トリー・ウィルソンVSドーン・マリー(WWE)

ページ名:トリー_ウィルソンVSドーン_マリー_WWE_

登録日:2019/09/28 (土) 14:54:20
更新日:2024/05/09 Thu 13:52:04NEW!
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マイケル・コール「さて この後お届けするのは、感情のぶつかり合い。史上初のステップマザー対ステップドーター、未亡人のドーン対トリーです。」

タズ「難しい状況での一戦だ、俺はトリーに同情する。」



画像出典 WWE.COM RoyalRumble2003



トリー・ウィルソン(画像右)とドーン・マリー(左)は、ともに2000年代にWWEで活躍していたプロレスラー、DIVAである。本項ではこの2名を彼女らが抗争していたストーリーを中心に紹介する。



■トリー・ウィルソン


画像出典 WCW Thunder 1999/11/02

1974年7月24日生まれ。アイダホ州ボイジー出身。
少女時代は恥ずかしがり屋で引っ込み思案だったが、モデル業に興味を示し1998年にミスギャラクシー大会で優勝、以降フィットネスモデルとしてロサンゼルスで活動する。
このころから、トリッシュ・ストラタスやヴィクトリアとは顔見知りとなる。
1999年にWCWからスカウトされ、入団。デビッド・フレアー(リック・フレアーの息子)やケビン・ナッシュなどのマネージャー役を務める。
2000年末に退団し、翌年からWWE(当時はWWF)に加入。まずはWCW出身ということでアライアンスに所属し、ステイシー・キーブラーとタッグを組むことが多かった。その後、(あくまでもストーリー上で)TAJIRIさんやメイヴェン、ビリー・キッドマンなどと恋仲になるストーリーが展開されているが、一部で期間が重複しており、謎な部分も多い。キッドマンとは実生活でも恋仲になった。
2002年2リーグ制になると、スマックダウンに所属。伝説のTバック特番「DIVA UNDRESSED」では、本命トリッシュを抑えて優勝、以降スマックダウンのDIVAの中心人物となった。


■ドーン・マリー


画像出典 ECW 1999/10/23

1970年11月3日生まれ。ニュージャージー州ウッドブリッジ出身。
父は動物学者で、幼少期はキャンプや狩りなどに連れられるアウトドア少女であった。その後、テレビでプロレスに興味を示し、お気に入りはWWFのボブ・バックランド、ジミー・スヌーカなどであった。
ニューヨーク大学スターンスクール卒業後、不動産コンサルティングの会社に就職、OLとして働き始めた。
その後、元カレが夢であったプロサッカー選手になるという夢を叶えたことに触発されて、ドーン自身も自分の夢をかなえたいと思い脱サラ。プロレス業界に身を投じる。
1995年、アメリカ北東部のインディー団体でデビュー。その後、ババ=レイ・ダッドリーにスカウトされて1998年にECWに入団。ランス・ストームとジャスティン・クレデブルからなるインパクト・プレイヤーズのマネージャー「タミー・リン・ビッチ」として登場する。この名前は当時の抗争相手「タミー・リン・シッチ」*1を揶揄したものである。ECWの経営が危機的状態になるとWCWから引き抜きの話が出るが、婚約者であるサイモン・ダイアモンドとECWに残留。2001年4月にECWが破綻するとインディー団体に戻り活動を続ける。
2002年4月、WWEと契約しスマックダウンに登場。「ドーン・マリー・リナルディ」という名前で初登場したが、すぐにリナルディは削られた。


※なお、1980年代に全日本女子プロレスなどで活動したドーン・マリーは全くの別人物。
あちらは本名ドーン・マリー・ジョンストン、こちらはドーン・マリー・プサルティスである。


■アル


この2名のストーリーのキーパーソンであり、トリーの実父。
離婚歴があり、当時1人身。一般人だが娘の応援に会場入りしてからストーリーにも顔を出すようになる。



■抗争の経緯



2002年、スマックダウンに2人とも所属することになるのだが、この当時スマックダウンに所属していた女子レスラーはトリー、ドーンのほかにステイシー・キーブラーとニディアの4人だけ。
このうち、タフイナフを優勝したニディアはクルーザー級王者ジェイミー・ノーブルといなかっぺバカップルストーリーを展開。ステイシーは9月にRAWに電撃移籍することになり、女子王座もRAWが管轄していたことからトリー、ドーン、ニディアの3人でたまにビキニコンテストをするくらいしか出番がなかった。
しかし、ある日のコンテストでトリーの父アルが会場を訪れて、話は始まる。



・2002年9月~10月

特番「アンフォーギヴェン」終了後、それまでスマックダウンで変態ストーリーを展開していたビリー&チャックが終結したころ、バックステージにトリーの父が娘の激励に訪れていた。その姿を見たドーンがアルにビキニコンテストで着用するビキニを見せつけて誘惑する。翌週、今度はランジェリーコンテスト用のランジェリー姿で双子山を見たことあるか?」と誘惑。その後ドーンが自分が泊まるホテルの部屋のカギをアルに渡す。
さらに翌週はトリーとドーンがそれぞれ男性パートナーと組んで混合タッグマッチをする。試合後、トリーはシャワーを浴びているドーンがアルと一緒にシャワールームにいるところを目撃してしまう。
これを受けて特番「ノー・マーシー」でシングルマッチで激突。ドーンは心理的にトリーを追い詰める形になっていたが、トリーが勝利。
翌週の英国特番「レヴェリオン」でもトリー&ビリー・キッドマンVSドーン&ジョン・シナという混合タッグマッチが組まれるが、こちらもトリーが勝利する。


・2002年11月~12月

相変わらずドーンはアルに色目を使い、トリーをイライラさせる作戦に出る。当初は娘のライバルに対して徹底ガードしていたアルもついに落ち、ドーンとアルは恋愛関係に発展する。特番サバイバー・シリーズでは特等席でいちゃつきながら試合を観戦。トリーは2人を別れさせるべく、ドーンの宿泊するホテルに乗り込む。ドーンとトリーは禁断の一夜を過ごすことになり、12月特番「アルマゲドン」ではそのホテルでの出来事をドーンが暴露しようとするもアルが制止。会場からは大ブーイングが飛ぶ。


・2003年1月

画像出典 WWE.COM RoyalRumble2003


相変わらず交際を続けるアルとドーン。年明け早々のスマックダウンでアルはリング上にドーンを呼び、ついに片膝をついてドーンにプロポーズしてしまった。
ドーンは受け入れ、結婚が決定する。ドーンはドーン・マリー・ウィルソンとしてライバルであるトリーの義母になったのだ。
当然面白くない義娘トリーはイライラして仕事に身が入らない。
翌週行われた結婚式では*2、リング上でお互い服を脱ぎだし、下着姿でいちゃつきやがった。ドーン・マリーの姿はともかく誰が中年メタボ親父の白ブリーフ姿なんか見たいんだよと思った視聴者が多かったのは言うまでもない。
さらに翌週、2人はハネムーンに出かける。なぜかテレビカメラが帯同し、ホテルの部屋での初夜が中継されるのだが、プロレス史上稀にみる事件はそこで起こった。



ドーン「ねえアル、疲れちゃったの?」
アル「・・・」
ドーン「ねえ ハニー」
アル「・・・」
ドーン「どうしたの??」



ここまででお察しいただけただろうか。
新婚初夜で、一戦交えた後のドーンとアルなのだが、アルの様子が明らかにおかしかった。
そう、アルはドーンとの激しすぎるアレにより、死んでしまったのだ。


      • なんとアル・ウィルソン腹上死!!

ドーン「訳が分からないわ」


取り乱しながらドーンは救急車を呼び、アルは運ばれていった。


その一部始終がスマックダウン本編で放送され、視聴者も大混乱。
「ワケわかんねーのはこっちだよ!!」と叫んだ視聴者は多かったに違いない。


そしてその翌週、アルの公開通夜が行われる。棺の中に穏やかに眠っているアルの横でドーンとトリーはお互い通夜にはふさわしくない胸元などを大胆に露出した喪服で取っ組み合いの喧嘩をする。


そして、月末。特番ロイヤルランブルで史上初の義理の母娘対決としてドーンVSトリーが組まれ、やっぱりトリーが勝つ。



こうして、この2人の物議を醸しまくった抗争は終わった。。。
もちろん、WWEのストーリー上の話なので実際にはアルは死んでないよ!!



・その後

この抗争は終わっても所属女子レスラーが少ないため、2人はヴェロシティ(スマックダウンの前座番組)などで普通に対戦している。その際、この一連のストーリーには触れられなかった。
勝負は基本トリーが勝ってドーンが負けるケースで終始続いた。


2003年は大型新人シャニークワとかつてのトップDIVAセイブルがスマックダウンに参戦したため、トリーとドーンのタイマン抗争はほとんど行われなかった。
2004年、5月特番「ジャッジメントデイ」で久々に対戦が実現。この時、トリーはGMカート・アングルから「負けたらクビ」を宣告されていたが、結局ドーンに勝利。しかしながらこの試合で、ドーンはコスチュームがはだけてインナーのマイクロビキニとけしからんお尻が丸見えになるハプニングに見舞われ、トリーの「負けたらクビ」ストーリーを完全に食った。日本でもスポーツ新聞が大々的に伝えた。
2005年、ドーン・マリーはWWEを退団。
トリーは2008年に退団する。



・評価

お色気路線全開の当時でも、さすがにこのストーリーは不評だった。
この話は2003年度レッスルクラップのグッカー賞に選出。要は最悪なストーリー賞ということである。



■余談


☆このストーリー終了後、トリーはプレイボーイ誌にてヌードグラビアを撮影。2003年と2004年に表紙を飾る。以降しばらく、1年に1人のペースでDIVAがプレイボーイに登場し、ヌードを披露することとなった。


☆トリーは2019年にWWE殿堂に選出される。4月6日に授賞式に参加した。その2日前に父アルは天国に旅立つこととなり、娘の晴れ姿を見ることはできなかった。


☆一方、ドーンは2003年にフジテレビが深夜放送していた「スマックダウン」にプロモーションと日本公演の宣伝を兼ねてフナキさんと共に来日して出演。当時、フジテレビが年齢を誤って41歳として紹介していたが、笑顔で訂正した。


☆また、ドーン・マリーは2005年に婚約していたサイモン・ダイアモンドと婚約を解消し*3、別の男性と結婚。その後2度の出産を経てインディ団体などで活動。2010年に女子プロレス団体WSUからWSU殿堂に選出されている。




追記・修正はドーン・マリーの双子山を見てからお願いします。


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  • 割とめちゃくちゃなストーリー多いけど飛び抜けてひどい… -- 名無しさん (2019-09-30 10:28:02)
  • まあこれと同じくらいヤバいストーリーがこの頃RAWでもありましてね... -- 名無しさん (2021-02-26 22:04:49)
  • タジリ曰くストーリーでは悪女だけど本当のドーンはすごく優しいスウィートな人だとか -- 名無しさん (2022-12-16 01:31:48)

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*1 WWE殿堂に名を連ねるサニー
*2 WWEではよくあること
*3 1998年ころから婚約していたが入籍を済ませていなかったとされている

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