登録日:2022/04/26 Tue 02:13:10
更新日:2024/06/18 Tue 13:36:31NEW!
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青海原を駆けた白い雲
―――ポニーキャニオン発売のDVDタイトルより
セイウンスカイとは日本の元競走馬、種牡馬。
1998年のクラシック世代の一角として実力を表していた競走馬のうちの1頭。
『ウマ娘 プリティーダービー』におけるセイウンスカイはこちら→セイウンスカイ(ウマ娘 プリティーダービー)
◆もくじ
◆データ
父:シェリフズスター
母:シスターミル
母父:Mill George
誕生:1995年4月26日
死没:2011年8月16日
享年:16歳
調教師:保田一隆 (美浦)
馬主:西山茂行
生産者:西山牧場
産地:鵡川町
セリ取引価格:-
獲得賞金:6億1,028万円
通算成績:13戦7勝 [7-1-1-4]
主な勝鞍:98'皐月賞・菊花賞
◆誕生
彼は北海道の西山牧場にて生まれた。父シェリフズスター、母シスターミル。
生まれたは良いがいきなり問題が発生する。というのも父シェリフズスターの産駒が走らないという競走馬としては致命的な問題があった。
西山牧場も経営縮小の影響として産駒全てを売却処分しようとしたのだった。
生まれたばかりのセイウンスカイもその対象だったのだが、調教師の要望により3頭のうちの1頭として残ることになる。
ちなみに残りの2頭の内1頭は、1999年日経賞にて2着のセイウンエリア。
こうして残ったのは良いがまた問題が発生する。というのも元々栗東へ入厩予定だったのだが調教師が受け取りに来ないのだ。*1
どうしたものか……と思っていたものの、保田一隆氏がやってきてくれたことにより、彼が引き取ることになった。
なんやかんやあったものの、なんとかなって競走馬としての馬生を歩めることになったのがセイウンスカイだったのだ。
とはいえ、廃用になった種牡馬の産駒である。期待なんてされるはずもない。
しかし、 調教助手であった青柳義博氏はセイウンスカイの才能を感じたらしく、彼のことを「これは走る」と評した。
◆競走馬時代
デビュー戦は1998年の1月5日、1600mの中山マイル戦。この時の騎手は徳吉孝士氏。
当時血統の悪さと、不利ともいえる大外枠を引いたこともあって6頭中5番人気に甘んじることになる。
当然期待なんて……と思ったら。不利をものともせずになんと6馬身差もの差をつけ、期待を良い意味で裏切って1着。
続く同年の1月25日、2000mの中山中距離のジュニアカップでも逃げを打って先手を取り、そのまま5馬身差による圧勝を飾る。
これによりクラシックの有力候補の一頭へと名乗りを上げることになった。
しかしこれまた問題が発生。というのもこのジュニアカップにてゲート前で立ち止まっていたところにステッキで叩かれてしまい、それがゲート難に繋がってしまうことになる。
競走馬としてそうしたマイナス要素は後のレースに影響が出る。実際問題、何らかの影響で成績不振になる競走馬も数多いのだから。
その後は3月8日の弥生賞に出走。キングヘイローとスペシャルウィークとはここで初の顔合わせとなる。
得意の逃げを打ったセイウンスカイであり、そのまま後続を引きはがして逃げ切り……と思いきや後ろからやってきたスペシャルウィークに追いつかれて2着。キングヘイローは3着だった。
この年はスペシャルウィークやキングヘイローの3強を形成しただけでなく、後に話題となる海外からやってきたグラスワンダーやエルコンドルパサーといった競走馬もいて名だたるメンツ揃いの年となっていた。
そんな中で迎えたクラシック路線の1つの皐月賞。ここから騎手はノリさんこと横山典弘氏が務めることになる。
レースの中盤までは2番手につき様子をうかがっていたが、第4コーナーで先頭を奪うとそのまま加速。追いすがるスペシャルウィークやキングヘイロー相手に逃げ切り1着を飾った。
これにより西山牧場にとっても、そして騎手の横山氏にとっても初のクラシック戦勝利となった。
詳しい詳細は別項目があるのでこちら→1998年第58回皐月賞
何気に1990年生まれのビワハヤヒデでいったん途切れた『強い芦毛の競走馬』の再来にもなる。
続く日本ダービー。ここでは3番人気となる。
暴走したキングヘイローに2番手を譲るものの、その際にキングヘイローの騎手が振るった鞭が当たってしまい、最終直線で一度は先頭にたったものの、スペシャルウィークに差し切られて4着。
皐月賞の評価から一転、「もしかして距離長いと不利なんじゃ」と実力を疑われることになってしまった。
夏は西山牧場にて過ごした後、元々は天皇賞秋を見越していたが意見により菊花賞に向かうことになる。
前哨戦として選んだのは京都大賞典。これを選んだのにも理由があり、『もしも京都新聞杯でゲート再審査になったら菊花賞に間に合わないから』という理由。
ただ、その年の京都大賞典にはG1を優勝した古馬のメジロブライトやシルクジャスティスなどが何故か出走していて明らかに格上の相手。レースに出走したのは7頭のみとなり、セイウンスカイは4番人気となる。
こんな強敵がいるのにセイウンスカイはまたも裏切ってくれた。スタートから先手を奪って大逃げ、中盤では足を休めつつ逃げ続け、終盤に再加速してまた逃げ。
追いついてきたメジロブライトからも逃げ切って1着を勝ち取り、またもや評価を一転させた。
これも項目があるのでそちらを。→1998年第33回京都大賞典
無事迎えたクラシック最後の菊花賞。3000mの長距離を彼はいきなり先手を取ってまた大逃げ。
前例こそその年の数年前にあったものの、まさかの大逃げに「あれ?」と思った人は少なくはなかっただろう。
実際、中盤では大幅に速度を落としてしまい、後続に追いつかれることになる。「あぁやっぱり」。
……と思ったその時だった。
終盤。淀の坂から速度を上げると第4コーナーで大幅に加速。後続を全て置いていき、完全に逃げ切りを果たす。
逃げ切った逃げ切った! 38年ぶり、セイウンスカイ!
セイウンスカイ逃げ切った、横山典弘!
まさに今日の京都競馬場の上空とおんなじ、青空!!
京都の競馬場、今日は青空だ!
―――当時の実況者の杉本清アナウンサーの実況より
「逃げたら勝てない」とされている菊花賞を、他をも寄せ付けずに終始先頭キープ。第20回菊花賞でのハククラマ以来の快挙となり、そして3分03秒02ものタイムを出して当時のコースレコードをたたき出す。
このコースレコードは2006年の第67回菊花賞でのソングオブウインドがレコードを出すまで破られていなかった。
もっと詳しい詳細はこちら→1998年第59回菊花賞
完全な逃げ切りは「この先なかなかいないだろう」と思われていた……が、2021年の第82回菊花賞にてタイトルホルダーが達成している。そのため直接は関係のないセイウンスカイが同日Twitterでトレンド入りした。彼の魂を受け継いでる彼女が活躍している作品の影響もあるだろうけど……。
しかしここからライバル達が急激に強くなる。
同年有馬記念では1番人気となり、逃げをうったものの、グラスワンダーとメジロブライトの末脚に追いつけず4着。
翌年の天皇賞春ではスペシャルウィークに徹底マークされて追い抜かれ、京都大賞典にて打ち負かしたメジロブライトに並べず3着。
その後天皇賞秋ではゲート入りをごねたせいでいきなりスタミナを使ってしまったためか5着と、G1では1度も勝利することはなかった。
ただそれはG1内での話。
G2の日経賞では荒れた馬場にすら怯まずに果敢に逃げて2着に5馬身もの差をつけて1着。
札幌記念ではセイウンスカイに走りを任せたらまさかの差し戦法を見せつけて1着。
決して衰えたわけではなく、実力を十分に見せていた。
天皇賞秋にて屈腱炎を発症して、復帰となったのが約1年半後の天皇賞春。
セイウンスカイも7歳。そしてその年にはテイエムオペラオーやメイショウドトウもいる。
しかしセイウンスカイと横山騎手は果敢に逃げ戦法を取る。誰もが望んでいた、菊花賞以来の大逃げを魅せようとして。
……頑張ったはものの、終盤の第3コーナーで失速し、最下位。もうあの強さは年月の無情により抜けてしまっていた。
しかしファンは「またあの熱狂と感動を取り戻そうとした」
「3200mをどんな形であれ走り切った」として、彼らを讃えた。
レース後にまた屈腱炎が発症したため、引退を発表。
こうして彼はターフを去る事となった。
◆引退後
引退し、アロースタッドで種牡馬入りした(2007年からは西山牧場に戻る)…は良いが、またまた問題が発生する。
引退するタイミングを見誤り*2同世代だけでなく後輩世代ともかち合うことになった事と、父の血統の悪さもあって交配相手がなかなか見つからず、見つかったとしても戦績が乏しいこともあって直系が途絶えてしまっている。
当時はスペシャルウィークらサンデーサイレンス系の氾濫から「非サンデー系種牡馬」が求められ始めてエルコンドルパサーやグラスワンダーが人気を博しており、せめてもう少し成績が良ければそれに続く可能性もあった…かも知れない。なお同年代のキングヘイローはこれと真逆の理由(程よい時期に引退したお手頃な種付け料の良血非サンデー系種牡馬)で成功している。
一時は障害競走用の種牡馬として欧州への輸出の話も持ち上がったが、産駒の1頭であるニシノプライドが中央で勝利を挙げ、その後平地オープンまで勝ち上がった事もあって輸出は取りやめとなり、日本で引き続き種牡馬生活を送ることになった。*3
西山親子にとっても横山氏にとっても、そしてファンにも思い入れのあるセイウンスカイの血筋を何とかして残したい。
そこで西山茂行氏が目を付けたのが、かつて桜花賞・スプリンターズステークス等を制した西山牧場の看板牝馬ニシノフラワー。
ダンシングブレーヴ・タイキシャトル等人気馬を種付けしていた彼女にG1馬だが微妙な血統のスカイと言う交配は、茂行氏も自身のブログで「逆玉の輿」「狂気の配合」と称していた。こうして2003年に生まれた牝馬・ニシノミライは戦績こそ6戦0勝だったものの、繁殖牝馬として2頭の後継牝馬を残し、その血は2022年現在も伝わっている。
そして2022年末には、ニシノミライの孫息子(セイウンスカイとニシノフラワーの曾孫)・ニシノデイジーが中山大障害を制覇。ライバルたちから大きく遅れてしまったものの、彼も子孫からG1馬を輩出することができた。
同年代の彼らには大幅に遅れを取る形となってはいるものの、あの日誰もが夢見た「5頭の同時対決」が、彼らの血筋を受け継ぐ競走馬によって実現することは決して夢ではない。とくに2019年の皐月賞では上述のニシノデイジー・スペシャルウィークを母父に持つサートゥルナーリア・エルコンドルパサーを母母父にもつブレイキングドーン・グラスワンダー直系のクリノガウディーが一同に会しており、ここにキングヘイローの血を持つ馬が加わっての決戦も十分あり得るところまで来ているのだ。
2011年8月16日、心臓発作によりセイウンスカイはこの世を去ることになる*4。お墓は西山牧場に建てられ、2020年2月に老衰で亡くなったニシノフラワーのお墓も隣に建っている。
きっと青い空と白い雲の向こう側で、彼女と共に西山牧場を見守っていることだろう。
青雲の空を 駆け抜けた稲妻よ 永遠なれ
―――西山牧場のセイウンスカイの墓石に刻まれた碑文より
◆総評
成績は13戦7勝。
クラシック二冠馬であるが同期の芝王道路線にスペシャルウィークやグラスワンダー、エルコンドルパサーもいるため*5、どうしても「強い」とは言えない。
しかしラストランの2001年の天皇賞春まで一度も掲示板を外さなかったことから決して「弱い」とも言えない。
無名の血統、ドラマある出生、鮮やかな逃げ切りと、話題性も有り古馬までは世代の代表とさえ言える存在だった。
圧倒的な強さではないが、強豪相手にも逃げを打てる力は十分にある、なんだったら別の戦法でも走れる等、実力ならば確かにある。
横山騎手もその強さを十分に引き出してくれたため、互いに良き関係ともいえるだろう。
札幌記念での差しのように頭こそ非常に良いものの、どちらかというと気分で走るタイプだったこと、
逆にその頭の良さが弱点になって「誰かが強いと分かるとすぐ諦めて走るのをやめようとする」など、精神面はあまりよくなかった。
そして先入観を持ってしまったがゆえにゲート難を抱えていたことも欠点となっただろう。これに限っては上述したようにセイウンスカイが悪いわけではないのだが……
こんなだが、3歳時には気性が荒い一面をみせたこともあった模様。
◆創作作品への登場
スペシャルウィークの同期代表として度々登場。
京都大賞典や菊花賞と同時期漫画が雑誌廃刊に巻き込まれ連載休止していたため、最大の見せ場が描写されない不運はあったものの、
自分と同じく父親が悲惨な状況にあったキングヘイローに発破をかけたり、成績低迷の原因を父親の供養が足りないせいと思い込むなど、父親への感情がやや重めに描かれている。腹黒キャラのスペシャルウィークや気弱キャラのキングヘイローに比べて他に持ちネタが無いとも言う。99年末には酒「青雲」を抱えて酒っぽい名前の牝達と酒盛りしてたけど。
- 『優駿劇場』
第65回日本ダービー回でスペシャルウィークのライバルとして登場。
キングヘイローの暴走にも動じず、レース中に笑いながら手前を変える余裕を見せて周囲を幻惑する。
しかし同じく力を温存していたスペシャルウィークに最終直線で引き離されてしまい、3強の意地で2着を狙うもスペシャルウィークをマークしていたボールドエンペラーとダイワスペリアーに差し切られて敗北する。その後来年もダービーを勝つと宣言したスペシャルウィークに「ボケッ ダービーに出られるのは一生に一回だッ」とツッコんだ
セイウンスカイも女の子化して登場している。
ネコと釣りとサボりをこよなく愛するのんびり屋で、番狂わせを好む策士。
いつもマイペースで飄々としているが、実はかなりの負けず嫌いでありレースでは卓越した逃げ脚を見せる。
同世代のスペシャルウィークやグラスワンダーら同期の4人も一緒に登場(後にツルマルツヨシも追加)しており、特に対極ともいえる存在のキングヘイローとの絡みが多い。
交配相手のニシノフラワーも一緒。一緒にいたり、見守っていたりすることも多い。因みにそちらの世界ではスカイのほうが年上。(というよりフラワーが年下)
また、アプリでは都度スカイのじいちゃんの話が出ているが、牧場を経営してたり釣りが趣味だったりと、明らかに西山正行氏が元と思われる人物もいる。
アニメ一期では主人公であるスペシャルウィークの序盤の壁。いわば中ボス。
アプリでは当初黄金世代組としては唯一サポカ及びライバル枠としての登場のみで育成対象になっていなかったが、2021年6月についに実装。
育成シナリオではクラシック路線での活躍のあと、才能で勝る同期達に苦戦を強いられながらも自分の理想となるレースを見つめ直していく姿が描かれる。
そうしたウマ娘の影響で改めてセイウンスカイに注目がなされるようになり、正行氏の息子で現在の西山牧場オーナー・西山茂行氏も比較的好意的に受け止めている。なんなら娘さんがトレーナーやってる。
茂行氏はウマ娘に詳しいわけではないものの、2022年4月に東京ドームに野球観戦で向かった際にウマ娘の広告でセイウンスカイを見かけたときには「お前、こんなところでもまだ活躍しているのか……」と思ったそうな。
◆余談
ファンから略称で呼ばれるときは、名前の中間をとって「ウンス」とも言われることも多々ある。
「セイウン」だと西山牧場の他の競走馬と一緒になっちゃうし、「スカイ」だけだと別の競走馬と混合してしまう可能性があるから。
上にさらっと書いてある通り、騎手のノリさんのお気に入りの競走馬でもある。
どれだけ思い入れがあるかといわれると、「セイウンスカイの長期休養中にライターに、彼が復活した際には彼の生涯の執筆をお願いする」「車の免許証を持っていなかった時に愛車の欄にセイウンスカイと書く」等。
なおセイウンスカイで唯一逃した三冠の1つの日本ダービーは11年後のロジユニヴァースにて果たすことになる。
またセイウンスカイの調教師だった保田一隆氏(現在は引退)は彼のことを「人生の宝物のような馬」とも称している。
菊花賞の大逃げを見た際も特に何の問題も思い浮かばなかった模様。
スカイの活躍で父シェリフズスターは結果的に二冠馬の父となったが、時すでに遅く多くの産駒達が処分されると同時に彼もまた種牡馬を廃用となり行方不明に。彼のその後に関しては…
- 廃用後売られた先でひっそりと殺処分された(廃用馬の類例や2020年の西山茂行氏のツイッター発言で「新馬戦後消息を問うも既に…(意訳)」なる証言が出た事等から。『馬なり1ハロン劇場』でもこの説を採用)
- 牧場から離れた後草競馬用に引き取られるも、調教について行けず実際に走る前に力尽きた(2005年の雑誌『サラブレ』より)もしくは調教により徐々に走れるようになった矢先、調教中に心不全で急死した(競馬専門ライター・花岡貴子氏のエッセイより)
と言う二つの説があるが、どちらの説にも決定的証拠がなく真相は不明。
今となっては、セイウンスカイが二冠を達成しても日の当たる場所にシェリフズスターが現れることは無かったという空しい現実があるのみである。
どんな相手にすらも立ち向かう雑草魂のある方、あるいはその魂を持つ競走馬に期待している方。追記・修正お願いします。
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▷ コメント欄
- そうか、今日は彼の誕生日だったか... -- 名無しさん (2022-04-26 08:21:43)
- あれ、4歳(現3歳)の有馬記念にはスペシャルウィークは出走してなかったはずだけど…メジロブライトと勘違いしたのかな? -- 名無しさん (2022-04-26 09:28:50)
- なんで最初の調教師は受け取りに来れなかったんだろう? -- 名無しさん (2022-04-27 07:42:29)
- 性格、脚質が逃げ向きだったのに、古馬になってから無理矢理戦法を差しにしたのがケチの付き始め。同期のスペやパサーの「長く伸びていく差し脚」や、グラスの「一瞬で撫で切るような差し脚」の前では、差し馬としての実力は明らかに劣ったのに。 -- 名無しさん (2022-05-28 20:15:08)
- ニシノデイジーが中山大障害を勝利。セイウンスカイの血はしっかりと輝いている。 -- 名無しさん (2022-12-24 15:24:15)
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*2 西山茂行氏も思うところはあったものの、同時に「(セイウンスカイが走りたいと訴えてるように見えたので)引退せず走らせればよかったのでは?」とも思っている。
*3 なおニシノプライドはオープンクラスで活躍を続けるも勝ち星を積み上げることが出来ず、障害競走に転向。しかし障害2戦目の未勝利戦レース中に転倒し、予後不良と診断された。
*4 なお公式には死因は心臓発作とされているが、茂行氏のブログでは「馬房で立ち上がろうとした際に頭部を強打して即死した(頭部打撲)」と書かれていることを付け加えておく。
*5 ついでに他にも同期にはマイル古馬G12つを征したエアジハード、中央ダートG12つを始めて同年に制したウイングアローもいた。
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