Y染色体D1b2系統

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Y染色体D1b2系統

アフリカ大陸の北東部にいた古代のある一人の男性の遺伝子に起きたYAPと呼ばれる因子を持つ系統。この系統は、Y染色体上の長腕部「DYS287 Yq11」に、約300塩基からなるAlu配列(Alu sequence)の挿入多型を余分に持つことで知られる。

 

d1b_map1.jpgd_d1_d2.jpg

(左)D1b系統の分布図   (右)D系統の拡散経路を示す想定図(2017)


picture from:http://www.ranhaer.org/thread-35391-1-1.html

picture from Wikipedia

 

Y染色体ハプログループD1b2a系統(Yap+)【日本固有種】

北海道 礼文島・船泊5号 縄文人骨

北海道 礼文島の船泊遺跡から出土した縄文人骨・船泊5号のY染色体は、ハプログループD1b2a(D-CTS220)である(注1)。

funadomari5.jpghokkaido.jpg

picture from:http://www.abroadintheyard.com/modern-faces-ancient-migration/

picture from:http://www14.plala.or.jp/bunarinn/plala/daieryAA/daiery/encarta/harukanarutabi/saihoku/saihoku.html

礼文島の船泊遺跡は、島北部の船泊湾に面した船泊砂丘の西側にあり、久種湖と海岸の間に出来た高さ10m前後の砂丘上に立地し、縄文時代中期から後期にかけての土器や人骨が発見される遺跡として知られる。1998年に行われた町教育委員会の発掘により、貼床などを伴う生活面24基、墓壙24基、土壙19基、屋外地床炉29基、集石炉58基などが検出され、遺物は後期中葉の船泊上層式が中心。船泊遺跡の時代は、縄文時代の中でも特に南は九州から北は北海道北部まで、統一化された土器文様が見られる時代にあたる。

 

北海道でアイヌ文化が始まるのは室町時代以降と言われ、それ以前はオホーツク文化に影響された縄文人が主体であったため、礼文島は縄文系倭人居住地の北限とみられている(注2)。

 

注1)第70回日本人類学大会『礼文島船泊縄文人の核ゲノム解析』(2016.10.8)

注2)『礼文島の縄文人

 

Y染色体ハプログループD1b2a1系統(Yap+)【日本固有種】

加藤周一

評論家、医学博士・加藤周一(Dr. Shuichi Kato, 1919-2008)のY染色体は、ハプログループD1b2a1(D-CTS10495)である(注1)。

shuichi_kato.jpg

picture from:http://d.hatena.ne.jp/nyankosensee/20081205/1228635160

 

注1)『加藤周一のY染色体について』(2016.6.17)

 

Y染色体ハプログループD1b2a2b (Yap+)【日本固有種】

フィリップ・カン・ゴタンダ

在米日系人三世で、劇作家、映画監督・フィリップ・カン・ゴタンダ(Philip Kan Gotanda, 1951-   )のY染色体は、ナショナル・ジオグラフィック協会の「GENOGRAPHIC PROJECT(Geno1.0)」で、D1b(D-M64.1)と判定されたが、その後、STRを比較した結果、Y染色体は正確にはハプログループD1b2a2b(D-CTS288)であろうと推定されている(注1)。

kan_gotanda.jpg

   (フィリップ・カン・ゴタンダ)

 

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 12 23 15 10 13 17 11 12 12 14 12 31

 

フィリップ・カン・ゴタンダは、広島県出身でハワイ・カウアイ島に移住した、五反田甚蔵(1880 - 1948)の子孫である(注2)(注3)。

注1)"Jinzo Gotanda's Y-dna"(Ysearch)

注2)『在米日系人リーダー招聘プログラム

注3)"Philip Kan Gotanda"(公式サイト)

 


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