ステイゴールド

ページ名:ステイゴールド

登録日:2011/11/21(月) 23:45:00
更新日:2023/08/18 Fri 11:49:45NEW!
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愛さずにいられない。





ステイゴールドとは、日本の元競走馬、種牡馬。
競走馬として50戦を走り抜き、引退後は種牡馬としても実績を残した。
関係者からの愛称は「ステイ」だが、ネット上では「ステゴ」と略されることが多い。
他に競馬の話題で「阿寒湖」のワードが出ればそれは間違いなくステイゴールドを指す。



【データ】


生誕:1994年03月24日
死没:2015年02月05日(21歳没)
父:サンデーサイレンス
母:ゴールデンサッシュ
母父:ディクタス
生国:日本
生産者:白老ファーム
馬主:(株)社台レースホース
調教師:池江泰郎(栗東)
主戦騎手:熊沢重文
生涯戦績:50戦7勝[7-12-8-23]
獲得賞金:(中央)7億6299万3000円
     (UAE)120万USドル
     (香港)800万香港ドル
主な勝鞍:97'阿寒湖特別(900万円以下)・00'目黒記念(GⅡ)、01'日経新春杯(GⅡ)・ドバイシーマクラシック(GⅡ)*1・香港ヴァーズ(GⅠ)
受賞歴:JRA賞特別賞(2001年)


【デビューまで】


父は説明不要の大種牡馬サンデーサイレンス。母は未勝利だが全兄にサッカーボーイを持つ良血である。
430kg程度の母馬似の小柄な馬体ではあったものの、幼少時からきびきびとしたよい動きを見せ、多少の斥量もものともしない力強さと旺盛な闘争心も備えており、スタッフからも大いに期待されていた。


競走馬として社台サラブレッドクラブに卸され、95万円×40口(総額3800万円)で出資募集。
名前は公募で決まったもので、映画『アウトサイダー』の主題歌であるスティーヴィー・ワンダーの同名の楽曲に由来する。小柄な牡馬ポニーボーイに「Stay Gold輝き続けろ」と声をかけ続ける、実に粋な名前であった。


1996年9月、かつては「あの」メジロマックイーンを、後には「あの」ディープインパクトを管理した栗東トレセンの池江泰郎厩舎へ入厩。坂路コースの基準タイムを初日・馬なりであっさりクリアするなど期待以上の身体能力を示す。




【デビュー後】


1996年12月1日にデビュー。
一気にスターダムにのし上がる……なんてことはなく未勝利戦を勝つのに約5ヶ月・6戦もかかった。
1勝した時にはもう5月。ダービーに出られるわけがなかった。
そこから2戦を挟んで古馬相手のあかん子特別阿寒湖特別(当時芝2000m・900万円下ここ重要)を左右を蛇行しながら上がり3Fを34.5秒で走って勝利。
そこから菊花賞のトライアルである京都新聞杯に出走するも4着で優先出走権を得られなかったが、菊花賞に回避馬が出たことで滑り込み出走。ここではマチカネフクキタルの8着に終わり、栄冠を掴むには至らなかった。


この結果では休養がもらえるはずもなく、年末のゴールデンホイップトロフィーに出走。
圧倒的1番人気に推されるも、伏兵ファーストソニアに屈し2着
……ある意味、その後の競走馬生活を暗示する内容だったともいえるだろう。



【苦闘の日々】


古馬となったステイゴールドであったが、ここから文字通りの苦闘が幕を開ける。


1998年

  • 天皇賞(春)2着
  • 宝塚記念2着
  • 天皇賞(秋)2着
  • 有馬記念3着

1999年

  • 天皇賞(春)5着
  • 宝塚記念3着
  • 天皇賞(秋)2着

2年間でG1レースの2着が4回、3着が2回!
負けるの方が圧倒的に多いのが普通で、同期のサイレンススズカや一つ下の98世代を始めとしたライバルが多かったとはいえ、ここまでG1レースで惜しい負けを繰り返す馬はさすがに稀。
まあG2やG3なら敵なしなんでしょ?と思いたくなるが、そちらでも勝ちきれず掲示板内を彷徨っていたのだから徹底している。
まさしく究極の善戦マンにして至高のシルバーコレクター。ゴールドであり続けるのではなく、ゴールドの前で留まりステイし続けていたのだ。
主な勝ち鞍が当時条件900万円以下の阿寒湖特別、それなのに数億円もの賞金を稼ぐというちぐはぐぶりが、ネタ馬としての扱いを不動のものとしてしまった。
ちなみに、重賞未勝利のまま積み上げた賞金額、実に5億5466万1千円也。この時点で並のG1勝利馬やノーザンテースト産駒最高の稼ぎ頭のマチカネタンホイザの生涯獲得賞金を超えている。



……もっとも、すべてのファンがステイゴールドをネタ馬扱いしていたわけではない。
間違いなく力はあるのに勝ちきれない。どんなレースでもあと一歩が足りない。牝馬みたいに華奢で可愛い。
複勝馬券が美味しい。

それでもひたむきに走り続けるステイゴールドの姿に、本気の声援を送るファンもいつしか増えてきていた。少しずつ、だがそして、着実に。



【雨中の栄光】


時は20世紀末、同期はおろか98世代の主力の多くが競馬場を去っていく中でステイゴールドは引き続き現役続行。しかし相変わらず善戦するも勝利を挙げられず、ついに陣営は騎手の乗り替わりを決定。未勝利戦以降手綱を取ってきた熊沢重文騎手を下ろし、天才・武豊を鞍上にG2目黒記念へと出走する。


「下がだいぶぬかるんどるしなあ」
当日の府中は生憎の雨模様。水浸しの重い芝を踏みしめながら、輪乗りで手綱を牽く山元厩務員の口から弱音が漏れた。
これを聞きつけた武騎手は一言、「勝ちますよ」と返す。


ここでは世紀末覇王その2番手もいない中で後方待機策がぴたりとはまり、2着のマチカネキンノホシに1馬身1/4の差をつけてゴールイン。
実に2年8ヶ月ぶりの勝利を手にするとともに、記念すべき重賞初制覇を遂げた。


雨降りしきる土曜日でありながら、スタンドからはG1に匹敵するほどの声援が送られたという。
モニター中継が行われていた中京競馬場でも拍手が巻き起こり、調教師や厩務員は人目をはばからずを流した。


この人気にJRAも押されたのか、G1未勝利馬としては異例のヒーロー列伝のポスターが作られた。
G1未勝利馬のヒーロー列伝自体はヤマノシラギクという前例があったが、あちらは中央10競馬場に全て出場という記録を記念したもの。
ステイゴールドのような、当時何か記録を成した訳でもないいっぱしのG2馬に作られたのは極めて異例である。


そのキャッチコピーは、項目冒頭の「愛さずにいられない。」……今となってはその後の競争生活、そして種牡馬生活を暗示しているようである。


ここに至るまでの連敗数、実に28。苦難を乗り越えての重賞制覇。一般的な中央の競走馬ならこれだけでも普通に引退してる出走数である。
感動的な話であるということに異論を挟む人間はおそらくいないだろう。
おまけにこの勝利によって父サンデーサイレンスは産駒による重賞通算100勝という前代未聞の大記録を達成、まさしく日本競馬史に名を刻む勝利となった。


……この勝利が伝説の始まりに過ぎなかったなどと、当時誰が思っただろうか。



【黄金の旅程】


しかし、時はテイエムオペラオーの絶対王政の時代。そこにステイゴールドが入る余地がなかったどころか、これ以降2・3着に入ることもなかった。

  • 宝塚記念4着(安藤勝己):「ゲートを出てフワッとしたので、最後方からになりましたが、ハミをかけて行くとダメだというのは分かっていたから、無理はしなかったんです。長くは脚を使えない馬だから、最後は同じ脚いろになってしまいましたね。あとひと呼吸、我慢していればよかったのかも…」
  • 産経賞オールカマー5着(後藤浩輝):「馬場があまりにも合わなかった。要所要所でノメっちゃうから、ハミがかかるヒマもなかったですね」
  • 天皇賞(秋)7着(武):「2コーナーの不利がすべてだった。審議にならないのが不思議なくらい。それでも最後はよく頑張って、3着と差のないところまで来てくれた。それだけに残念でした」
  • ジャパンカップ8着(後藤):「逃げることは考えていた。力を出せないレースが続いていたから、きょうは満足です」
  • 有馬記念7着(後藤):「アブミとハミがはずれてしまうくらい、あの落馬寸前の不利がすべてだった」

世紀末覇王のグランドスラムの後、年も明けて馬齢表記方法も変わり、2度目の7歳を迎える。
一般的な競走馬はもう衰えて当然の年頃で、98世代の生き残りキングヘイローも去年いっぱいで引退した。
だが、ステイゴールドは順位はパッとしないが1着との差は1秒未満に収まっており、衰えは感じさせなかったので変わらず現役続行となった。


【運命の分岐点】

さて現役続行が決まったからには次に出走するレースを決めなければならない。
前年に倣うなら中山のアメリカジョッキーズクラブカップ(AJCC)である。しかし、頭を悩ませた陣営はもう一つのレースにも登録した。AJCCより1週間前に京都で行われる日経新春杯である。


レース日程に合わせて馬の心身を仕上げる以外にも、考慮すべき要素は多い。
輸送距離の問題。栗東トレセンから中山競馬場までの長距離輸送+出張馬房で一泊するより、ホームともいえる京都競馬場で日帰りした方が良いのではないか?
競走相手の問題。有馬記念からちょうど4週間となるAJCCではそろそろ年末の疲れも取れた強豪が出てくる時期である。後の予定・・・・の為にも重賞勝利を一つでも増やしておく必要があった。


とすると今度は鞍上の問題が浮上する。陣営が手が合うと見ていたのは武騎手と後藤騎手だが、前者は春シーズンはフランスを拠点に活動、後者もオーストラリアに遠征の予定が入っている。
テン乗りを依頼された藤田伸二騎手も「『もし京都で使うことになったら乗って貰えないだろうか』とかいう、はっきりしない騎乗依頼だった」と振り返る。
それで、期待しないで待っていたら木曜日になって正式な依頼があったので、おっとり刀で調教に向かったのだと。


レース当日、元々ハンデ戦故に大荒れになりやすいこのレース、獲得賞金額では他馬にダブルスコアを付けていたが、そのために課されたトップハンデ58.5kg、有馬記念から中2週で+6kgの馬体重が調整不足を懸念させたか、ステイゴールドは7.6倍の5番人気に甘んじる。
ちなみに単勝1番人気は薔薇一族のロサードと、京都競馬場2400mのレコードを持つ*2サンエムエックスの3.9倍だった。


ともかくスタートすると1枠1番の利を逃さず、早々に好位3番手を確保。スローペースに折り合い、逃げ粘るサンエムエックスを直線半ばで捉えて悠々と突き放し、1馬身1/4差を付けて勝利。
あまりにスマートで、らしくもなく『強い競馬』であった。

同日、同競馬場の7R、栗毛の牝馬が上げた生涯最後の勝利を、誰が憶えていただろう。


この勝利を受け、陣営は前々から計画していたドバイ遠征を決行する。


なお翌週のAJCCを制したのはこの年の有馬記念で最低人気を背負って2着となるアメリカンボス。こっちを選んでいたら、結構厳しかったかもしれない。



【世界のステイゴールド】

もっとも、その実情は同厩の牝馬トゥザヴィクトリー*3が世界的なダート競走の一つ・ドバイワールドカップに出走するため、その帯同馬として白羽の矢が立ったもので、言ってしまえば「ついで」程度の扱いであった。
とはいえ、海外遠征の機会などそうそう訪れるものではなく、またとないチャンスであることは疑いない。
陣営は武豊を鞍上に据え、国際GⅡ競走*4ドバイシーマクラシックへの参戦を決定。欧州が誇るトップジョッキーランフランコ・デットーリ*5の駆る世界最強馬・ファンタスティックライト
*6に挑戦状を叩きつけた。
このレースの格は当時GⅡだったが、莫大な賞金を目当てにファンタスティックライトをはじめ前年に香港ヴァーズを制したダリアプール、ミラノ大賞を制したエンドレスホール、カナディアン国際ステークスを制したムタファーウェク、翌月にクイーンエリザベス二世杯を制すことになるシルヴァノなど錚々たるメンバーが揃っており、ぶっちゃけ下手なG1など比較にもならない魔窟ぶりを呈していた。
国際GⅠ認定はそのレースのレベルや実績等で昇格や降格が決まる事も多いので、翌年以降国際GⅠに昇格したのもこのメンバーの強さが無関係とは言えない。



「ファンタスティックライトって3か月前のジャパンカップで3着だった馬(ステイゴールドは8着)でしょ?場所変えたくらいでそんな評価変わるもん?」
と思う人もいるだろう。


日本と海外では気候・芝の品種・馬場の整備状況等*7の違いが要因となり、場所を入れ替えると能力を発揮できず沈んでしまうことも珍しくない。
第8回・第9回ジャパンカップの招待馬で、両方とも好走したペイザバトラー(本国では惨敗続き)とそれぞれ年の凱旋門賞馬を見比べると分かりやすいか。


どっちが良い悪いではなく、求められる能力の優先度が大きく異なるのである。


またUAEで採用されている欧州の競馬のルールは「同厩舎の馬のアシスタント*8に徹してもよい」と明記されたチーム戦である*9


馬場もルールも完全に相手有利。そこに単独で挑む難しさが分かるだろう


ちなみにジャパンカップの敗因について鞍上のデットーリは「スローペースになりすぎた*10」と述懐していたが、そのスローペースを作ったのは他でもないステイゴールドなので、ある意味先着したオペドトウ以上に因縁の相手……だったのかもしれない。


……そんな中でステイゴールドはすでに7歳。こんな錚々たる面子ではいかにも分が悪い。*11


それでもステイゴールドなら善戦し、2着には入るかもしれない。
ある者は心からの声援を送り、ある者は斜め上の期待を胸に秘め、レース当日……


そこにはガリガリに痩せこけたステイゴールドの姿が!


成田国際空港から香港を経由して輸送する30時間で体重が30㎏近く落ちてしまい、現地に着いてからも食欲が戻らない状態だった。
通常、気性の荒い馬ほど我慢が効かず、何とかしろとばかりに激しく体調不良をアピールする事が多いが、ステイゴールドは弱みを見せまいとばかりに食べるふりをしていたため現地スタッフに指摘されるまで発覚が遅れたのだ。
早朝の涼しい時間を使わせてもらって調整し、「ベストな状態」とコメントを発したがどう見ても絶不調である。
馬体重は記録されていない*12が、推定400kgあるかどうかとなった小さな馬体には骨が浮き、観客席からは「小さい……」「あれポニーじゃないの?」と声が上がり、陣営からも「無理しなくていいから!順位よりも無事にゴールすること優先で!」と悲鳴が上がった。*13



各馬はスタート直後に密集、3列の細長い馬群となり、ハナを切ったエンドレスホールの作るスローペースのまま淀みなく流れて行く。
当時の*14開催競馬場であるナド・アルシバ競馬場は、3つの長い直線に最初と最後のコーナーが鋭角の、ほぼ鈍角三角形のコースとなっており、小回りを苦手とする欧州勢の作戦は最終直線での末脚勝負で一致していた。


ファンタスティックライトは最内の5番手好位を確保。それを見て肚を括った武騎手はステイゴールドを中団7・8番手──否、ファンタスティックライトの2馬身後ろに押し込んだ。
馬群の外を走る馬たちがスローペースに焦れ、呼吸を乱し消耗していく。


迎えた最終直線、コーナーを曲がり切った馬群が崩れ出し、その隙間を縫うようにゴドルフィンブルーを背負った鹿毛が抜け出した。シルヴァノも追うがリードは広がっていく。誰もがひとりと一頭の勝利を確信し、会場は歓声に包まれた。
一瞬の後、2馬身後ろ・・・・・から、痩せこけた黒馬が凄まじい勢いで飛び出してくるまでは。
ゴムのように弾む馬体がシルヴァノを、エンドレスホールを抜き去り、ファンタスティックライトの1馬身カゲに踏み込んだ時、僅かに振り返ったデットーリ騎手の鞭が閃いた。それでも差は縮んでいく。
コンマ数秒後、応援と怒号が飛び交う中、鹿毛と黒鹿毛の馬体が完全に重なったところがゴールであった。


待つこと5分、写真判定によりステイゴールドのハナ差での勝利が確定した。


当時の世界最強馬を下す大金星。そして日本調教のサンデーサイレンス産駒として初の海外重賞制覇*15である。
ついでに馬自身の誕生日でもあった。
想定外の快挙にファンは仰天し、G1制覇を期待する声もにわかに増え始めた。


……しかし、そうそう都合よくいかないのも競馬である。
国内に戻ってからは最高4着と馬券内に入ることもできず、年内限りでの引退が決定。
有馬記念の人気投票では6位に支持されていたもののこちらには出場せず、国際G1香港ヴァーズを引退レースとし、再び海外遠征を決行した。


当日は1番人気に支持され、前回のファンタスティックライトほどの絶望的な対抗馬はいなかった。
代わりにゴドルフィンからは雪辱に燃えるランフランコ・デットーリの駆るエクラールが参戦。
他にもイギリスのGⅠ2勝馬ホワイトハート、ディフェンディングチャンピオンのダリアプール等油断のならない敵は多数犇めいていた。
レース本番、ステイゴールドは中団のいい位置からレースを進めるも、向こう正面からデットーリが精密機械のようなラップから奇襲*16を仕掛け、セーフティーリードといって差し支えないほど大きくリードを許したまま、最終コーナーを回る。
エクラールはさらに馬群との距離を離して独走していく。


……ああ、やっぱり無理なのか。G1制覇のは、夢のままで終わるのか……。


見守るファンの、スタッフの心を絶望が支配した。鞍上の武豊騎手ですら、半ば諦めていたという。
残り200m。馬群を外から迂回して前に出たステイゴールドはいくらか差を詰めるも、もたれる様に右に斜行する。
エクラールとの差は5馬身、残り150m。黒い馬体が内ラチに近づいていき……



突如、地面が爆ぜた。*17



壁に弾かれたピンボールのように、手前を変えたステイゴールドが爆発的な勢いで加速する。
このとき内ラチにぶつかったように見えるが、パトロールビデオではギリギリ触れていなかった模様。





──14年後、武豊騎手は当時を振り返って以下のように述懐する。


「前を走るエクラールが止まって見えるほど、ステイゴールドの脚が強烈で。
この後に登場してきた無敗の三冠馬、ディープインパクトの走りを“飛ぶ”と表現しましたが、
あのときのステイゴールドは“背中に羽が生えている”ようでした」





「ステイゴールド!差し切れ!
ステイゴールド!ステイゴールド!エクラール!
ステイゴールド!ステイゴールド!!ステイゴールド!!!


ステイゴールドォ!!!!差し切ったぁ!!!!」


──加藤裕介(ラジオ日本アナウンサー)



ドバイの地で破ったゴドルフィンブルーの勝負服を再び捉え、アタマ差差し切ってのゴールイン。
なお、2着エクラールと3着以下は6馬身3/4もの差が開いていた。


通算50戦目の引退レース。GⅠに挑むこと20回。ステイゴールドにとって、最初で最後のGⅠ勝利となった。
内国産馬としても初めての海外GⅠ制覇*18という大快挙。
もうネタ馬どころか21世紀最初の名馬である。
この劇的な勝利に日本の競馬ファンは大歓喜。2ちゃんねる競馬板が鯖落ちする事態になった。
この時、武豊からステイゴールドの引退を聞いたデットーリは「君にとっては寂しくなるが、僕にとっては朗報だね」と返した。*19


余談だが、この香港ヴァーズのレースはニコニコ動画における最古の「競馬」タグの動画として知られている。


この時出走競走馬を漢字表記するためにステイゴールド黄金旅程としたのは有名な話。
多くの強大なライバルに囲まれ、長きにわたって走り続けたステイゴールドに相応しい名訳*20である。


通算成績50戦7勝。重賞36戦・GⅠ20戦、古馬王道3年皆勤*21という誰にも真似できない黄金の旅路*22
同期のマチカネフクキタルの絶頂期から始まり、サイレンススズカの悲劇、98世代の激戦、テイエムオペラオーの絶対王政から、メイショウドトウの意地とアグネスデジタルの襲来、そしてジャングルポケットによる世代交代まで見届けた生き字引である。
当初予定されていなかったが香港G1制覇で多くのファンから引退式の要望が集まり、JRAもそれに応え翌年1月に京都競馬場で引退式が行われた。おや、エルコンドルパサーが何か言いたげだぞ?


世界を舞台に勝ち取った勲章を携え、ブリーダーズスタリオンステーションにて種牡馬入りを果たす。
ステイゴールドの血を継ぐ馬たちもまた、勝利に向かってひたむきに走り続けてくれることだろう。





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『肉やったら食うんじゃないかと思った』

―――― 池江泰寿(現調教師)



勝てずともひたむきに走り続けて、最後の最後で栄冠を掴む。
非常に感動的である。このうえなくドラマティックである。
しかし、事実は小説より奇なり。
引退から時間が経ち、関係者の証言が出揃った結果、事実は180度逆だったことが明らかになっている。
ひたむきに走り続けた? んなことはなかった。


  • 馬房の前を通ると肉食獣のごとき勢いで突進してくる
  • 調教中に立ち上がるのは日常茶飯事。ほぼ垂直に立ち上がってふらつきもせず、あまつさえ10歩ほど二足歩行して見せる
  • 騎乗しようとしたら回し蹴りが飛ぶ
  • 全身が非常に柔軟で小回りが利き、器用。後半身側に立っていても噛み付いて来るし、狭い馬房の中でも狙いすました蹴りを放ってくる。
  • ある時など、馬着を着せて留め金もバッチリ掛けたのに翌朝には脱げていた。脱出芸の稽古でもしていたのか。
  • パーソナルスペースがやたらに広い。調教の際、大抵の馬は前後に1mも離しておけば安全なのだが、ステイゴールドは5mは空けないと尻っ跳ねか飛び掛かって来るので非常に危険。
  • 隙あらば左に斜行し、自らレースをやめようとする

……等々、本当に馬なのか疑わしくなるような逸話が山ほどある。


ただ、これらの奇行の多くは卓越した身体能力の証左であり、パワフルな暴れ馬と言う評価がぴったりだと言えるだろう。


【意外性の血/狂気の血統】


「初めてステイゴールドに会ったのは、生後10日くらいでしたか……。形が整っていて、目つきがキリッとしていて、輝くものがあった、というのが第一印象です。」

―――― 池江泰郎(調教師)

サラブレッドが生産牧場に居られる時間は短い。故郷・白老ファームの場長以下牧場スタッフの語る、後にステイゴールドと名付けられる仔馬は


簡潔に言って、とても印象が薄い馬


であった。
これは怪我も病気もなく、脱走や喧嘩といった問題行動が全くなかったことを意味する。
なにせ半年で他所に移される47頭の中の一頭に過ぎないのだから、手間がかからない仔馬はどうしても印象が薄くなるのである。


立ち会ったスタッフも記録簿を読み返さねば思い出せないほどの安産で、危なげなく立ち上がるまでおよそ40分。
馬体重は52kgと大きくも小さくもないが便宜上「サッシュチビ」と呼ばれることになる。


生後暫くは親子一組で生活し、9日目に母の次の種付け*23に立ち合い、その後は生活空間を徐々に広くして他の馬との共同生活に慣れさせる。
2ヶ月ほど経つと母の傍を離れて仔馬同士で戯れ、好奇心いっぱいに動き回るようになった。
人間に怯える様子もなく、蹄の内側にたまったゴミを掻き出す「裏ホリ」で、脚を掴まれたときに嫌がる馬はとことん嫌がるのに、まったく動じない。
またこの頃になると骨格や筋肉の付き方が、競走馬としての将来を期待させるものになって来る。???「ヒューッ 見ろよやつの筋肉を……まるでハガネみてえだ こいつはやるかもしれねえ……」


サッシュチビは母親から過保護にならない程度に、しかし深い愛情を受けてすくすくと成長し……250kgを超えた辺りで急に成長が鈍くなり、呼び名通りのチビになってしまう。まあ、サッシュ一族は代々こんな感じの成長曲線を描くので特に異常とは思われなかった。


9月、離乳したサッシュチビはノーザンファーム空港牧場に移される。
ここでの当歳馬は母親の名前で呼ばれるのが慣例なので、チビなのに「チビ」が取れて「サッシュ」と呼ばれるようになった。
ここから調教が始まるまでの約10か月間、一回り大柄な同期たちに相撲を挑んでは負かし、気付いたらボス馬になるような勝気な様子を見せる一方で人間に対しては大人しく、しかし物怖じしない涼し気で上品な姿を見せていた。


「ツアーで見た1歳馬は前年に比べてかなりレベルが低く、欲しいと思ったのは父がサンデーサイレンスに替わったホイッスルの半弟だけで、少しダンスインザダークに似た所があり、涼しげな美しい眼が印象的だった」

―――― 山野浩一(出資者、社台サラブレッドクラブツアーを振り返って)


鞍を付け、人を乗せて歩かせる。ここまではまったく以て順調。しかし、闘争心を煽って走らせる調教が始まると一転して血筋から来る気性の悪さが目覚めてしまう。


ノーザンテースト 1971.03.15 - 2004.12.11

母母父。
カナダで生まれ、フランス、イギリスで走った後日本にやって来た。
元々は社台グループが種牡馬として導入する前提で、「ノーザンダンサー産駒で一番いいのを頼む」とセリで買い付けたのだが、
到着したのは競走成績20戦5勝[5-2-3-10]GⅠ1勝(フォレ賞、芝1400m)と悪くはないがパッとしない、
姿は毛並みこそ尾花栗毛で美しいが、脚が短く寸詰まり気味な馬体に大きな頭部、顔には白面一歩手前の歪な大流星と赤い鼻、
気性も穏和であまりにも競走馬らしくない、「牛または山羊、さもなければ大きな」のような馬であった。


そんな有り様なので、産駒もどうせ早熟の短距離馬だろうとあんまり期待されていなかったが、産駒は概して丈夫で息が長く、「ノーザンテースト産駒は3度変わる」と言われた成長力を特徴として持ち、芝・ダート・距離を問わず活躍。
20世代に渡って重賞馬を輩出し続けて生産者の信頼を掴み、あっという間に日本中の血統図を書き換えてしまった。
2000年に種牡馬を引退。功労馬として専用の馬房を与えられ、迷いこんだと一緒に悠々自適の余生を送った。


ディクタス 1967.04.11 - 1989.09.20

母父。名前はラテン語で「天啓」を意味する。これは父親の名「サンクタス(聖なるかな)」に因んだもの。
フランスの競走馬で、現役時代の競走成績は17戦6勝。主な勝ち鞍はジャック・ル・マロワ賞(GⅠ芝1600m)。
よく「ステイヤーの家系に突然変異的に生まれたマイラー」と評される。
しかし父系を辿ると祖父・ファイントップ以前はスプリンターやマイラーであり、性格と適正距離が両極端な子孫たちの傾向を見ても
「体質的には瞬発力と持久力を両立させているものの、抑えて走るのに我慢が出来ない馬がスプリンターに、穏やか過ぎて爆発力に欠ける馬がステイヤーになる」
という、日本で言うとサクラバクシンオーのような例が実状に近いのではないだろうか。


引退後は、フランスで種牡馬として実績を出した所を社台グループに買い入れられ、白老ファームで繋養される運びとなる。
母父ノーザンテーストの肌馬と非常に相性が良く、産駒の活躍から「横綱ではないが名大関」と評される。
代表産駒は後述のサッカーボーイの他、84年の最優秀3歳牡馬スクラムダイナ、“鉄の女”イクノディクタス等。
後のサッカーボーイ含め、親の走りからは想像もつかない産駒を送り出す性質を、ライターの村本浩平は「意外性の血」と呼んだ。


普段は大人しいのだが、何かの拍子に突然狂暴な性格を出す気性難であり、関係者も大層苦労したという。
牧場見学者は「この馬は突然噛み付いてくるから近づかない様に」と警告を受けるのが常であった。
妙に遺伝力の強い輪眼*24の持ち主で、不機嫌になると耳を寝かせ大きく見開いた三白眼で睨み付ける表情は特に「ディクタスアイ」と呼ばれる。同様の癖を見せる馬の血統表には大体彼の名が載っている。


全くの余談だが、このディクタス種付け中に牝馬の背中で居眠りしていたことがあり、一部では『居眠りディクタス』と渾名されていたそうな。繊細なのか図太いのか分からない奴である。


サッカーボーイ 1985.04.28 - 2011.10.07

母の全兄、つまり伯父。名前は当時大ヒット連載中だった『キャプテン翼』に因む。
競走成績は11戦6勝 [6-0-2-3]
阪神3歳Sとマイルチャンピオンシップを制した名うての快速馬。その強烈な末脚はサッカーにちなんだ「弾丸シュート」の異名をとり、華のある勝ちっぷりで人気を博した。
函館記念(G3、芝2000m)*25で刻んだタイム1:57.8は2022年現在ですら破られていないコースレコードである。


気性は「脚がキレる馬ほど気性もキレる」ディクタス産駒の極致ともいうべきもので、要するに常時キレっぱなしな馬であった。
幼駒時代から「見たこともない程」の気性の荒さで、身体能力も合わさり"やんちゃ"なエピソードに事欠かない。
一方で好奇心が強く、度胸も据わっていたという。牧場にコンビニ袋が飛んで来た時、見たこともない"それ"に慌てふためく周囲をよそに一頭だけじっと観察していた。
また林の中を歩かせるといつも同じ場所で立ち止まり、同じ風景を眺めたまま頑として動かない。よく馬房の外を望む目には、不思議な知性の輝きがあったという


馬体重450kg程度とやや小柄なものの、尾花栗毛の優美な馬体に大流星、何よりも超軼絶塵の走りがかの悲運の名馬を想起させたのか「テンポイントの再来」とも呼ばれ、同時期に頭角を現してきたオグリキャップタマモクロスとの新たな三強時代が期待されていた。
しかし爆発的な脚力は彼自身の蹄を壊し、さらに不幸と気性の烈しさも重なって故障が絶えず、オグリキャップとの対戦が叶ったのは第33回有馬記念。ゲート内で暴れて前歯を折り、血を吐きながら3着となったコレを最後*26に、何度も復帰を目指すも叶わぬまま11か月が過ぎ、引退。
引退後は同年に没した父・ディクタスと入れ替わるように種牡馬入り*27し、ナリタトップロード、ヒシミラクル、キョウトシチー等の名馬を輩出した。
しかしどういうわけか産駒は彼とは対照的な穏やかな気性のズブいステイヤーが多く、短距離(気性難)で重賞を勝ったのはブルーイレヴンのみであった。


後にステイゴールドがブリーダーズSSに種牡馬入りした際、丁度放牧地が隣り合った彼と顔を合わせるや否や、激しく威嚇し合ったというエピソードが知られている。


ゴールデンサッシュ 1988.04.23 - 2012.10.10

母。
3つ違いの全兄と毛色から身体つき、赤鼻と流星の歪み具合に至るまで瓜二つな姿をしていたため期待を寄せられたが、
脚を痛がる様子が見られたためデビューは遅れに遅れ4歳春。5戦目にして未勝利のまま故障引退し、繁殖入りとなった。
母父ノーザンテーストのディクタス産駒は30戦40戦走る頑丈な者も少なくないが、この兄妹はそうではなかったらしい。
競走馬としては成功しなかったが母としては非常に強く、産駒は計19頭(内5頭が父サンデーサイレンス)とJRA史上1位タイの記録を持つ。
初仔のホイッスルがゲート試験を合格できずに未出走のまま繁殖入りしたため、第二仔のステイゴールドが初デビューとなった。
他の重賞勝ち馬としては、第九仔のレクレドールがおり、彼女もサンデーサイレンスの産駒。よって、同馬はステイゴールドの全妹にあたる。


兄のサッカーボーイとは異なり基本的には大人しいのだが、そこはやはりディクタスの娘。放牧から戻る順番を乱す馬が居ると豹変して激しく怒る、種付けの前準備に当て馬を見せると本気で噛みかかる等、キツイ風紀委員みたいな気性であったという。
白老ファームのスタッフ曰く、ステイゴールドの性格には彼女の気性が色濃いとのこと。


父や兄、そして息子と合わせて考えると、「観察力の高さと思慮の深さ故に妙な拘りを持ちやすく、"ルール"を破るものに対し激しい攻撃性を示す」というのがこの血統の特徴の様である。
ジョジョキャラかお前ら。


サンデーサイレンス

父。詳細は個別項目を参照。
現役時代のレースは高速で左右に蛇行し、馬体をぶつけ合う荒々しい印象ばかり残るが、
それを可能にしていたのは非常に柔軟かつ強靭な筋肉と、コーナーを曲がりながらも自在に緩急を付けられる精密な足運び、何よりも不屈の精神力であった。
名馬なのは確かだが、人を噛まないように口を篭で塞がれたヘイローと調教師にキ印認定されたウィッシングウェルが両親なだけあって、自身も天上天下唯我独尊を地で行く気性難で調教中は悲鳴が絶えなかったという。


初年度から数多くのGⅠ馬を輩出し続けたサンデーサイレンスであるが、第3世代となる1994年産(97世代)は目に見えて不作気味であった。
結果から見ても、2歳勝馬頭数が13頭、重賞勝利馬は5頭(内3頭が牡馬)、収得賞金でも他世代に13億円以上の差が付くというという全12世代中ワースト*28である。


それでも、血統と能力を買われた素質馬が3頭居た。
名牝ロジータ*29の第三仔オースミサンデー、後に“異次元の逃亡者”と呼ばれたサイレンススズカ、そしてサッカーボーイの甥ステイゴールド……この中で無事に引退し、血を繋ぐことができたのは、ただ一頭だった。

母母父除いて揃いも揃って凶暴で、多少の気性難は想定内、むしろ勝負根性に繋がるからと歓迎すらされていた。


だが、サンデーサイレンスの烈しさとゴールデンサッシュの群れのルール絶対主義の合体によって生じたモノは人間の想定を越えていく。


デビュー戦では名手オリヴィエ・ペリエ騎手を鞍上に挑み、抜け出しにやや手間取りつつも上り3F最速で僅差の3着。
しかしペリエ騎手は戻るなりHe is a crazyヤツはイカレてる!」と叫んだ。
2戦目ではレース中に右前脚に骨膜炎を発症*30、競走を中止しようと手綱を絞るヤネに反発し、シンガリ敗けではあるが走り切ってしまった。
あまりの制御不能ぶりに、ペリエ騎手は「二度と乗りたくない」と言い残し去ってしまった。


次の騎手として白羽の矢が立ったのが、ちょうど内藤繁春厩舎を離れてフリーになっていた熊沢重文騎手。癖馬を乗りこなす腕と、調教にも積極的な姿勢を見込んでの人選であった。
骨膜炎の療養を挟み3戦目はダート1800m、第4コーナーに差し掛かったところ、熊沢騎手は一瞬インコースを突くか逡巡したが手応えの良さから外を選択……しかしステイゴールドはコーナーを回るどころか逸走、外ラチにぶつかる直前で鞍上を振り落とし、カラ馬でコースに復帰しゴール。生涯ただ一度のダート戦は競走中止という結末を迎えた。
「広い芝コースでコースアウトする馬はたまにいるわけですけど、ダートでそれをやった馬は殆ど記憶にないですよね。僕とステイゴールドの、文字通り衝撃のデビュー戦でした(笑)」


菊花賞明けの12戦目、ゴールデンホイップT*31の鞍上は武豊。
乗る前は「ラッキーだと思った。勝つならこの馬だろうとアタリを付けていましたから」と楽しみにしていたが、
騎乗する段になると「なんだか気性の悪い馬だな」と不安になり、実際に走らせると2コーナーで外から併せて来た馬に噛みかかる始末。
「若い馬ならたまにいることはいるんですが、菊花賞に出た程の馬がそんなことをするとは思いませんよ。なんか、常に怒って走っているような、そういう意味では競走に対する集中力が全然できていない馬でした」


無論、陣営も指を咥えてただ見ていたわけではない。気性を改善すべく懸命な努力が行われた。
幸い(?)にも、ステイゴールドはとても頭が良く、人間側の意図を正しく読み取るし、意思表示もハッキリしていたため
ある程度の対話が可能であり、記憶力も抜群に良いので『ちゃんと教えしかれば』覚えは非常に早かった。


3戦目の後、平地調教再審査を申し付けられた際にはハミをスライドビット*32に変更したことで、審査には一発合格。まだ左右にふらつくものの、騎手の指示通りに走るようにはなった。


立ち上がり癖も、長鐙と拍車で立ち上がろうとする度*33に「罰」を与える調教で封じ込めることが出来た。
マルタンガール*34のゴムストッパーが3回も切れたけど。


こうして旧4歳後半頃には『猛獣』ではなくなったという。


なお98年のジャパンカップではスペシャルウィーク尻尾に噛みかかり、99年の秋の天皇賞では噛みつきこそしなかったが勝利したスペシャルウィークをガン見していたりしている。



特に深刻だったのが左への斜行癖
元々「左ラチが好き、右ラチが嫌い」で、左ラチ沿いの調教では(比較的)素直なのに右ラチに構えると動かなくなるという癖があったのだが
いつの間にか「ラチにもたれ掛かってハミを浚ってしまえば、鞍上は手綱も鞭も使えない。楽」ということを覚えてしまい
これが右回りでは外に向けて余計な距離を走り、左回りでは内ラチにささって急減速するという悪癖として定着してしまった。


この悪癖が顕著に出たのは98年の天皇賞(秋)でのこと。
故障したサイレンススズカを上手くかわして最後の直線に入り、抜け出し態勢を図ったがなぜか急に脚が止まりオフサイドトラップの2着となった。この結果に鞍上の蛯名正義騎手*35は「内ラチにささって競馬にならなかった」とこぼしている。


貫禄を見せつけ勝った01年日経新春杯は、テン乗りの藤田伸二騎手が予め癖について研究し、鐙を左側だけ7cm程短くし右鞭は厳禁とするなど対策を講じていたことに加え、「右回り一枠一番で、左に行こうとしても他の馬に蓋をされて前に行くしかなかった」お陰とのこと。


まあ要するに、惜敗続きだったのは単に馬がサボっていたからというしょうもないオチだったのだ。


しまいには、先述のようにガリッガリに痩せ細り陣営が「もう完走してくれたらそれでいいから!」と悲鳴を上げていたドバイSCや引退レースとなった香港ヴァースでの勝利についても、「海外だと勝てたのは輸送による疲弊で反抗する気力が湧かなかったからじゃないか」なんて疑惑まで浮上する始末である。


最終年は特に酷く、京都大賞典ではインコースを先行しテイエムオペラオーにピタリと馬体を合わせ、第4コーナーを回りながら3頭(スエヒロコマンダー、ナリタトップロード、テイエムオペラオー)まとめて抜き去るという理想的なレース展開をしていたのだが
左後方から追い上げてくるテイエムオペラオーを確認するや、猛然とタックルを敢行
状況に気付いた後藤騎手のを完全に無視し、テイエムオペラオーと並んでいたナリタトップロードの真ん前を塞いだ結果、ステイゴールドの後ろ脚とナリタトップロードの前脚が交差し、渡辺薫彦騎手を落馬させてしまう。
脱兎のごとく右斜行しながら1位入線を果たしたものの、流石に悪質だと失格処分を食らい、度重なる斜行に激怒したテイエムオペラオーの馬主に怒鳴り込まれるという醜態を晒している。


真面目に走っていれば普通に1着獲れていただろ、お前。


続く天皇賞(秋)で再び武豊騎手に乗り換えたものの、手ごたえ抜群で最終直線に入り、鞍上が勝利を確信した一瞬の隙を衝いてラチにへばりついてしまい、「ささるなら内ラチ沿いに走らせる」という策も失敗に終わり、7着と惨敗。
武騎手は2000年の菊花賞にて、右への酷いささり癖があったエアシャカールで同じ作戦を実践し、見事勝利を収めているのだが、それを超えるステイゴールドの斜行癖の問題には流石にお手上げで、
「とにかく、真直ぐ走るように調教し直してください」と言う苦情を上げるに至った。


このため引退レースとした香港ヴァーズに向けて

  • 馬に主導権を奪われている調教メニューを見直して右ラチに沿って走らせる調教を積み
  • 余計な反発を招かない様に、ハミを制御力の強いリングハミ*36から舌当たりの柔らかい太バミ*37に変更、外れないようにハミ吊り*38も追加。
  • さらに左方向へ忌避感を抱かせるために左目だけのブリンカー*39を装着。

と対策を徹底、その成果か1か月後のジャパンカップでは自身過去最高の4着。初戦以来メイショウドトウに先着するという快挙でもあった。
最終直線で左方向がガラガラだったにも関わらず斜行の兆しはなく、引き上げて来た武豊騎手は開口一番にこう言った。
「これなら香港、勝てるよ」


しかし実際のレース中には右に斜行するという斜め上の反抗を繰り出し二重の意味で伝説を作った。



「ステイゴールドがレースで右側にもたれたのはあのときだけなんです。片側ブリンカーで視界を遮られているから左側には行けない。じゃあ右に行ってやれ、というね(笑)。常に何かをしでかして、『人間を困らせてやろう』と思っているようなところがあった馬ですから、あの斜行もそうした習性の表れだったんでしょう。」

―――― 池江泰寿


ラスト200mの激走も咄嗟に手綱を絞って修正しサボらせてくれなかった武騎手に激怒し振り落とそうと本気で走ったからだとかなんとか。
ゴールした後5分以上も暴れ続ける姿は、膨大なスタミナを余らせていることを示していた。
ファンの感動を返せ。


出資者のひとりである作家・競馬評論家の山野浩一氏は
「(他のサンデーサイレンス産駒が激走の末に短期間で故障引退していく例を挙げ)ステイゴールドはそうした状況に自分が陥るのを避けようとしていたのではないだろうか。とは言え他の馬と競っている限り、馬の本性として前に出ようとしてしまうので、内に切れ込んでラチに逃れようとするのだろう。ラチに沿って走っている限りは自分のペースで走ることができる」
「(00年目黒記念の勝利を祝福しようと検量室に駆け付け)その時に見たステイゴールドの恐ろしい顔は忘れることができない。
 激しいレースをしての興奮もあるのだろうが、なにか自分の大切なものを壊されて腹を立てているかのように思えた。(中略)ステイゴールドは走るのが好きで、それを自分自身の楽しみとはしているが、人のために走る気は毛頭ないということではないだろうか」
と推察している。


散々手を焼かせた左斜行癖にしても、レース中に我に帰るためのスイッチとして、一番安心できる左ラチを求めていたのではないか、とも取れる。


一方、山元重治厩務員は「猛獣ではないし、扱えないってほどの馬じゃない」「自分のペース・ルールは絶対に曲げずやりたくないことは絶対にしない」。
熊沢重文騎手も山元氏同様に「要求に対して譲る・譲らないがはっきりしている、分かってしまえばかえって下手な馬よりも扱いやすかった」とも語っている。


京都大賞典の大斜行の件で激しい抗議を受けた後藤浩輝騎手は「決してヨレたのではなく強い馬に立ち向かい食らいつこうとしていた。騎手の油断や気の迷いを敏感に感じ取ってしまい、それを察知されたらこっちの負け。京都大賞典は失格になったとはいえああいう(闘争心をむき出しにした)走りを見せてくれたのだからようやく自分のことを認めてくれたのかなと」。
一度は匙を投げた武豊も目黒記念以降では「ようやく仕上がったのに種牡馬入りしてしまうのは勿体ない」。
池江調教師もその気性ゆえに故障せず引退したことを「まさに『無事是名馬』を地に行くような、素晴らしい馬」とも語っている。


因みに、気性の激しい馬でも小動物には優しい傾向があるがステイゴールドも例に漏れず、馬房を訪れるにデレデレであったという。
隣の馬房のナカヤマフェスタと共に、立ち去る猫を寂しげに見送る姿が撮影されている。
その優しさを、10分の1でいいから騎手にも向けてくれていれば……。


【種牡馬として】


実の所、ドバイSC制覇の時点で種牡馬入りは決まっており、その処遇を巡って外部との交渉が為されている。
何故外部なのかと言えば、2001年時点において父・サンデーサイレンスはいまだ健在*40で、ステイゴールドが走り続けている間に先に引退した先輩や後輩によって、社台スタリオンステーションが抱えられるサンデーサイレンス血統の枠が既に埋まっていたからである。


一時は日高軽種馬農業協同組合への売却も検討され、3億円で話が纏まりかけた。
だが、組合員からは産駒も小柄・晩成傾向になる可能性、すでに七歳を数える(比較的)高齢etc.様々な懸念事項に加え、なにより「3億では高い」という声が多く、社台グループも値下げ交渉に応じなかったことで結局この話は頓挫してしまった。


交渉の失敗を受けて4月下旬には60株4億5000万円のシンジケートが組まれ、余勢種付け*41は1回150万円(受胎条件)と設定された。
「中小牧場でも手が届くサンデーサイレンスの血統」の需要を見越しての価格設定*42だったのだが、前述の交渉で出た懸念もあってか、この年の申し込みは僅か3件であった。

売却交渉の仲介を頼まれたのが、社台代表・吉田照哉氏のケンタッキー修業時代からの知己であり、ビッグレッドファームの創設者で、マイネル軍団こと馬主クラブ・ラフィアンの総帥だった岡田繁幸氏。
1995年3月から6年に渡り日高軽種馬農業協同組合の理事長・副理事長を歴任し、
それまで殺風景な会場にヨレヨレの作業服を着た上場者が思い思いに交渉していたセリ市を整備し
花木を植え、ベストと規定の馬具の装着を義務化、用意できない者には組合経由で貸与し、見栄えのする馬の牽き方を指導する等、精力的に働いて来た。


往年の競馬ファンには「88年の菊花賞にスーパークリークを出走させるため、仕上がりの悪い自分ちの馬を辞退させ、調教師と仲違いしてクラブ会員に謝って回ってたおじさん」として知られる。


閑話休題、当時の彼は組合から距離を置いた種牡馬業を開くために3月16日付で副理事長を辞したばかりであり、社台グループがほぼ独占している*43サンデーサイレンス血統の種牡馬を喉から手が出る程欲していた*44*45
そのため、仲介依頼と3億円と言う額を聞いて「このレベルの馬が『たったの3億円』で手に入るのか!?」と驚愕し、"横取り"も考えたが、断腸の思いで組合への義理を通したという。
交渉決裂の後はシンジケートを組むことを強く推しまくり、全体の4分の1にあたる15株を購入。さらにBSSとBRFの2年シャトル種牡馬契約を取り付けるに至り、「ステイゴールドは必ず成功する!」と吹いて回った。


ビッグマウスに三振かホームランな相馬眼の持ち主として知られていた氏が、この時は満塁ホームランを決めていた。


そんな訳で「種付けシーズンは既に始まっていて間に合わない。箔付けのためにも、来期までにG1タイトルを取らせよう」と現役続行が決定され、その結果があの迷走と香港ヴァーズである。


香港で魅せた驚異の末脚の反響は凄まじく、応募が殺到。
現役時代はまるで馬っ気がなく、牝馬に興味を示さなかった上に小柄なためスムーズに遂行できるかという懸念もありかなり不安視された*46が、実際にやらせてみると非常にウマい*47上に積極的、というか飛び掛かる野獣そのもので、引き離そうとすると怒り出し、仕事を終えて馬房に戻ると全力投球の反動か現役時代には決して見せることのなかった惚けた様子で横になる有様。


また種付け料と種付け頭数は産駒成績と連動するもので、普通は初年度からどんどん下がっていき、産駒が重賞勝ちを収めるなどしてから回復していくものである。
しかしステイゴールドの種付け頭数においては「177頭→115頭→87頭→146頭→93頭→129頭」と産駒がデビューすらしていない4年目に一度回復するという奇妙な推移をしている。
これは「種付けが上手く、受胎率が高い」「産駒は小さく産まれるので安産、概ね健康で、『生産牧場にいる間は』大人しい」「安く種付けできる割に高く売れる」という評判が
「大事な資産である繁殖牝馬への負担が軽く、あまり手間もかからず、利益率が高い」という中小牧場にとって死活問題な需要にベストマッチしていたためだと言われている。
一方で種付け料の方は、初年度産駒から2歳重賞勝利馬が出なかった*48ことから5年目には100万円に値下がりした。


だが2年目産駒から2歳王者にしてグランプリホースドリームジャーニーを出したのを皮切りに、宝塚記念を制しエルコンドルパサー以来の凱旋門賞僅差2着となったナカヤマフェスタと続き。
ディープの再三なる不受胎を受けて急遽種付けして産まれたドリームジャーニーの全弟でクラシック三冠馬オルフェーヴル、天皇賞(春)を連覇したフェノーメノ、史上初の宝塚記念連覇を含めG1で6勝をあげた迷馬ゴールドシップ
更には3年連続で最優秀障害馬に選出され、日本調教馬としては初となる10歳でのG1制覇を成し遂げた障害競走の王者オジュウチョウサンといった多数の名馬を輩出。
近年においても、苦戦の末についに天皇賞(春)を制したレインボーライン、香港G1を制覇したウインブライト、春秋マイルG1制覇のインディチャンプなどを輩出。


他のサンデーサイレンスの後継種牡馬の成績が振るわなかったことから、いつしか筆頭格にまで成り上がった。
結局種牡馬成績は2020年までで総額約295億円、これには関係者も「あの時3億で売却しないで良かった」と語っている。


社台のサンデーサイレンス系主流から外れ、当初活躍をほとんど期待されていなかったがゆえに集まる牝馬の質も一枚二枚落ちる状況。バックアップ無しに自らの力でその評価をひっくり返して見せたステイゴールドを関係者は「奇跡に近い」と評している。
後にディープインパクトやダイワメジャー、ハーツクライがサンデー後継のライバルとして立ちはだかるも、その中でも見劣りしない存在感を最後まで示し続けた。


特に、父メジロマックイーンの牝馬との相性の良さも有名であり、ドリームジャーニー、オルフェーヴル、ゴールドシップを続けざまに輩出し血統派を沸かせた。
理論的には賢いが大柄で虚弱体質が多いメジロマックイーンの血統に小柄で頑丈なステイゴールドを付ける非常に堅実な組み合わせであり、人呼んで「黄金配合」(またはステ イゴールド+メジロ ックイーンで「ステ配合」)と呼ばれ、重賞級の大物こそゴールドシップで打ち止めになったものの、派手さは無くとも着実に勝ちを重ねる「当たり」の馬を輩出する事に定評があり*49、一時期ドリジャ/オルフェの母オリエンタルアートや、ゴルシの母ポイントフラッグをはじめとした母父メジロマックイーンの馬に種付けさせたり、果てはヤマニンリュウセイのような2x3(父父・母母父にSS)の強烈な近親交配に走ったケースまで現れる狂乱とも言える勢いで競馬界全体で流行した。
ちなみにメジロマックイーンはサンデーサイレンスに好かれていた(当然ながら両方牡)ことで知られ、仔の代になって愛が成就したという説もある。尊い……


産駒は当たり外れが大きいものの、父に似て頑丈でかつ長く活躍できる傾向にある。ゴルシ世代の父ディープの牡馬が次々と故障引退していくのとは対照的である。
難を言えば、牝馬に競走馬、繁殖牝馬共に大物がいないことか。



【代表的な産駒たち/癖のある産駒たち】


活躍する産駒には総じて「長距離を走ってもバテないスタミナ」と「急勾配や多少の道悪を苦にしないパワー」、「小回りで減速どころか加速しながら曲がれるコーナリング能力」という、ディクタスとサンデーサイレンスのいいとこ取りな特徴が遺伝しており、これらの長所を特に活かすことができる中山競馬場や阪神競馬場での良績が目立つ。
このため「グランプリはステゴを買え」は馬券師の常識。
逆に本馬が1勝とG1で2着3回を記録した東京競馬場では斜行癖の有無にかかわらず何故か産駒はあまり勝てていない。
更に故障が少なく肉体的な衰えが来るのも遅い……というか繁殖入りの関係で肉体的なピークを迎える前に引退もザラであり、この点はサンデー後継では特筆すべき要素。
また、G3→G2→G1とレースのグレードが上がるに沿って勝率が高くなっていることから、大舞台になる程強いという他に類を見ない特徴を持っている。


しかしまあ、気性の方もキッチリ遺伝させてしまうようで、個性的な行動を見せる産駒も多い。
ドリームジャーニーはとにかく凶暴で人間にも馬にも噛み付こうとする、オルフェーヴルは勝利の直後に暴れて騎手を振り落とすということを2回もやらかしており、2012年の阪神大賞典では珍しく先頭を走るレースを見せたかと思えば向こう正面で唐突に失速、これには実況やファンも故障発生かと青ざめた……直後に最後尾から再加速・2着まで巻き返した通称「阪神大笑点」は今尚語り草である。こんな三冠馬見たことありません!
ゴールドシップに至っては列挙し切れないほどの奇行の果てに、史上初の三連覇がかかった宝塚記念のスタートでゲートオープンと同時に派手に立ち上がり117億円分の馬券を一瞬で紙屑にするという「120億円事件」と呼ばれる伝説を作った。
加えて、ナカヤマフェスタもまるで言うことを聞かず、叱るとやる気を無くしたために調教師が根負けしてある程度は許容してやった結果改善したという逸話があり、オジュウチョウサンも調教中に騎手を振り落として遊び始めることがあった。
「美浦のドルジ」とまで呼ばれたボス馬だけど人間には従順なフェノーメノなんて可愛いもんである。真面目に。
そうした部分も「まあステゴの仔だし」で流されるあたりがステイゴールドの人徳、いや馬徳といったところだろうか。




ドリームジャーニー 獲得賞金 8億4797万3000円

2年目の産駒にしてGⅠ3勝でその後ステイゴールドの種牡馬としての価値を高めた親孝行息子。
ステイゴールドよりさらに10kg小さな鹿毛の馬体と「+」字の小星が特徴。
父とは異なり新馬戦を勝利し東京スポーツ杯では敗れるも、朝日杯を勝利し父に産駒初のG1勝利を与えた。
だが翌2007年は神戸新聞杯以外の勝ち鞍はなく、2008年は重賞を2勝したもののこそあるG1には手が届かず有馬では4着の好走をみせるも半ば早熟馬・終わった馬とみられていた。
だが2009年に入ると当時G2の大阪杯を勝利すると天皇賞は3着の好走をみせ、宝塚記念で2年半ぶりとなるGI制覇を成し遂げ、有馬記念ではブエナビスタを抑え見事勝利、父・母父が勝利することが出来なかった有馬記念を初めて制することとなった。
だが以降は好走こそ見せるも勝ち鞍はなく、2011年の宝塚記念を最後に引退・種牡馬となった。


ステイゴールド産駒の中でも特に凶暴であることで有名。
主戦ジョッキーを務めた池添謙一騎手をして「他の馬はじゃれているだけだけど、ジャーニーはガチで殺しに来ます」と謂わしめる。
引退後は後述のように種牡馬生活が上手く行かないストレスからか気性が更に悪化し、唯一懐いていた池添騎手すら命の危険があるとして会わせてもらえなくなった。(2022年8月、落ち着いたとみなされたのか面会が許可され、無事に撫でることに成功)


種牡馬としては馬体の小ささが災いし種付けが絶望的に下手くそという欠点を抱えており、受胎率も低いために産駒数そのものが少なく、何とか重賞馬は輩出したものの大成しなかった。
しかし2022年になり産駒であるヴェルトライゼンデがおよそ1年半の休養明けで2年半ぶり、かつ初重賞勝利を飾っており(ドリジャ産駒としては2頭目の中央重賞馬)、
今後の活躍次第では後継種牡馬となり血統が残っていく可能性はある。


ナカヤマフェスタ 獲得賞金 4億1979万7500円

産駒2頭目のGⅠホース、こちらも父と異なり新馬戦を勝利し東京スポーツ杯を勝利するも翌年はセントライト記念を勝利のみで惨敗が続いた。
2010年の宝塚記念に出走するも8番人気となるが1番人気のブエナビスタを抑え見事勝利し初のG1制覇となった。なおブエナビスタのグランプリ制覇は3回連続でステゴ産駒に阻まれる結果に
この勝利に予定通り凱旋門賞への出走を決め、前哨戦のフォワ賞では2着の好走をみせ本番の凱旋門賞では一時先頭に立つもワークフォースに差され頭差で2着となった。
この好走でジャパンカップでは2番人気に押されるも14着の惨敗、レース後左前脚膝裏の内出血が判明し有馬記念も回避し、翌年も春シーズンは休養し2度目の凱旋門賞に挑んだ。
だがフォワ賞は2着、凱旋門賞も11着に終わってしまいこれを最後に引退・種牡馬となった。


ダービーを終えた辺りから調教に対し非常に反抗的になり、命の危機すら覚えた陣営が必死に主従関係を叩き込むと完全にやる気を失い、自主性を尊重すると落ち着いて宝塚記念・凱旋門賞での激走を演じたが、帰国後は糸が切れたように怠け癖が出て再び調教不能となった。
そんな訳で引退して暫く経つまで、界隈で「ステゴ産駒で一番ヤベー奴」と問われればドリームジャーニーを差し置いてナカヤマフェスタであった。


が、ブリーダーズSSで種牡馬入り後は見学者に変顔を見せて笑いを取る非常に人懐っこい様子を見せるようになった。
ステイゴールドの隣の馬房に配置され、特に喧嘩もせず上手く付き合っていたそうで。
牧場スタッフ曰く「周囲をよく観察し自分で考えて行動を決める賢明さ、頑固さ、気まぐれなところはステイそっくりだけど攻撃性が全くない」「時折激しいものを感じさせることはあるが非常に我慢強い」とのこと。


産駒も本馬現役時代と同様の気性を示すことが多く、苦戦中。
2017年には実質的に種牡馬としての活動を停止していたが、2018年日経賞を産駒のガンコが勝利。急遽アロースタッドにて種牡馬として復帰した。


オルフェーヴル 獲得賞金 15億7621万3000円

ドリームジャーニーの全弟にしてステゴ最高傑作とも名高い、産駒初のクラシック制覇にとどまらずクラシック三冠を獲得、父の種牡馬としての価値を不動のものにした。
全兄の活躍によって放出を免れた母*50がディープインパクトと3度種付け*51して不受胎だったため、繁殖シーズン終盤となる5月に配合先をステイゴールドに変更したら一発で受胎したという奇跡のような出自を持つ。
輪眼とヘイロー系によく見られる細長い流星以外は母親と瓜二つという姿にはスタッフも大いに困惑したと言う。


このため遅生まれで、心身ともに未熟なまま育成調教に入った結果、同期の馬たちに苛められ、気弱で泣き虫な寂しがり屋に育ってしまう。
池江厩舎に入厩した後も、「『あの』ドリームジャーニーの全弟」と聞いて恐れ戦いていた陣営は逆の意味で不安になり、競走能力以前にまず自立心を育てることから始めなければならなかった。


ステイゴールドの野性的な……としての本質とも呼ぶべき部分が非常に強く受け継がれており、
普段は父とは正反対に大人しく(池江調教師曰く「馬なのに猫を被っていた」)、厩舎内ではトーセンジョーダンの舎弟ポジションにいたが、レースが近付くと「俺はオルフェーヴルだ!」とばかりに自己主張し、馬場に出ると烈しい闘争心を発揮した。
父やナカヤマフェスタで関係者が散々苦労した「闘争心のスイッチ」が非常に入りやすいという意味では優れた競走馬と言える……が、ステイゴールドのレース中のやらかし(逸走・斜行・失速・振り落とし)までバッチリ受け継いでいるのはどうなんだ。


新馬戦で早速勝利するも、ゴール後に鞍上を振り落とすアクシデントを起こしてしまった。それ以降しばらく勝ち鞍がなかったが、皐月賞の前哨戦スプリングステークスから有馬記念までクラシック三冠を含む怒涛の6連勝。この間にも菊花賞のゴール後に騎手を振り落としながら外ラチにぶつけるアクシデントもあったが、この成績で年度代表馬・最優秀3歳牡馬に選出された。
古馬になってからは、2年連続で凱旋門賞に挑戦するものの、どちらも2着の惜敗に終わり日本馬の悲願を叶えることは出来なかった。とはいえ、国内では宝塚記念制覇や度々2着の好走伝説の大暴走を見せ、引退レースとなった5歳の有馬記念では、2着に8馬身もの差をつけるという圧勝で有終の美を飾った。
恐ろしいことに、引退後2年ほどは肉体が更に成長した上にダートも走れるんじゃないかという疑惑も出てきており、全く底を窺い知れない馬である。
引退後は種牡馬入りし、初年度産駒からG1馬ラッキーライラック・エポカドーロの他重賞馬も輩出するも、
ファンから「ガチャ種牡馬」と揶揄されるレベルで当たり外れが酷く、三冠馬にしては種付け料は安価。
しかしダートも走れる産駒が多いことから中小の生産者からは重宝され、マルシュロレーヌのような産駒も輩出している。
ダート適性が高めで長く使えることから実は総合的なリーディングは8位と高水準である。


種牡馬入り後も、とにかく退屈が嫌いで、新入りが来るたびに食って掛かり、他馬と喧嘩してたかと思えば併せ馬して遊んだり、放牧地に一晩で巨大な穴を掘ったり、人が近くに居ると「遊んで遊んで♪」と人懐っこく寄って来る。
そんななのでスタッフからは「迂闊に近づくと何やらかすか分からない」と警戒されている。ikzeに『必殺オルフェキック』*52をかましてたし


フェノーメノ 獲得賞金 6億2910万8000円

ステゴ産駒の黒くてデカい方。最強世代と名高い2012年クラシック世代の一頭。管理していた戸田博文調教師からは「マメちん」と呼ばれており、それがニックネームともなっている*53
母ディラローシェはステイゴールドと腐れ縁のインディジェナスの半妹。牝系にデインヒルを含み、血統的にはナカヤマフェスタによく似ている。なおディラローシェと掛け合わせて小型化を狙うも、意に反して大型化してガチムチになってしまった。
新馬戦勝利後青葉賞で重賞制覇し、有力ディープ産駒が揃いも揃ってレース後悲劇に見舞われたダービーに参戦するも惜しい2着。
距離不安から菊花賞は回避し、天皇賞秋に向かうもまたも2着。父親のようなシルコレぶりを発揮してしまい、なかなかG1には手が届かなかったが天皇賞春で初のG1制覇を果たした。あれ?距離不安は?
ついでに馬主のサンデーレーシングにとってはこれで八大競走完全制覇を達成。
しかし宝塚記念では4着に終わり、陣営は同年天皇賞連覇に目標を定めるも左前脚繋靱帯炎が発覚し同年は全休となった。
翌年日経賞からのスタートとなったが5着に終わるも天皇賞の出走を決定し見事勝利で連覇達成、これにより史上三頭目の天皇賞春連覇。距離不安はどこへやら、どうもこの馬ステイヤーだったらしい。
今度は同年連覇を目指し宝塚記念を回避し天皇賞秋への出走を決めたが結果は14着の惨敗、ジャパンカップ・有馬記念も惨敗に終わってしまった。
陣営は3連覇を目指し日経賞8着という成績ながら天皇賞を目指したが右前脚に繋靱帯炎・左前脚に重度の屈腱炎が判明し引退・種牡馬となった。
ナカヤマフェスタ同様に産駒の気性が悪く、有力な産駒を残すことが出来ず2021年をもって種牡馬も引退。2022年からは故郷の追分ファームにて功労馬兼新米リードホースとして奮闘中。当初は怖がられ途方に暮れるも徐々に打ち解けて来たらしい。と言うよりも、ステゴ産駒らしく美浦のドルジと呼ばれるTC総番長だった割りに、産駒の中でも大人しくて人に従順だったりと随一の優しさを持った馬とも言うべきか。そのステゴ産駒らしからぬ性格からかハーツクライ産駒やらシンボリクリスエス産駒だのと間違えられるケースも屡々。
ちなみに主要産駒は地方ダート短距離馬。彼の成績と真逆である。


ゴールドシップ 獲得賞金 13億9776万7000円

ステゴ産駒の白くてデカい迷馬の方。黒い方と同じく12年クラシック世代でありその筆頭格。
ゴールデンサッシュ譲り*54の赤鼻と「3」の字を描く上唇白が特徴。
小柄で頑丈な馬を期待して配合したら大柄で頑丈になった合体事故……と言われるが、彼以前の半兄たちよりはかなり小さく産まれたのでステゴはちゃんと仕事している。母ポイントフラッグがデカすぎたのだ。
馬体重500kgに達する芦毛の巨躯に無尽蔵のスタミナとストライド走法、やや気難しいが人好き・悪戯好きな性格と言ったメジロマックイーンの特徴が色濃く、そこに完全に左右対称の蹄と前述したステイゴールド産駒の長所を全部載っけたまさにパーフェクト・メジロマックイーン!
……だったのだが……
ステゴから「主張の激しいボス馬気質」と「人間にすらマウントを取る気位の高さから来るズブさ」。マックからは「歳経るごとに落ち着きを無くす性格」・「頭はいいが気難しい性格」、序にポイントフラッグからは3歳を過ぎると気性が悪化する(小柄なステゴを芦毛牝馬恐怖症に陥らせた程)と言うマイナス要素までほぼバッチリと受け継いでしまい、
古馬になって以降は

  • やる気がある時は母父譲りの先行策で危なげなく圧勝
  • 途中からやる気が出たらロングスパートでド派手な大捲り
  • やる気が出ないと凡走

と極端な成績を残した。
その他にも様々な奇行で話題に事欠かない。また、阪神で8戦6勝(宝塚記念連覇と阪神大賞典3連覇、神戸新聞杯の6勝。2敗は2着のラジオNIKKEI杯2歳と例の120億円事件で、連対率は実に約88%)しており「阪神の鬼」としても恐れられた。それと地味に有馬でも3年連続圧倒的不利なクソ枠と言われる7枠を引いたのに1着(13番)・3着(14番)・3着(14番)と連対している。このせいで向こう10年間、7枠でも連対チャンスありと言うデータを残す事になるが、言うまでもないがコイツが異端なだけで例外中の例外ある。むしろなんなんだよこの馬。
引退後は上述の岡田繁幸氏が仲介したステゴにおける遺恨からか岡田氏直々に2歳時から目を付けていたせいかステゴで適わなかった半ば横取りを敢行*55、馬主にまで根回ししたり吉田照哉がそのネタになると一切笑わなかった事等色々とあった結果、ビッグレッドファームで種牡馬として活動中。
2年目産駒でオークス馬ユーバーレーベンを輩出し、リーディングも常に20位以内となかなかの成績を挙げており、おまけに受胎率も異常に高くなかなか受胎しない牝馬の駆け込み寺として定評を持ち、それを含めても受胎率7割と言うバケモノ染みた成績を残す。


レッドリヴェール 獲得賞金 1億8,158万8000円

2014年世代。ステイゴールド産駒初の牝馬GⅠ勝ち馬。
須貝尚介厩舎所属でゴールドシップの後輩にあたる。
馬場状態やペースの速さに左右されない父親譲りの器用さと勝負根性を武器に、新馬戦、不良馬場の札幌2歳S(GⅢ芝1800m)、阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ芝1600m)と無敗の3連勝を飾り、2歳最優秀牝馬に輝いた。
年明けは4月の桜花賞(GⅠ芝1600m)にぶっつけで挑み、ハープスターにクビ差の2着と実力が確かであることを証明。この年の牝馬クラシック戦線の主役と期待が高まったが……
陣営は突如凱旋門賞挑戦を前提に日本ダービー出走を表明、その上なぜか福永祐一騎手に乗り替わり。
「ウオッカ以来7年ぶりの挑戦」と謳われるが、結果はワンアンドオンリーの12着。当然計画は白紙となる。
そもそもテン乗りでダービーを制した前例はありません。当然の結果です
なおこの年の凱旋門賞にはゴルシ&ジャスタウェイコンビに加えて桜花賞馬のハープスターが出走、6着と善戦した。
この惨敗で歯車が狂ってしまったのか、その後は時折思い出したように2着に1回、4着に2回に入ることはあったがそれ以外は掲示板にすら入れず、生涯成績18戦3勝 [3-2-0-13]で引退、繁殖入りとなった。


ステイゴールドの神経質でカリカリした気性が強く、使い耗しやすいため調整には大変苦労したという。桜花賞にぶっつけで挑んだのも輸送より出張馬房にいる間がガレ易いという事情があったため。
なぜか須貝調教師に懐いており、彼に対しては甘えるような仕草をするが、他の関係者は「ゴールドシップ以上に気難しく、調教嫌い」と口を揃える。後の産駒のパンフレットでも「母親と違っておっとりした気性」とか書かれたし。


しかしそんな成績や気性を知らない人が彼女の写真を見て思うことは
「何その目、怖っ!」
である。右目の輪眼が非常に顕著で、普段からほぼ三白眼、レース直後の興奮状態では血走った四白眼
流星がかなり右側に寄ってるのもあって、左右それぞれから撮った写真では同じ馬に見えないともっぱらの評判。左側は可愛い顔してるのに。


2022年現在までに4頭の仔を産んでいるが、感染症等でデビューを断念することが多く、活躍馬は出せていない。


ウインブライト 獲得賞金 7億9206万3000円

ステゴ産駒のG1ホースとしては新馬戦を勝てず2歳未勝利で初勝利。父に比べたら誤差の範囲
芦毛のため徐々に色素が抜けて行ったが、丁度両目の上にまだら模様が残ったため馬なのにゲジ眉という個性的な顔になってしまった。
重賞勝利こそするが国内G1は勝利するどころか掲示板に入ることすら最後までできなかった…そう、あくまで国内G1の話である。
なぜか香港の沙田競馬場との相性が良かったよう*56でクイーンエリザベス2世を制覇後同年の香港カップも勝利。いつぞやの香港魔王を彷彿とさせる
春の休養を経て天皇賞秋に出走するも10着、引退レースの香港カップも2着に終わり有終の美を飾ることはできなかった。
現在はビッグレッドファームで種牡馬入り。先輩のゴールドシップとの関係も良好。
ゴルシとは対照的に落ち着き払った様子(フェロモンが充満する種付け場では流石に騒ぐが)で仕事をこなしている。
ちなみにスタッフからは「種付けには人間から教えられるところと、センスに依るところがあるけど、コイツはセンスがあります」との評価。産駒の活躍に期待である。
なお「中山のラスボス」とも言われるマツリダゴッホには劣るものの、中山競馬場では重賞含め10戦5勝2着2回と好走していることから「中山巧者」と呼ばれることもある。


レインボーライン 獲得賞金 4億5046万6000円

マカヒキ、サトノダイヤモンドらと同期。
GIにコンスタントに挑戦するも、そのたびに同期や1個上のキタサンブラックに阻まれ続けた。
そして2018年、実に10回目のGI挑戦となった春の天皇賞をジャパンカップ馬シュヴァルグランを退けて勝利。鞍上岩田騎手も久々のGI勝利となった。
しかし、激走の反動からかその場で故障、競争能力喪失と判定され、そのまま引退。
種牡馬入りするも初年度産駒がデビューする2022年に用途変更されノーザンホースパークで功労馬となったが、虹の旅路を継ぐ産駒が現れることを期待したい。


インディチャンプ 獲得賞金 6億1504万円

新馬戦・条件戦を勝利後するも適性はマイルと早い段階から見極められていたため、クラシック3冠は1度も出走していない。
東京新聞杯にて初の重賞制覇、さらに同年安田記念・マイルCSを勝利し同春秋マイルGI制覇、この成績で香港マイルに挑むも7着に終わる。なお、安田記念ではあのアーモンドアイに勝利している。
マイラーズCの勝利を最後に安田・マイルは2年連続で掲示板に入るものの勝利することはなく、2021年の香港マイルを最後に引退・種牡馬となった。
翌年に短距離の絶対女王グランアレグリアがいたのが何とも不幸だった。
現役続行が危ぶまれるような衰えを見せたわけではなく、むしろ安定感はかなりのものだったので、グランアレグリアの引退後も現役を続行してれば返り咲くことがあったのだろうか。
とはいえ、彼にもその血を繋ぐ役目がある。ステゴ一族には珍しいマイラーとしての血がどのように作用するか期待したいところ。


オジュウチョウサン 獲得賞金 9億4137万7000円

馬体重520kgに達する鹿毛の巨体を持つ牡馬で、現役時代には障害競走の絶対王者として、延べ5年以上に渡って君臨し続けた名馬。
チークピーシーズの付いた水色の耳出しメンコがトレードマークだが、素顔は精悍なイケメンだと評判。上昇する火球のような流星と、シンボリクリスエスの血を引く馬に顕著な、物を挟めそうなほど幅広で大きな「ボリクリ耳」が特徴。


そんな彼だが最初から強かったわけではなく芝の新馬戦・2歳未勝利を勝利できずに骨折。1年以上の休養明けには既に平地未勝利戦が終わっていたために障害に転向するも、そこから初勝利したのは和田正一郎厩舎に転厩後、4度目の障害4歳上未勝利。
条件戦こそ勝利するもG1どころか重賞制覇も出来ず当時の王者アップトゥデイト(父クロフネ)にも敗れていた。
ちなみに気性面もバッチリ父親の血を引き継いでいる。具体的には

  • 身体能力はずば抜けて高いクセに走るのを嫌がる。終いには噛みつく始末。
  • 厩舎で担当していた長沼昭利厩務員が前で暴れ回る*57を捕まえようとしていた所、立ち上がって長沼厩務員を前脚で叩いた。結果、長沼厩務員は肋骨を3本折る羽目に。*58
  • 調教中に反抗して立ち上がる。また非常に飽きっぽく、毎回調教メニューを変える必要があったとか。
  • 朝の調教中主戦ジョッキーの石神深一を振り落としてダートの水たまりで「泥遊び」を始める。

などなど。
おまけに母親も結構な気性難だったうえ、幼少時に母親から人間を襲う英才教育を受けていたという証言まで存在する。


これまでスタートが下手だったが、調教を手伝っていた石神騎手の助言でメンコの耳当てを外したところ劇的に改善、2016年に突如覚醒した。
なお石神騎手はそれまで主戦騎手だった山本康志騎手の代わりに鞍上を務めたが、結果としては初戦の条件戦こそ2着で敗れるも、中山グランドジャンプを勝利しデビュー16年目にして初G1勝利を挙げ、そこからGⅠ5勝を含めた怒涛の障害レース9連勝。
オジュウの主戦騎手として人馬共に劇的な活躍を見せるようになった。
そして耳あてのない水色メンコはオジュウのトレードマークにもなった。
この間アップトゥデイトと5度交えるも何れも勝利し、障害界の王者は晴れてオジュウチョウサンとなった。
特に2018年の中山グランドジャンプでは、逃げを打って自己レコードを1.2秒更新したアップトゥデイトに2.4秒差を付けて大差勝ちを決め、レースレコードを見事更新した。その時のレースがネット上に上がっているので、気になる人はぜひ見てほしい。


更には条件戦とはいえ芝でも2連勝し11連勝を達成、これにより障害馬でありながら有馬記念への出走が決定、勝利できなかったが9着という成績を残した。
その後障害レースでは連勝を続けその間芝で走るも勝利できず、また2020年には障害レースで5年ぶりの敗北、更に翌年も掲示板にこそ入るも勝利できず10歳という年齢も相まって引退説も囁かれた。
ところが陣営は「まだ現役で行ける」と豪語。これに懐疑的な声も少なくなかった2021年中山大障害ではそれまでを払拭するかのような走りで勝利、見事王者復活となり2022年も現役続行が決定。
2022年では初戦の阪神スプリングジャンプこそ負担重量の差からか3着に敗れるも、続く中山グランドジャンプでは最終直線におけるブラゾンダムールとの叩き合いを制して見事2年ぶり6度目の優勝を成し遂げた。
これにより、JRA所属馬による最高齢重賞勝利記録を更新するとともに、アーモンドアイと並ぶ国際GⅠ9勝を挙げた。JRAGⅠ勝利数に限れば単独1位。
ちなみにJRA史上最高齢重賞勝利記録を持つのは、2007年の中山グランドジャンプを12歳にして制したオーストラリア調教馬のカラジ。なお、カラジはこの勝利を含めて2005年から中山グランドジャンプ3連覇を成し遂げている。
またこのレースはオジュウにとっては障害30戦目、石神騎手にとっては障害通算1000回騎乗という節目に快挙を挙げることになった。
石神騎手はこれでJRA障害重賞最多勝利記録タイとなる21勝を挙げることとなった。
その後、同年5月の京都ハイジャンプ勝利で最多勝利記録を奪取、8月の小それを倉サマージャンプ勝利で史上3人目となる障害重賞全6場制覇、そして史上初となるJRA障害重賞完全制覇という偉業を成し遂げている。


実はフォームの関係で生垣の飛び越えが下手という弱点があったらしく、2020年以降のスランプはこれが原因ではないかと分析されている。
実際2021年中山大障害以降のレースでは、それまでに比べて生垣の飛び越えが目に見えて上達している。
おかげで10歳を越えてようやく真面目に技術を身に着けだしたとか言われている
しかし、そんな彼も流石に限界が来ていたようで、2022年の中山大障害の6着を最後に引退*59
ラストレース後にこれまでの功績を讃えられ引退式が実施されたが、障害馬の引退式が実施されるのは実は1980年のバローネターフ(1977年から79年にかけて中山大障害5連覇)以来42年ぶり4頭目。*60
この事実もまた、いかに彼がずば抜けた障害馬だったかを十分に物語っている。
引退後は最初故郷である日高町の坂東牧場での種牡馬入りと告知されたが、これは引退自体急なものだったために、受け入れてくれる種牡馬専門の繋養牧場が見つからなかったそうで、坂東牧場で繋養されている間に探していくとのこと。
そのため2023年1月には、既に同じステイゴールド産駒のエタリオウら複数のプライベート種牡馬が繁養され、坂東牧場の先輩馬ビービーガルダンも暮らすヴェルサイユリゾートファームへ移動している。
現役時代に積み重ねた実績は、史上最多5回のJRA賞最優秀障害馬に選出*61、障害重賞14勝・13連勝、JRA重賞15勝(うち障害GⅠ9勝*62)・9連勝、11レース連続勝利、
中山グランドジャンプを2016年から2020年まで5連覇し、史上初の同一重賞5連覇など多義に渡る。
また、その強さから障害馬として初のぬいぐるみ・ヒーロー列伝コレクション発売がされるなど、人気が低迷していた障害競馬そのものにとっても希望の星となっていた。
オジュウチョウサンの一番の功績は、圧倒的な強さで障害レースを牽引し、その人気に貢献し続けたことだったのかもしれない。


マイネルネオス 獲得賞金 2億3370万1000円

初年度産駒、未勝利戦で勝利するも条件戦でも勝つことが出来ず一度障害へ転向するも未勝利戦を勝てず再び芝戦へ、でもやっぱり勝てず障害に転向した経歴を持つ。
そのため芝・障害共に勝てたのはOP戦・条件戦などばかりで重賞制覇は皆無、年齢も重ねていたことも相まって重賞どころかG1制覇なんて夢になりつつあった。
だが2011年の中山グランドジャンプでは先頭を走っていたメジロラフィキ*63が最後の障害の飛越に失敗し落馬*64、順位が変わり先を走っていたメルシーエイタイムを差し切って見せて8歳にしてようやくにして初のG1制覇。
これは競走馬だけでなく騎手・馬主・調教師全員にとって念願のJ・GⅠ初勝利となった。
だがその後骨折が判明し休養を挟むも以後は勝利することはなく引退、現在は根岸競馬記念公苑にて乗馬となっている。


エタリオウ 獲得賞金 2億448万2000円

G1ホースではないものの特殊な成績を持つ競走馬。2018年世代。
白い所のない青鹿毛で、馬体重は470kg前後と平均的な馬格であるが、不気味なくらい親父そっくりな顔をしている。
最終的には勝利したのは未勝利戦の1勝だけだったのだが条件戦では度々2着の好走を見せる…に留まらずなんと重賞でも2着。
G1レースでも2着や掲示板に入り結果2着7回、1着はおろか3着も一度もないという父親もびっくりな「シルバーコレクター」
この好走で結果1勝だけにも関わらず2億越えの賞金を稼いでおり、ファンからは「最強の1勝馬」と呼ばれている。
2018年神戸新聞杯から翌年の天皇賞(春)まで手綱を取ったミルコ・デムーロ騎手曰く、「ストロングポイントは性格が悪い所(笑)」


引退後は乗馬になる予定だったが、土壇場でヴェルサイユファームにてまさかの種牡馬入りが決定
そして初種付けの様子がTwitterに投稿された事で「童貞卒業の瞬間を全世界に拡散された男」としてネタにされる
他にも

  • 座り込み、眠気と食欲の狭間でウトウトしながら草を食む
  • 前髪パッツンの坊ちゃんカットにされる
  • 猫吸いに夢中になる余り柵から突き落としてしまい、自分が大袈裟に驚く。再び登って来た猫を吸って以下エンドレス。*65

など、引退してからも変な話題を度々提供してくれている。

ステイフーリッシュ 5億5407万5700円

インディチャンプと同じ2015年産駒、こちらもG1ホースではないが特殊な成績を持っている。
新馬戦勝利後はダービーの前哨戦G2・京都新聞杯に勝利するもダービーは10着の惨敗、神戸新聞杯では5着の好走を見せるも菊花賞は11着とまたもや惨敗。
そのため陣営は適性距離は京都新聞杯の2200m前後と判断し距離が近い数々のレースに出走するも大敗か掲示板入りするも勝利は京都新聞杯以外になかった。
海外遠征で実績を挙げようとするも初陣にして父が唯一手にしたG1香港ヴァーズに挑戦するも5着に終わるなどやはり勝つことが出来なかった。


だが陣営は7歳になった彼の初戦をサウジカップのG3レッドシーターフを選択、しかし距離は彼が惨敗した菊花賞と同じ3000mということもありこの判断は不安視された。
スタートからハナを奪うとそのまま先頭を走り続け最終直線で沈む……どころか後続を突き放し、2着馬に4馬身1/4もの差をつける圧勝で3年9か月ぶりに勝利。
次走は更に距離が長い3200mのG2ドバイゴールドカップを選択、今度は先行策に打って出て最終直線で先頭に出ようとした。
ところが後ろからゴドルフィン所有のUAE調教馬デビュー戦から5戦全勝で圧倒的1番人気のマノーボが迫ってきており100mを切って差されてしまいこのままマノーボが勝つと誰もが思った。
だがゴドルフィンの青に父親の血が騒いだのか今度はステイフーリッシュが差し返し1着でゴール、海外重賞を連勝してしまった。
この手ごたえからアスコットゴールドカップなども視野に入ったが宝塚記念で9着、凱旋門賞に挑戦を決意し前哨戦でドーヴィル大賞典に挑むも2着。
凱旋門賞本番、陣営は「勝つには逃げ切りしかない」としていたが引いた枠番は大外の20*66
止めとばかりにレース直前から土砂降りなったこともあり、何とか中団に付けたものの上がることが出来ず、14着に敗れた。
他の欧州馬がクールダウンに小走りで、他の日本馬3頭が項垂れながら引き上げる中、最年長のステイフーリッシュが追切のように駆けて行き、洗い場で優勝馬のアルピニスタ相手に馬っ気を見せるなどフリーダムな振る舞いで笑いを取った。
しかし帰国後繋靱帯炎を発症したことで引退、社台ファームで乗馬となることが発表された。
G1こそ勝利できなかったが最終獲得賞金は約5億5400万円、ステイゴールド産駒のG1未勝利重賞馬では2022年時点で最高額を稼いだ。


あまりにも名馬を輩出するものだから、ファンからは「やっぱこいつ現役時代は手を抜いてた」という意見が多数を占めるようになった。
ただし50戦しても故障することなく走り続けることが出来たのは、彼の持つ身体能力以外にもこの手を抜いていた=無理をしなかったのも少なからずあったと思われている。
現に産駒の中でも特に気分屋として知られるゴールドシップも6歳まで目立った故障(筋肉痛と蹄球炎*67)をすることなく引退、そのうえでまだ現役を続けられると評される状態だったこと、
オルフェーヴルに至ってはむしろ引退後の6歳7歳の方が現役時よりも馬体が良かった事もこれを裏付けている。
宝塚でのゴルシ120億返せならぬステゴファンや関係者の涙返せである



【旅程の終焉】


現役を退いても引き締まった馬体と鋭い眼光は相変わらず、息の長い活躍を続け種牡馬としては父越えも期待されたステイゴールドであったが、
2015年2月5日にその年最初の種付けを終えた帰りに激しく発汗し始め、クリニックを受診。
一時は落ち着いたため馬房に戻されたが再び苦しみ出し、やがて永遠の眠りについた。21歳没。
翌日の検死解剖により、死因は大動脈破裂とされた。


遺体はそのままブリーダーズSSに埋葬され、墓が建てられた。
1ヶ月後、"正妻"オリエンタルアートが後を追うように亡くなる。彼女の墓にはステイゴールドの遺髪(タテガミ)が納められた。
11ヶ月後、ステイゴールドが『帰って来る』筈だったビッグレッドファームの馬房に、代表産駒の一頭・ゴールドシップが種牡馬入り。受け入れ態勢は万全だったが、後日、岡田総帥の指示でネームプレートのかけ直しが行われた。馬房には今も2つのプレートが上下に並んでいる。[Gold Ship][Stay Gold]と。


一般的なサラブレッドの寿命が20代後半だということを考えると、まだまだ種牡馬として活躍できたはずで、早逝が惜しまれる。
ただ父は蹄葉炎を発症し16歳でこの世を去り、父の後継候補と考えられていた達もその多くが10代のうちに夭逝していることを考えると長生きした方だったのかもしれない。
本人の旅程はここで終わったが、まだ彼の開いた道のりは終わっていない。黄金の旅程は黄金の名を関する息子や子孫たちに託され、いまだ輝きを放っている。
なんなら既にゴールドシップが成功率9割・受胎率8割とかいう意味不明な数字を引っ提げて床上手の後継者として名乗りを上げている。
なおオジュウチョウサンは2022年も現役続行なため、彼が勝つごとにステゴが死んで○年経つのに産駒の重賞連勝数・年数が更新されるという珍妙なことも起きている……
と思えば、オジュウチョウサンがまだ走っていないうちからアフリカンゴールドが7歳にして(ゴールドシップの娘ユーバーレーベンも出走した)G2の京都記念を獲得、年明け早々に産駒が17年連続で重賞勝利というとんでもない記録を打ち立ててしまった。
さらに前述のステイフーリッシュがサウジのレッドシーターフHCを逃げ切り、実に約4年ぶりの勝利。
そして大本命のオジュウチョウサンは中山グランドジャンプを11歳にして当然の様に6度目の制覇。もちろんJRAの歴史においてこんな記録は前代未聞である。
ついでに3着のマイネルレオーネもステゴ産駒であり、母父サッカーボーイというロック過ぎる血統*68もあって色々と話題を呼んだ。
前年には新潟記念を12番人気から勝利し、翌年は天皇賞(春)6着、宝塚記念5着のマイネルファンロン(ユーバーレーベンの半兄)も未だ健在である。
マジで何なんだお前ら。
だが前述のようにオジュウチョウサン・ステイフーリッシュが2022年で引退、2023年以降も記録を伸ばせるかはアフリカンゴールド・マイネルファンロンの肩にかかっている。むしろなんでまだ可能性残ってんだ。



【旅のこぼれ話】


  • ノーザンファーム空港牧場で育成調教していた頃、鞍がズレて人が乗れなくなるまで立ち上がるのを続けたせいか、背中にイボが出来たことがある。クリニックで切除し、大事を取って大学病院で検査ついでに傷痕にレーザー治療を施していたら突然立ち上がりレーザー治療器を壊してしまった。青草で釣ってる間は大人しくなるだろうと試みたが17分で立ち上がり、2基目のレーザー治療器も壊れた。
    • この時何かに引っ掛けたのか、足の裏が腫れ上がったため更に3週間ほど休んだ。デビューが12月と遅れたのはこのせい。
  • 後退りした拍子に尻で馬栓棒を2本折ったこともあるが、この時は馬体にはかすり傷もなかった。
  • 基本的に食が細い。普通の馬は1日2食、1食に付き30分から1時間で合計8升程度食べるところであるが、ステイゴールドは飼い葉を水につけて柔らかくしてから少し食べてその水をがぶ飲み(通称:お茶漬け)しては休むを繰り返し、丸1日かけて6升程度だった。オグリキャップだったら桶を齧って足りないアピールを始める量である。
  • 産駒のドリームジャーニーやオルフェーヴルの食事も同様に「お茶漬け」。一子相伝?山下正一調教助手は「あまり飼葉が欲しくなくても、食べなければいけないことを分かっている賢さの表れ」と語っている。
  • レースの気配を察しているのか、前日の移動日の朝はさらに食が細り、馬運車に乗り込んで以降は勝手に断食を始める。出張馬房では隅の方でじっとエネルギーの消耗を抑え、レースを終えてトレセンの自分の馬房に戻ってからやっと食事を始める行動ルーチン。
    • 激やせ騒動のあったドバイSCにおいても、あまりにも「いつも通り」だったため、山元重治厩務員だけは特に心配してなかった。一方、現地の獣医とのコミュニケーションを任されていた池江泰寿*69は顔面蒼白だった。
  • 名馬によく付いて回る表現のひとつに「乗り味が良い」というものがある。騎手の体感的なものではあるが、「全身を余すことなく使って推進力を生み出す力強さ、走りの滑らかさ」への賞賛であり、サンデーサイレンスやサッカーボーイも絶賛されている。
    • 対して、ステイゴールドに跨った騎手や調教助手が口を揃えるには「乗り味が悪い」「バネの強さを感じない」「「なのによく走る」」。どうも背筋を固めて剛体とし、肩・トモと首の上げ下げで走ってたらしい。誰に似たんだ。
      • この癖は大なり小なり遺伝するらしく、ステイゴールド産駒は柔軟かつ強靭な体幹と優れたバランス感覚を持ちながら「背筋が固い」だの「全身の動きがチグハグ」だの言われる傾向がある。オジュウチョウサンなど、これが酷過ぎてデビューに失敗しているし。
  • 幼駒時代から一貫して青草が大好物。そして食べ過ぎると必ず腹を下す。それでも食べる。逆に、大体の馬は好んで食べるリンゴが嫌いで、匂いを嗅ぐことすら嫌がった。
  • 50戦大過なく終えたが、実は陣営も出走を悩んだ怪我が2回ある。1つが98年ダイヤモンドS、装鞍15分前に目の縁を切って下瞼が垂れ下がり、涙管を伝って鼻から血が滴る状態だった件。
    • 2つ目が00年目黒記念の前日からの球節炎。アイシングを施し、症状も治まったように見えたため、ギリギリまで悩んだ末に出走させたが……戻って来たら完治してた。凄いね馬体♡
  • 某証券系列の会社に勤める男が複数の顧客から合計7億5千万円を着服していた。資産運用して儲け分で補填すればバレないだろうと考えていたが、事業はいずれも失敗。7億円を喪失し、残る5千万円をすべて98年天皇賞(春)の馬連馬券にぶち込むという暴挙に出た。一番人気のシルクジャスティスと二番人気のメジロブライトでオッズは2.0倍、当たれば1億円になって返って来る手堅い予想……しかし最終直線でステイゴールド10番人気(とローゼンカバリー)が突っ込んできたためご破算に。事が露見し逮捕されるという事件があった。
  • これまで散々「小柄」と書いて来たが、実のところ体高に限れば種牡馬入りの時点で161cmと牡馬の平均程度はあり、「中背だが肉付きが薄いため小さく見える」というのが実際の所。グラスワンダーやナカヤマフェスタと同値である。*70
  • 種牡馬入り後、立ち上がる際に前半身を右側に捻って着地するという技を修得した。頭が直角三角形の軌道を描き、通常の手綱では持って行かれて転倒してしまうので通常の倍の長さの専用手綱が用意された(釣り上げて崩すという柔道ばりの技である)。
  • ビッグレッドファームの放牧地にて、わざわざ牧草を掘り返し、入り口から緩いカーブを描く「道」を造成し(通称:ステイロード)、ご機嫌そうに往復したり、集牧時に「ここまで迎えに来い」とばかりに道の先で待って居たりしていた。秘密基地を作る子供か。


【フィクション作品への登場】


漫画馬なり1ハロン劇場』(よしだみほ)
主に3着ばかりが続き「実力はあるけどイマイチ」な馬が集う…というか勧誘される親睦団体『ブロコレ倶楽部』の主要メンバーとして登場。
創設者ナイスネイチャの引退後一人寂しく続けていたホッカイルソーから「ゴールドの前でステイ」だからと勧誘を受け、2着が多いので『シルコレ部長』の称号も用意され、最初は微妙過ぎる参加資格に加入を渋るも1999年宝塚3着により涙目で加入。
以降は故障からの復活で倶楽部活動から手を引き出したホッカイルソーへの当てつけの如く各地でメンバーを捕獲、中には入会直後から一気に強くなったテイエムオペラオーもいたりしたがナリタトップロード等仲間も増え着々と足場を固めることに成功。
その一方で競走馬として成功する夢を忘れはせず、何かと倶楽部が気になっていたロサードにテレビで京都大賞典での醜態を見られつつも香港ヴァースでのラストランビデオを仲間に自慢、トップロードに後を託し引退した。
その後は倶楽部の重鎮や馬達の親としてよく顔を見せており、ゴールドシップの活躍で種牡馬成績(2012年)でもブロンズになった際は、ゴルシの有馬祝として新年会にて父サンデーと息子の母父メジロマックイーンを呼びパ●ュームパロを披露していた。
他界後もたまに頭に天使の輪を載せ現世に降臨し、『最後の仔』(2016秋収録)では生前最期の種付けから生まれた末娘「エレインの2016」(ハルノナゴリ)の様子を見に天国に自分を追って来た妻オリエンタルアートに見つかりつつ降りて来たりもした。
そして2018年の『逸材』(第977R、2019年春収録)では、倶楽部の新鋭として息子エタリオウを輪ごと口がもつれた上身体を張って笑いを取ろうとするのを見かねた別な倶楽部会員息子グランシルクに抑えられつつ捕獲している。
この様に妙に出番が多いため、連載1000回記念時武豊氏から「よしだみほさんの競馬愛、ステイゴールド愛には、いつも関心させられます。」との祝辞が贈られている。
だがその一方でオリエンタルアートとの次男オルフェーヴル以降の活躍した仔との直接会話は妙に少なく、ゴールドシップとは2012年ダービーのワンショットのみ、オジュウチョウサンとの絡みは0だったり。
また現役時のデカいやらかしが京都大賞典くらいなせいか、金色の暴君不沈艦が基本普通だが途中から盛大なポカのせいで「時々アレな感じになる」を追加されたのに対し、本馬自身は父譲りの凶暴性を見せることはなかった。


漫画『優駿劇場』(やまさき拓味)
「オレがここにやって来た目的はただ一ッ
世界で一番有名な競走馬になる事だッ」
微妙に活躍時期がズレていた事もあってメインシリーズである『優駿たちの蹄跡』では最後まで出番に恵まれなかったが、派生作の劇画版『馬なり1ハロン劇場』『優駿劇場』の方でドバイシーマクラシックが取り上げられた。
自分のせいで交代させられたにも関わらず応援し続けてくれた熊沢重文に報いるため、世界一有名な日本馬になるべくファンタスティックライトと激闘を繰り広げる。
ちなみに熊沢騎手と普通に会話するシーンがある。
馬と人間が会話するのは『優駿たちの蹄跡』ではたまに見られる演出だが、『優駿劇場』の方ではそもそも人間の出番自体が少ない事もあって殆ど見られない。



余談だがやまさき氏の代表作『優駿の門』のメイン馬の一頭は「ボムクレイジー」というのだが、本作後ステイゴールド産駒からボムクレイジ(Bomb Crazy)(2014年生まれ、7戦0勝で乗馬に転向)なんてのが登場している。


●スマホゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)
ゴルシの120億事件がネタにされている『ウマ娘』では、ステイゴールドの名を持つウマ娘は登場していない。
しかし、ゲーム含め各種メディアミックスにおいて様々な形でその存在が示唆されている。
アニメ一期では、彼のポジションに該当する「キンイロリョテイ」と言うウマ娘が登場している隠す気ゼロである
デザインは汎用モブの使い回しであり台詞も全くない完全なモブキャラなのだが、ネームドキャラに交じって好走を見せており、元ネタを忠実に再現している。
基本的にファンの間ではほぼ「キンイロリョテイ=ステイゴールド」として扱われており、上記のエピソードに基づいたアクの強いキャラ付けが勝手になされている。
ゲームにおいてはメインストーリー5章で彼に該当すると思われる「小柄なウマ娘」が出走しているほか、キタサンブラックの個別シナリオで「5年間走り続けた末に最後のレースでG1初勝利を決めたウマ娘」というまんまなエピソードが語られている。




追記・修正はゴールドの前でステイせずにお願いします。


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  • 今月逝ってしまったな…。ドリジャ・オルフェ・ナカヤマフェスタが種牡馬になってフェノーメノも天皇賞春3連覇に向けて現役真っ只中の中で…。 -- 名無しさん (2015-02-25 00:36:25)
  • サイレンススズカが種牡馬になれず、アドマイヤベガが早く死んでしまった恩恵を種牡馬として一番受けた馬だと思う。 -- 名無しさん (2020-04-05 02:37:19)
  • ステイゴールドの子供たちもどいつもこいつも気性荒いの多くて草 -- 名無しさん (2021-01-15 07:29:22)
  • てかディープの項目立ってないのな。ここで書くことじゃないかもしれんが -- 名無しさん (2021-03-20 11:59:47)
  • ステマ配合ってノーザンダンサーも大事だと思うんだよな。ステゴもステマ配合の3頭も母母がノーザンダンサー系で、このインブリードが加わることで配合が完成してるはずなのに、なんで配合の名前にノは入らないのか。ノーザンダンサーなんか当たり前すぎるからか? -- 名無しさん (2021-03-20 12:19:22)
  • 芦毛の子の記事まだ立てられてないのか… -- 名無しさん (2021-03-24 21:31:13)
  • ゴールドシップの馬券を紙屑にした事件は120憶じゃなかった? -- 名無しさん (2021-04-11 07:56:59)
  • 約120億だから -- 名無しさん (2021-04-14 17:23:56)
  • 我の強い馬で「産駒の世話をしてると、ポケーッとしてる時があって『ステイゴールドだったら蹴りが飛ぶところだ』と思う時がある」と言われる一方で、「譲れる所と譲れない所の線引きをハッキリ示してくれるので、中途半端な馬よりは扱いやすい」「決して意味もなく暴れる猛獣ではない」とも評されているんだよね。あと猫好き -- 名無しさん (2021-04-22 15:21:22)
  • 話聞くとゴルシの親だな、と -- 名無しさん (2021-05-20 08:46:33)
  • ウインバリアシオンが一番怨んでそうな馬 -- 名無しさん (2021-05-26 20:39:28)
  • 孫娘(ウインキートス)が目黒記念取ったけどここにはなんも無いな -- 名無しさん (2021-06-15 13:57:09)
  • ステイゴールドが猫好きだったのは、猫に何かを感じていたからだろうか? -- 名無しさん (2021-06-16 00:16:14)
  • タキオンが種牡馬入りしたから香港があった、絶不調だから勝てた、と「塞翁が馬」と言いたくなる事例が多い。香港の落鉄がディープの蹄を守ったかもしれないとも思えてしまう。 -- 名無しさん (2021-07-08 18:11:30)
  • ステイゴールドのお墓があるのは、息子のゴールドシップの親友、ジャスタウェイがいる「ブリーダーズ・スタリオン・ステーション」。なんだろうこの偶然 -- 名無しさん (2021-07-14 00:29:08)
  • KIBAのEDではない -- 名無しさん (2021-08-11 01:54:43)
  • ステイゴールドの戦績については、オルフェーヴルが引退後更に馬体が良くなったことなどから「競走馬時代終盤の時期でようやく競走馬に最も適した状態に至るような超晩成型だったのではないか?」という見方もあるとか。……やる気がなく人の言うことを聞いてくれない悪癖も間違いなかったのかもしれないけど -- 名無しさん (2021-08-22 15:16:47)
  • 産駒エタリオウの初体験映像が公式アップされてたが、なんかスタッフが力で抑えててステイもそうだったのかと思うと何か複雑だな。 -- 名無しさん (2021-09-22 10:36:03)
  • こいつの孫娘が日本の歴史を変えよった・・・ それこそドバイシーマそのまんまの劇的さで -- 名無しさん (2021-11-08 12:37:09)
  • 手を抜いてるのもあったけど全てのレースでやる気がなかった訳ではない、はず -- 名無しさん (2021-11-28 12:03:21)
  • 馳星周 氏の書いた黄金旅程って作品で主人公のモデル(というかまんま)になってるな。名前はエゴンウレアだけど -- 名無しさん (2021-12-19 19:51:20)
  • 史上最強だったかは永遠の謎だが戦績よりも強かったのは間違いない -- 名無しさん (2021-12-22 21:09:39)
  • 「全力で走ったのが、50戦中のラストランの最後200mだけ」説好き。いやお前あの距離を詰められる奴がG1を1勝なわけねえだろ -- 名無しさん (2021-12-24 02:18:41)
  • 亡くなってもう6年が経つのにまた産駒の重賞数が伸びたけど -- 名無しさん (2021-12-26 10:11:33)
  • 36連続重賞出走のうち春天・宝塚・秋天・JC各4回、有馬3回というイカれたローテーションをこなせる馬はもう出てこないだろうな -- 名無しさん (2022-02-09 15:49:47)
  • 春天も3回(01年不出走)…なのはいいとして王道G1三年皆勤は他にいないし2年もオペラオーだけだ -- 名無しさん (2022-02-10 14:25:51)
  • ↑最後の春天は出てなかったな失礼。今日のアフリカンゴールドの勝ちで17年連続重賞記録(歴代3位)を達成。十分大種牡馬やな -- 名無しさん (2022-02-13 16:25:15)
  • ステイフーリッシュがレッドシーターフH(サウジアラビア、G3芝3000m)で逃げ切り勝ち -- 名無しさん (2022-02-27 08:03:32)
  • 最重じゃないとはいえ斤量60kgであの活躍。AJCCのマイネルファンロンといい、実質ラストクロップが妙に存在感を出し始めてる。 -- 名無しさん (2022-02-28 08:11:41)
  • 受けつがれるゴドルフィン勝負服への殺意 -- 名無しさん (2022-03-27 00:42:26)
  • オジュウ、記録更新とか最早チートやろ -- 名無しさん (2022-04-16 17:10:21)
  • 京都競馬場アイドルホースオーディション、5位入着 -- 名無しさん (2022-08-18 21:25:48)
  • オジュウ、ついに今年の中山大障害で引退の模様 -- 名無しさん (2022-10-17 23:46:25)
  • カノープスの五人目としてウマ娘化してアニメ三期に登場して欲しい。 -- 名無しさん (2023-03-15 10:10:59)
  • タグのローゼンカバリー、宝塚記念や天皇賞といったGⅠの大舞台すら5度も交えて7度も戦い、互いにレースを制することすらできなかったがステイゴールドが6回勝ったある意味因縁の仲だったのか……。 -- 名無しさん (2023-04-16 09:32:52)
  • オジュウ、ステフが引退してもJRA現役はアフゴ、ファニキ含めてまだ8頭居るというね -- 名無しさん (2023-07-11 18:24:21)

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*1 翌年からGⅠ昇格。
*2 2:22.6。京都競馬場の芝2400mの重賞が日経新春杯と京都大賞典しかないためか、2022年現在も残っている。
*3 芝メインなのにフェブラリーSで3着の後ドバイWC(ダート2000m)で2着を取ったスゴイである。
*4 当時。翌2002年より国際GⅠ競走に昇格。
*5 1970年、イタリア生まれの男性騎手。「同じ馬でも彼が騎乗すれば5馬身は変わる」と言われるほどの名手であり、日本でも2017年に武豊に抜かれるまでは歴代最多記録となるジャパンカップ3勝を挙げた。
*6 2001年ヨーロッパの代表馬・最優秀古馬、アメリカ最優秀芝牡馬、2年連続ワールドチャンピオンであり彼を負かしたのはこの年には僅か2頭しかいなかったほどの名馬。
*7 凱旋門賞など草丈が高い凸凹道である。
*8 自滅覚悟でハイペースを作るペースメーカー(通称ラビット。稀にそのまま勝ってしまうのもいる)等。タックルやブロックの判定も緩い。
*9 馬券が絡む場合はチーム内でオッズが統一される。UAEは賭博禁止だが。
*10 1着のタイムは2:26:1。2400mレコード(2018年アーモンドアイ)より5.5秒遅い。
*11 なお、応募したのは同時なのに、ステイゴールド宛ての招待状が届いたのはトゥザヴィクトリー宛てのそれよりかなり後だった。既に若くもないGⅠ未勝利馬であり、日経新春杯で勝っていなかったら恐らく落選していたことだろう。
*12 日本では当たり前な出走時の馬体重発表だが、実は世界的には行わない国の方が多い。
*13 馬にとって、6〜7%の体重減少は70kgの人間で言えば4〜5kgにあたる。いかに調子を崩していたかが判る。
*14 2010年からは隣に建設されたメイダン競馬場で開催されている。
*15 サンデーサイレンス産駒としてはフランスに輸出されたサンデーピクニックが初。
*16 400mごとのラップが26秒→24秒→26秒→24秒とスロー→ミドルを繰り返した後に400m23秒2とロングスパートを仕掛けた。
*17 強く踏み込んだ状態からの方向転換と強烈な蹴り脚によるものか。レース後の検査で右後ろ脚の落鉄が確認されている。レース中の落鉄はカリスマ装蹄師・西内荘氏のキャリアでも初めての出来事であった。
*18 この年香港でステイゴールドと共に日本旋風を巻き起こしたアグネスデジタルとエイシンプレストンはアメリカ産。
*19 このように超エリート集団のゴドルフィンの一員としてデットーリと共にハイレベルなレース巧者ぶりを見せたエクラールだが、彼もまたGⅠの勝鞍を惜しいところで逃し続けている。彼が念願のG1を獲ったのは13回目の挑戦、デビューから数えて5年に及ぶ競馬生のその最終戦でのことだった。
*20 しかし現地の人にはあんまり語感がよくないとかで不評らしいが。
*21 2年以上皆勤したのは他にテイエムオペラオーのみ。
*22 GⅠ出走数はコスモバルクが更新。重賞出走数は中央に限れば歴代1位。
*23 この年の相手は92年英ダービー馬のドクターデヴィアス。
*24 普通の馬は眼球全体に色素があるのに対し、強膜が白く「白目」がある眼球。視力への影響は特にないが、感情が昂ったり何かを注視したりするとき白目が見えるようになる。
*25 格付けは低いが、1988年は青函トンネル開通を祝し、前年と前々年のダービー馬を含む例年にない豪華面子が揃っていた。これを5馬身ちぎっての快勝。
*26 タマモクロスも同レースにて引退、抜けた2頭と入れ替わるように台頭してきたイナリワンとスーパークリークがオグリキャップと共に“平成三強”と称されることになる。
*27 社台グループの慣例として放出される予定だったが、吉田勝己氏の一声で社台SSで繋養されることになった。社台内部で生産・繋養された種牡馬第一号である(内国産馬という括りでも三冠馬ミスターシービーに続く二頭目)。
*28 生産頭数が74頭、2年後からはほぼ2倍になるため平均収得賞金額に直すとそこまで悪くはないが、突き抜けた大物の数が少なかった。
*29 牝馬だてらに1989年の南関東三冠と東京大賞典を制したダートの女傑。同年中央の芝レースに挑むも、オールカマー5着、ジャパンカップ15着と揮わなかった。まあオグリキャップの全盛期世代に芝では相手が悪かったとしか言いようがない。その脚力はすさまじく、馬房の屋根を蹴り破る程であったという。
*30 骨が固まり切っていない若い馬にありがちな症状。育成調教で先頭の馬にチョッカイ掛けて3頭ほど骨膜炎に追い込んだ因果が巡って来たようだ。
*31 2014年まで開催されていたワールドスーパージョッキーズシリーズの4戦目。外国からの招待騎手8名と国内のリーディング騎手を合わせた15・16名が4レースのポイントを競い合う形式で、馬と騎手の組み合わせは抽選で決まる。
*32 細いハミ身が管の中をスライドするためズレにくく、制御力が強い。
*33 担当した池江敏行調教助手が言うには「立ち上がったり噛み付くときは必ずサインを出していて、それを見落とさずに対処すれば振り落とされたり噛まれたりすることはなかった」とのこと
*34 馬が首を上げ過ぎるのを防止するため、ハミと腹帯を繋ぐ革紐の補助馬具。さらに騎手の手元と接続したものが折り返し手綱となる。
*35 熊沢騎手の代打。本来はオフサイドトラップの主戦騎手だった
*36 銜身が輪になっており、下顎に固定できるハミ。
*37 銜身が通常の5倍くらい太い。池江泰寿調教助手が修行帰りにイギリスで購入していた物。
*38 ハミを上顎に固定する器具。口の両端から頭頂部にかけて逆Y字形の紐
*39 メンコと共に装着する、レンズのないゴーグルのような器具。本来は馬の視界を制限し、レースへの集中力を高めるためのものである。片側だけなのは両方につけると前に対する意識が強くなりすぎて暴走が危惧されたため。
*40 この頃仕込まれたのがあのディープインパクトの世代である。
*41 シンジケート株主以外が料金を払って行う種付け依頼。
*42 同期の種牡馬アグネスタキオンとテイエムオペラオーの初年度種付け料が500万円。3分の1以下の大安売りである
*43 この時点で種牡馬入りしているサンデーサイレンス産駒は33頭、内10頭のGⅠ勝利馬でマーベラスサンデーを除く9頭が社台SSで繋養されていた。
*44 サンデーサイレンスが輸入された当初、間近で見る機会を設けて貰ったのだが、その馬体の異常なまでの柔軟さに不安を抱き、手が出せなかった過去への猛省がある。
*45 彼の本気具合を示すエピソードとして、この話が来る前年にフランクアーギュメントの2000(父サンデーサイレンス)を3億3600万円(税込)という大枚を叩いて落札したことが知られている。オーナーブリーダーや社台グループが『自分の財布』の中で動かすのを除けば当時の日本レコードである。この馬は後にカームと名付けられたが、不幸にもデビュー前の事故で競走能力を大きく損ねてしまったため中央では勝ち上がれず、地方に転向している。
*46 前者はスペシャルウィークのように無理をさせて精神を病んでいく例があり、後者は息子のドリームジャーニーのように1回の種付けに90分以上かかる例がある。
*47 柔軟な身体で牝馬を抑え込む床上手。自分より大きな牝馬相手にも高さ調整の畳や段差を必要としなかったというから、相当である。また一度会ったことのある馬の顔は全部覚えていたらしく、誰かさんの母親みたいに蹴り癖や噛み癖のある牝馬には慎重に当たっていた。
*48 翌年6月のマーメイドS(牝馬限定G3、芝2000m)を制したソリッドプラチナムをはじめ、最終的に計4頭の重賞馬を輩出しており、集まった肌馬の質の割に当たりは多かった。
*49 2015年産のオンワードマルタの仔であるオンワードマリーが地方で14勝17連対(30着外)と健闘しており、2023年現在でも活躍している。
*50 オリエンタルアートは牝系の近親に活躍馬がまったく居らず、繁殖牝馬としてのランクが低かった。初年度産駒の活躍次第では入れ替えのために繁殖牝馬セールに出される所だった。
*51 それまで父親が違う仔を4頭産んでいたが、いずれも父親の雰囲気がよく出ていたためディープインパクトならどうなるのか興味を持った池江(寿)からの提案。翌年もう一度試してマトゥラーという牝馬を産んでいる。
*52 前脚によるジャブなので『三冠馬パンチ』じゃないかとか言われもする。
*53 ちなみに戸田調教師がそう呼んだ理由は「幼い頃からの漆黒の馬体が黒豆を連想させる」というもの(尤もフェノーメノ自身は黒いことには黒いが馬体重500kg台の大型馬である)。実際に戸田調教師がテレビ番組に出演した際、フェノーメノが彼に「マメちん」と呼ばれて嘶く映像が残っている。なお馬名自体はポルトガル語で「超常現象」「怪物」を意味する言葉。
*54 幼駒時代、色素が抜ける前の毛色はゴールデンサッシュそのまんまである。
*55 しばしば非社台で既にオルフェーヴルがいるので社台入り出来なかったと言われているが、オヤジの例があったのでゴルシの事は社台の吉田照哉も認めていたし、何なら(第二のステゴが出るのはマズいので)ナカヤマフェスタを長年繁用していた位であった例があるように、ステゴ産駒で大成した馬の独占にまで走ろうとした程であった。
*56 ちなみにウインレーシングは国内G1にはあまり縁がないが香港で強いのはお家芸らしく、ウインブライトに次ぐG1制覇は、2022年香港ヴァーズ覇者ウインマリリンであった。
*57 厩舎のネズミ捕りに間違って引っかかってしまったらしい。
*58 なおレース前ということもあって、長沼厩務員は胸にバンドを巻き痛みに耐えながらオジュウの世話に当たったという。
*59 なおこの中山大障害を勝ったニシノデイジー(血統表を見ると母方にセイウンスカイやニシノフラワーなどがいるという、馬主の西山茂行氏曰く「狂気の交配」「執念の血統」という血統の持ち主)、実はオジュウチョウサンのGⅠ初勝利となった2016年中山グランドジャンプの2日後に生まれた馬であり、世代交代を印象付ける結果となった。
*60 バローネターフより前は1968年のフジノオー(中山大障害4連覇の他、日本競馬史上唯一の海外の障害重賞競走を勝利した名馬)、1978年のグランドマーチス(中山大障害4連覇・京都大障害(現京都ジャンプステークス及び京都ハイジャンプ)3連覇を成し遂げ、障害競走馬として2022年現在唯一顕彰馬に選出)。
*61 2016~2018年及び2021〜2022年。
*62 中山グランドジャンプ6勝(2016年から2020年までの5連覇及び2022年)、中山大障害3勝(2016年・2017年の2連覇及び2021年)。
*63 メジロ牧場解散直前の最後の産駒
*64 騎手は無事だったもののラフィキは第3頚椎骨折で即死
*65 被害(?)猫のホッケも、迷惑そうな顔しながら律儀に戻ってはエタリオウの鼻面に身体を摺り寄せる等まんざらでもなさそうなのが不思議である
*66 凱旋門賞は3週間前から内枠に仮柵を設けて前哨戦を行い、本番でこれを取り払うため「内枠絶対有利」である
*67 特に蹄球炎に至っては2週間で治癒した上に42日後の春天で京都淀の坂手前からスパートして1着の狂気の騎乗ですら異常がなかった。
*68 競走馬の繁殖において全兄弟は基本的に同一の血統として扱われる。この場合は父方の祖母と母方の祖父が全兄妹なので、血統上は同じ馬の2×2と見なされる。
*69 イギリスで修行を積んだため、英語が堪能。
*70 参考までに、ドチビで有名な先祖のノーザンテーストが15.3hand(約155cm)、ドリームジャーニーが158cm、「小柄だが脚が長い」と言われたディープインパクトが164cm、大柄で有名なスペシャルウィークとゴールドシップが168cm、キタサンブラックが172cmである。

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