契約金ゼロ枠(プロ野球)

ページ名:契約金ゼロ枠_プロ野球_

登録日:2017/11/09 (木) 20:09:30
更新日:2024/02/15 Thu 13:45:48NEW!
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プロ野球 npb オリックス・ブルーウェーブ 無料 実験 賛否両論 節約 夢を諦めない ドラフト オリックス・バファローズ 契約金ゼロ枠 育成選手制度の先駆け 下位指名 契約金0円選手







僕は12年前、ドラフト8位でオリックスに入りました。


当時、契約金0という選手でした。


周りからも期待されず、2、3年で終わるだろうと言われてましたが、

12年間も出来たのは、沢山の方々の支えがあったからだと思います。






― 中島俊哉選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)
自身の引退セレモニーにて






契約金ゼロ枠*1とは、オリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)が実験的に行ったドラフト枠。


【解説】


プロ野球(というかプロスポーツ)では、チームへの入団が確定すれば契約金を支払うのが通例である。


ところが、契約内容や契約選手の意図などでは契約金を払わなくても良い。
この辺りの隙に目を付けたのが当時のオリックスだった。


2000年、オリックスは契約金を支払わないドラフト指名選手を作るという試みに踏み出す。
対象となるのは、プロのレベルに及ばないアマチュア選手達。
これは契約金を支払わない代わりに、一軍登録日数(10日)や出場試合などの条件を満たせば、後から契約金を支払うという方式であった。
また、契約完了時には一応道具支度金なども支払われた。


このような制度は中村勝広氏がGMに就任する前の2002年まで枠が設けられていた。



【指名選手】


2000年

順位指名選手出身ポジジョン備考
5位開田博勝三菱重工長崎外野手入団拒否
6位高見澤考史東京ガス外野手2003年に戦力外通告
7位北川智規横浜国立大投手2004年に戦力外通告
8位高橋浩司志度高捕手2005年に戦力外通告
9位庄司大介河合楽器外野手2002年に戦力外通告

2001年

順位指名選手出身ポジジョン備考
12位板倉康弘東農大生産学部外野手2003年に戦力外通告
13位深谷亮司河合楽器捕手2002年に戦力外通告
14位藤本博史元阿部企業、米独立リーグ捕手2003年に戦力外通告
CPBL公式戦出場者
15位橋本泰由箕島球友会投手2003年に戦力外通告

2002年

順位指名選手出身ポジジョン備考
7位塩屋大輔元ジョンズタン・ジョニーズ(米独立リーグ)投手→野手→投手テスト入団経由者
2005に戦力外通告
8位中島俊哉九州国際大外野手2014年に戦力外通告
契約金ゼロ枠としては生き残り最年長
契約金ゼロ枠初にして唯一のCS及び日本シリーズ出場者

指名選手の活躍


指名して入団した選手は10人で、一軍試合出場経験者は高見澤考史・北川智規・庄司大介・深谷亮司・塩屋大輔・中島俊哉。


比較的一軍実績のある選手は高見沢と中島辺りだろうか。
高見澤は天才バッターとして期待されるもケガであえなく引退。その後就職先のバッティングセンターを買い取り、第二の人生で成功している。


中島は2004年のオリックス・大阪近鉄の球団合併による分配ドラフトでオリックス側にプロテクトされず、新規球団・東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。
楽天では左キラーとして野村克也監督に重用され、また2012年には杉内俊哉の完全試合まであと1人というところで四球を選び達成を阻止した。その後2014年に引退、最も成功した選手といえるだろう。
この他一時期野手転向したもののすぐに投手に戻った塩屋もある種有名な選手だろうか。


その他の選手は殆ど試合に出ることもなくNPBから去っていったものの、藤本博史はその後も国内外の独立リーグや社会人野球の茨城ゴールデンゴールズでプレー。特にゴールデンゴールズ時代にネーミングライツを結んで付けた登録名「アミノバリュー藤本」は度々珍登録名としてネタにされるも、残した成績は台湾プロのものだけである。
また一部では元南海・ダイエーの同姓同名の選手(のちソフトバンク監督)との名前ネタも散見された。こちらの藤本も晩年にオリックスに所属していたのでよりややこしいことになっている。



【影響】


この試みは、当時のプロ野球ファンやNPB関係者の間で大きな賛否両論となった。


契約金ゼロの選手に対し、球団は即戦力枠として構想していたと言われる。
今でいう育成枠とは微妙に意図が異なり、この制度で獲得された選手の大半は大卒・社会人だった。


つまり、「若手だから」という理由である程度の猶予を貰える立場ではなかったのだ。
中には1年で戦力外通告を通知された選手も存在するという始末であった。
1年でクビという仕組みを「殆ど面倒も見ず投げ出した」「無責任な畜生行為」と見るか、「なるべく第二の人生の開始に配慮した」と見るべきか……。
そもそも契約金ゼロ枠選手は力量不足の選手が多いとされるため、即戦力扱いというのも変な話ではあった。


また、契約金を支払わないというシステムは球団の出費が少ない(特定条件で与えないといけないが、通常の出費よりは安く収まる)。
上記の即解雇もあって「球団側はリスクを犯さないで下手な鉄砲も数打ちゃ当たる理論を実践している」という感じで批判された。
実際な話、選手としての大成が見込みにくいドラフト下位指名に対する節約を兼ねていた可能性は高い。


最終的に契約金ゼロ枠に対して、2003年にGMに就任した中村は
本人にとってもチームにとってもメリットはない」と批判。
オリックスは結局この制度を廃止し、今日まで行っていない……今は育成選手制度もあるしね。
だが、オリックスは育成選手制度導入後も中村がGMを務めていた時期は育成指名に消極的だったことから、本制度との関連性を指摘する声もある。


ただし、一概に問題点ばかりが目立つ指名枠だったとは切り捨てられない。


後に育成選手制度という本契約の問題点を改善したかのような制度が誕生している。
これを見る限り、当時のオリックス側に一定の先見の明があったと言えなくもない。


また、良くも悪くもNPB入団へのハードルを下げたという点も否定できない。
「実力が足りなくても金なんかなくてもプロに入りたい」というアマチュア選手の期待に応えたのも確かである。
この制度で入団した庄司大介も、後々に自分の夢を叶えてくれた契約金ゼロ枠への批判を「心外」「育成制度と同じ」だと振り返っている。
中島俊哉も引退セレモニーで「自身をプロの世界に入れてくれた」とオリックス関係者へ感謝の言葉を残している。


現在この制度に関しては、メディアなどで紹介される際には「育成に近い形態」と表現されることが多い。
そして2023年に上述の高見澤の息子である高見澤郁魅が育成選手として横浜DeNAに指名された。契約金ゼロ枠選手の二世が後継とも言える育成選手制度の元でドラフト指名されたのも何かの縁かもしれない。



【余談】


本制度登場以前に、広島東洋カープ阪神タイガースに所属していた高橋顕法が、契約金無しで入団したというパターンがある。


また中日ドラゴンズに1995年ドラフト7位で指名された日笠雅人は、
入団交渉の際に「契約金は要りません」と公言した事で話題になった。
結局周囲からの説得もあって契約金を受け取ったのだが、
彼は中継ぎとして一軍でそこそこの成績を収めている。




追記・修正は契約金を1円も貰えなかった人にお願いします。


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  • 育成指名に対して消極的なのも中村負広氏の意向だろう、阪神も負広GMになってから育成指名をしてない(ただし育成落ちはある)) -- 名無しさん (2017-11-10 08:03:39)
  • 高見澤はケガさえなければ後藤尊ぐらいの選手になれてただろうね。第二の人生で成功してて良かったとは思うが。 -- 名無しさん (2018-11-02 19:21:49)

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*1 メディアによりこの呼び名は様々だが、本項目及び項目タイトルはこの名称で統一する。

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