1983年10月7日
とんねるず_20070118の16:15あたりからと、石橋貴明_20220407の01:22あたりから。
楽屋で石橋貴明がラーメンのつゆを明菜の衣装にかけてしまったと話しているのがこの番組。
『少女A』の頃と話しているので、これの1年ぐらい前の話だろう。
『禁区』の最初の衣装は感じが違うと考えて
この頃から衣装についてセルフプロデュースしようとしていたようだ。
この後また派手な衣装(ミッツが着てる衣装)になるのは、事務所の意見に折れたのかもしれない。
「昔ツッパリだったって本当?」という質問に西城秀樹が間髪入れず「んなわけねえだろ」
「顔にクリーム付けてなかったんですよ」と笑いで返すしかなかったのだろう。
まだデビュー2年目。
事務所とレコード会社がこのイメージ戦略で成功してるんだからと渋る明菜をなだめすかして無理強いさせていたのだろう。
明菜も家族への恩返し(病弱で迷惑をかけた償いという意味合いが強い)という目的が叶っていて、家族も喜んでいるので、この頃は仕事だと割り切っていたのだと思う。
が、それも次第に限界に近づき、『禁区』の次のシングルでは自ら作詞家、作曲家を指名して『北ウイング』が誕生した。
(『北ウイング』は、私が林哲司さんに書いていただけるようにと一生懸命お願いして書いていただいたんです)
『十戒』の時にはまた折れたのかもしれない。
初代ディレクターの島田雄三が最後にディレクションした『飾りじゃないのよ涙は』までの間、相当葛藤し続けていたことがうかがえる。
(『ミ・アモーレ』以降は二代目ディレクターの藤倉克己が担当)
『禁区』については「今年(1983年)出した3曲の中では『禁区』が一番好き」と答えている。
後年は、他の曲と比べると浮いているのでセットリストの中で使いにくかったようだが。
1983年頃
1983年頃
1983年頃
1983年6月
関連リンク
- 芸術家
- 衣装を自分で作り直すこともある
- 明後日新曲で、1人で急いで店に行って衣装を選んだのが2,3曲
- この衣装は今、楽屋で作ってたんです。前に使った衣装をアレンジして作り替えたんです
- 衣装は足したり、作り直したり
- この衣装は自身でデザインした衣装。結構ステージ衣装とかでやるんです
- 衣装も振り付けも自分で考える
- 明菜さんは曲選び、衣装、振り付け、全て自己プロデュースされていた
- その他対人
- 少女A
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