小仙波の小字 - 埼玉県の小字
丁目になった。小仙波町三丁目にある小仙波貝塚が由来と思われる。新河岸川に架かる貝塚橋がある。参考文献・ 川越の地名調査報告書1・ 川越市土地宝典 本庁地区 1991・ 川越耕地整理組合 整理確定図・川越第一土地改良区 現形図、確定図・ 小仙波土地改良区 確定図・ 杉下土地改良区
丁目になった。小仙波町三丁目にある小仙波貝塚が由来と思われる。新河岸川に架かる貝塚橋がある。参考文献・ 川越の地名調査報告書1・ 川越市土地宝典 本庁地区 1991・ 川越耕地整理組合 整理確定図・川越第一土地改良区 現形図、確定図・ 小仙波土地改良区 確定図・ 杉下土地改良区
:現存。三ッ合(みつあい):1909年に新設された小字か。現存。田面沢村の道路元標があった。参考文献・ 川越の地名調査報告書1・ 川越市土地宝典 本庁地区 1991・ 埼玉県報 平成14年11月・ 旧新・新旧地番対照表 豊田本一・二丁目
2008、2013、2014年に砂新田一丁目、むさし野、中台一丁目、中台元町一丁目になった。参考文献・ 川越の地名調査報告書1・ 川越市土地宝典 本庁地区 1991・ 埼玉県報 昭和37年10月、昭和51年4月・ 川越市町名地番整理地域新旧対象図 其の七・ 旧新・新旧地番対照表
大字小ヶ谷字広町、大字今成字赤沼に編入した。鍛冶町:1909年に大字小ヶ谷字東関に編入した。参考文献・ 川越の地名調査報告書1・ 川越市土地宝典 本庁地区 1991・ 行政文書 町村制(明治42年、明治44年)
1963、1966年に宮元町、氷川町になった。隣接する川越に字宮下町、寺井に字宮下畦がある。参考文献・ 川越の地名調査報告書1・ 川越市土地宝典 本庁地区 1991・ 川越町耕地整理 原形図、確定図・ 芳野耕地整理組合整理確定図・ 川越市町名地番整理地域新旧対象図 其の一・五・
った。安生老:昭和29年川越市地番調には記載されていない。1965年に野田町二丁目になった。参考文献・ 川越の地名調査報告書1・ 川越市土地宝典 本庁地区 1991・ 埼玉県報 昭和36年4月、昭和37年5月、昭和40年7月、昭和42年5月、昭和52年3月、平成5年6月・ 旧新・
がある。天神町(てんじんまち):北田島村から編入したと思われる。1966年に御成町になった。参考文献・ 川越の地名調査報告書1・ 川越市土地宝典 本庁地区 1991・ 川越町耕地整理 原形図、確定図・ 芳野耕地整理組合整理確定図・ 川越市町名地番整理地域新旧対象図 其の五・ 川越
と思われる。1962年に六軒町一丁目になった。紅町:現存。杉下土地改良に伴い新設された小字。参考文献・ 川越の地名調査報告書1・ 川越市土地宝典 本庁地区 1991・川越耕地整理組合 整理確定図・ 川越第一土地改良区 現形図、確定図・ 杉下土地改良区 現況平面図・ 川越市伊佐沼改
んわき):現存。道ノ口(道口)(みちのくち):現存。北川原(北河原)(きたかわはら):現存。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 大東地区 1986・ 旧新・新旧地番対照表・新旧地番対照図 豊田本三・四丁目
登記情報の表記では「元安行在家分」となっている。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 浦和市全図(昭和48年)・ 浦和市土地宝典 尾間木地区(昭和60年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和52年12月、平成14年12月
化後の登記情報は見つからない。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第11号(大正3年)・ 浦和市土地宝典 大久保地区(昭和60年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和44年9月、昭和45年6月、昭和46年5月・
自治会がある。 参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 浦和市全図(昭和48年)・ 芝原土地区画整理事業 区域図・ 浦和市土地宝典 尾間木地区(昭和60年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和52年12月、昭和60年10月、平成14年12月
元植田谷本村分」となっている。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第11号(大正3年)・ 浦和市土地宝典 大久保地区(昭和60年)・ 宿深町土地改良区 現況平面図・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和44年9月、昭和
(元野田分):昭和36年の新旧町名地番対照表に記載がある。1961年に末広町三丁目になった。参考文献・ 川越の地名調査報告書1・ 川越市土地宝典 本庁地区 1991・ 川越町耕地整理 原形図、確定図・ 川越耕地整理組合 整理確定図・ 芳野耕地整理組合整理確定図・ 川越市町名地番整
1970年に大字昭和になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第11号(大正3年)・ 浦和市土地宝典 大久保地区(昭和60年)・ 植水土地改良区々画整理事業にともなう大宮市、浦和市間の境界変更関係見取図・ さいたま市地形図(縮尺2,50
った。下武蔵野開(元大袋分)(しもむさしのびらき):1966年に南台一~三丁目になった。霞野参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 大東地区 1986・ 小江戸川越マップ・ 埼玉県報 昭和40年3月、昭和41年1月、平成6年6月、平成14年1月・ 旧新・新旧地番対照
年に南台一丁目になった。山城上(元青柳分)(やましろかみ):1966年に南台一丁目になった。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 大東地区 1986・ 埼玉県報 昭和40年3月、昭和41年1月、平成10年2月・ 旧新・新旧地番対照表・新旧地番対照図 藤倉一・二丁目
塚分)(こみち):現存。武蔵野(元南大塚分)(むさしの)武蔵野(元大仙波新田分)(むさしの)参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 高階・福原 1991・ 川越市町名地番整理地域新旧対象図 其の六・ 埼玉県報 昭和51年4月、平成13年2月・ 旧新地番対照表・新旧対
存。大字寺尾に寺尾中田公園がある。中島(なかじま):現存。大字寺尾に中島雨水ポンプ場がある。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 高階・福原 1991
存。随生(ずいしょう):現存。西原(にしはら):現存。八斗蒔(はっとまき):現存。北(きた)参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 高階・福原 1991
新田字東裏の中に飛び地として現存。末広(すえひろ):大字扇河岸字末広の中に飛び地として現存。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 高階・福原 1991・ 川越市町名地番整理地域新旧対象図 其の六
市大字上新河岸北耕(きたこう):現存。台耕(だいこう):現存。運上地(うんじょうち):現存。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 高階・福原 1991
。1976年に一部が砂新田二丁目になった。中台(武蔵野中台)(元川越分)(なかだい):現存。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 高階・福原 1991・ 埼玉県報 昭和51年4月・ 旧新・新旧地番対照表・新旧対照図 砂新田五・六丁目、砂新田三丁目編入
野原(のはら):現存。川岸(かし):現存。武蔵野(むさしの):現存。武蔵野自治会がある。 参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 高階・福原 1991
。西裏下(にしうらしも):現存。西裏中(にしうらなか):現存。西裏上(にしうらかみ):現存。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 高階・福原 1991・ 埼玉県報 昭和46年11月、昭和52年4月・ 行政文書 市町村区域内変更(昭和42年度)
えかわら):現存。下川原(下河原)(しもがわら):現存。字尻(元柏原分)(あざじり):現存。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 霞ヶ関・名細地区 1983・ 旧新地番対照表・新旧対照図 かすみ野
年に南台一丁目、かし野台二丁目になった。上中原(元青柳分):1966年に南台一丁目になった。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 大東地区 1986・ 埼玉県報 昭和40年3月、昭和41年1月、平成10年2月・ 旧新・新旧地番対照表・新旧地番対照図 南大塚一丁目、
66年に南台一丁目になった。霞野(元南大塚分)(かすみの):1966年に南台一丁目になった。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 大東地区 1986・ 埼玉県報 昭和41年1月、平成10年2月・ 旧新・新旧地番対照表・新旧地番対照図 南大塚一丁目、かし野台一・二丁
山市大字下奥富字八反目に編入した。芝(元下奥富分)(しば):2016年に藤倉二丁目になった。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 大東地区 1986・ 埼玉県報 昭和40年3月、昭和41年1月、平成6年3月、平成10年2月・ 旧新・新旧地番対照表・新旧地番対照図
元山田宿粒分」、川越の地名調査報告では「武蔵野開(元山田文宿粒分)」という表記になっている。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 大東地区 1986・ 全国農地ナビ・ 埼玉県報 昭和40年3月、昭和41年1月、平成10年2月・ 旧新・新旧地番対照表・新旧地番対照図
:現存。西念(さいねん):現存。寿老沢(じゅろうざわ):現存。西下沢(にししたざわ):現存。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 霞ヶ関・名細地区 1983・ 埼玉県報 昭和47年9月、昭和52年2月、昭和55年3月、昭和55年9月、昭和61年3月
丸山氷川前堀切丸山水窪向新田向山本村本村前柳窪矢畑六万坊亀井(元下奥富分)平野中(元藤倉分)参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 大東地区 1986・ 埼玉県報 昭和40年3月、昭和41年1月
ある。 笠新田(かさしんでん):現存。薫田:現存。1962年に新設された小字。東谷津:現存。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 霞ヶ関・名細地区 1983・ 埼玉県報 昭和37年2月、昭和52年2月、昭和61年9月、平成4年3月・ 旧新地番対照表 かすみ野
。古川排水路に架かる柳原橋がある。五ノ神町(ごのかみまち):現存。諏訪下町八ッ島町(八ッ島)参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 山田・芳野地区 1991
編入した。元三保谷村札野(もとみほのやむらふだの):1913年に大字鹿飼字遅沼町に編入した。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 山田・芳野地区 1991・ 埼玉県報 昭和54年2月・ 行政文書 町村制(大正2年)、雑款(大正3年)
田旧福地村 福地旧潮南村 潮見 南戸旧可児郡錦津村 錦織 伊岐津志旧八百津町 八百津旧和知村 和知 野上 上飯田 上牧野和知村・錦織村は土地宝典よりその他は八百津町史 史料編
に伴い消滅した。山下:1985年に元福岡一丁目になった。竹ノ花:現存。東谷:現存。川崎土地改良に伴い新設された小字。参考文献・ 上福岡市土地宝典 1986・ 川崎土地改良区 地域原形平面図、換地説明書・ 埼玉県報 昭和44年10月・ 行政文書 廃置分合等(昭和60年度)
亀久保村→大井村大字亀久保→大井町大字亀久保→(一部)ふじみ野市亀久保現在の地名:ふじみ野市大井武蔵野、西鶴ヶ岡、緑ヶ丘、鶴ヶ舞、東久保、大井中央、亀久保、桜ヶ丘、ふじみ野東久保:1986、2000、2003年に東久保一丁目、亀久保三・四丁目、ふじみ
改良に伴い新設された小字。2000年に駒西一~三丁目になった。宮元:福岡江川流域土地改良に伴い新設された小字。現存。参考文献・ 上福岡市土地宝典 1986・駒林耕地整理組合 整理確定図、換地説明書・ 下福岡土地改良地域現形平面図・福岡江川流域土地改良区 整理確定図、換地計画書・
南精進になった。北精進在家長竹神明盛流五味前本村前本村上谷後久保南権現北権現南番田北番田薬師参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 霞ヶ関・名細地区 1983・ 埼玉県報 昭和54年7月・ 鶴ヶ島町史「文化・地誌編」
れている。池上:福岡江川流域土地改良に伴い新設された小字。2000年に池上になった。町名「池上」に受け継がれている。参考文献・ 上福岡市土地宝典 1986・ 福岡耕地整理組合 整理確定図、換地説明書・ 下福岡土地改良区 地域現形平面図、換地説明書・福岡江川流域土地改良区 整理確定
一本橋(いっぽんばし)三ッ俣(みつまた)五行野(ごぎょうの):現存。石代(こくだい):現存。参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 南古谷・古谷地区 1989
に新田一・二丁目、富士見台になった。上塚:福岡江川流域土地改良に伴い新設された小字。1967年に南台二丁目になった。参考文献・ 上福岡市土地宝典 1986・ 福岡耕地整理組合 整理確定図、換地説明書・駒林耕地整理組合 整理確定図、換地説明書・ 下福岡土地改良地域現形平面図・福岡江
ている。霞ヶ丘:1959年に新設された小字。1966年に霞ヶ丘一~三丁目になった。町名「霞ヶ丘」に受け継がれている。参考文献・ 上福岡市土地宝典 1986・福岡村外小字図・ 福岡耕地整理組合 整理確定図、換地説明書・ 下福岡土地改良地域現形平面図・福岡江川流域土地改良区 整理確定
ータベース』の『博学者Q&Aの問題と答え』に19問の問題と回答を追加 ゲーム内の名称変更に対応 - 『幻蝶の書』→『幻蝶の宝典』 誤記修正、他2021/08/09 『攻略データベース』を追加 『攻略データベース』に『博学者Q&Aの問題と答え』を追加 『冒
がある。堀向(ほりむこう):現存。戸崎(とさき):明治14年の町村字調に記載がある。参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 久喜市土地宝典 江面・清久地区 1978.1・ 久喜市地形図 (縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和55年3月
地組替により藤久保村に編入した。上荒久:飛地組替により藤久保村に編入した。永久保:飛地組替により藤久保村に編入した。参考文献・ 富士見市土地宝典 1987年・ 南畑第二耕地整理組合整理確定図・ 鶴田耕地整理組合 耕地整理確定図・ 埼玉県報 平成13年3月
):1977年に河原井町になった。堤下(つつみした):1977年に河原井町になった。参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 久喜市土地宝典 江面・清久地区 1978.1・ 久喜市地形図 (縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和52年10月、昭和55年3月
久保村に編入した。関沢:飛地組替により水子村、藤久保村に編入した。元荒毛:現存。葭原:現存。永欠野(永久野):現存。参考文献・ 富士見市土地宝典 1987年・ 南畑第三耕地整理組合整理確定図・ 富士見市住居表示新旧対照案内図 貝塚一・二丁目
0年にみよし台になった。関沢(元下南畑分):飛地組替により下南畑村から編入した。富士見市立西中学校のグランド内に現存。参考文献・ 三芳町土地宝典 1986年・ 埼玉県報 昭和55年11月・ 行政文書 町字区域設置変更その他(昭和55年度)