1982年10月5日
(歌謡新人グランプリのシルバー賞で歌唱後)あがりますね
1982年12月5日
すごい先輩達のを見た後だとあがっちゃいます
1984年10月8日
山口百恵『イミテイション・ゴールド』を歌う企画で、緊張のために声がうわずる
1985年頃
【重要】デビュー当時は夢中だからあがらなかったが、今はどの番組出てもあがって震える
1988年10月16日
デビュー当時は無我夢中であがらないんですよ。今は全然あがっちゃってダメなんです
2006年1月14日
デビューして1年半ぐらいまではあがらなかった。芸能界で続くわけがないと思ってたから。応援されて「頑張らなきゃ」と必死になった
前の日に寝るところから緊張が始まりますからあんまり寝れないです
1983年5月10日
すごくあがっちゃいますね
1985年6月6日
たくさんのお客さんを前にした時が一番あがります
1983年12月31日
「あがっちゃって」歌唱後も震えが止まらない
1984年7月6日
新人の時から、こういう場だとあがっちゃってダメです
1985年7月25日
あがっちゃって震える時がよくある
1985年3月11日
『ミ・アモーレ』初披露で歌唱後も震えが止まらず手をバタバタ
1985年7月10日
『SAND BEIGE』歌唱後も震える手
1996年4月15日
緊張しちゃって
1986年9月7日
あがっちゃって心臓が止まりそう
1987年9月3日
まだプレゼンターのような立場じゃないので緊張してしょうがないです
1987年10月14日
『難破船』初披露で震える手
1987年11月9日
(『難破船』で手が震えてると言われ)派手な曲は振りで誤魔化しちゃうんですけど、じっと立ってるとあがり症だからダメなんです
1993年5月21日
レコーディングでもすごく緊張する。坂本龍一さんがいらしてたからもっと緊張して。リラックスするように言ってくれた
スローな曲ってじっとしていて震えてるのが分かっちゃう。分からなくしようと思えば思うほどもっと震えちゃう
1987年11月25日
私はすごく緊張しがちで、こういうステージは何度立たせていただいても心臓が止まりそう
1986年11月19日
今日なんかすごく緊張しちゃって。高島忠夫「手が冷たかったですよ」
1987年2月4日
(初のマンスリー。それも最年少で)リハーサルの時からあがってます
1987年12月30日
井上陽水(『飾りじゃないのよ涙は』作詞・作曲)、玉置浩二(『サザンウインド』作曲)をバックに、緊張で手が冷たくなる
1990年10月3日
(井上陽水、玉置浩二とのコラボで)陽水さんに「気軽にやろうよ」って背中をポンと叩かれたらもっと緊張しちゃった
1988年12月13日
マイクを持つ手を震わせながら歌唱
1990年8月1日
もう大変。元から緊張するんです
1990年8月10日
緊張はしちゃうから、さっきもリハーサルで詩が飛んでっちゃって
1990年8月17日
昔からコンサートでもなんでもすごい緊張するんです
1990年12月11日
元からすごく緊張する方なんですけど今日は特に
1991年4月21日
本当に口から心臓が出そうという感じ。膝がガクガクで本当にダメなんですよね
1993年7月3日
緊張してしゃべれないんですよ
1993年12月7日
露木茂「とにかくあがり症でオープニングで歌うってものすごいプレッシャーを感じてたそうですね」
1994年4月1日
今までもよく緊張してるんですけどね。どうしたんでしょう今日ちょっと
マイクを震わせ歌唱する『片想い』
1994年10月12日
(歌前の緊張に耐えられず)この場が…私、嫌いなんですよ
1994年10月29日
【重要】ステージ苦手なんです。生番組で歌うときとかも「お願いだから助けて」って言いたくなる
1994年12月24日
緊張して間違えました
1995年4月5日
『愛撫』の歌い出しで震える手
1995年4月16日
歌詞を忘れちゃうんです。あがっちゃうんですよね、すごく。真っ白になっちゃうんです
1995年11月17日
すごく緊張しちゃって。コンサートもそうなんですけどダメなんですよ。震えちゃったりしちゃうから
1996年
ダメなんですよあたし。本当に緊張するから
1997年3月31日
ちょっと緊張してます。もうダメなんですよ私
1998年10月24日
『Grace of my heart』歌唱後も震える手
2002年12月31日
(14年ぶりの紅白)緊張しますね
2004年12月30日
トップバッターって初めてだったので、心臓が止まりそうですし、裾も踏むし
2016年12月4日、25日
堀ちえみ「本番前緊張してた」早見優「あんなに堂々と歌って格好いいのに一番緊張してたかもね」
2023年4月8日
早見優「デビューの頃からすば抜けて歌が上手だった。緊張するタイプで振り付けする手が震えてたりする。でも声はのびやかで決める所は決める」
2005年7月9日
(小声のことを聞かれ)あがり症なので
1987年1月25日
(ファンの期待に応えるために)プレッシャーが大きいんですけどね。「今回はどういう風にするの?髪型や衣装は?」と聞かれ、悩みながら頑張った
2007年1月20日
【重要】応援して下さると同時に期待されることで、プレッシャーが大きくて辛かった
2009年8月12日
【重要】プレッシャーに弱い
2015年1月9日
本番を前に極度の緊張
本番後「手もガチガチになっちゃって」と笑顔を見せる
1985年当時は歌以外では緊張しなかったが、いつしかトークでも緊張するようになった。
何を言っても悪意ある記事を書かれてしまうのがストレスだったのかもしれない。
「felicidad AKINA NAKAMORI LIVE '97」(中森明菜 live '97 felicidad)でのMCによると。
デビュー当時は先輩方が素敵な方ばかり、同期も可愛い子ばかりで、 とても太刀打ちできないから「歌って砕けろ」だと思って緊張しなかった。 そのうちたくさんの応援を頂いて、歌番組に出て高順位を頂いたり、 年末には紅白や音楽祭で大きな賞を頂くようになって、 「もっともっと頑張らなくちゃ。みんなの期待に応えなきゃ」とプレッシャーがどんどん大きくなった。 「それでどんどん緊張するようになっていったのかな」と、さっき楽屋に居たときにふと考えていた。
「あがり症」についての話はここまでだが、ここだけ切り取ると誤解を招く恐れがあるので続きも。
でも。 他の歌手の方々も皆さん自分のファンに自信をお持ちだと思いますが、 私はそれ以上に私のファンの方々に自信を持ってます。 いつも私を温かく見守ってくれて、私に何か降りかかったり虐められた時に、 必ず遠いどこかで私の味方をして、言葉をかけて守ってくれたり。 こうして生のステージで、皆さんのお顔を拝見して生で応援の声を聞くことができて。 本当に幸せな瞬間。 ついつい、弱気になったり、疲れたって顔したりして甘えちゃうけど。 みんなと楽しい時間を過ごすのが、仕事をしていく中での私の一番の夢だし、 1つでも多くの夢と喜びを与えてあげるのが私の役目。
2023年。今も大勢のファンが温かく見守ってますよ。
コメント
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斉藤美枝さん
温かいコメントありがとうございます。
このページに書いたMCの内容。
改めて読んだら涙が出ました。
自分で書いたものなので変な話ですけど。
発言内容は明菜さんのものですので。
本当に頑張り屋さんですよね。
やはりトップスターになられたのでプレッシャーも半端ないですね。売れていくという事がそういう事なのですね。これで良いのだろうか?といつも自問自答していて良く無い所は改善して努力していたと聞きました。妥協が無かったと言っていました。私なんか妥協ばかりの人生ですよ。でも妥協していたら人気が落ちるという事ですものね。厳しい世界ですね。すごい頑張ったのですね。今までの明菜さんの努力と頑張りを讃えます。
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