A300

ページ名:A300

登録日:2016/11/10 Thu 22:43:51
更新日:2024/01/29 Mon 13:23:37NEW!
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エアバスA300とは、欧州の航空機メーカー・エアバス・インダストリー(現エアバス)が開発した中型双発ジェット旅客機である。
まあ色んな意味で旅客機の歴史のターニングポイントとなった「伝説の始まり」と言える機体。


概要

エアバス社製品の第一号である世界初の双発ワイドボディ旅客機。
元々短距離用の旅客機として開発されたが中距離にも対応できるモデルが開発された結果、
「双発機でも中長距離路線に使える」という流れを作った。


ちなみに「エアバス」というのは元々ワイドボディ機(機内の通路が2本ある旅客機)を指す言葉であり、
まあ「バスみたいに気軽に乗れる(=大量に旅客を輸送できるので一人あたりの運賃も安くできる)飛行機」くらいの意味合いの呼び名…であった。
そして「エアバス・インダストリー」という社名自体も「エアバスタイプの旅客機を作る会社」くらいの意味合いのネーミング…だったが、
本機が大ヒット商品となった結果、元々旅客機のジャンルを表しているはずの「エアバス」がそのまま社名になっちゃった…という結果である。



エアバス社誕生の経緯

B707やDC-8の就航により航空旅客の数が爆発的に増えると、「将来は誰もが飛行機で移動するようになる」という観測がなされた。
この観測に沿って開発された機体の一つがB747である。
もちろんアメリカだけでなく欧州でもこういった将来は予想されており、同じく大型旅客機の構想がイギリスを中心に進められいた。


が。


アメリカ勢はボーイングはB707で、ダグラスはDC-8で大型機…というかジェット旅客機の市場にがっちり食い込んでおり、
当時の欧州の航空機メーカーではそう簡単に食い込める状況ではなかった。
だがここで欧州の人は考えた。
「一社では太刀打ちできない?それなら一社だけでやらずに各企業で手を組んでしまえばアメリカ勢にも対抗できるかもしれない」と。
そういったわけで欧州各国の航空機メーカーが共同で「エアバス・インダストリー」を立ち上げた…というのがエアバス社の始まり。
その「エアバス・インダストリー」の製品第一号がA300である。



仕様

250-300人乗りクラスの中型双発機。
主翼は低翼配置であり、推力25t級のターボファンエンジンを2台搭載する。
本機の登場の時点ではグラスコクピット(計器類をディスプレイで表示する)とかフライバイワイヤ(電気信号で方向舵などの制御を行う)なんていう便利なものは無かったが、
技術さえ確立されれば将来的にはこれらも採用可能なように機器類の搭載スペースには余裕が設けられている。
エンジンなどの一部のパーツに関しては、開発途中で(ロールス・ロイスを擁する)イギリスが一旦抜けたため、
「イギリスが抜けたならエンジンくらいはアメリカ製のものを使っちゃってもいいんだ」となったため、
DC-10などと同じパーツが採用されている。
また本機の胴体寸法は後続であるA330とA340にも引き継がれており、文字通り「エアバスの礎となった機体」とも言える。


旅客型は大きく分けて3つの型が存在する。
B4までを第一世代として様々な改良が行われた600/600Rは別物扱いされることも多い。


A300B2
初期のA300でローンチカスタマーはエアバス社お膝元のエールフランス航空。
当初は名前がいくつも混在していたもののエアバス社が整理したことでB2と正式に命名された。
なおB1も存在するもののA3001・2号機の2機しか存在しない。


A300B4
航続距離を延長したモデルで発注はイベリア航空が行ったもののキャンセルされ、ドイツのチャーター便航空会社に納入された。
大きな改良は燃料タンク増設以外にも主翼にクルーガー・フラップが追加されておりB2との差別化が図られている。
航続距離が伸びたことで中距離路線での運行も可能になったためA300の需要も高まりエアバス社発展の原動力となった。


A300-600/600R
前述のB4の成功で会社存続の目途が立ち短胴型のA310の開発が決まり更には一度抜けたイギリスが図々しくも復帰したため
A310に採用された技術をA300にも導入し、更には当時開発中であった767に対抗するために改良を行ったモデル。
若干ながら胴体を延長した他主翼を再設計しウイングチップを増設、A310で採用されたグラスコクピットやフライ・バイ・ワイヤを導入し水平尾翼もA310と共通化。
最も大きな変化としてはA310と同じコクピットにしたことで機関士を廃し2名乗務での運行が可能になったこと。
これは需要的に競合相手になる767に影響し、当初パイロット組合によって一度は3名乗務仕様にされるも、大統領命令により撤回されるなど波紋を呼んだ。



A310

A300のセールが徐々に上向きになってきた背景には200人前後の旅客機である707・727・DC-8といった旅客機が
引退し始めその需要に応えるためエアバス社は短・中距離用機材としてA300の胴体を短縮した旅客機の開発に着手した。
当初は胴体を短くし殆ど改良をする予定はなかったがボーイング社が競合相手となるであろう新たな航空機「7X7」の開発を始めたことで
主翼の再設計・複合材を用いて軽量化・システムのデジタル化・世界初の2名乗務化を盛り込むことで差別化を図った。
計画では短距離に特化で航続距離3,400kmの-100型・主翼にタンクを増設し航続距離が6,500kmまで伸びた-200型の2種類が提示され
前者は米国国内での需要を見越していたが、後者は米国国内だけでなく大西洋線でも運用可能だったことから欧州各社のみならずアメリカの航空会社からの受注も得たことで-100は破棄された。


開発がスタートすると更に航続距離延長できる可能性が高くなり、更には洋上飛行制限緩和の見通しもあったことから航続距離延長機の開発が示唆され、スイス航空がこれに手を挙げた。
水平安定板内部にも燃料タンクを増設、燃料タンク間で燃料を移送して重心を制御するシステムの搭載、更に燃費向上のためにウイングチップも装備された。
これにより航続距離は9,600kmにまで拡大、更に冷戦が終息にむかっていたことで東側の航空会社からの需要もあり東側では貴重な長距離機材として重宝された。
一時期は200機近いA310が飛んでいたがこの時期には大型でありながら航続距離も伸びた777やA330といった機体も出始めたことから徐々に需要は減り最終的には255機で生産終了となった。


だが旅客数をあまり乗せず長距離を飛べる機材は貨物機や政府専用機・軍用機としては一定の需要があり、旅客型の中古機を改造する形で転属したA310は数多く見られた。
また777と入れ替えで引退させる欧米とは逆に、そこまで収容数が無くても長距離国際線機材を欲していた発展途上国でも一定の需要があった。
これによりA310は1998年に生産を終了したものの旅客型の運用は2014年・貨物型も2020年まで運行され、軍用機などに至っては未だに現役の国もある。


A300-600ST(ベルーガ)

エアバス社は欧州各地で分担生産を行い、最終組立と飛行試験をフランス・トゥールーズで行っており、各地で生産された部品の輸送はアメリカの輸送機を改造した「スーパーグッピー」で行っていた。
だが事業が好調で生産数が急増したことで、導入当時ですら時代遅れ気味であったスーパーグッピーでは完全に対応しきれなくなりエアバス社は新たな輸送機の選定を迫られた。
旅客機の改造からアメリカ、果てはソ連の輸送機まで候補に挙がったが、最終的には自社機材のA300を特殊な改造をすることとなった。
そのため外観はスーパーグッピー同様機体上部に主翼や胴体を積むために大きく改良され、安定性向上のために水平尾翼には安定板が増設されている。
その色と見た目からファンの間ではシロイルカに似ていることから別名の「ベルーガ」の愛称で呼ばれ、当初エアバス社はこの名前に否定的であったが後に公式愛称として認めた。


その成り立ちから基本欧州内でしか運用されいないため欧州以外で運用されるケースは極稀、まして日本の飛来などほぼ絶望的だった。
だが1999年にフランス革命を象徴する有名な絵画「民衆を導く自由の女神」を輸送するために初来日、それからさらに22年後の2021年には警察庁が発注した大型ヘリの輸送で飛来している。
当初後継機のA330を改良した「ベルーガXL」の登場から入れ替えでベルーガは引退しこれが日本最後の飛来…
と思われていたが昨今の貨物需要、2021年時点で想定した引退までのフライト数5万回の1/3以下にも満たない1万5000回しか運行されておらずまだまだ運用可能ということから
貨物専門の別会社を立ち上げXLと入れ替えで引退したベルーガはこの貨物会社で運行されることが決まったため今後また日本に飛来する機会があるかもしれない。



エアバス社のその後

当初性能不足やオイルショックなどの影響で最初のB2は受注数が30機など苦境に立たされ、フランスや当時の西ドイツ政府からの援助を受けるなど厳しい
立場にあったエアバス社であったが、L-1011を持て余していたアメリカのイースタン航空からの受注やフラッグキャリアであるパンアメリカン航空からの
受注を得るなどアメリカでの市場開拓に成功。
オイルショックが収まり経済性の高い双発機が評価されるなどの要因が重なった結果急激に受注数が増えるなど嬉しい誤算も重なりA300・310は最終的には
シリーズ累計で800機越えの受注を得ることに成功しA300の生産も貨物型が2007年まで続けられた。


A300・310で蓄積されたノウハウによってエアバス社は同社初のナローボディ機の開発に着手した。
この時開発された機体がA320。フライ・バイ・ワイヤなど当時の最新鋭技術を盛り込んだこの機体は瞬く間に売れていき、
現在ではシリーズ累計で15000機越えという737に匹敵する大ベストセラー機となった。
この大成功によってエアバス社は飛躍的な成長を遂げ、A330とA340を開発して大型旅客機市場にも参入。
アメリカの旅客機メーカー競争の末に勝者となったボーイング社と肩を並べる企業にまで成長した。
特に競合機の737MAXが墜落事故やコロナによって発注キャンセルが相次ぐ中、こちらはコロナで需要が若干減ることはあるもののセールス自体は好調。
これにより生産終了となったA380の生産工場をA320・321の生産に置き換えるほどの主力商品となっている。


日本では

日本国内では旅客型は日本エアシステム(JAS)が本機を導入していたことで知られ、貨物型は佐川急便グループのギャラクシーエアラインズで運行された。
元々JASのレインボーダッシュレインボーカラーはエアバス社のハウスカラー(航空機メーカーの自社のイメージカラー)だったが、
東亜国内航空(JASの前身の一つ)向けのA300にレインボーカラーと「TDA」のロゴがペイントされている姿を見てTDAの役員が感激し、
「ぜひともあのカラーリングを我が社に譲って欲しい」となりTDA→JASのイメージカラーとなったという経歴がある。


JASは上記全ての型を導入しており総数39機を運行し、エアバス社のアジアにおける貴重な顧客でもあり高い定時出発率から最優秀運航者として表彰されたこともあった。
地方空港への路線が多かったJASでは地方空港の滑走路でも運用可能であったA300は多くの路線開設に貢献、日本で唯一の欧州製・JASにとっても念願のワイドボディ機
だったこともあり広告塔としても活用された。


その後JALとの統合ではまだ比較的新しかった600Rのみが引き継がれB2/B4は退役、引き続き同じ元JAS機のMD-90と共に地方路線で活躍した。
だがその後のリーマンショックやJAL経営破綻のあおりを受け機体整理が行われ、2011年に退役することとなった。
当初3月に引退予定だったがかの東北地方太平洋沖地震が発生、輸送力増強と被災地である東北の地方空港でも運用可能な性能を生かして活躍
引退は5月に延期、最後に大仕事を終えて無事役目を終えることとなった。


ギャラクシーエアラインズでは貨物型A300ではなく中古の600/600Rを貨物型に改良した2機が運行されていた。
だが運行開始からわずか2年足らずで運行を停止し現在会社は清算完了している。
国内貨物航空会社は今まで例にもれず成功しないという嫌なジンクスがありこの会社でもそれを破ることは出来なかった。
また同社は大型機を運行したものの吸収・合併されず廃業した航空会社としては初めてのケースとなった。


現在日本でA300を見る機会は成田に就航している貨物会社エアホンコンのA300など貨物会社の機材に限られ、その数も年々減少しておりいずれ日本では見れなくなる日も迫っている。
一方UPSでは2021年時点でも52機ものA300を運用しており、更には近代化改修も施され2035年まで運用を予定するなどA300が世界の空から消える日は先になりそうである。


伝説の始まりとなった人やレインボーカラーに感激した人はぜひとも追記修正をお願いします。


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  • 600Rにはよくお世話になりました -- 名無しさん (2016-11-11 17:58:19)
  • エアバス機の部品を運ぶための魔改造貨物機のベースとなった機体でもある -- 名無しさん (2016-11-11 18:31:48)

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