夢の性質と欲望をつなげるやつ
悪夢とかキャラ作るときの欲求プロファイリングてきなサムシング
の中で衝動的な面がつよいやつ
自傷:自罰的。おしおきと引き換えに罪悪感を清算したいやつと、消えてしまいたい希死念慮な感じ
闘争:戦い続けたい。ずっと、永久に。だからなるべく死なない、滅びないことで戦い続ける
好奇:何でも知りたい。暖炉の中に我が子をくべてでも、自身に火を付ける破滅的行為でもやらずにはいられない。
嗜虐:自身の責めで変わり果てた相手を見るのが愉しい。つまりは自分の行為の結果を見るのが愉しい。実験家かな?
飢え:自分の中に足りない何か、空虚さを埋め合わせたい。もっと食べたい、満たされたい。強欲とかもたぶんここ
破壊:なんでもいいからいっぱい壊したい。暴れ回るのはもう気が狂うほど気持ちええんじゃ
手持ち的には
自傷→継名とばり/ヴォリア私の罪を清めて欲しい
好奇→藍司優/любит(リュボーヴィ)研究人生たのしいわあ!
嗜虐→藍司優/любит(リュボーヴィ)データ採集するとき快感なんじゃ
飢え→織笛 宇蘭/蒐集家キラキラ集めるのだいすき(≒自分はキラキラが満たされてない)
破壊→後藤/緋のオディウム壊された分、誰かを壊さないと気が済まない
だから次は闘争キャラあたりがいいかも
おぼえがき:嗜虐と自傷はドSとドMの組み合わせだけどどっちも相手のことは見ていない
不死願望と闘争はなんか違う、闘争は死んだら戦えへんやん!ってなるべく生きるのを目標にする、不死願望は死ぬのが恐ろしいから避けたいだけ、目的意識がない。不死願望はどっちかっていうと↓の嫌悪
嗜虐と破壊は数量的な差。大体どうなるかわかってることをまとめてやりたいタイプか、ねちっこく一つをタイプか。
恐怖とかに対して生じる欲望なやつ
自由:キショいやつに縛られなくなりたいなあ、そういう自分になりたいよね、異世界転生願望かも
嫌悪:認識したうえでキショいから消えて欲しい。排斥欲求。
妄想:キショいやつが存在しない世界を設定して生きてる。無意識なリムブロ。自分ルール世界
逃避:キショいやつみたくないから自分の世界にこもる。ひきこもり。劣等感。
自由→木口薊/スローター 自分は優れてるんだから抑圧されるのはおかしい。だから俺が上に立つ
嫌悪→織部 万紫/泣き女バンシー誰かの死はしんどいからどうにかしたい
妄想と逃避がないから次の候補かも
ここで言う「キショい」は不快なもの全般。ストレスってほうがただしいやもしれぬ
妄想と逃避はどっちもキショいのを見てないけど、逃避のほうが自らの意思で籠ってることを自覚してる
悟ってる(欲求が薄めなやつら)
織部重成自分の選択で多数が救えるならそれに越したことはないだろう
dr wish/マスティムそもそも自我が未来運航のために最適化したシステムめいてる
ウル/名のないオオカミたち数百年の経験+物語の存在+何事にも困らない程度の実力=求めなくてもそのうち手に入る
次リスト化するもの
規範てきなもの、正義とか慈悲とか道徳とか承認とかのやつ
愛について、束縛から献身まで
シナリオ類型
セカイ系なやつ
A「1人を救うために、世界を捨てるか?それともどちらともを取るのか」
一番王道にかっこよく、かつ色々な正義が共存できるやつ
ヒロインを守りたい、世界を守りたい、なるべく最大限の人を救いたい(前者二つの中道)、誰も死なせたくない、が全部揃う。苦難であればあるほどその正義がかっこよくなる。
B「一人か世界かを選べ」
上のやつの絞った版。その例に当てはめると前者二つの対立構造と、後者の葛藤が発生する。愉悦できるけれど、やるせなさがのこる。連続してやるとこころがつかれる
悪人に堕ちることを選択肢にしてくる亜種がある。ほぼ理屈はおなじ
C「自分のために世界を壊すか」
ヒロインの部分を自分に置き換えたもの。他人事じゃなくなるから、否が応でも対処しないといけなくなるっていう強制力と緊張感がある。でも、B方式の選択肢を突きつけると利己の為に世界を食いつぶすとかそういう業を背負わされることになるからあんまやっちゃだめ。
想像力について1
夢界のエネルギーポテンシャルは基本的に無尽蔵であり、理論上は恐らく際限なく引き出せる。
しかし、「無限大のエネルギーをぶつける」などといった事象は具体的な想像をすることができないため、不可能。
また、有限数のエネルギーであっても、これだけのエネルギーは制御できる、という自己認識の限界がある。
夢を井戸に例えるなら想像は鶴瓶であり、その容量までの水(エネルギー)を汲むことができるといった塩梅。
また水の色(エネルギーの性質)についてだが、味ごとに鶴瓶が割り振られており、多くのダイバーは最も効率の高い鶴瓶を使うため、その色も必然的に固定化される。(出力の低下を許容するなら恐らく他のものだって引き出せる)
鶴瓶はその人の無意識、主に欲求と恐怖の対象によって定まる。
想像力について2
想像力は現実界ではありえない事象の引き出しであるから、逆説的に現実的な人間は衰弱するはず。
例えば私達の多くは水面を歩けないことを知っているが、そういった人物は夢界においても同様である。だから、「例えば私に忍者のような水蜘蛛があれば可能であるかもしれない」など、何等かの幻想を持つことで可能な自分を信じ、ようやく想像することができる。実際の水蜘蛛がそれを可能にするかどうかは関係ない。信じられることに意味がある。
有意識下で想像力に溢れたまま年を重ねるクリエイターなどはよく聞くが、現実にそれらがないことを意識することでこそフィクションを作れたりするし、無意識下の想像が萎えるということもあるので、一概にそれらの人物が想像力に優れるとは限らない。例外は数多いだろうが、全体的には、無意識に現実の経験を蓄積させていく分想像力は萎えていく筈。
想像力について3
想像力は信じることから生ずるなら、ある程度無理矢理にそれを強化できうる。
手段はざっくらばんに言えば洗脳。また、自己暗示もある種の洗脳であるから有効だと思われる。
ならば、何等かの代償を支払うことで「これだけやったのだからこれだけの力が得られる」という心理的な効果による想像力の強化が払えると思われる。真にこの世が虚無であると思うような人間でもない限り、これは有効じゃなかろうか
生ける夢と想像力について1
生ける夢はぶっちゃけた話多重人格である。
井戸の話の例に倣うなら、鶴瓶が汲んだ水によって生ける夢は構成され、生ける夢自身はその鶴瓶の中の水を井戸として、鶴瓶で汲み上げるのである。井戸マトリョーシカ。
こうしてみると宿主と食いつぶし合うように見えるが、「架空の人格を実存させる」という色の鶴瓶は、殆どの鶴瓶と重複することがなく、また、実際に存在を認識することで強く信じることが容易なため、案外そうでもない。
逆に言えば幻想を信じられなくなれば鶴瓶の水はなくなり、生ける夢は消滅する。
幻想を信じない、の他に、幻想を求めるだけの恐怖や欲望が失せることも同様であり、例えば億万長者に「なる」という欲望から誕生した生ける夢は実現した瞬間に幻想が不要になり死ぬ。「あり続ける」場合はその限りでないが。
しかし、生ける夢は欲望を実現する存在として造物されるがために、その欲望が行動原理になることが多い。
構造的に「欲望を叶えたいけど、叶えたら死ぬ」という葛藤を抱えることになる。
多くの夢は生存欲求を持たないか、持っていても根源たる欲望より弱いためあまり関係ないが、そうでない個体、理性的な個体はこれが命題になりうるかもしれない
生ける夢と想像力について2
生ける夢は「渡る」ことができる。実態的には分岐した多重人格が、他の人間の人格として溶け込む、という具合。
この時点で夢が汲む井戸はその他人に切り替わる。基本的にはこれは一人ひとりの人間ごとに完全に行われる。
それをしない場合、つまり何割かずつを分配し、不完全なままでいると、同時に2体多重人格が存在することになる。真っ二つにしたプラナリアのようなものである。が、プラナリア同士をつなげることで一つの平均的なパーソナリティを構築できる。つまり合体して均せる。
宿主ごとにイメージする内容には差異があるから、これらは微妙な誤差を平均したものになり、そしてそれぞれの井戸から提供された水の総和を得る。これは理論上どれだけ差異の離れた夢であっても統合は可能であるから、無数の夢が合体して一つの共同夢を作ることもできる。実際には、統合されたそれを想像することができないから、繋げないことが多いが……。
ならば、みんなが大体同じ夢を想像すればつなげる余地がある。これが概ね、狂信者における夢統合による夢神である。全能神を複数人で想像し、共有し、繋ぎ合わせるのだ。
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