続群書類従(蹴鞠部) - いにしえwiki
蹴鞠部 536 内外三時抄 飛鳥井雅有 鎌倉中期蹴鞠部 536 蹴鞠条々大概(蹴鞠十箇条)飛鳥井雅康蹴鞠部 537 晩学抄 飛鳥井雅康蹴鞠部 537 蹴鞠百首和歌 飛鳥井雅康蹴鞠部 538 蹴鞠百五十箇条 作者不詳蹴鞠部 538 鞠道三十首之和歌 飛鳥井雅康蹴鞠部 539 蹴鞠九
蹴鞠部 536 内外三時抄 飛鳥井雅有 鎌倉中期蹴鞠部 536 蹴鞠条々大概(蹴鞠十箇条)飛鳥井雅康蹴鞠部 537 晩学抄 飛鳥井雅康蹴鞠部 537 蹴鞠百首和歌 飛鳥井雅康蹴鞠部 538 蹴鞠百五十箇条 作者不詳蹴鞠部 538 鞠道三十首之和歌 飛鳥井雅康蹴鞠部 539 蹴鞠九
第一 蹴鞠口傳之抄001.懸の上下の事002.八境之圖事003.兩分圖の事004.對縮圖一、懸の上下の事〔図:懸の上下の事〕但貴人によりて一の向詰二になる事も有。口傳有之。一、八境圖の事〔図:八境圖の事〕我人の境の鞠はけかたへ任すべし。他分たらば袖を引てしりぞけ。自分たらば聲を出
酷な遊びではなかったと思うのですが……。柳川城おまけに、凧あげ名人という称号までいただいてしまって……。柳川城…………。柳川城本当は……この蹴鞠を使って、殿と一緒に戯れたかったのですが……。柳川城以前……見事に蹴鞠を扱う殿の姿を見て以来、暇を見つけてはひっそりと練習を重ねてきた、
蹴鞠條々懸の樹の事式の懸とは櫻柳楓松也。此木不足して二本うふる事くるしからず。又雜木をも師のゆるしを蒙る入植ますベし。雜木には椿榎椋柹これ植べし。椿。櫻の所。榎。柳の所。椋。同前。柹。楓の所。なるべし懸植事木は宅宅〔安宅歟〕の術。懸は鎭屋の方也。何方にても櫻。うしとら。柳。たつみ
承元御鞠記記者未考承元二年四月十三日壬子。天晴。時屬淸和。世樂靜謐。太上天皇〔後鳥羽〕機務の餘閑に前大相國〔賴實〕郁芳里第に臨幸し給ひて蹴鞠の宴あり。盖是上皇神聰稟天。衆藝軼人たまひて。蹴鞠さらに妙をあらそふものなし。是によりて去七日。當世究功の人拜感の至にたへず。我道をしてその
うるさし099.見物も 參る禮衆も 鞠の庭 立居につけて ならひある哉100.足つゝむ ならひばかりは いわね共 難波の事か 君に殘さむ後文蹴鞠百首和歌之終。右仁和寺御室御所樣御所望從被成候。蹴鞠之大體を百首之哥につらね。永正三丙寅の歳彌生之中の五日に令御書上覧に備ふ。且は上意も
各地の大名から献上された四季折々の花木を配置したことから、花の御所、だなんて呼ばれていたこともあったわ。かつては、殿上人たちによって、詩歌や蹴鞠の会が、幾度も催されたのだけど、殿はそういったことを嗜むのかしら?ふふっ、何だったら、お姉さんが、特別に教えてあげてもいいわよ?入手我こ
こともあるが、その童顔や本人の人格もあってか、なんやかんやで丸く収まってしまうタイプ。その愛嬌は朝廷との外交において遺憾なく発揮され、当人も蹴鞠の名手である後鳥羽上皇とは蹴鞠を通じて親しくなり、親王将軍を巡るW杯外交蹴鞠対決では上皇から有利な条件を引き出すことに成功する*14。最
ue 10:59:01NEW!所要時間:約 5 分で読めます▽タグ一覧いとおかし月と見まごうまろが鞠CV:河内孝博、乃村健次(5)武器:刀・蹴鞠、大槌成長タイプ:チャージ攻撃戦国無双シリーズの武将。白粉を顔に塗り、「まろは〜、の」と公家言葉で話すまろっぽいキャラ。蹴鞠と和の心を愛
だろう(ゲルググ自体、背後からの忍殺は可能で戦わなければいけない相手ではないが)。戦う必要度が薄いゲルググや鶏と違い、中ボスである七面武者と蹴鞠の淤加美一族には、タイムアタックや効率化の面でもとても実用的。『これは、地に足つけぬ、忍びの戦う術の一つ』ちなみに忍軍襲来後はムジナが移
処に戻る必要があるが……それはそれ。躑躅ヶ崎館此の地は他でもない今川の所領じゃ、お主が決めると良かろう!今川館う、うむ……!今川館(ちらり)蹴鞠の毬(…………)今川館…………~っ。――襖の向こう側。駿府城んん~?何をもぞもぞやっとるんじゃ、今川館のやつ。駿府城せっかく武田の支援を
様、項目作成を宜しくお願いします。本項目では日本プロサッカーリーグ、通称「Jリーグ」について述べる。概要日本サッカーの歴史は古く、平安時代の蹴鞠……は冗談。諸説あるものの概ね1870年頃に留学生により伝わったとされる。実はサッカー王国・ブラジルより古い、かもしれない。学校の体育で
げもん」は、着物の切れ端で作ってるんです。飾りの中には「一生の幸せ」が願い込められてるんですよ。所領3趣味は、料理と書道と、茶道や華道。あと蹴鞠・笛・能楽…それから……わ、私のことばかりしゃべって申し訳ありません!殿は休日、どのようにお過ごしですか?変身柳川城いきます!変身解除只
彼の黒幕説を拡大解釈したもの。余談だが、無双奥義の締めにどこからかスポットライトが照らされる。・戦国無双3Z・3猛将伝基本的に変わらないが、蹴鞠を嗜んでいることが義元シナリオで判明する。盛親ェ…戦国無双Chronicle今作のストーリーシステムの煽りをモロに受けた一人。本編では四
めでたきためしにも申侍りしに。今またかやうに雲のうへにてげに/\しく申をこなはせたまへる事こそいと有がたくおぼえ侍れ。いにしへ⿈帝と申御門。蹴鞠のことをはじめをきて。武をならふなかだちとし給へり。身をならはし心をめぐらさんには。まことにこれに過たること有まじきにや。世おさまれるに
高校級のゲーマー』なんて呼ばれてる。狛枝凪斗ゲームっていうのは、どう説明すれば良いか……。直訳すると……遊戯っていう意味なんだけど。将棋とか蹴鞠……って言ったら伝わるかな?千狐コンッ! 将棋に蹴鞠、どっちもよく知ってるの!七海千秋へぇ……。アナログゲームはこっちにもあるんだ。面白
群書類従の蹴鞠部には、3巻8種の文献が収録されている。 巻 資料 読み 時代 人物 353 承元御鞠記 しょうげんおんまりのき 承元2 353 貞治二年御鞠記 じょうじにねんおんまりのき 貞治2 二条良基 353 享徳二年晴之御鞠記 きょうとくに
しなどすベからず。夕云。若は老者若は肥滿の人は可持之。さればとて露顯しひらめかしなどすべからず。且由緖有。應和二年四月廿八日。御仁壽殿。侍臣蹴鞠。昌子親王以汗巾令賜侍臣等云々。於鞠先例殊に殊勝也。可秘之。タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
内外三時抄ないげさんじしょうは鎌倉時代の中期の作品。著者は飛鳥井家の第3代当主の飛鳥井雅有あすかい まさあり。続群書類従の蹴鞠部、第五三六巻に収録。序文内外三時抄(序)鞠場篇内外三時抄(庭作)内外三時抄(塞縁下)内外三時抄(石畳)内外三時抄(傍前栽)内外三時抄(懸樹)装束篇内外三
蹴鞠条々大概しゅうきくじょうじょうたいがいは室町時代の後期の作品。著者は飛鳥井家の第7代当主雅世の次男、飛鳥井雅康あすかい まさやす。続群書類従の蹴鞠部、第五三六巻に収録。身體事書云。凡人のうけたるところ。性に利鈍賢愚あり。體に好惡大少あり。父よけれども子かならずうけず。師妙なれ
掛け声と鞠が跳ねる音が、夜が更けるまで辺りに響き続けるのだった――。怪の子どもたちはみな踊る -絶-平穏が訪れた奥州にて、鞠を打つ音が響く。蹴鞠に魅せられた不来方城は、日夜を問わず特訓に明け暮れていた。そこに一人の城娘が姿を現す――。前半奥州に平穏が訪れてから、数日後――。浪岡城
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蹴鞠名人
敬称を省略させていただいてます。(ひらがな50音順→漢字→アルファベット順→数字の並びで) あまかわあきと あめとゆき あんこ イセ川ヤスタカ
A. 球技参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B9%B4%E9%9E%A0
書云。大理以下廷尉。於鞠會者上絬更無憚者也。忠信卿。有雅卿大理之時上之。重輔一臈判官之時上之。又後白河院御時。仲賴。知康上之。更不可憚者也。予云。先年與宗敎卿依此事及訴陳了。然勅判有當流。又爲方卿廷尉佐之時。一白(?)赤衣襖袴上絬事。大理之時近習之間。朝夕上絬[示+弖]候勿論事也
書云。只如尋常之法。小直衣小狩衣皆有例有謂。其外無別儀。但常の出仕も下絬らるゝ事なれば。俄御會之時。乍下袴上絬て。右下袴の前をばほころばして。後へ押やりて令立賜先例あり。後鳥羽院後御宇。賴實公如此。古くは指貫を沓にふみ入て立。これ其の時は裝束なへ/\と有ける時なればこそ然らめ。當
書云。是も無殊事。只公宴には一向布衣也。行景所行如此。雖直垂御會猶獨布衣也。革匊記有之。禁裏猶然。况仙洞乎。主上立御時被召。立時は前に非足の六位などを立て其後に仕也。是榼代々號革匊に見へたり。賀茂松下絹上色袴不着。弟子取事無之儀也。タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
書云。先例希歟。大底同先段。タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
書公(云?)。狩衣水干尋常之法也。直垂に袴又(勿?)論也。革匊記に。但狩衣はいたく不着歟。然而尋常之人尤宜。又恒出仕さこそあれ。御前に[示+弖]候の童部は。直垂上下にかみを上。頭髮掻上之。僧坊より參する童部は髮をあげず水干袴也。又直垂常事也。醫王寧王布之。同色に而同括をぬきなどし
書云。是又無殊儀。同上皇。能宗記云。後白河院親王御時。被用筵道云々。是不信。タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
書云。御直衣。冠御烏帽子隨節。御布衣。若內々會之時。御小直衣御狩衣等也。無殊儀。後鳥羽院は御直垂御葛袴御狩袴。是は別儀也。筵道建保之比被用之。予云。其比行幸之比也。即御會有之。其時筵道後被用。其上非故儀。タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
書云。中墨染衣袴。練色のうらまさりのきぬ可重帷。白香隨人。衣の𩒐を折也。仍たゞ人の𩒐折事はせぬ也。韈は廉革蝶丸。遁世の韈に用によりて。俗人は不用之。件革は凡何にも不用之。仍弃世しるしと也。其外は如俗人いかさまにもはなやかに裝束事事不可然也。源九入道は花園左府會に沓韈葛袴をきせられ
書云。鞠足は小袖に用意すべし。只出仕といへども可用意。寒天にはあまた重きるに。鞠俄にあるに。其まゝにてければあつし。かねてぬげば始つかたはさむし。このあはひ尤大事也。常の小袖を俄にぬげば煩し。されば小袖の帶する程より切たるを着たれば。俄にぬぐにわづらひなし。可用意。又春の季つかた
朝云。韈は古くは口傳故實おほかりき。承元の程品以後任彼又無別子細。但件式云。有文燻革韈。不論尊卑。不謂緇素。三十以後可着之云々。此文然而故實に無左右不着之。凡稽古の物とも世にも聞。人にもさる好士としられ。師說もたしかに受たる物。長者の免を蒙てはく也。任雅意て着する事なし。是を習と
夕云。狩衣水干直垂等の袖の活をぬく事あり。若は勝負若は人に爭。又袖(抽?)忠節之時事也。其作法。木の後に立入て或蹲踞。或は突膝。如指扇作法。又等輩之時は。乍立木の方の袖之絬を拔也。此作法を用時は兼󠄁可令用意。絬は常は閉付。續飯付にする物也。この時は不然。拔やすき様にすべし。必非木
書云。御冠懸は未見先規。但御冠難澁の御事ならば。縱雖無先例不可有子細。紙捻は無下也。組もあまり下ざまの心地して。にくひけやせん。弦あそばされば尤可優。又くみも何條ことあらんや。御直衣に御大口はさみ上らる。又御指貫建久八年に諸卿に御たづね有てはじめてめす。帳臺試夜着用ありとて被准。
夕云。初に重て着事あり。宗長卿度々着之。後鳥羽院又着御あり。相摸次郞時村數相公の弟子として院參之時着之。大底下括て宗々臣。臨御會刻限て上絬之時着之。自宿所上絬て着たる例は少也。予云。宗繼朝臣自兼日上絬着事度々。結句卅余にて紅單を重たりとて諸人嘲哢也。タグ一覧: カウンターページ全
除之。可然所には無左右不可用。是等つねのごとし。衣には大口なりぞ如法藝服なるを。院參の僧用たる例多し。雖然非尋常法歟。香帷は卅以後可着用之。蹴鞠之日此色を重ずる事如俗之法。縱卅以後なりとも。荒凉に不可着之。ぬの衣に絹蕉の袴又はり袴常事也。侍僧は等身衣に指貫之外無例。仁後(俊?)法
書云。不可違出仕之法。彼識者に訪べし。出仕する人々は猶しゝら烏帽子を着也。庶品絹狩衣。平絹指貫。生白帶。沓は黑赤可隨時。後鳥羽院御時。故相公幷故刑部宗長卿共に黑沓也。範茂卿相公に弟子也。朱漆の沓のうへを一はりぬりかへして着之。韈は故相公無文藍革也。宗長卿は或うらがへし或又有文を用
朝云。疊紙は能々用意あるべし。落しぬれば失禮也。不持にはしかじ。不持して難澁の事あらば能々懷中すべし。晴に取出てたかくかむみぐるし。かた/\にむかひて用意してかむべし。木に立て疊紙取出てかむ事なし。若はなたりし。䘐(ハナヂ)など常にたる人は。ふかく懷中にはさみて持べし。それもあら
001.身をちかく 足をばひきく 上る共 まづあたらぬは 下手の內なり002.立おほふ 姿といひて さのみ又 かゞむもわろし のけそるはうし003.正分の 縮いひしは 向ひつめ 角と/\の 人をいふなり004.角ならで 向ひにたてる 人をこそ 次分の縮と いふべかりけれ005.相
礼服・端正(威厳)②4皇后「山奥で静かな隠居生活を送っている隠者の服装を想像してみよう。」シンプル・淑やか(儒雅)・文人・笛③5皇后「宮中の蹴鞠に参加する際、どのような身なりをすれば汚れにくい?」シンプル・英姿(勇猛)・運動24/07/13(土)①6皇后「想像しなさい、風流な剣士
身にそふ鞠は。先達云。腰の功也云々。是によりて無口傳輩みな腰をやはらかにするとおぼしくて。腰を持あつかふ也。大底腰かゞまる。所詮腹の功也。膝をそらずに足の指をそらすがごとし。はらをため。やはらかにしなひ合すれば。腰のすふる也。肝心抄に。胸をよせてむねをいださず。腰をすへてこしをか
苑に御幸あらせらる。*15幕府、長沼宗政を以て、伯楽の事を司らしむ。*16十一日(ユリウス暦1207年4月9日*17)上皇、最勝寺に幸して、蹴鞠の戯を行はせらる。*18十二日(ユリウス暦1207年4月10日*19)十三日(ユリウス暦1207年4月11日*20)十四日(ユリウス暦1
一、足つゝむべきやうの事付足包紙やれたる時の事足つゝむ事。引合を四つにおりて。大ゆびよこにまくなり。先をうへゝ折返して。水こきしたる紙よりにて二卷まくべし。扨ゆびの外にてまむすびにする也。用心のためふたむすび三むすびもむすぶべし。又別のゆびもいたむ所あらば。つゝみてくるしからず。
歸足に混亂して人おもふまがふは。むきあふ足向直る足也。是等をよく可分別。先向合といふは籠鞠の事也。頭上を越て外に鞠出を走遮て。內へ向合ざまに蹴之。向直足は大底歸足におなじき也。所詮歸足は鞠長烏帽子たけ以下也。鞠若は扇をこし。若はすぐに落せば。おとしたてゝくゞりとをりて。鞠或肩又背
晩学抄(序)晩学抄(木練習)晩学抄(鞠長員鞠)晩学抄(足踏)晩学抄(延足)晩学抄(帰足)晩学抄(傍身鞠)外部リンク 続群書類従第拾九輯中 晩学抄タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
嚴命云。內鞠も所詮は懸の料なれば。木をよく蹴習にはしかず。初分は只かくいふ計にて不能委細。木一本に四五人も兩三人も立廻て。つねに習べき也。一本に八分有。其分も見定てけ習也。八分とは八人の儀也。又走所。流所。つく所。そふ所。もたるゝ所。よどむ所。はぬる所。さはる所。こす所。此等をよ
序嚴命云。㝡初にやがて庭鞠を蹴は。いかにも身によせ有。先無鞠とてよく/\姿を作ためつけて。空鞠を日ごとに何十度ともなくけさせて。其後鞠を細繩にて釣さげて。自板敷一寸計成べし。閑に一足づゝ蹴て。姿を能々たゝしうせよ。身體といふは顏。𩒐仕。目。口。手。胸。腹。腰。膝足等也。顏持はかる