登録日:2021/09/29 (㈬曜日) 01:00:00
更新日:2024/06/04 Tue 13:58:19NEW!
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アーセナル トッテナム 裏切り者 サッカー サッカー選手 チート 波乱万丈 裏切り 所要時間30分以上の項目 プレミアリーグ cb スポーツ ユダ 金の切れ目が縁の切れ目 最強 苦労人 インヴィンシブルズ イングランド代表 ポーツマス
Heyyyyyy Sol Campbell!,JU-DAS!
(おいソル・キャンベル!この裏切り者!)
I wanna knowwww way your'e such a cunt!
(どうしてお前はそんなマ〇コ野郎なんだ!)
2、3、4、5、6、7、8
(以下ループ)
トッテナム・ホットスパーFC、サポーターのチャント(応援歌)「Sol Campbell Judas(ソル・キャンベルは裏切り者)」より
ソル・キャンベル(Sol Campbell,本名スルジール・ジェレマイア・キャンベル(Sulzeer Jeremiah Campbell, 1974年9月18日 - )は、イギリス・ロンドン出身のサッカー選手。
現役時代のポジションはセンターバック(CB)。90年代から00年代初頭までクラブ・イングランド代表チームのバックラインを支え、最盛期はあのジョン・テリー*1やリオ・ファーディナンド*2といった伝説の名選手がベンチを温める事になり、衰えたドイツW杯まで一切ポジションを譲らなかった選手である。
また、アーセナル時代にはプレミア史上唯一の無敗優勝を達成した最強チーム*3の最終門番として大活躍し、その成し遂げた実績でイングランドサッカー史上最高のセンターバックの一人と言われた。
しかし、彼をもっとも有名にしたのは当時所属していたトッテナム・ホットスパーFC(以下トッテナムと省略)から、ライバルチームであるアーセナルFCへ、チーム生え抜きでキャプテンかつチームの要でありながら、あろうことか無料で移籍するという、プレミアリーグ史上最悪とも言われる禁断の移籍を行い、伝説の裏切り者となった事だろう。
いったいなぜ彼はそんな事をしたのだろうか?
●目次
少年時代~天才の陰キャ少年~
キャンベルはロンドンのニューハム区プレイストウにジャマイカ人移民の両親シーウェルとウィヘルミナの間に12人!?兄弟の末っ子として生まれた。
父シーウェルは鉄道労働者、母ウィヘルミナは車の工場労働者として懸命に働いていたが暮らしは貧しく、更にプレイストウは貧しい移民街という治安の悪い近所で育つというThe サッカーエリート(意味深)*4の環境で育った。
一歩間違えばヤ〇ザや〇フィアに行ってもおかしくなかったが、キャンベルは厳格な両親の教育とサッカーとの出会いでどうにか犯罪とは無縁の生活を送ることが出来た。しかし、12兄弟の末っ子と言う事もあって色々苦労したようで当時の環境をキャンベルはこう語る。
当時の私は家の中で陰キャでした。家が狭すぎて喋る事が出来ず、呼吸する余地すらなかったです。
家の中で話すことが許されなかったので、私が自分を表現する場所はサッカーだけでした。
後年、彼は「内気で物静かで周りと孤立しがち」と周囲から勝手にイメージされてしまうが、そもそもの環境のせいで陰キャになるのは必然だったかもしれない。
しかし、彼のサッカーの才能はまさに「天才」と言っても過言ではない程素晴らしい物だった。最初に所属したウェストハム・ユナイテッドでのユースチームではFWとして大活躍し、瞬く間にロンドン中の注目を集めるようになった。
このウェストハムでの目覚ましい活躍を見たトッテナムのチーフスカウト*5、レン・チーズライト(当時)からは、
「キミ!いいカラダしてんねぇ!ホントに…んー、ちっと触るよ。…おー、いいねぇ!」
「あ、さ、じゃあここにサイン書いてきて!ハイ、ヨロシクゥ!」
「ちょっとワッーってやって、パパパッとサインして、オワリッ!」
「もう書こうぜ、チャチャっと……大丈夫だろもう? よしっ、キマリッ!」
最初キャンベルは別クラブのユースに参加することに消極的だったが、彼の2ヶ月に渡る熱烈な&粘り強い交渉をした結果、最終的にトッテナムのユースチームに入団。当時のチームマネージャーのキース・ウォルドンは後に、「ガタイがヤバかった(小並感)」と評した。
また、トッテナム移籍後にFWからDFへポジションをコンバートしたが、そこでも目覚ましい大活躍!
すると、14歳の時にイングランド代表が開催する特別なユーストレーニングプログラム*6に受け入れられた16人のサッカー選手の一人になるほどのハイパーサッカーエリート街道を進んだ。
更に、彼自身は内気の陰キャでしたがそのガタイから溢れ出る素晴らしいキャプテンシーにウォルドンは惹かれ、「お前キャプテンは初めてか?力抜けよ(任命)」とユースチームのキャプテンにすることを申し出たが、キャンベルは「自分の試合に集中したい」との事でオファーを断った。
その後も順調に成長したキャンベルは1992/93シーズンに若干18歳!?でトップチームデビュー*7を果たし、19歳でレギュラーを奪う*8ことに成功した。
トッテナム時代(前編)~たった一つの栄光と葛藤~
弱冠19歳でレギュラーを奪ったキャンベルはその後もメキメキと実力を伸ばしていく。
1996年に21歳でイングランド代表に選出されると、翌年にはキャプテンに任命!*9
98年にはトッテナムでもキャプテンに任命される等順調なエリート街道をひた走り、弱冠23歳で国もクラブも背負う立場になった。
そして、キャプテンに任命された98/99シーズン、リーグカップ決勝でレスター・シティを破りトッテナムに8年ぶり、90/91シーズン以来のタイトルを獲得!
後述する当時のトッテナムの実力からすると、これは偉業とも言っていい大快挙だった。
一番左がソル・キャンベル

画像出典(21/9/29閲覧): Mundialistas y Mitos: SOL CAMPBELL
更に彼は英国サッカーの聖地、ウェンブリースタジアムで優勝した最初の黒人キャプテンになった。
いまだ差別が根深かった英国で達成したこの優勝は多くの黒人選手や少年少女に勇気と希望を与え、
「キャンベルのようになりたい!」と当時の全黒人の憧れの象徴になり、遂に彼は人種も背負う事になる。
この結果を出したキャプテンのキャンベルにトッテナムサポーターも誇らしい気持ちで一杯だった。
ソル・キャンベルがトロフィーを掲げる姿!あのポスターを見ているだけで幸せだった。
いっつも見ていた。あれしか優勝トロフィーはなかった*10から。
クレイグ・ミティッチ 司会者、生涯トッテナムサポーター
等々サポーターの期待を予想以上に上回る結果を出し、トッテナムも不動のレギュラー&クラブキャプテンである彼には移籍金2000万£*11の値段を付けた。
これは前述したリオ・ファーディナンドがリーズ・ユナイテッドに移籍した1800万£の世界記録(当時)を上回るDF史上最高価格・・・つまり非売品であり絶対に売らないという意思表示でもあった。
このように、はたから見れば彼は順風満帆の完璧なサッカー人生を歩んでいるように見えたが、彼は常に現状に葛藤していた。
その主な理由は、20年以上前のトッテナムが悲しくなるほど弱かった事だった。
ソル・キャンベルがトッテナムでレギュラーを取った近年の順位表
シーズン | (年齢) | 順位 | 備考 |
93/94 | (19) | 15位 | 降格圏から勝ち点3で残留 |
94/95 | (20) | 7位 | |
95/96 | (21) | 8位 | イングランド代表初選出 |
96/97 | (22) | 10位 | |
97/98 | (23) | 14位 | 降格圏から勝ち点4で残留。代表キャプテンに |
98/99 | (24) | 11位 | クラブキャプテン就任。リーグカップ制覇 |
彼のレギュラー定着後、チームは2回も残留争いに巻き込まれていた。
この頃は既にイングランド代表でも既に不動のレギュラーを獲得していたが、周りの選手はマンチェスター・ユナイテッドやアーセナル*12といった強豪名門クラブ。
なのに自分はトッテナムで一人だけワールドクラスという現状*13で、常にもどかしい気持ちで一杯だった。
ですが、彼は他のチームに移籍する事に躊躇していた。
と言うのも当時のプレミアリーグは現代みたいに移籍が活発ではなく、ワンクラブマン(生え抜き選手)が各チームに沢山いる時代だった。
ましてや、彼は生え抜きでありクラブキャプテンでありトッテナムの象徴。当時の常識で言えば移籍なんて有り得なかったのだ。
実際に99年には当時イタリアのセリエAで「セブンシスターズ*14」と言われる程のメガクラブで、あの中田英寿も所属していたASローマからのオファーも「クラブへの忠誠」を理由に断っていた。
この当時のキャンベルの心境を彼の代理人はこう語っている。
ソル・キャンベルは常に勝つ事にこだわる男でした。勝者と常に戦いたかった。
彼は日々常に葛藤していました。
「本当にトッテナムで勝てるのか?このクラブは一体どこへ向かっているんだ?」
と自問自答していました。
スカイ・アンドリュー 代理人
この重過ぎる思いは、キャンベルが陰キャでサッカーでしか自分を表現できなかった事もあり、彼は何とかしてトッテナムで結果を出したい思いで一杯だった。
しかし、当時のトッテナムは・・・
「(試合に負けたその日)大丈夫だって安心しろよ~。ヘーキヘーキ、ヘーキだから。酒欲しいでしょ酒?」
「今日は試合に負けたし、あいにくの雨。でも、僕の気分はウキウキなのら!なぜなら、今日は給料日で酒が飲める日なのら!」
「試合には負けたけど、やっぱ~Mr.中野の~料理を…最高やな!(やけ食い)」
と、プロ意識のかけらもないような集団だった。
これはトッテナムだけでなく、当時のごく一部のクラブを除いた*15プレミアリーグ特有の慣習で、試合前日に二日酔いになるまで飲む、ごく一部の選手を除いてみんな飲み過ぎ食べ過ぎで酔っぱらいのオッサンのようなダルダルの体型。お腹が出ている選手もいた。
チームにはヘビースモーカーがたくさんいて試合前試合後には吸い殻がたんまり等々ごく一部のチームを除いてどこもセミプロかアマチュアかな?と疑うレベルで酷かったから多少はね?だからワールドカップで惨敗するんだよ。
まさにキャンベルは某内川コピペのような状態になっていたが、それでも彼はクラブに更なる栄光を掴むため自分を律し、食事制限や健康に気を使い、毎日トレーニングを積み続ける等涙ぐましい努力を続けました。
しかし、そんな日々葛藤しながら積んできた努力も全てぶち壊すような事件が起きてしまう。
トッテナム時代(後編)~カウントダウン~
事の発端は、99年に当時のオーナーであるシュガー会長がクラブ資金を悪用したとメディアに書かれたことで、名誉棄損で訴えた裁判での出来事だった。
この時、会長はキャンベルに証人を依頼した。彼はイメージのいいキャンベルを証人にすることで裁判を有利に進めようとしたからだ。
ですが、その時とんでもない事実が発覚する・・・
うわっ…私の年収、低すぎ…?
(年俸70万£ 日本円で約1億1000万(当時))
この金額はレギュラークラスではプレミアリーグ最低レベルの給与であり、キャンベル自身は「70万£も貰っているなら」という気持ちでしたが、裁判中に給与が開示されてあらビックリ!チームでも下から数えたほうが早いぐらいの低年俸でした。
ここでもう一度思い出して振り返って欲しいのだが、
彼はクラブのキャプテンで、イングランド代表のキャプテンであり、黒人を代表するサッカー選手でもあり、CBでは世界トップ5にも入る実力の持ち主である。
それなのにプレミア、チーム最低レベルの給与・・・
積もり積もった鬱憤が大爆発したソル・キャンベルは当然大激怒(# ゚Д゚)
証人も拒否し、契約延長の交渉も打ち切った。
流石にこれには「やべぇよ…やべぇよ…」とスパーズも本気で焦った。
というのも彼との契約はこの時点で1年半しかなく、残りの半シーズンと翌シーズンで契約が満了してしまうからだ。
プロサッカーの実に摩訶不思議な所だが、サッカー選手は契約を満了してはいけない(戒め)のだ。
なぜなら、満了して移籍した場合だと選手は無料で自由に他クラブと契約でき、クラブには何も残らないが、契約が残っている状態で他クラブに移籍する場合、そのクラブへ対価として「移籍金」というお金を受け取ることが出来る。
この移籍金も詳しく話すと非常に厄介だが、現状だと00/01シーズン開始前の移籍期間にキャンベルを売却すればお金が入るが、シーズンが終わったら無料で他所へ移籍出来てしまうというジレンマにトッテナムは陥った。
このキャンベルの契約問題に対して首脳陣での会議でも、
監督、SD*16
「ソル・キャンベルは移籍しないよ。だって俺たちのヒーローだぞ?お金を積んで誠意をもって対応すれば延長してくれるよ。だから今直ぐに会長は謝って、どうぞ」
シュガー会長
「いや、あいつはもうここには残らない!今すぐ売れ!」
と、トップの意見も真っ二つに割れ、同時にクラブの売却交渉等々も控えていた為、トッテナムは迷走。
一向に契約延長しないキャンベルとクラブにサポーターもどんどん不安になり、マスコミの取材やサポーターからの質問にもキャンベルは
選択肢はオープン。理想はスパーズで頑張りたい。契約満了までスパーズに尽くす。
と、これのみしか言わず時間だけが進み遂に満了1年を切ったのだった。
00/01シーズン開幕前、キャンベルには世界各国のメガクラブが接触した。
スペインの[[レアル・マドリード>レアル・マドリードCF]]、[[FCバルセロナ>FCバルセロナ]]、イタリアの[[インテル・ミラノ>インテル(サッカー)]]、ドイツのバイエルン・ミュンヘン等々今も昔もメガクラブのそうそうたる面々がオファーした。*17
しかし、キャンベルは
契約満了が確定するまでスパーズに尽くす。満了まで他クラブとは一切交渉しない。
と漢気*18を見せ、結局バルセロナとインテル以外は撤退という形になった。
しかし、シーズンが開始しても一向に延長交渉の進展は無し。気が付けば満了まであと4か月の状態になって延長は絶望視されていた・・・
が、遂にトッテナムがイギリスの投資会社ENICグループに買収され、新たにダニエル・レヴィ会長が新しく就任!
レヴィ会長は金融業で成功した人物で、生涯トッテナムサポーターを公言している人物だった。
彼は後に様々な知略を使って弱小だったトッテナムをメガクラブに進化させたサッカー史に残るスーパー凄腕会長なのだ。
しかし、当時の会長は就任したばかりで会長職も未経験であるなど、この時点ではトッテナムが大好きのエリート金融おじさん38さいでしかなかった。
就任後、早速彼は目下大問題になっているキャンベルとの交渉に向かい、契約更新のオファーを出した・・・
が、
「現在の4倍ぐらいの~、おおよそ・・・4億5000万?ぐらいの給与でどうでしょうかねぇ???(わ~、憧れのキャンベル選手だ!カッコいい!)」
と、現在の彼ではあり得ないなんともふ~~~んわりとした交渉を行ったのだった・・・
当然キャンベルは無反応。交渉は頓挫した。*19
なお、契約問題がこじれている間でもキャンベルはキャプテンとしての責務をしっかり果たし、弱小チームをFAカップ準決勝まで進出させた。相手は宿敵アーセナル!
ですが、無念にもキャンベルはこの試合で負傷退場*20。結局この退場が痛手となり、最後はパトリック・ヴィエラに決勝点を浴び敗退。キャンベルも残り試合を全休する羽目になった。
結局これがキャンベルのトッテナム時代最後の試合になってしまったが、これは果たして運命だったのか?
試合の2週間後、キャンベルは最後まで契約延長を諦めないレヴィ会長と最後のミーティングを行う。
キャンベルはその時のミーティングをこう振り返った。
会長は様々な数字を出した。このタイトルを取ったらこのボーナスを、この順位ならこの年俸だと・・・
ろくな選手補強もしないのにどうやってこんな目標を達成するんだ?
…前半で出た順位表を見ても「そんなタラレバを言われても・・・」とキャンベルが思うのも無理はなかった*21
結局、キャンベルは10年間人生のほぼすべてをささげたトッテナムを退団した。
これは彼にとっても間違いなく苦渋の選択だった。キャンベルは、
ここまで話し合いが長引いたのはサッカーが理由です。私は9月に27歳になるので、今すぐにでも欧州トップの大会に出たかった。
私は10年間、サッカー人生をトッテナムに捧げた。判断が遅くなったのは愛するチームから最後まで話を聞きたかったからです。
サッカー選手の寿命は他のスポーツと比べても短く、大体20代後半~30歳付近でベテラン扱い。当時はどんなに長くても34,5までプレーできるかできないかと言われていた。
既に27歳という年齢は、サッカー人生の終わりがもうすぐに来る年齢です。
キャンベルは明らかに焦っていたのだ。
しかし、トッテナムは退団コメントにて、
この度、ソル・キャンベル選手がトッテナムを退団します。彼はプレミアリーグ及びトッテナム最高クラスのオファーを断り、退団を決意しました。
彼は年俸10億円の3年契約を提示し、2002年までにチャンピオンズリーグに出場出来なければ無料で移籍させる条件を希望しました。
この条件を飲む事が出来ず、当クラブは彼を放出する事になりました。
と、契約満了で退団するキャンベルを遠回しに非難する酷い公式文章を発表!
これに対してキャンベルと代理人は、「そんな条件は希望していない!」と反発。
これはトッテナムが「あいつらが、こんな無茶苦茶な条件を出したから契約できなかったんだ!私達は悪くない!」と言うような感じで自己保身に走ったと思われるが、そもそも希望条件を公の場に記載するのはルール違反である。
結局キャンベルはトッテナムと拗れたままで退団する事になった。
ともあれ彼はこれで契約を満了し、自由に他クラブへ移籍できるようになった。
この時点ではトッテナムのフロント・チームメイト・サポーター、それ以外の英国人の誰もが海外のビッグクラブへ移籍すると思われていた。
一方その頃・・・
移籍期間~運命の選択~
彡(゚)(゚)「ワイはアーセン・ベンゲル。アーセナルの名将や!日本でも名古屋グランパスを指導した事があるで!」
(´・ω・`)「僕はデビット・デイン。アーセナルの副会長だよ!アーセンをサポートするのが仕事なんだ!」
彡(゚)(゚)「今期はまたしてもマンU*22に優勝を取られたで!これで3年連続や!ヴィエラも補強してくれと嘆願しとるし、この期間で絶対にアダムスの後釜をきめなアカン!」
(´・ω・`)「アダムスの後釜かぁ・・・難しいね」
当時、アーセナルは80年代から長らくレギュラーだったセンターバックのトニー・アダムス選手の後釜探しに難航していた。
彼はもう35歳になり、酒好きだったこともあり心身ともにボロボロの状態でした*23。
しかし、彼の代役を探すとなるとどのクラブも高額の移籍金を要求しており、交渉は暗礁に乗り上げている状態だった。
そんな中、アーセナルはキャンベル選手が退団し自由契約になった事を知る。
彡(゚)(゚)「どうしようっか???」 (・ω・`)
彡(゚)(゚)「・・・よし、決めたで!ダメもとでキャンベルにオファーするんや!」
(´。ω゚`)「えぇ・・・(困惑)、キャンベルはトッテナムの選手だよ!?ライバルチームのオファーを受けてくれるのかな?」
彡(^)(^)「大丈夫や!キャンベルはチャンピオンズリーグ(以下CL)でプレーしたいとメディアにも言っとったで!ワイらはCLの常連やし、ヘーキヘーキ!」
彡(-)(-)「それに、キャンベルほどのCBをフリーで獲得なんてもう二度とないチャンスや!こ↑こ↓でオファーしないでいつするんや!」
(´・ω・`)「うーん・・・わかったオファーを出して見るね(まぁ100%ないだろうけど)」
ここで思い出して欲しいのだが、当時は前述したように生え抜き選手がわんさかいた時代。
クラブへの忠誠心も今以上にあり、ライバルチームへの移籍、それもロンドン近辺でのご近所移籍はご法度という時代だった。
デイン氏の予想通り、キャンベルも最初はアーセナルの接触を拒否した。
しかし、アーセナルのビジョンを示すと「話だけでも・・・」と興味を示した。
彡(゚)(゚)「これは・・・ひょっとして???」 (・ω・`)
彼は絶対にメディアに見られたくないと話していた為、デイン氏の所有する郊外の牧場で深夜3時に会談する事になった。
なぜこんなに遠くて遅くなのかと言うと、(現在はだいぶ解消されたが)この当時は「フーリガン」という超凶暴なサポーターがイングランド中に大勢跋扈していた。
彼らは試合のたびに阪神タイガースや浦和レッズもビックリの暴力行為、相手選手や敵チームへの卑劣かつ卑猥なヘイトスピーチ等を行い、特にダービーマッチでは死傷者が発生したり、勝ち負けに関係なくスタジアムや周辺商店や施設の破壊行為、及びその鎮圧の為に機動隊が出撃する事態が頻発していた。
この会談をフーリガンやメディアが目撃したら・・・残当の結果になるでしょうな。
郊外の牧場にて会談したベンゲルは、キャンベルに壮大なビジョンを提出した。
彡(^)(^)「ええか、キャンベル?ワイらアーセナルは97-98シーズンにリーグ優勝とFAカップ優勝(ダブル)を達成したんやで!ここまで3年連続でリーグは準優勝、CLもベスト8までいったんや!」
彡(-)(-)「この写真を見てみぃ!ワイのデザインした欧州最先端の練習場や!ユースアカデミーは英国No.1とも言えるほどレベルが高いんやで!チームの将来も安泰や!」
彡(゚)(^)「それにアーセナルは名選手の宝庫や!デビッド・シーマン、パトリック・ヴィエラ、デニス・ベルカンプ、マーティン・キーオン、アシュリー・コール、ティエリ・アンリ等々とスーパーなスカッド*24がそろっているで!」
彡(;)(;)「だが、今期はまさかの無冠に終わってしまって、みんな悔しいんや!勝ちたくてしょうがないんや!絶対に負けたくないんや!準優勝なんていらへん、優勝したいんや!」
彡(♥)(♥)「そこに君が入ったら・・・その時アーセナルは無敵のチーム(インヴィンシブルズ)が完成し、プレミア・・・いや、欧州最強の名を歴史に刻むんや!どや、ワイと一緒にサッカーやろうぜ!」
それは弱小トッテナムでたった一人で頑張っていたキャンベルにとって夢のように聞こえた内容だった。
アーセナルはキャンベルが喉から手が出るほど欲しかった理想のチームだったのだ。
当時のアーセナルはマンチェスター・ユナイテッドと2強時代を築いており、ベンゲルの黄金時代でもあった*25。
揺れるキャンベルにデイン副会長は何度もキャンベルと会談した。
会談は二人一緒で2回。デインと個人では更に計3回も会談した。
ソルとは週に何度も話しましたが、非常に重要な時間でした。彼は100キロの筋肉を身に着けた戦士でしたが、非常に内気で繊細な陰キャでした。
サポーターからとても愛されていて、トッテナムを退団する事を常に恥いていました。そして、
「仮にアーセナルに移籍したら、自分はどんな目に合うか考えると非常に怖い」ともね。
サッカーだけでなく、生い立ちや今後の人生について何度も話し合って信頼を得たのを今でも覚えているよ。
デビット・デイン アーセナルFC副会長
キャンベルは「デインさんなら自分を守ってくれるかもと思った。」と少しずつお互いの信頼関係を築いていった。
キャンベルはこの会談を通して、アーセナルに落ちかけましたが「他クラブの話も聞いてみたい」とのことで、一旦保留になった。
彡(゚)(゚)「落ちるかな???」 (・ω・`)
さて、話は変わってキャンベルは契約満了まで待っていてくれたインテル・ミラノとの交渉の為ミラノに向かった。
(*^◯^*)「チャオ!ようこそインテルへ!僕はマッシモ・モラッティ!インテルの会長なんだ!」
当時、インテルは惜しくも5位でシーズンを終えてCLを逃し、更にレギュラーCBのブラン選手をマンチェスター・ユナイテッドに引き抜かれていた。
当時のモラッティ会長はポケモン厳選かな?と思うぐらいスター選手を乱獲(攻撃の選手のみ)し、前オーナーであり偉大な父が達成した伝説の「グランデインテル*26」を復活させようと躍起になっていた。
彼はここまで年平均で70億円?!投資*27していたが、取ったタイトルはUEFAカップ*281回のみ・・・という悲惨な状況だった。
流石に&ようやく学習して守備の選手も補強しなきゃ!と言うことでキャンベルに白羽の矢が立ったのだ。
モラッティは早速インテルのホームスタジアム「サン・シーロ」と、1961年に設立された歴史あるトレーニング施設をキャンベルと一緒に見学した。この時点では事前の打ち合わせと言った感じで正式契約にはまだまだこれからと言った感じだった・・・のだが、
次の日の新聞にて、
キャンベル入団確定!?モラッティ会長、キャンベルに12億円の給料で契約合意決定!?
モラッティ会長、早くもインテル優勝を宣言!セブンシスターズよソルに跪け!
インテル大勝利!希望の未来へ向けてレディーゴー!!!
(*^◯^*)「世界中のインテリスタ*29の諸君!キャンベルはインテルに入団決定なんだ!彼は交渉や見学でなんども頷いていた!だから入団決定なんだ!*30インテル優勝!インテル優勝!」
と、(何も決まってないのに)ビックマウスを世界中のサッカーメディアに向けて連発(いつもの)し、キャンベルは困惑していました。
その後、同じく契約満了まで待っていてくれたFCバルセロナとの交渉に向かった*31。
( ・`ω・´) 「お待ちしていました!早速契約交渉いたしましょう!」
当時のバルセロナは順位こそ4位で終わっているものの、チームの雰囲気は最悪で暗黒時代に片足が入っている状態*32だった。
特にDFラインがガバガバで、「一緒や!ゴールしても!」というぐらい守備が崩壊していたのだ。
なので、是が非でもキャンベルは獲得しないといけない選手だったのだ。
バルセロナに到着するなり、挨拶もすっ飛ばして早速役員から「契約はこれです!」と条件を提出されたそうな。*33
その内容はアンドリュー氏いわく「目玉が吹っ飛ぶ様な巨額の契約」だったそうで、しばらく契約書を眺めていたが、
( ・`ω・´) 「(やはりインテルはメディアに吹聴している以上の給料のようだな・・・)申し訳ございませんでした、この給料にさらに50%上乗せしましょう!」
アンドリュー氏は「現在のマンチェスター・シティのトップ選手に匹敵する給料だった(単年で約20~24億円)」と語った。
世界最高とも称されるクラブの一つFCバルセロナからワールドクラスの給料を見せつけられ、当時のバルセロナがどれだけ本気で欲しかったかが伝わってくるだろう。
ここで全てのクラブが出そろったので表にしてまとめると、
ソル・キャンベルにオファーを出したチームの一覧表
チーム名 | 推定年俸 | 前年度リーグ順位 | 欧州大会 | 96~02年までの監督の数 |
バルセロナ | 24億 | 4 | CL | 4 |
インテル | 12億 | 5 | UEFAカップ | 8 |
アーセナル | 7.5億 | 2 | CL | 1 |
トッテナム | 4.5億 | 11 | 無し | 6 |
この中でキャンベルは「給料よりも自分を必要としていてかつ優勝できるチーム」を希望した。
また、金銭面より重要視したのは「監督の数」だった。というのも、何度も言うように彼は内気な陰キャなので監督や周囲と打ち解けるのに時間がかかってしまう為、過去にはトッテナムで監督と衝突した事もあったのだ。
その為キャンベルは、リーグ順位が高く、欧州大会に出場し、監督を交代した数が少ないチームを希望した。彼曰く「タイトルをとれる環境」だけが最重要だったのだ。
彡(^)(^)「落ちたな(確信)」 (^ω^`)
アーセナル時代~裏切り者の名を受けて~
トッテナムとの契約満了から3日後、アーセナルが新入団選手発表の記者会見を開いた。
英国のスポーツニュース、ファイブライブが中継するニュースに皆興味津々だった。
「誰だろう?」この時アーセナルにはまったく選手獲得の噂が無かったからだ。
そしてベンゲル監督が会場に入った瞬間、ニュースを見た全員が衝撃を受けた!
当時の記者会見より

画像出典(21/9/29閲覧): https://www.panditfootball.com/cerita/210451/TNS/171117/jumpa-pers-yang-sepi-di-kepindahan-campbell-ke-arsenal
それは、イングランドサッカー史上最も驚愕した移籍だった。*34
ほぼ全てのサッカーファンがインテルかバルセロナへ移籍するはずのキャンベルがプレミアに残り、まさかアーセナルに移籍なんて!と、まさに寝耳に水の移籍だった。
会見は張り詰めた空気と、混沌とした雰囲気で満ちていた。ようやく重い空気からキャンベルに記者が「な・・・なぜアーセナルに移籍したのですか?」と聞くと、
キャンベル「アーセナルが素晴らしいクラブだからです。私は、アーセンのような監督を必要としていました。偉大なチーム・監督・施設。全てはサッカー的な判断です。ここに来たかった。そしてここにいる。」
そして話はベンゲルに代わり、
彡(^)(^)「クラブ史に残るビッグ移籍ですね。ただ、彼は実力を証明しなければいけません。そして私も数か月で証明しなければいけませんね(すっとぼけ)。」
言葉を選びつつも、自分が一番欲しかった選手を無料でゲット出来てウキウキのベンゲル、真面目に記者との応対をやり取りするデイン副会長、大汗をかきながら(;(;゚Д゚);)ガクブルしているキャンベルで記者会見は幕を閉じ、キャンベルは無事にアーセナルの一員になった。
なお、この会見を見た・聞いたアーセナルのサポーターやチームメイトは一斉にドン引きしたそうな。
発表された日は今でも覚えている。記者会見を開いてみんな「誰だ?誰だ?」って言っていたよ。
彼が出てきたとき俺は叫んだ「OH MY GOD! お前、何をしているのかわかっているのか!?」ってね。
彼はサッカー史に間違いなく名を遺す行動を行った。でも、正直無礼すぎると思う。
POET 司会者 生涯アーセナルサポーター
噂はあったけど100%無いと思った。クレイジーな決断だ!
ノースロンドンを跨ぐその肝っ玉は評価する。数週間前までバチクソにつぶし合っていたけど、アーセナルが強くなるなら気にしない。
リー・ディクソン アーセナル選手
そして、会見後のトッテナムサポーターには絶望・悲しみ・苦しみ・怒りが込み上げていた・・・
「俺たちはお前が憎い!みんなお前を愛していたのに!」*35
#right(){「裏切ったな!僕の気持ちを裏切ったな!父さんと同じに裏切ったんだ!」
この当時の会見をリアルタイムで見たサポーターや選手は、
まず、彼はどこにも行かないと言っていた!満了しても海外でプレーすると言っていた!
私達は全てを彼に与えた。彼を育て、チームキャプテンまで務めた!あれ以上は愛せなかった!
なのに、ベンゲルと満面の笑みで一緒に出てきた!何をしたか?ではない!
嘘に嘘を重ねて史上最悪の裏切りを・・・あんなふざけた見世物をしやがって!
あんな事をした後何が起きると思ったのか?暴力以外は問題ない!そう思ったね!
テオ・デラニー 映画ディレクター兼脚本家 生涯トッテナムサポーター
ソルがアーセナルの練習場にいる映像を見てショックだった。怒りと言うよりショックだった。
ロンドン中にファンはいるのに、日常生活に支障が出るような選択をするなんて思わなかった。
シュテファン・クレメンス トッテナム選手
この怒りはすさまじく、移籍直後のノースロンドンダービーでのトッテナムホーム戦、
サポーターはJU-DAS*36と書かれた風船とボードを数千個用意し、試合当日アーセナルの選手を載せたバスは怒り狂ったトッテナムサポーターによりスタジアムに入れないぐらいの荒れようだった。
この試合の実況は「こんな怒号は初めてです!キャンベルはもはや重犯罪者のような扱いです!愛した古巣で苦痛の90分が彼を襲います(要約)」と言われるほどで、
試合前練習から罵声を浴びせ、試合中には石、砂利、ボトルが彼らを襲った。
裏切り者!!!

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結局この試合は1-1の引き分けに終わってしまうが、アーセナルはその後14連勝を記録して首位を爆走するとその勢いのまま敵地マンチェスター・ユナイテッドの本拠地でも勝利し、勝ち点87で3年ぶりのリーグ優勝!
更にFAカップも優勝し、キャンベルは初年度で97/98シーズン以来の二冠(ダブル)を達成し、大成功の移籍となったのだ!(なお、トッテナムは発狂したそうな。)
2冠達成時のキャンベル

画像出典(21/9/26閲覧): https://www.pinterest.jp/pin/454300681161996302/
更にこの大活躍でキャンベルは更に給料が上がり、週給10万£*37越えを達成した初のイングランド人になった!
様々な苦難や努力を重ねてタイトルを勝ち取ったキャンベルですが、彼はそれ以上の素晴らしいシーズンを送る!
2003/04シーズンはシーズンを通じて一度も負けることなく無敗でプレミアリーグ優勝を果たし、このチームは「インヴィンシブルズ(無敵のチーム)」として讃えられた。
最高の仲間達と共に

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この無敗優勝はイングランドのプロサッカーの歴史上プレストン・ノースエンド以来115年ぶりであり、優勝は最大のライバルトッテナムのホワイト・ハート・レーン*38で決定(2-2)させた。
ただこの試合、怒り狂ったトッテナムサポーターが襲撃しないよう審判がわざとアーセナルに不利な判定を行い、アーセナルサポーターは襲撃を回避するため試合後数時間待機する羽目になったそうな。
なお、キャンベルはサポーターにあいさつした後直ぐに逃走した模様。
しかし、プレミアリーグは好調のアーセナルでしたがそれでも欧州大会では中々結果が出ませんでした。
ですが、キャンベルは05/06シーズンに遂にCL決勝の舞台に導く。相手はかつてオファーしてくれたバルセロナ。
開始18分でアーセナルのGKがレッドカードで退場するものの、アーセナルはキャンベルの豪快なヘディングシュートで先制点をあげる!
しかし、バルセロナは後半に猛反撃。76分にエトー、最後はベレッチに決勝ゴールを許し、チャンピオンズリーグは惜しくも準優勝。キャンベルはこのシーズンをもって契約満了で退団と言う形になった。
この成し遂げた実績により、キャンベルは名実ともにアーセナル・プレミア・サッカーの歴史に「レジェンド」*39として刻み込まれた。
アーセナル退団後
退団後は、同じプレミアリーグのポーツマスFCにフリーで移籍した。*40
ポーツマスではレギュラーのセンターバックとキャプテンを務めて2000年代のポーツマス躍進の原動力となり、2008年には1940年代以来のタイトルであるFAカップを制覇した。
結果的にこのタイトルがキャンベルの最後のタイトルになった。
最後のタイトル

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しかし、その後起こったリーマンショックのせいでクラブは極度の財政難に陥り、キャンベルは退団。
その後はノッツ・カウンティ → 一時的なアーセナルへの復帰 → ニューカッスル移籍と渡り歩いたが、2012年5月2日に現役を引退した。
代表経歴
キャンベルは1996年5月18日のハンガリー戦で代表デビューを果たし、97年には22歳でキャプテンに任命された!
その後1998年のフランスW杯ではガレス・サウスゲート*41やトニー・アダムス*42と提携して守備の要を担ったが、アルゼンチン代表のシメオネ*43選手に対するベッカムの報復行為の退場によって不利になり、後半と延長戦を10人でなんとか凌いだがまたも苦手のPK戦で負けた。
EURO2000ではイングランドNo.1のセンターバックとして出場したが、グループ3位で敗退となった。
2002年の日韓W杯ではキャンベルは(以外にも)ワールドカップ初にして代表唯一のゴールをベッカムのコーナーキックからヘディングで決めた。
この時にパートナーを組んだリオ・ファーディナンドとは大会を通じて強力な守備を築き上げ、FIFAワールドカップオールスターチームで指名された唯一のイングランドの選手に選ばれた。
最終的に準々決勝でブラジルに逆転負けしてベスト8という成績で敗退した。
2004年のEURO2004では準々決勝まで進んだが、ポルトガル戦で延長戦に突入。その後にキャンベルのヘディングゴールが認められないという不運な出来事もあり、試合はPK戦へと突入。そのPK戦でまた負けた。
2006年W杯ドイツ大会では成長したジョン・テリーとリオ・ファーディナンドの控えに甘んじ、出場機会はスウェーデン戦での交代出場による1試合のみにとどまった。
なお、イングランド代表は準々決勝の相手ポルトガル代表にまたもやPK戦で負けた。
その後何度か代表チームに呼び戻され、2010年のワールドカップに向けてイングランド代表に入る望みを持っていたが、予選メンバーに指名されなかった為キャンベルは代表を引退した。
プレースタイル
身長188cm、体重91kgという鋼の肉体から繰り出すスライディングは20m!?も滑ったと噂されるほどであり、とんでもない身体能力の持ち主だった。
当時彼と対戦した敵チームは、なんとかパスを受けたFWがまさに岩石と言っても過言でない彼の圧倒的なフィジカルであっさりとボールを取られ、ヴィエラやシウバに冷静なパス→一気にカウンターに→アンリやベルカンプに失点という黄金パターンに陥り、攻めても失点・引いても失点という絶望的な状況で対戦せざるを得なかった。
個人の能力としては対人戦・空中戦・ポジショニング等守備面ではどれもまったくスキが無く、更に元々FWと言う事もあってヘディングも上手く、コーナーキックからフィジカルごり押しでゴールすることが出来る等デカイ・早い・強い・上手い・得点力ありを字で行く当時間違いなく世界5指に入るパーフェクトCBと評された。*44
ただ、まったく欠点がないわけでなくその圧倒的なフィジカルに体そのものが付いていかない事がままあり、年を重ねるごとにケガしやすい体質になった。
それ以外にもあまりに彼が凄すぎて敵の選手が退場覚悟で足を巻き込んで無理やり潰しに行った事が何度もあった為、キャリア晩年は頻発するケガとスピードの低下に苦しんだ。
余談
- キャンベルを宿敵アーセナルに取られたレヴィ会長はその後、約20年という時間をかけて弱小チームだったトッテナムを少しずつ、ジリジリと強化していき、遂には2023年の現在トッテナムをアーセナルに匹敵するメガクラブに押し上げ、18/19にはチームをCL準優勝に導いた。あの失敗は無駄ではなかったのである。
- 冒頭のチャント「Sol Campbell Judas(ソル・キャンベルは裏切り者)」はトッテナムで20年近く受け継がれた伝説のチャント。すごく短い歌詞を何度も繰り返し歌うだけですが、集団で歌うとノリノリになるチャントらしく、なんとも中毒性が高い歌?になっている。
- ソル・キャンベルを英語でYouTubeの検索欄に入力すると、予測結果に「Judas(裏切り者)」が確定で出る。どんだけ嫌ってんだよトッテナム・・・
- この移籍ではもし、彼がインテル、バルセロナに海外移籍したらどうなっていたか?というIFの話題もある。筆者は両方とアーセナルほどは活躍できなかったと思う。なぜなら、内気な陰キャのキャンベルがラテン系のイタリアやスペインに合うか未知数だから。特に暗黒時代のバルセロナはこの人の件もあったので、お金に釣られなかったキャンベルはやはり正しい選択をしたと思う。
終わりに
結局、この禁断の移籍はソル・キャンベルが悪かったのか?彼は今でもトッテナムから「金で魂を売った男」と蔑まれている。そして、それはトッテナムが消滅しない限り永遠に変わらないでしょう。
しかし、そもそもチームキャプテンをはした金で契約して、満了時に悪者に仕立て上げたトッテナムが100%正しいか?と言われると筆者は納得出来ません。
アーセナルもルールに則って獲得したわけですし、結論から言って間違いなくソル・キャンベルの判断は正しかった。いまだにアウディカップ・タイガーカップしか取れないトッテナムと違い、夢だったタイトルも持ちきれない程取りましたしね!
追記、修正はJU-DAS(裏切り者)と20年言われてからよろしくお願いします
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*1 2000年代のチェルシーを代表する生え抜きのCB兼キャプテン。後にキャンベルが衰えた後にイングランド代表のバックラインを支える*2 90年後半から2010年前半まで大活躍しイングランド代表CB。マンチェスター・ユナイテッドでキャリア全盛を迎え、2000年代のクラブの黄金期を築いた選手の一人。
*3 インヴィンシブルズ。2003年8月15日から2004年5月15日までの49戦で無敗だった伝説のチーム。この記録は未だに破られていない。
*4 伝説の名選手マラドーナ等、今も昔も実際にこういう環境から這い上がった選手は大勢いる
*5 その名の通りスカウト部門の最重要責任者。普通はこれからモノになるかどうかも分からないユース年代の選手にスカウトのトップが来ることはまずないが、キャンベルはそのトップが来る程の名選手だったのだ
*6 これはイングランド代表が全英から選抜した時期代表候補だけに教育されるスーパーサッカーエリート育成プログラムなのだ
*7 今でこそ育成システムが発達して10代でのトップデビューは珍しくはないが、当時の90年代、しかもイングランドでこのデビューは正に「偉業」とも呼べる快挙だった
*8 この当時のトッテナムは後述の通り現代のような強さはなかったものの、それでも欧州5大リーグの一つであるプレミアリーグで10台でレギュラーになるのは極めて稀な例外である
*9 これはイングランドをW杯優勝に導いたボビー・ムーアに次いでイングランドで2番目(当時)に若いキャプテンでした。
*10 その後のトッテナムも・・・
*11 ポンド。約33億円。1£=165円(当時)
*12 当時のプレミアリーグはこの2チームの2強時代でした
*13 2023年で言うとハリー・ケインみたいな立ち位置かも?ケインはソン・フンミン等他にワールドクラスがいるからマシだけど
*14 90年代セリエA黄金時代における7つのメガクラブの総称。ユヴェントス、ミラン、インテル、ローマ、ラツィオ、フィオレンティーナ、パルマの7クラブ
*15 マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル等
*16 スポーツディレクターの略称。日本でいうフロント
*17 以外にもアーセナルはこの時オファーしていない。
*18 トッテナムへの仕返しや皮肉も多分はあったと思うが
*19 当時のSDは「あっ・・・ふーん(察し)」と退団を確信。
*20 相手のレイ・パーラーがキャンベルを潰しにわざと足を巻き込んでケガさせた。
*21 実際に近年トッテナムが取ったタイトルは07/08シーズンのリーグカップのみ。アウディカップ?タイガーカップ?知らんな
*22 マンチェスター・ユナイテッド
*23 実際に翌年2002年に引退する。
*24 チームの選手層や戦力の意味
*25 立場的には今のペップ・グアルディオラに近いかも
*26 UEFAチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)連覇、イタリア勢初の世界チャンピオンになる等60年代を代表する最強チームであり「魔術師」エレニオ・エレーラ監督が率いていたころのインテル。当時としては革新的だったSBのオーバーラップによるカウンター攻撃やいち早くメンタルトレーニング等の科学的トレーニングを実践した革命的チームでもあった。
*27 現代だとプレミア下位のチームも使う額だが、当時としては天文学的なお金をサッカーに使っていた。なお、結果は・・・
*28 現ヨーロッパリーグ
*29 インテルのサポーターと言う意味のイタリア語
*30 ガチで入団を確信したそうです
*31 この時は代理人のアンドリューのみ参加
*32 実際にこの数年間無冠の時代が続く
*33 モラッティのビッグマウスの影響もあって焦っていたのかも?
*34 左からデイン副会長、ベンゲル監督、ソル・キャンベル
*35 実際にキャンベルへ向けられた怒りのプラカードより
*36 言わずと知れたイスカリオテのユダのこと。つまり裏切り者
*37 当時の金額で、年俸換算約8億円
*38 当時の本拠地
*39 殿堂入りや伝説の選手と言う意味
*40 余談だが、このチームはあの「シャーロック・ホームズ」シリーズの作者として名高いアーサー・コナン・ドイルが初代正ゴールキーパーと言われている・・・が、実際の所属は「ポーツマスAFC」であり直接的なつながりは無い。
*41 2023年現在イングランド代表監督
*42 後のチームメイト
*43 2023年現在アトレティコ・マドリード監督
*44 現在(2021年)だと、オランダ代表のフィルジル・ファンダイク選手が一番近いかも
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