登録日:2018/09/02 (Sun) 02:10:51
更新日:2024/03/21 Thu 14:00:49NEW!
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サトノダイヤモンドの光に圧され、キタサンブラックの影に隠れたレインボーライン
七色の光を解き放つ 岩田康誠
──2018年 第157回天皇賞・春(GⅠ) 本馬場入場
実況:吉原功兼アナ(関西テレビ)
■誕生~初重賞制覇
2013年4月1日、名門ノーザンファームの生まれ。
父は黄金旅程ことステイゴールド、母レーゲンボーゲン、その父はフレンチデピュティという血統。半姉(異父姉)にローズステークス(秋華賞トライアル、GⅡ)を勝ったアニメイトバイオがいる。
2歳になった2015年8月、四位洋文騎手を鞍上に2番人気でデビューしたが、1番人気に推された後の重賞馬プロフェットに2馬身差をつけられ2着。続く未勝利戦も2番人気で2着に敗れたが、単勝1.9倍の1番人気に推された3戦目で2馬身半差をつけ勝利。なお、彼が1番人気に支持されたのはこの1度きりであった。
続けて岩田康誠騎手とのコンビで臨んだ荻ステークス(OP特別)を5頭立て4番人気で3着とし、蛯名正義騎手とのコンビで重賞初挑戦となった東京スポーツ杯2歳ステークス(GⅢ)では11頭中9着と大敗したものの、500万条件に戻った次戦は幸英明騎手の手綱でアタマ差の勝ち星を得て、6戦2勝で2歳シーズンを終えた。
3歳シーズンの2016年は、年明けのシンザン記念(GⅢ)から始動し6着。騎手がミルコ・デムーロ騎手に変わった次戦、2月末のアーリントンカップ(GⅢ)では4番人気に支持され、5着までタイム差なしの接戦となったが、父譲りの勝負根性が発動したかハナ差で辛勝した。
しかし、ここから彼は長いトンネルに入ることになる……。
■長い長い曇り空
アーリントンカップの次戦、ニュージーランドトロフィー(GⅢ)では、内田博幸騎手が騎乗したが前に届かず掲示板がやっとの5着。鞍上が福永祐一騎手に変わってGⅠ初挑戦となったNHKマイルカップでは、12番人気の低評価に反発するかのように中団からよく追ってメジャーエンブレムの3着となったが、続けて挑戦した東京優駿(日本ダービー)ではマカヒキの8着に敗退した。
しばらく休養して挑戦した8月の札幌記念(GⅡ)では、前々年のオークス馬ヌーヴォレコルトこそ交わしたが、ネオリアリズムと前年年度代表馬モーリスの壁に阻まれ3着。初古馬対戦で、しかも上位は香港でも実績を残す名馬であることから悲観する内容ではないと思われたが、9番人気で挑戦した次走の菊花賞(GⅠ)は先に抜け出たサトノダイヤモンドに届かず2着、続けて鞍上をクリストフ・ルメール騎手に変更して挑戦したジャパンカップ(GⅠ)でも逃げ切ったキタサンブラックの6着に敗れた。
4歳になった2017年は、デムーロ騎手が久しぶりに手綱をとった始動戦の日経賞(GⅡ)でシャケトラの4着、天皇賞・春(GⅠ)では名手・武豊騎手をもってしても「破られないと思っていた」と語るディープインパクトのレコードを一気に0.9秒更新した現役最強馬キタサンブラックの常識外れの走りに完敗の12着に終わった。6月の宝塚記念(GⅠ)は1年8ヶ月ぶりに岩田康誠騎手とのコンビで出走したが5着に終わり、秋へ向けて英気を養うことになった。
■水かきのついた馬
ここから先を綴る前に、少し彼の血統について触れておきたい。
1993年の天皇賞・秋(GⅠ)ではハナ差2着に敗れたセキテイリュウオーを兄に持つ彼の祖母・レインボーファストの父に、レインボーアンバーという馬がいる。
1986年生まれで、生涯成績は9戦3勝、芝で勝ったのは皐月賞トライアルの弥生賞(GⅡ)のみ。
しかし、この馬が勝った弥生賞は一言で言えば「とんでもねえレース」だったのである。
この日、前夜から降り続いた雨で、馬場は不良。まさしく「最悪」としか言いようがない状態であった。
そんな中で行われたレースは、単勝1.4倍の断然一番人気サクラホクトオーがノメり倒して沈没するわ、逸走する馬は出るわでメチャメチャな状態になってしまったのであるが、そんな中でレインボーアンバーは後続を1.7秒も突き放し、まるで水かきがついているかのような走りを見せて圧勝したのである。
レインボーアンバーはその後、菊花賞2着を最後に故障で引退。7年間で残した産駒はわずか25頭であり、繁殖入りした産駒はなんとレインボーファストを含めて2頭しかいなかった。
しかし、その「水かき」のような走りが、28年の時を越えてその片鱗を見せることになるのだから競馬は面白い。
■兆し
話をレインボーラインに戻そう。6月の宝塚記念で敗れた彼は、10月29日の天皇賞・秋で復帰することとなった。騎手は変わらず岩田騎手である。
しかしこの時期、折しも日本には台風22号が接近していた。その猛威は、前週の菊花賞で既にその片鱗を見せ始めており、同レースではレコードから17.9秒遅れとなる3分18秒9という凄まじいタイムが記録されていた。このため中止すら懸念される事態となったが、結局レースは予定通り開催されることとなった。
余談ながら菊花賞のタイムは近10年で最も遅いタイムより12秒7遅い、これより遅いタイムは1946年まで遡ると言うとんでもない物である。
台風による降雨による馬場の悪化のみが原因でこうなっているのだから、その翌週でさらに雨が続いていた天皇賞・秋が中止の懸念が浮かんだのも無理もない。
迎えたレースは26年ぶりの不良馬場となり、レインボーラインは父ステイゴールド・母父フレンチデピュティ・母母父レインボーアンバーということで不良馬場適性が一部から期待されてはいたものの、それでも単勝59.6倍の13番人気。
スタートでいきなり隣の1番人気キタサンブラックが出遅れ波乱を思わせる中、スッと出たレインボーラインは後方を追走。最後の直線でただ一頭内側を抜けてきたキタサンブラックと宝塚記念優勝馬サトノクラウンが前方で叩き合いを繰り広げる中、レインボーアンバーから受け継いだ水かきが目覚めたか、両雄を2馬身半差まで追い込んで3着に入る健闘を見せた。4着以下を5馬身ちぎっていたことを考えれば、異次元の戦いを見せた上位2頭を2馬身半差まで追いつめた彼の道悪適性がよく分かるというものである。
続くジャパンカップはキタサンブラックに借りを返したキタサンの同期シュヴァルグランの後ろで6着、有馬記念(GⅠ)もキタサンブラックの有終の美の前に8着に終わった。
しかし、彼を取り巻いていた雲は、確実に晴れようとしていたのである。
■七色の虹がかかった日
2018年、5歳になった彼の始動戦は3月の阪神大賞典(GⅡ)。
前年の台風の菊花賞で2着に入り、京都記念(GⅡ)を勝ったクリンチャーと、ステイヤーズステークス(GⅡ)を3連覇した長距離の強者アルバートに続く3番人気に支持されたこのレースで、レインボーラインは後方から運ぶと直線入り口で先頭に立ち、そのまま真っ先にゴールに飛び込んだ。
2年にわたる長い長いトンネルを、ようやく脱した瞬間だった。
その勢いに乗って、前年12着と涙を呑んだ天皇賞・春に挑戦。NHKマイルカップから数えて、10度目のGⅠ挑戦だった。
1番人気は、前年ジャパンカップ勝者シュヴァルグラン。レインボーラインはそれに続く2番人気だった。
スタートが切られ、レインボーラインはいつもどおり後方からの競馬。向こう正面で一気に流れが変わると、息もつかせぬ戦いが始まった。
レインボーラインの4コーナー通過順位は11番手。このレースでは追い込み馬は全くと言っていいほど勝てておらず、10度目もダメかと思われた。しかし──。
内からレインボーライン!内からレインボーライン!
レインボーライン!岩田か、岩田だ!
七色の虹がかかった京都競馬場です!!
──実況:吉原功兼アナ(関西テレビ)
岩田騎手の信頼に応え、彼は内からものすごい勢いで並み居るライバルを交わすと、ゴール前でシュヴァルグランを捉え、わずかの差で先にゴール板を通過した。
10度目にしてGⅠの悲願がかなった瞬間だった。
そしてこの勝利は、岩田騎手にとってもレッツゴードンキで勝利した2015年の桜花賞以来、実に3年・54戦ぶりのGⅠタイトルだった。
もう勝てないのでは、という思いに襲われ続け、眠れない日々を送った岩田騎手と、諦めずに走り続けたレインボーラインのコンビがようやく掴んだ栄光に、スタンドからは歓声が起こった。
しかし、大歓声に包まれたスタンドは、数十秒後、静寂に変わった。
岩田騎手がウイニングランを行わず、1コーナーで下馬したのだ。
JRAのルール上、下馬するということは何らかの異常があったことに他ならない。
そこにあったのは、右脚を気にするレインボーラインとそれを心配そうに見つめる岩田騎手の姿だった。
しばらくして、レインボーラインは馬運車に乗り込んでターフを後にした。
低迷から久しぶりの勝利の美酒を味わった岩田騎手だったが、勝利インタビューに応じる彼の表情に笑顔はなかった。
■虹のあとに
診断結果が出るまでにはしばらく時間を要した。
余談ではあるが、その結果を待つ間、同じ地で散ったライスシャワーにイメージを重ねた人が多かったのか、京都競馬場のライスシャワー碑は参拝者で溢れかえっていたという。
サラブレッドは脚の筋肉が血液を送る「第二の心臓」のような役割を果たしている。
また、500kg前後ある馬体は、4本の脚がしっかり機能していなければ支えることができない。
これらのことから、脚の怪我の程度があまりに酷い馬は、まず助からないのだ。
ライスシャワーもその例に漏れなかった。
やがて、レインボーラインに下された診断は「右前脚跛行(はこう)」。
精密検査の結果、腱・靭帯の損傷が疑われたが、命に別状はないこともわかり、ファンや関係者は胸を撫で下ろしたことだろう。
その後、1ヶ月にわたる懸命な治療が続けられたが、良化が見られず、6月6日に競走馬を引退。
レースへの復帰を目指した陣営の願いは叶わなかったが、種牡馬として遺伝子を次世代につなぐ仕事へ移ることとなった。
7月、種牡馬としての繋養地となる優駿スタリオンステーションに到着。
彼の「水かき馬の血」と「不屈の闘志」を受け継いだ産駒の登場に、期待が持たれる。
が、初年度産駒デビュー直後の2022年9月に種牡馬も引退。2022年12月現在は去勢され、2008年天皇賞・春馬アドマイヤジュピタ等名馬達が住むノーザンホースパークに移り余生を過ごしている。
それでも、私達は忘れることはないだろう。
「天皇賞・春で追い込み馬は勝てない」という常識を覆した、あの乾坤一擲の3ハロンを……。
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▷ コメント欄
- トッキュウジャー関係なかった -- 名無しさん (2018-09-02 08:47:06)
- ステゴの後継は上手くいくのかな -- 名無しさん (2018-09-02 09:31:37)
- 水かき馬の血族が永遠に続かんことを -- 名無しさん (2021-12-05 19:13:31)
- ステゴ産駒だけど大人しくて賢いって言われてたね -- 名無しさん (2023-02-16 22:17:47)
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