野生のエルザ

ページ名:野生のエルザ

登録日:2016/07/22 (金) 10:57:15
更新日:2024/01/25 Thu 13:55:07NEW!
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エルザ ライオン アフリカ ケニア ベストセラー 野生のエルザ




野生のエルザとは、ジョイ・アダムソンによる実在のライオンと人間との絆を記録した感動のノンフィクション作品
ベストセラーとなったのち、映画化、ドラマ化された。
邦訳は藤原英司による『野生のエルザ ライオンを育てた母の記録』が文藝春秋新社から1962年に刊行された。



 自由に生まれた、風が吹くように自由に
 草が成長するように自由に
 あなたの心に従うように自由に生まれた


 自由に生きるそして美しいものがあなたを取り巻く
 世界はまだあなたを驚かせる
 あなたがひとつの星を見る毎に


 自由でいる、あなたを隔てる壁などない
 あなたは轟く潮のように自由
 だから隠れる必要なんてない・・・『Born Free』(野生のエルザ主題歌)



残された赤ちゃんライオンとの出会い

1956年2月のある朝、ケニアのある村で洗濯中の女性がライオンに食い殺されるという事件が起きた。
襲った人食いライオンは付近の丘陵地帯を住み処にしているという。
狩猟監視員であったジョージは密猟者を取り締まったり、人を襲う猛獣から原住民を守るのが仕事であった。


ジョージはさっそく人食いライオンの退治に出かける事になった。ライオンが潜む岩場あたりにいくと、ライオンのうなり声が聞こえてきた。
次の瞬間、オスのライオンがいきなり襲ってきた。
ジョージはライフルで狙いをつけると即座に射殺、その後すぐに飛び出して来たメスのライオンも射殺した。


ところが、ライオンの巣をのぞいたジョージは驚いた。中には生後数週間の3匹の赤ちゃんライオンがいたのだ。
もしかすると、母親ライオンは子供を守るために襲ってきたのだろうか。
ジョージは、このまま放っておけばライオンの子供は生きていけないと思って連れ帰る事にした。


帰ったジョージは妻のジョイに言った。何かと思って見るとそこには赤ちゃんライオンが3匹いる。
「まあ!かわいい!」ジョイはたちまち赤ちゃんライオンに夢中になった。ネコより一回り大きいぐらいでとても百獣の王の子供とは思えないほどの愛らしさである。
赤ちゃんライオンは腹を空かせて「ミャーミャー」と鳴き声をあげている。乳が飲みたいのだが、母親はもう死んでしまった事を知らないのだ。
ところが、赤ちゃんライオンはミルクを出しても受け付けない。哺乳びんを近づけても飲もうとさえしないのである。
乳を飲まない子ライオンは衰弱してゆく。箱の中でうごめく赤ちゃんライオンは次第に元気がなくなってゆくのがわかった。


このままでは死んでしまうと考えた夫妻は、徹夜で必死の努力を重ねた。
吸う行為を知らないからだと思ったジョージが手を乳でベタベタにしてまずなめさせる事を思いついた。
ジョイがやってみると、まず一番小さい赤ちゃんライオンがなめ始めた。それを見習うように他のライオンの子供も彼女の手にしゃぶりつく。
しゃぶるこつを覚えたライオンは、今度は哺乳ビンから「チュウチュウ」と勢いよく吸いはじめたのだった。



エルザとの生活

それからは夫妻と3匹のライオンとの生活がはじまった。
3匹のライオンは「ビッグ・ワン」(Big One) と、「ラスティカ」(Lustica)、そして一番小さいのが「エルザ」(Elsa)と名付けられた。
やがて3匹の子供たちが大きくなるにつれて、夫妻は途方に暮れてしまった。
洗濯物は泥だらけにされ、噛んでボロボロにされてしまうし、家具の類いは壊されるし、家の中が無茶苦茶にされるのである。
召使いたちが大声をあげて追い回すが、彼らのいたずらはますます激しくなるだけで、いっこうに事態は改善しない。


このままでは仕事にも支障が出かねない。相談のうえ、オランダのロッテルダム動物園に引き取ってもらう事になった。
別れの日、ライオンたちの乗った飛行機を見送るジョイはゆううつそのものだった。彼女は今にも泣き出しそうである。
帰りの道中でも、ジョイは悲しみに打ちひしがれ、一言も口を聞く事はなかった。
ところが、急に首筋のあたりを後ろからペロペロなめられてジョイは驚いた。
「グルグル・・・」つづいてのどを鳴らすなじみのある声が聞こえて来た。
振り返ったジョイは目をまん丸にして驚いた。飛行機で行ったはずのエルザがいるではないか。


妻の落胆ぶりをみかねたジョージは、妻の一番かわいがっていたエルザを残しておいたのだった。


エルザは食事の際も、いつも他の二匹につまはじきにされ、見かねたジョイが自分のひざの上で食事をさせる事が多かった。
エルザは食事が終わってからも、膝の上でジョイの親指をくわえて吸いながら、目をつむったまま両手で母親の乳房を揉むしぐさをくりかえしていた。
ジョイはそんな時のエルザを不憫に思い、いつまでもエルザの背中をなぜながら優しく膝に抱いていたという。


これ以後、エルザは、ふたりの愛情をひとりじめにしてすくすくと育っていった。いっしょのベッドに寝たり、海水浴にいったり、どこに行くのも一緒だった。
好奇心の旺盛なエルザは木の枝からタイヤを吊るしておくと、ひとりで一日中でも遊んでいた。
また、はじめて見るにもすぐになれた。最初はジョイに引かれておそるおそる海水の中に入っていくが、もう一時間後にはバシャバシャと勢いよく泳いでいく。
片方にはジョイが背泳ぎをして、もう片方にはジョージが平泳ぎをしている。その真ん中をエルザが懸命に泳ぐのだが、その恰好がなんともユーモラスなのだ。


砂浜でジョージがボールを投げると、エルザがそれを追いかけてジョイに渡す。
ジョイがボールを投げるとエルザがボールをジョージに渡す。
それが何回もくり返される。
一見、なんでもないボール遊びのようだが、深い愛情に包まれた永遠に戻る事のない貴重な時間がゆっくり経過してゆく。



野生への荒療法

エルザが2歳になったとき、発情期を迎えつつあった。ジョイは考え抜いた末、エルザを野生に帰そうと決心した。
しかし、小さな獲物一匹捕まえられないエルザは本当に野生に帰って行けるのだろうか?
野生に戻すために、当局からもらった期間は3ヶ月。その間に、狩りをして獲物を捕らえる練習をしなければならない。
それが出来なければ、群れには入れてもらえないだろう。


こうしてエルザにとって大変な道のりが始まった。
ところが、3ヶ月をすぎても、エルザはまだ野生の動物を捕まえる事もできなかった。できないどころか、小さなイノシシに反撃されて逃げ帰ってくる始末だ。
これでは厳しい野生の世界では生きていけない。


こうなれば荒療法をするしかない。エルザを一週間ほど突き放してみるのだ。
何も知らないエルザを置き去りにするのは悔やまれたが、どうしょうもない。大草原の真ん中にエルザを残したまま、トラックは全速で遠ざかっていった。
エルザの姿がどんどんと小さくなって遠ざかってゆく。ジョイにとって後ろ髪をひかれる思いである。彼女はエルザの方を何度も何度もふり返った。


夫妻が一週間ぶりに来てみると、そこに見たものは飢え死に寸前の哀れなエルザの姿であった。
これでは、野生に帰しても獲物を捕まえられないばかりか、生き延びる事すらできないだろう。
そのうちエルザは病気になった。リンパ腺が腫れてひどい熱を出したのだ。症状はかなりひどくエルザは高熱のためにあえぎながらぐったりと横たわっている。
ときどき目を開けると、ジョイにずっとそばにいて欲しいという目つきで見つめ続けるのであった。


一時は死にかけたエルザだったが、ジョイの祈りが通じたのか、次第に元気になり始めた。
病気の原因はわからない。ただ言える事は不順な気候となれない土地がエルザの体質と合わないという事だった。
母乳を飲んでいない為、さまざまな病気を媒介するダニやハエなどの虫害に対してもエルザに免疫力がないのも事実なのだ。
夫妻は考えたあげく、訓練の場所をエルザが生まれた場所に変える事にした。
ここだと一年中、水があり、食料とする獣に不足する事なく、悪い密猟者もいないであろう。



別れのとき

こうしてふたたび野生にもどす特訓が始まった。しかし、この頃からエルザはこれまでの失敗を教訓に少しづつ野生に目覚めはじめていた。
10日ほどたったある日、草原で一頭のイボイノシシを見つけたエルザは、身を潜ませて獲物に近づき、飛びかかっていったのだ。
逃げてゆくイボイノシシをエルザは全速力で追いかけてゆく。 そのうちエルザはイボイノシシに追いつき、襲いかかって見事仕留める事ができた。
とうとう狩りに成功したのである。エルザは、ついに自ら狩りをして獲物を捕らえる事が出来たのだった。


ある日の事、エルザはいつもとちがって夫妻と一緒に散歩にいくのを嫌がるようになった。
エルザにとって日課になっているジョイとの散歩は一番楽しみに満ちた時間のはずである。
そして夕方にはどこかに出て行ってしまいその夜は帰って来なかった。


翌朝、帰って来たエルザはどうもいつもとちがう。どこか心が奪われているといったふうなのである。
エルザの身体からは蜂蜜のような発情期特有の甘い香りがプンプンしている。
こうして、エルザはキャンプに帰って来たり来なかったりを何度かくりかえすようになった。エルザに恋人が出来たのは明らかであった。
ジョイは出来ればエルザの選んだ相手を見てみたかったが、今はそっとしておく事にした。
しかし、この場所でキャンプできる時間もあと少ししか残されていない。とうとう引き上げねばならない日が来た。
ジョージたちはキャンプをたたむとクルマで移動していった。


そのときジョイはエルザを連れ出して川のほとりで相手をしている最中であった。
せめて、キャンプをせわしなくたたむところをエルザに見せたくなかったのだ。
しかし、勘のいいエルザはいつもとちがう雰囲気を察知していたようだ。
ジョイは平静を装ってはいたが、心の中はすっかり転倒していた。これからわき起こるであろう寂しさとどうつきあえばいいのだろう。
エルザは何もかも知っているようになめらかな身体をすり寄せてくる。
目の前の川は何事もなく静かに流れている。何もかも時間が止まったようだ。そして、本当にそうなればいいのにとジョイは思う。


「わたしのエルザ・・・」ジョイはエルザの首を思いっきり抱くと思わず口にする。
ジョイは楽しかったエルザとの3年間をふりかえっていた。これからエルザは自然の世界に帰っていき、わたしは人間の世界に帰ってゆくのだ。


今までの心のつながりをこれから先もエルザは覚えていてくれるのだろうか?
飢えで困りはしないだろうか?
病気になりはしないだろうか?
ここに置き去りにするのもあなたへの愛情である事を知ってくれるだろうか?


ジョイの頭の中では次から次へとこうした心配が浮かんで来るのを止めようがなかった。


ジョージの使いがやって来た。いよいよ、お別れだ。
ジョイはエルザをアシの茂みに連れて行くと肉の固まりを置く。エルザが安心して食べ始める。
ジョイはエルザのほほに口づけすると、そっと足音を立てずにその場を離れていった・・・



エルザとの再会

こうして、エルザは生まれた故郷に帰っていった。それからどれくらい月日が流れたであろうか?


その後、エルザとの再会を願って、夫妻が休暇を利用して一週間ほどエルザのいる場所でキャンプを張った事がある。
エルザはうまく自然に慣れ親しんでいるのだろうか?
元気でいるだろうか?
ジョイのエルザを思う気持ちは不安に近いものばかりだ。
「エルーザ!エルーザ!」大声で呼ぶが返事はない。木々のざわめく音と鳥のはばたく音だけが聞こえてくるだけだ。本当にこの場所に彼女がいるのだろうか?
しかし、会いたい気持ちとはうらはらに、時間はむなしく過ぎ去ってゆく。とうとう最後の日が来てしまった。
やはりエルザは遠くに行ってしまったのだろうか?
もう会えないのだろうか?
ジョイは沈痛な思いでキャンプをたたむ準備をはじめた。ジョージも無言のままだ。そのとき、遠くでライオンの声が聞こえたような気がした。
テントから飛び出した夫妻は声のする方角に目をやった。すると、遠くの茂みから一頭のメスライオンがやってくるのが見えた。
その後からは生まれたばかりの子供がよちよちとついてくる。
エルザだ!
エルザが自分の子供たちをジョイとジョージにみせるためにつれてきたのだ。
エルザの不意の訪問に夫妻は喜びのあまり、歓声をあげてエルザを抱きしめた。


「お帰り、エルザ!」「これがエルザの子供たちなの?」ジョイはエルザの子供たちを抱き上げてはほおずりした。


エルザは以前と同様に、夫妻に対して親愛の情を示した。


エルザの子供は3匹いた。どの子も無邪気にその辺をよちよちと歩いたり、エルザの回りを飛び跳ねたりしている。
その様子はエルザが小さかったときにそっくりだ。エルザは満足気に子供たちを見下ろしている。
夫妻はエルザの子ライオンに、オスの2頭はジェスパ(Jespah)、ゴパ(Gopa)、そしてメスにはリトル・エルザ(Little Elsa)と名づけた。


しかし楽しいひとときは一瞬に過ぎ去っていく。やがて夕方になり、別れのときが近づいてきた。
ジョイはエルザの目を見つめると思いっきり抱きしめた。エルザもジョイとジョージに飛びついて大きな体を預けてくる。
よちよち歩きだったエルザ、それがいつのまにかこんなに重たくなって・・・


夕日のさす中、子供たちをつれて帰っていくエルザの後ろ姿を見て夫妻の心は感慨無量であった。
エルザはみごと野生にもどり、立派な母親になったのである。


ジョイの頭の中では、これまでのエルザとの思い出が走馬灯のように駆けめぐっていた。
まだ目も見えず膝のうえで母親の乳房をひたすら捜し求めていたころのエルザの姿が脳裏に浮かんだジョイは、あふれ出る涙をぬぐおうともせず、
遠ざかってゆくライオンの親子をひたすら見つめつづけるのだった。


エルザは野生にもどった。自由を手に入れた。


喜びと誇りでいっぱいだろう。きっと・・・



永遠のエルザ

その後、夫妻とエルザの心の交流を描いた記録「野生のエルザ」は出版と同時に大ベストセラーとなった。
おそらく世界中で5千万人もの人たちが読んだと推定されている。
夫妻はこの印税でエルザ野生動物基金をつくり、野生動物の保護のために全力をいれた。


エルザはその二年後、ネコ科の動物がしばしば感染するという恐ろしい病気にかかり*1、最後は眠るように息をひきとったという。
2月6日の夜明けの事だった。の瞬間にエルザのそばにいてあげられなかったジョイはその事で長年思いわずらう事になった。


夫妻はエルザの遺骸を彼女が生まれ育ったメルー国立公園内に埋葬する事にした。


エルザの死後、遺された3頭の子ライオンはアダムソン夫妻を含めた全ての人間との接触を嫌うようになった。
3頭は捕獲されて、ケニアの隣国タンガニーカ(現在のタンザニア)にあるセレンゲティに移送された。
夫妻はたびたびセレンゲティを訪れた。最初の頃は3頭に会う事もできたが、その後姿を見かける事もなくなった。
それでも夫妻は、エルザの子供たちとその子孫がセレンゲティで生き抜いている事に期待を持っていた。



悲報

1980年1月、世界を衝撃の報道が駆け抜けた。
ナチュラリストとしてケニアで北部国境管理人である夫と暮らしていたジョイがライオンに食い殺されたというのである。


ライオンの家族との間に種族を超えた絆を築いた彼女が、よもや親しい友人でもあるライオンの牙に倒れるとは!
死と隣り合わせの環境でなお野生動物とも交流を諦めなかった彼女の死に深い同情と哀悼が全世界から寄せられた。


しかし、事件は間もなく意外な展開を見せ始めた。
ライオンに食い殺されたというのは偽装であり、冤罪であった。彼女はかつての使用人3人によって金目当てに殺害されていたのである。


彼女の死体は首都ナイロビの北270kmほどの動物保護区で発見された。


肩や胸には動物の爪痕と思われる傷が皮膚を切り裂いており、最初に発見したモーソンはてっきりライオンに殺されたと誤解したのだ。
しかしそんな稚拙な偽装は検死の結果あっさりと見破られた。
同じころ彼女のキャンプが物盗りにあらされていた事も判明し、警察はこれを強盗殺人事件であると断定した。
やがて3人の犯人が逮捕されるが、彼らはいずれもジョイに使用人として使われていた事がある若者であった。


そのため下世話なタブロイド誌は彼女が黒人である彼らに対して高慢で見下していたなどという報道を煽ったが、現地に残る使用人たちの証言はそれを明確に否定している。
そして、この痛ましい事件より9年後、今度は夫のジョンが密猟者によって射殺されている。


近年では殺人犯として逮捕されたポール・エカイが真犯人は第一発見者であるモーソンであるとして再審請求をしており、白人であるモーソンの証言を警察はうのみにしすぎであると主張した。
過酷な環境に加え貧困と差別が横行するアフリカの大地は我々のような現代人にはあまりにも厳しい。
しかしそれでも毅然としてライオンに向きあったジョイの偉業は、今後も決して色あせる事はないだろう。


ただ、ジョイがライオンに食い殺されたという報道が当初あっさり受け入れられたのにはわけがある。
実はアフリカでは21世紀の現在でも毎年大量の人間がライオンに食い殺されている。


1898年に発生したツァボの人食いライオンではウガンダの鉄道橋建設工事現場に現れた2頭のライオンによって最大級の被害が出ている。
21世紀の2004年になっても、タンザニアで最低でも35人の人間を食い殺したと言われているライオンが射殺されている。


また日本人女優松島トモ子(初代弓さやか)は、ジョイの死後彼女の夫の元に取材に来た時ライオンに襲われ怪我をしている(さらにその後豹にも襲われ瀕死の重傷を負った)。


ライオンの性質が悪いのは、ライオンは牡1頭がハーレムを形成して家族が群れとなって行動しているが、1頭が人間の味を覚えると群れ全体で人間を食う事を覚える事だという。
サンガの人食いライオンでは総勢17頭の群れが全て人食いライオンと化し、もっとも多く人を食い殺した1頭は最低でも84人を食い殺したと言われている。
エチオピア警察は2005年9月に8月1ケ月分の被害状況を調査し、住民20名がライオンに食い殺され10名が負傷、牛70頭が被害にあったと発表している。


いまもなお、干ばつなどで食糧が少なくなったライオンの群れは容易く村を襲い、子供や老人のような体力の少ないものから犠牲になっていく。
アフリカに住む人間にとって猛獣の危険は我々の自動車事故のように身近な存在なのである。


幼獣の頃から飼い慣らされたライオンであれば人を襲うリスクは皆無でこそないが総じて低く、エルザのような愛すべき「大きなネコ」となり得る。
しかしライオンとは本来猛獣であり、エルザのような存在はほんの一握りであることを決して忘れてはいけない。



余談

日本語では「エルザ」の読みが定着しているが、英語での通常の読みは「エルサ」であり、後に作られた映画やTVドラマでは「エルサ」と呼ばれている。
エルザとその子供たちについては、ジョイが『野生のエルザ』(Born Free、1960年)に続いて発表した『Living Free』(1961年)に記述されている。


ドラえもんの映画第1作「ドラえもん のび太の恐竜」の元となった「のび太の恐竜」(単行本10巻)は、この『野生のエルザ』を読んで感銘を受けた藤子・F・不二雄が、その感動をドラえもんで再現できないかと思い立って描いた一編である。



自由に生きる、そして追記・修正も自由



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  • いい話なのに、後日談が胸糞悪すぎる -- 名無しさん (2016-07-22 13:17:17)
  • D-LIVEの記事かと想ったら、これカラ取ったんだな -- 名無しさん (2016-07-22 13:29:26)
  • 獣害の人の守備範囲広いなぁ -- 名無しさん (2016-07-22 13:46:37)
  • ↑1 いや~、そろそろネタ切れです・・・w -- 名無しさん (2016-07-23 19:24:10)
  • ターちゃんや奇面組にも元にした話があったね -- 名無しさん (2016-07-23 20:32:08)
  • 主題歌がボーンフリーだって⁈恐竜保護しなきゃ!!! -- 名無しさん (2016-07-24 00:31:31)
  • 最初の2匹は元気かな -- 名無しさん (2019-06-19 20:52:06)

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*1 マラリアに類似した性質を持つバベシア症が引き起こす感染症に罹患し、赤血球を破壊された。

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