震災遺構

ページ名:震災遺構

登録日:2015/02/24 (火) 20:31:17
更新日:2024/01/12 Fri 10:40:27NEW!
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地震 震災 阪神・淡路大震災 関東大震災 東北地方太平洋沖地震 東日本大震災 震災遺構




概要


震災遺構とは、震災が原因で倒壊した建物などを次世代に向けて震災の記憶や教訓のために取り壊さずに保存しておくというもの。
震災遺構とされる建物は、日本国内でも少なくない数の物が存在する。


近年の日本国内では『震災遺構=東日本大震災で崩壊した建物』を指す単語となった感じがある。



解説


近年は、東日本大震災の後にこの単語を聞くようになった人も多いかもしれない。


もっとも、震災遺構自体は東日本大震災以前から存在している。
あの阪神・淡路大震災や関東大震災の際にも、震災遺構となった建物はいくつか存在する。
阪神・淡路大震災の神戸港震災メモリアルパークなどは有名な一例だろう。


やがて2011年3月11日に、東北地方太平洋沖地震及び東日本大震災が発生。


この震災は東北各所をに壊滅的な被害を与えてしまった。
また、この地震で多くの建物が崩壊する結果となった。


その被害によって、東北各所には震災によって倒壊した建物が見られることとなる。
こうした建物を震災遺構という形での保存を求める声が一部から出た。



この中で、震災遺構に関して意見が分かれることとなる。



各所で震災遺構を保存するか撤去するかといった議論が激しく交わされるようになる。
この議論は、新聞社などの多くのマスメディアや政治家なども巻き込むこととなった。


結果的に、多くの人々が『震災遺構』という物について考える必要性が出てくることとなる。



保存への賛成意見


次世代への教訓


やはり、震災遺構の保存に関して賛成派から言われている意見はこれが多い。


残念なことに、どうしても震災の記憶は時の流れと共に薄れていってしまう。
特に東日本大震災での一部被災地は高齢化が懸念されており、震災の記憶の風化が危険視されている。


こういった不安要素も多く、震災遺構は積極的に保存を進めるべきだとの声も多い。



震災遺構による地域活性化


これは、震災遺構によって県外や国外からくる観光客による収益の増加・地域の活性化を求める意見。


東日本大震災後、震災遺構を一目見ようと県外などから人々が被災地に訪れるようになった。
JR東日本では『復興応援バスツアー』と称した被災地観光のイベントを開催していた。


このような、震災遺構目当てで県外からくる人々が利益をもたらすことが期待されている。
また、県外から来た人々と被災者の交流などといった面もあるとされる。



しかし、この地域活性化に関しては賛成派からも意見が分かれることとなっている。



まず、この観光客が本当に増加することが出来ているかという疑問である。


確かに観光客の数自体は震災時より増えている傾向は確認されている。
だが、多くの被災地では観光客の数は震災前の半数以下に落ち込んでいるというデータが取られている。


そして、被災地では観光客を迎える万全の準備が出来ていない。


残念なことに、被災地では観光客を宿泊させるための施設などは用意できていない状態である。
そのため、被災地にやってきた観光客の長期滞在は期待できない状態が続いている。



保存への反対意見


保存のための費用


震災遺構を保つうえで一番問題視されているのがコレ。


やはり震災遺構を保つとなると、保存費用が必要となる。
そうなると、国や県などの支援が必要となってきてしまう。


だが、この保存費用が本当に高い。


例として挙げると、震災遺構として残された『奇跡の一本松』。
これは保存費用の見込みが非常に高く、一部から激しい批判を浴びた。


その一方で、震災遺構による収益で費用を上回る経済効果があると期待する声もある。



震災時のトラウマ


保存費用だけでは無く、保存を反対する人はこの問題を抱えている人も多い。


非常に残念なことに、現在でも震災からの復興が順調に進んでいるとは言い難い。
大分活気が戻っている被災地もあるが、逆に震災当初からあまり状況が変化していない被災地も多いのだ。
まだまだ震災による傷跡は深く残ってしまっている状態である。


この中で、震災を思い出したくないと言う声は多い。


震災の生み出した悲惨な状況で心に傷を負った人々。
その状態で生々しく残った震災遺構を見ると、震災の当日を思い出してしまう人もいる。
そのため、『震災を忘れたいor震災の傷跡である遺構を無くすことで前に進みたい』という意見も少なからずある。


この意見は上記の『震災を忘れない教訓にする』という意見とぶつかるところがあるのでこれまた難しい。



他の意見


この議論は、単純に『壊す』『壊さない』という意見だけが出ているわけでは無い。


他にも様々な手段が取られているのだ。
ここではその一例について紹介したいと思う。



一部保存・移設保存


遺構を移設させたり、一部だけ残して解体するという手段。


この方法ならば、完全に保存するよりも費用が掛からない。
また完全保存では無いため、被災者の精神的傷も完全保存よりは薄れるのではないかという意見もある。


こうして一部保存したり移設して跡地になった場所には、祈念公園や慰霊碑を建てるということが行われている。



デジタル化


遺構は解体してしまうが、解体前の姿などを写真や動画として残す方法。


この方法の利点は、やはり費用が掛かりにくいところ。
また、近年はスマートフォンの普及などにより、誰でも手軽に遺構を撮影したり動画撮影できるようになった。
そのため、遺構の姿が動画サイトやインターネット上のブログに掲載されていることも多い。


Googleは、積極的にこの行動を行っている。


その例としては『震災遺構デジタルアーカイブプロジェクト』という物が有名だろうか。
このプロジェクトでは、ストリートビューを生かして遺構の外部・内部を撮影したりした。



代表的な震災遺構


山手80番館遺跡


震災関東大震災
場所神奈川県横浜市

貴重な関東大震災の遺構。


横浜に現存する唯一の震災前の外国人住宅の遺構である。
正確な時期は不明だが、明治末から大正初期に建てられたとされている。
震災当時はマクガワン夫妻の住居となっていた。


かつては外国人居留地の中心地だった。
多くの外国人住宅のや、学校・病院・劇場・教会などの西洋建築が立ち並んでいたらしい。


この場所では、住宅の間取り図と美しいタイルが展示されている。


元々この遺構には、煉瓦壁体が鉄棒によって補強されており耐震上の配慮が施されている。
しかし遺構の各所には、床部のせりあがりや壁体の亀裂がといったし震災の被害が随所にみられる。


震災の被害と、当時の横浜に住んでいた外国人の華やかさが知れる場所。



神戸港震災メモリアルパーク


震災阪神・淡路大震災
場所兵庫県神戸市中央区波止場町

メリケン波止場の一部をそのままの状態で保存し、見学できるように整備した公園。


休憩所を兼ねた展示スペースを兼ね備えた「復興ゾーン」と呼ばれる場所があり、当時の被害状況の資料が展示されている。
その資料は、復旧の過程など記録した模型や映像、写真パネルなどである。


当時、日本国内外の多くの人々が復興に努力したことの知れる場所となっている。



奇跡の一本松


震災東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
場所岩手県陸前高田市気仙町

高田松原350年にわたって植林されてきた約7万本の松の木の中で、唯一津波に耐えた一本の木。


当時津波によって壊滅状態となった陸前高田において、唯一倒壊しなかったこの木は注目を集めた。
被災した住民の間では、この木を希望の象徴的な扱いをする人も多くいた。
そんな事情もあり、各地からこの一本松を保存を求める声が上がった。


だが、この一本松の保存は苦労を極めた。


塩水や栄養不足によって、一本松は枯死状態となってしまった。
そのため、木を保存するための防腐処理などの多大な労力が使われた。


また、1億5000万円という莫大な保存費用は批判も多く受けた。
一本松の保存よりも復興費用に優先させろという声も被災者から出た。


とは言え、この一本松は震災の恐ろしさを十分に教えてくれる遺構となっている。



南三陸町防災対策庁舎


震災東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
場所宮城県本吉郡南三陸町

志津川町の町役場の行政庁舎の1つとして建設された庁舎。


地上から高さ約12メートルの屋上に避難場所があった。
そんな庁舎も、東日本大震災で第1庁舎および第2庁舎は流失し、防災対策庁舎は骨組みと各フロアの床や屋根を残して破壊される。


その後、被災庁舎は震災のモニュメントとして震災遺構と化していた。


庁舎近くの被災建物が次々と撤去される中、本庁舎のみは撤去されずにいた。
このことから、保存を求める強い声もあった。


ところが、南三陸には保存をする力は無く、2013年度中に解体される予定だった。


しかしその後、国が震災遺構に関する支援策を表明。
県の提案もあり、有識者会議が終了する2015年3月までは解体はされないこととなった。


その期限が迫る2015年になってから、宮城県は2031年まで庁舎の県有化をする方針を進めている。










追記・修正は、震災遺構を訪ねてからお願いします。


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  • 一本松はなぁー -- 名無しさん (2015-02-24 21:06:05)
  • 震災を無視・否定したい気持ちは俺にもある。ただ、『地名は災害を警告する:由来を知りわが身を守る』のような伝承地理学研究を見ると、そうも言ってられない。 -- 名無しさん (2015-02-24 22:18:27)
  • 松は情けないような悲しいような気持ちになる。 -- 名無しさん (2015-02-24 23:43:44)
  • いかんせん金が掛かるんだよね… -- 名無しさん (2015-02-25 07:17:29)
  • 南三陸町防災対策庁舎はあと20年県が管理することになったらしい -- 名無しさん (2015-03-11 00:16:09)
  • 震災以降=東日本大震災で崩壊した建物を指すようになったとは全く感じないんだが。テレビで最近話題になっているだけの間違いじゃねーの? -- 名無しさん (2015-03-11 00:22:30)
  • 一本松は対災害のシンボルにしようと先走ったら、塩害という現実つきつけられて逆切れしたような印象 -- 名無しさん (2017-06-04 22:26:47)
  • 阪神淡路だとここに上がってるメモリアルパークより淡路島にある野島断層の記念公園のほうが馴染み深い、小学生のバスツアーコースにもなってんじゃないかな -- 名無しさん (2019-03-14 10:43:49)
  • 原爆ドームが戦争の恐ろしさを伝えるためという理由で保存されてるから、震災遺構もあってはいいと思うが、災害が頻発するたびに保存保存ってのも、正直現実的ではない気がする。やっぱ映像や動画などで残す方がいいんでないかなあ。 -- 名無しさん (2020-07-25 14:33:37)
  • そもそも保存することに金使うぐらいなら現実的な災害対策に使えよって話もあるしな。正直観光資源として活用できんのなら割と情緒的な理由で、予算割いてまで守る価値は無いと言わざるを得ないよ。 -- 名無しさん (2020-07-25 17:15:10)
  • 某アニメのセリフじゃないけれども、「人間は忘れる生き物」だって事を前提にした方がいいと思うが……ハード(避難設備や防災展示施設)だけではダメでソフト(防災教育や避難訓練)の整備は必要って事は災害や事故のたびに語られるが、まずハード(災害遺構含む)という物理的な目に入るものがなければ、当事者になる者達にソフトを整備する発想が出てこない場合もあるわけで……ハード無しにソフトだけ整備してもそれは減災や人命を守る事につながるのか疑問 -- 名無しさん (2022-02-25 00:44:17)

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