並木の小字 - 埼玉県の小字
木(ろっぽんき):1959年に三橋二丁目になった。牛飼(うしかい):1959年に三橋三丁目になった。西之前(にしのまえ)参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・三橋耕地整理組合確定図・ 埼玉県報 昭和15年11月、昭和34年5月・ 行政文書 市町村制(昭和15年)、区
木(ろっぽんき):1959年に三橋二丁目になった。牛飼(うしかい):1959年に三橋三丁目になった。西之前(にしのまえ)参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・三橋耕地整理組合確定図・ 埼玉県報 昭和15年11月、昭和34年5月・ 行政文書 市町村制(昭和15年)、区
なった。西南(西南耕地)(さいなん、せいなん):かみこ公園のあたり。1958年に上小町になった。上小町に西南公園がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・三橋耕地整理組合確定図・ 埼玉県報 昭和15年11月、昭和31年12月、昭和33年11月・ 行政文書 市町村
戸字高沼に編入した。西谷(にしや):明治14年の字届出書に記載がある。飛地(とびち):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 土合村耕地整理組合第二区第三区拡張区域現形図・ 与野市大字別地番図(昭和53年)・ 埼玉県報 昭和38年5
こうぬま):鴻沼川に沿った区域。1963年に大字大戸字高沼に編入した。飛地(とびち):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 土合村耕地整理組合第二区第三区拡張区域現形図・ 与野市大字別地番図(昭和53年)・ 埼玉県報 昭和38年5
町一・二丁目になった。二江川(元中野林分):登記情報が存在するが、地番から判断して二江川(元水判土分)の誤りと思われる。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第11号、第12号(大正3年)・ 大宮市土地宝典 馬宮地区(昭和56年)・ 浦和市土
組替により戸塚村から編入した。柳:飛地組替により戸塚村から編入したと思われる。1911年に戸塚村大字戸塚字柳に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 平成4年2月・ 行政文書 町村制(明治44年)・ 浦
間宮宮前遺跡がある。中(中耕地)(なかこうち):現存。間宮中遺跡がある。後(後耕地)(うしろこうち):現存。大沼:現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
る。夏浜(なつはま):飛地組替により下笹目村に編入した。飛西原:荒川の堤外地。現存。飛地組替により下笹目村から編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・荒川堤外地調査平面図 第9号(大正3年)・ 土美耕地整理組合第二区確定図・ 新浦和土地改良区 字区域変更図・
し、1978年に松本一~四丁目になった。新井(あらい):1959年に浦和市に編入し、1978年に松本一・二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 土美耕地整理組合第二区確定図・ 埼玉県報 昭和34年3月・ 行政文書 町字区域変更・住居表示(昭和53年度
より田島から編入した。1959年に一部が大字堤外になった。1963年に浦和市に編入し、1975年に西浦和三丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 土美耕地整理組合第一区整理確定図・ 新浦和土地改良区 字区域変更図・ 埼玉県報 昭和34年3月、昭和34年
大門字宮下、字内町に編入した。入部崎(にゅうぶさき):青山苑墓地の東部あたりの飛び地。飛地組替により中野田村に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 行政文書 町村制(明治44年)・ 浦和東部第二地区及び埼玉スタ
八貫野(元植田谷本分):現存。飛地組替により植田谷本村から編入した。 登記情報の表記では「元植田谷本村分」となっている。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第11号(大正3年)・ 浦和市土地宝典 大久保地区(昭和60年)・ 宿深町土地改良区
んの):荒川の堤外地にある飛び地。現存。鰻沼:飛地組替により島根村から編入したと思われる。1970年に大字昭和になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第11号(大正3年)・ 浦和市土地宝典 大久保地区(昭和60年)・ 植水土地改良区々
した。1962年に川口市に編入し、翌年に大字行衛字飛地になった。1984、1989年に戸塚四丁目、北原台二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 浦和市全図(昭和48年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 川口市地形図 1/2500・ 埼玉
た。外(そと):2017年に美園一~五丁目になった。本田(ほんでん):現存。玄蕃新田本田遺跡、玄蕃新田本田南遺跡がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 行政文書 町村制(明治44年)・ 浦和東部第二地区及び埼玉スタ
四丁目にバス停「小村田西」があったが「イオンモール与野」に名称変更された。小村田遺跡、小村田東遺跡、小村田西遺跡がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県土合村耕地整理施行地及之レニ隣接スル土地ノ現形並予定図、土合村耕地整理組合第二区第三区拡張区域現形図
る横根に字上平沼、字下平沼がある。八雲:飛地組替により染谷村から編入したと思われる。2017年に美園一・三丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 野田耕地整理組合整理確定図・ 野田土地改良区 現形図、確定図・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・
。本村(ほんむら):南東に飛び地がある。現存。代山本村遺跡、代山本村南遺跡がある。篠内(しのない):南方の飛び地。現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
かごう):現存。本村(ほんむら):現存。寺山本村遺跡がある。蓮川(はすかわ):現存。飛地(とびち):南西の飛び地。現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 野田耕地整理組合整理確定図・ 野田土地改良区 現形図、確定図・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・
び地。現存。2017年に一部が美園一・三~六丁目になった。綾瀬(あやせ):北東の飛び地。2017年に美園二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ (南部)野田土地改良区 現況平面図・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 行政文書 町村制(明治
29年の埼玉県告示では大字上野田元染谷字膝子下という表記になっている。沼(元染谷分):飛地組替により染谷村から編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 野田土地改良区 現形図、確定図・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和29年10月・
分)の飛び地が耕地整理に伴い、区域変更とともに「元下野田分」が取れたものと思われる。2017年に美園一~三丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 野田耕地整理組合整理確定図・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 行政文書 町村制(明治44年)・
はらむこう):現存。浅間入(あさまいり):現存。中野田下(なかのたした):北東の飛び地。2017年に美園二丁目となった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 野田土地改良区 現況平面図・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 行政文書 町村制(明治44年)・
つみした):現存。無品原(むしなはら):現存。無品原遺跡がある。堂下(どうした):現存。藤堤下(ふじつつみした):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
原(にしはら):現存。大字源左衛門新田に神根西原公園、大字木曽呂にバス停「西原」がある。西原町会がある。西原遺跡がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
A. 榑橋村は、明治時代中期、埼玉県新座郡に存在した村です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%91%E6%A9%8B%E6%9D%91
ういちばん):現存。大字原市に原市21番耕地公園がある。二十一番耕地Ⅰ・Ⅱ遺跡がある。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和51年1月、平成7年8月・ 原市北部第二土地区画整理地区 旧新地番変更対照
校、尾山台団地がある。尾山遺跡、尾山台遺跡がある。 坂下(さかした):現存。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県市街地図集 人文社 1967・ 上尾市遺跡地図
がしなかどおり、ひがしなかとおり):1987年に須ヶ谷一・二丁目、菅谷二丁目になった。参考資料・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和62年1月
(たかみ):1987年に須ヶ谷三丁目、菅谷五・六丁目になった。高見遺跡がある。山前飛地参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和62年1月
87年に平塚二丁目、須ヶ谷一丁目になった。平塚二丁目に大音団地がある。大音遺跡がある。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和62年1月
現存。本村前遺跡がある。富士(富土)(ふじ、ふど):現存。富士遺跡、富士Ⅰ遺跡がある。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図
前(みなみまえ):現存。2014年に一部が上平中央二・三丁目になった。南前遺跡がある。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和41年8月、昭和45年8月、昭和60年9月・ 上平第三特定土地区画整理地区
がある。東谷(東谷耕地)(ひがしや):現存。坂田前(坂田前耕地)(さかたまえ):現存。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和41年8月、昭和45年8月・ 行政文書 市町村区域内変更(昭和42年度)・
。平方丸山遺跡、平方丸山Ⅰ~Ⅲ遺跡がある。 川岸向(河岸向)(かしむこう):現存。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県市街地図集 1967
には記載がない。1982年に一部が大宮市に編入した。飛地(とびち)下谷原(したやはら)参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和57年11月
東(ひがし):現存。上平村の道路元標があった。吉田前(よしだまえ、よしたまえ):現存。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和41年8月、昭和45年8月、昭和60年9月・ 行政文書 市町村区域内変更(
に一部が愛の町になった。堀(ほり):現存。1981年に一部が赤見台一・二丁目になった。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和56年4月・ ゼンリンの住宅地図 鴻巣市 1969
なった。箕田に下町公園がある。 宮地(みやじ):現存。隣接する鴻巣にも字宮地がある。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和55年3月、昭和56年4月、平成2年9月・ ゼンリンの住宅地図 鴻巣市 1
年に一部が赤見台一・三丁目になった。下谷(しもや):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和56年4月
なか):現存。1981、1990年に一部が赤見台二丁目になった。深見(ふかみ):現存。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図・ ゼンリンの住宅地図 鴻巣市 1969・ 埼玉県報 昭和56年4月、平成2年9月
に天神一・五丁目、東三丁目になった。町名「天神」に受け継がれている。宮ノ前(みやのまえ):1965年に宮地五丁目になった。参考文献・北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 鴻巣町全図・ 鴻巣町外二ヶ村耕地整理組合整理確定図・ 行政文書 町村制(大
ある。堤外耕地(堤外)(つつみそと):現存。貝塚中(元峰岸分)(かいづかなか):現存。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図
: 町村制施行時に鴻巣町の一部となった。一部の文献では大字鴻巣元上谷と記載されている。1965年に人形一~三丁目になった参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 鴻巣町全図・ 鴻巣町外二ヶ村耕地整理組合整理確定図・ 行政文書 町村制(
1989年に生出塚一・二丁目、ひばり野二丁目になった。外谷(そとや):現存。1989年に一部がひばり野一・二丁目になった。参考文献・北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 鴻巣町全図・ 鴻巣町外二ヶ村耕地整理組合整理確定図・ 行政文書 町村制(大
分)新梨子(元桶川分)長浪(元桶川分)町谷(元桶川分)箕木(元桶川分)谷通(元桶川分)参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和41年8月・ 上平第三特定土地区画整理地区 旧新・新旧地番対照表
字中新井字坊山、字北原、字相野谷、字前、大字堤崎字西谷に編入した。下谷原(したやはら)参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和51年10月
縄下耕地(しもごうち):現存。中耕地(なかごうち):現存。上耕地(かみごうち):現存。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図
ぶつ):現存。1985年に一部が井戸木三丁目、泉台二・三丁目になった。堀口(ほりぐち)参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和46年8月、昭和56年2月、昭和60年10月、昭和61年10月・ 上尾市小
。1989年に藤波一丁目、中分五丁目になった。大仏(おおぼとけ)原ヶ谷戸(はらがやと)参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和56年2月、昭和60年10月、平成元年9月