アメリカ横断ウルトラクイズ

ページ名:アメリカ横断ウルトラクイズ

登録日:2022/04/05 Tue 22:05:25
更新日:2024/06/18 Tue 11:54:21NEW!
所要時間:約 15 分で読めます



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日本テレビ アメリカ横断ウルトラクイズ 罰ゲーム 福澤朗 高校生クイズ スタートレック クイズ番組 お笑いウルトラクイズ クイズ 史上最大 1977年 福留功男 ニューヨークへ行きたいか 敗者復活戦 チシャ猫のウォーク これを何と読む→ハズレ 北川宣浩 ドロンコクイズ 知力体力時の運 伝説の番組 そんなわけねえだろ!




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アメリカ横断ウルトラクイズ』とは、日本テレビで1977年から1992年まで放送されていたクイズの特別番組である。


【概要】

そのものずばり、日本各地からやってきた挑戦者がアメリカ大陸を横断してクイズ王を決める番組である。
従来のクイズ番組と違い、じゃんけんや体力を使うゲームなど非頭脳系要素を取り込み、勝者のみならず罰ゲームの挑戦などで敗者にもクローズアップしたのが特徴。
知力・体力・時の運に左右される挑戦者の人間ドラマを描き、大きな人気を博した。
そのスケールのでかさ*1から、世界で一番製作費のかかったクイズ番組としてギネス世界記録に認定されている。
また、勝者ではなく敗者の表情を見せるという演出が評価され、海外のフォーマットを購入することが多い日本のクイズ番組では珍しく、世界各国にフォーマットが販売された。


番組の影響は多々に及び、「ウルトラクイズ」を冠した大小問わずのパロディ番組は勿論のこと、ハットを使うタイプの早押しクイズや罰ゲーム・敗者復活戦など、本番組から一般化した事象も数多い。
番組の人気から、大学に数多くのクイズ研究会が誕生した。しかし末期には参加者の大半がクイズ研究会の学生という事態に陥ってしまい、この傾向を嫌った福留功男が番組を降板するきっかけにもなった。
また、この番組の人気が上昇する一方で従来放送されていた視聴者参加型クイズ番組が次々と終了に追い込まれるなど負の側面もあった。


毎年8~9月にかけてクイズが開催され、10月から4~5週に分けて「木曜スペシャル」枠で放送。一部の地区では土曜昼に再放送も実施していた。
近年ではCSのファミリー劇場でも再放送が行われている。


メインテーマ曲はメイナード・ファーガソン演奏「スタートレックのテーマ」。
番組の影響で本家よりも「ウルトラクイズのテーマ」として有名になってしまった。
ただし、イントロ部分はMFSBの「ザックのファンファーレ#2」、ラスト部分はメイナードの「チシャ猫のウォーク」と言う別の曲を繋いでいる。
これに限らず番組のBGMは洋楽を2・3曲つなぎ合わせたものが多く使用されており、それが番組のDVD化およびhulu配信ができない一因ともなっている。


海外ロケのコーディネートは近畿日本ツーリストが担当した。番組の人気から当時就職先としての人気が上昇したという。



【番組の歴史】

元々は1969年の東名高速道路開業に合わせ、東名を移動しながらクイズ大会を行う企画が立てられたのが最初である。
この企画は没となったが、その後日本テレビ開局25周年記念企画として再度浮上し、スケールも大きくアメリカ横断という形に変わった。
当初はTBSテレビでユーラシア大陸横断クイズを同時開催し、両者のチャンピオン同士を対決させる計画だったが、TBSがこの企画を拒否したためこの形に落ち着いた。


1977年に第1回が開始。
開始当初はクイズとはいえ海外旅行に行くのもまだまだ大変な時代、あまりに壮大な企画から「詐欺ではないか?」と思ってしまう人も多く、4105人応募の中実際に1回戦に参加したのは400人弱と拍子抜けなものだった。
その後、回を追う毎に参加者が増加し、最盛期には初回参加者が2万人を突破。
1985年以降は日本人の海外旅行が一般化したこともあり、普通のツアー旅行では行かないルートやアメリカ大陸以外の国への訪問など様々なテコ入れがなされた。


しかし、バブル崩壊や番組制作費の高騰、視聴率の低迷もあり1992年の第16回を最後に終了した。
1998年には日本テレビ開局45周年企画として「今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ」として復活
これ以降も復活の話が何度も出ているが*2、アメリカ同時多発テロ発生以降の国際情勢の大きな変化があり、番組の制作は事実上不可能となっている。



【番組の流れ】

参加者は18歳以上~50歳未満、パスポートを所持している一般人なら特に事前選考はなく申し込みをすれば誰でも参加可能だった。
但し高校生は参加不可能で、その救済として作られたのが今なお続く「全国高校生クイズ選手権」(高校生クイズ)である。


後楽園球場→東京ドームで1回戦が実施される。
冒頭のセリフは出題時に1回戦の1問目で参加者に呼びかけるもの。
通過人数は大会平均で100名+敗者復活者数名と非常に狭き門。


1回戦が終了すると、成田空港近くのホテルで2回戦が実施される。
そこを勝ち抜いた挑戦者はグアム行きの飛行機内でペーパーテストを実施し、そこでさらにふるい落としが実施される。
以降はアメリカ大陸を横断しながら様々なクイズに挑戦し、ニューヨークの自由の女神前で行われる最終決戦を目指す。


優勝賞品は当初は世界一周旅行や高級ホテルに宿泊など豪華なものだったが、
後年は「乗用時に救命胴衣が必要な潜水艦」「無人島」「(挑戦者を)冷凍保存する権利」「ロッキー山脈の露天風呂」など、
どう考えても貰ってうれしくない風変わりなものも多く登場した。同じ日テレの座布団10枚の賞品に近いものを感じる。
尤も番組における最大の栄誉は知力・体力・時の運をすべて使ったうえでの「ウルトラクイズの制覇」であり、賞品はあくまでおまけ、インパクトとエンタメ性を重視したものと言える。
これは最初からおふざけ気味だったのではなく、参加者の旅費が日本テレビ持ちであることが事実上の賞金供与であり景品表示法上で問題がある、と公正取引委員会から指摘を受けた結果、賞品に振り向けられる金額におのずと想定よりも低い限界点が生じたからである*3


出場者の傾向は長期休暇の取りやすい公務員系が多く、その次に自営業者が多かった。民間企業勤務の優勝者は第11回のみである。



【出演者】

○福留功男
初回~第15回の1問目・復活版で出題を担当した番組の顔ともいえる存在。通称ドメさん。
出題のパートで煽りのセリフ、タメ口を利く、人間関係やプライベートを聞き出すなど挑戦者を巧みにコントロールし、番組の盛り上げに貢献した。
着用ブレザーは水色。
本作で日本テレビの看板アナウンサーとしての地位を築き、朝の情報番組「ズームイン!朝」の2代目司会を任されることに。
福留氏が担当者に任じられたのは、第1回の企画時点において「まるまる1か月海外出張させても他の番組に影響しないくらい、仕事がスカスカだった」からである*4


○福澤朗
第15回・第16回の出題担当。ジャストミート!
2代目出題担当なのだがわずか2回で番組が終了してしまい、復活版にも呼ばれなかったかわいそうな存在。後年福留の後を継ぎ「ズームイン!朝」→「ズームイン!!SUPER」の司会となった。
現在は後述の高校生クイズや「頭脳王」などでクイズ番組の司会を務めていることもあり、ミニコーナーとしての「復活版」などで司会を務めることも多い。
着用ブレザーは赤。


○徳光和夫
当時福留と並ぶ日本テレビの主力アナウンサーで、こちらは「ズームイン!朝」の初代司会である。
成田空港での予選会で敗退した挑戦者を労う「敗者の味方」を担当した。
敗者にピコピコハンマーで殴られるほか、飛行機で出発する勝者に対してブラックジョークを交えたブーイングを送っていた。


○高島忠夫・石川牧子・小倉淳・永井美奈子・伊東四朗・松本明子
スタジオパートにおけるMC担当。
実は番組の総合司会はこのスタジオMCであり、福留・福澤の2名は「出題レポーター」という扱いだった。
高島は本業は俳優だが*5、当時は同じ日テレの「ごちそうさま」やフジテレビ「クイズ・ドレミファドン!」などの司会者として知られていた。
高島・伊東・松本以外は全て当時の日本テレビアナウンサー。
小倉は番組ナレーションや福留に不測の事態があった時のピンチヒッター、更にはファミリー劇場再放送版の特別企画にも登場するなど、各方面で重宝されていた。
伊東・松本は復活版にてMCを担当。



【主なクイズ】

  • 国内1次予選

後楽園球場→東京ドームで行われる1回戦。
全て○×問題であり、1問目はほぼ全ての回で決勝・ニューヨークの象徴である自由の女神に因んだ問題が出題された。「○」だと思えば三塁側スタンドから、「×」だと思えば一塁側スタンドから入場する。
1問目の制限時間は1時間のため、その間に付近の公衆電話を使って知っている人電話で聞き出したり、図書館で調べるなども可能。また、「上野の西郷隆盛像」に関する出題があった際には実際に上野まで行って確かめた事もある。また、会場の外では徳光や特別ゲストによる「過去の傾向から見た正解予想」や「テキ屋風優勝予想」といったイベントも行われる。もちろん信じるか否かは参加者次第。
正解発表の前には前回優勝者による優勝旗返還のセレモニーや過去の王者たちによるエキシビジョンマッチが行われる。ただし、本戦は1問目からの参加。クイズ王経験者と言えどシードは一切ない。
モニターによる正解発表が行われ、正解すれば生き残り、不正解なら即「敗者席」の垂れ幕が下がり敗退。まさに天国と地獄の分かれ目である。
その後は「○」ならグラウンドに降りる、「×」ならスタンドに残る「人工芝お別れクイズ」、「○」なら外野に留まる、「×」なら内野に移動する「内外野お別れクイズ」などを挟み○×問題を連続出題。1問でも落とせば即敗退となり、100名程度までふるい分けていく。
尚、集団心理の利用を防ぐため、別れる前のエリアで「○」「×」のボールを持ってから移動をするようになっており、ボールを持っていない・違うボールを持っていた場合も失格となる。


また、運を利用した敗者復活戦も行われ数名が復活。それでも倍率にして200~250倍の最初にして一番狭き門である。


  • 国内2次予選

成田空港のホテルで行う予選。
ここではクイズではなく何とじゃんけん。文字通り時の運である。
基本的に3本先取。ただし「炎の一本勝負」として一発勝負で行う場合や、事前設定で「3回負けたら勝ち」にできる回、クイズ(ただし解答権を得るにはジャンケンに勝つこと)や腕相撲の時もあった。


こちらも敗者復活はあるが、「不正解の場合即失格かつ敗者復活分の搭乗券が燃やされる」や「復活しても機内食が粗末だったりトイレやつり革につかまってペーパーテストを受けさせられる」という粗末な扱いをされる*6


また、敗者は送迎デッキから敗者の味方と共に勝者が乗る飛行機に向けて罵声のシュプレヒコールと応援の言葉を投げかける。このブーイングは「舳先は今サハリンに向かったぞ!」「お前たちの夕食は辛子蓮根*7」「涅槃で待ってろ*8」など、放送当時の時事ネタに因んだものが見られた。


誰が勝ち抜くか全く不明なこともあり、用意する航空券に際しては1次予選通過者の全員分を偽名であらかじめ取得しておき、予選通過と同時に名前を書き替えて手渡し、敗者の分はその都度キャンセルするという荒業を実施していた。
航空券の電子化およびセキュリティチェックが厳重化された現在では不可能な方法で、番組の復活が難しい理由としてこの出国要素が一因であると当時のディレクターや福留ともども証言している。


  • 機内ペーパークイズ

第1チェックポイントとしてグアム行きの飛行機の中で実施されるクイズ。400問のクイズをマークシートで解答する。
ここまでは運でもたどり着けるが、ここでは純粋な知識量が問われる。1問あたりの制限時間は5秒程度であり知識もさることながら集中力も要求される。
合否の判断はグアム到着時のタラップに設置された「ブーブーゲート」。降り立った際、ピンポンが鳴れば通過となり晴れてグアムの地を踏むことができるが、ブーが鳴れば機内に折り返してグアムの地を一歩も踏むことなくそのまま乗ってきた飛行機で帰国しなければならない*9
ここを乗り越え異国の地を踏めるのは40人程度。ここまでたどり着ければかなりのクイズ力の持ち主といえる。また、スタッフにとっても挑戦者のクイズの得意ジャンル・苦手ジャンルを知り配球を組み立てるという意味でも試金石のチェックポイントであった。
BGMはOseの「Orgasmachine」。


  • 突撃○×どろんこクイズ

第2チェックポイント・グアム島で実施されるクイズ。
○×と書かれたパネルに挑戦者が飛び込み、正解ならマットが敷かれており勝ち抜けだが、不正解の場合は文字通り泥まみれとなる。
問題の難易度には高低があるものの、簡単な問題でも走りながら10秒間で考えるのは難しく、明らかに簡単な問題を外す解答者には福留から「そんなわけねぇだろ!」と罵声を浴びせられながら泥の中に落ちていった。
汎用性の高さと罰の面白さからウルトラのみならず数多くのクイズ番組で真似されたので、番組を知らなくてもこのクイズは知っている人は多いだろう。
復活版では諸事情からニューヨークでの決勝が出来なくなり、これが決勝となった。


  • 早押しクイズ

番組を代表するクイズ。
挑戦者は特製のハットを装着し、早押し時にハットに収蔵されたロゴが前方に飛び出して回答権を獲得する。
ハットは特殊な機材のため、海外税関での申告時にはスタッフが実演して説明する機会があったという。
派生として走りながら前方のボタンを押して回答する「マラソンクイズ」、ボタンを押す代わりに各挑戦者を象徴するフレーズを叫び、一定の音量を超えるとハットが作動する「大声クイズ」などがある。


  • 通せんぼクイズ

早押しクイズの一形式として準決勝の定番となる。
早押しクイズで規定ポイントに到達すると「通過席」に移動し、他の挑戦者との早押し対決に挑む。
正解すると晴れて決勝進出となるが、阻止されると0ポイントに戻って早押しクイズのやり直しとなる。
特に第13回の準決勝は2人の勝ち抜けに1時間を要するなど、番組屈指の名場面として語られることがある。


  • 奇襲クイズ

バスの移動中やホテルの宿泊中にいきなりクイズを出すもの。遅刻してしまうと最初の数問が無回答となり当然ビハインドとなる。また、寝起きの奇襲では頭で考えるのも精一杯。基本的に単独最下位の敗者を決定し、敗者は次の目的地に到着する頃で敗者と伝えられ即Uターン帰国させられてしまう。


  • バラマキクイズ

これを何と読む!


砂漠地帯など広大な場所で行われるクイズ。セスナから落とされる問題用紙を拾い、戻ってきた順に見せて問題に挑戦。正解するとポイントを獲得し一定ポイント獲得できれば勝ち抜け。
さらに中には「ハズレ」も入っており、クイズを落とさない知力、走り続ける体力、そしてハズレや難問を引かない運とまさにウルトラクイズの全要素が無ければ勝てない。




  • 最終決戦

ここまでたどり着けるのはたったの2人!!


早押しクイズ。1問正解で1ポイント、お手付き・誤答は-1ポイント。10ポイント取ればクイズ王。その後の高校生クイズ決勝にも使われる「伝統の10○」である。
もちろんニューヨークで開催…なのだが、回によっては別の国で実施したことも。
勝ち残った2名がヘリコプターに乗り、決勝会場に向かう様子が空撮で映し出される。
BGMはビル・ジャスティスの「Old James Bonded Bourbon」。
近年何故か「ロンドンハーツ」でこれのパロディが行われた。



【罰ゲーム】

途中でクイズに敗北した参加者へのお仕置きコーナー。このコーナーにも出題アナウンサーが同行した。
元々は番組の構成上、個人の都合から早く日本に帰りたいがために安易に負け抜けする挑戦者が出ないようにという理由から生まれた。また、「勝ち抜けたら長く映るが負けたらそこまで」というシステムの中で敗者にとっての華々しい散り際を見せることのできるシーンでもあり、時にはクイズ王と並ぶほどの「有名な敗者」もいる。
クイズだけでは紹介できない日本では考えられないような風習やユニークな施設の紹介などまだまだ遠かった海外のバリエーション豊かな面を知ることもできる。


罰ゲームの内容は、ガマン大会や地元に置き去り、アクティビティ体験やボランティア活動など様々で、内容によっては挑戦者にとってご褒美扱いなものも多かった。


一部の罰ゲームでは「いつ終わるか分からない(「粗末な乗り物で空港へ向かう」など)」、あるいは「そもそも生きて帰れるか分からない(「泳いで帰国」など)」罰ゲームに関してはラストに表示される「○月○日 △△(敗者名)帰国」のテロップが「帰国?」と表示される。
果たして敗者がちゃんと帰れたのか、そもそも生きて日本に帰ることはできたのかは定かではない…


というのはもちろん演出であり、実際はある程度の所で打ち切ってちゃんと帰国させているのでご安心を。



【派生番組】

  • 全国高等学校クイズ選手権(高校生クイズ)

前述の通り、ウルトラクイズに参加できない高校生への救済企画として福留発案の元1983年から開始された。
ウルトラクイズ終了後の現在も続く長寿番組で、毎年8月末~9月初めに放送されることから「24時間テレビ」と並ぶ日本テレビ夏の風物詩となっている。
高校生3名*10で1チームを組むため、知力・体力・時の運に加えチームワークも必要となるのが特徴。
クイズ内容は各時期で大きく異なり、体力勝負や頭脳戦、ゲーム性の強いものなど時期によって様々。
2014~2017年放送分は「アメリカ大陸を横断してニューヨークで決勝」というまんまウルトラクイズな構成で、クイズ形式もウルトラクイズのものがいくつか使用された。


司会進行は本家と同じく福留→福澤、以降はラルフ鈴木→桝太一→安村直樹と日本テレビの歴代エースアナが担当。
番組はライオンの一社提供で、この事情*11から生まれたのが福澤朗の「ファイヤー!」である。


1989年~1996年に放送。ウルトラクイズと名乗っているがクイズ要素はほぼなく、実際はたけし軍団および若手芸人が体を張って様々なリアクションに挑むもので、解答の正誤よりも芸人としてのリアクションが重視される。
「ロウかけ対決」「スカイダイビングクイズ」「プロレスクイズ」「オリの中でワニと対決」「爆破カースタント」と、
文字だけでもわかる過激な内容が人気を博し、以降各局のバラエティで類似企画が多数登場。
特に最高傑作として知られるのが「バス吊り下げアップダウンクイズ」である。


また、様々なドッキリを仕掛けてそのリアクションを楽しむ「人間性クイズ」も人気となった。ドッキリでターゲットのみならず、仕掛け人側のモニタリングを見せる演出を実施した最初の番組でもある。
優勝者には唐草模様のジャケットが送られるが、毎回無茶なゲームをさせて与えようとはしなかった。


番組の冒頭には本家と同じナレーション*12とアメリカ大陸の映像が流れるが、ロケは熱海やスパリゾートハワイアンズなど全編日本国内で実施された。


たけしはこの番組を「若手芸人の救済」と位置付けており、実際この番組からダチョウ倶楽部出川哲朗が人気を博すことになった。たけし本人も気に入っていたが、視聴率は今一つだったとのこと。


芸人を多数集め、ロケ先でムチャ振りを行うスタイルはその後『内村プロデュース』『有吉の壁』に受け継がれた。




勝てば天国!負ければ地獄!
追記・修正・時の運!
早く来い来い!wiki篭り!
第X回アメリカ横断ウルトラクイズでお会いしましょう~


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  • パロディウスのイーグル佐武(ロス五輪と混ざってるけど) -- 名無しさん (2022-04-06 05:58:38)
  • 98年の復活版は年齢制限が撤廃されたせいか全体的に大人しくなってて残念だったなあ。 -- 名無しさん (2022-04-06 09:23:49)
  • これって旅費は自腹?それとも番組持ちだったの?全員分払ってたら(どんどん減ってくとは言え)とんでもないことになりそうだけど -- 名無しさん (2022-04-06 11:47:34)
  • いろんなクイズのテンプレを作った番組だったんだなあ -- 名無しさん (2022-04-06 13:03:48)
  • 始まった頃は海外旅行なんて夢のまた夢って時代だったって評を見たことがあるなぁ。金はかかるがおおらかな時代だったんだろうね日本もアメリカも。 -- 名無しさん (2022-04-06 14:16:45)
  • ↑3 空港から帰国までは番組持ち。当然(?)ことごとく赤字だったらしい -- 名無しさん (2022-04-09 07:50:15)
  • 成田のジャンケンにフジテレビの社員が参加してた事があったな。「曙橋(フジの旧所在地))から来ました」で福留が爆笑していた。勝敗は忘れた。 -- 名無しさん (2022-04-11 11:14:15)
  • 個人的には第12回が一番好きだな。アラスカで流氷を見たり、シベリア鉄道に乗ったり、南米アルゼンチンから末端のフエゴ島まで行ったりとスケールが大きかった。 -- 名無しさん (2023-02-07 11:00:21)
  • ↑ゴメン、シベリアじゃなくてアラスカ鉄道。 -- 名無しさん (2023-02-07 11:02:56)

#comment

*1 番組自体も「史上最大」と称していた。
*2 2008年頃に全日空協賛の下、中国大陸で実施する企画もあった。
*3 現在は法制度としての制限が存続していないものの、規制撤廃以後もネタ寄りの賞品が出されるようになった。
*4 これは1971年に当時の出演番組における自身の扱いを巡って上層部と衝突し、ウルトラクイズの企画が持ち上がるまでずっとレギュラー出演番組を何も与えられない意趣返しを受けていたことによる。
*5 妻は元宝塚歌劇団の寿美花代、子供は高嶋政伸・政宏兄弟である。
*6 実際は搭乗券を本当に燃やしてしまうと客席運行に支障が出る場合もある他、座席に座らせない形での運行は法律違反になるためあくまで演出。
*7 真空パックの辛子蓮根による大規模な食中毒事件が発生したことに因む
*8 沖雅也の自殺の遺書の文言
*9 こちらも実際は入国審査の関係上本当に即折り返し帰国はできず、勝者とは別のホテルに宿泊し翌朝帰国となる。
*10 2014年~2017年は2名
*11 ジャストというセリフがライバル企業である花王が当時発売していた洗剤を連想させるため。ちなみに、花王はウルトラクイズのスポンサーであった。
*12 「第432回」など無茶苦茶な放送回数がナレーションされることが毎回のお約束だった。

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