「地誌」を含むwiki一覧 - 2ページ

北岩岡の小字 - 埼玉県の小字

北中一丁目、岩岡町になった。三ッ氷(みつごおり):1982年に北中四丁目になった。内出:現存。所沢市史には記載がない。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 埼玉県報 昭和57年6月、昭和57年10月

下富の小字 - 埼玉県の小字

飛び地として位置していたが、住民から町名変更の要望が出され、2007年に大字中富字弁天から大字下富字弁天に変更された。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 大字中富字辨天地区の町名変更

上安松の小字 - 埼玉県の小字

よう):現存。八ッ沢(八ッ塚)(やつづか):現存。橋場(はしば)中台(なかだい)中台下(なかだいした)当発(とうはつ)参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 埼玉県報 昭和61年11月

中新井の小字 - 埼玉県の小字

緑地がある。浅海原(浅見原)(あさみはら):1975年に中新井一・三・四丁目になった。中新井四丁目に浅海原公園がある。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 埼玉県報 昭和50年6月

神米金の小字 - 埼玉県の小字

現存。内出(うちで):現存。西ヶ原(にしがはら):現存。飛鳥野(あすかの):現存。特別養護老人ホーム飛鳥野の里がある。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 埼玉県報 昭和27年7月

下安松の小字 - 埼玉県の小字

(にしくぼ):現存。堀北(ほりきた)和田堀北(わだほりきた)程久保(ほどくぼ):現存。牛久保(うしくぼ):現存。北新田参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 埼玉県報 昭和61年8月

下新井の小字 - 埼玉県の小字

柿木台(かきのきだい):現存。武蔵野(むさしの):現存。1990年に一部が中富南一・二丁目になった。武蔵野遺跡がある。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 埼玉県報 昭和48年4月、昭和48年5月、昭和50年6月、昭和56年5月、昭和57年10月、平成2年5月

上山口の小字 - 埼玉県の小字

がみねした):現存。長峰(ながみね):現存。柳瀬川支流の長峰川がある。堂入(どういり):現存。覚鎮(かくちん):現存。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム

五味ヶ谷の小字 - 埼玉県の小字

羅世清水久保吹ノ口伊流桶谷参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 埼玉県報 昭和46年11月・ 旧新地番対照表 広谷新町・ 鶴ヶ島町史「文化・地誌編」

久米の小字 - 埼玉県の小字

らどおり):現存。1966、1967、1993年に一部が星の宮二丁目、南住吉、松が丘一丁目になった。本村通(元野口分)参考文献・ 所沢市史 地誌​​​​​・ 所沢市全図(市街地区)(昭和27年)・ 埼玉県報 昭和61年11月、平成5年10月

所沢の小字 - 埼玉県の小字

字浅海原、大字中富字中原(編入)になった。倶美原:耕地整理に伴い新設された小字。1973年に美原町一~四丁目になった。参考文献・ 所沢市史 地誌・ ところざわ歴史物語​​​​​・ 所沢市全図(市街地区)(昭和27年)・ 埼玉県報 昭和27年7月、昭和41年10月、昭和48年4月、

北秋津の小字 - 埼玉県の小字

くすのき台二・三丁目になった。くすのき台三丁目に北の台公園がある。二瀬川(元久米川分)(弐瀬川)(ふたせがわ):現存。参考文献・ 所沢市史 地誌​​​​​・ 所沢市全図(市街地区)(昭和27年)・ 埼玉県報 昭和61年11月

北野の小字 - 埼玉県の小字

952年に新設された小字(昭和27年の埼玉県告示では大字小手指となっている)。1977年に小手指町一・二丁目になった。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 大字北野地区 旧新地番対照表、町名変更案内図・ 埼玉県報 昭和27年1月、昭和49年3月、昭和52年6月、昭和52年7月、昭和53年

上新井の小字 - 埼玉県の小字

った。戊北砂:1974年に向陽町になった。北所沢:開拓後の耕地整理に伴い付けられた小字。1974年に北所沢町になった。参考文献・ 所沢市史 地誌・ ところざわ歴史物語・ 大字上新井地区等 旧新地番対照表、町名変更案内図、旧新地番対照図・ 埼玉県報 昭和35年5月、昭和48年4月、

荒幡の小字 - 埼玉県の小字

存。東向大谷(ひがしむかいおおや):現存。1993年に一部が松が丘二丁目になった。西向大谷(にしむかいおおや):現存。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 埼玉県報 平成5年10月

山口の小字 - 埼玉県の小字

仙元前自治会がある。笹畝(ささうね):現存。茨畝(ばらうね):現存。東台(ひがしだい):現存。大谷(おおたに):現存。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 大字上新井地区等 旧新地番対照表 、第二椿峰土地区画整理区域 旧新地番対照表

勝楽寺の小字 - 埼玉県の小字

神門峯(ごうどみね):狭山湖沿いに現存。大久保入(おおくぼいり):狭山湖沿いに現存。神門(ごうど):狭山湖沿いに現存。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム

上尾村の小字 - 埼玉県の小字

:大字西門前字吉田前の南方、大字上尾村字吉田の中に飛び地として現存。道地原(元沖ノ上分)吉田(元南分)参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾町第二耕地整理組合 整理確定図、換地説明書・ 上尾町鑿泉耕地整理組合 整理確定図、換地

大里の小字 - 埼玉県の小字

堤外(ていがい):現存。沼:1916年に新方村大字弥十郎字大杉境、字裏沼に編入した。西参考文献・ 越谷市大字小字表・ 越谷市史 六 「大里村地誌(明治20年)」・ 越谷市遺跡地図・ 埼玉県報 大正5年9月

上間久里の小字 - 埼玉県の小字

った。鯛之島(鯛島)(たいのしま):現存。混在する下間久里にも字鯛之島がある。堤外参考文献・ 越谷市大字小字表・ 越谷市史 六 「上間久里村地誌(明治20年)」・ 越谷市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和56年12月、平成11年11月

下間久里の小字 - 埼玉県の小字

鯛の形をした島状の区域。混在する上間久里にも字鯛之島がある。鯛之島自治会がある。 参考文献・ 越谷市大字小字表・ 越谷市史 六 「下間久里村地誌(明治20年)」・ 越谷市遺跡地図・ 埼玉県報 大正5年9月、大正8年2月

大房の小字 - 埼玉県の小字

た):現存。沼田自治会がある。大林下(おおばやしした):現存。沼向(ぬまむかい):現存。参考文献・ 越谷市大字小字表・ 越谷市史 六 大房村地誌(明治20年)・ 越谷市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和40年4月・ 越谷市住居表示新旧対照案内図 大沢一~四丁目、北越谷一~五丁目

亀ヶ谷の小字 - 埼玉県の小字

(だいこう):現存。鎌倉(かまくら):1951年に大字新郷になった。川向(かわむかい):1951年に大字新郷になった。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 埼玉県報 昭和26年11月

上尾宿の小字 - 埼玉県の小字

泉耕地整理の換地説明書に記載がある。田向(たむかい):1966、1970年に(旧)緑丘、錦町になった。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾町第二耕地整理組合換地説明書・ 上尾町鑿泉耕地整理組合 整理確定図、換地説明書・ 緑ヶ

良書百選. 第1輯 - 読まねの目次録

觀孟子 宇野臺嶺/9 支那の人文思想 中山久四郎/10 現代社會倫理學 池岡直孝/10 現代倫理學の理念 長屋喜一/11 第二 歴史・傳記・地誌 紀行 日本文化史 笹川種郎/11 天正遺歐使節記 濱田青陵/12 明治維新と現代支那 三浦周行/12 西域文明史概論 羽田 亨/13

大沢の小字 - 埼玉県の小字

原自治会がある。町並(まちなみ):1965年に北越谷一・二丁目、大沢一~三丁目になった。参考文献・ 越谷市大字小字表・ 越谷市史 六 大沢町地誌(明治20年)・ 大沢町道路全図・ 埼玉県報 昭和40年4月、昭和58年3月、平成8年9月・ 行政文書 町村制(大正5年)、行政文書(大

日比田の小字 - 埼玉県の小字

んがん):現存。1951年に一部が大字新郷になった。中台(なかだい):1951年に大字新郷になった。峯(みね):現存。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 埼玉県報 昭和26年11月

三ヶ島の小字 - 埼玉県の小字

ある。中台(なかだい):1977年に西狭山ヶ丘二丁目になった。富士塚(ふじづか):1978年に林二丁目、糀谷になった。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 埼玉県報 昭和25年4月、昭和52年7月、昭和52年10月、昭和53年6月、昭和53年9月

林の小字 - 埼玉県の小字

記載がない。1978年に和ヶ原三丁目、林二丁目になった。富里宿:所沢市史には記載がない。1978年に林一丁目になった。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 埼玉県報 昭和25年4月、昭和52年7月、昭和52年10月、昭和53年6月、昭和53年9月

三ヶ島堀之内の小字 - 埼玉県の小字

ハケ(にかいはけ):1977年に東狭山ヶ丘二・三丁目になった。中原(なかはら):1977年に東狭山ヶ丘六丁目になった。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 埼玉県報 昭和52年7月、昭和52年10月、昭和53年6月、昭和53年9月

糀谷の小字 - 埼玉県の小字

った。中号(なかごう):1977年に東狭山ヶ丘五丁目になった。下号(しもごう):1977年に東狭山ヶ丘五丁目になった。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 埼玉県報 昭和52年7月、昭和52年10月、昭和53年9月

本郷の小字 - 埼玉県の小字

史では「地籍図に小字名はあるが、地番がない」と書かれているが、昭和26年の埼玉県告示では1292番地となっている。本郷参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 埼玉県報 昭和26年11月、昭和61年8月

城の小字 - 埼玉県の小字

乙丙に分かれて記載されている。隣接する坂之下にも字甲明改原、乙明改原、丙明改原がある。東所沢三丁目に明改原公園がある。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 埼玉県報 昭和61年8月

坂之下の小字 - 埼玉県の小字

はら):現存。中野(元野火止分)(なかの):野火止字中野の飛び地。登記情報の表記では「元新座郡野火止分」となっている。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム

南永井の小字 - 埼玉県の小字

(いがしら):現存。北井頭(きたいがしら):現存。大岾(元北永井分):大岾と岾野に挟まれた区域および岾野の東方に現存。参考文献・ 所沢市史 地誌・ 所沢市地理情報システム・ 埼玉県報 平成2年5月

上広谷の小字 - 埼玉県の小字

北番田薬師参考文献・ 川越の地名調査報告書2・ 川越市土地宝典 霞ヶ関・名細地区 1983・ 埼玉県報 昭和54年7月・ 鶴ヶ島町史「文化・地誌編」

下野の小字 - 埼玉県の小字

大字下野※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。薬師天神内道馬立浅間山合川原慶作参考文献・ 杉戸町の地名・地誌

三国名勝図会とはなんですか? - クイズwiki

A. 三国名勝図会は、江戸時代後期に薩摩藩が編纂した領内の地誌や名所を紹介する文書です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8D%E5%8B%9D%E5%9B%B3%E4%BC%9A

磐梯山 - Gravity Wiki

.32メートル低く新三角点活用し調査(河北新報 2010年12月28日)↑ 「会津若松市史13」『会津の大地-自然の生いたちと姿』(自然編3地誌)2004年、会津若松市、p.10関連項目[]ウィキメディア・コモンズには、磐梯山に関連するカテゴリがあります。日本百名山うつくしま百名

椿温泉 - Gravity Wiki

海水浴場がある。歴史[]その昔、足を痛めたシラサギが当地に噴出していた天然の温泉にたびたび飛来し、足を治したという故事が残っている。紀州藩の地誌『紀伊続風土記』(天保10年)には、すでに名湯として紹介されている。外部リンク[]白浜町椿温泉のページ表・話・編・歴温泉♨ 温泉ウィキポ

鰻温泉 - Gravity Wiki

部に集落があり、公衆浴場と民宿がある。噴気活動が盛んで高温の噴気を利用したスメと呼ばれる蒸し器が炊事に利用されている。歴史[]江戸時代後期の地誌『三国名勝図会』に記載されており、皮膚病に効能があるとされていた。1874年(明治7年)には西郷隆盛が約1ヶ月間滞在し、記念に残された襦

霧島温泉郷 - Gravity Wiki

発見された。江戸時代に書かれた温泉番付『諸国温泉功能鑑』に「薩摩硫黄湯」として記載されており、皮膚病に効能があるとされていた。江戸時代後期の地誌『三国名勝図会』にも挿絵とともに紹介されており、湯を患部に当てる打たせ湯や、身分の高い者だけが利用できる殿様湯についての記述もある。18

五色不動 - なんでもある Wiki

は、伊賀の赤目に由来する赤目不動があったが、家光の命により目赤と名乗るようになり現在地へ移ったと称する。以上3つの不動については、江戸時代の地誌にも登場するが、天海と結びつける記述はまったく見られない。教学院はもともと青山にあり、「青山の閻魔様」として親しまれていた。ここには近く

作並温泉 - Gravity Wiki

編『宮城風土記』第1巻、宝文堂、1984年。古文書を読む会『奥州仙台領遠見記』(宮城県図書館資料1)、1978年、原著1761年。『仙台領の地誌』、今野印刷、2001年、ISBN 4-906607-17-9。(『奥州里諺集』、「奥州仙台領遠見記」を収録)仙台市史編さん委員会『仙台

社会 - なんでもある Wiki

9世紀半ばまでの日本語には「社会」という単語はなく、「世間」や「浮き世」などの概念しかなかった。青地林宗が1826年(文政9年)に訳した『輿地誌略』に「社會」ということばが、教団・会派の意味で使用されている。古賀増の1855年(安政2年) - 1866年(慶応2年)の『度日閑言』

岸田吟香 - なんでもある Wiki

育への関心も強く、前島密・中村正直・山尾庸三らと、1880年に授業を開始した楽善会訓盲院(現筑波大学附属盲学校)を創設している。晩年は『清国地誌』の編纂に努めたが完成を待たず、1905年6月7日に心臓病と肺炎のため亡くなった。墓は東京の谷中墓地にある。妻勝子とは子宝に恵まれ、7男

地球科学 - Gravity Wiki

形学 (geomorphology, topography)水文学 (hydrology)気候学 (climatology)地域地理学 - 地誌学のうち自然について研究するもの測地学 (geodesy)土壌学 (pedology, soil science)地質学 (geolog

アラスカのインノケンティ - Gravity Wiki

土で作った小屋に住んでいたが、その後自分で木造小屋を建て、柱時計、家具も自分で作り、漁業用の網まで自分で作った。この間、アリューシャン列島の地誌・民俗の研究を行い、その成果は現代でも貴重な資料となっている[4]。1834年、10年間住んだウナラスカを去り、シトカに移る。ここでも同

顧野王 - なんでもある Wiki

点に至っては、みなは及ぶ者がなかった。三弟の顧允国は薄命ので、野王は両親を失った幼児を育て、恵みが非常に深い。彼の撰著に『玉篇』30巻、『輿地誌』30巻、『符瑞図』10巻、『顧氏譜伝』10巻、『分野枢要』1巻、『続洞冥紀』1巻、『玄象表』1巻があり、当時に通行した。また『通史要略

大附の小字 - 埼玉県の小字

尾(熊ノ尾)田日登沢稲荷坂休谷古沢横大道下本社大久保本社池ノ谷牛岩上杓子後沢不動谷高畑ケ(高畑)愛宕尾根弓立参考文献・ 都幾川村史 資料1 地誌 I