萩本欽一_198303

ページ名:萩本欽一_198303

1983年3月頃



予備


佐藤良子_19830619」の収録が1983年3月26日。
この中でファンから「タンタカ連邦やって」とリクエストされている。
おそらく、これを見た上でのリクエストなので、1983年3月頃のものと思われる。


01:57あたりからの
「私がやってない時でしょ」「1度目はまだお父さんが司会やってらっしゃった頃でしたよ」
萩本欽一_19931231」の00:19あたりからの
「私は何度も受けてますから」「そうだってね。本番中言われちゃったよ」
本番中言われたというのは、1983年のこの時の話のこと。
10年後の1993年に萩本欽一は覚えていたが、明菜は多忙だったゆえかすっかり忘れていたのだろう。


終盤の母との電話の話。嬉しそうに話しているのが印象的。
楽しかったのはデビューして最初の頃だけ。家族が喜んでくれてた頃だけ
と語っているのがまさにこの頃だったのだろう。
この「京本政樹_20020526」の42:32あたり。
「生番組が終わればすぐに電話かかってきて『良かった』とかストレートに喜びを伝えてくれてたので、どんなに忙しくても、どんなに疲れてても『もっと頑張ろう』って思いましたね」
本当にこの通りだったのだろう。以下のように。


毛布でテレビの話は、彼女も後年マイナスだったと思っただろう。
約半年後のクイズ番組でもこの話をしているので、
当時は番組を盛り上げるためのいいネタだと思っていたのだろう。
口喧嘩は多かったようだが、面倒見が良かったのも事実なので、ほとんどの人は軽く流したと思う。
が、マスコミはこういうのにめざといから売上のためにこぞって書き立てたと思われる。


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1983年 萩本欽一 真屋順子 見栄晴 性格 生い立ち 負けん気 タンタカ連邦


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