芝の小字 - 埼玉県の小字
年に大字伊刈字高木に編入した。町張(ちょうはり):飛地組替により前川村から編入した。1914年に大字芝字中田に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ 埼玉県報 昭和33年5月、昭和35年3月・ 行政文書 町村制(大正3年)、町
年に大字伊刈字高木に編入した。町張(ちょうはり):飛地組替により前川村から編入した。1914年に大字芝字中田に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ 埼玉県報 昭和33年5月、昭和35年3月・ 行政文書 町村制(大正3年)、町
1986年に東本郷一丁目、本蓮一・二丁目になった。市道(いちみち):1986年に本蓮一丁目になった。曽根(そね):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地図 川口市(北部) 1974・ 川口市地形図 1/2500・ 川口市(第11次、第14次)
37年に朝日町一・二丁目になった。六反畑(ろくたんばたけ):前田からの編入と思われる。1937年に朝日町三丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和12年2月
字舎人境に編入した。向(元加々皿沼分):飛地組替で加々皿沼村から編入した。1924年に大字弥兵衛新田字外菅原に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 大正13年7月、昭和12年2月
86年に本蓮三・四丁目になった。西割(にしわり):花栗に編入した。東割(ひがしわり):庄左衛門新田に編入したと思われる。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地図 川口市(北部) 1974・ 川口市地形図 1/2500・ 川口市(第11次、第14次)
郷一丁目、赤井三丁目、江戸袋一丁目、本蓮二丁目になった。北谷(きたや):1981年に江戸一~三丁目、赤井二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地図 川口市(北部) 1974 ・ 川口市(第11次、第14次)住居表示新旧対照案内図
おつぼ):1937年に十二月田町、朝日町一丁目になった。芝原(しばはら):1937年に十二月田町、元郷町一丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和12年2月
。高木前(たかぎまえ):現存。道合高木前遺跡がある。久保前(くぼまえ):北方に飛び地がある。現存。道合久保前遺跡がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ 行政文書 町村制(明治44年、大正3年)、町字区域変更・住居表示(昭和54年
現存。東(ひがし):北方に二箇所飛び地がある。現存。神戸東遺跡がある。上ノ台(うえのだい):神戸上ノ台遺跡がある。現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
字峯前(まえ):現存。後(うしろ):現存。大字峯にバス停「峯後」がある。峯後遺跡がある。北谷(きたや):北谷に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
r;川口市大字東貝塚現在の地名:川口市大字東貝塚若宮(若宮耕地)(わかみやこうち):現存。大字東貝塚に新郷若宮公園がある。参考文献・北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
在の地名:川口市大字大竹前(まえ):現存。後(うしろ):現存。大竹後遺跡がある。大六天(だいろくてん):花栗に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
なった。榛松二丁目にバス停「南山梨」がある。北山梨(きたやまなし):現存。2007年に一部が榛松三丁目、新堀町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地図 川口市(北部) 1974・ 川口市地形図 1/2500・ 川口市(第21次)住居表示
):現存。2007年に一部が新堀町になった。後(うしろ):現存。沖田(おきだ):現存。越戸(こえど):現存。丸野(まるの)参考文献・北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県市街地図集 人文社 1967・ 川口市地形図 1/2500・ 川口市(第21次)住居表示 新旧対照案
r;新郷村大字前野宿→川口市大字前野宿現在の地名:川口市大字前野宿上野(かみの):現存。下野(しもの):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
7年に朝日町一丁目、十二月田町になった。堤外(つつみそと、ていがい):1937年に朝日町一・二丁目、十二月田町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 大正13年7月、昭和12年2月
なった。向田(むこうだ、むかいだ):1937年に新井町、弥平町になった。瀬ヶ崎(せがさき):1937年に新井町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 大正13年7月、昭和12年2月
二丁目になった。八石(はちこく)内田(うちだ):思い出の里市営霊園のあたりに現存。1990年に一部が染谷一丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 平成2年3月
:思い出の里市営霊園のあたり。現存。区域を流れる内田川がある。小池下旧加田屋参考文献・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 平成9年3月
り南中野村に編入した。江川:現存。明治14年の字届書には記載がない。新田:現存。明治14年の字届書には記載がない。芝宮下参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
丁目になった。綾瀬: 明治14年の字届書には記載がない。 1983、1985年に卸町一・二丁目、宮ヶ谷塔二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和58年7月、昭和60年7月、昭和63年1月
年に一部が東宮下一・二丁目になった。中里遺跡がある。新西(しんにし):現存。参考文献・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和56年10月
1986、1988年に一部が深作一丁目、宮ヶ谷塔四丁目になった。 新田(しんでん):1985年に宮ヶ谷塔一丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和60年7月、 昭和61年8月、昭和63年1月
下:風渡野天神社の北方にある飛び地。現存。明治14年の字届書には記載がない。参考文献・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)
沼代用水東縁に架かる海崎橋がある。 深作飛地:大字深作の中の見沼代用水東縁沿いに現存。明治14年の字届書には記載がない。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和47年4月、昭和61年8月・ 住居表示対照表
西。綾瀬:飛地組替により堀崎村から編入したと思われる。1983、1985年に卸町一・二丁目、宮ヶ谷塔一・二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年) ・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和58年7月、昭和60年7月、昭和61年8月、昭
里駅の周辺。現存。風渡野往還上西遺跡がある。往還上東(往還東上)(おうかんひがしかみ):現存。門前下(もんぜんした)寺下参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
存。明治14年の字届書では「ウラ」とルビが振られている。菱沼(ひしぬま):東宮下団地のあたり。現存。東方の飛び地を含む。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
った。前川一丁目に川口市みんななかまバス(神根・青木・芝循環)のバス停「丁張」があったが、2013年に路線が廃止された。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和11年4月
町一丁目になった。堤外(つつみそと、ていがい):芝川沿いの区域。1937年に青木町一・二丁目、(旧)栄町一丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和12年9月・ 川口市大字下青木新旧字区割対照図
地(こみやち):1939年に飯塚町二丁目になった。中ノ郷(なかのごう):荒川沿いの区域。1939年に(旧)緑町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市大字横曽根大字飯塚字名称新旧対照図・ わたしたちの郷土うきま : 浮間についての資料集・ 埼玉県報
た。孫七(まごしち):1936年に上青木町一・五丁目になった。古川(ふるかわ):1936年に上青木町一~四丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和11年4月
域。1939年に(旧)緑町になった。丁張(ちょうはり): 塚越から編入したと思われる。1939年に仁志町二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市大字横曽根大字飯塚字名称新旧対照図・ 埼玉県報 昭和14年5月
大字蓮沼に中田公園がある。山崎(やまざき):現存。大字蓮沼に山崎公園がある。参考文献・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)
ちまん):現存。大字南中野にバス停「八幡」がある。中川八幡遺跡がある。大山(大山耕地)(おおやま):北方の飛び地。現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
):宿場があった日光御成道沿いの区域。1935年に(旧)本町一・二丁目、(旧)金山町になった。川口町の道路元標があった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市(旧川口町)新旧字区割対照図・ 埼玉県報 昭和10年4月
:西方の飛び地。鉄道用地にごく一部が残存。1961、1969、1996年に砂町一・二丁目、東大宮一・二・七丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和36年4月、昭和36年9月、昭和44年8月、平成8年1月
西方の飛び地。鉄道用地にごく一部が残存。1956、1957年に寿能町一丁目、盆栽町になった。盆栽町に定慶稲荷神社がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和27年10月、昭和31年3月、昭和32年12月、昭和33年3月、昭和35年2月、昭和36年9
ちとおり):現存。東内野前町遺跡、東内野前町南遺跡がある。葭原(よしはら):現存。大字東内野に東内野葭原第1公園がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
縁に挟まれた区域。1990年に鹿手袋一丁目になった。鹿手袋高沼遺跡がある。櫃沼(ひつぬま):土美耕地整理に伴い消滅した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 土美耕地整理組合換地説明書・ 浦和西南土地改良区現形図、確定図・ 浦和市全図(昭和48年)・ 埼玉県報 昭
入した。1986年に山久保一・二丁目になった。真土:飛地組替により上峰村から編入した。1986年に山久保一丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 土合村耕地整理組合第一区拡張区域現形図・ 土美耕地整理組合換地説明書・ 浦和市第二次住居表示整備事業施行区
に伴い消滅した。東:土合村耕地整理(西浦耕地整理)に伴い新設された小字。1985年に道場一・二丁目、町谷二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 土合村耕地整理施行地及之レニ隣接スル土地ノ現形並予定図、西浦耕地整理組合換地説明書・ 油面下流土地改良区
した。土合村耕地整理(西浦耕地整理)に伴い消滅した。西浦耕地整理組合の換地説明書に「中島(元与野分)真土」の記載がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・荒川堤外地調査平面図 第10号(大正3年)・ 土合村耕地整理施行地及之レニ隣接スル土地ノ現形並予定図、西浦耕
平野原(元上峰分): 現存。飛地組替により上峰村から編入した。1979、1985年に一部が大字油面、道場五丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・荒川堤外地調査平面図 第10号(大正3年)・ 土合村耕地整理施行地及之レニ隣接スル土地ノ現形並予定図、土合村
地組替により安行領在家村から編入した。2002年に東浦和五丁目になった。登記情報の表記では「元安行在家分」となっている。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 浦和市全図(昭和48年)・ 浦和市土地宝典 尾間木地区(昭和60年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分
理組合に伴い消滅した。櫃沼(元鈴谷分):飛地組替により鈴谷村から編入した。土合村耕地整理(西浦耕地整理)に伴い消滅した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・荒川堤外地調査平面図 第9号(大正3年)・ 土合村耕地整理組合第一区拡張区域現形図、西浦耕地整理組合換地説明
整理)に伴い消滅した。真土(元上峰分):飛地組替により上峰村から編入した。土合村耕地整理(西浦耕地整理)に伴い消滅した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・荒川堤外地調査平面図 第10号(大正3年)・ 土合村耕地整理 施行地及之レニ隣接スル土地ノ現形並予定図、西浦
園がある。緑島自治会、緑島自治協力会、新緑島自治協力会がある。中尾緑島遺跡、中尾緑島東遺跡、中尾緑島西遺跡がある。 参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 大浦和市全地図(昭和9年)・ 浦和市全図(昭和48年)・ 中丸土地区画整理事業 換地図・ 駒前土地区画整理
見沼となった。大字大牧にある浅間神社が由来。東浦和七丁目にバス停「浅間下(せんげんした)」がある。浅間下自治会がある。 参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 浦和市全図(昭和48年)・ 芝原土地区画整理事業 区域図・ 浦和市土地宝典 尾間木地区(昭和60年)・ さ
。土美耕地整理組合の換地説明書に「(与野分)小村田平海道」の記載がある。同じ地番で大字田島字平海道の登記情報が存在する。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・荒川堤外地調査平面図 第9号(大正3年)・ 土美耕地整理組合第一区整理確定図、換地説明書・ 浦和市第二次住居