日本シリーズ」でもあり、複数回の引き分けが発生した唯一の年でもある。
阪急は年間2位(前期優勝)ながらPOで年間1位(後期優勝)の近鉄に勝利しており、球団史上初の日本一が年間勝率2位以下なのは阪急が唯一である。
詳細は当該項目を参照。
- 1976年:巨人 - 阪急(阪急4勝3敗、2年連続2度目)
- 1977年:巨人 - 阪急(阪急4勝1敗、3年連続3度目)
「V9」で一度も巨人に勝てなかった阪急がリベンジを果たし、3連覇に輝いた第27回・第28回シリーズ。
1976年の巨人は前年球団史上初の最下位から3年ぶりのリーグ優勝を果たしたが、3連敗の後3連勝というジェットコースターの末に敗退。3連勝の後に3連敗したチームが優勝した唯一の年でもある。「V9」でリーグ最多の5敗を喫した借りを返し、6度目にして西本幸雄監督時代からの悲願だった「打倒巨人」が実現した。
1977年は第4戦の9回表、巨人が2勝2敗のタイに持ち込むかという2-1の状況で2死からチャンスを作り、代打・高井保弘の浅い安打から本塁へ突入した二塁走者が捕手のタッチをかいくぐって左手でホームベースに触れるという好走塁を見せて追いつくと、さらに追加点を挙げて試合をひっくり返す大逆転が生まれた。この勢いに乗った阪急がそのまま第5戦を下して3連覇を決めたため、シリーズの分岐点になった攻防と評される。
なお、阪急としてはこの年が最後の日本一になった。
MVPは1976年が福本豊、1977年が山田久志。
- 1978年:ヤクルト - 阪急(ヤクルト4勝3敗、初優勝)
ヤクルトと阪急の初顔合わせになり、ヤクルトが阪急の4連覇を阻止して球団史上初のリーグ優勝兼日本一になった第29回シリーズ。
東京六大学野球との兼ね合いから神宮が使用できず、ヤクルトの本拠地は後楽園球場で開催された。
第7戦ではヤクルトの本塁打を巡り、阪急の上田利治監督がファウルではないかという抗議で史上最長となる1時間19分も中断。阪急はこれが敗因になったとも言われる。
このカードの対決は近鉄も含めて以降も4度行われており、下記のように2021年まではヤクルトが全勝している。
MVPは大杉勝男。
- 1979年:広島 - 近鉄(広島4勝3敗、初優勝)
(1980年代の項に続く)
・1980年代(第31回~第40回)
昭和の終わりと平成の幕開け、ドーム球場の登場といった時代の転換期になった年代。
(1970年代の項の続き)
- 1980年:広島 - 近鉄(広島4勝3敗、2年連続2度目)
リーグ連覇を果たした広島と近鉄による2年連続の顔合わせで、広島が球団史上初の日本一を含めた連覇を決めた第30回・第31回シリーズ。これまた「どちらが勝っても初の日本一」シリーズでもある。
POと同様に日本生命球場や藤井寺球場は収容人数(2万500人)やナイター設備の関係で2年とも使用できず*12、近鉄の本拠地は大阪球場で開催された。結果的に同球場で行われた最後のシリーズになった。
1979年の近鉄は年間2位(前期優勝)ながらPOで年間1位(後期優勝)の阪急を破って出場。第7戦の攻防はプロ野球史に残る名勝負と呼ばれ、これを題材とした山際淳司のノンフィクション作品『江夏の21球』でも知られる。
ちなみに、優勝チームの総得点が敗退チームよりも下回ったことはシリーズ全体で9回あるが、この年の6点差(広島17点・近鉄23点)は史上最高である。
MVPは1979年が高橋慶彦、1980年がジム・ライトル。
- 1981年:巨人 - 日本ハム(巨人4勝2敗、8年ぶり16度目)
4年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人と、東映時代以来19年ぶりにパ・リーグを制覇した日本ハムの初顔合わせになった第32回シリーズ。
1970年に続いて東京都のみの開催で、さらには両チームともに後楽園球場を本拠地とすることから開催地移動が行われなかった異色のシリーズであり、「後楽園シリーズ」とも呼ばれる*13。
巨人の4勝は全て完投勝利であり、比較的中継ぎ投手という概念が浸透してきた時代にあってリリーフの出番がほとんどなかった。
なお、後楽園球場が廃止された1988年以降は両チームとも新造された東京ドームを本拠地としていたが、その間は日本シリーズで対決することはなく、さらに日本ハムは2004年から札幌ドームに移転したため、現在は複数のチームが本拠地を共用することはなくなっている*14。
MVPは西本聖。
- 1982年:中日 - 西武(西武4勝2敗、24年ぶり4度目)
西武が西鉄時代以来24年ぶり4度目、西武としておよび所沢移転後初の日本一に輝いた第33回シリーズ。この年は年間2位(前期優勝)だったが、POで年間1位(後期優勝)の日本ハムに勝利して日本シリーズに進出し、8年ぶりにセ・リーグを制覇した中日と対戦した。
両チームとも2勝2敗で迎えた第5戦、2死二塁という場面で中日の平野謙が放った打球は一塁塁審の足に当たり、捕球した二塁手が三塁に投げて走者をタッチアウトする珍事が発生。
これにより中日は先制のチャンスを逃して敗退したことから、シリーズの流れを変えた「石ころ事件」とも言われた。
MVPは東尾修。
- 1983年:巨人 - 西武(西武4勝3敗、2年連続5度目)
所沢移転当初から巨人とはさまざまな因縁があったゆえ、球界の盟主の座を賭けるという意味で試合前から大いに盛り上がった第34回シリーズ。
3度のサヨナラ勝ちに加えて逆転に次ぐ逆転と大きく盛り上がり、シリーズ有数の名勝負と呼ばれることに。
結果西武は巨人を下して連覇を果たし、黄金時代の幕開けになる。
MVPは大田卓司。
- 1984年:広島 - 阪急(広島4勝3敗、4年ぶり3度目)
4年ぶりのリーグ優勝を果たした広島が1975年の借りを返し、4年ぶり3度目の日本一を決めた第35回シリーズ。
通算6度目となった「西日本シリーズ」で、阪急としての出場も阪急西宮球場での開催もこの年が最後になった。
MVPは長嶋清幸。
- 1985年:阪神 - 西武(阪神4勝2敗、初優勝)
中埜肇球団社長が亡くなった「日本航空123便墜落事故」を乗り越え、阪神が球団創立50年目にして初の日本一を達成した第36回シリーズ。初めて指名打者制が導入されたシリーズでもある。
NPB最強外国人として名高いランディ・バースを筆頭に、真弓明信・掛布雅之・岡田彰布ら「ニューダイナマイト打線」の活躍で21年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神と、廣岡達朗監督の元で「管理野球」を標榜し、工藤公康・東尾修・松沼博久・高橋直樹・渡辺久信ら強力な投手陣を擁して2年ぶりにパ・リーグを制覇した西武が対決した。
セ・リーグとしては昭和最後の日本一になり、関西ではリーグ優勝からの阪神フィーバーが最高潮に達し、バースに見立てたカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ落としたことで2年後からの暗黒時代の幕開けになってしまった。
MVPはランディ・バース。
- 1986年:西武 - 広島(西武4勝3敗1分、3年ぶり6度目)
- 1987年:西武 - 巨人(西武4勝2敗、2年連続7度目)
- 1988年:西武 - 中日(西武4勝1敗、3年連続8度目)
リーグ4連覇の西武が日本一3連覇を達成した第37回~第39回シリーズ。
1986年は上述の通り、唯一第8戦まで行われたシリーズである。森祇晶・阿南準郎両監督という史上初の「新人監督対決」で、広島が第1戦の引き分けの後3連勝して王手をかけたものの、そこから怒涛の4連勝で日本一というジェットコースター*15。この年は指名打者制なし。
1987年から毎年パ・リーグ球場で指名打者制が採用されるようになり、第8試合以降の延長戦が無制限に。この年は4年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人が出場し、後楽園球場で開催された最後のシリーズにして清原和博・桑田真澄というPL学園高校同期の「KK対決」が話題に。第6戦の西武は巨人の守備の隙をついて走者を一気に生還させ、9回2死では一塁手の清原が涙を流したりする場面もあった*16。
1988年は昭和最後のシリーズになり、近鉄を下して優勝を決めた勢いそのままに6年ぶりのセ・リーグ王者になった中日を圧倒し、最後は1965年以来3度目となるサヨナラ日本一を収めた。
MVPは1986年から順番に工藤公康*17・工藤公康・石毛宏典。
- 1989年:巨人 - 近鉄(巨人4勝3敗、8年ぶり17度目)
平成初、並びに初めてドーム球場(東京ドーム)で開催された第40回シリーズ。巨人は近鉄とは初対戦で、当時のパ・リーグ6球団全てと戦ったことになった。
近鉄の本拠地はナイター整備が行われた藤井寺球場で初めて開催。3連勝で王手をかけたものの某投手の発言のせいで流れが変わってしまい、まさかの4連敗を喫してしまった*18。
MVPは駒田徳広。
・1990年代(第41回~第50回)
西武の黄金期が終わり、ヤクルトの快進撃が目立った年代。
- 1990年:西武 - 巨人(西武4勝0敗)
- 1991年:西武 - 広島(西武4勝3敗)
- 1992年:西武 - ヤクルト(西武4勝3敗、以上2年ぶり9度目~3年連続11度目)
リーグ3連覇の西武がまたしても日本一3連覇を決めた第41回~第43回シリーズ。
1990年はセ・リーグ史上最速(9月8日)でリーグ連覇を決めた巨人だったが、前年とは打って変わって1勝もできずにあえなく敗北*19。巨人ナインにトラウマともいえるほどの大きな傷を残しており、当時の選手には「このシリーズだけは思い出したくない」という人が今も多いという。
1991年は5年ぶりにセ・リーグを制覇した広島が出場。この年が広島市民球場で開催された最後のシリーズになり、西武は2勝3敗からの逆転で接戦を制した。
1992年は14年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルトが参戦し、本拠地として初めて神宮で開催された*20。
森・野村克也両監督ともに捕手出身で野球論を展開することも多かったことから、「狐と狸の化かし合い」と呼ばれて大いに盛り上がった。
7試合中4試合が延長戦という拮抗ぶりで、1983年と並んでシリーズ屈指の名勝負と呼ばれることも多い。
西武が日本一を決めた当日は貴花田と宮沢りえ氏の婚約会見とバッティングし、翌日のスポーツ新聞一面もかっさらわれたという珍事なオチもついている。
MVPは1990年から順番にオレステス・デストラーデ、秋山幸二・石井丈弘。
- 1993年:ヤクルト - 西武(ヤクルト4勝3敗、15年ぶり2度目)
最後の平日デーゲーム開催になった第44回シリーズ。
前年に引き続き両リーグを制覇したヤクルトと西武の顔合わせになり、ヤクルトが西武の4連覇を阻止して15年ぶりの日本一に輝いた。
2年連続同一カードで勝敗が入れ替わった初のシリーズで、これまで無敗だった森監督が初黒星を喫したことは歴史的な話題になった。
第4戦でヤクルトの中堅手・飯田哲也が安打の打球を処理し、二塁走者を本塁タッチアウトにした返球はシリーズ史に残るスーパープレーとして語り草に。
野村監督は現役時代パ・リーグ一筋ながらセ・リーグ球団を日本一に導くという唯一の記録を残した。
MVPは川崎憲次郎。
- 1994年:巨人 - 西武(巨人4勝2敗、5年ぶり18度目)
「10.8決戦」を制して5年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人がパ・リーグ5連覇の西武を破り、5年ぶり18度目の日本一に輝いた第45回シリーズ。
長嶋茂雄監督の「予言」はさることながら*21、試験的に平日のみ30年ぶりのナイター開催、西武の黄金時代を築いた森監督の勇退報道が第6戦の朝に出るなど*22、さまざまな面で時代のひと区切りになったシリーズでもあった。
ちなみに、海を超えたアメリカではワールドシリーズが232日間に及ぶ長期ストライキで中止されたため、海外でも中継されるという異例なものになった。
MVPは槙原寛己。
- 1995年:ヤクルト - オリックス(ヤクルト4勝1敗、2年ぶり3度目)
2年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルトと、この年に発生した阪神・淡路大震災で未だ傷心の兵庫県を盛り上げるために奮起して阪急時代以来11年ぶりのリーグ優勝を達成したオリックスによる第46回シリーズ。
野村・仰木彬両監督による「野村ID野球 vs 仰木マジック」の対決が注目され、ヤクルトが2年ぶり3度目の日本一を収めた。
この年から全カードナイターとなり、第2~4戦は3試合連続で延長戦にもつれ込む大接戦が繰り広げられた。
MVPはトーマス・オマリー。
- 1996年:巨人 - オリックス(オリックス4勝1敗、19年ぶり4度目)
最大11ゲーム差を逆転する「メークドラマ」を達成して2年ぶりのリーグ優勝を大逆転で飾った巨人と、リーグ連覇を果たしたオリックスによる第47回シリーズ。
勝利チームの星取りが前年と全く同じで、オリックスは4勝1敗で阪急時代以来19年ぶり4度目、オリックスとしては初の日本一を達成。近畿地方のパ・リーグ球団が巨人との日本シリーズを初めて本拠地で制した。
ちなみに、この年の巨人は守備率1.000を記録しており、シリーズ失策0は現在でも唯一である。
MVPはトロイ・ニール。
- 1997年:ヤクルト - 西武(ヤクルト4勝1敗、2年ぶり4度目)
2年ぶりにヤクルトをリーグ優勝に導いた古田敦也と、3年ぶりにパ・リーグ覇者になった西武の伊東勤両正捕手の頭脳が注目された第48回シリーズ。
開放型の西武球場としては最後のシリーズになり、翌年からは屋根が設置されて西武ドームになったため、西武の選手がホームランを放ったり試合に勝利したりした場合に打ち上げられる花火も見納めになった*23。
MVPは古田敦也。
- 1998年:横浜 - 西武(横浜4勝2敗、38年ぶり2度目)
「マシンガン打線」と呼ばれる強力打線を擁した横浜が、38年ぶりのリーグ優勝の勢いそのままに日本一に輝いた第49回シリーズ。史上初となる東京都以外の「関東シリーズ」でもある。
全試合で先制点を挙げた方がそのまま逃げ切るという異色のシリーズで、試合途中の逆転もなく淡白な試合が多かったとも言える。
上記の通りこの時点での西武ドームはフィールド部分が屋根で覆われていなかったため、第3戦が雨天中止になった。
MVPは鈴木尚典。
- 1999年:中日 - ダイエー(ダイエー4勝1敗、35年ぶり3度目)
1900年代最後となった第50回シリーズ。
11年ぶりにセ・リーグを制覇した中日と、史上最長となる20年連続Bクラスの暗黒時代を脱出して26年ぶりのリーグ優勝を決めたダイエーが対戦。全試合がドーム球場(ナゴヤドーム・福岡ドーム)で開催された初めてのシリーズでもある。
ダイエーが4勝1敗で35年ぶり3度目、ダイエーとしておよび福岡移転後初の日本一になった。
MVPは秋山幸二。上記の通り西武時代の1991年にも受賞しているため、史上初の複数球団での受賞になった。
・2000年代(第51回~第60回)
2000年代の始まりと世紀の境目、近鉄の消滅と楽天の登場、そしてCSの導入などさまざまな面で時代の変革を迎えた年代。
- 2000年:巨人 - ダイエー(巨人4勝2敗、6年ぶり19度目)
2000年代初、そして20世紀最後となった第51回シリーズ。
6年ぶりに巨人をリーグ優勝に導いた長嶋茂雄監督と、ダイエーのリーグ連覇を果たした王貞治監督という、巨人の「V9」時代を支えた盟友同士の対決だったことから「ON対決」「ONシリーズ」と呼ばれて大いに盛り上がった。
MVPは松井秀喜。
特筆すべき点として、この年の日程は「東京ドーム・東京ドーム→福岡ドーム→休み・休み→福岡ドーム・福岡ドーム→東京ドーム・東京ドーム」という、通常の移動日がなく3連戦から2日空けて4連戦という特殊な日程になっていたが、これは日本脳神経外科学会の会合(2000年10月24日~27日)のために福岡ドーム側が球団の許可なく勝手に球場を貸し出してしまったため。
これは、ドーム側は日程を依頼された1997年の時点でチームが20年連続Bクラスと低迷し、どうせ出られないだろうと勝手に判断してしまったことが原因である。
しかし、1998年は一転して福岡移転後初のAクラス入りを果たしたことで問題が発覚したものの、この会合は世界各国から約2万人が集結する大規模な学会だったことから日程の変更などすでに手遅れであり、仮にできたところでダイエーが出場できなければ元も子もなく、球場や日本シリーズそのものの日程変更も叶わなかった。
最終的には学会側が27日の会合を中止し、26日を午前中で打ち切るなどの厚意を示したことで事なきを得たが、選手にとっては移動日なしでの連戦に加えての2日間の休みも球場が使用できないなど負担も大きく、結果的に日本一を逃してしまう原因になった。
一見すると無許可で勝手に日程を取り決めたドーム側の責任にも見えるが、依頼のあった1997年から1998年秋まで1年以上も球団の発見が遅れたことをNPBに問題視され、間接的にリーグ優勝を目指していない球団の体質を批判されて3000万円の制裁金を受けている。これは個人・球団への罰金として最高額である。
- 2001年:ヤクルト - 近鉄(ヤクルト4勝1敗、4年ぶり5度目)
21世紀初となった第52回シリーズ。4年ぶりのリーグ優勝を支えたヤクルトの扇の要・古田敦也の頭脳と、北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打など「いてまえ打線」と呼ばれる強力打線でパ・リーグ初の前年最下位から12年ぶりのリーグ優勝を決めた近鉄の勝負が最大の注目になり、若松勉・梨田昌孝両監督による生え抜き監督対決でもあった。
ヤクルトは第2戦を除いて「いてまえ打線」を2点以下に封じ切り、4年ぶり5度目にして若松監督は生え抜き史上初の日本一を達成。
一方で近鉄はチーム総失点・防御率リーグ最下位*24の投手陣が史上初となる第3戦まで3試合連続6失点以上を喫し、打線も上述の通り第2戦以外はシーズン中に見せた本領を発揮できず、この年が最後のリーグ優勝兼日本シリーズ出場になってしまい、結局一度も日本一になれないまま2004年にオリックスと合併して55年の歴史に幕を閉じることになる。
MVPは古田敦也。
- 2002年:巨人 - 西武(巨人4勝0敗、2年ぶり20度目)
原辰徳・伊原春樹両監督という2度目の「新人監督対決」になった第53回シリーズ。
2年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人が勢いそのままに「V9」にもなかった球団史上初のストレート勝ちを収め、1990年の借りを返して原監督は就任1年目で日本一を達成。
巨人の投手陣は8人全員が1試合のみの登板であり、複数試合に登板した投手が1人もいないという珍しい記録を残した。
また、この年時点でセ32勝パ21勝とセ・リーグの勝ち越しが11となり、1973年(17勝7敗)・1981年(21勝11敗)・1985年(23勝13敗)の勝ち越し10を上回って史上最多に。
MVPは二岡智宏。
- 2003年:阪神 - ダイエー(ダイエー4勝3敗、4年ぶり4度目)
暗黒時代を脱出して18年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神と、3年ぶりのリーグ優勝を果たしたダイエーが激突した第54回シリーズ。
両チームが本拠地のみで勝つという「内弁慶シリーズ」はさることながら、「ダイエーのシリーズ最多得点零封試合(13-0)」「阪神の2試合連続サヨナラ勝利」「勝利投手が全員左投手」といった新記録(珍記録)の多さも話題に。
また、本拠地が山陽新幹線沿線であることからJR西日本は「山陽新幹線シリーズ」と命名し、両球団のペットマークを付けた特別列車を走らせた。
10年ぶりに第7戦までもつれたシリーズになり、ダイエーは連勝→3連敗→連勝と激戦を制して4年ぶり4度目の日本一を手にした。
MVPは杉内俊哉。
- 2004年:中日 - 西武(西武4勝3敗、12年ぶり12度目)
こちらも落合博満・伊東勤両監督による「新人監督対決」になった第55回シリーズ。
12年前の1982年と同じく、西武はシーズン2位ながらこの年から導入されたPOを勝ち抜いて進出し、奇しくも再び中日を下して12度目の日本一を達成した。
第5戦の10月23日に新潟県中越地震が発生したが特に黙祷などは行われず、勝利した西武は予定通りビールかけを実施した。一応、中日の選手会は寄付金100万円を被災地に送っている。
MVPは石井貴。
- 2005年:阪神 - ロッテ(ロッテ4勝0敗、31年ぶり3度目)
ある理由により、特にネタ人気で名高い第56回シリーズ。全試合が屋外球場で開催された最後のシリーズでもある。
いわゆるJFKで逃げ勝つ野球で2年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神と、2位からPOを勝ち上がったロッテの対決になったが、いざ蓋を開けてみれば笑撃的衝撃的な結末に。
詳細は当該項目を参照。
- 2006年:中日 - 日本ハム(日本ハム4勝1敗、44年ぶり2度目)
第1回WBCを制して日本中が歓喜に沸いたこの年、2年ぶりのリーグ優勝を決めた中日と25年ぶりにパ・リーグを制覇した日本ハムによる第57回シリーズ。
札幌ドームはホームチームが三塁側ベンチを使用している事情から、全試合とも中日が一塁側・日本ハムが三塁側のベンチを使用した珍しいシリーズになっている(2012年と2016年も同様)。
日本ハムがパ・リーグ最長ブランクとなる44年ぶり2度目、日本ハムとしておよび北海道移転後初の日本一に輝いた。
MVPは稲葉篤紀。
- 2007年:中日 - 日本ハム(中日4勝1敗、53年ぶり2度目)
CSが導入されて初めての開催になり、2年連続の顔合わせになった第58回シリーズ。
巨人を撃破して2位から出場した中日が前年と全く同じ星取りで雪辱を果たし、第5戦では参考記録ながらMLBにも例がない継投での完全試合を決めて12球団最長ブランクとなる53年ぶりの日本一に輝いた。前述の通りPOでは勝利チームがそのままシーズン優勝の扱いだったため、優勝チーム以外が日本一になるのも初である。
詳細は当該項目を参照。
- 2008年:巨人 - 西武(西武4勝3敗、4年ぶり13度目)
西武が4年ぶり13度目の日本一に輝いた第59回シリーズ。
最大13ゲーム差をひっくり返す「メークレジェンド」を達成して6年ぶりのリーグ優勝を大逆転で飾った巨人と、首位に立ってから一度も陥落することなく4年ぶりのリーグ優勝を決めた西武という対照的な優勝形態の両チームが激突した。
岸孝之はカーブを武器に三振の山を築き、日本シリーズ初登板で初完封の記録を達成してMVPに輝いた。
- 2009年:巨人 - 日本ハム(巨人4勝2敗、7年ぶり21度目)
WBC連覇で列島が歓喜に沸いたこの年、「後楽園シリーズ」以来28年ぶりの対決になった第60回シリーズ。
7年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人と、2年ぶりにペナントを制した日本ハムが対戦した。上記の通り日本ハムは1988年~2003年は東京ドームを本拠地としていたが、その間は一度も日本シリーズに出場していなかったため、ビジターとしてではあるが初めて東京ドームで日本シリーズに出場することになった。
また、新型インフルエンザへの感染に対する特例処置として出場資格者の人数制限がなくなった唯一のシリーズでもある。
世界の頂点に立った原監督は巨人も日本一に導いた。
MVPは阿部慎之助。
・2010年代(第61回~第70回)
平成から令和に変わる年代。CSでの下剋上も含めてセ・リーグ全球団が出場を果たしたが、ソフトバンクをはじめとするパ・リーグの快進撃が目立った時期でもあった。
- 2010年:中日 - ロッテ(ロッテ4勝2敗1分、5年ぶり4度目)
4年ぶりのリーグ優勝を果たした中日と、CSでソフトバンクを倒して3位からの下剋上で勝ち上がったロッテによる第61回シリーズ。
前述の通り、一部試合のテレビ全国中継が行われなかったが、その状況とは裏腹にロッテは5年ぶり4度目にして史上初の3位からの日本一という史上最大の下克上を達成したことで大きく盛り上がった。
また、ボールカウントが「SBO」の順で実施された最後の年でもある。
詳細は当該項目を参照。
- 2011年:中日 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝3敗、8年ぶり5度目)
リーグ連覇を達成した中日とソフトバンクの2度目の対戦になった第62回シリーズ。この年からコナミをスポンサーに迎えて「KONAMI日本シリーズ」として開催されるようになる。
東日本大震災の影響でシーズン開幕自体が遅れたこともあり、シリーズ全体でも4番目に遅い開催(11月12日~20日)になっている。上記の通り、第1戦は17年ぶりのデーゲームで行われた。
第6戦までは全てビジターチームが勝利したことから「外弁慶シリーズ」とも呼ばれ、第7戦までもつれながら両チームともにホームで本塁打が1本も出なかった珍しいシリーズでもある。
ソフトバンクがダイエー時代以来8年ぶり5度目、ソフトバンクとしては初の日本一に輝き、リーグ優勝・交流戦優勝・CS優勝・11球団勝ち越し・日本一という「完全制覇」を達成した。
MVPは小久保裕紀。40歳での受賞は史上最年長である。
- 2012年:巨人 - 日本ハム(巨人4勝2敗、3年ぶり22度目)
それぞれ3年ぶりのリーグ優勝で通算3度目の対決になった両チームによる第63回シリーズ。
1998年のように全試合で逆転勝利がなく、第4戦の日本ハムのサヨナラ勝利を含めて先制点を挙げたチームがそのまま勝つという逆転のないシリーズでもあり、この年も4勝2敗で巨人が日本ハムを下して3年ぶり22度目の頂点に立った。
なお、セ・リーグとしては平成最後の日本一であり、2010年代のシリーズでは唯一セ・リーグが勝利した年でもある。
MVPは内海哲也。
- 2013年:巨人 - 楽天(楽天4勝3敗、初優勝)
東日本大震災で未だ傷心の東北を盛り上げるために奮起した楽天が、球団史上初のリーグ優勝を決めた勢いそのままに日本一まで上り詰めた第64回シリーズ。
巨人は1934年、楽天は2004年創立という新旧チームによるシリーズで、両チームとも王手をかけて第7戦までもつれるという大激戦が繰り広げられた。
詳細は当該項目を参照。
- 2014年:阪神 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝1敗、3年ぶり6度目)
CSで巨人を倒して2位から勝ち上がった阪神と、「10.2決戦」で3年ぶりのリーグ優勝を決めたソフトバンクによる第65回シリーズ。
この年からSMBCをスポンサーに迎えて「SMBC日本シリーズ」として開催されるようになる。
詳細は当該項目を参照。
- 2015年:ヤクルト - ソフトバンク(ソフトバンク4勝1敗、2年連続7度目)
セ・リーグでは1976年の巨人以来となる前年最下位から14年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルトと、リーグ連覇を果たしたソフトバンクによる第66回シリーズ。これまた真中満・工藤公康両監督による「新人監督対決」でもある。
チーム名が鳥の名前同士であるのも初で、山田哲人・柳田悠岐という65年ぶりの「トリプルスリー対決」でもあった。
ソフトバンクは5戦全てでヤクルトの先発を5回までにKOし、21世紀初にして球団史上初、そして史上唯一となる2人の監督で日本一連覇を果たした(前年は秋山幸二監督)。
MVPは李大浩。韓国人選手初の受賞である。
- 2016年:広島 - 日本ハム(日本ハム4勝2敗、10年ぶり3度目)
25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島と、大谷翔平の二刀流の活躍で4年ぶりのリーグ優勝を決めた日本ハムが激突した第67回シリーズ。
セ・リーグ最西端の広島、パ・リーグ最北端の日本ハムと最も地理的に離れた2チームであることから「史上最長距離シリーズ」とも呼ばれた。
また、札幌ドームで開催された最後のシリーズでもある。
詳細は当該項目を参照。
- 2017年:DeNA - ソフトバンク(ソフトバンク4勝2敗、2年ぶり8度目)
CSで広島を撃破して3位からの下剋上で勝ち上がったDeNAと、2年ぶりのリーグ優勝を決めたソフトバンクが対戦した第68回シリーズ。
ソフトバンクは3連勝から連敗の末、最後は平成初のサヨナラ日本一を達成。3イニングまたぐ執念で勝利を呼び寄せたデニス・サファテがMVPに輝いた。
延長15回制限はこの年が最後になった。
- 2018年:広島 - ソフトバンク(4勝1敗1分、2年連続9度目)
平成最後となった第69回シリーズ。巨人以来となるセ・リーグ3連覇を達成した広島と、2位からCSで西武を撃破して勝ち上がったソフトバンクが対戦した。
「西日本シリーズ」としては初の中国・九州対決で、日本標準時子午線(東経135度線)以東が舞台にならなかったシリーズでもある。
第2戦以外は全て3点差以内での決着という接戦続きであり、1敗1分から4連勝でソフトバンクが連覇を達成。史上初めてリーグ連覇なく日本一を連覇した。
甲斐拓也はシリーズ新記録となる6連続盗塁阻止を決めてピンチの芽を摘み、育成出身選手初のMVPに輝いた。
- 2019年:巨人 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝0敗、3年連続10度目)
(2020年代の項に続く)
・2020年代(第71回~)
コロナ禍に見舞われた年代でもあり、毎年異なるチームが日本一に輝いているのも特徴。
(2019年代の項の続き)
- 2020年:巨人 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝0敗、4年連続11度目)
巨人とソフトバンクの顔合わせになった令和初の第70回・第71回シリーズで、ソフトバンクがMLBでも前例のない「2年連続同一カード4連勝」を決めてパ・リーグ初の日本一4連覇を達成した(2019年は2位からの出場)。
巨人は打線が壊滅的に振るわず、中でも2020年は上記の通り全試合指名打者制の特別ルールだったにも関わらず2005年の阪神すら下回るほどの不名誉な記録の数々を打ち立ててしまい*25、「26-4」「オールブラックス」などと揶揄されてしまっている。
これにより2013年の第7戦から9連敗となり、同一監督としては史上ワーストに。原監督個人としても史上初となる同一監督によるシリーズ4連勝・4連敗経験、球団史上2人目となる選手・監督両方でのシリーズ4連敗の記録を打ち立てている。
一方で、上記の通りソフトバンクはセ・リーグ全球団と日本シリーズで戦い、その全てに勝利するという快挙を達成。2018年の第3戦以降は負けなしの12連勝で、本拠地(2011年の第7戦以降)およびポストシーズン(2019年CSファーストステージ第2戦以降)全体でも16連勝を達成した。
さらに2019年には1959年以来50年ぶりに対戦成績をタイに戻すと、続く2020年はパ・リーグが36勝35敗となり、第1回を除いて初めてセ・リーグをリードした。
MVPは2019年がジュリスベル・グラシアル、2020年が栗原陵矢。
前述の通り、2020年はコロナ禍の影響で6月開幕の縮小シーズンになっており、さらにセ・リーグはCSが全面中止、パ・リーグもファイナルステージのみをアドバンテージも含めた4戦3勝制で開催された*26。
また、東京ドームは都市対抗野球開催の兼ね合いで使用できず、巨人の本拠地は京セラドームで開催された。本拠地以外の会場で開催されたのは1980年の近鉄以来40年ぶり、セ・リーグでは1978年のヤクルト以来42年ぶりで、パ・リーグの本拠地を使用したのは初である。
観客収容率の上限が定員の50%以下に制限されこともあり、観客数は前売券なしで平日昼の開催だった1986年の第8戦以来34年ぶりに1万人台を記録した。
- 2021年:ヤクルト - オリックス(ヤクルト4勝2敗、20年ぶり6度目)
- 2022年:ヤクルト - オリックス(オリックス4勝2敗1分、26年ぶり5度目)
史上初の「2年連続最下位からリーグ連覇を達成した下剋上対決」になった第72回・第73回シリーズ。
2022年の第3戦を除いた13試合中12試合が3点差以内の決着で、さらに2点差以内が10試合・1点差が6試合とシリーズ史上でも屈指の大接戦続きになった。
2021年はヤクルトが阪神・巨人との三つ巴の末に6年ぶり、オリックスはロッテにマジック点灯を許しながらも逆転で25年ぶりにそれぞれリーグ優勝を決め、日本シリーズでは4勝2敗でヤクルトが20年ぶり6度目の日本一を達成。パ・リーグ9連覇を阻止し、令和初のセ・リーグ日本一に輝いた。
前年に引き続き観客収容率の上限が定員の50%以下に制限された中の開催だった。
MVPは中村悠平。
2022年は史上最速で優勝マジック53を点灯させたヤクルトと、2014年のお返しとばかりにシーズン最終日の大逆転*27でマジック点灯なく連覇を決めたオリックスという対照的な優勝形態が話題に。
この年は2敗1分から怒涛の4連勝を果たしたオリックスが26年ぶり5度目の日本一に輝き、大阪府を本拠地とするチームでは1964年の南海以来58年ぶり、さらに「バファローズ」を名乗るチームでは史上初の日本一になっている。同時に2020年以来2年ぶりにパ・リーグが37勝36敗で勝ち越した。
引き続きマスク着用義務・声出し不可の制限があったものの、この年は入場制限が撤廃されて3年ぶりに収容率100%で開催された。
MVPは杉本裕太郎。
なお、2021年のNPBは東京五輪の関係で7月15日~8月12日の1か月に渡ってシーズンが中断しており、その関係から日本シリーズも11月20日~27日とかなり遅い時期に行われた*28。加えて神宮は学生野球、京セラドームは第6・7戦がAAAのコンサートとの兼ね合いで使用できず、ヤクルトの本拠地は東京ドーム、オリックス主催の第6戦は25年ぶりとなるほっと神戸で行われた。11月27日の決着は第1回の28日、さらにこの年は9回打ち切りルールだったことから初の延長戦に突入し、12回の死闘の末に決着したため、試合終了時刻23時05分は2010年の23時07分に次いでそれぞれ2番目の遅さであり、最終的に気温は7度台にまで落ち込むという極寒の中での試合であった。
3球場以上で開催されたのは1962年以来59年ぶり、3都府県以上で行われたのは1953年以来68年ぶりで、両チームが球場を変更したのは史上初。
ちなみに、高津臣吾・中嶋聡両監督は現役時代の1995年にそれぞれ選手として出場しており、第3戦の延長10回では直接対戦している(結果は四球)。
- 2023年:阪神 - オリックス(阪神4勝3敗、38年ぶり2度目)
2009年以来のWBC優勝で列島が狂喜乱舞したこの年、18年ぶりにセ・リーグを制した阪神と21世紀初のパ・リーグ3連覇を達成したオリックスによる、1964年以来59年ぶりの「関西対決」になった第74回シリーズ。
阪神が第7戦までもつれ込む激戦を制し、38年ぶり2度目の「アレのアレ」を達成した。
詳細は当該項目を参照。
・一覧表
セ・リーグ球団 | パ・リーグ球団 |
「-」は引き分け。特筆なき場合はシーズン優勝チーム。
回数 | 年 | 優勝チーム【年間順位】 (監督) | 優勝回数 | 勝敗 | 星取表 | 対戦相手【年間順位】 (監督) | 最高殊勲選手(MVP) ※数字は回目 | 敢闘選手 ※数字は回目 | セパ勝敗 | |||||||||||
勝 | 分 | 負 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | ||||||||||
日本ワールドシリーズ | ||||||||||||||||||||
第1回 | 1950年 | 毎日 (湯浅禎夫) | 初優勝 | 4 | 2 | 毎 | 毎 | 松 | 松 | 毎 | 毎 | 松竹 (小西得郎) | 別当薫 | - | セ0勝 | パ1勝 | ||||
第2回 | 1951年 | 巨人 (水原茂) | 初優勝 | 4 | 1 | 巨 | 巨 | 巨 | 南 | 巨 | 南海 (山本一人) | 南村不可止 | - | セ1勝 | パ1勝 | |||||
第3回 | 1952年 | 2年連続 | 2度目 | 4 | 2 | 巨 | 巨 | 南 | 巨 | 南 | 巨 | 別所毅彦 | - | セ2勝 | パ1勝 | |||||
第4回 | 1953年 | 3年連続 | 3度目 | 4 | 1 | 2 | 南 | 巨 | - | 巨 | 巨 | 南 | 巨 | 川上哲治 | 簑原宏 | セ3勝 | パ1勝 | |||
日本シリーズ | ||||||||||||||||||||
第5回 | 1954年 | 中日 (天知俊一) | 初優勝 | 4 | 3 | 中 | 中 | 西 | 西 | 中 | 西 | 中 | 西鉄 (三原脩) | 杉下茂 | 大下弘 | セ4勝 | パ1勝 | |||
第6回 | 1955年 | 巨人 (水原円裕) | 2年ぶり | 4度目 | 4 | 3 | 巨 | 南 | 南 | 南 | 巨 | 巨 | 巨 | 南海 (山本一人) | 別所毅彦2 | 戸川一郎 | セ5勝 | パ1勝 | ||
第7回 | 1956年 | 西鉄 (三原脩) | 初優勝 | 4 | 2 | 巨 | 西 | 西 | 西 | 巨 | 西 | 巨人 (水原円裕) | 豊田泰光 | 稲尾和久 (西鉄) | セ5勝 | パ2勝 | ||||
第8回 | 1957年 | 2年連続 | 2度目 | 4 | 1 | 0 | 西 | 西 | 西 | - | 西 | 大下弘 | 宮本敏雄 | セ5勝 | パ3勝 | |||||
第9回 | 1958年 | 3年連続 | 3度目 | 4 | 3 | 巨 | 巨 | 巨 | 西 | 西 | 西 | 西 | 稲尾和久 | 藤田元司 | セ5勝 | パ4勝 | ||||
第10回 | 1959年 | 南海 (鶴岡一人) | 初優勝 | 4 | 0 | 南 | 南 | 南 | 南 | 杉浦忠 | 土屋正孝 | セ5勝 | パ5勝 | |||||||
第11回 | 1960年 | 大洋 (三原脩) | 初優勝 | 4 | 0 | 洋 | 洋 | 洋 | 洋 | 大毎 (西本幸雄) | 近藤昭仁 | 田宮謙次郎 | セ6勝 | パ5勝 | ||||||
第12回 | 1961年 | 巨人 (川上哲治) | 6年ぶり | 5度目 | 4 | 2 | 南 | 巨 | 巨 | 巨 | 南 | 巨 | 南海 (藤本定義) | 宮本敏雄 | ジョー・スタンカ | セ7勝 | パ5勝 | |||
第13回 | 1962年 | 東映 (水原茂) | 初優勝 | 4 | 1 | 2 | 神 | 神 | - | 映 | 映 | 映 | 映 | 阪神 (藤本定義) | 土橋正幸 種茂雅之 | 吉田義男 | セ7勝 | パ6勝 | ||
第14回 | 1963年 | 巨人 (川上哲治) | 2年ぶり | 6度目 | 4 | 3 | 西 | 巨 | 巨 | 西 | 巨 | 西 | 巨 | 西鉄 (中西太) | 長嶋茂雄 | 稲尾和久2 | セ8勝 | パ6勝 | ||
第15回 | 1964年 | 南海 (鶴岡一人) | 5年ぶり | 2度目 | 4 | 3 | 南 | 神 | 神 | 南 | 神 | 南 | 南 | 阪神 (藤本定義) | ジョー・スタンカ | 山内一弘 | セ8勝 | パ7勝 | ||
第16回 | 1965年 | 巨人 (川上哲治) | 2年ぶり | 7度目 | 4 | 1 | 巨 | 巨 | 巨 | 南 | 巨 | 南海 (鶴岡一人) | 長嶋茂雄2 | 森下整鎮 | セ9勝 | パ7勝 | ||||
第17回 | 1966年 | 2年連続 | 8度目 | 4 | 2 | 巨 | 南 | 巨 | 巨 | 南 | 巨 | 柴田勲 | 渡辺泰輔 | セ10勝 | パ7勝 | |||||
第18回 | 1967年 | 3年連続 | 9度目 | 4 | 2 | 巨 | 巨 | 巨 | 急 | 急 | 巨 | 阪急 (西本幸雄) | 森昌彦 | 足立光宏 | セ11勝 | パ7勝 | ||||
第19回 | 1968年 | 4年連続 | 10度目 | 4 | 2 | 急 | 巨 | 巨 | 巨 | 急 | 巨 | 高田繁 | 長池徳二2 | セ12勝 | パ勝 | |||||
第20回 | 1969年 | 5年連続 | 11度目 | 4 | 2 | 巨 | 急 | 巨 | 巨 | 急 | 巨 | 長嶋茂雄3,4 | セ13勝 | パ7勝 | ||||||
第21回 | 1970年 | 6年連続 | 12度目 | 4 | 1 | 巨 | 巨 | 巨 | ロ | 巨 | ロッテ (濃人渉) | 井石礼司 | セ14勝 | パ7勝 | ||||||
第22回 | 1971年 | 7年連続 | 13度目 | 4 | 1 | 巨 | 急 | 巨 | 巨 | 巨 | 阪急 (西本幸雄) | 末次民夫 | 山田久志 | セ15勝 | パ7勝 | |||||
第23回 | 1972年 | 8年連続 | 14度目 | 4 | 1 | 巨 | 巨 | 急 | 巨 | 巨 | 堀内恒夫 | 足立光宏2 | セ16勝 | パ7勝 | ||||||
パ・リーグ前後期制開始 | ||||||||||||||||||||
第24回 | 1973年 | 巨人 (川上哲治) | 9年連続 | 15度目 | 4 | 1 | 急 | 巨 | 巨 | 巨 | 巨 | 南海【3位】 (野村克也) | 堀内恒夫2 | 野村克也 | セ17勝 | パ7勝 | ||||
第25回 | 1974年 | ロッテ (金田正一) | 24年ぶり | 2度目 | 4 | 2 | 中 | ロ | 中 | ロ | ロ | ロ | 中日 (与那嶺要) | 弘田澄男 | 高木守道 | セ17勝 | パ8勝 | |||
第26回 | 1975年 | 阪急【2位】 (上田利治) | 初優勝 | 4 | 2 | 0 | - | 急 | 急 | - | 急 | 急 | 広島 (古葉竹識) | 山口高志 | 山本浩二 | セ17勝 | パ9勝 | |||
第27回 | 1976年 | 阪急 (上田利治) | 2年連続 | 2度目 | 4 | 3 | 急 | 急 | 急 | 巨 | 巨 | 巨 | 急 | 巨人 (長嶋茂雄) | 福本豊 | 柴田勲 | セ17勝 | パ10勝 | ||
第28回 | 1977年 | 3年連続 | 3度目 | 4 | 1 | 急 | 急 | 巨 | 急 | 急 | 山田久志 | 河埜和正 | セ17勝 | パ11勝 | ||||||
第29回 | 1978年 | ヤクルト (廣岡達朗) | 初優勝 | 4 | 3 | 急 | ヤ | 急 | ヤ | ヤ | 急 | ヤ | 阪急 (上田利治) | 大杉勝男 | 足立光宏3 | セ18勝 | パ11勝 | |||
第30回 | 1979年 | 広島 (古葉竹識) | 初優勝 | 4 | 3 | 近 | 近 | 広 | 広 | 広 | 近 | 広 | 近鉄【2位】 (西本幸雄) | 高橋慶彦 | 井本隆 | セ19勝 | パ11勝 | |||
第31回 | 1980年 | 2年連続 | 2度目 | 4 | 3 | 近 | 近 | 広 | 広 | 近 | 広 | 広 | 近鉄 (西本幸雄) | ジム・ライトル | 小川亨 | セ20勝 | パ11勝 | |||
第32回 | 1981年 | 巨人 (藤田元司) | 8年ぶり | 16度目 | 4 | 2 | 日 | 巨 | 日 | 巨 | 巨 | 巨 | 日本ハム (大沢啓二) | 西本聖 | 井上弘昭 | セ21勝 | パ11勝 | |||
パ・リーグ前後期制終了 | ||||||||||||||||||||
第33回 | 1982年 | 西武【2位】 (廣岡達朗) | 24年ぶり | 4度目 | 4 | 2 | 西 | 西 | 中 | 中 | 西 | 西 | 中日 (近藤貞雄) | 東尾修 | 上川誠二 | セ21勝 | パ12勝 | |||
第34回 | 1983年 | 西武 (廣岡達朗) | 2年連続 | 5度目 | 4 | 3 | 西 | 巨 | 巨 | 西 | 巨 | 西 | 西 | 巨人 (藤田元司) | 大田卓司 | 西本聖 | セ21勝 | パ13勝 | ||
第35回 | 1984年 | 広島 (古葉竹識) | 4年ぶり | 3度目 | 4 | 3 | 広 | 急 | 広 | 広 | 急 | 急 | 広 | 阪急 (上田利治) | 長嶋清幸 | 山沖之彦 | セ22勝 | パ13勝 | ||
第36回 | 1985年 | 阪神 (吉田義男) | 初優勝 | 4 | 2 | 神 | 神 | 西 | 西 | 神 | 神 | 西武 (廣岡達朗) | ランディ・バース | 石毛宏典 | セ23勝 | パ13勝 | ||||
第37回 | 1986年 | 西武 (森祇晶) | 3年ぶり | 6度目 | 4 | 1 | 3 | - | 広 | 広 | 広 | 西 | 西 | 西 | 西 | 広島 (阿南準郎) | 工藤公康2 | 達川光男 | セ23勝 | パ14勝 |
第38回 | 1987年 | 2年連続 | 7度目 | 4 | 2 | 巨 | 西 | 西 | 巨 | 西 | 西 | 巨人 (王貞治) | 篠塚利夫 | セ23勝 | パ15勝 | |||||
第39回 | 1988年 | 3年連続 | 8度目 | 4 | 1 | 西 | 中 | 西 | 西 | 西 | 中日 ([[星野仙一>星野仙一]]) | 石毛宏典 | 宇野勝 | セ23勝 | パ16勝 | |||||
第40回 | 1989年 | 巨人 (藤田元司) | 8年ぶり | 17度目 | 4 | 3 | 近 | 近 | 近 | 巨 | 巨 | 巨 | 巨 | 近鉄 (仰木彬) | 駒田徳広 | 新井宏昌 | セ23勝 | パ16勝 | ||
第41回 | 1990年 | 西武 (森祇晶) | 2年ぶり | 9度目 | 4 | 0 | 西 | 西 | 西 | 西 | 巨人 (藤田元司) | オレステス・デストラーデ | 岡崎郁 | セ24勝 | パ17勝 | |||||
第42回 | 1991年 | 2年連続 | 10度目 | 4 | 3 | 西 | 広 | 西 | 広 | 広 | 西 | 西 | 広島 (山本浩二) | 秋山幸二 | 川口和久 | セ24勝 | パ18勝 | |||
第43回 | 1992年 | 3年連続 | 11度目 | 4 | 3 | ヤ | 西 | 西 | 西 | ヤ | ヤ | 西 | ヤクルト (野村克也) | 石井丈裕 | 岡林洋一 | セ24勝 | パ19勝 | |||
第44回 | 1993年 | ヤクルト (野村克也) | 15年ぶり | 2度目 | 4 | 3 | ヤ | ヤ | 西 | ヤ | 西 | 西 | ヤ | 西武 (森祇晶) | 川崎憲次郎 | 清原和博2 | セ25勝 | パ19勝 | ||
第45回 | 1994年 | 巨人 (長嶋茂雄) | 5年ぶり | 18度目 | 4 | 2 | 西 | 巨 | 巨 | 西 | 巨 | 巨 | 槙原寛己 | セ26勝 | パ19勝 | |||||
第46回 | 1995年 | ヤクルト (野村克也) | 2年ぶり | 3度目 | 4 | 1 | ヤ | ヤ | ヤ | オ | ヤ | オリックス (仰木彬) | トーマス・オマリー | 小林宏 | セ27勝 | パ19勝 | ||||
第47回 | 1996年 | オリックス (仰木彬) | 19年ぶり | 4度目 | 4 | 1 | オ | オ | オ | 巨 | オ | 巨人 (長嶋茂雄) | トロイ・ニール | 仁志敏久 | セ27勝 | パ20勝 | ||||
第48回 | 1997年 | ヤクルト (野村克也) | 2年ぶり | 4度目 | 4 | 1 | ヤ | 西 | ヤ | ヤ | ヤ | 西武 (東尾修) | 古田敦也 | 松井稼頭央 | セ28勝 | パ20勝 | ||||
第49回 | 1998年 | 横浜 (権藤博) | 38年ぶり | 2度目 | 4 | 2 | 横 | 横 | 西 | 西 | 横 | 横 | 鈴木尚典 | 大塚光二 | セ29勝 | パ20勝 | ||||
第50回 | 1999年 | ダイエー (王貞治) | 35年ぶり | 3度目 | 4 | 1 | ダ | 中 | ダ | ダ | ダ | 中日 (星野仙一) | 秋山幸二2 | 川上憲伸 | セ29勝 | パ21勝 | ||||
第51回 | 2000年 | 巨人 (長嶋茂雄) | 6年ぶり | 19度目 | 4 | 2 | ダ | ダ | 巨 | 巨 | 巨 | 巨 | ダイエー (王貞治) | 松井秀喜 | 城島健司 | セ30勝 | パ21勝 | |||
第52回 | 2001年 | ヤクルト (若松勉) | 4年ぶり | 5度目 | 4 | 1 | ヤ | 近 | ヤ | ヤ | ヤ | 近鉄 (梨田昌孝) | 古田敦也2 | タフィ・ローズ | セ31勝 | パ21勝 | ||||
第53回 | 2002年 | 巨人 (原辰徳) | 2年ぶり | 10度目 | 4 | 0 | 巨 | 巨 | 巨 | 巨 | 西武 (伊原春樹) | 二岡智宏 | アレックス・カブレラ | セ32勝 | パ21勝 | |||||
第54回 | 2003年 | ダイエー (王貞治) | 4年ぶり | 4度目 | 4 | 3 | ダ | ダ | 神 | 神 | 神 | ダ | ダ | 阪神 (星野仙一) | 杉内俊哉 | 金本知憲 | セ32勝 | パ22勝 | ||
パ・リーグプレーオフ開始 | ||||||||||||||||||||
第55回 | 2004年 | 西武【2位】 (伊東勤) | 12年ぶり | 12度目 | 4 | 3 | 西 | 中 | 西 | 中 | 中 | 西 | 西 | 中日 (落合博満) | 石井貴 | 井上一樹 | セ32勝 | パ23勝 | ||
第56回 | 2005年 | ロッテ【2位】 (ボビー・バレンタイン) | 31年ぶり | 3度目 | 4 | 0 | ロ | ロ | ロ | ロ | 阪神 (岡田彰布) | 今江敏晃 | 矢野輝弘 | セ32勝 | パ24勝 | |||||
第57回 | 2006年 | 日本ハム (トレイ・ヒルマン) | 44年ぶり | 2度目 | 4 | 1 | 中 | 日 | 日 | 日 | 日 | 中日 (落合博満) | 稲葉篤紀 | 川上憲伸2 | セ32勝 | パ25勝 | ||||
クライマックスシリーズ開始 | ||||||||||||||||||||
第58回 | 2007年 | 中日【2位】 (落合博満) | 53年ぶり | 2度目 | 4 | 1 | 日 | 中 | 中 | 中 | 中 | 日本ハム (トレイ・ヒルマン) | 中村紀洋 | ダルビッシュ有 | セ33勝 | パ25勝 | ||||
第59回 | 2008年 | 西武 (渡辺久信) | 4年ぶり | 13度目 | 4 | 3 | 西 | 巨 | 巨 | 西 | 巨 | 西 | 西 | 巨人 (原辰徳) | 岸孝之 | アレックス・ラミレス | セ33勝 | パ26勝 | ||
第60回 | 2009年 | 巨人 (原辰徳) | 7年ぶり | 21度目 | 4 | 2 | 巨 | 日 | 巨 | 日 | 巨 | 巨 | 日本ハム (梨田昌孝) | 阿部慎之助 | 髙橋信二 | セ34勝 | パ26勝 | |||
第61回 | 2010年 | ロッテ【3位】 (西村徳文) | 5年ぶり | 4度目 | 4 | 1 | 2 | ロ | 中 | ロ | 中 | ロ | - | ロ | 中日 (落合博満) | 今江敏晃2 | 和田一浩 | セ34勝 | パ27勝 | |
コナミ日本シリーズ | ||||||||||||||||||||
第62回 | 2011年 | ソフトバンク (秋山幸二) | 8年ぶり | 5度目 | 4 | 3 | 中 | 中 | ソ | ソ | ソ | 中 | ソ | 中日 (落合博満) | 小久保裕紀 | 吉見一起 | セ34勝 | パ28勝 | ||
第63回 | 2012年 | 巨人 (原辰徳) | 3年ぶり | 22度目 | 4 | 2 | 巨 | 巨 | 日 | 日 | 巨 | 巨 | 日本ハム (栗山英樹) | 内海哲也 | 稲葉篤紀 | セ35勝 | パ28勝 | |||
第64回 | 2013年 | 楽天 (星野仙一) | 初優勝 | 4 | 3 | 巨 | 楽 | 楽 | 巨 | 楽 | 巨 | 楽 | 巨人 (原辰徳) | 美馬学 | 長野久義 | セ35勝 | パ29勝 | |||
SMBC日本シリーズ | ||||||||||||||||||||
第65回 | 2014年 | ソフトバンク (秋山幸二) | 3年ぶり | 6度目 | 4 | 1 | 神 | ソ | ソ | ソ | ソ | 阪神【2位】 (和田豊) | 内川聖一 | ランディ・メッセンジャー | セ35勝 | パ30勝 | ||||
第66回 | 2015年 | ソフトバンク (工藤公康) | 2年連続 | 7度目 | 4 | 1 | ソ | ソ | ソ | ヤ | ソ | ヤクルト (真中満) | 李大浩 | 山田哲人 | セ35勝 | パ31勝 | ||||
第67回 | 2016年 | 日本ハム (栗山英樹) | 10年ぶり | 3度目 | 4 | 2 | 広 | 広 | 日 | 日 | 日 | 日 | 広島 (緒方孝市) | ブランドン・レアード | ブラッド・エルドレッド | セ35勝 | パ32勝 | |||
第68回 | 2017年 | ソフトバンク (工藤公康) | 2年ぶり | 8度目 | 4 | 2 | ソ | ソ | ソ | De | De | ソ | DeNA【3位】 (アレックス・ラミレス) | デニス・サファテ | 宮﨑敏郎 | セ35勝 | パ33勝 | |||
第69回 | 2018年 | ソフトバンク【2位】 (工藤公康) | 2年連続 | 9度目 | 4 | 1 | 1 | - | 広 | ソ | ソ | ソ | ソ | 広島 (緒方孝市) | 甲斐拓也 | 鈴木誠也 | セ35勝 | パ34勝 | ||
第70回 | 2019年 | 3年連続 | 10度目 | 4 | 0 | ソ | ソ | ソ | ソ | 巨人 (原辰徳) | ジュリスベル・グラシアル | 亀井義行 | セ35勝 | パ35勝 | ||||||
第71回 | 2020年 | ソフトバンク (工藤公康) | 4年連続 | 11度目 | 4 | 0 | ソ | ソ | ソ | ソ | 栗原陵矢 | 戸郷翔征 | セ35勝 | パ36勝 | ||||||
第72回 | 2021年 | ヤクルト (高津臣吾) | 20年ぶり | 6度目 | 4 | 2 | オ | ヤ | ヤ | ヤ | オ | ヤ | オリックス (中嶋聡) | 中村悠平 | 山本由伸 | セ36勝 | パ36勝 | |||
第73回 | 2022年 | オリックス (中嶋聡) | 26年ぶり | 5度目 | 4 | 1 | 2 | ヤ | - | ヤ | オ | オ | オ | オ | ヤクルト (髙津臣吾) | 杉本裕太郎 | ホセ・オスナ | セ36勝 | パ37勝 | |
第74回 | 2023年 | 阪神 (岡田彰布) | 38年ぶり | 2度目 | 4 | 3 | 神 | オ | オ | 神 | 神 | オ | 神 | オリックス (中嶋聡) | 近本光司 | 紅林弘太郎 | セ37勝 | パ37勝 |
記録
前身球団も含む。黒字はリーグ記録。赤字は12球団記録。青字は最少・最古の記録。
灰色は過去のチーム。
チーム別記録(日本一回数順) | |||||||||
リーグ | チーム | リーグ優勝回数 (2リーグ制後) | 出場回数 | 日本一回数 | 敗退回数 | 直近のリーグ優勝 | 直近の出場 (対戦相手) | 直近の日本一 (対戦相手) | 備考 |
セ | 巨人 | 38回 | 36回 | 22回 | 14回 | 2020年 | 2020年 (ソフトバンク) | 2012年 (日本ハム) | ・リーグ優勝、出場回数、日本一、敗退いずれも12球団最多 ・2007年と2014年はCS敗退 |
パ | 西武 (西鉄) | 23回 | 21回 | 13回 | 8回 | 2019年 | 2008年 (巨人) | 2008年 (巨人) | ・リーグ優勝、出場回数、日本一いずれもパ・リーグ最多 ・2018年と2019年はCS敗退 ・出場は12球団最古 |
パ | ソフトバンク (南海・ダイエー) | 19回 | 20回 | 11回 | 9回 | 2020年 | 2020年 (巨人) | ・2018年と2019年は2位から日本一 ・2010年はCS敗退 | |
セ | ヤクルト | 9回 | 6回 | 3回 | 2022年 | 2022年 (オリックス) | 2021年 (オリックス) | ||
パ | オリックス (阪急) | 15回 | 5回 | 10回 | 2023年 | 2023年 (阪神) | 2022年 (ヤクルト) | 敗退はパ・リーグ最多 | |
パ | ロッテ (毎日・大毎) | 5回 | 6回 | 4回 | 2回 | 2005年 (年間勝率1位:1974年) ※POなしだと1970年 | 2010年 (中日) | ・2010年は3位から日本一 ・年間勝率1位やポストシーズンを介さないリーグ優勝、完全優勝は12球団最古(1950年) | |
セ | 広島 | 9回 | 8回 | 3回 | 5回 | 2018年 | 2018年 (ソフトバンク) | 1984年 (阪急) | ・2017年はCS敗退 ・日本一は12球団最古 |
パ | 日本ハム (東映) | 7回 | 3回 | 4回 | 2016年 | 2016年 (広島) | |||
セ | 中日 | 9回 | 10回 | 2回 | 8回 | 2011年 | 2011年 (ソフトバンク) | 2007年 (日本ハム) | ・2007年は2位から日本一 ・完全優勝はセ・リーグ最古(1954年) |
セ | 阪神 | 6回 | 7回 | 2回 | 5回 | 2023年 | 2023年 (オリックス) | 2014年は2位からの出場 | |
セ | DeNA (大洋・横浜) | 2回 | 3回 | 2回 | 1回 | 1998年 | 2017年 (ソフトバンク) | 1998年 (西武) | ・2017年は3位からの出場 ・リーグ優勝は12球団最古 |
パ | 楽天 | 1回 | 0回 | 2013年 | 2013年 (巨人) | 出場回数・日本一・敗退いずれも12球団最少 | |||
パ | 近鉄 | 4回 | 0回 | 4回 | 2001年 | 2001年 (ヤクルト) | 日本一経験なく消滅 | ||
セ | 松竹 | 1回 | 0回 | 1回 | 1950年 | 1950年 (毎日) | |||
セ | 西日本 | リーグ優勝経験なく消滅 | |||||||
パ | 大映 | ||||||||
パ | 高橋 |
CSの導入後はリーグ優勝しなくとも日本シリーズに進出できる可能性があるため、優勝回数と出場回数が一致しないチームがある。
最多の優勝チームは巨人の22回。次いで西武の13回・ソフトバンクの11回と続き、出場回数の面でもこの3チームがダントツのトップ3である。
逆に少ないのは2013年の1回のみの楽天で、次いで中日・阪神・DeNAが2回ずつ、広島・日本ハムが3回ずつと続く。セ・リーグは巨人以外の5球団を合わせても15回と遠く及ばず、パ・リーグもソフトバンク以外の4球団を合計しても西武の13回と同数であるため、どれだけ上位3チームが突出しているかが分かるだろう。
2022年にオリックスが勝利したことにより、21世紀になってからパ・リーグ全球団が日本一を達成。逆にセ・リーグは広島とDeNAが未達成で、最後の優勝がそれぞれ1984年・1998年と最も古く、後者に至っては12球団で唯一21世紀のリーグ優勝も未達成である。
また、西武は最後の出場が2008年と12球団で最も古く、従ってパ・リーグに限っても最古の日本一である。さらに、楽天は日本一になった2013年が唯一の出場であるため、12球団で唯一敗退がない。
それでも、消滅した近鉄に代わって結成された楽天が2013年に頂点に立ったことにより、現存12球団は全て日本一を経験しており、これはMLBにもない記録である*29。さらにパ・リーグは史上初めて同一年号中(平成)に全球団が日本一を経験しており、2023年に阪神が2度目の日本一に輝いたことにより、最も歴史の浅い楽天以外の11球団が日本一を複数回経験したことになった。
過去には松竹が一度・近鉄が4度日本シリーズに出場したが、結局一度も日本一になれないまま大洋・オリックスとの合併により球団消滅。特に後者は合併以降もリーグ優勝すら遠ざかっており、上記のように18年経った2022年に初めて「バファローズ」が日本シリーズを制した。
また、西日本・大映・高橋に至ってはリーグ優勝すら果たせないままロッテ・西鉄と合併する形で球団消滅となっているため、当然ながら日本シリーズへの出場経験はない。
ちなみに、連覇数の最長は巨人の9年連続(1965年~1973年)。パ・リーグではソフトバンクの4年連続(2017年~2020年)が最長記録だが、こちらは2年連続2位を含むことから完全優勝という点では阪急(1975年~1977年)・西武(1982年~1984年、1990年~1992年)の3年連続が最長である。
逆に日本一のブランクが最も長いのは中日の53年(1954年~2007年)。パ・リーグでは日本ハムの44年(1962年~2006年)が最長である。
リーグ別記録
リーグ | 出場回数 | 日本一回数 | 敗退回数 | 直近のリーグ優勝 (2リーグ制後) | 直近の出場 (対戦相手) | 直近の日本一 (対戦相手) |
セ・リーグ | 74回 | 37回 | 阪神 (18年ぶり6度目) | 2023年の阪神 (オリックス) | ||
パ・リーグ | オリックス (3年連続15度目) | 2023年のオリックス (阪神) | 2022年のオリックス (ヤクルト) |
2023年現在のリーグ別成績は37勝37敗のタイである。第1回の1950年をパ・リーグが制し、1959年に2度目のタイになって以降は長い間セ・リーグが勝ち越しており、巨人が「V9」を達成した1973年には17勝7敗で初の貯金10に到達。その後も2003年まで5回記録しており、2002年は史上最多となる11もの貯金(32勝21敗)があった。
だが、この年を最後にセ・リーグでの日本一連覇がなくなり*30、代わってパ・リーグが大きく躍進。2013年からは楽天・ソフトバンク・日本ハムによる「V8」を達成し、2020年の時点で36勝35敗と初めてセ・リーグをリードした。
2021年にヤクルトが日本一に輝いたことで9連覇は阻止されたものの、2022年にオリックスが頂点に立ったことで再度貯金を作り、21世紀にパ・リーグ全球団が日本一を達成した。
球場記録
ネーミングライツなどによって球場名が異なる場合は個別に記載。ただし、開催実績のない球場や名称は基本的に除く。
黒字は現存球場の記録。赤字は最高記録。青字は最少・最古の記録。
球場欄色付きおよび太字は現行の球場および名称。灰色は過去の球場および本拠地(現存か否かは問わない)。
球場 | 開催回数 | 決着回数 | 直近の開催(戦目) (対戦カード、太字は主催) | 直近の決着 (優勝チーム) |
後楽園球場 | 29回 | 16回 | 1987年3,4,5 (巨人 - 西武) | 1981年 (巨人) |
大阪スタヂアム (大阪球場) | 13回 | 5回 | 1980年3,4,5 (広島 - 近鉄) | 1979年 (広島) |
西武ライオンズ球場 | 12回 | 7回 | 1997年1,2 (ヤクルト - 西武) | 1993年 (ヤクルト) |
東京ドーム | 12回 | 5回 | 2021年3,4,5 (ヤクルト - オリックス) | 2019年 (ソフトバンク) |
阪急西宮球場 | 11回 | 4回 | 1984年3,4,5 (広島 - 阪急) | 1975年 (阪急) |
福岡ドーム | 10回 (福岡ドーム:3回) (ヤフオク!ドーム:5回) (他1回ずつ) | 5回 (ヤフオク!ドーム:2回) (他1回ずつ) | 2003年1,2,6,7 (阪神 - ダイエー) | 2003年 (ダイエー) |
福岡 Yahoo! JAPANドーム | 2011年1,2,6,7 (中日 - ソフトバンク) | 2011年 (ソフトバンク) | ||
福岡 ヤフオク!ドーム | 2019年1,2 (巨人 - ソフトバンク) | 2017年 (ソフトバンク) | ||
福岡 PayPayドーム | 2020年3,4 (巨人 - ソフトバンク) | 2020年 (ソフトバンク) | ||
明治神宮野球場 | 9回 | 6回 | 2022年1,2,6,7 (ヤクルト - オリックス) | 2022年 (オリックス) |
阪神甲子園球場 (甲子園球場) | 9回 | 3回 | 2023年3,4,5 (阪神 - オリックス) | 2005年 (ロッテ) |
ナゴヤドーム | 6回 | 4回 | 2011年3,4,5 (中日 - ソフトバンク) | 2010年 (ロッテ) |
中日スタヂアム (中日球場) | 5回 (中日スタヂアム:3回) (ナゴヤ球場:2回) | 2回 | 1974年1,2,6 (中日 - ロッテ) | 1974年 (ロッテ) |
ナゴヤ球場 | 1988年1,2 (中日 - 西武) | 1982年 (西武) | ||
平和台球場 | 5回 | 1回 | 1963年1,2,6,7 (巨人 - 西鉄) | 1963年 (巨人) |
広島市民球場 | 5回 | 3回 | 1986年1,2,6,7,8 (広島 - 西武) | 1986年 (西武) |
大阪ドーム | 5回 (大阪ドーム:1回) (京セラドーム:4回) | 1回 (京セラドーム) | 2001年1,2 (ヤクルト - 近鉄) | 2023年 (京セラドームで阪神) |
京セラドーム大阪 | 2023年1,2,6,7 (阪神 - オリックス) | |||
札幌ドーム | 5回 | 2回 | 2016年3,4,5 (広島 - 日本ハム) | 2009年 (巨人) |
西武ドーム | 4回 | 1回 | 2008年3,4,5 (巨人 - 西武) | 2002年 (巨人) |
MAZDA Zoom Zoom スタジアム広島 | 3回 | 2回 | 2018年1,2,6 (広島 - ソフトバンク) | 2018年 (ソフトバンク) |
グリーンスタジアム神戸 | 3回 (グリーンスタジアム:2回) (ほっと神戸:1回) | 1回 | 1996年3,4,5 (巨人 - オリックス) | 1996年 (オリックス) |
ほっともっとフィールド神戸 | 1回 | 2021年6 (ヤクルト - オリックス) | 2021年 (ヤクルト) | |
千葉マリンスタジアム | 2回 | 0回 | 2010年3,4,5 (中日 - ロッテ) | - |
横浜スタジアム | 2回 | 1回 | 2017年3,4,5 (DeNA - ソフトバンク) | 1998年 (横浜) |
東京スタジアム | 1回 | 1970年3,4,5 (巨人 - ロッテ) | 1970年 (巨人) | |
藤井寺球場 | 1回 | 1989年1,2,6,7 (巨人 - 近鉄) | 1989年 (巨人) | |
川崎球場 | 1回 | 1960年1,2 (大洋 - 大毎) | - | |
クリネックススタジアム宮城 | 1回 | 2013年1,2,6,7 (巨人 - 楽天) | 2013年 (楽天) | |
エスコンフィールドHOKKAIDO | 開催例なし |
最多の開催球場は後楽園球場の29回。巨人以外のチームも本拠地として開催していることからダントツのNo.1であり、決着して胴上げが行われた回数も16回と群を抜いている。次いで大阪球場の13回・西武球場の12回と続く。
現行の球場では東京ドーム12回・福岡ドーム10回が多く、決着回数は神宮の6回が最多である。
2023年に京セラドームで開場以来初めて日本一が決定したことにより、一度だけの開催だった川崎球場や同年開業したエスコンフィールドを除いた12球団の現行本拠地では唯一セ・リーグ球団も含めてZOZOマリンスタジアムでの日本一決定がない*31。同様に阪神も2度の日本一がいずれもビジター(1985年は西武球場、2023年は京セラドーム)であるため、こちらもセ・リーグでは唯一本拠地で日本一を決められていない。
上記の通りロッテは最後の年間勝率1位が12球団で最も古い1974年であるため、千葉移転後のリーグ優勝およびPO→CSファイナルステージ開催も行われていない。
上記の通り過去は全球団の本拠地が屋外球場だったが、東京ドームを皮切りに次々と建設されたことで現在は巨人・中日・西武・ソフトバンク・オリックス・日本ハムの6球団がドーム球場になり、屋外球場はヤクルト・広島・DeNA・阪神・ロッテ・楽天の6球団になったことから、対戦カードの関係で全試合が屋外球場で開催されたのは2005年が最後になっている。
上記のように出場チームにはあらかじめ使用する球場の日程確保が義務付けられており、怠ると罰金が課される。
なお、諸事情で他の球場を使用する場合でも他球団の本拠地で開催される場合が多く、収容人数やナイター設備の条件面も含めて純然たる地方球場で行われたことはない。
日本シリーズの対戦カード
前身球団も含む。いずれも「セ・リーグ - パ・リーグ」の順に表記。
「×」は対戦例なし。灰色は過去のチーム。
球団 | パ・リーグ | |||||||
西武 | ソフトバンク | オリックス | ロッテ | 日本ハム | 楽天 | 近鉄 | ||
セ ・ リ ー グ | 巨人 | 巨3 - 7西 | 巨9 - 3ソ | 巨5 - 3オ | 巨1 - 0ロ | 巨3 - 0日 | 巨0 - 1楽 | 巨1 - 0近 |
ヤクルト | ヤ2 - 1西 | ヤ0 - 1ソ | ヤ3 - 1オ | × | × | × | ヤ1 - 0近 | |
広島 | 広1 - 1西 | 広0 - 1ソ | 広1 - 1オ | × | 広0 - 1日 | × | 広2 - 0近 | |
中日 | 中1 - 3西 | 中0 - 2ソ | × | 中0 - 2ロ | 中1 - 1日 | × | × | |
阪神 | 神1 - 0西 | 神0 - 3ソ | 神1 - 0オ | 神0 - 1ロ | 神0 - 1日 | × | × | |
DeNA | De1 - 0西 | De0 - 1ソ | × | De1 - 0ロ | × | × | × | |
松竹 | × | × | × | 松0 - 1ロ | × | × | × |
楽天以外はどの球団も必ず1チームには通算成績で負け越しており、全球団に勝ち越しているチームはない。
対戦カード別では巨人とソフトバンクの顔合わせが最も多く、2020年までに12回対戦している。対戦成績は巨人が9勝3敗と圧勝だが、ソフトバンクが勝利した3回は全て4勝無敗のスイープである(1959年・2019年・2020年)。
西武とソフトバンクは現行のセ・リーグ6球団全てと対戦経験があり、中でもソフトバンクは上記の通り2010年代だけで全チームを撃破し、史上初の日本シリーズ6球団勝利を達成*32。中でもロッテは唯一松竹と対戦経験があるため、ヤクルトと広島と対戦すればパ・リーグ唯一の7球団対戦を達成できることになる。
セ・リーグでは唯一巨人が近鉄も含めたパ・リーグ7球団と対戦。逆に現行6球団での対戦例はないが、同様に近鉄と対戦経験があるヤクルトと広島は7球団対戦を達成できる可能性は残されている。
一方で、前身球団も含めて一度も対戦していない組み合わせが現行12球団だけでもまだ11例残されている。
ファーム日本選手権
二軍にも日本シリーズが設定されており、「ファーム日本選手権」と呼ばれる。1987年に「ジュニア日本選手権」としてスタートし、当初は9月に行われていたが、1997年から大会名を「ファーム日本選手権」と改めたのを機に、以降は10月のフェニックス・リーグ前に行われている。
二軍リーグは一軍とは違い、東日本の7チームで構成されるイースタン・リーグ(セ・リーグが運営)、西日本の5チームで構成されるウエスタン・リーグ(パ・リーグが運営)に分かれており、地域別に設定されている。
かつては一軍と同じく両リーグ6チームずつだったが、近鉄の解散と楽天の結成が行われた2005年以降はイ・リーグ7チーム、ウ・リーグ5チームと数が分かれて奇数になり、両リーグとも効率的な試合開催ができなくなっていた。
2024年からは二軍のみのチームとしてイ・リーグにオイシックス新潟アルビレックスBC、ウ・リーグにくふうハヤテベンチャーズ静岡が加入し、チーム数が偶数になって前述の問題が改善されている。
一軍の日本シリーズとの主な違いは以下の通り。
- 一軍とは違って一試合勝負で、各リーグの優勝チームがそのまま出場する。
- 延長戦の制限はなし。2020年と2021年はコロナ禍の関係で「ファーム日本選手権特例2020」として、延長10回終了時に同点の場合、11回以降は決着がつくまで毎回継続打順で無死一、二塁から始めるタイブレークを採用した。
- 西暦が偶数の年はウ・リーグ、奇数の年はイ・リーグのチームがホーム扱い。使用する球場もお互いの本拠地ではない地方球場の場合が多く、2013年以降は毎年ひなたサンマリンスタジアム宮崎で開催されている。
- 出場チームは試合の数日前に出場資格者名簿をコミッショナーに提出する。参考までに、2023年での出場資格は「支配下もしくは育成で当年度に登録された新人選手」「当年度に一度も出場登録されなかった選手」「当年度のファーム公式戦の規定打席もしくは規定投球回のいずれかの3割を満たした選手」の中からいずれかに該当する選手。
- 指名打者制は一軍がパ・リーグに所属するチームがホームの時で、2009年以降はセ・リーグ所属のイ・リーグのチーム(巨人・ヤクルト・DeNA)がホームの場合でも採用可能。
- 一軍と同じくMVPの表彰があり、受賞者の中には後にチームや球界を代表する選手に成長した人もしばしばいる。
2023年時点でイ・リーグ17勝、ウ・リーグ19勝とウ・リーグが優勢である。
追記・修正は贔屓チームの日本一を見届けてからお願いいたします。
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- 3位同士の日本シリーズなんて見てみたいが、実現したらCS不要論加速しそう -- 名無しさん (2022-10-17 20:35:53)
- 「33-4」「な阪関無」「白い霧事件」←これを見に来た -- 名無しさん (2022-10-17 21:50:59)
- 個人的に92年西武vsヤクルトが1番面白かった。確か最近その年に焦点を当てた本も出てたはず -- 名無しさん (2022-10-17 23:29:58)
- ↑3なんやかんやで3位が日本シリーズ進出したケースって過去16回で確か2010年、2017年の2回だけ(日本一は2010のロッテだけ)で滅多にないから、CSの制度って割とよくできてるんよね。それでも贔屓がリーグ優勝したのにCS敗退したらマジで要らねぇだろってなっちゃうけど -- 名無しさん (2022-10-17 23:57:22)
- ノーコンすぎてヤバいとパ・リーグファンから言われるあの杉山ですら巨人打線がてんてこ舞いにされた2020は改めて酷いと思った -- 名無しさん (2022-10-18 10:07:47)
- 阪神と広島は平成で日本一にならなかったな -- 名無しさん (2022-10-18 11:38:55)
- ↑現12球団だと日本一から最も遠いのがその2チームなのか(シーズン勝率1位&日本一の縛りだとロッテと中日が半世紀以上も前だが) -- 名無しさん (2022-10-18 16:58:28)
- な阪関無は厳密には2010年日本シリーズのほうでは… -- 名無しさん (2022-10-18 19:56:48)
- ロッテはリーグ優勝してなくても日本シリーズに出てくると異様な力を出すイメージがある。 -- 名無しさん (2022-10-19 00:51:17)
- 92年は記事にならないかな -- 名無しさん (2022-10-19 10:24:40)
- 2005年のロッテは優勝したから(血眼) -- 名無しさん (2022-10-19 16:36:27)
- ↑8そもそも2位以下同士ってのがいままで一度もないなんだかんだ片方は1位のチーム -- 名無しさん (2022-10-19 21:00:15)
- ぶっちゃけ20年巨人はぶっちぎりペナント快走の中盤までと比較して終盤はアレな試合が多くて阪神や中日の方が強かったよ。逆にホークスは終盤に怒涛の連勝しての優勝してチーム状態が素晴らしかった。 -- 名無しさん (2022-10-20 22:45:53)
- 2023年11月5日(日)にフジテレビで放送された日本シリーズ阪神VSオリックス最終決戦の視聴率は何%でしたか? -- 名無しさん (2023-11-13 17:56:23)
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*2 POを伴わない純粋な1シーズン制でのリーグ優勝は1970年が最後で、これに日本一を加えた完全優勝という点では実に1950年までさかのぼることになる。
*3 2004年と2005年は2位ダイエー→ソフトバンクの松中信彦・杉内俊哉、2006年は1位日本ハムの小笠原道大。
*4 極論ではあるが、第7戦まで全試合引き分けであれば第14戦までもつれることになる。万が一第8戦以降でコールドになった場合は第15戦以降も開催される可能性はある。
*5 これは当時開催されていたアジアシリーズによるもの。大会が事実上終了した2014年以降も引き続き継続している。
*6 通常特番を編成する場合は放送1か月前までに決まっていることが多いが、日本シリーズの放送局が決まるのはCS開催直後とすでに編成が固まっている時期で、所定の枠では21時までしか確保することができないのが実情である。
*7 公式戦およびCSの放映権は球団ごとの管理になっている。
*8 仮に第6戦を松竹が勝って3勝3敗に持ち込んだ場合、第7戦は後楽園球場で開催される予定だった(連戦か移動日を挟むかは不明)。
*9 また、南海主催の第6戦は甲子園を本拠地として開催されたが、これは当時の規定に「奇数試合と偶数試合の使用球場は毎年両リーグが交互にこれを指定するが、第1~2戦目・第3~4戦目・第5~6戦目の使用球場はそれぞれ連続して同一地域にある球場を指定する」というものがあったため。この年の偶数試合の球場選択権はセ・リーグ(巨人)で、大阪球場よりも収容能力の大きい甲子園ならば収益力が高いと見込んでいたものの、期待に反して入場者数は史上最少の6346人と振るわなかった。1950年以来となる3球場で開催されたシリーズでもある。
*10 1989年にダイエーが福岡へ移転したことで約10年ぶりに本拠地球場になったが、その間は20年連続Bクラスの暗黒時代だったことからリーグ優勝することはなく、1992年を最後に新造された福岡ドームに移転した。
*11 仮にPOにもつれこんでいた場合は10月16日からの開幕になっていた。
*12 ただし、1975年のPOでは藤井寺球場を使用しており、仮に近鉄が勝っていた場合でも同様ではあった。
*13 ちなみに1977年はロッテがリーグ優勝していた場合、対戦相手が巨人だったことからこの年に先がけて「後楽園シリーズ」が開催される可能性があったが、上記の通り阪急の優勝によって実現しなかった。
*14 2008年は甲子園の改修工事によってポストシーズンの阪神の本拠地が京セラドームになったため、仮にオリックスが日本シリーズに出場していれば全試合が京セラドームで開催される「京セラシリーズ」の可能性もあった。
*15 この年までは第8戦以降も延長無制限ではなかったため、仮に引き分けであれば移動日を設けて西武球場で第9戦以降を行うことになっていた。
*16 彼は元々巨人ファンだったが、実際に1985年のドラフト会議で1位指名したのは盟友の桑田だった経緯があり、巨人を倒せることによる感慨だったという。
*17 崖っぷちとなった第5戦で津田恒実から12回裏に自らサヨナラ打を放った。森監督曰く、控え投手よりも工藤の方が広島打線を抑える可能性が高いと判断してそのまま打席に送ったという。なお、シリーズにおいてパ・リーグの投手がサヨナラ打を放って勝利投手になった最後のケースでもある。
*18 あくまで彼自身は試合後の囲み取材において記者から「(この年リーグ最下位の)ロッテより弱いんちゃうの?」と振られた際に「どっちが怖いか言うたらロッテのほうやな」と答えたに過ぎなかったが、メディアはこぞって「巨人はロッテより弱い」という表現を用いた。ただし、第3戦勝利後のヒーローインタビューで「たいしたことなかったですね」などと過激な発言を行っていたことは事実である。
*19 西武は全ての試合で4点差以上つけており、前年日本一のチームがスイープされたのはこの年が唯一。
*20 東京六大学野球との兼ね合いもあり、異例となる12時30分の試合開始だった。日本シリーズを見た後にそのまま残って見た観客もいたため、普段よりも非常に入場者数が多かったという。試合が終わって両チームの選手が引き上げる中で大学生がウォーミングアップを開始するという珍しい光景も見られた。
*21 優勝決定後の会見で「西武とのシリーズは4勝2敗でウチが勝つ」、第2戦勝利後のインタビューで「この東京ドームにまた戻ってきます」、王手をかけた第6戦前の会見で「今日は3-1で決めます」とそれぞれ発言しており、全て的中している。
*22 フロントに対する不信感が増したことで退任を決意し、シリーズ開始前の時点でコーチ陣に辞意を伝えていたものの、選手には明かしていなかったことからモチベーションが低下し、これが敗因になったともされる。実際、練習中に東京ドームのオーロラビジョンに退任のニュースが流れており、正捕手の伊東勤は「噂にあったから驚きはしなかったが、そんな話が出れば試合に集中できない」と回想している。
*23 ただし、球場全体に屋根がつけられたのは1999年からであり、1998年の段階では観客席の部分しか覆っていなかった上にこの年はエルニーニョ現象の影響で日本列島が例年以上の多雨に見舞われたため、ドーム球場でありながら本拠地ゲームの雨天中止試合数の最多記録を樹立するほどだった。
*24 745失点・防御率4.98。5位はこの年ぶっちぎりの最下位に終わった日本ハムの713失点・防御率4.79。
*25 チーム打率.132・16安打・41三振はいずれもシリーズワースト。4得点も阪神と並んで最少タイ。
*26 この影響を大きく受けたのが中日であった。この年は2012年以来8年ぶりのAクラス(3位)で終えたにもかかわらず上記の通りCSには出場できず、依然として12球団で最も古い状況が続いている。さらに開幕が遅れたことからこの年の開幕権(巨人・ヤクルト・広島)は来季に持ち越しとなり、2022年も3年前のAクラスになるという特別措置が取られたことで開幕権が消滅してしまった。
*27 10月1日時点でソフトバンクが1位だったが、2日の最終戦で「オリックスが楽天に勝利」し「ソフトバンクがロッテに敗北」したことで、両チームが76勝65敗2分の完全同率1位で決着した。パ・リーグの規定では最終勝率が完全同率の2チームが出た場合は対戦成績が勝っているチームが上位になるため、15勝10敗でソフトバンクに勝ち越していたオリックスが優勝を果たした。なお、2014年はマジックが点灯しなかったソフトバンクがオリックスを下して優勝を決めており、借りを返した格好になった。
*28 支配下選手の参稼報酬の兼ね合いで11月中に決着をつける必要があったため、11月29日までに勝敗がつかない場合、成績がタイであれば延長無制限、1勝差の場合は12回までとし、それでも勝数が同じ場合にはタイブレーク方式の優勝決定戦を行う予定だった。
*29 もっとも、あちらは30球団とチーム数がNPBの倍以上あるので当然ではあるが。
*30 同一球団に限ると1979年・1980年の広島が最後である。
*31 ロッテは2010年までに4度の日本一を達成しているが、フランチャイズ制が確立されていなかった1950年以外の3回はいずれもセ・リーグ球場で決着した(1974年は中日球場、2005年は甲子園、2010年はナゴヤドーム)。従って後楽園・東京・仙台・川崎時代も本拠地胴上げを決められていないが、リーグ優勝に関しては東京(1970年)と仙台(1974年PO優勝)で経験がある。他にも年間優勝ではないが1980年と1981年の前期優勝を川崎で達成している。
*32 さらに通算でも巨人以外は全て無敗(敗退例なし)である。
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