哲学

ページ名:哲学

登録日:2010/11/28(日) 01:57:34
更新日:2023/09/29 Fri 13:41:58NEW!
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哲学とは何か?――それもまた、哲学なのである。



まさしくそのまんま、だがここではその哲学というものの概要を可能な限り言語的に説明することを目的とする。


哲学とは主に、明確に存在しない、もしくは不明瞭なことがらについての考察、思索、論理的推察を行う。
例えば数学は数式や図形、グラフという具体的な存在に表現できるものに対する学問だが、哲学は時間や真理、根源、精神、神といった具体的な存在のない、あるいは表現できない抽象的な存在を対象にとることが多い。


また、このように題材にしても小難しいことをやる、という印象が強く、概念上での論争やそもそも語っていることが一般受けしにくいこともあり、
なにがしらへの説明を求められたときに少し難しい言葉などを使うと「哲学的だね」などと返されることも。


なにをもってして哲学的というのか、考えてみるのも面白いかもしれない。



「哲学」という語の語源や以前の用法からたどってみると、哲学はかつては「自然哲学」と呼ばれ、現代でいう科学と同じような意味で使われていた。いわゆる学問全般を指す語であった。
最も広い意味で言えば、知の探究全般、そして理性でもって諸現象を解き明かす行為そのものが哲学なのである。


西洋哲学、宗教哲学、(人名)の哲学、~派、~主義、……といった文脈では学問と言えるが、各々が"哲学する"行為は必ずしも学問にはあたらない。
哲学は学ぶものではないと言われることがあるのは、主に後者の意味で言っていることである。
(暗に先人の考えを理解・吸収することにとらわれ過ぎて、自分の頭で考えることがおろそかになっているのではないか?という批判的な含みがある。)


現代に至る過程でさまざまな学問の分類の体系化・細分化が進み、「哲学」という語は(消去法的に)その過程で残った(分野名がない)部分のみを限定的に指すようになったと考えれば、さほど大きなズレはないと思われる。
時に曖昧でつかみどころがない分野であるかのように誤解され感じられるのはそのためである。
実際には論理的に厳密であることが求められ、概念の明晰化や問題・命題の明確化など、論理的および概念的思考に特化した分野という認識で概ね相違ない。










哲学は自由と言えば自由な学問でもある。神について、人間について、悪魔について、世界について語ってもすべて哲学である。
過去の人間が「神とはAである」と弁論していて、現代の人間が「神とはBであり、Aこそが諸悪の根源である」と弁論しても、そこに間違いらしい間違いは存在せず、ただ互いに干渉しない真理が存在するだけである。





また、過去の哲学を哲学することもできる。
というのも、「過去に彼は、Aという理論を弁論した。
これはもともとBという理論から派生したものであるといわれるが、実はCという理論から派生したのではないか?」という具合に、とにかく推察するわけである。










このように割りと自由奔放な感じもするが、区分分けをするとものすごいことになる。学派、立場というものがあり、これらが多くに派生している。



学派とはとある事柄についてよく語る、または特徴的な弁論がある、といった具合で区分される。
自然哲学、形而上学、思弁哲学、新カント派、構造主義、といったものがある。聞きなれたものもあるのではなかろうか。



立場とは、その命題を立証するための理論の成り立たせ方、とでもいうものであり、存在論、観念論、相対主義、二元論、一元論、懐疑主義などがある。









また大雑把に、西洋哲学、東洋哲学、あるいは古代ギリシア、カント以前・以後、近代哲学、大陸哲学といった具合に場所や時代で細分化もできるし、
論理学、倫理学、生命倫理学、美学、法哲学、宗教哲学、というふうにもわけることができる。




なんにせよすべてにおいて哲学という学問にくくられるということを考えると、かなり広いことを行えるため、
自分のしたいことがわかりやすいといった利点でもあるが「哲学」そのものを曖昧にしている点でもある。














先人は哲学というもので「思想」を表現してきた。自分がなにを思い、なぜ思い、どうしたか。
哲学らしいといえば哲学らしい、思想という存在するものの他に認知されるという意味では非存在に等しいそれを、
言語によって輪郭戦を浮かび上がらせようという試みである。



この説明からしてわかりにくいように、とにかくわかりにくいものはわかりにくい。







「我思う、ゆえに我あり」


で有名なデカルトは方法序説を記した。読んでみればわかるだろうが、非常にわかりにくい。
言いたいことはわかるが理解しがたい、と思う人もいるのではないだろうか。




ついでにこの言葉は寝ている間は消滅している、という意味ではなく、
確かに物体が存在しているのかと疑いをかけまくって実は神すら存在しないんじゃないかという考えに行き着いたとき、
それを考えついた私は確かに存在していなければならなかった、ということを示している。


が、考えている=存在するが説明不要の真理でなければならない大前提であるため、やや説明不足が否めない。
つまり「ゆえに」で繋ぐのではなく、「私は考えつつ存在する」という結論に至らねばならなかったのではないか?という批判もあったりなかったり。







ついでにどうでもいいことだが、批判という言葉はものごとについて正当な判断を下し、
欠点については改善のために尽くすという意味であり批判=非難ではない。





また、批判=批評でもない。批評とは欠点と美点を客観的に評価し、そのものごとへの正当な価値を定めるだけで改善までは含まれない。











追記・修正は哲学的に。


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  • 人の数だけ哲学もある。 -- 名無しさん (2014-11-16 12:51:50)
  • 使い方によっては最悪の兵器になりうる学問 -- 名無しさん (2015-09-03 12:41:38)
  • 批判ってこんなに良い意味だったんだな -- 名無しさん (2018-07-15 02:14:31)
  • > 例えば数学は数字と言う具体的な存在に対する学問だが 数(数学は決して数字を研究する学問ではない)もだいぶ抽象的だし物理学なり化学なり生物学なりにしたほうがいい気が -- 名無しさん (2021-10-15 02:43:37)

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