Y染色体C2系統

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Y染色体C2系統

Y染色体ハプログループC2系統

孔子

中国・春秋時代の思想家、哲学者・孔子(BC552-BC479, Confucius)が、いかなるY染色体の系統に属するかを解析するために、曲阜孔氏の男性1,118名を対象に調査を行ったところ、ハプログループC2(C-M217)(46.06%)、ハプログループQ1a1a1(Q-M120)(27.01%)、ハプログループO2(O-M122)(20.66%)、その他(6.27%)であることが判明した(注1)(注2)。

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この結果により、従来は同一父系に属すると考えられてきた「曲阜孔氏」が、実際には、ほぼ3系統の異なる父系の子孫に分かれることが明らかとなった。また、実際の孔子の系統は、ほぼ半数(46.06%)を占めるハプログループC2(C-M217)である可能性が高いと考えられる一方で、漢民族としては比較的珍しいハプログループQ1a1a1(Q-M120)が「曲阜孔氏」の男性から4人に1人以上(27.01%)の高頻度で検出されたことなどから、こちらが実際の孔子の系統ではないかと有力視する見解もある。これらは、濟南鐡路公安局刑事技術所や、復旦大學らの研究チームの解析によるものである(注3)(注4)。

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注1)『曲阜孔姓人群Y類型測試結果評論分析_兵策儒劍_新浪博客』(2015.7.1)

注2)測試様本數爲曲阜地區孔姓人群1118例箇例。測試結果表明,曲阜孔姓出現三種高頻單倍群:C3(46.06%)、Q1a1(27.01%)、O3(20.66%)。其中O3因爲没有集中趨勢,估計O3三大支等全都有,而被論文作者自己排除在孔子后裔之外。論文作者認爲C3和Q1a1都有可能是孔子后裔的類型。

注3)『曲阜孔姓人群Y類型測試結果評論分析』(2015.7.1)

注4)ISOGG Tree(ver.10.79)による表記。原文ではISOGG 2014による旧表記で各々「C3(C-M217)」「O3(O-M122)」、ISOGG 2012による旧表記で「Q1a1(Q-M120)」とある。

注5)分子人類學吧『孔子及其内孔家族Y-DNA之謎解析』(2016.1.29)

 

王罕

モンゴル高原中央部の遊牧民集団ケレイト部最後のカンである王罕(Ong Khan, Ong Qan, 生年不詳-1203)のY染色体は、ハプログループC2*(C-M217*)と推定されている(注1)(注2)。 ケレイト部族の間ではネストリウス派キリスト教が信仰されており、王罕はダビデ(David)という洗礼名を有していた(注3)ため、西欧諸国では「東方の三博士の子孫でプレスター・ジョンの孫にあたるダビデ王」と誤解され聖杯伝説などと結び付けられて信じられていた。(史実によれば、王罕の祖父はマルクズ・カン(注4)で、タタル部族の一派アルチ・タタル氏族と戦った人物である) また、15世紀以降、オイラト部族連合の一翼として活躍したトルグート部の首長は王罕の後裔である。

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      (プレスター・ジョン)                  (王罕)

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注1)The Y-chromosome C3* star-cluster attributed to Genghis Khan's descendants is present at high frequency in the Kerey clan from Kazakhstan.

注2)ISOGG 2014による表記。改定される前の原文のISOGG 2013迄の表記では「C3*」である。

注3)『モンゴル秘史 2 チンギス・カン物語』、30,33頁

注4)『元朝秘史』による。

 

堺正章・堺駿二・港家小柳丸(初代)

芸能人・堺正章のY染色体は、ハプログループC2(C-M217)である(注1)(注2)。この結果に伴って、堺正章の父で喜劇俳優の堺駿二(1913-1968)や、伯父で浪曲師の初代港家小柳丸の(1895-1935)のY染色体もハプログループC2(C-M217)であることが明らかとなった。堺正章の父祖は、東京都墨田区(本所)の出身(注3)(注4)。

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         (堺正章)                     (堺駿二)                (港家小柳丸)

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注1)日本テレビ『DNAで解明! 千葉雄大とスザンヌが親戚だった!! 堺校長の先祖はチンギス・ハン!!』(2011年1月8日放送)

注2)ISOGG 2014による表記。改定される前の原文のISOGG 2013迄の表記では「C3」である。

注3)『港家小柳丸(初代)大正・昭和期の浪曲師・埋葬場所:3区1種29側(栗原家)

注4)『帝國浪曲技芸士銘鑑』立志社

 

Y染色体ハプログループC2b系統

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C2b系統(C-L1373, F1906)の分布図


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ニヴフ(ギリヤーク)系アイヌ人

樺太アイヌとも呼ばれる アイヌ人の12.5%を占めるニヴフ(ギリヤーク)系アイヌ人のY染色体は、ハプログループC2*(C-M217, xM48)である(注1)(注2)(注3)。

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     (ニヴフ(ギリヤーク)人)

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注1)樺太島 ニヴフ人/庫頁島 尼夫赫人 Tajima et al 2004、C2-M217 8/21 38.1% "Genetic Origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages"

注2)庫頁島 尼夫赫人 ХАРЬКОВ 2012、C2-M217(xM48, M407) 37/52 71%

注3)分子人類學論壇"關于高句麗語的重大失誤"(2015.5.10)

 

Y染色体ハプログループC2b1a3a系統 【女真系】

ヌルハチ

清朝の太祖・愛新覚羅 弩爾哈赤(1559-1626)のY染色体はハプログループC2b1a3a*(C-M401*, (xF5483))であると確定している(注1)(注2)(注3)。

 

これは、弩爾哈赤の曾祖父・興祖 福満(Fuman)の男系子孫(福満の子、索長阿の子、龍敦の子、伊巴礼の子、郎球の子孫)から得られたサンプルと、弩爾哈赤の子で皇太極の子、豪格の男系子孫から得られたサンプル、弩爾哈赤の子で多鐸の子、洞鄂の男系子孫から得られたサンプル、弩爾哈赤の祖父翼皇帝 覚昌安(Giocangga, 生年不詳-1583)の男系の子孫など復数名から得られたサンプルに基づく(注4)(注5)。この結果に伴って、父系で継承されてきた清朝の歴代皇帝も皆ハプログループC2b1a3a*(C-M401*, (xF5483))であると結論づけられた(注6)。

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        (ヌルハチ)

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DYS 393 390 19 391 385a 385b 456 458 439 389i 392 389ii
Alleles 14 24 15 10 12 12 16 19 11 13 11 16

 

DYS 635 Y-GATA-H4 437 438 448              
Alleles 23 11 14 10 21              

(太祖・弩爾哈赤(Nurgaci)の子で、太宗・皇太極(Hung Taiji)の子である豪格(Hooge)の男系子孫から得られた出サンプルに基づくSTR値)

 

注1)『愛新覺羅皇族的Y染色體体:C3b-F1396

注2)『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか -生物としての人間の歴史-』帯刀益男著、早川書房、2010年5月20日、101頁より

注3)House of Aisin Gioro is the imperial family of the last dynasty in Chinese history - Qing Dynasty (1644 - 1911). Aisin Gioro family originated from Jurchen tribes and developed the Manchu people before they conquered China. By investigating the Y chromosomal short tandem repeats (STRs) of 7 modern male individuals who claim belonging to Aisin Gioro family (in which 3 have full records of pedigree), we found that 3 of them (in which 2 keep full pedigree, whose most recent common ancestor is Nurgaci) shows very close relationship (1 - 2 steps of difference in 17 STR) and the haplotype is rare. We therefore conclude that this haplotype is the Y chromosome of the House of Aisin Gioro. Further tests of single nucleotide polymorphisms (SNPs) indicates that they belong to Haplogroup C3b2b1*-M401(xF5483), although their Y-STR results are distant to the "star cluster", which also belongs to the same haplogroup. This study forms the base for the pedigree research of the imperial family of Qing Dynasty by means of genetics.

注4)Dienekes' Anthropology Blog"The genetic legacy of the Manchu"

注5)ISOGG 2016(ver11.110)による表記。改定される前の原文のISOGG 2014迄の表記では「C3b2b1*-M401(xF5483)」である。

注6)Eupedia"Famous people's Y-DNA listed by haplogroup"

 

大満洲国 康徳帝

清朝第12代皇帝(宣統帝)で、大満洲国の太祖・康徳帝(本名:愛新覚羅溥儀)のY染色体はハプログループC2b1a3a*(C-M401*, (xF5483))であると確定している(注1)(注2)。康徳帝の父祖は女真系満洲族の出身で、辛亥革命で清朝が一旦滅びたあと、東アジアの安定確立のため、「五族共和・王道楽土」の理念を掲げ、父祖の地である満洲で満洲人を皇帝に戴く国家を再興した。

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         (康徳帝)                   (大満洲国)

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注1)『愛新覺羅皇族的Y染色體体:C3b-F1396

注2)弩爾哈赤の曾祖父・興祖 福満(Fuman)の男系子孫(福満の子、索長阿の子、龍敦の子、伊巴礼の子、郎球の子孫)から得られたサンプルと、弩爾哈赤の子で皇太極の子、豪格の男系子孫から得られたサンプル、弩爾哈赤の子で多鐸の子、洞鄂の男系子孫から得られたサンプル、弩爾哈赤の祖父翼皇帝 覚昌安(Giocangga, 生年不詳-1583)の男系の子孫など復数名から得られたサンプルに基づく。

 

Y染色体ハプログループC2c1系統

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C2c1系統(C-F2613/Z1338)の分布図


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百済・温祚王

百濟王族の太祖・温祚王のY染色体は、ハプログループC2c1(C-F2613/Z1338)であると推定される(注1)。

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注1)『隋書』新羅伝によれば、「新羅国は高句麗の東南に在り(中略)、その王(新羅王)は、もとは百済人で、(中略)新羅に進入し、遂にその国の王となった。(百済の太祖)温祚(王)から伝世、金真平に至り、開皇14年(594)に遣使を以て方物を貢献した。真平は高祖に拝謁し、上開府、楽浪郡公、新羅王の爵位を賜った」とあり、また『梁書』新羅伝には、「新羅、その先祖は元の辰韓の苗裔である。辰韓は秦韓ともいう。(中略)辰韓(新羅)王は常に馬韓(後の百済)人を用いて擁立し、代々に継承され、辰韓(新羅人)は自ら王を立てることはできない」とある。これに基づけば、新羅王族のハプログループC2c1b(C-F845, CTS10923)金氏は、百済王家の太祖のハプログループC2c1(C-F2613/Z1338)からの分岐である可能性が考えられる。

 

Y染色体ハプログループC2c1a系統

百済・蓋鹵王

百濟 第21代・蓋鹵王(加須利君/かすりのきみ/餘慶/慶司,  -475)のY染色体は、ハプログループC2c1a(C-Z1300, Z1301/CTS4021)であると推定される(注1)(注2)。

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百濟王族の始祖は温祚王で高句麗王と同祖。高句麗王の始祖は朱蒙(東明王)と言われ、その先は扶餘氏に出る(注3)(注4)。蓋鹵王は、宋 泰始4年(468)、雄略天皇に七支刀を奉献したことで知られ、七支刀は奈良 石上神宮に現存している(注5)。

 

注1)『朝鮮半島のY染色体分布地図』(2013.10.7)

注2)ISOGG 2017(ver12.31)による表記。改定される前の原文のISOGG 2013迄の表記では「C3e1(C-Z1300)」である。

注3)Karasaro"진국(辰國)은 북방 용어와 관련이 있다. (고구려, 백제, 부여. 발해는 조선과 진국의 계승 의식을 가지고 있었다)"(2016.6.13)

注4)百濟王族は、扶餘系C2c1a(C-Z1300)を出自とするが、百濟の民衆は南方系のO1b2a1(O-F1204)系統が多数であったと考えられている。

注5)七支刀の銘文(表面)には「泰始四年五月十六日丙午正陽、造百練鋼七支刀。㠯辟百兵、宜供供侯王永年大吉祥(泰始四年(468)夏の中月なる5月、夏のうち最も夏なる日の16日、火徳の旺んなる丙午の日の正牛の刻に、百度鍛えたる鋼の七支刀を造る。これを以てあらゆる兵器の害を免れるであろう。恭謹の徳ある侯王に栄えあれ、寿命を長くし、大吉の福祥あらんことを)」とある。七支刀の伝来年に関しては、従来「東晋 太和4年(369)」説が主流であったが現在は否定されている。その理由は、1.太和4年(369)に「五月十六日丙午」が存在しないこと。2.東晋の年号は「太和」であって「泰和」ではないこと。3.百濟が東晋に初めて朝貢したのが「西暦372年正月」であることから、それより以前に、東晋の年号を使う(臣下に入る)ことが不審である。4.「太和」の「太」は「泰」と同意味で、両方通用したとの説があるが、銘文に刻む際、画数の少ない漢字から、画数の多い漢字に置き換えることは不審であるとの見方が強い。5.「泰◼︎四年」は百濟の独自年号とする説があるが、それでは何年にあたるか全く確証が無く、かつ百濟の年号で「泰◼︎」を持つものが一切確認できる無いことなどが上げられる。「西晋 泰始4年(268)」に比定した場合は、『日本書紀』神功皇后 摂政52年(252)條の記載に最も近いことになるが、西暦268年は、百濟の建国以前であり(※伝説上は、百済 第8代・古尓王(在位:234-286)の治世にあたる)、百濟が西晋に朝貢を行った事実も無いため、西晋の年号を使うことは不審とされる。そもそも「七支刀」に刻まれている銘文の漢字は、臣下から献上されたものでも下賜されたものでも無い吉祥句の文言である。そのため、王から王へ外交上、同盟関係を表す意味で贈られた可能性が高い。「宋 泰始4年(468)」であれば、暦でも「五月十六日丙午」が存在し、百済は宋に朝貢を行っており、かつ倭王・武も、宋に遣使を行っている為、外交上、宋の年号が使われたとしても矛盾が生じない。『日本書紀』の記載によれば、現在は「泰◼︎四年」となっている箇所が、『日本書紀』の編纂当時は「泰始四年」と読めていたことを示しているが、残念ながら『日本書紀』の作者は、これを「西晋 泰始4年(268)」と誤認したため『日本書紀』の紀年に基づき「神功皇后の時代に献上されたもの」と理解されたと考えられている。その証拠に、七支刀の裏面にある銘文「先世以来未有此刀。百濟王世子奇生聖徳。故為倭王旨造、伝示後世(先代以来、未だ此の如き刀は無かった。百濟王の世子は奇(めずら)しく生れて聖徳があった。そこで倭王の為に嘗(はじ)めて(この七支刀を)造った。後世に伝示せんかな)」とある「百済王の世子(王子)」は、蓋鹵王の子・武寧王(嶋王)が日本で生まれたこと指しており、このことに関して『日本書紀』は「(百濟の)昆支が倭国に向かう際に伴った婦人(蓋鹵王の妃)が筑紫の各羅嶋(かからのしま)まで来たときに王子が生まれたので百濟に戻され、その王子が武寧王である」と言うことが記載されている。武寧王は、嶋君(しまきみ, 斯麻王, 461-523)という日本名を持ち、1971年、韓国公州にある宋山里古墳群の武寧王陵を発掘したところ、棺に使われていた木材が日本産の高野槙であることが学術調査の結果、明らかとなっている。

 

諸葛孔明

中国後漢末期から三国時代にかけて活躍した蜀漢の天才軍師・諸葛孔明(本名:諸葛亮, Zhuge Liang, 181-234)のY染色体は、ハプログループC2c1a(C-Z1300, Z1301/CTS4021)である可能性が浮上した(注1)。

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picture from:http://profile.ameba.jp/sangokubusiness/

これは、韓国人ブロガー、ユーチューバー・Karasaro-濊貊韓朝から得られたサンプルに基づく。Karasaroは、韓国慶尚南道昌原市出身の漆原諸氏で、漆原諸氏は族譜によれば諸葛孔明の子孫・諸葛嬰を始祖とする氏族である。諸葛孔明の本貫は、中国徐州琅邪郡陽都(現 山東省臨沂市沂南県)で、司隷校尉・諸葛豊の子孫。泰山郡丞・諸葛珪の子。諡は忠武侯である。

 

注1)naver blog"하플로 그룹과 외모는 관련이 없습니다."(2017.1.14)

 

Y染色体ハプログループC2c1a1a1系統 【蒙古系】

チンギス・カン

モンゴル帝国の太祖・チンギス・カンのY染色体は、ハプログループC2c1a1a1(C-M407)である(注1)(注2)。モンゴル帝国の正史である『元朝秘史』によれば、モンゴル帝国の太祖チンギス・カンの遠祖は「天の命令を受けてバイカル湖畔に降り立ったボルテ・チノ(蒼き狼)とコアイ・マラル(白き雌鹿)である」と記されているがこれはトーテミズムによる神話的伝承である。現在チンギス・カンの子孫という家系の人々はモンゴル・中国・インド・アラビア・朝鮮など世界に約1600万人存在すると言われている。その中で、チンギス・カンのY染色体は概ねハプログループC2c1(C-F2613)であることは間違いないと推定されているが、子孫と言われる人たちのY染色体のSTRが完全に一致している訳ではなく、チンギス・カン自身の墓が見つかっていないため断定的ではない(注2)(注3)。

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        (チンギス・カン)

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DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 25 16 10 12 13 11 14 10 13 11 29

 

DYS 458 459a 459b 455 454 447 437 448 449 464a 464b 464c
Alleles 18 8 8 11 12 26 14 22 27 11 11 12

 

注1)"Genghis Khan Y-Haplogroup C2e1a1a"

注2)ISOGG 2016(ver11.110)による表記。改定される前の原文のISOGG 2015迄の表記では「C2e1a1a(C-M407)」である。

注3) The Genetic Legacy of the Mongols

注4)FTDNA"Matching Genghis Khan"

 

Y染色体ハプログループC2c1a2系統

司馬炎

西晋武帝・司馬炎(236-290)のY染色体は、ハプログループC2c1a2(C-F3880, subclade-F948)である(注1)。これは臨沂洗硯池晋墓の埋葬者・M2から得られたサンプルを、復旦大學が解析した結果に基づく。この墓の埋葬者は琅琊王・司馬覲、もしくは司馬裒と見られている(注2)。

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この結果に基づき、司馬炎の祖父である司馬懿(179-251)のY染色体もハプログループC2c1a2(C-F3880, subclade-F948)であることが明らかとなった(注3)。

 

注1)分子人類學論壇『臨沂洗硯池晋墓遺骸DNA研究報告』(2017.2.20)「臨沂洗硯池晋墓M2可能是晋代琅琊王司馬覲或司馬裒的墓葬,復旦大學古DNA團隊對遺骨進行了DNA檢測,研究報告収録于《臨沂洗硯池晋墓》附録2。DNA檢測獲得了Y染色體上8箇STR標記,并用SnaPshot檢験了SNP,確認墓主的父系遺傳類型爲C3南支-F3880-F948」

注2)分子人類學論壇『臨沂洗硯池晋墓墓主STR匹配結果』(2017.2.25)「臨沂洗硯池晋墓可能是晋朝皇室司馬氏琅琊王的墓葬,《臨沂洗硯池晋墓遺骸DNA研究報告》中,復旦團隊對M2男性墓主進行了17-STR位点的檢測,提取到了8箇STR位點。根據該8箇STR位点對已有樣本進行匹配,則可能尋 找到該墓主所属父系親族在現代的后代,并估算其在各地區所占比例。可進一歩推測其起源及遷徙情况。首先在各地區樣本中對該8-STR進行匹配,因該樣本已經SNP實測確認爲C3南支-F3880-F948,在匹配過程中加入C3的特征値DYS392=11排除无關樣本,實際爲9-STR匹配。得到全同及相差三歩之内的数據比例」

注3)『王家のハプログループ

 

春日虎綱

甲斐武田氏家臣で譜代家老衆・春日虎綱(Toratsuna Kasuga, 1527-1578)のY染色体は、ハプログループC2c1a2a(C-F3799.1)である(注1)。これは彼の子孫から得られたデータに基づく解析結果である(注2)(注3)。諏訪大社の神官には、諏訪氏の支流にあたる春日氏や宮澤氏が存在する。(注4)。

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DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 14 23 16 10 11 17 11 13 11 13 11 29

 

DYS 458 459a 459b 455 454 447 437 448 449 464a 464b 464c
Alleles 13 8 8 11 11 26 14 21 30 12 14 15

 

注1)FTDNA"JAPAN DNA Project - Y-DNA STR"(Kit Number:N144419, Kasuga)

注2)"JAPAN DNA Project - Y-DNA SNP"(Kit Number:N144419, Kasuga)

注3)ISOGG 2016(ver11.110)による表記。改定される前の原文のISOGG 2015迄の表記では「C2e1b1(C-F3799.1)」である。

注4)姓氏類別大観『諏訪氏系図

 

鄭洛仲

四哨什長・鄭洛仲(Jeong Nakjung/정낙중, 1884-1910)のY染色体は、ハプログループC2c1a2b(C-CTS3385)である(注1)(注2)。鄭洛仲は、朝鮮全羅南道咸平郡平陵面-竹洞(チュクドン)の出身で、明治42年(1909)7月に日本人・栗山鶴吉を銃撃し殺害。暴動殺人罪の容疑で逮捕され、同年12月7日、大邱控訴院の判決により量刑が確定。翌年(1910)絞首刑となった人物(注3)。鄭洛仲は、何故か平成12年(2000)になって、大韓民国政府より「義兵」として「建国勲章愛国章」を追叙された(注4)(注5)。

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DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 14 23 16 10 11 18 11 13 10 13 11 29

 

DYS 458 459a 459b 455 454 447 437 448 449 464a 464b 464c
Alleles 16 8 8 12 11 26 14 20 32 12 13 13

 

注1)FTDNA"Korea DNA - Y-DNA STR"(Kit Number:N113861, Jeong)

注2)FTDNA"C Haplogroup - Y-DNA SNP"(Kit Number:N113861, Jeong)

注3)『鄭洛仲(정낙중)

注4)『鄭洛仲(정낙중)

注5)『全羅南道(羅州)・義兵

 

Y染色体ハプログループC2c1b系統

金興光

新羅王族・金興光のY染色体は、ハプログループC2c1b(C-F845, CTS10923)である(注1)(注2)(注3)。これは光山金氏複数名から得られたデータに基づくものである(注4)(注5)。光山金氏は、新羅45代神武王の三男・金興光が光山を本貫としたことに始まる家系で、宗家は大韓民国忠清南道論山市連山面にある(注6)。新羅王の王冠は日本の糸魚川産の翡翠の勾玉で装飾され、古代における日本の影響がみられる(注7)。

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         (新羅王)                    (金興光の祠堂)

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DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 14 23 15 10 11 19 11 13 13 14 11 30

 

DYS 458 459a 459b 455 454 447 437 448 449 464a 464b 464c
Alleles 16 8 8 11 11 25 14 21 30 12 13 14

 

『隋書』新羅伝によれば、「新羅国は高句麗の東南に在り(中略)、その王(新羅王)は、もとは百済人で、(中略)新羅に侵入し、遂にその国の王となった。(百済の太祖)温祚(王)から伝世、金真平に至り、開皇14年(594)に遣使を以て方物を貢献した。真平は高祖に拝謁し、上開府、楽浪郡公、新羅王の爵位を賜った」とあり、また『梁書』新羅伝には、「新羅、その先祖は元の辰韓の苗裔である。辰韓は秦韓ともいう。(中略)辰韓(新羅)王は常に馬韓(後の百済)人を用いて擁立し、代々に継承され、辰韓(新羅人)は自ら王を立てることはできない」とある。これに基づけば、新羅王族のハプログループC2c1b(C-F845, CTS10923)金氏は、百済王家の太祖のハプログループC2c1(C-F2613/Z1338)からの分岐である可能性が考えられる。

 

注1)FTDNA"Korea DNA - Y-DNA STR"(Kit Number:286661, Kim)

注2)"C Haplogroup - Y-DNA SNP"(Kit Number:286661, Kim Yong Bum/김용범, 1872-1933)

注3)ISOGG 2016(ver11.110)による表記。改定される前の原文のISOGG 2015迄の表記では「C2e2(C-F845, CTS10923)」である。

注4)"Forum of Molecular Anthropology"

注5)『한국인 본관/성씨의 지역별 그래프 光山金氏(광산 김씨)』(2013.1.4)

注6)『光山金氏宗家(광산김씨종가집)

注7)新羅が日本の勢力範囲内にあったことを示す客観的な証拠とされている。

 

金日成("白頭山の虎"たちの血統)

北朝鮮の国家主席・金日成(김일성/Kim Il-sung, 1912-1994)のY染色体は、ハプログループC2c1b(C-F845, CTS10923)であると推定される(注1)(注2)(注3)。

 

kim_bobyon.jpgkim_hyungjik.jpgkim_ilsung.jpgkim_yongju.jpg

picture from Wikipedia

 

2017年2月13日、北朝鮮の故金正日総書記の長男で、金正恩(朝鮮労働党委員長)の異母兄・金正男(김정남/Kim Jong-nam/きん まさお, 1971-2017)氏と思われる男性がクアラルンプール空港で、北朝鮮工作員と見られる女性2人によって暗殺されたと報じられた。金正男氏と思われる男性は、マカオ行きの便に搭乗手続きをするため、列に並んでいる時に、2人組の女性が背後から近づき、一人がハンカチで口を塞ぎ、一人が猛毒・VXガスを顔面にスプレー噴射した。金正男氏と思われる男性は、空港カウンターに助けを求め、救急車でプトラジャヤ病院へ搬送される途中、死亡した。関係筋によると、死亡した男性の容姿は「正男氏に似ている」とされるが、所持していたパスポートには「金哲(Kim Chol), 1970年6月10日に生まれ」とあり、現時点でこの人物の身元を特定できる決定的な証拠がないためクアラルンプール総合病院で、司法解剖による死因の特定が行われた。本人確認に関しては、2001年日本を視察に訪れた際に採取されたDNAや、腹部に彫られた「鬼若丸の鯉退治」の刺青などの特徴が有力な判断材料になり得ると考えられる。また韓国の国家情報院から指紋と写真が提出され照合が行われた。ロイター通信によると、現地の北朝鮮大使館は、「遺体の引き渡し」と「DNA鑑定と解剖の即時中止」を求めていたが、マレーシア政府当局はこれを拒否したという。防犯カメラの解析によると、実行犯の女性2人と監視役の男性4人がおり、計画的に犯行が行われていることから、犯行グループは、北朝鮮で訓練を受けた工作員である可能性が高いとしている。金正男氏は、私的に東京ディズニーランドへ視察に訪れたことでも知られる知日家。近年はマカオに長期滞在していた。

 

2017年2月17日、マレーシア政府当局の法医学チームは、金正男氏の遺体の検視で採取したサンプルのDNA解析を行う見通しであることを発表した。同政府科学技術省に所属する化学者は国営ベルナマ(Bernama)通信に対し、2月16日夜、研究室にサンプルが届いたことを明らかにし「できるだけ早く分析する」と語った。

 

犯行グループの内、逮捕された容疑者は、①ドアン・ティ・フォン(段氏香/Đoàn Thị Huong, 女性, ネットアイドル, 1989-  , ベトナム籍)、②シティ・アイシャ(茜蒂艾莎/Siti Aishah, 女性, 1992-  , インドネシア籍)、③ムハンマド・ファリド・ビン・ジャラルディン(莫哈末法立賈拉魯丁/Muhammad Farid bin Jallaludin, 1991-  , マレーシア籍, シティアイシャの交際相手, 逮捕後事件に無関係として釈放)、④李鐘哲(Ri Jong-Chol, 男性, 1971-  , 北朝鮮籍, 逮捕後証拠不充分で釈放)である。犯行にはその他に、⑤李知賢(Ri Ji-Hyon, 男性, 1984-  , 北朝鮮籍)、⑥洪松鶴(Hong Song-Hac, 男性, 1984-  , 北朝鮮籍)、⑦呉宗喆(O Jong-Gil, 男性, 1962-  , 北朝鮮籍)、⑧李在男(Ri Jae-Nam, 男性, 1960-  , 北朝鮮籍)と、⑨玄光宋(Hyon Kwang-Song, 男性, 北朝鮮大使館・二等書記官, 1973-  , 北朝鮮籍)、⑩金旭日(Kim Uk-Il, 男性, 高麗航空・北朝鮮国営航空職員, 1980-  , 北朝鮮籍)、⑪李志宇(Ri Ji-U, 男性, 1987-  , 北朝鮮籍)らが関わっていた可能性が高いという。犯行の全貌の解明が待たれる。

 

kim_jongil.jpgkim_jongun.jpgkim_jongnam.jpgkim_hansol.jpg

picture from Wikipedia

 

注1)FTDNA"Korea DNA - Y-DNA STR"(Kit Number:286661, Kim)

注2)金日成『世紀とともに』(雄山閣出版, 1993.11.5)

注3)金日成の回顧録『世紀とともに』によれば、金日成の(13代前の)先祖・金繼祥の代に全羅北道全州から朝鮮半島北部に移住し、平安道平壌万景台に定住するようになったのは1860年で曾祖父・金膺禹の代になってからであるという。金膺禹は、地主・李平澤家の墓守をして生計を立てていた。これらの記述によって金日成の本貫を「全州金氏」に比定する説があるが、全州金氏の族譜には金繼祥の名前は無く、「善山金氏」の族譜に「金繼祥」の名前があるため、金日成の本貫は実際には「善山金氏」であろうとする説が学界においては支配的である。全州金氏は、第56代新羅・敬順王の第4王子にあたる金殷説の八世孫である金台瑞(김태서, 生年不詳-1257)を始祖とし、善山金氏は、第45代新羅・文聖王の八世孫にあたる金宣弓を始祖とし、金宣弓の子孫に僉知中樞府事・金希雲(김희운)の子に金繼祥がいる。全州金氏も善山金氏も新羅王族金氏に発する家系であるため、これらの伝承が正しければ、いずれにせよ俗に「白頭山血統(白頭血統)」と云われる金希雲、金繼祥、金松齢、金膺禹、金輔鉉、金亨稷、金日成、金英柱、金正日、金正恩、金正男、金漢率(김한솔/Kim Han-sol/通称:ハンソル君, 1995-   )らのY染色体は、ハプログループC2c1b(C-F845, CTS10923)に属していると考えられる。

注4)THE STAR ONLINE"Police: Jong-nam's body will not be released until DNA sample given"(2017.2.17)

 


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コメント

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上野利三

大変興味深い 分子人類学上の調査結果で、古代以来日本人の祖先の一部が大陸のどのような地域からやって来たかという点を示唆している。例えば邪馬台国の遣魏使難升米の姓難はセンピ族難楼に由来するものと推測される、とすれば弥生系渡来人と大陸との関わりが示唆される。

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2019-01-14 21:30:41

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