【重要】1986年10月6日
寂しがり屋ですから。1日中1人で居るのは耐えられない
後にニューヨークに一人旅するのは千倉真理に触発されたこともあるのかもしれない。
00:25あたりから。
「『Fin』の方でまたベストテンだとか」「どうでしょうね。ちょっとまたイメージが違うからねぇ」「また驚かされちゃったという私達の印象」
出す曲、出す曲、イメージチェンジしていくのが好きですからね
小田切千_20150109の16:46あたりから。
みんなを喜ばせたい。びっくりさせたい。飽きさせない。 「またこんな感じね」っていうのが私は嫌だったんです。 みんながいくら好きって言っても「好きだけど同じね」というのが嫌で。 「全然違うけどこれも好き」ってしたくて可能な限り自分を変えて。 まるで違う歌手が出てきたみたいに常に新しい中森明菜を見てもらいたい。 その代わり「失敗したな。違ったな」という時は「みんながっかりしたろうな」と何倍も落ち込んだ。
応援して下さると同時に期待されることで、プレッシャーが大きくて辛かった
初代ディレクターの島田雄三が退いた後、自分の意見がほとんど通るようになった分、全て自分の責任だと感じるようになり、常にプレッシャーが重くのしかかっていたのだろう。
(「自分で自分にプレッシャーかける人なので、泣きたくなるぐらい嫌」参照)
このサイトを作り出してから気付いたのだが、
『飾りじゃないのよ涙は』までは、大舞台等では緊張していたもののまだマシだった。
『ミ・アモーレ』以降は、それまでと比較にならないぐらいあがるようになっている。
(「『ミ・アモーレ』初披露で歌唱後も震えが止まらず手をバタバタ」参照)
ちょうどディレクターが島田雄三から藤倉克己に替わった頃と符合する。
この時も自分の意見でイメージをガラッと変えた分、皆に受け入れられるか不安で仕方ない状態だったのだろう。
なので「どうでしょうね。ちょっとまたイメージが違うからねぇ」と率直に話したのだと思う。
結果、その『Fin』で大賞受賞したのだから感無量だったことだろう。
イメージを変える戦略に関しては島田雄三のギャップ戦略の成功から学んだのだと思う。
スローテンポ(『スローモーション』『セカンド・ラブ』『トワイライト』)からのアップテンポ(『少女A』『½の神話』『禁区』)、
アップテンポからのスローテンポという島田雄三によるギャップ戦略の成功はお見事と言わざるを得ないでしょう。
明菜はそこから学んでイメージを変える戦略へと応用したのだろう。
08:25あたりから。
百貨店(厳密には百貨店ではないらしいが)の固有名詞を出して愚痴を言っているのは、下記のことを知らないと誤解を招くかもしれない。
- 給料はほとんど実家にいきます
- デビューされてから自分の欲しい物を買わず、家族の口座を作って給料を分けて振り込まれるんです
- 貯金どころか借金
- 値段を気にする庶民的な明菜
- 母の買い物にくっついていくうちに値切るのを覚えた
- 「明菜は買い物上手だね。50円でこんなに買ってきたよ」とお母さんが褒めてくれた
この頃はまだ自分自身で使えるお金が少ないから、大家族で培われた庶民的な節約志向のまま。
明菜らしい愚痴と言えよう。
うちコタツ無いんです。コタツ欲しいんです。コードだけ買ってくれば
この時のコタツと布団はもらえたのだろうか。
衣装等経費になるものについては、普通の会社と同じように領収書で精算してもらったか、事務所からクレジットカードを持たせてもらっていたのだろう。
普通のページを作るつもりでツラツラ書き始めたら、全く意図せず重要なページとなってしまいました。
見ての通り憶測ばかりだが、中森明菜自身の言動を根拠としているので、
本人への取材もせずに他人の憶測を引用しているばかりの金儲け記事よりはよほど信用性が高いと思う。
関連リンク
- 仕事
- 芸術家
- 『トワイライト』の頃からジャケット制作のメンバーに加えていただいた
- アイドルのジャケット写真は顔のアップじゃなきゃダメって言われてたけど、『十戒』で初めて全身写真にしてもらった
- ジャケット、ヘアスタイル、振り付け、全てを自らプロデュース
- 性格
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1987年 千倉真理 ラジオ 風邪 仕事 芸術家 ジャケット 性格 寂しがり屋 fin 島田雄三 藤倉克己 重要
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