1984年11月4日
【重要】自分が出ている時はVTRを録って研究している。人が歌っている時はボリュームをいっぱいにして掃除をしている
1985年7月4日
【重要】黒柳徹子「毎週歌う度に段々歌い込んでいく感じが伝わって1位にまでにした。あなたの説得力と努力のたまもの
【重要】ビデオに録って一生懸命悪いところを見つけるようにしてます
1985年12月2日
ビデオに録って、表情、衣装、振りをチェック
『十戒』から自分で振りを考えた
2022年7月19日
三浦亨「『十戒』の振りは明菜がほとんど自分でアレンジしてるんですよ」
三浦亨「聖子と明菜は異質だった。振り付けを自分流にした」
「先輩の衣装で憧れたのは?」南野陽子「明菜さんとかはやっぱりすごかった。そこから私も影響受けました」
1985年12月26日
黒柳徹子「曲に合わせて歌い方のイメージ、その他を変えてらっしゃる」
歌を聴いて、まず考えるのがこの歌は何色かということ
原田伸郎「ものすごい控え目。けど歌の時は「ワッ」と自分を出す」
黒柳徹子「非常に努力家で一生懸命。すぐに胃が痛くなっちゃう」
1986年9月29日
バカンスだけで海外に来るのは嫌なんですよ。外国って良い所があるから写真なり何か仕事しないとなんかもったいなくて
1987年2月
【重要】新曲の最初の頃のVTRはとっておきます。反省がたくさん出来ますから
そろそろ方向を変えていかないと。いつまでもアイドルアイドルしてるわけにはいかない。試行錯誤して方向を見つけられる年にしたい
【重要】歌い込んでいくうちにビデオを見て反省して、歌い方、振り、目線とかを変えていっている。舞台のように毎回違うようにしなくちゃいけないなと思ってる
曲をいただいた時に詞や曲の他に色が飛び込んでくる。色から自然とイメージができる
1987年7月16日
『BLONDE』の振り付けはあまり付けてない。曲にあわせて踊ってるから毎回変わったりしちゃいます
1988年11月28日
自分の出ている番組はビデオを録ってチェックしている
2004年12月1日
家に帰って必ずVTRをチェックして「震えて歌えてない」とか厳しい目で観ることしかできなかった
1987年4月
髪は自然のままがいいというのがあって、傷みそうだから染めたことがなかった。照明さんとの話で初めて耳のあたりだけ染めた
1990年12月26日
シングルに決まった時点でカラーが浮かぶんです
1991年10月20日
【重要】子供を育てるようなものですから。こうじゃないああじゃないと歌い方や表情をブラッシュアップして一生懸命完成させていく
1991年6月29日
生だと失敗できないというプロ意識
合格した時は、歌の中の景色を目で追うことができた
厳しかったがレッスン以外では優しい先生
1984年7月
デビューして3年、家族を大切に、ファンの方を大切に、そして何より歌う心を大切に歌ってきました
1982年7月2日
新人賞受賞に満面の笑み
1983年6月16日
『トワイライト』は感情をすごく込めやすい歌。こういう落ち着いた歌すごく好きなんです
私は声が低いんです。『トワイライト』は初めから高音なので難しいんです
1983年12月31日
今年出した3曲の中では『禁区』が一番好き
1984年1月
小倉智昭「明菜ちゃん自身がこのタイトルを付けたという新曲です。『北ウイング』」
1984年1月16日
堺正章「どうして『北ウイング』って選んだんですか?」中森明菜「歌の中に『北ウイング』って出てくるんです」
1984年1月19日
(『北ウイング』という曲名は明菜が付けたという話で)松任谷由実さんの『中央フリーウェイ』が好きで、実際に車から見た景色が詩と同じで嬉しかったんです。空港に行った時に『北ウイング』ってあったら他の人も嬉しいんじゃないかと思って
1984年10月3日
『北ウイング』は、私が林哲司さんに書いていただけるようにと一生懸命お願いして書いていただいたんです
1984年4月30日
『夢を見させて…』は歌になるとは聞いてなくて詞を書いた
1993年9月17日
私の詞って暗いから使い物にならない。だから今回は最初に頭の中でドラマを描いて作詞した
1996年2月4日
『Tokyo Rose』の作詞は、MAGICのギタリスト上澤津孝さんとの共作。1人で書くとボツになる。暗すぎて
1984年12月10日
アフレコが一番大変だった。なければいいなと思うんですけどね
2001年4月24日
ラブシーンは苦手。絶対笑っちゃう。真面目な顔しろったって無理ですから
ドラマ界ではNGの最も少ない女優さん
2000年11月4日
【重要】酸欠で四つん這いになりながら歌唱
仕事していると人間不信になってられない。信じないと仕事やっていけない
誰の相談も受けられず、ひとりぼっちでやっていた
1995年7月8日
【重要】カラオケで他の方の曲を歌ってレッスン。高野寛「結局そこも真面目なんだ」
【重要】喜んでもらいたいから歌う
1985年9月22日
私の唯一の楽しみ。楽しそうな笑顔を見せに笑い声を聴かせるために、また遊びに来て下さい
1987年10月17日
皆さんにちょっとでも喜んでもらえる事を一生懸命考えてやってるつもりです。「去年のステージよりもまたちょっと良くなったね」って来年も言ってもらえるように
1992年12月
(リスナーから早く歌って欲しいと言われ)本当に早くそうしたい。みんなに喜んで欲しいから。「何か事情があってできないんだな」って思っててね
1993年10月3日
【重要】エッセイ集の話がいつの間にか写真集の話に変わってた
2000年5月15日
【重要】ファンクラブだけにチケットを売って、うまくいくと思ったみたいです
1987年2月21日
仕事のためにお洒落にする
1985年6月16日
『禁区』の衣装の時ぐらいから明菜の意見が入っていくようになった
1985年
お休みの日は番組の衣装探しに行ったりとか
1989年5月19日
持ってる限りの衣装を持ち込んで、照明さんと相談したりして衣装を決めさせていただいている
1990年9月28日
ありったけの衣装を持ち込んで、セットを見て照明さんの意見を聞いてから衣装を決める
1994年10月12日
デビューの時から一緒にやってきているスタイリストさんと姉妹みたいに言い合いっこして衣装を決めている
2011年1月31日
衣装も振り付けも自分で考える
1984年1月26日
(「スターは勉強せず歌ってばかりでいいね」と言われ)知らない大人の中に入って自分の意見を言ったりとかしなくちゃいけない
1985年10月
【重要】(レコーディングの話で)昔はディレクターに細かい指示をされたが、今は全体的な捉え方を指示されるだけ
2020年12月7日
オンエアの音では歌えないので曲紹介中に音を切り替えて下さい
1986年12月
【重要】生島ヒロシ「レコーディングでスタッフ全員がOK出してるのに明菜ちゃんが『あそこのフレーズのところ納得できません』自分のポリシーを持ってるなと驚いた。只者じゃないなと思ってしまった」
レコード制作は闘いですから。みんなが言いたい放題言ってやっと決まっていく。しゃべるのに疲れます
1989年1月13日
昔からB面にも力を入れてた。A面B面合わせてレコード1枚の値段になってるので、B面もみんなに聴いていただける歌ですよというのを表現したかった
1986年10月6日
『Fin』のジャケットは雑誌の仕事で撮ってもらった写真を気に入って使用許可をいただいた
1986年12月
『トワイライト』のジャケットから選定に参加した。それ以前の写真は自分では気に入ってないのもある
2007年1月20日
アイドルのジャケット写真は顔のアップじゃなきゃダメって言われてたけど、『十戒』で初めて全身写真にしてもらった
1986年7月
ジャケットで着物を着たので、ジャケットっていうのは一番イメージ大切ですから。着物をどうにか歌にも活かせたらなと思って
1989年1月18日
ジャケットのバーコードを折り返して隠せるようにしているのは、透明の下敷きに写真だけ入れられるように
2010年11月23日
【重要】着物をアレンジしたデザイン、髪はおかっぱ。スタッフの反対を押し切り明菜自身が考え出した演出
今の時代だと目でも楽しませなくちゃいけないので、違う展開のものがいいんじゃないかと思って
『DESIRE』の振付は明菜自身が考え出した。藤倉克己「『野球のピッチャーなのよ』って言ってました」
2012年9月30日
女性ファンを意識した写真を選ぶ
『飾りじゃないのよ涙は』の衣装は明菜のアイディア
一瞬どなたか分からなかった。はじめましてという感じ
【重要】ジャケット、ヘアスタイル、振り付け、全てを自らプロデュース
2021年8月21日
【重要】明菜さんは曲選び、衣装、振り付け、全て自己プロデュースされていた
2023年4月8日
早見優「『少女A』から振り付けがアイドルと違ってた。アレンジして自分のものにするセルフプロデュースがすごかった」
1995年11月10日
ファンを楽しませるために自ら「は~、どっこい」
1982年10月28日-11月9日
仕事に遅れたりとかは大変なことだから。今は遅れないように。朝はよく寝坊するんですけどね
1982年
地方キャンペーンが楽しみだった
1983年
キャンペーンがすごく好きだった。中学、高校にあまり行けてないんで、みんなお友達みたいでワイワイしてるような気がしてすごく楽しくて
1983年4月10日
声が前みたいに出ないんです。低くなっちゃって
デビュー当時の地方キャンペーンとか小さいコンサートとか好きだった
1983年1月2日
今年はより多くのファンの方々とお会いできるようにたくさんのコンサートをやりたいと思ってます
1988年9月7日
毎年1日2回のステージだったけど、体が強くない方なので今年は1回で。追加公演が嬉しくて
CMの『HELLO MARY LOU』という曲は私が歌わせていただいています
2009年3月28日
仕事で地方に行く時はスタッフのみんなが一緒でどこでも行けるから楽しくてしょうがない。16の時からずっと
1986年12月31日
『DESIRE』は自分なりに完璧だなと思えるんで、とても好きです
1987年1月4日
笑福亭鶴瓶「かなり司会気に入ってはりますね」
1988年1月3日
笑福亭鶴瓶「非常に司会好きみたいやな。流暢なしゃべり方でんな」
1988年頃
笑福亭鶴瓶「明菜さんなんか司会ごっつ好きですよ。ものすごおもろいでっせ。お笑いの素質ある」
明菜の部屋
1995年7月15日
歌は仕事ではあるけど、好きじゃなかったらできないこと
ヘビメタ大っ嫌い。ハードロックは違うの
1985年2月頃
歌の時はこの時ばかりと。自分に無いものを創り出そうとしてる
1982年頃
苦手な副旋律を担当することになり困る明菜
1996年6月23日
ハモるのは絶対にできないんですよ。耳に入ったそのまましか覚えられない
1996年8月10日
高音の裏声でテレビで歌ったの初めて
1990年8月1日
出す曲、出す曲、イメージチェンジしていくのが好きですからね
1990年8月22日
(「色々変えていくのが好きだから曲調も変わっていくんだろうね」と言われ)そうですね、挑戦するのが好きですから
1986年8月
『スローモーション』はどういう風に歌っていいか分からなくて歌えない自分が嫌だった。どうしてあたし歌えないんだろって一生懸命歌った
1986年8月
デビュー当時、明菜を頑張って売りたいというみんなの気持ちがすごく分かって。シングルにしても良いような曲を集めてくれた。それが1stアルバム『プロローグ』になった
私は褒めてもらうのがすごく好きだから、良いって言ってもらえるように歌う
1982年10月31日
アルバム『バリエーション』は色んなものにチャレンジした
1999年1月7日
地方のホテルの方がスタッフと同じことをしてくれて本当に感謝。健康のために毎日飲んでるドリンクを用意して下さったり。本当に頭が下がります
1986年11月30日
アルバム『CRIMSON』は明菜のプロデュース。『ミック・ジャガーに微笑みを』だけ浮いているから一生懸命考えてアイディアを出した
1987年1月
なんでもこなせる女優さんになりたい
B面やアルバムからテレビで歌えるような曲が出たら言うことない
1987年2月
1曲売れても今だけの幸せだと常に思ってます。いつ落ちてもおかしくないと覚悟してます
2001年5月30日
【重要】いつもはみんなに『中森明菜』を見せなくちゃ、格好良くやらなきゃと頑張ってる
『スローモーション』は家族でもレコード会社でも2位だった
未知のものにずっとチャレンジしていきたい
洋楽系のものを歌っていきたくて
1984年6月7日
最近お気に入りの曲は『Eye in the Sky』
1988年7月16日
歌っててすごく感情が入れられたり気分が良かったのは『ミ・アモーレ』
1988年10月16日
最初はアイドルって形で出させていただいたのでミニを履かされそうになるんです。私は太っちょで嫌だったんですね
1988年5月
【重要】『TATTOO』のミニスカートは私人としての自分は嫌だけど、曲のイメージを優先した
コンサート期間に入る前は頭は痛いし、胃は痛くなるし、嫌なんです
1988年6月6日
『TATTOO』は聴いた瞬間からミニスカートだなと思っちゃったんですよね
2006年1月14日
新曲が来て衣装を先に考えちゃうので自分の事を忘れちゃうんですよ。「『TATTOO』は絶対にミニ」と自分で言っちゃったから後悔した
1994年10月8日
数多くの歌を歌ってきましたが『月華』は今までで一番好きだなって言えるぐらい好きな歌。聴くよりも歌うのが好きなパターン
1995年7月13日
アルバム『la alteración』の選曲は私はほとんどノータッチ。スタッフのみんなが私に歌わせたかったものを集めてもらった。すごい頑張ってくれて感動した
1993年12月7日
『愛撫』をいただいた時は小室さんの色が強く出てたので皆さんからアドバイスいただきました
1996年8月
『愛撫』を初めて聴いた時の感想は「TMだ…」。どうやって歌って私の色にしようって悩んだ
『MOONLIGHT SHADOW』を初めて聴いた時はインパクトが無かった。もう1回聴くと自然と体がリズムを取った。3回目聴いたら「いいね」。そういうジワジワ伝わってくるのが好き
レゲエ大好きなんですよ
1997年3月4日
私はスローテンポばかりやミディアムテンポばかりといった偏ったアルバムを作るのが好き。今回は甘いリキュールや強いお酒も入ってるといった感じで『SHAKER』というタイトルにした
『APPETITE』は、自分でこれだけ推したのは何年かぶりというほどお気に入りの曲
2002年3月19日
『瑠璃色の地球』は大好きでいつも口ずさんでいた曲だったので、(レコーディングで)2回歌っただけで録れました
身近でみんなの顔を見ながらお話しできるのが本当に楽しいし幸せに思う
2002年5月26日
『ミ・アモーレ』が一番合ってる気がする
【重要】みんなのために歌ってるから。みんなが喜んでくれる状況にさえなればいい
【重要】全部自分で考えるんだけどアイディア出てこなくてどうしていいか分かんなくなる
2004年8月2日
(『初めて出逢った日のように』は)良い曲だから絶対に歌いたい。自分のものにしたい
1991年7月27-28日
キラッと光る想い出になったらいいな。みんなの心にずっと残る1日だったらいいなと思います
2005年1月19日
デビュー前、前歯が1本出ていた。自分では好きで自慢していた。でも事務所に入った途端に歯を矯正された
1994年12月頃
私はなるべく後ろの方の人まで見守りたい。大きな会場だと何言ってるか聞えないし、テレビで見るよりも小さな豆粒ほどにしか見えない。小さな会館だと一番後ろの人の話し声が聞えるのがすっごく嬉しかった
コンサートでもライブでもディナーショーでもない。全部合わさった中間みたいなのができたら素敵。お洒落な歌、お洒落なお店にお洒落なお客さん、みんなで粋な格好良いステージを作りたい
2005年5月
言葉を掛け合えたりする時間がLIVE感だと思う。私のLIVEでは観てるみんなと同じ空気感にしたい
2006年6月17日
前だったら歌いながら悲しくて涙が出そうだったのが、今は「悲しい時もあるよね。でも明日は笑顔でいられるかも」とプラスアルファの気持ちで歌える
ファンと一心同体で頑張ってきたから今の中森明菜がここに居る
2006年6月3日
ファンの想い出の曲になってくれていることを祈りたいし、これからもそういう曲を作っていきたい
2007年1月29日
いつも目標は一緒。皆さんに喜びとか楽しみを差し上げられるように頑張りたいと思います
2009年8月12日
カバーでは、素晴らしい歌手の皆さんの大切な曲をお借りして歌わせていただいている。皆さんに歌の中の世界観を伝えることができたら
「明菜が歌ってもやっぱりいい曲」と思ってもらえたら嬉しい。逆に私の歌を聴いた後に原曲を聴いて「本当にいい曲」と思ってもらえたら良かったなと思います
2009年8月12日
カバーではモノマネのようにならないように
曲に合う声質を探す時は立ったり座ったり。繰り返したりします
1999年1月6日
(なんでも一途になるという話から)コンサートでも他のこと考えられなくなる。いっぺんに色んなことできない
2009年8月19日
【重要】お腹に何も入っていない方が声の質が良いので食べないんですよ
レコーディング期間中は日常を切り離して空気感をキープしたい
【重要】やると決めた仕事は最後まで。みんなに喜んでもらえるものに仕上げる
【重要】喜んでもらえるようにどんどん自分にプレッシャーをかける
【重要】楽しんではいられないんですよ。必死すぎちゃって
2015年1月9日
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