「14年」を含むwiki一覧 - 5ページ

弥惣右衛門新田の小字 - 埼玉県の小字

またがっている。1931年に草加町字東町になった。 町名「東町」に受け継がれたが、住居表示実施により中央、住吉などとなり消滅した。手白:明治14年の字届書には記載がない。1931年に草加町字手代になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、

蒲生の小字 - 埼玉県の小字

ひがしまえや):1954年に大字蒲生字町添、字前、字東(編入)になった。扁良なし(へらなし):1954年に大字蒲生字東(編入)になった。明治14年の町村字調では変体仮名が使われている。東(東耕地)(ひがし):1967年に蒲生三・四丁目、蒲生東町になった。打分(打訳)(うちわけ):

越ヶ谷の小字 - 埼玉県の小字

った。町並(まちなみ):宿場があった日光街道沿いの区域。1966年に越ヶ谷一~三丁目、中町、越ヶ谷本町になった。町並裏(まちなみうら):明治14年の町村字調には記載がない。1966年に越ヶ谷本町になった。長堀(ながほり):飛地組替により四丁野村から編入したと思われる。1966年に

瓦曽根の小字 - 埼玉県の小字

1954年に大字瓦曽根字富士、大字登戸字新田(編入)、大字蒲生字西になった。土浮(どぶ):1954年に大字瓦曽根字天領、字富士になった。明治14年の町村字調では変体仮名が使われている。大新田(おおしんでん):1954年に大字瓦曽根字西町、字富士になった。又右ヱ門(又右衛門)(また

東立野の小字 - 埼玉県の小字

、吉笹原、東立野、原島、与左衛門新田にまたがっている。1931年に草加町字高砂町、字住吉町、字神明町になった。流し耕地(ながしこうち):明治14年の字届書に記載がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、第11号・ 埼玉県報 昭和6年4月

登戸の小字 - 埼玉県の小字

に登戸町になった。街道(かいどう):1954年に新設された小字。1967、1980年に登戸町、南越谷一・二丁目になった。鎌田(かまた):明治14年の町村字調には記載がない。1970年に川柳町一丁目になった。参考文献・ 越谷市大字小字表・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 越谷市遺

原島の小字 - 埼玉県の小字

篠葉、吉笹原、東立野、原島、与左衛門新田にまたがっている。1931年に草加町字高砂町、字住吉町になった。草加町の道路元標があった。丸野:明治14年の字届書には記載がない。1931年に草加町字西町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、

片山の小字 - 埼玉県の小字

974、1975年に畑中一・三丁目になった。神山(こうやま):東京府久留米村に編入したと思われる。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 片山村全図(大正11年)・ 東京府市区町村便覧(昭和14年)・ 埼玉県報 昭和48年6月、昭和49年7月、昭和57年11月・ 行

花田の小字 - 埼玉県の小字

丁目になった。御手作(おてさく):1971、1983、1992年に東越谷一・三・四・六・十丁目、花田五~七丁目になった。花田(はなた):明治14年の町村字調には記載がない。1983、1992年に花田一・三~六丁目になった。参考文献・ 越谷市大字小字表・ 南埼玉郡町村字調(明治14

赤山領領家(安行領家)の小字 - 埼玉県の小字

ある。出羽(でわ):1985年に(旧)安行出羽一~三丁目になった。町名「安行出羽」に受け継がれている。原下:二箇所に分かれている。現存。明治14年の字届出書には記載がない。1956年に大字安行から編入した。中通参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地

志木の小字 - 埼玉県の小字

保」、幸町四丁目に久保共励館、久保白衣観音堂がある。久保町内会がある。田子山下(たごやました):東方の飛び地。新河岸川の対岸に位置する。明治14年の字届書には記載がない。1973年に中宗岡五丁目になった。田子山下水路がある。田子山向(たごやまむかい):飛地組替により宗岡村に編入し

藤兵衛新田の小字 - 埼玉県の小字

)(なかとおりこうち):現存。堤外大沼通(堤外沼通)(ていがいぬまどおり):綾瀬川沿いの区域。現存。堤外反高場:綾瀬川沿いの区域。現存。明治14年の字届書には記載されていない。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500

上内間木の小字 - 埼玉県の小字

:現存。2017年に社会実験として運行開始した朝霞市内循環バス内間木線(循環系路線)のバス停「釜口」が大字上内間木にあった。上野:現存。明治14年の字届書には記載がない。大字上内間木に上野荒川運動公園がある。古川(ふるかわ):現存。2017年に社会実験として運行開始した朝霞市内循

新倉の小字 - 埼玉県の小字

広沢」に受け継がれている。広沢に広沢原児童公園、広沢原歩道橋がある。広沢原清水線という都市計画道路がある。 広沢間口(ひろさわまぐち):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 新倉第一耕地整理組合整理確定図・ 大和町全図(昭和39年

宮戸・大原の小字 - 埼玉県の小字

・第二遺跡がある。新立野(しんだての):新河岸川の旧流路の蛇行部に囲まれた区域。現在の新河岸川の対岸(志木市側)に位置する。新立野飛地:明治14年の字届書には記載がない。河川の流路変更により飛び地となった区域と思われる。中袋(元志木分)(北井房中袋):新河岸川の旧流路の蛇行部の囲

東小林の小字 - 埼玉県の小字

~九丁目になった。古川(ふるかわ):越谷市大字小字表には記載がない。1992年に東越谷六・十丁目になった。堤外古川(ていがいふるかわ):明治14年の町村字調には記載がない。1971、1992年に東越谷一・三・四・六・十丁目になった。参考文献・ 越谷市大字小字表・ 南埼玉郡町村字調

中島の小字 - 埼玉県の小字

るとねがわていがい、ふるとねかわていがい):現存。荒川(あらかわ):現存。稲荷面(いなりめん)千間堀堤外(せんげんぼりていがい):現存。明治14年の町村字調には記載がない。参考文献・ 越谷市大字小字表・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 越谷市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和55年9月

伊刈の小字 - 埼玉県の小字

伊刈村→芝村大字伊刈→川口市大字伊刈現在の地名:川口市芝高木、大字伊刈屋原中(やはらなか):現存。1914年に大半が大字伊刈字牛田、字中通(編入)、大字柳崎字西ヶ原(編入)になった。1979年に一部が柳崎一丁目、柳根町になった。中通(なかとおり):現存。191

上尾村の小字 - 埼玉県の小字

田下(よしだしも、よしだした):現存。大字上尾村に吉田下ポンプ場がある。田向(たむかい):現存。1966、1967、1970、1985、2014年に一部が(旧)緑丘、本町六丁目、錦町、上平中央三丁目になった。本町六丁目に上尾田向宿舎がある。吉田前(元西門前分):大字西門前字吉田前

登戸の小字 - 埼玉県の小字

遺跡、登戸新田北遺跡がある。小山下(小山下耕地)(こやました):現存。野郷地(野耕地)(やごうち、や):現存。寺谷前耕地(てらやまえ):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図

川面の小字 - 埼玉県の小字

。前谷(まえや):現存。武蔵水路に架かる前谷橋がある。飛田(とびた):現存。1981年に一部が赤見台一・三丁目になった。下谷(しもや):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図・ 埼玉

北中野の小字 - 埼玉県の小字

した):現存。堀下(ほりした):現存。下野(しもの):現存。伐沼(代沼)(きりぬま、だいぬま):現存。上野(うえの):現存。飛(とび):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図

阿賀峠(呉越峠) - 呉市周辺の遺構まとめ

すが、このトンネルは軍用鉄道である呉線専用のトンネルであり鉄道以外の道は依然として阿賀峠の県道のみでした。広に海軍工廠が作られた4年後の大正14年、呉-広間の交通量増加を受けようやく新道が完成し路面電車も走れるように道幅が広げられました。太平洋戦争終戦後も広呉間の道路として利用さ

青毛の小字 - 埼玉県の小字

二・三丁目になった。上青毛遺跡がある。大堺(大境)(おおさかい):1974年に青葉一・二・五丁目になった。参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 久喜市土地宝典 久喜・太田地区 1978.1・ 久喜市地形図 (縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和49年1月、昭和53年7

千田廟公園 - 呉市周辺の遺構まとめ

いました。千田廟社(千田神社)広島市繁栄の恩人として名を遺した千田貞暁を祀る神社広島市は千田貞暁に対して明治31年に感謝状を贈り、没後の大正14年にこの千田廟社を建てました。宇品新開地紀念碑千田廟公園内にある埋め立ての記念碑新開とは埋め立て地のことで、明治17年の宇品港の築港工事

掛の小字 - 埼玉県の小字

跡がある。中(中耕地)(なかこうち):現存。下(下耕地)(しもこうち):現存。上里(上里耕地)(かみさとこうち):現存。春山新田:現存。明治14年の字名称調には記載がない。春山(元岩槻分)参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)

見田方の小字 - 埼玉県の小字

になった。飯島(いいじま):1970、1971年に大成町七・八丁目になった。飯島自治会がある。大成町八丁目に飯島排水機場がある。大飯島:明治14年の町村字調、越谷市大字小字表には記載がない。1970年に大成町七丁目になった。参考文献・ 越谷市大字小字表・ 南埼玉郡町村字調(明治1

南平野の小字 - 埼玉県の小字

、2011年に東岩槻五・六丁目、南平野一・二丁目になった。清賀(清賀耕地)(せいがこうち):2011年に南平野一~三丁目になった。堤外:明治14年の字名称調には記載がない。2011年に南平野三・五丁目になった。参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2

岩槻の小字 - 埼玉県の小字

田三丁目になった。斎藤新田(さいとうしんでん):加倉に編入したと思われる。春山(はるやま):本宿に編入したと思われる。新正寺飛地:現存。明治14年の町村字調には記載がない。1965、1988年に一部が宮町一・二丁目、本丸四丁目、太田二丁目になった。西原(元平林寺分):現存。197

大口の小字 - 埼玉県の小字

んでん):現存。外新田(そとしんでん):現存。拾丁歩(拾町歩)(じゅうちょうぶ):現存。下大増新田(しもおおまししんでん)飛耕地:現存。明治14年の町村字調には記載がない。参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)

大森の小字 - 埼玉県の小字

(たくち):現存。宮田(みやだ):現存。松本(まつもと):現存。五反田(ごたんだ):現存。下(しも):現存。前谷(まえや):現存。永腐:明治14年の字名称調には記載がない。1916年に大袋村大字三ノ宮字上谷に編入した。参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ さいたま市地形図

新方須賀の小字 - 埼玉県の小字

之縄)(みのなわ):現存。須賀用水に架かる己縄橋がある。居附(えつき):現存。水神(すいじん):現存。前野(まえの):現存。中田:現存。明治14年の字名称調には記載がない。須賀用水に架かる中田橋がある。新屋敷参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,

赤井の小字 - 埼玉県の小字

なった。田畑(たはた):現存。大字赤井にバス停「赤井田畑」がある。赤井田畑遺跡がある。谷田(やだ):現存。赤井谷田遺跡がある。台:現存。明治14年の字届書には記載がない(代わりに台甲壱、台甲二がある)。1981年に一部が赤井三丁目、東本郷二丁目になった。大字赤井にバス停「赤井台」

下青木の小字 - 埼玉県の小字

なった。江川(えかわ、えがわ):1937年に青木町五丁目になった。孫七(まごしち):1937年に青木町五丁目になった。芝原(しばはら):明治14年の字届書には記載がない。1937年に青木町一丁目になった。端戸(はしど):幸並中学校のあたり。1937年に青木町四・五丁目になった。西

下早見の小字 - 埼玉県の小字

河原井町になった。向(むこう):1977年に河原井町になった。蓮根河原(はすねがわら):1977年に河原井町になった。長割(ながわり):明治14年の町村字調に記載がある。参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 久喜町全図 人文社・ 久喜市土地宝典 江面・清久地区 1978.

神田の小字 - 埼玉県の小字

。新田前(新田前耕地)(しんでんまえ): 荒川の堤外地と鴨川沿いの二ヶ所の飛び地。現存。大砂場: 荒川の堤外地の飛び地(二か所)。現存。明治14年の字届書には記載がない。さいたま市地形図で大字下大久保になっている区域を含む。千田切(千太切、千田切耕地)(せんだぎり): 荒川の堤外

内谷の小字 - 埼玉県の小字

和市に編入し、1975年に西浦和一丁目になった。田畑前(たばたまえ):1959年に浦和市に編入し、1978年に内谷三丁目になった。若宮:明治14年の字届書には記載がない。1959年に浦和市に編入し、1978年に内谷一~三丁目、曲本一丁目になった。番匠目(ばんじょうめ):1959年

(植田谷領)在家の小字 - 埼玉県の小字

カ田)(しかた):折柳(おりやなぎ):1971年に大字在家字志加田、字堀合に編入した。堀合(ほりあい):現存。大久保浄水場の北方。現存。明治14年の字届出書では志カ田、昭和45、46年の埼玉県告示やさいたま市地形図では志加田、登記情報では志賀田となっている。油田(あぶらた):19

中野田の小字 - 埼玉県の小字

ぶき):現存。中野田冠木遺跡がある。谷ノ前(谷ッ前)(やつまえ):北西に飛び地がある。現存。谷ノ前遺跡、谷ノ前東遺跡がある。中原:現存。明治14年の字届書には記載がない。中野田中原遺跡がある。堀ノ内(ほりのうち):現存。中野田堀ノ内遺跡がある。島ノ前(しまのまえ):現存。中野田島

井沼方の小字 - 埼玉県の小字

田公園がある。馬堤(うまつつみ):2006年に東浦和二丁目になった。東浦和二丁目に馬堤公園がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 浦和市全図(昭和48年)・ 浦和南部土地区画整理事業 大字・字界変更図・ 井沼方土地区画整理事業 換地図・ 埼玉県報 平成14年

蓮見新田の小字 - 埼玉県の小字

蓮見新田東浦(ひがしうら):見沼田んぼ内の区域。現存。2002年に一部が東浦和五・六丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 浦和市全図(昭和48年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 平成14年12月

大間木の小字 - 埼玉県の小字

にある浅間神社が由来。東浦和七丁目にバス停「浅間下(せんげんした)」がある。浅間下自治会がある。 参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 浦和市全図(昭和48年)・ 芝原土地区画整理事業 区域図・ 浦和市土地宝典 尾間木地区(昭和60年)・ さいたま市地形図(縮尺2

円阿弥の小字 - 埼玉県の小字

弥二・四丁目になった。西浦1~5号遺跡がある。八貫野新田(はちかんのしんでん):飛地組替により塚本村に編入した。松之木耕地(まつのき):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 与野西部土地改良区大字及字界変更図・ 与野市大字別地番図

広島赤十字原爆病院(旧広島赤十字病院) - 呉市周辺の遺構まとめ

広島赤十字・原爆病院(旧広島赤十字病院)広島赤十字・原爆病院は昭和14年『日本赤十字社広島県支部病院』として開業しました。しかし、開業わずか3ヵ月で陸軍に接収され『広島陸軍病院赤十字病院』となりました。その後、太平洋戦争中の昭和18年に『広島赤十字病院』と改名します。昭和20年8

広島城(陸軍第五師団跡) - 呉市周辺の遺構まとめ

加部隊跡記念樹ノモンハン事件に参加した歩兵第七十一連隊・野砲兵十三第連隊・輜重兵第二十三連隊の記念碑3部隊ともここ広島城で発足した部隊で昭和14年のノモンハン事件に出動し、3部隊とも壊滅し解散しています。その後、太平洋戦争中に再編成されましたがその時は熊本の第二十三師団の所属とな

針ヶ谷の小字 - 埼玉県の小字

中山跨線人道橋がある。中山東(なかやまひがし):1943年に北浦和町一・二丁目、針ヶ谷町一~三丁目になった。高沼:南西に点在する飛び地。明治14年の字届書には記載がない。飛地組替により大戸村に編入した。名称は編入先からの推測による。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年

中尾の小字 - 埼玉県の小字

緑島自治協力会、新緑島自治協力会がある。中尾緑島遺跡、中尾緑島東遺跡、中尾緑島西遺跡がある。 参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 大浦和市全地図(昭和9年)・ 浦和市全図(昭和48年)・ 中丸土地区画整理事業 換地図・ 駒前土地区画整理組合字 区域変更図・

田島の小字 - 埼玉県の小字

渡船場があり、後年その場所に秋ヶ瀬橋が架けられた。秋ヶ瀬橋の北方に秋ヶ瀬公園があるが、字秋ヶ瀬の区域からは外れている。 南飛地耕地:明治14年の字届書には記載がない。飛地組替により曲本村に編入した。名称は編入先からの推測による。櫃沼(元与野分):飛地組替により与野町から編入し

下落合の小字 - 埼玉県の小字

った。高沼用水路に架かる浜の田橋がある。 高沼(こうぬま):鴻沼川に沿った区域。1963年に大字大戸字高沼に編入した。飛地(とびち):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 土合村耕地整理組合第二区第三区拡張区域現形図・ 与野市大

並木の小字 - 埼玉県の小字

ある。 前(前耕地)(まえこうち):1959年に三橋一・二丁目になった。三橋村の道路元標があった。倉前:西大宮病院、三橋中学校のあたり。明治14年の字届書には記載がない。1959年に三橋一丁目になった。宮田(みやた):並木氷川神社、三橋小学校のあたり。1959年に三橋二丁目になっ