登録日:2018/02/20 Tue 16:12:00
更新日:2024/02/19 Mon 11:47:05NEW!
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英国面 戦車 軍事 兵器 変態兵器 すべてはここから始まった タンク 第一次世界大戦 変態兵器 ←当時は マークⅰ mk.ⅰ markⅰ 菱形戦車
1916年9月15日の早朝、朝霧に包まれたフランス北部ピカルディ地方のソンム。
見渡す限りの泥の海の中、塹壕に籠り前方を伺うドイツ軍兵士たちの耳に聞き慣れない音が響いてきた。
鉄が軋むようなその音は明らかにこちらに近づいてくるが、彼らはそれが意味するところを理解できなかった。
何故なら、戦車が戦場に姿を現したのはその時が人類史上初めてだったからだ。
◇開発経緯
1914年に始まった第一次世界大戦は世界で初めて機械化された大量殺戮兵器が大規模に使われた戦争でもあった。
空では戦闘機や爆撃機が大空を舞い、海では大型戦艦や潜水艦が砲火を交え、そして陸では地獄の塹壕戦が行われていた。
塹壕というのは説明するまでもないだろうが、要は兵士が隠れるための溝や穴である。
その起源は紀元前まで遡るとされ、それそのものは別段新しくも無いものだが、
兵器や戦術の発達と、鉄道網を活用した近代的な補給や増援システムの整備が塹壕に強力な防御力を与えていた。
銃撃と砲撃を避けるために彼我双方は延々と塹壕を掘りまくり、敵の接近を阻害する有刺鉄線を張り巡らせた。
生身の兵士がそんな塹壕を突破しようと突撃しようものなら、備え付けられた機関銃でたちまち大損害を受けてしまうのだ。
敵陣突破が十八番の騎兵で突っ込もうが馬ごと粉砕されてしまう。
装甲車で突入しようにも、砲撃で抉られクレーターだらけになった泥濘の不整地を四輪車で走る事はおろか、塹壕を越えるのは不可能。
機関銃は日露戦争でその威力の片鱗を示していたが、より本格的に機関銃が使われた第一次世界大戦は、別名マシンガン・ウォーとも呼ばれているとか。
上記の理由により塹壕戦は防衛側が決定的有利であるため、攻める度に膨大な死者が生産され、そして戦局が中々変動しない膠着状態が生まれてしまった。開戦当初は数ヶ月で終わると言われていた戦争はいつ終わるかすら誰も分からない長期戦に突入した。
この塹壕戦による膨大な数の死傷者と終りが見えない状況に各国は頭を悩ませていたが、ドイツ軍は前線の隙間から短機関銃や火炎放射器といった近距離で制圧能力の高い武器を装備した少人数編成の部隊を浸透させ、総攻撃の露払いとする浸透戦術を考案する。
……が、防御陣地の正面突破を重視していたイギリスは全く別の方法を考えたのだ。
ヨーロッパの塹壕戦の現状を視察したイギリス防衛委員会のアーネスト・スウィントン陸軍中佐は、
「(当時の)SF小説に登場する陸上軍艦があればなぁ…」
と考えた。そしてある日、泥の不整地の中をホルト社(現キャタピラー社)の装軌式のトラクターが大砲を難なく牽引してるを見て閃いた。
このトラクターに大砲乗っけて装甲を張ろう!そうすると正に陸上軍艦ではないか!
と。彼は早速陸軍にこの案を提出するが、
陸軍「そんなもの敵の砲兵の的になるだけだろう」
と一蹴してしまった。
だが時の海軍大臣のウィンストン・チャーチルは、この案に大いなる興味を見せた。
彼はヨーロッパに進出した海軍航空隊の飛行場警備に装甲車が大活躍していることを知っていたため、装甲車両の重要性を理解していたのだ。
そこで、時のアキシス首相にこの案を提案すると、自軍の死傷者の多さに腐心していた彼も賛同し、後に世界初の戦車を生み出すことになる陸上軍艦開発計画が正式に発動した。
つまり、戦車は海軍によって開発されたといっても過言ではないのだ。
チャーチルがいなかったら戦車の歴史もまた違っていたかもしれない。
◇開発
この新兵器に求められたのは
- 不整地でも走行でき、なおかつ塹壕を越えることができる機動力
- 敵の銃撃を跳ね返す装甲
- 敵の機関銃や野砲を破壊する榴弾砲を備えていること
である。
最初の試作車は1915年に完成し、リトル・ウィリーと名付けられた。
この車両は単純明解、キャタピラの上に鉄の箱を乗せたような見た目だった。装甲厚は10mm、速度は3km/hと徒歩と同程度の速度。
1915年末に走行試験が行われたが、その見た目ゆえに重心が高く、肝心の不整地の走破能力や、塹壕を乗り越える超壕力がどうにも不足気味*1で、兵器として使える代物ではなかった。
どうしたものか……と考えられた結果、次に試作された車両のビッグ・ウィリーは、横から見ると菱形をしており、その車体側面全体にキャタピラを回すことで超壕力を向上させた。
これで我々が知る菱形戦車の形になった。
早速陸軍に御披露目すると、軍の要求性能をクリアし「Mk.I」の名称で制式に採用された。
実用戦車の始祖であるこの試作車は、いつしか「マザー」の愛称で呼ばれることになる。
◇車体構造
世界初の戦車ということだけあり、現代の戦車とは構造が大きくかけ離れている。
この戦車は車体中央部に105馬力のエンジンをドン!と置き、その左右の張り出しに57㎜砲を配置させていた。
当時のエンジンは信頼性が低く、稼働中もメンテナンスを施す必要があったからだ。
しかしその結果、乗員はエンジンから発せられる騒音、高熱、排気に苦しめられた。その上足を滑らせるとあっつあつのエンジンに突っ込むこともあったらしい。
もちろん排気は車外に排出される設計になってはいたが、車内への漏洩も多く、銃撃や砲撃による硝煙も車内に充満し、車内環境は文字どおり最悪だったようだ。
更にはサスペンションが装備されておらず、激しく揺れる車内で乗員は体力を消耗した。
この過酷な環境に耐えられる時間が、この戦車の戦闘行動可能時間を決める主因となっていたほどである。
装甲板はボイラー用鋼材であり、鉄鋼弾*2を使用すればライフルでも貫通させることが可能だった。
操縦には必要な人数は車長を兼ねるブレーキ手、速度を変える変速機手、左右のキャタピラそれぞれを操作する人員の計4人!
だが騒音がひどすぎて車長の指示が行き渡らないことも多々あったらしい。
そして何よりこの車体そのものの信頼性があまりにも低かった。
最初に述べた通りこの戦車の初陣はフランスのソンムの戦い。
当初はマークIを60両投入する予定だったが、輸送中のトラブルや移動中の故障で脱落する車両が相次ぎ、用意されたのは49両。この内稼働可能なのはわずか18輌のみ!
そしていざ進軍すると、エンジントラブルを起こしたり砲撃のクレーターに落っこちて故障したりとまたトラブルが相次ぎ、ドイツ軍の陣地に突撃できたのは9輌にすぎない。
この事からもこの戦車の信頼性の低さがおわかりいただけるだろう。
当初は数が揃ってから投入するはずだったが、あまりの死傷者の多さに待ってられず、集められるだけかき集めて投入した結果である。まあ、戦時中じゃよくある話。
◇実戦
だが、このたった9両のマークIでもドイツ軍の肝を冷やすには十分すぎた。
ドイツ軍は銃撃が全く効かず、泥濘を走破し鉄条網を踏み潰して、ゆっくりとだが確実にこちらに迫ってくる謎の新兵器を目の前にしてパニック状態に陥った。
ドイツ兵の1人が急に塹壕から飛び出すと、脇目も振らず一目散に後方に走り去った。それを見た残りの兵士、さらには将校までもが次々に蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、塹壕はもぬけの殻となってしまった。
結果的にイギリス軍は目標としていたフレール一帯の丘陵地帯の占領に成功する。
それでも、長大な戦線からすれば、投入した車輌の数の少なさから効果は一部に留まってしまい、何より戦車の信頼性の低さが問題となった。
このソンムの戦いでは戦車はあくまで投入されただけに過ぎないが、1917年にフランス北部のカンブレーの戦いでは戦車は始めて「戦術的」に使われることになる。
イギリス軍はドイツ軍に占領されたカンブレーを奪還するため、2本の運河に挟まれた広大な地域を378両の戦車をはじめとする大兵力で押し寄せ、一気に奪還するという大作戦を実行する。
ここで活躍したのがマークⅠの改良型の「マークⅣ」である。
マークIに比べると基本的な形状は変わらないが、
- 燃料タンクを車外へ移したことによる容量の増加
- エンジン冷却ファンと換気扇の設置による居住性の向上
- ドイツ軍対戦車ライフル用のK弾への対抗策として、ボイラー用鋼材から特殊な鋼鉄製装甲を装備させる
等、マークIに比べると兵器として大きく洗練されていた。
マークⅣの役割は自軍の歩兵の進撃ルートを切り開くことだった。
まずは前衛の戦車が大砲で敵の機関銃や野砲陣地を吹き飛ばし、鉄条網を突破すると塹壕に沿って進みながら敵を機銃掃射する。
続いて後衛の戦車が粗朶束を塹壕に投下して戦車の通り道を作って塹壕を越えたあと、反対側からも機銃掃射し敵兵を虱潰しにする。
敵兵を粗方倒したら友軍の歩兵が突撃、これを繰り返して敵陣をどんどん後退させていくのである。
当然ドイツ軍の反撃を受けて戦車部隊に被害を出し、全ての前線で予定通りに事が進んだ訳ではないが、マークⅣは概ねその威力を発揮した。
それまで存在意義が怪しまれていた戦車に大きな可能性が見出だされ、後の発展に繋がっていくことになる。
そしてその傍ら、同じく投入された騎兵部隊は機関銃で一掃されるという悲惨な運命を迎えた。
やがてフランスでも世界初のガスエレクトロニック式駆動、現代で言う所のハイブリッド式駆動を備えた「サンシャモン」、旋回式砲身や操縦手と砲手一名ずつでの運用等、戦車の基本的なレイアウトを確立した「ルノーFT-17」
ドイツでも後の虎を始めとする名戦車達の礎となった「A7V」が開発され、時代は騎士道ロマンチシズムから鉄と火薬が支配する大量殺戮用の機甲兵器へと移り変わっていったのだ。
ちなみにドイツは戦車開発を本格化させる前に停戦に合意したため、第一次世界大戦中に自力で生産できた戦車はA7Vがたった20両。
後に戦車大国となる事を考えるとかなり少ない数字だが、これは当時のドイツに戦車の材料となる鋼材が殆ど無かったのと、シャーシはトラクターからの流用だったとは言え1両作る為には砲身や装甲板を繋ぐボルト等の部品を逐一職人による削り出しや手曲げ加工という、現代の高級車でもあまりしなくなった程の手間暇を掛けまくった工程で製造していたせいでもある。
第二次世界大戦のドイツは戦車の重要性を見出だしてティーガーやパンターといった優秀な戦車を生み出していくのに対し、
逆にイギリスは開発競争で迷走してしまい、悪くはないがいまいちパッとしない結果に終わったのは、正に歴史の皮肉と言う他はないだろう。
◇バリエーション
・マークI
初期生産型。
前述の通り劣悪な車内環境、剥き身で置かれたエンジン、低い信頼性、ボイラー用鋼材の装甲……と機械としては完成度が高いとは言えない。
当初は砲だけ装備したメイル(雌型)、機関銃だけ装備したフィメイル(雄型)の二種類があった。
前者は砲による敵の銃座や陣地の破壊、後者は敵歩兵の排除が任務とされたが、これでは柔軟性に欠けることが判明し、砲と機関銃を装備したヘルマフロディトス(両性具有)がすぐ登場した。
そして当初は無線機を搭載しておらず、後方との通信は当時もっとも信頼できる情報伝達手段…すなわち伝書鳩を用いていたという。
その劣悪な車内環境では鳩もヨレヨレだったらしいが。そりゃそーだ
1916年2月までに100輌が発注されている。
・マークⅡ
ハッチが増設されるなど細部に改良が施されたが、基本構造に変更はない。
ウイリアム・フォスター社によって50輌が製造された。
・マークⅢ
主に搭載する武装の改良が図られ、雄型が搭載する砲の短身化(マーク I・IIの40口径から23口径へ)。
当然砲弾の初速は低下したが、歩兵支援を重視していたためそれほど問題にはならなかった。雌型は銃座の小型化が行われた。
メトロポリタン・キャリッジ&ワゴン社によって50輌が製造された。マークⅡよりも装甲を一部強化。
・マークⅣ
マークII・IIIに続き各所改良が施され、搭乗員の居住性等の改善も含めて前期型菱形戦車の集大成となったのがマーク IVである。
- ドイツの小銃/機関銃用徹甲弾SmK弾に対抗するために装甲が厚くなった。
- 左右のスポンソンは鉄道輸送の便のために取り外しが可能となった。
- 燃料タンクが車体後部に移され、戦闘室と隔壁で分離された。
- 排気管に消音機がつけられ、実用性が高まっている。
日本陸軍も1918年(大正7年)にマーク IV 戦車の雌型を1輌輸入している。
そして、この車両はドイツのA7Vと史上初の戦車戦を繰り広げた。
・マークⅤ
大戦中に量産された菱形戦車の最終型にして完成形。
1918年1月から生産開始。主に、エンジンの換装やトランスミッション系などの改良が行われた型。
ウィルソン考案の遊星ギアを使った変速機の採用により、それまで4人がかりだった戦車の操縦が操縦手1名のみで可能になるという抜本的な改良が行われたことで実用性が大きく向上した。
乗員は8名で、車長1名と操縦手1名と、砲手や機関銃手6名。
さらにそれまでの菱形戦車に比べて、戦車用に新開発された150馬力のエンジンの搭載により機動力が向上し、足回りの改良と相まって機動性が向上した。
また、装甲はマークIVよりもさらに厚くなり、操行装置の改良により車体尾部の超壕補助兼操行補助用の大型尾輪は不要となり廃止された。
加えて、乗員の視界が改善されている。
武装に関しては、ガンナーが増えたことや邪魔な尾輪が無くなったことで、マークVからは雄雌型それぞれ軽機関銃が車体後面に1挺ずつ増えている。
メトロポリタン・キャリッジ&ワゴン社で1917年末~翌年6月にかけて400輌が生産された。
改良型に超壕能力を強化するために全長を伸ばしたマークⅤ*(スター)と、再設計を行ったマークⅤ**(ダブルスター)が存在する。
それまでの菱形戦車同様、この車両もドイツ軍に鹵獲されており、その内何輌かはドイツ国内にて保存されていた。
そして数十年後の第二次世界大戦末期のベルリン攻防戦にて、なんとソ連軍と交戦した車両がいたという。撃破された写真が残るのみでどれほどの戦果を上げたのかは不明。バリケードか砲台として使うために博物館から引っ張り出した……と思いたいが。
・マークⅤⅢ
英米仏で共同開発・生産が行われた菱型戦車。
イギリスが開発し、大量生産のノウハウを持つアメリカの指導や一部部品供給の下にフランスで1919年の攻勢に向けてとりあえず1500両製造される予定だった。
が、開発や工場建設、部品製造でトラブって完成する前に幸か不幸か戦争が終わってしまった。
終戦までに生産された部品はアメリカが引き取り、100両が製造されて「リバティ重戦車」の名称でアメリカ国内に配備された。
車両としてはマークⅣとペーパープランに終わったマークⅥの影響下にある構造だったが、車体後方に独立したエンジンルームを設けているのが特徴。
◇その他
戦車は英語で「tank」と呼ばれるのは広く知られているだろう。
では何故そう呼ばれるのか。これには面白い逸話がある。
イギリスで戦車の開発が始まった際、メソポタミア前線で戦っていたイギリス軍が水不足に陥っていたため、その支援車両を開発するという名目で「飲料水運搬車(Water Carrier)」という秘匿名称がつけられた。
ここで問題が起きた。イギリスでは関わっている事柄の頭文字を取って略号で委員会や審議会を呼称する習慣があるのだ。それに則ってこのWater Carrierを略すともう分かるね?
W.C.
つまりトイレ(Water Closet)とかぶってしまうのだ。
さすがにこれはちょっと……となり、「水槽(tank)」を「供給(Supply)」する委員会ということで「T.S.委員会」と名称が変更され、それに伴い戦車の秘匿名称もtankとなり現在に至るのである。
後にその英国面をもって多くの珍兵器を世に送り出すイギリスと言えども、新兵器にトイレの名がついてしまうのはガマンならなかったようだ。
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- まさに汎用菱形決戦兵器 -- 名無しさん (2018-02-20 20:04:02)
- インディ・ジョーンズ最後の聖戦に出た戦車は、このシリーズに似ている。でも使ってんのナチスドイツだし所々違う部分もあるしアレは飽くまで架空の兵器らしい。 -- 名無しさん (2018-02-20 21:28:23)
- 開発者にとって「水運搬車」だの「水槽」だのは飽くまで一時的な秘匿名称で、かっこいい「陸上艦(landship)」が本命のつもりだったらしい。結果はみんな知っての通りだけど。 -- 名無しさん (2018-02-21 15:05:18)
- カンブレの戦いでの騎兵がまるで無謀な突撃のように書かれてるけど実際は戦車と歩兵で突破するつもりが戦力不足で出さないと突破できないから出したととある本にはあったな。 -- 名無しさん (2018-02-21 18:05:39)
- ↑4 座布団3枚 -- 名無しさん (2018-02-22 12:25:36)
- 戦車のデビュー戦と同日、「水槽」を当てにして進軍していた部隊が脱水症状に倒れた…というジョークがあるとかないとか -- 名無しさん (2018-02-25 21:32:21)
- スウィントン中佐は小説仕立ての兵法書を出版してベストセラーになり、今でも読まれているくらいの理論的戦術家 -- 名無しさん (2019-11-12 15:39:10)
- バリエーション説明のところの雄型と雌型が逆になってるよ「male」が男=雄で「female」が女=雌だ -- 名無しさん (2020-09-15 21:45:06)
- ↑8 汎用どころか特化兵器やないかい(マジレス -- 名無しさん (2021-03-02 04:40:48)
- かっこいいな -- 名無しさん (2021-09-18 07:38:14)
- ガノタの間では、「秘匿名称がウォーターキャリアのまま通っていたら、ガンタンクはガントイレになっていたのか?」などとネタにされる。 -- 名無しさん (2022-12-18 01:34:31)
- 両性具有だのTS委員会だのエッチな特殊性癖の項目みたいだぁ -- 名無しさん (2022-12-18 01:53:38)
- 冒頭文がKOEEEE -- 名無しさん (2023-06-14 23:09:48)
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*2 徹甲弾の中の一種で誤字にあらず。弾芯に文字通り「鉄鋼」を用いて貫通力を上げている物。装甲貫徹用の弾種全てを示す「徹甲弾」の誤記でこの字が多いのは「鉄鋼弾」自体がちゃんと存在する物だからなのだ
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