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更新日:2024/01/16 Tue 13:04:31NEW!
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るろうに剣心 古流剣術 秘剣 小物 豆腐メンタル 羽飾り 道場破り 小村哲生 鎌鼬 巨漢 チンピラ 自作自演 悪役 コメント欄ログ化項目 三宅健太 救済措置 才能の無駄遣い 傲慢 井の中の蛙大海を知らず お地蔵さん カマイタチ かまいたち るろ剣 yama育ち 東京編 飯綱 真古流 大林隆介 まがい物野郎 ぬん! 石動雷十太 知的マッチョ←の失敗作 日本剣術の行く末を真に憂う者 涙腺崩壊←令和アニメ版 どうしても人を殺せなかった男 しゃがみ込んだこの姿を笑いたきゃ笑えばいい 慢心 技は本物 ぬんぬんぬんぬん! 雷十太先生 殺人童貞 良改変 雷獣太 吾輩は石動雷十太! 剣心のif 宿敵見参
吾輩は石動雷十太!!
日本剣術の行く末を真に憂う者である!
石動 雷十太は漫画『るろうに剣心』の登場人物。
●目次
■プロフィール
身長:190cm
体重:90kg
血液型:B型
生年月日:嘉永3年*15月
声:大林隆介(アニメ)、小村哲生(維新激闘編)、三宅健太(令和アニメ)
■概要
古流剣術の再興を目指す剣客集団「真古流」の頭目。
山に籠り古流剣術を研究した末に「秘剣・飯綱」を会得した凄腕の剣客であり、真古流とはかつて野盗の襲撃から守った縁から塚山家に剣術指南役として雇われ滞在すると共に同家の支援を受け創設した剣術集団である。
2m近い巨体と両肩に付けた黒い羽飾り、無精髭*2、そして奥が見えないほど濁っていながらも強さを感じさせる眼を持つ男。
厳つい外見で左之助からは「羽根オヤジ」なんて呼ばれたが、生年月日の設定から本編では27歳であり、実は剣心より1歳下である。
ちなみに、剣心より年下というのはネタ抜きで重要である。
■人物
一人称は「吾輩」。
明治時代になり実戦的な古流剣術が失われていくことを憂い、これを防ぐために「剣術の弱体化の原因である竹刀剣術を根絶し、真古流を正当の剣術として日本の剣術を再興していこう」という思想の下、真古流の弟子たちと共に修練を重ね日頃から精力的に活動している。
また、自身の強さに憧れを抱いた塚山由太郎を弟子として迎え行動を共にしている。
その思想について、薫は「なんてことを」と最初から否定していたが、剣心は剣術の未来を憂うという考え方自体には同意しており、
左之助も剣術の純度を保つための手段としては一理あると認めていた。
……と、まぁここまでだと「明治になっても自身の信念を貫き生きる剣客」という風に感じられるかもしれない。実際、途中まではそんな感じだった。
だが、実際の所は自身の思想に酔っているだけの典型的な愚物。「剣術の未来を真剣に考えてる俺カッコイイ!」の真っ最中なのだ。
「古流剣術を守る」と言えば聞こえはいいものの、やっていることは一般の道場剣術を見下し、理不尽な道場破りを繰り返しているというチンピラ同然の所業。
自分に都合のいい相手だけスカウトし、逆に強さが見合わない・思想に合わない相手は戦闘不能にしてなお攻撃を加え徹底的に排除する。
更に奪った道場の看板を燃やそうする*3など、古流云々抜きにして剣客としての品格があるとは言い難い人物である。
振る舞いは粗暴そのもので、由太郎のこともパトロンの息子だから無下に出来ず傍に置き小間使いのように扱っているだけで剣術の指導をする気など毛頭無く、むしろ鬱陶しがっている始末*4。
しかも上記の野盗襲撃の一件も、自身の活動資金を提供するパトロン欲しさに雷十太自身が野盗を金で雇い襲わせた完全な自作自演であった。
また、古流剣術を実戦本位の殺人剣と理解し、「剣の勝負は常に一本。殺るか殺られるか」とまで豪語しているが、実際に人を殺めた経験はない。それどころかその覚悟も持ち合わせていないという剣客としては論外レベルな半端者である*5。
なお、根っこの部分で殺人を忌避していたのではと言われることもあるが、少なくとも原作では部下達には普通に剣心の殺害を指示しているので、本当に自分の手を汚す覚悟がないだけである。
結局、剣心はもちろん、雷十太の思想に一定の理解を示した左之助ですら、その浅はかさに呆れ果てていた。
冷静に考えれば、殺人剣の過度の肯定は後継者の減少に繋がって将来の先細りは必至であり、また裏方のパトロンへの敬意もなにもなくただの金蔓としか見ていないなど、組織の運営能力にも疑問符が浮かぶ。
後継者の減少については本人も「限られた者だけでよい」と言っているので気にしていなかったのかもしれないが、だとすれば尚更後継者の育成は重要のはずで、後継者候補である由太郎の育成は必須なのだが…*6
まあ、まだ27歳だし「後継ぎを探す歳じゃない」とか思っていたのかもしれないが……なお時代が違うとはいえ比古が剣心を弟子に取ったのはもっと若い
ただし、雷十太が独力で古文書を解読し、努力を重ねて飯綱を体得した経緯を考えれば、「独りで努力を重ねたからこそ、安易に自分に教えを乞う由太郎に我慢ならなかった」
あるいは「そもそも自分も師匠がいないのでまともな教育もできなかった」等の別の見方もできる。
全てを愚かと切り捨てられないが、軍事力や何らかの成果を示すでなく、
殺人剣を謳いつつ、超人的な技をひけらかすだけだった剣心との戦いこそ、彼の「真古流」の浅さそのものと言える。
ただ、本人はこんなどうしようもない下衆だったが、自作自演とはいえ野盗をけちらした時の姿は由太郎の心を大きく動かした。
そして、由太郎の人生の目標として、彼の心に残り続ける事となる。でもそれはそれとして、北海道編で弥彦が由太郎の指導役を買って出た際に「俺の師匠はろくな奴がいない」と暗に雷十太をこき下ろし、同類呼ばわりされた弥彦からも「アレと一緒にするな」と言われる。残当。
もしくは殺し殺されの時代と比較して「人を殺すことの意味や命の価値」が重くなっていく時代であることを証明したキャラクターとも取れる。
剣術で人が死ななくなり、逆に殺せるという事実だけで自信が付き、だがそれを成すだけの覚悟が出来ていない為に破滅した。
そんな雷十太は時代の移り変わりに取り残された哀れな男とも言える。
ちなみに、「こいつ幕末は何してたんだ?」というのは維新志士としては異常に若い剣心よりも年下なので、幕末の動乱に参加していないのは別におかしなことではない。*7
ちょうど山籠りの時期と重なるため、何も知らず山にいるうちに幕末が終わってしまったという可能性もある。
■戦闘力
精神的な未熟さは目立つ反面、古流剣術の使い手たち*8と実際に戦って勝利したうえでスカウトするなどかなりの強さを備える。
作中でも飯綱をはじめとした強力な剣腕と巨体に似合わぬ俊敏さ、龍槌閃の直撃を受けても大きなダメージを受けないほどの耐久力もあり、カタログスペック的な力量においては相当なものを見せた。
尤も、刃衛戦や蒼紫戦ほど剣心が苦戦している様子がないどころか「お前如き倒すのに左腕一本で十分」と言われて、本当に右腕が使えない剣心に負けたため、本当にこいつが強いのか疑問に思う読者は多いと思われる。
一応、飯綱の乱れ撃ちで剣心の足を負傷させたりはしているのだが…
ついでに東京編時点での左之助にとっては「打たれ強さに任せて防御を考えない」戦闘スタイル上不利な相手のはずだが、「一介の喧嘩師に負けたりなんかしたらあんたおしまいだぜ」と言われるなど、どうも格下に見られていた節が…
古文書を解読し、そこから独学で驚異的な技を習得していたことから、やや偏りはあるもののオツムも素質も確かではあったと思われるのだが、人格的にあまりに矮小だったことが全面的に評価を下げる要因であろう。
公式ガイドブック『剣心皆伝』のパラメーターでも武力は十本刀の中堅クラスや縁以外の六人の同志に匹敵するが、それ以外は平均以下なうえ個性が見かけ倒しという有様。
そもそも武力が同等でもモブ程度なら平然と殺める彼らと対峙したらどうなるかというのはまた別問題である。
秘剣・飯綱
これこそ真古流の象徴!そして…
究極の殺人剣!!!!
雷十太が古流の秘伝書を解読し十年の歳月をかけて会得した秘剣。
切っ先が陽炎のように揺れて見えるほど凄まじい剣速によって真空の刃、俗に言う「かまいたち」を生み出す技。
雷十太によれば戦国よりはるか昔の剣客はこの秘剣を会得し、「飯綱使い」とも呼ばれる妖術使いの類と思われ恐れられた程の強さを誇ったという。
恐らくは、戦国時代に鉄砲(火縄銃)の伝来と同時に需要が激減し、廃れてしまったものと思われる。
「真空の刃」という点以外詳細な術理は不明であるが、神速の剣術を操る剣心が「拙者には(飯綱の使用は)無理」と言うほどの代物である。
…はずなんだが、師匠は本気出すと使える疑惑がある*9。どんだけチートなのあの人…。
一応、アニメ後期では剣心の土龍閃も衝撃波を飛ばす謎の技になっている。*10
また、その特性上奥義が白刃取りである神谷活心流にとっては受け止める事が出来ないので相性が最悪だと思われる。しかし奥義習得後の弥彦が雷十太に負ける未来が見えないのは間違いなく気のせいではないし、青年弥彦ならなんだかんだで白刃取ってしまいそうな気がする。
作中では以下の二つのタイプを使い分けており、交互に乱れ撃つ事も可能。
なお、飯綱とは使い魔や式神のような妖怪の一種のことであり、イタチの仲間であるイイズナが元ネタとなっていることからこれらを鎌鼬とかけたネーミングとなっている。
技
- 纏飯綱
通常の斬撃として放つ飯綱。
「飯綱」の基本技で、その威力は竹刀や木刀*11で放っても相手の武器諸共に道場の床を真剣以上の鋭さで切り裂くほど。剣心の見立てでは真剣で放てば金剛石すら両断できるらしい。
「切れ味が異常に鋭い」という一点を除けば普通の斬撃だが、刃など全くついていない竹刀や木刀でも対象物を綺麗に両断してしまうのだから十分な脅威である。
剣心との前川道場での対決で垣間見せたが、剣心が切っ先の揺らめきに気付いて咄嗟に防御から回避に切り替えていなければ武器ごと切り裂かれるところだった。
実質防御不可能であるため使われた場合には回避するしかないというチート技。天翔龍閃ですら一撃目に限れば捌かれた事がある事を考慮するととんでもない事である。
これが大技でもなんでもなく、普通の斬撃で飛んでくる。切っ先が揺らめくという予兆はあり、最終的には「当たらなければ意味がない」技とされてしまったが、そもそも剣心くらいの実力がないと初見で避けるのも難しい模様。
本人も「た易く破れるものではないわ!!」と自信満々に豪語しただけあり「斬る」という一点においては作中でも随一の威力を誇る。
旧アニメに至ってはなんと巨大な旋風を発生させていた。
しかし、こんな技を平然と使っていながら、今まで一人も殺した事がないというのも逆に凄い気がしなくもない。あるいは活人剣への適性があるのかもしれない。
尤もこんなのを見せられて戦意を喪失しない方が珍しいので、ある意味では「剣術は殺し合いの道具ではなく、無闇に殺傷せずに勝負を決める」時代においてはうってつけの技とも言えよう。
……が、雷十太のモノローグで「避けたのは剣心が初めて」と言われているのでこれまで纏飯綱を撃った際には全員まともに喰らっている事になる。*12武器破壊に留めたんじゃないの?っていうのも、剣心は避けたのに武器破壊されてるから説明つかないし、やはり活人剣の方が(ry
すなわち、雷十太は纏飯綱を人を殺さないように加減した上で喰らわせていたという事になり、令和アニメ版ではある意味この点こそが雷十太の捨てきれない本質として取り上げられる事になる。
- 飛飯綱
奥の手にして奥義。
真空の刃を飛ばし刀の間合いの外にいる相手に攻撃を行う飯綱で、剣技の皮を被った完全な飛び道具であり溜めもなく連射可能という中々のトンデモ技。
人体に命中すれば「出血は少ないのに傷口はパックリ裂けている」という奇怪な傷が発生する。
…が、斬撃の軌道は刀の振りによって決まるため、銃口の向きで銃弾の射線を見切って普通に避ける剣心にとっては一度タネがわかれば回避するのは朝飯前だった。
左之助からも「驚くことじゃねえだろ」「一度見た技に二度当たるのは三流のすること」と評されている。
作者からも「剣心は避ければいいじゃん」「『剣心』の世界の中では鉄砲というのはたいした武器じゃないので、意味ねーな、と」と酷評されている。
とはいえ、手が麻酔でしびれている程度*13で神速を誇る剣心がかすった程度とはいえ被弾してしまったことを考えると、そこそこの弾速はありそうだしこき下ろされるほどの技ではなさそうにも見えるのだが…
作者は「剣の勝負は、斬るか斬られるかの間合いの取り合いこそが醍醐味。飛び道具は邪道」と考えているため、出しはしたもののこのような扱いになってしまったようである。
若干酷評気味の飛飯綱だが雷十太もこの技の弱点を放っておいたわけではなく、「飛飯綱の弾幕を放ちつつ一気に間合いを詰めて纏飯綱の一撃を加える」というコンビネーションによって弱点を補っている。
なお、ゲーム「十勇士陰謀編」の主人公である聖/輝の必殺技の一つ「奔天の型」はカマイタチを飛ばす技なので、聖/輝は飛飯綱を使える事になる。神爪の里は飯綱使いの里だった……?
が、結構な大技扱いを受けておりアイテムを使わないと連発はできない。ぶっちゃけ燃費のいい乱打技の方が使い勝手がいい
ゲーム的な仕様とは言え、連射可能な飛飯綱のトンデモっぷりが逆に際立った気がしなくもない。
■来歴
東京編中盤、道場破りの一環として前川道場を訪れた際、薫の出稽古に付き添っていた剣心たちと遭遇する形で初登場。
道場主である前川をあっさりと倒すが、その横暴を見かねた剣心と手合せすることとなり、飯綱を放つがすんでのところで避けられ引き分けとなる。
この一戦で剣心を古流剣術の使い手と見抜き(抜刀斎とは気づいた様子はなかった)その資質を認め、
後日真古流の一員となるよう勧誘するが「剣術の未来を憂う気持ちは同じだが、殺人剣が蔓延るような未来ならこちらから願い下げ」とあっさり断られてしまう。
「剣客同士、剣と剣でしかわかりあえないもの」と剣心と一戦交えようとするが水入りがあったため、その場は一旦剣心を見逃す。この辺りまでは粗暴だが自分なりの信念を貫いているように見えており、ぶっちゃけ先生の全盛期。
数日後、真古流の弟子四人を神谷道場に差し向ける強硬手段をとり、これが失敗すると今度は自ら夜道で背後から剣心一行を襲撃。
戦いに消極的な剣心に対し飛飯綱を放ち右手を負傷させ、更に剣心の後方にいた由太郎の右腕に重傷を負わせる。
由太郎を傷つけても「急所に当たらなければ死なんから放っておけ」「パトロンのかわりはいくらでもいる」などと平然と言い放つが、この一連の行為が剣心の逆鱗に触れてしまい、「貴様には生き地獄を味わわせてやる」とまで言われてしまう。
由太郎を治療するため一時的にその場を去った剣心が戻ってくると飯綱の連発で攻勢をかけ右手に二つ目のかすり傷を与えるが、
彼を仕留められなかったにも関わらず「殺人剣」を喜色満面に自慢するその姿を剣心に「大した殺人剣だ」と皮肉られ逆上。*14
飛飯綱と纏飯綱のコンボで剣心を間合いに入れず追い詰めようとしたが剣心が放った飛龍閃の一撃を額に受け敗北。
それでも意識を手放さず苦しまぎれの抵抗で弥彦を人質に取るが、「殺れるものなら殺ってみろ!」と自分に臆することなく吼えてかかる弥彦の姿を目の当たりにして逆に臆してしまい、
左之助から「本人が殺せって言ってるんだからやってみろよ」と言われても狼狽えるばかり。
トドメに剣心から「殺人剣の本質すら知らない今のお前は剣客としては弥彦にすら劣る」と、自分自身の人間としての根本的な弱さを突き付けられ、精神的にも完全に敗北。
自分の心の弱さを突き付けられたことで剣客としての自信を完全に砕かれ再起不能に陥った。
「奪った命の重みで己が奈落へ落ちるのが殺人剣」と言うのであれば、誰も殺さずとも自ら奈落へと落ちていった雷十太の剣は正しく殺人剣の域には至っていなかったのかもしれない。
その後の行方は知れない、はずだったが……?
北海道編第二幕の表紙でしれっと後ろ姿が描かれている。確かに雷十太が好きそうな展開な気もするが、まさか北海道に来るのだろうか
■本編以外での活躍
平成アニメ版
旧アニメ版ではOPでも冒頭のワンカットでまだ見ぬ強敵的なポジションで登場した。
OPではかなり美麗なハンサム男として描かれているのだが、実際の本編では原作と同様かそれ以上のゴリラ人間として描かれている。
シナリオが最早別物と言える程に変更されているが、目的が古流剣術の再興という点は一応同じ。
だが、その手段が「一大集団と化した真古流を率いて明治政府から伊豆を独立させる」というよく分からない方向にグレードアップ。
一応戦略的に地の利を得るためという理由があるのだが、どうにも字面が突飛すぎてシュールである。
また、塚山家に取り入るために雇ったチンピラを平気で斬り殺すなど完全に卑劣漢キャラとなっている。
よってほとんど名前を借りた別物としての扱いである。
原作では気づかなかったが剣心=抜刀斎ということにいち早く気づいている。
加えて真古流は先の通り一大集団と化し、とんでもない数の手下がいる他、原作の弟子4人組が真古流四天王とかいう仰々しい肩書で登場する。
それだけ大物ぶっていただけに、原作よりパワーアップしたのはやっていることだけでなく、技の見栄えも凄まじいことになっている。
特に飯綱がとんでもない旋風を起こす技に演出強化されているのは有名で、これで追ってきた警官隊の出鼻を思いっきり挫いている。剣心戦では微妙に地味になっているのはご愛嬌
が、原作では食らっても平然としていた龍槌閃でノックアウトされるなど耐久力は大幅に減少した。
もっとも、その前に土龍閃で空中に打ち上げられて龍槌閃で剣心の言葉通り「叩き伏せられる」という終わり方だったので単純比較はできないかもしれない*15が。
シナリオ後半では、彼を危険人物として長年追いかけ続けてきた明治政府が派遣した警官隊と塚山家の中で戦闘になり、
その戦いで多くの同士が命を散らしている事もあり、原作どおり由太郎もそうだが未来ある多くの若者の人生を狂わせたという、原作以上に罪深い男にもなった…
なおPSPゲーム『再閃』ではほぼ原作通りに登場し、演じている大林ボイスでの「日本剣術の行く末を~」の下りが聞ける。
再筆
雷獣太としてリファイン。
古き剣豪よろしく霊山で修行したら開眼したとかなんとか。
山で仕留めた獲物から作った装束に身を包んでおり、腰には虎の頭が拵えられているが日本に虎はいないと突っ込まれている辺りでお察し。
キネマ版
出てないだろって?
再筆版のデザインを確認してからキネマ版第一幕を見直してみよう!
ぶっちゃけると偽抜刀斎がこいつ。出番を取られた[[比留間伍兵衛>比留間兄弟]]は泣いても…いやどうでもいいか
令和アニメ版
インタビューで作者が雷十太に関しては気合を入れて監修したという旨を明言していたため心配期待されていたが、第15話「その男、雷十太」から3話に亘って登場。
途中の部下による襲撃がオミットされたこと以外は細かな違いはあれど基本的には原作通りの進行であり、やはり剣心と戦いの果てに飛龍閃…の後の追撃で沈められる。まぁ、下手すると左之助以上に頑丈な雷十太を飛龍閃一発で沈めるのは無理があるので妥当と言えば妥当な追撃である
それでも立ち上がり弥彦を人質に取る雷十太であるが、原作通りどうしても傷付けることが出来ない。殺人剣を掲げながらもの人間としての弱さを指摘され、本物の殺人剣の使い手と出会って殺される前に刀を捨てるよう諭され、原作のように「折れ」ることは無いものの、弥彦を解放してその場に立ち尽くしていた。
この時、原作とは違い薫や由太郎も決着を見届けており、由太郎からは寂しげに別れを告げられるが、雷十太が由太郎を本当に何とも思っていなかったのかは定かではない。由太郎が弥彦を人質に取る雷十太をどう思ったのかは永遠の謎
後日、由太郎の見送りに来て彼が元気を取り戻した際に、剣心と薫が雷十太の才能の高さとその精神性を振り返るシーンが追加されており、
二人は雷十太に「才能は確かだったがそれ故に技ばかりを追求して剣の本質を見誤ってしまった」「真古流だの殺人剣だのに固執しなければ明治の世に新しい剣術を開いていたかもしれない」と一定の評価を下した上で
「殺人剣を謳っておきながら人を殺す覚悟も経験もない」という点で彼をあるいは見下していた原作と異なり、
「まだ人を殺していないという事実が救いだったと気付いてほしい」と願い、悪事を働いた彼をむしろ憂うという別の見方をしていたのだった。雷十太の行末を真に憂う者である。
実は筋書き以外での目立った変更点として、ここに至るまでに原作ではボロクソに言っていた剣心の雷十太に対する暴言がかなりカットされており、この結論に至る流れが整えられていることがわかる。
※原作からカットされた剣心の台詞の数々
人々が平和に暮らせる新時代を作るという理想の下、数多の命を奪ってしまった事を悔いている緋村抜刀斎だからこそ思えた事だろう。
一方そんな事はつゆ知らず、雷十太は屈辱に打ち震え自棄になっており、「殺したことがないのであれば誰かを殺せばいい」「誰でもいいから殺す」という結論に達していた。
剣心と戦った夜道の林の中に身を隠す彼の目前には、地蔵にお祈りをする少女と老婆。
か弱き女性が道を歩くという、(仮初ながらも)平和になった明治の世でしか見られない光景を、雷十太は汚そうとする。
しかしながら、いざその時を迎えようとする彼の脳裏にフラッシュバックするのは、剣心が語った「奪った命の重みで奈落に落ちる剣」という殺人剣の本質。
修羅道へと踏み込もうとする恐怖に手は震え息は荒げる。
そんな迷いを断ち切らんと、決死の覚悟で飛飯綱を放ち、ぼとりと首が落ちた。
──その首は少女の物でも老婆の物でもなく、2人がお祈りをしていた地蔵の物であった。
「おや」と老婆は気付き、そして落ちた地蔵の首を拾い上げて元に戻す。しれっとやってるがわりと怪力なおばあちゃんである。
その原因に気付くこともなく、元の首の位置に戻った地蔵に改めてお祈りし2人は帰っていった。
2人が去ったあと、剣客ですらない女子供を殺すことすら出来なかったという自分の本質*19*20を痛感したことで今度こそ雷十太の心は折れ、自身が首を落としたお地蔵さんの前でまるで子供のように泣きじゃくる。
しかしこの地蔵、実は先ほど老婆が気付かないうちに落ちた首を上下逆向きに置きなおしてしまったのだが、
そのおかげでムスッとしたしかめっ面だった本来の表情とは逆に、にこりと微笑む柔和な表情へと変わっていたのである。
まるで、とうとう人を殺せなかった己の情けなさを噛みしめる雷十太を優しく見つめ、“良くぞ思い留まりましたね”とでも諭すかのように…
■余談
作者的にも、当時『京都編』の連載が差し迫っていた影響で早急にエピソードを畳んでしまった*21せいで人物造形が上手く出来なかったキャラであったらしい(「回を経るごとに小物化してしまった」とのこと)。
- 未熟過ぎる精神やそれに対して高すぎる実力
- 殺人剣を自慢しているが実際に殺しをしたこともないという初登場時の言動や見かけからは想像もできないほどの滑稽さ
など、かなりアンバランスなキャラとなっている。
平成アニメ版での大胆改変はこういう所も考慮された結果なのかもしれない。
一方、令和アニメ版では原作に準じつつも、自分の手を汚さず部下に殺せようとする卑劣すぎた部分はカットし、
「理想に殉じて人を殺め続けた剣客」である抜刀斎とはある種対照的な
「理想に酔って悪事を働いても、人を殺す事だけはできなかった剣客」という要素がブラッシュアップされたものになっており、
左之助に斎藤、刃衛、蒼紫、志々雄や縁とは別ベクトルで『るろうに剣心』という作品の本質を突くライバルキャラの一人として昇華される事となった。
作者の長年の後悔を感じさせる出来になっていると言えよう。
驚くべきは、一見尺の都合でカットされたように見えた雷十太の同志こそが、雷十太の本質を描くには邪魔な存在であったという事だろう。
この情けなくも人間臭く、雷十太が改心して立ち直る可能性を残した救いのある結末は放送直後から大きな話題となり、
雷十太が最後まで人を殺せない性根の、言い換えれば己に残された最後の「良心(善性)」だけは裏切れなかった人物として描かれたことにあれほど殺人童貞とかネタにしたのを掌返して感銘を受け、「人を殺せなくていいんだよ」と感想を述べる視聴者も多かった。
そして同時にネタ要素扱いだった北海道編での参戦を望む声も一気に上がった。問題は北海道編に出てくる雷十太をしれっと令和アニメ版ベースに修正するのか、あくまで原作に準じて描くのかというところだが。
また、林の中から殺人を犯そうとしても敵わず、街道に出てきて地蔵の前で泣き崩れる姿は、恵編の最後で御庭番衆の墓から樹海へと姿を消して修羅の道へと堕ちていく蒼紫との対比ではないかという見る声もある。
何げに『宿敵見参』というタイトルのテーマソングもある(しかもアニメタル)。
こんな薄っぺらなキャラから格好良い歌詞を生み出すとは流石阿久悠先生である。
しかし、それにしても『相手が悪い 知るのが遅い』という歌詞はとんでもない皮肉である。
ちなみにこの雷十太との一連の戦いは、るろ剣のメインエピソードの中では唯一剣心=抜刀斎である事が物語に絡まない(それどころか「抜刀斎」という単語が全く出てこない)。
尚、斎藤もこの一件を密かに見張っていたらしく、「人斬りをやめた剣心が手の届く人を守れなかった例」として由太郎のことを挙げている。その際に斎藤から「愚物」だとはっきりと言われてしまった。
なので、令和アニメ版で雷十太が殺人を犯せなかった場面では、「斎藤が突然現れて殺人を犯した雷十太を始末するのでは?」とハラハラした視聴者もいたとか。
集英社から発行された公式アンソロジーでは大亜門の魔の手にかかってしまい、いつもの大亜門キャラのような変態へとなり下がる。
しかし薫と恵の服を切り刻むという大快挙を果たした。
なお、このアンソロで雷十太先生の活躍が読めるのは大亜門先生の作品だけ!
追記・修正は竹刀で竹刀を両断してからお願いします。
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*2 途中から剃ったが。
*3 一応、「返して欲しくば勝って奪い返せ(意訳)」と言っているが。
*4 剣術だけでなく本来師匠が担うべき人格生成すらも怠っており、初期の由太郎は非常に悪辣とした少年であった。その割にはなぜか由太郎は古流剣術の戦い方を知っているという矛盾があるが、「師として役割を保つために一応形だけ教えた」か「虚栄心を満たすために由太郎に蘊蓄たれた」説が濃厚。
*5 その割には上記の通り戦闘不能の相手に攻撃を加えようとしていたが、剣心が止めに入るのを見越した上、もしくは「殺す価値もない」と寸止する前提での行動と解釈すべきか。
*6 ちなみに由太郎は剣心が「かなりの剣才の持ち主」と驚き、後に読者から「強くなりすぎ」と評される弥彦が「(剣道を始めて)十日でここまで伸びるなんて」「才能もあるんだ」と認めるほどの天才であり、雷十太の他人を見る眼力の乏しさも露呈している。
*7 幕末に江戸城警護をしていた蒼紫は当時13歳ともっと若いが、隠密御庭番衆という特殊な環境に所属していたので比較すべきではないだろう。
*8 うち一人は本気出した剣心に一瞬で倒されたが剣心も評価するほどの実力者だった。そして最後の一人は逃げ出そうとして、左之助にとっ捕まってる。
*9 白外套脱いで本気出した際に素振りで突風を起こして地面を切り裂いた。
*10 天翔龍閃も直接撃ちはしないものの真空空間を生み出すほどの斬撃を放つ技ので、奥義を会得した事で剣心も何かしら飯綱の域に至った…のかもしれない。
*11 令和アニメ版。
*12 山での修行中野生動物にでも使ったということかもしれないが。
*13 令和アニメ版ではこの描写はない。
*14 ちなみに剣心は最初の傷を縫合するための麻酔で右手が満足に動かず抜刀術どころか回避行動も満足にとれない状態であり、当たって当然の傷だった。ただし令和アニメ版では麻酔をかけられていないので普通に命中した事になる
*15 踏ん張りが効かない状態だったため、そもそも耐える余地を与えなかったとも言えるか。
*16 この前後の台詞は残っているが、ここだけ抜けている。
*17 令和アニメ版ではそもそも右腕の麻酔の一件がなくなっている。この直前と由太郎を巻き込んでしまった際の2回の負傷があるため、右腕を使っての龍槌閃が使えないと左之助が評する流れは変わらないものの、右腕が完全に使えないわけではない事が飛龍閃の後の追撃に繋がる事になる。
*18 この台詞の代わりに本物の殺人剣の使い手と出会う前に刀を捨てるよう諭す流れになっている。
*19 同志の存在がカットされた事がここで活き、原作での「自分の手を汚さす同志に殺人させようとした」という殺人を忌避するというには卑劣な一面がなくなり、雷十太の本質を描くのに説得力が増した形になっている。
*20 ちなみに雷十太は薫に対して「吾輩は女子供でも容赦せぬぞ」と嘯いており、その発言と対になっている。
*21 同様に直後の『左之助と錦絵』のエピソードも本来4話かけて描くはずが1話分短縮してあっさり完結している。
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