1982年
SUGAR・モーリ「小悪魔的なところが魅力だね」クミ「そのくせ、子供っぽいところもあって…」ミキ「そのアンバランスなところがいいのよ」
1982年12月16日
早見優「自分の意見をハッキリと言うタイプ。ハッキリしてるところが私はいいと思います」
1983年3月24日
中学校の恩師「とっても無邪気で明るくて可愛い女の子でした」
中学校の恩師「歌は上手だっただけじゃなくて色んな歌を知っててびっくりしました。修学旅行ではマイク片手に『明菜 on stage』でした」
1983年4月10日
沢田研二「明菜ちゃん、なかなかできますよ。去年のレコード大賞の新人賞、5人の中に入らなかった。僕には解せません」
沢田研二「ゴールデン・アイドル賞は、僕はもう明菜ちゃんに決まったようなものだと思ってる」
1983年10月7日
「昔ツッパリだったって本当?」という質問に西城秀樹が間髪入れず「んなわけねえだろ」
1983年12月26日
中村泰士「(スター誕生で)100点付けたかったけどボードが99点までしか無かったから」
1983年12月29日
五月みどり「素晴らしいタレントになると予測してました」
1988年11月9日
(ファンクラブ限定カレンダーを視聴者プレゼントという話で)津川雅彦「うちの娘が明菜ちゃんのファンなんでなんとかなりませんか」
五月みどり「こんな難しい名前を人に覚えてもらうというのは実力しかない。デビュー前から絶対この子はスターになると思いました」
1984年3月15日
大林宣彦「中森明菜というのはマリリン・モンロー、ブリジット・バルドーのように存在感がある。磨けば80年代を代表する女優の1人になる
1984年11月1日
舛田利雄「これだけ歌える人だから感情を出すことが天性のもの」
1988年12月29日
小森和子「歌手としてはもちろん、長く長く素晴らしい女優さんになる」
1984年5月31日
松本伊代「とても人の面倒見が良くて、周りに気を遣う女の子っぽい女の子」
倉沢淳美「お姉さんみたいです。うまくブローできなくて困っていたらブローしてくれた」
堀ちえみ「姉御肌。衣装のアドバイスをしてもらった」
1984年6月7日
吉永小百合「魅力的な方。ドキッとするような。是非今度(松田聖子と)3人で映画でも。私は母親役でもやりますから」
1984年7月6日
高島忠夫「こんな感激する人だと思わなかった。そう言ったらファンに怒られた。あの人はそういう人なんですって」
1984年9月6日
高中正義「他人への曲は井上陽水さんに5年前に作って以来。『十戒』がいきなり1位に入ったのは驚いた。さすが中森明菜だ」
1984年9月17日
島田雄三「あんなに明菜が感激するとは思ってなかったし、僕まで涙が出そうな思いをしました」
竹下景子「受賞の時の涙を堪えてる瞬間は私たちにとっても感動した瞬間でした。本当にナイーブなんだなって思いました」
徳光和夫「世間がツッパリと思ってても、あなた自身は違うんだから。自分の心に正直に生きているわけだから」
1982年10月5日
日本作曲大賞を受賞する来生たかお。明菜から自ら選んだセーターをプレゼントされて笑顔で感謝
1984年12月10日
来生たかお「非常に個性的なシンガー。これからどんどん伸びると思います」
1984年10月3日
ペイズリー柄のシャツをプレゼントされ喜ぶ林哲司
2023年10月31日
林哲司「ディレクターの島田雄三さんから『明菜が書いて欲しいって言ってた』と後から聞いた」
林哲司「スロースターターでどんどん良くなっていく。自分の体に入れるまでがスロースターター。入ってきたらグーッといく」
1984年12月27日
なべおさみ「明菜ちゃん大好きですね」
1983-1986年
明菜に間近で上目遣いされしどろもどろになる藤井フミヤ「(トップ1になれなかったけど)いいです。明菜ちゃんだから許せます」
1988年11月23日
占いで中森明菜と相性が良いのは自分と出て喜ぶ藤井フミヤ
1985年4月3日
横山バレエ教室講師「明菜ちゃんは体がすごく柔らかかったし、すごく感性が良くて。頑張り屋でした」
1985年4月25日
久米宏「これだけ若くて素直で正直な子は珍しい。10年後の明菜さんが楽しみ」
1984年
モノマネ審査員「(中森明菜は)真似るのが難しい歌い手さん。1回2回真似してもできないんじゃないかと思いました」
モノマネ審査員「明菜ちゃんのモノマネは予選でたくさんいらっしゃる」
2000年12月30日
久米宏「明菜さんとは気が合ってたような気がしてた。だから明菜さんが出るときはベストテンに来るのが楽しかった」
久米宏「昔の明菜さんが映ったけど今の方がはるかに良い。本当に大人になったな。色っぽいなと思って観てました」
1985年7月28日
松本伊代「(デビュー当時に比べ)柔らかくなった」
堀ちえみ「(デビュー当時に比べ)丸くなった」
早見優「(デビュー当時に比べ)目が変わった。ホッとしてしまうような優しい目」
薬丸裕英「(デビュー当時に比べ)色っぽくなった。同い年なのに数段上に見える」
本木雅弘「(デビュー当時に比べ)グッと女っぽくなった。ウエストなんか細くなっちゃって。すごい武器」
1985年10月13日
松岡直也「『ミ・アモーレ』は音域が広い、ロングトーン、ラテンフィールを必要とするテクニックを要する曲。曲想を掴んで上手く歌ったと思います」
1985年12月26日
黒柳徹子「曲に合わせて歌い方のイメージ、その他を変えてらっしゃる」
原田伸郎「ものすごい控え目。けど歌の時は「ワッ」と自分を出す」
黒柳徹子「非常に努力家で一生懸命。すぐに胃が痛くなっちゃう」
1985年12月30日
都志見隆「可能性が未知なので、もっともっと色んな可能性を出していって欲しい」
1985年12月30日
高島忠夫「『ワシはあのスーパースターにプレゼンターやったんや』と言えるようにすごい歌手になってください」
1986年2月22日
オリコン社長「今やもう本当に女性アイドルナンバーワン」
1986年4月7日
徳光和夫「雨の中『あたしは歌いたい、中止にしないでくれ』。すごい歌手になると思った」
1986年5月1日
河合その子「格好いいです」
1986年6月12日
山口百恵さんはカラオケで明菜の歌をいつも歌い、『北ウイング』なんかは明菜そっくりに似せて歌う
1986年6月26日
阿木燿子「詩を広げて下さり、雰囲気がおありになる方」
1986年7月14日
創香師・平尾京子「ある時は少女チック、ある時は女性で、神秘的なものを秘めてらっしゃる。一本芯が通っている」
平尾京子さんは今までブルック・シールズさんにしか香水を創ったことがない。二番目に明菜さんに特別に
1986年9月18日
徳光和夫「アルバムを制作するにしても全てにおいて明菜さんの意見が積極的に採り入れられている。それだけ意見を出せるタレントさんになったというのが素晴らしい」
1986年8月
千倉真理「内容的にも歌い方にしても女の子ならどこかに持っている部分を歌ってくれている」
『飾りじゃないのよ涙は』は石橋貴明が初めて買ったシングル
1986年12月
生島ヒロシ「レコーディングでスタッフ全員がOK出してるのに明菜ちゃんが『あそこのフレーズのところ納得できません』自分のポリシーを持ってるなと驚いた。只者じゃないなと思ってしまった」
1986年12月14日
明菜から大ファンと言われた桃井かおり「最高です」
1987年2月
田原俊彦「歌ってる時に入り込んで心がある顔ができる」
2023年6月17日
田原俊彦「歌の実力というか聴かせるという意味ではNo.1」
田原俊彦「5番バッター明菜。(松田聖子、山口百恵、中森明菜の)クリーンナップ最強だね」
田原俊彦「一番気になるのは明菜。一番の歌姫だから。歌っているシーンを僕らも見たい」
1987年2月25日
大本恭敬「『可愛さでは勝負できないから歌を頑張らなきゃいけない』と言ったのは、歌が上手いから(慢心しないように)皮肉っぽく言った」
1984年
大本恭敬「注意をするとすぐマスターする才能を持っている女の子」
1987年3月1日
デーモン小暮「キョンキョンよりも中森明菜の方がいっぱい話しかけてきた」
1987年7月5日
松居直美「お料理するのよね。スーパーでバッタリ見ちゃってね」
1987年10月9日
アン・ルイス「大根性の持ち主ですから」
1987年12月30日
井上陽水「今日の華っぽい」
時期不明
武田鉄矢「半分おじさんとして、もう片方の目でお父さんみたいな目で、この美しいお嬢さんを見てるんです」
1988年
小森まなみ「ツッパリとか言われてたんですけれども実際すごく優しくて可愛い子でした」
1988年1月6日
加藤登紀子「明菜さんが乗り移ってきちゃった」
1988年6月19日
水前寺清子「明菜ちゃんは妥協しない。我が道を行く」。笑顔で頷く明菜
1988年12月13日
愛川欽也「お世辞抜きで、会う度に大きな歌い手さんになったなと」
1991年4月12日
タモリ「見惚れますね。この人が歌っている時の表現はすごいですよ」
1991年4月21日
高橋真梨子「もう可愛くて可愛くてしょうがない」
1991年4月26日
関口誠人「(中森明菜の『二人静』を聴いて)僕の作った曲のイメージじゃなくて中森さんの世界になってる。すごいなと。存在感を感じました」
1992年12月9日
来生えつこ「情感も歌える年頃になったし折角あれだけの歌唱力持ってたんだから、演技だけじゃなく情感を込めた歌も歌って欲しい」
ブラザー・コーン「明菜節をもう一回早く聴きたいな」
来生たかお「『セカンド・ラブ』っていうのは大変難しい歌なので、自信になり、それ以降が安定してきました」
塩沢浩二「芝居なのか地なのか分からないぐらいに自然に入り込んで、見ている人に感動を与えるという表現力の素晴らしさ。女優さんでもそんなにいないぐらい素質がある」
平岡正明「彼女は基本的にボサノヴァの歌手。低い声で呟くように歌い、低いレンジに耳を傾かせておいて一発爆発させる」
藤倉克己「彼女は音楽ってものを真剣に考えていた。こだわりも人一倍強い」
加藤登紀子「一種の魔女。それは宿命的なもの。中森明菜にしか出来ないことってのがある」
1993年5月26日
北島由紀子「もっともっととんがって欲しい。このしばらくのブランクで丸くなっていたら、みんな悲しいってきっと思う」
西川りゅうじん「中森明菜が復活することで歌謡界全体が復活する可能性がします」
志茂田景樹「寂しかったですね、新曲が出るまでの間。あの歌はもう聴けない、新曲出さないんじゃないかって不安もあった」
ナレーター「時には我が儘と誤解されてしまうほど強い個性と信念。彼女は数少ない本音を吐くアイドルだったのである」
ナレーター「類い希なる表現力。敏感に時代を感じ取る感性。多くの人々に愛される大衆性」
加山雄三「感性豊かなんでしょう」古舘伊知郎「感受性豊か」
1993年
逸見政孝「手を見てたら水仕事をなさってた手だなって気がする。おふくろの手を思い出す」
1995年4月5日
和田アキ子「あがるんですよ、すごく彼女。手見てると震えてるのがよく分かる」
1995年7月8日
【重要】カラオケで他の方の曲を歌ってレッスン。高野寛「結局そこも真面目なんだ」
1995年8月12日
泉谷しげる「頑張れ明菜」
1996年4月15日
中居正広「6人が緊張して、憧れの人と共演できて。台本に書いてある…そんなことない」
1996年6月23日
谷村新司「不器用でしょ。悪い意味じゃなくて不器用な人は素敵。不器用な人は自分自身を生で出してくる」
1996年8月13日
関根勤「デビューコンサートの司会をした」
時期不明
加藤茶「ドリフに来るとコントやってくれた。面白いですよ、間がいいし」
1999年11月16日
福留功男「この歌声をまだまだ聴きたいから、みんな『頑張れ明菜』ってコールしよう」
2001年1月3日
松山千春「すごいいい奴だな。めちゃくちゃ可愛いなあ」
松山千春「媚びない、群れない。そこにみんな魅力を感じてる」
2001年4月24日
何度も抱きつく萩原流行、岡村隆史、タモリ
照れるタモリと岡村隆史
2002年5月26日
鈴木紗理奈「干支、誕生日、血液型が同じ」
2002年11月
渡辺満里奈「聖子派、明菜派とか分けないで下さい。私はその時代の歌謡曲が好きだったんですよ。『飾りじゃないのよ涙は』歌いましたともさ!本当にすごい好きだったですもん」
2003年5月18日
千住明「内面から絞り出てくる祈り。身を削って声を出してる。魂そのもの」
2004年12月30日
楠田枝里子「いつもとっても繊細で、細やかな心配りのある女性」
2007年1月18日
寺島進「ライブの時『大丈夫?』って投げかけるんだよね、明菜さんって」
2007年1月29日
中山秀征「『スローモーション』のシングルレコード持ってます。中学生の時に買った」
2008年12月15日
稲垣潤一「『ドラマティック・レイン』のデュエットで、明菜さんとのボーカルのマッチング、最高の思い出でした」
2011年1月31日
浜田雅功「かわいいなあ」
2016年6月11日
小堺一機「僕に気を許してくれていた」
2018年11月19日
加藤登紀子「中森明菜さんデビューされた頃から大好き」
加藤登紀子「歌って下さいとカセットテープを渡したのは初めて。他にない」
2022年4月7日
石橋貴明「この子いい子だな。番組収録後写真撮ってもらったのが良い思い出」
2021年6月2日
古舘伊知郎「中森明菜バリアってのを持ってた。これがスター性を醸し出す陽炎のようだった」
2022年7月2日
古舘伊知郎「中森明菜の魅力を何風とカテゴライズすることはできなかった。ただ中森明菜の魅力としか言えない」
2022年7月19日
三浦亨「『十戒』の振りは明菜がほとんど自分でアレンジしてるんですよ」
三浦亨「聖子と明菜は異質だった。振り付けを自分流にした」
2022年11月4日
当時の宣伝担当・富岡信夫「同期に勝てるのは歌唱力。ミカン箱の上で歌っても上手いって言わせられる」
写真家・野村誠一「歌い出しを聴いただけで鳥肌が立った」
売野雅勇「作詞家の詞を20倍ぐらい深いところまで。表現しようとすると全部出てきちゃう」
当時のディレクター・藤倉克己「音、ジャケット、全部ひっくるめて1つの表現として考えていた。そういう面ではすごいプロデューサー」
加藤登紀子「もしあなたが『難破船』を歌うなら私はしばらく歌わない。明菜の歌として世に出して欲しい」
加藤登紀子「私以上に無力感、絶望感、気持ちが伝わってくる。すごい人だなと思いました」
売野雅勇「稀に見る芸術家。21世紀になっても他にいない人。偉大な歌手で天才的で貴重な尊い歌手」
2022年12月1日
杉山清貴「オメガトライブのレコーディング中、林哲司さんに『オメガトライブみたいな曲を』という作曲の依頼があった。出来上がったのが『北ウイング』。大好きな曲」
2022年12月1日
立川志らく「私は柏原芳恵推しでしたから脅威を感じてました」
2023年3月4日
五木ひろし「雰囲気と言いますか。山口百恵ちゃん、松田聖子ちゃんの後のアイドルの代表的な存在」
田中あいみ「20代でも明菜さんという存在は大きいと思います」
五木ひろし「演歌が大変強い時代。明菜ちゃんの出現によって音楽シーンも色々と変わっていきました」
川中美幸「番組でよく一緒になりましたけど可愛かったですね」
2023年4月8日
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