ジャニーズ事務所のデビューグループ

ページ名:ジャニーズ事務所のデビューグループ

登録日:2019/11/02 Sat 22:04:00
更新日:2024/05/13 Mon 10:48:53NEW!
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ジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)は、設立以来数えきれないほどのアイドルを輩出してきた。
その中には70年代の郷ひろみや川崎麻世、80年代の近藤真彦や田原俊彦、専業俳優路線を選んだ風間俊介・生田斗真など、ソロでデビューしたタレントもいるにはいる。
とはいえ圧倒的に少なく、もはや男性アイドルグループ専門という印象が強くなって久しいだろう。
この項目ではそのジャニーズ事務所でデビューしたグループの事を詳しく紹介していく。


【デビューまで】

入所オーディションに合格したら、ジャニーズJr.といういわゆる研修生からスタートとなるが、そこからジャニーズ事務所でデビューできるのはほんの一握り。
そしてデビューの基準はスキルや年齢や知名度、というのは多少影響はあるかもしれないが、この事務所での最大の決め手は先代社長、故・ジャニー喜多川の鶴の一声だった。
要するに「You、デビューね」の一声によりスキルとか年齢とか知名度一切関係なくデビューさせられたのだ。
そのため、今までデビューしてきたジャニーズアーティストにはJr歴15年というベテランから、入所してほんの半年という人もおりバラツキが激しい。
そしてジャニー喜多川のお気に入りはほぼ例外なくデビューさせられている*1
つまり全ての決定権はジャニー喜多川が持っていたと言っても過言ではない。
しかしその彼が2019年に亡くなってしまったため、今後どのような方針でデビューをさせていくのかはまだ不明瞭。


デビューするグループには大きく2つに種類が分かれている。
1つはJrの時点でグループを作っておいて、そのグループをそのままデビューさせる方式。もう1つは様々なJrを闇鍋のように1つに纏めておいて、グループ結成とデビューが同時という方式。
前者の方式でデビューしたグループはSMAP、KAT-TUN等、後者の方式でデビューしたグループはV6、嵐など。
全体的に見れば前者の方式でデビューしたグループの方が圧倒的に多く、後者に関しては平成に入ってからだと、4年に1度のバレーボールワールドカップとのタイアップで結成されたグループばかりである。
そして後者に関しては亡霊と呼ばれるファンを大量に生み出してしまうという大きなリスクがある
これは2007年Hey! Say! JUMPのデビュー発表の際、Ya-Ya-yahとJ.J.Expressという当時のJr界隈で大きな人気を誇っていた2つのグループの一部のメンバーが引き抜かれた上、それに伴い解体させられたことに起因する。
特にYa-Ya-yahに関してはJrとしてCDを出した事があるうえに冠番組を持っていたこともあり、誰もが彼らのデビューを確信していた矢先のことだった。
その後、リスクの大きい選抜でのデビューは2011年のSexy Zoneを最後に今のところ行われていない。



【デビューしたグループ一覧】

※()内のメンバーはデビュー時点のもの。
太文字のグループ・ユニットは現在も活動中のグループ。
太文字の人物は現在もSMILE-UP.(または関連会社)に所属している人物。その中で&b(){&i(){太文字で斜文字}はユニットから離脱したが引き続き在籍している人物。
細文字の人物は退所者。その中で細文字で下線付きの人物は滝沢秀明氏が社長を務める「TOBE」に移籍した人物。


  • ジャニーズ(真家ひろみ 飯野おさみ 中谷良 あおい輝彦)

デビュー日:1964年12月 解散日:1967年11月20日
ジャニー喜多川が最初に手掛けたグループでもあり、ジャニーズ事務所デビューアイドル第1号でもある。
そしてこの名前を作ったのはメンバーのあおい輝彦であり、以後何十年にも渡り彼のネーミングが今もなお使われ続けるようになった。
元々はジャニー喜多川が監督の草野球チームだったが、雨で練習ができなかった日に気分転換に皆で映画『ウエスト・サイド物語』を鑑賞したところメンバー全員感銘を受け、そこからジャニー喜多川の決心により、草野球チームから歌って踊れるアイドルグループへと変化したという逸話がある。
解散後、飯野おさみはジャニーズ内で培った歌と踊りで劇団四季の団員に、あおい輝彦は『水戸黄門』の佐々木助三郎(三代目)役、テレビアニメ『あしたのジョー』の矢吹丈役という代表作を獲得したことでもおなじみ。残り2人は細々と活動を続けるも2000年に真家が死去している。


  • フォーリーブス(北公次 江木俊夫 おりも政夫 青山孝)

デビュー日:1968年9月5日 解散日:1978年7月31日
1967年4月1日、ジャニーズの「太陽のあいつ」という曲のバックダンサーとしてグループを結成。その後、メンバーの入れ替えもありながらジャニーズ事務所第2弾アイドルとしてCBS・ソニー(現:ソニーミュージックエンタテインメント)からレコードデビュー。ちなみにソニーの国内契約第1号アーティストでもある。
デビュー時はGS全盛期でありながらも着実に人気をつかみ取り、1970年代初頭に男性のトップアイドルへとのし上がることができた。
だが「フォーリーブスの弟」として同じCBS・ソニーからデビューするも、途中で事務所だけ移籍した後輩郷ひろみら下の世代の躍進もあり、徐々に人気は後退していった。
ちなみにメンバーの江木俊夫はマグマ大使にも出演していた人気子役でもあり、仕事の関係でジャニー喜多川に遭遇し、そのまま事務所に誘われたのを機にジャニーズ入りしている。
全員退所後、北公次によるジャニー喜多川への暴露本騒動もありつつも、2002年にはフォーリーブスそのままの名前で再結成を果たすことができた。
2009年には青山が、2012年には北が亡くなっており、現在は存命中の江木・おりもの2人で活動している。


デビュー日:1982年5月5日 解散日:1988年11月2日
TBS系列で放送されていたドラマ2年B組仙八先生に生徒役で出演していた上記の3名をグループとして1981年に結成。
デビュー曲の「NAI・NAI 16」や「スシ食いねェ!」というシングルタイトルを見ればわかるように、いわゆるコミックソングを沢山歌ってきた。
解散後はいずれも事務所を退所。薬丸は情報番組「はなまるマーケット」のヒット以降司会者として人気となり、本木は俳優として活動し数多くのヒット作を獲得したほか、内田裕也・樹木希林夫妻の娘である内田也哉子と結婚したことでも著名である。布川も他2人ほどのヒットはなかったものの地道に活動しており、近年は薬丸と布川の子供たちも注目を集める存在になっている。
余談だが、布川の妹は80年代に人気を博したアイドルグループ・おニャン子クラブのメンバーとして活動していたことがある。


  • ‎THE GOOD-BYE(野村義男 曽我泰久 加賀八郎 衛藤浩一)

デビュー日:1983年9月1日 活動休止日:1990年4月1日
たのきんトリオ*2の1人野村義男が、同じくたのきんトリオの田原俊彦、近藤真彦のデビューに後れを取るものの満を持してようやくデビュー。
たのきんトリオの中では唯一のグループデビューだが、当初は田原と近藤と同じくソロデビューを考えられており、そのときのバックバンドのオーディションも行われていたが、野村がそのような形を望んでいなかった事もあり、
最終的に事務所の先輩で元「リトル・ギャング」「ギャングス」「ANKH」*3の曽我泰久をリーダーとし、オーディションで選ばれた加賀八郎・衛藤浩一と共にバンドグループとしてデビューを果たした。
そしてアイドルとして大々的に売り出したバンドグループのデビュー1号でもある(バンド売りだけだと厳密に言うと曽我のギャングスとANKHが前例になるが)。
バンドとしてのキャラはビートルズの影響を強く受けているが、他にビーチボーイズなどの影響もそこかしこに見受けられ、活動当時に流行っていた音楽も積極的に採り入れられている。
後年ギタリストとして高い評価を得るに至った野村のみならず、実はメンバー総じて音楽的な素養は高く、デビュー当初こそ歌謡曲的な売り込み方をしていたものの急激に成長し、作詞・作曲・セルフプロデュースなど、音楽性が天井知らずで高度化していった隠れた実力派集団。
それゆえにむしろ売れなかったらしいが。
活動休止後全員退所をし、それゆえに楽曲の権利も複雑になったのかなかなか復刻などがなされずにいたが、2003年に活動再開を果たし、それとほぼ同時期に各種作品が再販された。
その後2013年に加賀が他界したが、2019年に残された3人で35周年ライブと新作アルバムを発表している。
ちなみに野村義男は退所後も関ジャニ∞に曲提供をしたり、近藤と共にSMAP×SMAPに出演したりとジャニーズタレントとの交流を続けており、曽我泰久も舞台でジャニーズ系と共演した事がある。


  • 少年隊(錦織一清 植草克秀 東山紀之)

デビュー日:1985年12月12日 活動休止日:2020年12月31日
現在のジャニーズの中で現存するグループとしては最古であり、現存する中では唯一昭和に結成・デビューしたグループでもある。
しかし現在は個人としての活動が目立っており、2020年には錦織と植草が退所。公式に明言はされてはいないが事実上の解散状態となっている。
もう全員少年ではなく中年隊なのだが、グループ名に少年がつけられているのはご愛敬。
というか、レコードデビューが遅咲きでデビュー当初から既に“青年”に片足を突っ込んでおり、メンバー全員が成人を迎えた際も自らグループ名についてネタにしたりなどしている。
ダンスと歌、アクロバティックさを最も追求したグループでもあり、全員バク転やバク宙をすることができ、曲の間奏によく披露されている。
グループの活動期間は39年とジャニーズ史上最長だった。また植草の息子も一時期ジャニーズJr.に加入し父とも共演したが父より先に退所し、現在は「樋口裕太」として活動している。
残った東山紀之も2023年9月7日から事務所の新社長に就任することが発表され、同年末を以って芸能界から引退している。


  • 光GENJI(内海光司 大沢樹生 諸星和己 佐藤寛之 山本淳一 赤坂晃 佐藤アツヒロ)

デビュー日:1987年8月19日 解散日:1995年9月3日
初めてローラースケートを取り入れたグループで、ローラースケートで滑りながら歌を歌うその姿に惹かれた人が多かったのか、その社会現象ぶりはジャニーズ事務所史上最大と言われ、あのSMAPですら当グループに及ばなかったと言えばそのすごさがお分かりいただけるだろうか。
途中、大沢と佐藤寛之の脱退により光GENJI SUPER 5と名が改められたが翌年1995年に解散した。
メンバーの何人かが退所したり、更には違法薬物使用で逮捕された人や、選挙に出馬した人が出たため再結成は難しいとされるが、熱狂的な人気を博していたためか未だに人気は根強く、中には動画サイトがきっかけで解散以後に生まれた若者のファンも多く存在しているようだ。


  • 男闘呼組(成田昭次 高橋一也 岡本健一 前田耕陽)

デビュー日:1988年8月24日 活動休止日:1993年6月30日
まず初見では一発では読めないグループ名であるが、男闘呼組と書いて「おとこぐみ」と呼ぶ。
バンド形式のデビューグループとしてはTHE GOOD-BYEに続き2組目である。
光GENJIとの棲み分けが意識されていたようで、アイドルというよりもアーティスト的な志向が強く、ヒットシングルを出しておきながらアルバムにそれらを収録せずにアルバム単体だけで勝負したり、当時のアイドルのコンサートではおなじみのペンライトも、彼らの呼びかけで使われることはなかった。
活動当初、足りないパートを補うためのバックミュージシャンの存在を考慮してもどう考えても自力で楽器を演奏しているようには見えなかったのは御愛嬌。その後、地道に練習し、途中からは自力で演奏を行なうようになった。
THE GOOD-BYE同様、こちらも音楽性の成長は目ざましく、活動後期の楽曲は通好みとして今なお高い評価を誇る。
1993年に活動を停止し、ひとまず解散。
解散に至るまでの経緯と裏事情はかなり悲惨な部類に入るグループだが、権利関係などの問題は特に発生していないようで、今でもベスト盤などが安定的にリリースされている。
その後、岡本の息子が後述するHey! Say! JUMPでデビューしたことにより、ジャニーズ史上初親子二代のグループデビューを果たせた。
退所したメンバーでは、前田と高橋*4は俳優として活動しており、大河ドラマ「真田丸」では高橋と岡本の共演も話題となった。
前田については漫才師の海原ともことできちゃった再婚をして話題となった。
2022年には岡本が契約形態を「エージェント契約」に切り替え、その夏には1年間の期間限定で復活を果たした。その期間中には元「JUN SKY WALKER(S)」のベーシストである寺岡呼人プロデュースのもと、4人を中心とした新たなバンド「Rockon Social Club」も結成している。
そして2023年8月、日本武道館での4DAYSのライブと26日の日比谷野外音楽堂でのライブをもって正式に解散し、これで35年の歴史に名実ともに幕を閉じた。なお、「Rockon Social Club」の中心メンバーとしての活動は引き続き継続していく。


  • 忍者(柳沢超 志賀泰伸 遠藤直人 正木慎也 高木延秀 古川栄司)

デビュー日:1990年8月22日 活動休止日:1997年
アクロバットさと和をウリにしたグループ。デビュー曲から3枚目までのシングルは美空ひばりの名曲のカバーである。
しかし当時の茶の間の受けが悪かったのか、シングルの売り上げがよろしくなく、しかもアイドル冬の時代と被っていたのもあって人気自体は全然なかった。
デビューシングルの「お祭り忍者」が第32回日本レコード大賞の新人賞でノミネートされた際、歌謡曲・演歌部門ではなくポップス・ロック部門だったことを不服とした事務所が受賞を辞退*5。知名度を上げるきっかけを逃した。
その後、3枚目シングルの「おーぃ!車屋さん」がアニメ版21エモンの主題歌になるなどはしたが、4曲目以降をカバーからオリジナル曲に切り替えて以降はどんどんCDの売り上げが悪化しオリコン順位も急落。
最終的に公式から何のアナウンスもなくいきなり活動休止状態になるなど、まさにジャニーズ史上最も不遇な存在となった。
休止後、柳沢と正木はそれぞれソロで芸能活動を続け、他4人は普通の社会人に戻っている。
志賀は2023年にようやく世間へ明るみとなったジャニー喜多川の性加害問題の告発者の1人として久々にテレビの前に登場した。この影響で忍者の知名度が急上昇したのは、良いことなのか悪いことなのか……。


  • SMAP(中居正広 木村拓哉 草彅剛 稲垣吾郎 香取慎吾 森且行)

デビュー日:1991年9月9日 解散日:2016年12月31日
1988年に結成。当時はスケボーに乗る等光GENJIの弟分的な登場だった。
しかしデビューした1991年はアイドル冬の時代と被っており、セールス自体が芳しくないもので不遇の時代を数年経験したが、木村拓哉のブレイクと共にSMAP自体も徐々にブレイク。


ブレイクの背景には新たにマネージャーに就いた飯島美智氏の戦略が大きく、それまでのアイドルと異なりカジュアルな身近さを演出することで、グループのみならずメンバーにソロで様々な番組を持たせることになった。
この戦略から中居が司会者として覚醒したり、草彅が韓国の有名タレントと似ていることがきっかけで韓国語を習得したりしながら、国民的アイドルへと成長を遂げ、「平成のクレージーキャッツ」とも呼ばれることとなった。
従来のジャニーズと異なりコントでのヨゴレ役や体を張る企画にも積極的に挑むなどお笑い芸人顔負けの根性を見せ、ダウンタウンの松本人志は「お笑いで天下を獲ったと思った矢先にSMAPが出てきて、こんなエンターテイナーと対しなければならないのか」と当時脅威に思ったことをのちに明らかにしている。
これらの方針はジャニーズの後輩のみならずモーニング娘。やAKB48等女性アイドルにも受け継がれており、SMAPは平成のアイドルの基準を作ったと言ってもいいだろう。


1996年には森且行が昔からの憧れだったオートレーサーになるため脱退するという事態も発生したが、その後ミリオンを連発し特に「世界に一つだけの花」は誰もが知る名曲に。
途中2001年に稲垣が交通違反で、2009年に草彅が公然わいせつで逮捕されるという騒動もあったが、それぞれ反省・不起訴の上釈放、そして無事元のSMAPメンバーとして復帰を果たした。


ところが2016年初頭に飯島美智氏と事務所との確執から解散騒動が勃発。この騒動は芸能界のみならず政財界にまで波及、更にスキャンダル発生時には恒例となった事務所批判も持ち上がり、結果同年8月に年内いっぱいでの解散が決定。その年の大晦日に多くの人々に惜しまれつつ解散した。


解散後2017年に草彅・稲垣・香取が退所、「新しい地図」を立ち上げて改めてスタートを切り、中居も2020年に退所して個人事務所を設立。
色々な意味で大きな波紋を呼んだ草彅のYouTuberデビュー、新しい地図組のNHK・ABEMAのレギュラー番組やガキ使での全裸監督パロ、木村のゲーム主演や時代行列参加、中居の激安会費のファンクラブ開設など、解散後はその活動の幅を広げている。
一方、オートレーサーに転身した森もオートレース自体があまりテレビで扱われないのと大人の事情から長年報道が少なかったがレースの世界で故障を乗り越えながら活躍しており、新しい地図の3人とも共演を果たしている。


特に2023年に入ってからは

  • 3月11日の22時台の地上波テレビ番組で、中居がWBC中継のリポーター(テレビ朝日)、木村が自身が主演の映画版『HERO』(フジテレビ)、草彅・稲垣・香取がレギュラー番組である『ワルイコあつまれ』(NHKEテレ)にそれぞれ出演していた為、局が違えど5人が裏かぶり。
  • 4月30日放送の『まつもtoなかい』(フジテレビ)で香取と中居が退所後初となる共演を果たし、TVer配信ではバラエティ番組の再生回数で新記録を達成。
  • 9月6日からJR渋谷駅の広告に中居正広(ソフトバンク)、草彅・稲垣・香取(サントリー)と4人が並ぶ*6

とニュースで取り上げられることも多く、今なお根強い人気と注目を集めていることがうかがえる。
一方、ジャニーズ事務所の不祥事や問題行為について頻繁に取り上げられるようになったのもSMAP解散以降であり、SMAPは事務所に最大の収益をもたらした一方、まるでSMAPの解散がジャニーズに崩壊をもたらした…かにも見える状況になりつつある。


  • TOKIO(城島茂 国分太一 松岡昌宏 長瀬智也 山口達也)

デビュー日:1994年9月21日
3組目のバンド形式のデビューグループ。バンド形式のアイドルとして普通に活動をしていた。
「LOVE YOU ONLY」「うわさのキッス」「ハートを磨くっきゃない」等のオリコン1桁代のヒット曲を多く輩出*7したが、同時期に活動していたのがSMAPを始め後述のV6やKinKi Kidsであったためどうしても陰に隠れ気味で、売れているのにアイドルとしてはかなり不遇な時期を過ごしていたこともあった。
しかし、2000年から看板番組「ザ!鉄腕!DASH!!」内コーナーDASH村が始まったことを機に普通のアイドルから農家兼アイドルとして認知されていくようになり、十数年後には農林水産省が主催の会議に城島茂が出席した
その後DASH村の所在地という縁で福島復興担当に選ばれ、福島の魅力をアピールするようになった。
農業愛に溢れることやDASH村での活動から、ファンや同じジャニーズ事務所の先輩後輩からも「農家が本業 バンドは副業」とよくネタにされている。
ソロとしても、城島・国分・山口はバラエティ路線で、松岡・長瀬が俳優としても活躍の場を広げた。
2018年に、未遂とはいえ元メンバーの山口が未成年にわいせつな行為をしようとした事件を起こしてしまい脱退者を出すという事態が起きてしまったものの、グループ自体の普段からの評価故か福島をはじめとした一部スポンサーの関係はそのまま保つことができている。
その後最年長の城島に嫁&子供ができるという明るいニュースができた。
2021年3月に長瀬が退所、残りの3人はジャニーズの関連会社として株式会社TOKIOを設立し、2021年4月から始動。2022年には国分が、2023年には山口も会社を設立した。村やラーメンを作った次は会社を創ったのだ。


  • V6(20th Century坂本昌行 [[井ノ原快彦>井ノ原快彦]] 長野博 Coming Century:森田剛 三宅健 岡田准一)

デビュー日:1995年11月1日 解散日:2021年11月1日
ジャニーズ初のバレーボールワールドカップのイメージキャラクターとしてデビューしたグループ。
兄貴分の20th Century(トニセン)と弟分Coming Century(カミセン)で構成されているが、デビューシングルからしばらくの間、カミセンドアップでトニセンはおまけ、といったグループ内格差が発生していた。


メンバーの中でも長野は『ウルトラマンティガ』のマドカ・ダイゴ役として知られており、ウルトラマンに変身するジャニーズメンバーとしては唯一の存在で、同時に近年は食通や料理上手として知られるようにもなった。
また、井ノ原が親しみやすいキャラクターでNHKの朝の顔として人気を集め、岡田はNHK大河ドラマ主演、特にドラマ&映画『SP』での役作りの中で格闘技に目覚めてからというものの超ひらパー兄さんアクション俳優として活躍、三宅があるところで出会ったファンの姿をきっかけに手話を習得したりと、メンバーのそれぞれが「職人気質」のグループ。
残りの2人も、坂本が社会人経験のあるリアルSideMとしても知られ、森田は坂本共々舞台に引っ張りだことなっている。
2010年代以降はグループとして活動すること自体が少ないが、年に何回かは新譜をリリースし、数年に一度はライブツアーを行っていた。
全員が揃うレギュラー番組もやはり2010年代から解散まで皆無にこそなっていたが、彼らの全盛期である90年代後半~00年代中期に放送されていた冠番組「学校へ行こう!」は、「未成年の主張」に代表されるコーナーが当時の学生たちに大きな支持を集め、10年代後半に入ってから何度か復活特番が放送された。


2021年、森田が退所することに伴い、「この6人でV6」という考えの元解散。地味にジャニーズ系において凄く久しぶりの円満解散となった
最後のグループ仕事も「学校へ行こう!」の最終回スペシャルだった。カミセンも解散となるも、トニセンは坂本・井ノ原・長野のユニットとして継続していく。
森田は退所後妻の宮沢りえと合同での個人事務所を立ち上げている。
なお、森田以外のメンバー*8の妻も全員有名な女優である。
2023年には三宅も退所し、滝沢秀明率いる「TOBE」に移籍。更に同年11月末で岡田も退所し個人事務所を設立。これによりカミセンは全員ジャニーズから離れた。


  • KinKi Kids(堂本剛 堂本光一)

デビュー日:1997年7月21日
初のデュオグループでもあり、メンバーが関西出身のみで構成されているのも初めて。
グループ名の初期案はKANZAI BOYA(カンサイボーヤ)*9という非常に微妙なネーミングで、これを聞いた2人は「終わった」と思ったとデビュー後のインタビューで落胆ぶりを回想している。語呂的にもKinKi Kidsに変わって良かったと思う。
デビュー前はSMAPの弟分的なポジションでSMAPのレギュラー番組に登場したりもしていたが、その後はそれぞれゴールデン・プライム枠のドラマの主演を務めただけでなく、主題歌も彼らが担当していた作品もあった。さらに5本ものドラマやバラエティのレギュラー番組がスタートするなどデビュー前ながらデビューした人と同じ仕事量を持っていた。
そして満を持してデビューした結果、デビューシングルでいきなり初週でミリオンを達成させることができた。
これに合わせてジャニーズ内で「Johnny's Entertainment」という新レーベルを発足させており、レーベル所属アーティスト第1号ともなっている。
グループ名に反しすっかりおじさんとなった今もデビュー前から続くフジテレビのレギュラー番組(レギュラーとしては『KinKi Kidsのブンブブーン!』、『堂本兄弟』は同番組開始以後は年1回のスペシャルとして放送中)や年末年始恒例のコンサートが継続されているが、近年のソロ活動では剛はアーティスト指向になり、光一はミュージカル俳優へとシフトしていった。
ちなみに剛は個人でオフィシャルサイトを開いているが、それが阿部寛のホームページと全く真逆の意味で話題を集めている
また、剛は堀越高校で「近藤奈々」こと水樹奈々、ともさかりえ、山口紗弥加、佐藤仁美と同級生であり、特にともさかとはドラマの中でも同級生役を演じていたことでも知られる。


2024年1月に剛がももいろクローバーZの百田夏菜子と結婚を発表。そして同年3月末で事務所を退所した(グループ活動は継続)。
剛は退所の理由として2017年に患った突発性難聴の後遺症を理由に挙げており、医師から「環境を変えることで治癒につながるのではないか」と助言を受けたことを明らかにしている。


  • (大野智 二宮和也 櫻井翔 相葉雅紀 松本潤)

デビュー日:1999年11月3日 活動休止日:2020年12月31日
バレーボールワールドカップのイメージキャラクター2弾としてデビュー。
90年代末期に発生したJr.黄金期の中で特に注目を集めていたメンバーを選出してのデビューであり、2023年現在唯一海外(ハワイ)でデビュー発表を行ったグループである。


デビュー曲はかなり売れたものの、次第に低迷してしまい、最初に所属していたポニーキャニオンから契約を打ち切られてしまう。
しかしジャニー喜多川の姪でもあるジュリー副社長(当時)が彼らのプライベートレーベルでもあり後にジャニーズ2番目の社内レーベルとなるジェイ・ストームを立ち上げ、そこに移籍することとなる。
その後松本潤が『花より男子』に出演したことなどを機に再ブレイク。結果的に誰もが知るアイドルとなり、SMAPに続くジャニーズ内の人気アイドルとして確立することができた。
ソロではキャリア官僚の息子で慶應ボーイの櫻井がニュースキャスターを務めており、松本も『花より男子』以降は俳優として活躍し、2023年には大河ドラマに主演で出演し、二宮は俳優の他独特のキャラで、相葉は動物好きと料理の腕を活かしバラエティで活躍し、大野は釣りと芸術方面での才能を発揮している。


しかし2019年6月に大野の希望から2020年末のグループ活動休止を発表。
休止発表後に出されたシングル『カイト』はデビュー22年目で初のシングルミリオンを達成した。
2021年からは活動を休止した大野を除いた4人が個人で活動。嵐としての番組もそれぞれが引き継いでいく形となった。
また二宮は仲のいい中丸雄一、山田涼介、菊池風磨と「ジャにのちゃんねる」というYouTubeチャンネルを立ち上げ、実質的なユニット活動もこなしている。
しかし、番組内でも度々そんな様子が出るくらいにグループ内での仲がいいこともあって、メンバーの1人がMCの番組(冠番組を中心に)に別のメンバーが番宣などでゲスト出演するなど共演も多数ある。
2023年10月には、二宮がFC動画内で事務所退所&独立を発表。ただし、嵐としてのグループ活動および「よにのちゃんねる」(「ジャにのちゃんねる」から改称)の活動も継続する。


  • タッキー&翼(滝沢秀明 今井翼)

デビュー日:2002年9月11日 解散日:2018年9月10日
90年代中頃からジャニーズJrのリーダー格としてトップを走ってきた滝沢と、滝沢の相方的存在で一緒にバラエティやドラマに出演していた事がある今井によるKinKi Kids以来のデュオグループ。
最初は滝沢のソロデビューが画策されていたが、本人の希望により2人グループとなった。
グループというよりも個々での活動が目立っており、特に滝沢は滝沢歌舞伎という彼の名前を冠した主演舞台に10年も取り組んできた。
2017年9月に活動休止が発表されたものの、翌年の9月に解散したことを報告。同時にそれぞれ退所&芸能活動引退を発表。
しかしサプライズで年末の大型特番の8時だJの復刻特番やジャニーズカウントダウン2018-2019に出演。タッキー&翼としての最後のメドレーを行った。
これは上に書いたように「SMAPを「。」(句点)で幕引きさせる事ができなかった」「自分自身は幕引きを怠った人間である」という思いを抱き続ける中居正広が解散を報告する連絡を入れた滝沢へ送った「今のタッキー&翼は「、」(句読点。つまり完結していないという意味)だ。ちゃんと「。」を付けて終了しなさい」という助言を受けたものであり、滝沢はこの言葉を聞いてカウントダウンライブで有終の美を飾ることを決めたという。このことについてカウントダウンの少し前に「金スマ」に滝沢が登場した際、中居は「今まで応援してくれた人たちってすごく大事だから。その人たちが次に進める…。(タキツバは)引退試合がわからないまま引退するタレント・選手じゃない」と説明している。


その後滝沢はジャニー喜多川の死後、2022年冬に退所するまでジャニーズ事務所の副社長を務め、元アイドルが芸能事務所の重役であるというアイドル系の創作作品にありがちな設定を現実にやってのけ、事務所改革など実績も残した。
退所後は冒険家となる一方TwitterとInstagramを開設。自分はやった事がなかったのか初めのうちはSNSの使い方に苦労し、プロフィールの欄にツイートしてフォロワーから突っ込また事もあった。
そして2023年には新事務所「TOBE」を立ち上げ、ジャニーズ事務所から退所したタレントが続々と同事務所に移籍。この流れを滝沢氏による事実上の大量引き抜きと見る向きもある。


  • NEWS(手越祐也 小山慶一郎 増田貴久 加藤シゲアキ 錦戸亮 山下智久 内博貴 草野博紀 森内貴寛)

デビュー日:2003年11月7日
バレーボールワールドカップのイメージキャラクター第3弾としてデビュー。9人でのデビューは当時の最多記録数である。
Jr黄金期で相葉や松本と並んで非常に人気の高かった山下だけでなく、当時関ジャニ∞のメンバーだった錦戸と内が2グループ兼任という形でメンバー入り。
さらに森進一・昌子元夫妻の息子であり、ONE OK ROCKのボーカル・takaが本名の森内貴寛で在籍していたが、1年も経たないうちに脱退しており、参加したのがデビュー曲のみである。
その後2005年頃に相次いだ草野と内の不祥事による脱退により1年の活動休止やある程度ブレイクした後の2011年に山下と錦戸の自主希望での脱退に遭い、メンバー数が半分以上も減ってしまった。
とはいえ時間はかかったものの、4人だけのグループ、そして彼らだけで人気を集めているメンバーだった山下や錦戸に頼らないグループとして、改めて個性を確立することに成功した。
また手越と増田によるグループ内ユニット「テゴマス」が2006年にデビュー。しかしこちらはスウェーデンで先行デビューというまさかの方式をとっており、グループ内ユニットとは言えデビュー曲の発売が国外というのはジャニーズ史上初の試み。
手越は独特のキャラでサッカーに詳しいバラエティタレントとして売れっ子になり、加藤は小説家デビューして話題を呼ぶ。小山もキャスターとして活躍していたが、2018年に不祥事で降板。2020年に手越が退所したことで結成時の3分の1となる3人グループに。キャラが迷走していることを自虐する増田はバラエティ番組やテレビドラマで活躍している。


  • 関ジャニ∞→SUPER EIGHT(横山裕 村上信五 丸山隆平 安田章大 大倉忠義 渋谷すばる 錦戸亮 内博貴)

デビュー日:2004年8月25日
関西Jrのみで構成された初のグループで初期は関西・演歌路線が強かった。
関西限定でデビュー曲が発売されその1ヶ月後に全国で発売されており、この方式は非常に珍しくジャニーズ内では初の試み。
2002年に結成されたが、錦戸と内が2003年のNEWSに兼任させれてしまったことでファンは無事関ジャニとしてデビューできるのかハラハラしていたが、その翌年に無事全員でデビューすることができた。
初期は関西と演歌路線、2009年頃まではよくあるアイドル曲の路線で売っていったが、2010年に「LIFE〜目の前の向こうへ〜」のリリースによりデビュー後初めてバンドスタイルを披露。新たなスタイルを作り上げていった。
10年代後半になりメンバーの脱退が相次ぐも、いずれも音楽を極めたいことを理由にした脱退であり、その度に残ったメンバーで新たな音楽を作り上げている。
ソロでは村上と丸山が司会者として活躍する一方、大倉はなにわ男子、横山はAぇ! groupをそれぞれプロデュースするという関西Jr.の後見役的立場での活躍をしている。
なお、一連の問題からグループ名の改称が決まり、2024年2月4日から「SUPER EIGHT」への改称が発表された。


  • KAT-TUN(亀梨和也 上田竜也 中丸雄一 赤西仁 田中聖 田口淳之介)

デビュー日:2006年3月22日
2001年に堂本光一の専属バックダンサーとして結成され、デビュー前ながら冠番組を持ったりCMに出演したりしていた。
そして2005年の『ごくせん』で亀梨と赤西がブレイクし、続けて亀梨は『野ブタをプロデュース』の出演で更にブレイク。KAT-TUNの人気が高まっていき、デビューをまだかまだかと待ちわびるファンも多数いた。
そして2006年に満を持してデビュー。デビューシングルは9週目でミリオンを達成することができた。
デビューしたばかりの頃は凄まじい人気を誇っていたが、赤西、田中、田口の脱退によりかつての栄光が無くなってしまった。
赤西は当初脱退で騒がれたものの、女優の黒木メイサと結婚し最近では同じ退所組兼シンガーソングライターとなった錦戸亮とセッションするなど意外とうまくやっている。入口出口田口というギャグでおなじみの田口も不祥事を起こしてしまったものの、現在は日本プロ麻雀協会のプロ雀士として活躍。
一方で田中は退所(解雇)時に「度重なる不祥事があった」と事務所から堂々宣言されるほど以前から素行に問題があったようで、その後も不祥事を連発し1人だけ凋落っぷりが異様に激しく久々に名前を聞いたと思ったら逮捕報道だった、なんてザラなほど。ジャニーズ版田代まさしとも。
残ったK-UNのメンバー3人で活動は継続。近年では亀梨は野球経験を生かし日テレでスポーツキャスターや野球中継のゲストとして重宝され、中丸も情報番組シューイチのレギュラーに抜擢されたことをきっかけに活躍。上田は運動神経を見込まれボクシングに挑戦したこともある。


  • Hey! Say! JUMP(Hey! Say! BEST薮宏太 八乙女光 伊野尾慧 有岡大貴 髙木雄也 Hey! Say! 7山田涼介 知念侑李 中島裕翔 岡本圭人 森本龍太郎)

デビュー日:2007年11月14日
バレーボールワールドカップのイメージキャラクター4弾としてデビュー。
グループ名通り全員が平成生まれというグループで、平成生まれがデビューするのも初。そしてデビュー人数は10人と史上最多であり、2011年に不祥事で森本が脱退するまでは唯一の二桁だった。
デビュー前にHey! Say! 7が期間限定ユニットとしてCDを発売しており、その時のメンバーは山田、知念、中島、有岡、髙木でHey! Say! JUMPデビュー前のお試しユニットともいえる。
兄貴分のHey! Say! BESTと弟分のHey! Say! 7に分かれているが、こちらはV6と違って2チームの露骨な格差はそれほど発生してない。
平成から令和に変わったため令和になったら解散だのRei!Wa!JUMPに改名だのなどといろいろ言われ本人たちも一種のネタにしていたが、解散も改名もなく今に至る。
なお、山田と知念は関西Jrの中山優馬と共に一時期NYCとして活動していた時がある。
岡本は男闘呼組・岡本健一の息子で、海外への演技留学を経て2021年4月にジャニーズに籍を残しつつもグループを脱退。父同様、俳優の道を極めていくことになった。脱退後も事務所に残っているためゲスト出演した番組でメンバーと共演する事もある。


  • Kis-My-Ft2(玉森裕太 藤ヶ谷太輔 北山宏光 千賀健永 宮田俊哉 横尾渉 二階堂高嗣)

デビュー日:2011年8月10日
2005年に結成。ローラースケートで滑りながら歌うのはジャニーズのデビューグループとしては光GENJI以来。
デビュー後しばらくはSMAPの良き弟子的なポジションであり、SMAPが関わる番組に高確率で共演していた。
グループ内ユニットとして舞祭組(ブサイク)が存在しており、メンバーは千賀、宮田、横尾、二階堂といわゆる常に後ろのポジションにいて目立たないメンバーたちで構成されている。
『キスマイBUSAIKU!?』にゲスト出演した中居がその4人が目立ってないことに着目した結果、彼プロデュースで結成された。楽曲はどれもカオスなものばかりである。
また、舞祭組は個性を前面に出したキャラクター(宮田のヲタクネタが有名)でも知られる。
近年は舞祭組メンバーが某査定番組のレギュラーとしてグループ全体の知名度上昇に大きく貢献することになった。
2023年8月末で北山が脱退・退所し、こちらも翌月「TOBE」に移籍している。


  • Sexy Zone→timelesz(中島健人 菊池風磨 佐藤勝利 マリウス葉 松島聡)

デビュー日:2011年11月16日
バレーボールワールドカップのイメージキャラクター5弾としてデビュー。
旧ユニット名は&bold(){Se&red(){xy} Zone}という具合にxyが赤文字で表記されるのが通例だった。
Jr内グループB.I.Shadowのメンバーでもあった中島と菊池、通称ふまけんコンビがJr1年未満~1年強という歴の浅い3人とくっついてデビュー。
そしてその3人のうち佐藤、松島は中学生、マリウスは小学生の子供であり、特にマリウスは歴代最年少でのデビューであるため、結果的に歴代平均年齢が最年少でのデビューとなった。
一時期マリウスと松島がまるでJrのような扱いになっており、彼らが一切参加しないシングルも発売されるなど度を行き過ぎた格差売りにより、ファンを心配させていたが2015年に発売したカラフル Eyes以降ようやく5人のままで固定されることになりファンを安心させた。
またSexyの名前がついたJrグループが多数存在しており、バックダンサー要員として活動していた。それらはSexy Familyとして呼ばれており、後にKing & Princeとしてデビューするメンバーの過半数がそのグループの一員として参加していた。


とまあ正統派イケメンが多く揃うグループなのだが、「Sexy Summerに雪が降る」「バイバイDuバイ」など、曲や演出はかっこいいし本人たちもかっこよく振る舞うけどどこか歌詞がぶっ飛んでいる、この事務所特有の「トンチキソング」が特に初期には多いという一面も。
特に菊池はなぜか事務所から全裸ドッキリOKの許可が出ており、フジテレビの『ドッキリGP』にて彼のSexy Zoneがちょくちょくターゲットにされている。
初ドッキリ時に彼が口走った「許せない!」はトレンドに入り、後輩からも有名な様子。検索をかけるとサジェストの一番上に出てくる上に、しまいには2022年3月にフジテレビで単発特番として放送された自身の冠番組のタイトルが『菊池風磨の許せないTV』になる始末*10
2022年内をもって活動休止中だったマリウスが卒業(今回のケースでは「脱退」と表現していない)。年が明けてからは正式に4人で活動している。
2023年にはメンバーの中島健人がグループ名の改称を検討していることを自身のインスタ内で明らかにし、その後2024年3月31日から改名、同時に中島が卒業することが発表された。
4人体制のラストライブには世界各国を放浪中のマリウスが海外中継という形で駆け付け、久々に5人が揃いファンを歓喜させた。
グループ名にジャニーズはついていないのだが、一連の問題を受け現在の名称では海外で活動する際に支障が出ることが改名の理由としている。


  • A.B.C-Z(塚田僚一 河合郁人 五関晃一 戸塚祥太 橋本良亮)

デビュー日:2012年2月1日
ジャニーズ初のDVDでのデビューで従来通りのシングルCDの発売は3年も時間を要した。
結成自体は2001年だが現在の名前と形になったのは2008年から。
アクロバットを活かしたグループであり、名前の由来も「Acrobat Boys Club」というものである。
メンバーの五関はSnow Manがデビューするまでは最高齢でデビューしたタレントでもある。
メンバーの顔がフットボールアワー後藤にそっくりな河合はジャニーズ所属でありながらかなりのジャニヲタでイントロクイズが非常に得意であり、その凄まじさをテレビで度々披露してきた。
塚田については筋肉バカっぷりで注目されがちだが、最近では「ぶらり途中下車の旅」(日本テレビ)の旅人としてもおなじみ。
2023年9月に河合が「40歳までに自分の冠番組を持ちたい」とタレント転向を表明したため、同年12月21日でグループを脱退した(事務所には引き続き在籍)。


  • ジャニーズWEST→WEST.(重岡大毅 小瀧望 桐山照史 中間淳太 濱田崇裕 藤井流星 神山智洋)

デビュー日:2014年4月23日
関ジャニ∞以来の関西Jrのみで構成されたグループであり、この間10年もの時間を要した。
2013年の中頃にジャニー喜多川から上記の7名に直接デビューを言い渡され、2013~2014のカウコンでいきなりのデビュー発表となったが、この時は重岡、小瀧、桐山、中間の4人だけでのデビューになることになっていた。
その後粘り強い説得を重ねたことにより、残り3名のデビューも認められ無事上記の7名デビューできたという逸話がある。
関ジャニ∞にも言えることだが、こてこての大阪チックな曲がとにかく多い。
その後バレーボールワールドカップのイメージキャラクターにも起用されたが、新たに起用されるグループが既存のグループというのは初めてである。
一連の問題から改称を発表した最初のグループで、2023年10月18日に新しいグループ名が「WEST.」になることを発表した。


  • King & Prince(King:永瀬廉 平野紫耀 髙橋海人 Prince:岸優太 神宮寺勇太 岩橋玄樹)

デビュー日:2018年5月23日
2015年にMr.King vs Mr.Princeとして結成。VSが付けられている通り、KingとPrinceそれぞれのグループが互いに競い合うというコンセプトがあり、それぞれ別々のグループとしてオリジナル曲を貰ったり、コンサートを行ったりしていた。
しかし、1つのグループとして活動することも多々あり、2つのグループなのか1つのグループなのかファンも混乱することがあったが、デビューに伴い1つのグループとして統合され現在の名前になった。
デビュー後もV6やHey! Say! JUMPと同じように、舞台仕事などでKingとPrinceに分かれて活動することもある。
ジャニーズWESTからまるまる4年ぶりのデビューであり、SMAP解散後のジャニーズとしては初のデビューグループであるため、久々の明るいニュースとなった。
デビューシングルは歴代ジャニーズのデビューシングルの初週売上歴代2位という記録を打ち立て、事務所にとっても久々の大当たりという結果となった。
ちなみにメンバーの平野は名古屋発のアイドルBOYS AND MENの初期メンバーであり、ボイメン時代の中学生の頃にはNHK名古屋局が制作していた長寿ドラマ、中学生日記にその他の生徒役として出演していた。しかもその時の先生役は同じジャニーズの風間俊介だったりする。
2021年春に兼ねてからパニック障害の治療・療養に専念していた岩橋が脱退してからは5人で活動していたが、2022年秋に翌年5月をもって永瀬・高橋を除くメンバーの脱退が発表され、ネット上で炎上するなどSMAP解散時以来の大騒ぎとなった。


その後、2023年5月22日をもって平野・神宮寺・岸が脱退。脱退後、3名とも「TOBE」に移籍し*11「Number_i」を結成。結果キンプリは二つのグループに分裂する東方神起みたいな形態となった。


  • SixTONES(京本大我 松村北斗 ジェシー 森本慎太郎 髙地優吾 田中樹)

デビュー日:2020年1月22日
2012年に私立バカレア高校のメインを務めたJr6名が満を持して2015年に結成。グループ名の読み方は「ストーンズ」*12
その後事務所内で始めたジャニーズJrチャンネルにより人気が更に上がり、圧倒的な再生回数が決め手となったのかジャニーズ初のYoutubeのイメージキャラクターとして抜擢された。
その一環としてデビュー前なのにも関わらずオリジナル曲のMVを作成されており、この曲でデビューまでの間様々な歌番組に出演していた。
下記のSnow Manと共にジャニーズ史上初の「2グループ同時のデビュー」として大々的に宣伝され、令和初&ジャニー喜多川の死去後にデビューを決めたデビューグループとなった。
なおメンバーの京本は京本政樹の実の息子、田中は元KAT-TUNの田中聖の、森本は元Hey! Say! JUMPの森本龍太郎の実の弟でありアメリカ人の父を持つハーフのジェシーはHey! Say! JUMPの伊野尾と遠縁というまさかの繋がりがある。
そしてメンバーの髙地と松村はB.I.Shadowのメンバーでもあったので、彼らのデビューが決まった時は同じメンバーであったSexy Zoneの中島、菊池から祝福を受けていた。
そして髙地、松村、森本は2009年の紅白歌合戦の歌手として出場していたことも*13
歌唱力の水準の高さには定評があり、音痴が誰一人としていない。同時デビューのSnow Manとは対照的に「ダンスの振り付けはあえて揃えない」方針にしている。


  • Snow Man(深澤辰哉 佐久間大介 渡辺翔太 宮舘涼太 岩本照 阿部亮平 向井康二 目黒蓮 ラウール)

デビュー日:2020年1月22日
前身となるMis Snow Manが2009年に結成され、2012年に現在の名前になった。
その後6名で活動していたが、2019年初頭に突如向井、目黒、ラウールの加入が決定。その後上記のSixTONESとの同時デビューを果たす。
なお、デビューによってデビュー時の平均年齢とデビュー時の最年長を塗り替えることとなった。そして9人でのデビューはNEWS以来でもあり、現在のHey! Say! JUMPと並んで最多。
滝沢が主演の滝沢歌舞伎に長い間メインメンバーとして出演していたため、滝沢とは特に繋がりが深く、彼の引退後の滝沢歌舞伎は彼らが主演として引き継いでいる。
A.B.C-Zと同じくアクロバットを活かしたグループだが、デビュー後はどちらかというと動画サイト映えするフォーメーションダンス重視になっている。このおかげでハロプロとの兼業ヲタが増えたとか。
そして個々人のキャラもやたら濃い。アニヲタ的には「佐久間=オタク」が有名だが、Jrが長かったこともありその間に大学院を修了してクイズ・資格キャラになった阿部などもなかなかのもの。唯一の関西人である向井はSexy Zone菊池と同じく『ドッキリGP』の標的。他にも、肉体派の岩本、芝居を注目される目黒、美容オタクの渡辺、スタイルの良さでモデルをこなすラウールなど、それぞれ一芸を持つ。
向井康二はSexy Zone風磨に続いてドッキリGPにロックオンされたジャニーズ。
風磨との直接対決にて煽られた「マッサマン」がドッキリGPでの名物企画として定着し、ついにはマッサマン名義で雑誌の表紙を単独で飾る快挙を成し遂げた。


  • なにわ男子(西畑大吾 大西流星 道枝駿佑 藤原丈一郎 長尾謙杜 高橋恭平 大橋和也)

デビュー日:2021年11月12日
関西ジャニーズJr.出身のグループで2018年10月結成。
関ジャニ∞の大倉忠義がプロデューサーとして付き、結成まもなくからの猛プッシュも手伝い人気急上昇、デビュー前からアリーナ公演が決まるほどとなっていた。ジャニー喜多川裁定を経由しない初のデビュー(ただしグループ名は生前の喜多川が決めている)で、大倉が滝沢副社長(当時)に「そろそろどうでしょうか」と推挙して決まっている。
デビューは本人達に内緒でコンサートのトークコーナーに仕込まれて発表された。
料理好きで「DASH」の準レギュラーの座を獲得した大橋、鉄ヲタとして時刻表の表紙も飾った大西、ジャニーズのみならず業界屈指のオリックス・バファローズファンの藤原など数多くのマニアックなキャラもいる。
結成からデビュー自体は比較的短いものの結成前のメンバーの下積みは長く、藤原が入所からデビューまでの記録を17年9か月と更新しているほど。デビュー発表時は全員が舞台上で号泣していた。


  • Travis Japan(川島如恵留 七五三掛龍也 吉澤閑也 中村海人 宮近海斗 松倉海斗 松田元太)

デビュー日:2022年10月28日
マイケル・ジャクソンの振付師だったトラヴィス・ペインにレッスンを受けたメンバーを中心に2012年結成。その後メンバーの増減がありつつ、7人体制となる。
ダンススキルの高さには定評が高く、2022年3月より無期限の米国留学、同年10月に日本でのデビューをすっ飛ばして世界デビューとなった。ついでに配信シングルでデビューもジャニーズ初である。
すでにジャニーズ人気やファンの下地が出来上がっている日本国内ではなく海外活動を視野にいれた活躍を前提としており、彼らのプロデュースにも直接関わった当時副社長の滝沢も「今までと違い、積み上げていくデビュー」と評している。



追記修正よろしくお願いします。


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  • キンキのずっとゴーイングマイウェイな感じは好き -- 名無しさん (2019-11-02 23:29:56)
  • なんか項目名に違和感ある。「アイドルグループ(ジャニーズ事務所)」とかではなくて、わざわざ「デビューグループ」に限定しているのは何か理由あるの? -- 名無しさん (2019-11-03 07:01:12)
  • ↑ぶっちゃけ目立った活動がないまま自然消滅したようなグループもあるJrとか入れるとキリがないし数も膨大になるのでデビュー限定にしました -- 名無しさん (2019-11-03 08:10:02)
  • 他の長寿グループと比べるとV6が妙に安定してる謎 -- 名無しさん (2019-11-03 18:44:54)
  • 何気にV6と嵐はずっと長年メンバー不動なんだな。すげえ -- 名無しさん (2019-11-04 21:01:36)
  • そうそう、デビューしないまま死産じゃないけど消えていったJr.のグループとか結構あるんだよジャニーズ WESTなんかもいつ消えるかわからんかった組だったよな -- 名無しさん (2019-11-04 21:02:31)
  • でも、デビュー組は問題行動、女性軽視の問題児が増えた気がする。 -- 名無しさん (2020-06-26 11:08:21)
  • ↑3そのV6ですが、2021年11月1日を持って解散が発表されました。 -- 名無しさん (2021-03-31 21:12:48)
  • HeySeyJumpの岡本圭人が2021年4月11日を持ってグループを脱退、事務所に残るってどういうこっちゃ? -- 名無しさん (2021-04-07 22:03:29)

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*1 堂本剛、佐藤勝利、今井翼など。
*2 こちらは正式なグループではなかった。
*3 余談だがリトル・ギャング~ANKH時代曽我とグループを共にしていた松原秀樹は退所後ベーシストとして活躍。ギャングス・ANKHのメンバーの内ギターの柴谷英樹(現:東真司)とドラムスの長谷部徹も紆余曲折はあるがそれぞれ個々に活動を続けている。
*4 高橋は高橋和也に改名。
*5 これがきっかけで令和現在に至るまで「ジャニーズ事務所のアイドルがレコ大に出演しない」状態が続いている。
*6 ちなみに、ソフトバンクの隣にはNetflixの広告が掲示され、当初は木村がファンを公言している実写版「ONE PIECE」の広告だったため事実上5人そろったと見る向きもあった。
*7 ちなみにデビュー曲~4枚目シングルまでは全部アニメ作品とのタイアップだった
*8 三宅のみ未婚。坂本は活動当時は結婚しておらず、解散後に結婚。
*9 ZAIなのにサイと読ませるのはジャニー喜多川のこだわりポイントだったとか
*10 なお、その番組は翌年のレギュラー化の際に流石にそのタイトルではまずかったのか、『何か“オモシロいコト”ないの?』に改められている。
*11 平野・神宮寺は脱退直後に移籍したが、岸は主演映画のプロモーションの関係で脱退から4か月後に退所し、同年10月15日に移籍を発表。
*12 デビュー前はそのままシックストーンズだったが、「名前が長い」とデビュー直前になってジャニー喜多川がストーンズ読みに変更した経緯がある。
*13 森本は企画枠としてだが

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