坂本九_19810802

ページ名:坂本九_19810802

1981年8月2日


髪の毛ねぇ、夏で暑くても、長い方が大人っぽく見えるっていうんで…頑張って…アハハッ

ここまで「こどもっ!」という感じのものは初見。
それもそのはず、放送日時点では16歳だが、収録日時点では誕生日前なのでまだ15歳。
年相応、あるいはもっと幼く見える。
笑福亭鶴瓶_19910629」の20:05あたり。
松田トシから「本当に可愛い可愛いねぇ。童謡歌った方がいいんじゃないの」と言われたとのことだが、
皮肉の部分は無視するとして「本当に可愛い可愛いねぇ」の部分は、これを見ると納得してしまいそうだ。
阿久悠の「大人になるってのはスカートの丈が長くなったとかじゃなくて」というのもごもっとも。
これについては例が悪かっただけで、家事を手伝っている話とかをすれば良かったと本人も後から思ったことだろう。
この後、大本恭敬からの厳しいレッスンや、事務所、レコード会社の大人達と接することで
急速に大人の話し方を身につけていったのだろうと思われる。
「アハハッ」の部分は、彼女が時折見せる笑い方。
あれは地の笑い方だということが、これにより分かる。
また、これを見れば「みんなと同じ庶民だということを分かってもらいたい」というのも理解しやすいだろう。
普通の子供がスターになってしまったのである。
ごく普通の少女だったのに、ただ1つだけ違っていたのは奥様は…もとい、少女は歌が上手かったのです。
(もしもこのネタが分からない方はご両親に聞いて下さい)


これを見ると「甘えた(がり)」という印象を受ける。
中森明菜の性格を一言で、と言われると答えるのが難しいが、
もしかしたら一言で表すと「甘えた」かもしれない。
もちろん、一言と言っても長々とした説明が必要になるのだが。
病弱で母に捨てられまいと必死に母にすがりついてきたという生い立ち。
甘えすぎるとうざったがられるので、我慢強く育った。
甘えられない代わりに、母の家事を手伝ったりして、いい子になり褒めてもらうことで甘える。
恋人に対しても懸命に尽くすことで甘える。
ファンに対しても同じ。ファンに喜んでもらうことで褒めてもらい甘えることができる。
そのために全力を尽くし、手が抜けない性格になってしまった。
体が壊れるほどに。
体が無理になることでようやく得た休養。
今は無理をしてきた体を労る期間だと思い、ゆっくり静養して欲しいものだ。
タモリ_19910412」の3:23あたり。
「甘えだしたらキリないですからね。キチンとしてなくちゃ」
と言っていることからも、甘えただという自覚があるからこそ、
自分を厳しく律し、スタッフにも厳しくなるのだろう。
我慢をし、素直な甘え方をせずに育ったから、
ちっちゃい頃から甘えて育たなかったから甘え方を知らない。病弱で家族に迷惑かけたから。自分さえ我慢すれば誰にも分からない」と不器用な性格になった。
「甘えた」ゆえに家事が得意になり、奉仕が好きで、我慢強く、己に厳しく、強がり、真面目で完璧主義、お人好し、寂しがり屋…。
と彼女の性格のほとんどを説明できる気がする。

今頃気付いたが、ナチュラルにビブラートがかかってないだろうか。
私は歌唱法とかには詳しくないので自信は無いが。
「ゆき~ます~~~」「朝の気配が~~~」の語尾のところとか。
編集次第なのでなんとも言えないが、ちょうどそのタイミングでの審査員達の笑顔。
中村泰士の「15歳でリズムの揺れと気持ちの揺れを会得した」というのは、
このナチュラルなビブラートのことではないだろうか。
この時点ではまだ大本恭敬からのボイスレッスンを受けていないので、
ビブラートは歌手志望だった母親直伝のものということになる。
(「母がボイストレーナーのように教えてくれた」参照)
これと比べると決戦大会では、全体的に抑え気味で小さくまとまったという気もする。
大好きなお母ちゃんから教わったテクニックに更に磨きをかけることで
「明菜ビブラート」と呼ばれるまでになっていったのかもしれない。


あの点数の出し方、間の空け方。演出としてうまいですね。
99点が出た瞬間、必ず涙腺崩壊してしまいます。


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