性格

ページ名:性格


1993年5月

【重要】40度の高熱が出ても誰にも連絡しない。人に心配かけるのがダメなの

【重要】「そんなもん我慢できるだろ」って思われたらどうしようって思っちゃうから


1983年1月13日

【重要】風邪で声が出ないのに「大丈夫」と空元気を見せる

【重要】歌唱中、声が出ずにポロポロと涙をこぼす


1982年10月11-26日

風邪ひいて4日目。全然治らないんですけどね。一生懸命治すよう努力してます


1982年11月30日

浜村淳「今日は風邪を押して頑張りましたね」


1984年8月10日

体調不良で歌詞が飛び、間違え、泣きそうになるのを我慢し、次の曲ではプロ根性で笑顔を見せる


1988年12月9日

(風邪をひき)昔と違って強くなりましたからすぐ治ると思います

皆さんより楽な仕事させていただいてますから


1983年12月31日

【重要】膝の痛みを堪え熱唱


1983年12月31日

片足を引きずるようにしてステージ中央まで歩く


1983年12月29日

【重要】膝の脱臼でドクターストップがかかっていたが痛みを堪え歌唱


1984年1月14日

膝を脱臼してるのに元気な小走りに見えるよう笑顔で足を引きずって早歩き


1984年1月16日

榊原郁恵「まだ痛む?」堺正章「どうですか膝の方は」中森明菜「段じゃなければ大丈夫です」


1984年1月19日

【重要】膝の脱臼から3週間経過しても足を引きずって登場

【重要】毎日、関節が外れそうになるのを涙を流しながら我慢して元に戻す


1984年1月25日

萩本欽一から「足どう?大丈夫?」と聞かれ「もう大丈夫です」

クッキーにパクつく、ごく普通の庶民的姿。「食べたかった」

心配させまいとさりげなく後ろ歩きで足を引きずる


1983-1986年

足(膝)の治りが悪いのは厄年のせいではないかと視聴者から厄除けのお守りが贈られ、嬉しそうに感謝する

今年に入ってから風邪引いて40度の熱が続いたり、神経性の胃痙攣になっちゃったり

【重要】V8の記録はすぐ破られそうな気がします


1988年12月30日

風邪で声が出ないのに心配させまいと「大丈夫」と答える


1989年2月17日

風邪で後ろによろける


1994年12月30日

【重要】今日は風邪で昨日40度熱があった。死ぬかと思った。動けなかった


1983年3月頃

私は負けん気が強いんです。小さい頃から


1989年3月5日

我慢ばっかりですからね、この仕事。足の小指をぶつけても大声を出さない


1989年5月21日

負けん気が強かったから注射でも笑顔にしてた。「泣いてない女の子もいる」と言われると嬉しかった


1996年7月7日

足の裏マッサージで痛くても我慢強さを見せる


2007年1月20日

【重要】1985年頃の睡眠時間は2時間。ちっちゃい頃から体強い方じゃなかったので、ちょくちょく倒れて迷惑をかけていた


1982年9月13日

スタ誕の時は、嬉しい気持ちと嬉しくない気持ち。友達が落ちるので、その気持ちを考えると素直に喜べなかった


1982年

人が合格を取るってのは嬉しい。自分はダメだと思い込む


1985年10月29日

関口宏「二年連続ゴールデングランプリやってみませんか」中森明菜「いや、とんでもないです。一度で十分です」


1987年10月16日

ホントに今日は賞をいただけると思ってなくて出席してたので驚きました


1988年9月20日

デビュー曲を歌わせていただくだけで十分だし、これで終わるだろうと思ってました


1987年12月15日

私なんかがこんな素晴らしい賞をいただいて申し訳なく思うとともにお礼の気持ちでいっぱいです


1987年12月15日

あたしなんて全然、歌なんか下手だから。皆さんの方が…、あたしなんかとんでもない


1988年12月13日

私がいただく賞じゃないと思います。私が最優秀歌唱賞なんてとんでもない。後ろにいらっしゃる皆さんを置いて私がいただくのは本当に違う


1995年11月17日

会場に響き渡る「は~、どっこい」に歓喜

きっとみんな他の出演者を待ってるから


1998年10月24日

私いいとこない


1984年7月6日

高島忠夫「こんな感激する人だと思わなかった。そう言ったらファンに怒られた。あの人はそういう人なんですって」

明菜ちゃんは楽屋でも先輩後輩よく分かってますしね。先輩に対してはすごい気を遣ってくれるような子ですしね。ナイーブ

ついこないだまでテレビを視ている側に居たのに。今でも歌謡祭に参加する度に『誰が賞を取るのかなぁ』と見てしまう


1982年8月19日

小泉今日子の新人賞受賞を笑顔で祝福。受賞曲を一緒に口ずさむ


1999年11月16日

強いから負けませんから


1982年9月23日

「忙しい」と言うのは威張ってるみたいで嫌なんです


2014年3月2日、1982-1987年

お笑いコーナーの振りを真剣に覚える生真面目さ


1983年4月10日

リハーサルが終わるといつも大変そうに一生懸命台本を読んで覚えてる

いつもニコニコニコニコしてる

裏方の人たちともきさくに話してる


1991年6月29日

【重要】冷めた子だった


1983年11月6日

一点を見つめてボーッとしてる時が多い。ムッとしてるわけじゃないんです


1994年10月29日

自分の世界に入りやすい

あたしは人とは違うというプライドを持っているがそれとは別で、みんなと同じ庶民だということを分かってもらいたい


1988年3月30日

値段を気にする庶民的な明菜


1988年8月19日

バーゲンに行ったり、立ち食いそばに行ったり


1985年2月頃

うちコタツ無いんです。コタツ欲しいんです。コードだけ買ってくれば


1997年1月2日

5円のお賽銭にセコいとツッコまれ千円札を入れる庶民的な明菜

飯島愛「明菜ちゃんお母さんみたいで『エナメルは派手で年取ったら着れなくなっちゃうからダメよ』とか」中森明菜「痛みが早いのよ」TARAKO「所帯じみた会話」


1981年8月2日

髪の毛ねぇ、夏で暑くても、長い方が大人っぽく見えるっていうんで…頑張って…アハハッ


1988年5月

【重要】『TATTOO』のミニスカートは私人としての自分は嫌だけど、曲のイメージを優先した


2006年1月14日

新曲が来て衣装を先に考えちゃうので自分の事を忘れちゃうんですよ。「『TATTOO』は絶対にミニ」と自分で言っちゃったから後悔した


1990年8月1日

私は何重人格も持ってるみたいなんで。よく人に言われますけど


1991年7月27-28日

歌ってる時としゃべってる時とすごいギャップでしょ。もうホントに二重人格だから

笑顔で観ててくれると「ヘヘーッ」とかなっちゃうの。ちっちゃい頃から照れ屋さんだから。ホントはこんな人前に出るなんて信じられないの

【重要】ダメだよね。こんな10年もやってるタレントなのにみんなに頼ってばかりでね。甘えん坊で


1995年

すごく甘えん坊なんですね

暗い、苛々っ子、怒りまくりっ子


1986年8月

私は褒めてもらうのがすごく好きだから、良いって言ってもらえるように歌う


1986年11月12日

クジで一等を引き大喜び


1992年12月9日

【重要】真面目で完全主義、自分の本音をさらけ出すことしか出来ない不器用な少女を人はツッパリと呼んだ

【重要】良い意味での我が儘、強すぎるほどの個性とこだわりは歌い手としての必要条件と言えるだろう

私は着せかえ人形ではない

【重要】私は嘘と約束を守らないことが大嫌いだ

【重要】中森明菜という存在は身近なようで遠く、掴めそうで掴めず、神秘的なようで古典的でもある。強そうで脆い


1993年5月21日

タモリ「出番待ってる間ずっと練習してる」


1992年12月

私はみんなのこと「嫌なことが1つでも減りますように。いい毎日でありますように」っていつも神様に祈ってるんだからね


1987年2月

地が出ちゃって冗談とかふざけるのが好き

私は男っぽい性格だから、友達関係という面では男に生まれたかった。男同士の友情が好きだから


1993年10月3日

性格が男っぽくてガラッパチ


1995年3月12日

喧嘩できるほどなんでも言い合える仲になりたい


2000年9月13日

クマのぬいぐるみがないと眠れない

観葉植物の葉が枯れる度に1枚ちぎっては小瓶に入れて埋葬


2003年4月28日

カーテンを閉めずに寝るのが好き。観葉植物に朝日をあててあげたいから


2006年5月17日

ワンワンのぬいぐるみに歓喜


1983年

自分のラジオ番組で発売前の曲をかけないのは、(発売してると勘違いして)買いに行って無かったら可哀想だから

モノマネは欠点みたいなところを大袈裟にやるから傷つけたら悪いし。だから好きじゃないです


2012年10月31日

【重要】小泉今日子「新人賞で並んでいたら生卵をぶつけられて、すごい遠くに整列してた明菜ちゃんが収録中にも関わらず走ってきて舞台袖に連れてってくれた」


1989年6月8日

小泉今日子「ホンットに優しい人で、ホントにお姉さんっていうか。あんな優しい人はそういない」


2012年2月24日

小泉今日子「すっごい繊細で優しい子だから」


1986年

私は乗せられると乗るタイプですから

コント中に「ごめんなさい」と謝りながら指示通りピコピコハンマーで叩く


1986年9月29日

テレビではバカやるの好きです


1986年10月19日

コントとかでバカやるのって私大好きですから


1986年11月18日

ショートコント


1988年4月17日

あたし本当はバカなんです(バカやるの好きなんです)


1983年10月6日

自分が壺を落としたとスタッフを庇う優しさ


1987年10月2日

【重要】人に迷惑かけちゃダメでしょ。そんな言葉遣いダメでしょ

【重要】失礼なことを言うガードマンに立腹


1994年10月12日

『難破船』のVTRが流れただけで顔を背けてしまう感受性


1986年10月6日

寂しがり屋ですから。1日中1人で居るのは耐えられない


1984年

モノマネされるの照れちゃうんです。私のモノマネしてくれるんですか?っていう感じです


1987年

自分の中では照れ屋の部分が多い

物を頂くと地が出ちゃう

待ち合わせに急いできたのを悟らせないように先に息を整える。それか「でーっ!遅れちゃったーっ!」とおどける

【重要】弱虫で寂しがり屋。我慢強いけど、ほんの少しでいいから気遣ってくれると嬉しい

テレビでは出さないが、コンサートなんかでは地が出ちゃう


1987年12月

私が加藤登紀子さんの年齢になったとしても加藤さんのようには歌えないと思う。加藤さんの生き方に強さを感じる。私は弱いから強さが出ない


1991年4月29日

酔うと少し元気になる。あまり抱えてると泣いて笑って全部出る


1991年4月12日

『二人静』の歌詞はほとんど強がりだと感じるんです。あたしも強がりですね。甘え出したらキリないので


1982年10月

4才の時から10年間クラシックバレエの練習を続けた頑張り屋さん


1983年6月19日

【重要】母「正しいことは主張しなさい。年上でも親でも友達でも間違ったことは正さないといけない」

【重要】長女の姉「バレエの上達も兄妹の中で一番早く、顔を真っ赤にし湯気を立て汗をかいて人一倍頑張ってた」

質問に対して真剣に考え込む


1985年4月3日

横山バレエ教室講師「明菜ちゃんは体がすごく柔らかかったし、すごく感性が良くて。頑張り屋でした」


1995年7月8日

【重要】カラオケで他の方の曲を歌ってレッスン。高野寛「結局そこも真面目なんだ」


1988年10月9日

一回頭に浮かんだものがなかなか頑固で抜けないもので。頑固なんです。すみません


1987年2月21日

【重要】デビューの時から考え方とか変わらない。間違っているとは思わないから


1994年

水前寺清子「明菜ちゃんは妥協しない。我が道を行く」。笑顔で頷く明菜


2001年5月30日

人が良いのはほどほどに

【重要】持って生まれた性格、悪く言えば頑固、良く言えば頑張り屋、「妥協が好きじゃない」「自分の気持ちに嘘をつかない」というところは昔から変わらない

【重要】自分で自分にプレッシャーかける人なので、泣きたくなるぐらい嫌


2001年8月7日

【重要】キチンキチンとしてないとダメ

【重要】本音で物を言うので勘違いされます

【重要】なんであんなこと言っちゃったんだろってずっと寝れなくなる


2002年5月26日

【重要】ファンを喜ばせるために100できることがあれば100%やらないと。それが98%でも私の中では許されない


2002年12月10日

【重要】ファンや周りを喜ばせたいのに心配かけて。顔を見せれば安心してくれるのか

あまり一途になっちゃいけない。相手にしたら息が詰まる


1996年4月15日

私、人見知りがすごいの


1982年

性格は明るいとは言えない。物事をハッキリと言う

「カレーが一番早く出てくるから」という気遣い、世話焼きな一面


1987年2月

昔から一人で考えちゃう方ですね。暗い性格なんですよ


1996年10月4日

昔から人見知りする暗い子だった。芸能界入って段々明るくなった


2002年12月7日

暗かった。コントを一生懸命やってるうちに明るくなってきた


1982年10月28日-11月9日

「芸名は中森アスナにする」と言われ、一生懸命反対して本名でいくことになった


1986年12月

【重要】生島ヒロシ「レコーディングでスタッフ全員がOK出してるのに明菜ちゃんが『あそこのフレーズのところ納得できません』自分のポリシーを持ってるなと驚いた。只者じゃないなと思ってしまった」


2006年7月31日

1分遅刻しただけで落ち込む


1987年3月1日

自分の生き方に忠実なため、わがままと誤解されることがある

歌手中森明菜と普段の中森明菜は変わらない


2010年11月23日

【重要】藤倉克己「普通のわがままじゃなくて理に適っている。わがままに理由があるんですよ」


2012年9月30日

本名でデビューしたい

【重要】自分で納得できないことはしたくない。後からグチグチ言いたくないから


2009年8月19日

【重要】お腹に何も入っていない方が声の質が良いので食べないんですよ

【重要】喜んでもらえるようにどんどん自分にプレッシャーをかける

【重要】楽しんではいられないんですよ。必死すぎちゃって

【重要】「ボーッとできる時間がないの?」と自分に問うようになってきた

【重要】家に器具をたくさん置いて、半日ぐらいトレーニングしてます


2015年1月9日

【重要】必死なんですよ常に。とにかくみんなを喜ばせたい

【重要】私を支えて下さってるファンの皆さんを喜ばせたいという一心の気持ち


我慢強く努力家、真面目、ストイック、完璧主義、謙虚、お人好し、江戸っ子気質、ガラッパチ、頑固、一途、繊細、寂しがり屋、弱虫だけど強がり。
1人になるとぬいぐるみが好きな少女。
感受性が強く涙もろい。世話焼き、他人への奉仕が喜び。
詩の世界に入り込みやすい
「私、歌はヘタだと思う。すごく上手な方はいっぱいいるから。でも歌のイメージを伝えられるっていう自信だけはあるの。雰囲気を伝えられる自信だけは」(『中森明菜心の履歴書』より)

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コメント

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管理人
>> 返信元

1について補足しておきます。
・1989年9月 ザ・ベストテン終了
・1990年3月 歌のトップテン終了
・1990年10月 夜のヒットスタジオ終了
ちなみにヤンヤン歌うスタジオは1987年9月で終了しています。

中森明菜はこれらに出ずっぱりだったため、テレビへの露出が相対的に激減したというのは事実です。
他の歌手よりも落差が大きく感じてしまうということもあるでしょう。
が、こういったデータを無視して、ただ「90年以降の露出激減」とことさらに強調するマスコミによる印象操作も大きいと思います。

返信
2024-02-05 21:04:30

管理人
>> 返信元

橋本美幸さんコメントありがとうございます。
客観視できないというのは特に根拠が無いと思います。
それができないと自己プロデュースで成功できないですよ。

長い間生かせずというのは勘違いもあると思います。
1.89年で歌番組が軒並み終了
必然的に全ての歌手の活動が減ります。
2.マスコミの捏造、印象操作によりファン減少、アンチ増加
これは「マスコミ」のページをご覧下さい。
3.マスコミからの精神的苦痛と頑張りすぎる性格により入院
そのため長く療養しています。
この3点、特に90年以降は活動していないような印象操作をマスコミがしているためだと思います。

返信
2024-02-05 19:51:07

橋本美幸

中森明菜は本当に誠実でよい人だなとコメントの数々を読んで思いました。思い詰めすぎて客観的に物が見えず、素晴らしい本来の才能を長い間生かせずに過ごしてしまったようですね。本当に残念です。これから回りに好い人を沢山集めて、仕事の面でもプライベートでもうまく行くといいですね。カウンセリングとか受けて、自己分析方をを学ぶとすごく役に立つと思うのですが、どうですか。是非幸せになるべく頑張ってほしいものです。

返信
2024-02-05 09:21:36

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