登録日:2012/11/16(金) 15:48:33
更新日:2023/08/18 Fri 10:31:55NEW!
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サッカー サッカー選手 ドイツ fw バイエルン・ミュンヘン 大工 ドイツ代表 11番 カイザースラウテルン ヴェルダーブレーメン ssラツィオ クローゼさんじゅうよんさい ミロスラフ・クローゼ
ミロスラフ・クローゼ
(Miroslav Klose, 1978年6月9日)
ポーランド・オポーレ出身の元ドイツ代表サッカー選手。(9歳の時ドイツに移住)
身長 182cm
体重 82kg
ポジションは主にセンターフォワード。
ドイツ代表での出場はローター・マテウスに次ぐ歴代2位、得点数は歴代最多。ワールドカップでの通算得点数16という歴代記録を持つオッサン。
ちなみに、大工の資格も持ってる。
●プレースタイル
いわゆる9番タイプのフォワードであるがテクニック、フィジカル、スピードのバランスがいい万能型のFWである。また、守備もサボらない。そのせいで後半にガス欠になることがある。
さらに、パスセンスも高くアシスト数も歴代屈指である。
最大の持ち味は高い跳躍力を活かしたヘディングで、とりあえず適当に放り込んでも点を取ってくれる。
味方を生かすプレーも生かされるプレーも得意である。
●経歴
キャリアの始まりは、ブラウバッハ=ディーデルコップフやFCホンブルクといったアマチュアクラブだった。
1999年にカイザースラウテルンのサテライトチームに移籍し、2000年にプロデビュー。
そこに移籍できたのは、サテライトチームの監督が別の選手を視察しに来たところ、偶然クローゼが目に留まり獲得に至ったというもの。
20歳の時点で7部リーグ所属で、この歳でようやく3部リーグ移籍、22歳で1部リーグデビューという、他の一流選手と比べると、かなり遅咲きの部類と言える。
その後ドイツ、ポーランド両代表から招集を受けるがドイツ代表を選択。
まったくの無名だった選手の出世物語は、ここから始まったのである。
2002年、ワールドカップ日韓大会で7試合5得点を全てをヘディングで決め得点ランキング2位を記録。
この大会で彼は一躍名を上げたが、上記の経歴により、年齢別の代表チームにも一切招集されずにいきなりA代表に選ばれており、まさに彗星のごとく現れた存在だったと言える。
しかし逆に言えばヘディング以外の技術が凡庸だったため、手の内が知れ渡った決勝では抑え込まれてしまった。
その後はクラブの低迷、代表でもポジションを奪われたりと伸び悩むも、2004年7月1日にヴェルダー・ブレーメンへ移籍。
2005-06シーズンにはブンデスリーガ得点王獲得、さらに14アシストも記録。
かつてはヘディングだけと呼ばれていたのが、この頃には周りを生かすプレーもできるようになっていた。
2006年のワールドカップドイツ大会でも、7試合で5得点を決めて得点王獲得。
特に準々決勝アルゼンチン戦で挙げた同点ゴールは、雑魚専と呼ばれがちだった彼にとって重要なものだったと言える。
2007年にバイエルン・ミュンヘンに移籍。しかし、この後徐々に出場機会が減少する。
だが、2010年ワールドカップ南アフリカ大会では、クラブでの不調が嘘のように代表で得点を決め、ゲルト・ミュラーに並び14得点で歴代2位となる。
その後イタリア・セリエAの[[SSラツィオ>SSラツィオ]]に移籍し調子を取り戻す。
2012-13シーズンにはセリエAでは27年ぶりとなる1試合5ゴールを記録したり、コッパ・イタリアを獲得したりしている。
南アフリカ大会後一旦は代表引退を宣言したが、EURO2012に招集が決定したことにより、
「自分はまだ若いし、 2014年まで十分やっていける」とワールドカップブラジル大会への参加を示唆した。
オッサン無理するな……と思いきや、何と2戦目ガーナ戦でまたまたゴールゲット。
先制しながらも逆転を許す苦しい展開の中、価千金の同点弾を叩き込み、クローゼ健在を印象づけた。ゴールパフォーマンスの前転は失敗したが気にするな!
この時点でW杯通算15ゴール。
ロナウドの持つ歴代通算最多ゴール記録に並んでいる。
そして、準決勝の対ブラジル戦にて追加点となる2点目を決め、ついに通算16ゴールとし、最多得点記録を更新。
W杯で最も多くのゴールを決めた男として伝説にその名を残した。
最もこの試合、敵方のブラジルが逆の意味でものすごい記録を作ってしまった為に多少話題がそっちの方に行ってしまった感はあるが。
決勝の相手はアルゼンチン。
クローゼ自身アルゼンチンと相性がよく、ドイツ大会、南アフリカ大会でゴールを奪っていたため、活躍が期待されていた。
しかし結局得点を奪えないまま、後半43分にマリオ・ゲッツェと交代。
そしてこの試合の決勝点を挙げたのが、他でもないゲッツェであった。
まるで、長年代表に貢献しながら、あと一歩でタイトルを逃し続けていた彼の思いを受け継ぐかのような、ドラマチックな展開である……
大会終了後、クローゼは代表を引退。これ以上は考えられないほど美しい幕の引き方と言えるだろう。
2015-16シーズンは計8得点を挙げ、ラツィオで通算64得点とした。
これにより、クラブの外国人選手最多得点記録保持者となった。
シーズン終了後、契約満了によりラツィオを退団。現役続行の意思を示していたが、2016年11月、現役引退を発表した。
引退後は指導者の道を歩んでおり、ワールドカップロシア大会では代表のスタッフとして帯同した。
その後バイエルンのU-17チームで監督を務めていたが、2020年5月、クラブから「来季からアシスタントコーチに就任することが決まった」と発表された。
●その他
- クラブでの活躍よりも代表の活躍が目立ってしまうため逆メッシなどと言われるが、
成績を見ると、クラブでもゴールとアシストでクラブの総得点の半分以上に貢献してる場合が多いため、一概に代表のほうが優れてるとは言えない。
- 同時期にプレーしていたドイツ人ストライカーとしてはマリオ・ゴメスがいる。とくに09-10から10-11シーズンはクラブチームのバイエルン・ミュンヘンでもチームメイトであり、共に9番タイプであるため共存が難しく、常にポジションを争う関係であった。
バイエルンではゴメスが優先的に選ばれベンチや途中出場に回る事が多かったが、代表では才能豊かな中盤の選手たちを使うのが上手いクローゼが選ばれる事が多かった。
- 冒頭にもある大工の資格は、プロのサッカー選手として生活できなかった時のことを考えて取ったもの。
- ゴールを決めた際の前転パフォーマンスが印象的。このことから「サルト・クローゼ」(サルトは宙返りのこと)と呼ばれる。
足の負担もあり自重していたが、南アW杯の時は思わずやってしまったらしい。
- 日本代表には相性がよく2004年のキリンカップでは2得点、2006年のW杯前の親善試合でも1得点を決めている。
- 今では信じられないことだが、ドイツ代表にデビューしたころはなかなかパスをもらえず、
「クローゼはポーランド人だから仲間外れにされている」などと言われていたそうな。
- 普段は非常に紳士的な人間としておなじみ。ドイツ代表におけるゲルト・ミュラーの歴代ゴール数を超えた時も「倍の試合数を必要としているので彼を超えたとは思っていない」と謙虚にコメント。またエリア内で倒れPKが与えられた際に「ただ自分が倒れただけだ」と自己申告したり、ハンドでのゴールが認められた際も自らハンドを認めるなどフェアプレー精神にも富む。
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▷ コメント欄
- 乙 -- 名無しさん (2014-02-27 23:55:25)
- W杯通算16得点おめでとうございます -- 名無しさん (2014-07-10 00:35:10)
- ハンドの自己申告、PKの取り消しなどフェアで紳士的なプレイヤーだよね -- 名無しさん (2015-03-24 21:19:47)
- WCのゴールがほぼ全部雑魚と死体蹴り -- 名無しさん (2015-03-24 21:23:44)
- 10年以上ドイツ代表を支え続けた隠れ名手。まあ、最後にでっかい勲章がきましたけど。 -- 名無しさん (2015-04-11 01:01:03)
- 引退発表。お疲れさまでした -- 名無しさん (2016-11-01 22:51:37)
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